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弓と剣  作者: 淳A
春遠き
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拮抗  近衛軍剣道指導者の話

「まあ、来年はグレッテがいるからな。 近衛の勝利は確実だ」

 ボンエシェ師範代がえびす顔でおっしゃった。

 大丈夫なものか、と腹の中では思ったが、口には出さない。 この人は一応私の上官だ。

 第一、それをここで言った所でどうしようがある。 大丈夫ではないと心配すれば剣士の腕前があがるとでも言うのか?

 勝負が終わった後でしか剣士の力量を見定められない人に何を言った所で無駄というもの。 そもそもこの人が師範代なのは父が師範で、その手伝いをしているからに過ぎない。 軍対の出場選手に稽古を付けた事さえない人なのだから。 近衛の百剣にさえ入れない腕前では稽古など付けられるはずもないが、儀礼を教える事くらいは出来る。


 近衛軍の軍対出場選手の実際の指導をしているのは私だ。 指導を始めてからかれこれ十年になる。

 長年多くの剣士と剣を交えてきたから言える事だが、私が現役だった頃を振り返っても最近の近衛剣士の質が落ちているとは思わない。 しかし昔は近衛と北軍の間には歴然たる力の差があった。 ところが近年は拮抗している。 それでどうしても近衛剣士の質が低下しているかのように見えるのだ。 昔と言ってもここ数年の話だから昔という程の昔ではないが。

 いずれにしてもなくなった差を取り戻すのは容易な事ではない。 この拮抗の原因が未だに北軍に健在である以上。


 北の猛虎。

 彼が大将として出場した三年間、いや、それ以前から北軍に大した剣士はいなかった。 素人目には近衛剣士を苦しめているかのように見えても、単に儀礼を充分に習得していない故の荒々しさが目立っていただけだ。 儀礼に準じた決着をどう付けるかでは迷わせられたが、剣の技量が拮抗していたから苦しめられた訳ではない。 実戦なら勝つ事だけを目指した様々な術策は相手に怖れを抱かせる効果もあったろうが。 規則がある試合となるとそんなものでは勝てない。

 その証拠に彼以前の北軍大将が勝つのは近衛の中堅がせいぜい。 試合開始前にどちらが勝つか分からないほど両者の力量が拮抗していた事など、私が知っている限り一度もなかった。 だからタケオさえ締め出せば近衛に勝利が戻ると誰もが思ったのだ。


 次の年、タケオ抜きの北軍に近衛は勝った事は勝ったが、私には北軍剣士の力が全体的に底上げされている事が感じ取れた。

 その次の年も近衛が勝ちはした。 しかし明らかに辛勝で、歴然たる差など最早どこにもなく、私以外にも北軍剣士が力を付けている事に気付いた者が少なからずいた。

 今年は本当に冷や汗をかいた。 引き分けに持ち込んだのは僥倖とさえ言える。 ピテルコが弱かった訳ではない。 北軍が更に強くなっていたのだ。


 剣は歴史の古い武芸なだけに礼儀を重視する。 それでなくとも近衛は両陛下、皇王族及び皇国官僚や国外の王侯族の警護を受け持つ。 近衛において礼儀の習得は必須事項だ。

 それはいいのだが、儀礼重視はともすると勝敗よりも美麗を優先したものとなる。 特に新兵ではこうすべきああすべき、その理由が、やれしきたりだの慣例だのと言われたら、自分の師の教え方に口を挟めない。 ただ従うという覚え方になりがちだ。

 初心者の頃はそれでもいい。 だが上級者ともなればそれでは先に進めない。 自分で考え、工夫するのでなければ。


 そもそも今まで近衛剣士が持ち続けていた優位は、どの剣士も幼い頃から剣を学んでいたという事が大きい。 近衛剣士は百剣でなくても貴族の子弟が多くを占める。 親がそれなりの教育を施し、剣の稽古にも通わせてから入隊させているのだ。 その中から選抜されれば若くても精鋭揃いとなるのは当然だ。

 その点、北軍は平民ばかり。 子供の頃から鍛錬をしていた者は少なかろう。 入隊してから剣を学ぶ者の方が多いはず。 少ない競争相手の中から選抜された者が強くなくても驚くべき事ではないし、出場するのに年齢制限のある軍対抗戦で勝てなくとも無理はない。 それが今まで近衛の連続優勝という結果に繋がっていたと思われる。


 それにしても猛虎が教えているというだけでこれほど結果に違いが表れるとは。 いや、名剣士が教えただけで結果が出るものなら誰も苦労はしない。 ただ彼の剣は実に有効に嫌な所を突いてくる。 美しさや儀礼、一切の装飾を振り払った勝つための剣とでも言おうか。 勝負のコツ、こちらの弱点のどこを突けば有効かがよく分かっているのだ。

 彼に毎日稽古を付けられ、そのコツを教えてもらえば学ぶ事が多いのは当然だが、それだけではない。 一番嫌なのは彼に教えられた奴らが自分なりの流儀を身につけてくるという所だ。


 デュエインは全く食えない奴だった。 誰もが短期戦、一発勝負の大技を仕掛けてくると予想した大将戦で粘りに粘る戦法で来た。 試合は時間切れで引き分けとなったが、後五分、いや、三分続いていたらピテルコは息切れして負けていただろう。

 タケオのような一瞬で相手を仕留める流儀の師範が持久戦をやれと言うはずはない。 デュエインは自分で最大の勝機がどこにあるかを見極め、そこを突いたのだ。

 来年はウェイドで間違いない。 幸いあいつは剣筋が読みやすい。 グレッテなら捩じ伏せる事が出来るだろう。


「ミトカ小隊長。 御指導の程、お願い申し上げます」

 グレッテの呼びかけに私は頷き、相手をするために剣を取った。 グレッテは速さも強さも私と五分に渡り合える程の剣士だ。 勝てるはず。 とは言え、勝負に絶対はない。

 そしてタケオは今頃、一体何を教えている? それを思うと、もしかしたら、という嫌な予感が拭えない。

 近衛が今までのように儀礼中心の稽古を続けていては遠からず北軍に負ける。 それは分かっているのだが。 ではどこをどう変えろというのか。


 北の猛虎を大将戦から締め出した後で、まさかこのような拮抗に悩まされるとは。 苦い気持ちで剣を振り下ろす。


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