薬師 リスメイヤーの話
いつも日が暮れる前に戻る注意深い父さんが、その日は薬草採取に行ったきり深夜になっても戻らなかった。
次の日、父さんが行きそうな所を探していたら崖から落ちて死んでいる父さんを見つけた。
「お前の母さんが病気で死んでから、どこか心ここにあらずになっていたからなあ」
俺と一緒に父さんを探してくれた近所の人達に慰め顔で言われた。
父さんが死んで俺は一人になった。 父さんは結構名の知られた薬師で近所は勿論、かなり遠くの町からも父さんの薬を買いに来る客がいた。 だから最初は俺一人でも父さんがやっていた薬師の仕事をそのまま続けていくつもりだった。 子供の頃から父さんの仕事をずっと側で手伝っていたし、父さんが作っていた薬なら全部俺にも作れる。 母さんが死んでからは俺一人で薬を調合していたが、薬草を見分けるのも配合も間違えた事なんて一度も無い。
だけど父さんが死んだ事が知れ渡った途端、誰も薬を買いに来なくなった。 薬師は経験がものを言う商売だからな。 子供から薬を買おうと思わなくたって当たり前だ。
子供と言っても俺はその時二十二だ。 ただ小柄なうえに童顔で、十五、六、せいぜいで十八にしか見えなかった。 それも理由の一つなんだろう。 童顔なんて商売の妨げになっても助けにはならないとその時気付いたが、今更自分の外見を変える事なんて出来ない。 それで薬屋になる事を諦め、北軍に入隊する事にした。
入隊する時、何か特技がないかと質問された。 それで父さんが薬屋で調薬を手伝っていた事を話したら医療部隊に入れられた。 それは俺にとって好都合だ。
北軍の薬品課は想像以上に大きく、扱った事がない薬が沢山あった。 患者も様々。 外傷が多いが、そればかりじゃない。 内臓疾患も結構あるから経験が積める。 ここで十年ぐらい働き、除隊してから薬屋を開こうとか、そういう事を漠然と考えていた。
入隊して一年経ったある日、カルア将軍補佐から呼び出された。 新兵が将軍補佐に呼び出されるなんて普通じゃない。 悪い事をした覚えはないし、上官のカーチナー小隊長も理由は知らなかった。 誰か俺の薬に文句をつけたのか? でもそれなら俺の上官が呼び出しの理由を知らないはずはない。
それとも誰か具合が悪くなった? だけど薬を持って来いとは言われてなかったから手ぶらで出頭した。 するとそこで第八十八小隊への転属を打診された。 八十八なら医療部隊じゃない。
「六頭殺しの若が指揮する部隊だ。 組織上は歩兵部隊だが、実務上は弓部隊となる」
つまり射手? 弓なんて普通程度にしか射てないのに? 森や山に入る時、野獣に襲われても追い払えるように常に持っていたが、大した腕じゃない。
それより驚いたのは俺が六頭殺しの部下に選ばれた、て事だ。 若は北軍で絶大な人気がある。 俺だって名前と顔は知っているけど、他の奴らと違って彼に憧れて入隊した訳じゃないし、お近づきになりたいとか部下になりたいという希望があった訳でもない。
「あの、何かの間違いではございませんか? 転属願いを出した覚えはありません。 それに六頭殺しの若が指揮する部隊なら入りたい奴が他に沢山いるはずです」
「入りたい部下が必要なのではない。 入れたい部下かどうかだ」
「なぜ俺を入れたいのでしょうか?」
「おまえには薬の知識がある」
「射手になるのに薬の知識がいるのですか?」
「射手には必要ない。 しかし若の部下には必要だ。 毒殺される危険があるからな」
毒殺という言葉にぎょっとした。 俺が毒薬の勉強をしている事を皮肉られた? でもカルア将軍補佐の顔を見る限り、皮肉でもなければ冗談でもなさそうだ。
それにしても毒殺されるって。 若が、だよな? 誰かに恨まれているのか?
本人を詳しく知っている訳じゃないが、誰かに憎まれるような人には見えなかった。 良く言えば明るくて好かれる性格。 悪く言えば何にも考えていない能天気。 なんか、犬っぽい。 猛虎の姿を見掛けたら、ぱっと駆け寄っていく所とか。 猛虎だって、つんけんしている割には絡まれるのが嫌じゃないみたいだし。 いつも誰に対しても警戒している人なのに若に対して剥き出しの警戒心を見せた事はない。
そもそも犬が何も考えていなくたって誰も恨んだり憎んだりしないだろ。
ともかくあまりに突然の話で、しかも理由が理由だ。 どう返答したらいいのか迷っていると、カルア将軍補佐がおっしゃった。
「聞いての通り、これは普通の転属辞令ではない。 その為これに関しては拒否する事を許す。 転属したくないと言うならそれでもよい。 今まで通り医療部隊で薬師を続けてもらう。 若の部隊でも薬師を続けたいと言えば許可されるのではないかと思うが。 それは若次第だから確約は出来ない」
「もし俺が行きたくないと言えば誰が俺の代わりに行く事になるのでしょう?」
「お前の代わりはいない。 医療部隊には切り傷、凍傷、打撲、火傷など外傷に対応出来る薬師なら他にもいるが、薬師は元々数が少ない上に毒薬に詳しいとなるとお前しかいないから」
俺はちょっと考えた。 今やっている仕事は将来薬屋を始める時、役に立つ。 だけど毒薬に詳しいからって弓部隊に入ったら薬に関して新しく学べる事なんかないだろう。 なのに俺の口からは、するっと承諾の言葉が出ていた。
「お受けします」
「二、三日考えなくてもよいのか?」
「考えても気持ちが変わる事はないと思います」
自分でもなぜそう思ったんだか分からない。 俺は若と親しい訳じゃないし。
とは言っても弓の練習をしていた時に一度助言してもらった事がある。 あの時はちょっとびっくりした。 だって俺は御覧の通りの平民だ。 大して弓がうまい訳でもない。 でも若はそんな風に的場で誰彼構わず声を掛け、こうしたらいいよ、と教えてあげる事がよくあるらしい。 それは聞いていたけど、単なる有名人の気まぐれ、貴族の兵士だけに声を掛けているんだろうと思っていた。
若は俺の後ろで立ち止まり、真ん中は勿論、的にさえ当てられずにいる俺に向かって呟いた。
「矢って思った所に当たらないよなー」
こいつ、自分が上手いと思って下手な奴をわざわざばかにしに来たのか、と思った俺は、むっとした。 睨んでやろうかと思って振り向くと若の瞳に邪気がない。 なんとなく毒気を抜かれ、若の言葉を額面通りに受け取って返事した。
「若の矢はちゃんとど真ん中に当たっているじゃありませんか」
「実はさ、俺のも当たってないんだ」
「はい?」
「的に当たっているのは狙いを外しているからさ」
「外している?」
「うん。 何回も射っていると、その内矢がどんな風に外れるかが分かるようになる。
ほら、例えば俺があの赤丸を狙って射るとするだろ? あそこを狙っても矢は右へ十センチ外れた所に当たる。 だから次に射る時、左へ十センチ外れた所を狙って射てば赤丸に当たるって訳」
それは口で言うほど簡単に習得出来る事じゃなかったが、矢とは狙った所から外れるもの、と最初から頭に入れて射るようになってから俺の矢は不思議に当たるようになった。
矢が当たるようになったからどうした、という理屈じゃない。 あの人が毒殺されるのは嫌だ。 ただ、それだけだ。




