陰謀 ディーバの話
「あれは、使えますね」
六頭杯を見物しながら私は隣に座っていらっしゃるデュガン侯爵の耳にそっと囁いた。 侯爵が北軍を訪問なさったその日が第一回六頭杯の開催日だったのは単なる偶然だ。 訪問の目的は別にあったが、だからと言ってせっかくの幸運を無にしてよいものではない。
私の言葉に、どういう意味だとお尋ねになる代わり、侯爵が右の眉を少し上げた。
「皇太子殿下の影武者は六頭殺しの若になってもらいましょう。 一石二鳥、いや三鳥、うまくいけば四鳥を狙えるかと存じます」
更に声を潜め、デュガン侯爵に理由を説明した。 ふむ、と二、三度軽く頷かれた後で鷹揚にお席を立たれる。 そして北軍将軍のいる桟敷席へと向かわれた。 まるでこの世に急ぐ事など何もないとおっしゃるかのようにゆっくりと。
デュガン侯爵は常に新しい機会を窺う野心家として知られている。 それは世間を騙し切るのが如何に難しいかという事の証かもしれない。 夜会や社交にお忙しい御方だが、どれも遊びであった事などない。 全て仕事。 でなければ仕事絡みの理由があったから出席しているし、開催しているのだ。 多くは相談役を務める私の助言による。
爵位を継承する前の彼と出会ったのは八年程前に遡る。 当時私は上級貴族の当代か次代の相談役の職を求めていた。 彼は正嫡子ではあったが次代ではなかったから私は自己紹介しただけだ。 しかし私が求職中である事を知ると、彼は爵位を継承するにはどうすべきかと質問なさった。 普通なら無料で策を授けたりはしない。 だが私の助言を有効に使えるような御方なら主としてもよいかと思ったので助言した。 どうやら貴重な助言を無駄にしない御方であったらしく、一年後、彼は爵位を継承した。
「ディーバ。 当家の執事にならぬか?」
「それでしたらお断り申し上げます。 執事は所詮命じられた事を遂行するだけの者かと。 私でなくとも勤まりましょう」
「面白い事を言う。 では相談役としよう」
こうして私は彼に雇われた。 それ以来、戦略的な助言をしている。 彼からの質問に答える事もあるが、聞かれなくとも提案する事の方が多い。 もっとも軍師が主の質問を待っているようでは到底お役目を果たしているとは言えまい。 戦争も内乱もないこの国で、座って待っているだけでどうやって他を凌駕する立場に立てるというのだ? 他に先んじるには何かが起こってから対処するのでは遅きに失する。
ある日珍しくデュガン侯爵が愚痴めいた言葉を漏らされた。
「皇太子殿下ときたら。 頑是無き子供のような御方ではある。 さて、どうしたものか」
「殿下の御婚儀が本決まりになった件でございましょうか」
「うむ。 挙式前に是非一目、お相手であるフェラレーゼの王女様御本人に会いたい、と御希望でな」
「それはそれは。 得難き機会の到来、でございますな」
「得難き機会?」
「従わせる、或いは従わざるを得なくする為に必要なのは戦略。 それを間違えなければ服従は当然の帰結として齎されるもの。 陛下が臣下を服従させているように。
逆もまた真。 臣下が陛下を服従させる事も不可能ではない。 時に転がり込む機会を臣下だからと遠慮する事さえなければ」
デュガン侯爵は一を聞いて十を知る御方。 そういう意味では私の良き弟子であり、理解者と言える。 少々の危険は承知の上で私の計画を採用なさった。
私の助言に従い、デュガン侯爵は隣国フェラレーゼの王女に拝謁する外交使節に殿下がお忍びで随行出来るよう奔走した。 正式の御訪問ではないから殿下が隣国に行った事を隠す必要がある。 正規の影武者なら何人もいるが、今回の使節団にはその影武者も随行する為、影武者の代役を務める兵士を探しに北軍を訪問した、という訳だ。
モンドー将軍には殿下の御内意として以下を伝える。
一週間程影武者が必要である事。 その間影武者には北と東の境にあるフレイシュハッカ離宮に滞在してもらう。 しかし役目はそれだけ。 誰とも会う予定はないので顔が似ていなくともよい。 離宮には管理の者数人しか残っておらず、いずれも口の堅い忠義に疑いのない者ばかり。 皇太子殿下らしき人がそこにいる、というだけで充分。
影武者の代役なら東軍か近衛軍兵士の中からいくらでも見つけられる。 なのになぜ北軍に来たのか。 それを将軍に伝える必要はない。 離宮に勤める者達に代役の身元を即座に悟られると都合が悪い、というのはこちらの事情。 将軍が知らなくともよい事だ。
