指導 ウェイドの話
従者のウィルマーが気を失った若をおぶって道場から出て行った後も、しばらく静かな興奮がさめやらずにいた。 そして思う。 六年間一緒に稽古していても師範は未だに底が知れない。
自分だってそこそこ強いと思っていたが、そんな自惚れはこの人に出会った事で完璧に消し去られた。
こう見えても私とて北軍に入隊してすぐ次の年、軍対の新人戦に北軍代表として選ばれ、優勝したのだ。 偶には北軍が優勝を勝ち取る事もあったとは言え、実に十年ぶりの快挙で、将来を嘱望される若手剣士として私の名前は知られていた。
三年後には百剣にも入れた。 百番目の剣士としてぶら下がるゲン・ウェイドの名札を見て、どれほど誇らしかったか。 稽古は厳しいが、いつか軍対抗戦の出場選手になるという目標があったからがんばれた。
そして師範が入隊する。
私の「強さ」の概念が書き換えられた。 いや、私だけではない。 口には出さずとも百剣全員が驚嘆の目でこの稀代の剣士を見ていた。 私より四つも年下だとはとても信じられない。 入隊したその年に百剣入りを果たしたのは後にも先にもこの人だけだ。
それからたったの一年で百剣の頂点に登りつめた。 私がまだ八十番台に届くか届かぬかの辺りをふらふらしている時に。
悔しいより、ここまで圧倒的な強さを見せつけられ憧れた。 人に畏怖を与え、弾く。 北の猛虎は孤高。
本人が意図するしないに拘らず、周囲は師範をそういう人として受け止めていた。 剣士として孤高であるのは欠点ではない。 だが誰もが遠巻きにして憧れると同時に、その底にある闇から目を逸らした。 師範は私達凡人とは違うのだから、と。
けれど師範が放つ殺気には紛れもない怒りと憎しみがあった。 誰、と特定したものではないような気がする。 例えば単なる練習試合でも本気で相手を殺したがっているように感じられた。 相手が自軍、他軍、誰であろうと関係なく。 人間という人間、全てを憎んでいるかのような。
試合だけじゃない。 普段の生活でも師範が誰かに気を許している所など一度も見た事がなかった。 疑心暗鬼の塊、とでも言おうか。
若が入隊して以来、師範は変わった。 どこがどう変わったのか口で言うのは難しい。 強いて言えば、今まで抜き身の剣のようだったのが鞘に納まったと言えばいいのか? 辺りを恐れさせ、威圧していた殺気が影を潜めた。
稽古に手を抜くとか、そういう事じゃない。 稽古はいつも通りの厳しさだ。 けれどそこに育てる、導くという指導が入るようになった。 勝手に死ね、と言わんばかりの突き放しはもうない。 あるとしてもそれを相手に感じさせないようにしている。
若が矢を射てずに固まった時、師範も見ていた。 それは若が自分でなんとか解決せねばならない壁だ。 今までの師範なら、そんなもの、さっさと乗り越えろ、乗り越えられないなら俺の目の前から消え失せろ、と突き放していたと思う。
一体これはどういう変化なのだろう? 私に対する師範の態度に変化があった訳ではないのだから、どうでもよいと言えばどうでもよい事なのだが。
そんな事を考えているとポクソン中隊長が話しかけてきた。
「よお、ウェイド。 久しぶりに見たな、あの殺気」
「そうですね」
「さすがは若。 よくも矢を放つ事が出来たものだ。 あのすばやさで」
そう言われて今更ながら気付いたが、道場にいた全員を恐怖のどん底に突き落とす程の殺気だ。 普通なら射手でなくても全身が固まって腕なんか動かせない。
「オークに襲われた時の事を思い出したのではないでしょうか」
「ははっ。 かもな。 一度死ぬ目にあった奴は土壇場に強い。
で、どうだ。 おまえのツラは。 なんとかなりそうか?」
はい、と言えたらどんなにいいだろう。 だがポクソン中隊長に嘘をついたって仕方がない。
「あれを見せられた後では。 今年中に何とかなるとはとても申し上げられません」
私の弱気を責めるでもなく、ポクソン中隊長がおっしゃる。
「なあに、猛虎と同じである必要はない。 にこにこ笑いながらばしばしなぎ倒す、というのも見方によってはその方が怖い」
「それは、比喩でしょうか? 笑いながら稽古した事などありませんが」
「なら笑ってみろ」
「え?」
「師範の真似をしようと思うな。 あれは二人といない。 お前はお前のやり方で先に進めばいいんだ。
若を見ろ。 極寒の中、ただひたぶるに矢を射る。 同じではない。 が、通じるものがある」
私は無言で頷き、稽古に戻った。 まず己との戦いに勝つために。




