策士 ディーバの話
「策士、策に溺れる、か」
デュガン侯爵の呟きを苦々しい思いで聞いた。 お言葉の通りであるだけに。 どこからどう見ても完璧な私の計画が、これ程ものの見事に粉砕されるとは。
影武者の護衛は少人数に抑えるよう北軍将軍へ指定していた。 襲い易いように、と。 まさかそれが徒になるとは思わず。
護衛は僅か二人。 だがその内の一人は北の猛虎。 少人数しか付けられないなら最強を付けよう、とでも思ったか。
しかし六頭殺しとして名が売れたとは言え、ヴィジャヤンは平の新兵。 出自は伯爵子弟だが継嗣ではないのだから任務で死んだとしても大事になる心配はない。 普通に考えたら小隊長を護衛に付ける必要などないであろうに。
タケオが護衛を買って出たという事か? ヴィジャヤンとタケオに交流がある事はどこかで聞いていたが。 公務を遂行する時にそのような私事が考慮されるとは予測出来なかった。
そもそも三十二名の刺客を相手に勝ち残る? なぜそのような事が可能なのか? いかな北の猛虎であろうと多勢に無勢。 刺客が大した腕ではなかったとしても信じられないが、奴らは全員私自身が念には念を入れて選んだ裏の世界でも名の知れた強者だ。 率いるバンジは密かに裏将軍とあだ名される程の剛の者。 若い頃、軍対抗戦で近衛大将を務めた事もある。
最近では手下の数も増え、自ら出向く事は滅多にないと聞いていた。 だから金に糸目を付けず言い値を払い、バンジ自ら出向く約束を取り付けたのに。 手駒から送られてきた密書は何度読み返しても変わらない。
「放した鳥は一羽も戻らず」
一体何があった? 失敗するはずはない。 その確信が過信? 猛虎の評判である一騎当千は伊達ではなかった、という訳か。
追い打ちをかけるかのようにデュガン侯爵がおっしゃる。
「ディーバ。 皇太子殿下のお傍にヴィジャヤン先代伯爵が召し出されたぞ。 御相談役という名目だが。 なに、実質上の侍従長だ。 カイザーは窓際へ追い遣られた」
「昨日や今日、就任したばかりの新入りに侍従長職が務まりましょうか」
「右も左も分からず、カイザーに教えを乞うかわい気がある者なら就職祝いを贈ってもよいくらいだが。 情けない事に、カイザーがこの人事を知ったのは今朝。 自分がやるはずの、殿下の本日の御予定をヴィジャヤンが読み上げているのを見て知った、という有様」
正に、痛恨。 順調に行けば皇太子殿下は十年経たずに即位なさるのだから、皇太子殿下付き侍従長には当代陛下付き侍従長並の影響力がある。 私はそのカイザー侍従長の弱みを握り、こちらに重要な情報を逐一流すよう仕向けていた。 デュガン侯爵にとってそれは他の貴族が持ちえない強力な切り札。 その貴重な情報源さえ失う事になったとは。
この計画は万が一、影武者の暗殺に失敗し、殿下が居座り続けたとしても然したる波及はないはずだった。 侍従長更迭の理由は明らかではない。 この暗殺計画に彼は全く関与していないのだから。 だが暗殺の失敗と何らかの関係があると見て間違いはないだろう。
詳しい理由を知りたいが、カイザーが蚊帳の外では他に殿下の内情を知る手掛かりはない。 闇雲に動くのは危険極まりないから、新しい伝手を見つけるまでこちらは身動きが取れない事になる。
「綿密に練られた計画ではなかったからな。 失敗も已む無し、か」
ここで侯爵のお言葉に反論するのは憚られた。 確かに六頭殺しの若に影武者をさせる事はその場での思いつき。 どちらかと言えば千載一遇の機会を利用したものと言える。
だが好機とは待っていれば又訪れるというものではない。 それに事前の予想では失敗したとしても誰が仕掛けた事か分からず、うやむやになる。 マイナスの要素はないも等しいのに成功した時のプラスは天井知らず。 賭けない方がおかしい賭けだったのだ。
「ところで、ヴィジャヤンへ橋渡しをしたのはヘルセスらしい」
「彼は中立と思われていましたが。 すると、この際皇太子派と世間に受け取られても構わないと判断した訳ですね」
「ヘルセスがどちらに流れようと痛くも痒くもない。 が、ヴィジャヤンは。 気になる」
ヴィジャヤンがどちら派かなど、考慮にも入れてなかった事が悔やまれる。 侮れない人脈を持つ男である事は知っていたが、だからこそ最後まで玉虫色を通すと思っていた。
彼の副業である情報機関からの売り上げは本業の伯爵より多いはず。 皇太子相談役になれば顧客の数は激減する。 それを目先の損と言い切れるほど将来の益は大きくない。 損益を無視するほど皇太子に肩入れしていた様子は少しもなかった。
「ヘルセスに説得されたのでしょう。 宮廷政治を牛耳る野心はなくとも、その能力はあると噂されていた男ですし。 しかしヘルセスの説得に、うん、と言うとは予想しておりませんでした。 申し訳ございません」
「突然政治の中心へ躍り出す前から二人は姻戚関係以上の盟友であった、という事なのだろうな。 ふん。 嫌々娘を嫁にやったという素振りは演技だったか。 ヘルセスの猿芝居に騙されたわ」
結婚式では上機嫌でヴィジャヤンと歓談しており、両家の距離が近づいた印象はあった。 だがそれは皇太子殿下の御臨席を戴いた手前がある故と見て、政治的な盟友となるのはまだ先、と判断していた。 なぜならヘルセスはまだ息子に爵位を譲っていない。 先代となれば身軽だが、当代が表立った政治的な動きをするのは損得半々の賭けになる。 それを承知でこの橋渡しをしたとなると、政治に無関心な馬好きというヘルセス公爵の外面も今一度考え直さねばならない。
何よりまずいのが、事件の黒幕はデュガン侯爵か、その周辺、とあたりを付けられてしまったという事だ。 証拠はない。 とは言え、一度疑われたらそれは人の心の奥底に根強く残る。
元々デュガン侯爵は皇太子派と思われていた訳ではないが、今の段階ではほとんどの上級貴族が中立。 中立でない方が珍しい。 だから中立自体に問題はなかった。 しかし反皇太子派のレッテルが貼られたとなれば話は別だ。 そのような旗印の者に近づこうとする者などいる訳がない。 現皇太子が廃嫡され、継承権が消滅したのでもない限り。
デュガン侯爵は派閥の盟主としてかなりの影響力があったが、これからは声をかけても人が集まらなくなるだろう。 先日のパーガル侯爵家演奏会がよい例だ。 デュガン侯爵が出席出来る出来ないに関係なく毎回必ず貴賓席への招待状を送って来ていたが、今回に限って何も送って寄越さなかった。
執事の手違い等ではない。 デュガン侯爵が座るはずだった席にはサキ・ヴィジャヤンが座っていたのだから。 本来なら先代伯爵という無爵の者が、侯爵より格下の貴族が座る事の出来ない席に着けるはずはないのに。
理由をやんわり聞けば、演目が「六頭殺しの若に捧げる歌」だから、だと。 ふざけるな。
パーガルもパーガルだ。 仮にも侯爵のくせに見栄も矜持もあったものではない。 新侍従長の御機嫌を取ろうと、そこまでするか。
巷では若を讃える歌が流行している。 外を歩けば何度も聞かされ、いまいましい事この上ない。 だが、このままにはするまいぞ。