ともかく、常に殿下のお傍近くに仕える近衛兵や東軍兵士は上級貴族の子弟ばかり。 名乗らなくともどこの誰か、すぐに知られる可能性がある。 かと言って南や西から誰かを連れてくるには時間がかかり過ぎる、という理由で北軍に来たのだが。 そう、ここには六頭殺しの若がいた。
六頭殺しなら名は知られていても顔は知られていない。 しかもあの若者は代役に選ばれても不思議はない程度に体格、髪の色、肌の色も殿下に似ている。 皇太子殿下らしい服装を身につければ合格だ。 計画では代役が離宮に辿り着く前に殺すつもりなのだから細かい違いなどどうでもよい。
殿下が暗殺されたとなれば大変な騒ぎとなる。 殿下が隣国よりお帰りになり、殺されたのは影武者で御本人ではない事が知れるまでは。
そこで御本人不在の理由が明らかになる訳だ。 隣国の王女と「密会」していた、と。
まあ、これくらいの事で皇王位継承権剥奪とはなるまい。 それでも上級貴族の中で殿下に対する心証が大幅に悪くなる事は確実。 それでなくとも皇太子殿下は元々臣下の意見に耳を傾けない御方として知られている。 他の殿下ならまず臣下の進言をお求めになるのに。
心証回復の対策を練るには宮廷内のどの派閥にも属さず、どの派閥とも敵対していないデュガン侯爵ほど適任な御方はいない。 殿下はデュガン侯爵を重用せざるを得なくなる。 このように小さな事が積み重なっていけばよい。 陛下が譲位なさるまで時間はまだたっぷりあるのだから。
あまりに見事な流鏑馬に呆然となり、一時静まり返った会場から若が退場した後、若を讃える歓声がどっと湧き上がった。 人々が口々に興奮して語り始める。 近くにいた兵士達の会話が聞こえてきた。
「見たか? あれ」
「いやはや、すげー」
「もう、びっくりしたぜ」
「なんだお前も知らなかったのか?」
「全然」
「お前は?」
「いや、俺も知らん。 若が流鏑馬やっているのはしょっちゅう見ていたけど。 左を使っているのは今日初めて見た」
「練習しなくても出来るって事か?」
「まさか。 いくら若でも、それじゃ神技だろ」
「流鏑馬ではしてるの見た事ないが。 そういえば狩りではどっちの方向でも射っていたな」
「「へえ」」
「自然にやっているから両手利きだとは今まで思いつかなかった」
「皇太子殿下暗殺未遂事件」に身代わりとなって殺される者は背格好さえ似ていれば誰でもよかった。 だが六頭殺しの若であれば更によい。 その名を出すだけで一層世間の耳目を集められる。
若くて見目良く、加えてあの才能。 人々が向ける視線の温かさを見れば、あの若者がどれだけ深く愛されているかが分かる。
北軍や故郷の西だけではない。 今や皇都でも六頭殺しの若の人気はうなぎ上り。 彼の出自に大して関係のない東や南でさえ、今や彼のふたつ名を知らぬ者はいないと聞く。
その国民の愛する英雄が「間違って」殺されたらどうなるであろうな? さて、民の怒りはどこへ行く?
暗殺者? 当然だ。 けれど暗殺者は仮に捕まえた所で雇われた傭兵に過ぎない。 誰が雇ったかなど簡単に分かりはしない。 唯一明らかなのは、六頭殺しの若が殿下の影武者を務めている最中に殺されたという事実。
彼が影武者として選ばれた理由を噂で流すのは容易い。 あっという間に皇国中に知れ渡るだろう。 殿下がお忍びで他国の姫に会いに行き、その留守を守っていた若が殺された、と。
若が殿下の影武者となったと聞いた人々は殿下が御無事でよかったと思うか? 陛下には皇王子殿下が八人いる。 皇太子の替えなどいくらでもいるが、六頭殺しはただ一人しかいないのに、と思うか?
民の感情は明確に予測出来なくとも、殿下の女通いのせいで六頭殺しが殺された事に憤らぬ者はいないはず。 民はそうそう怒りを形に出来まい。 しかし六頭殺しを贔屓にしている皇国将軍らはどう思うであろうな? ヘルセス公爵を始めとする六頭殺しファンの上級貴族達。 そして息子を殺されたヴィジャヤンは?
これは意外に早く皇太子殿下のすげ替えが出来そうだ。 自分で作った筋書きながら思わず笑いが漏れる。
お。 傭兵に払う前金を手駒に渡す時間か。 詳しい日時と手順を知らせておかねばならん。 宿屋は駐屯地から少し離れた所にあるから、もう向かった方がよいだろう。
私は傍らの侍従に馬の用意を命じた。




