丸くなる
「そのツラをなんとかしろ!」
ガキン、ガキンと強烈な剣戟の音が道場に響き、北の猛虎の罵声が飛ぶ。
音だけで如何に重いかが分かる猛虎の剣と罵声を一身に浴び、必死に防戦しているのはウェイド上級兵だ。
軍対で使われる剣は刃を潰している。 とは言っても正真正銘の鋼で、練習でも同じ物を使っているんだ。 それでむちゃくちゃ叩かれたら、いくら防具で身を固めていたって相当痛いだろう。 俺なんか見ているだけで逃げ出したくなっちゃう。
猛虎のしごきは有名だけど、普通一対一で稽古をつける事はない。 大概三人が一組になって猛虎に対戦する。 その例外が百剣の上位十名と軍対の大将、そして大将候補だ。
だからだろう。 来年の大将はウェイド上級兵で決まり、ともっぱらの噂だ。 まあ、大将でもなけりゃ猛虎の一対一のしごきに耐え抜く事は出来ないよな。
ウェイド上級兵は二十八歳。 軍対抗戦後に二十九歳になる。 久しぶりの「若手」だ。 この場合、単に三十歳未満で大将になった、という意味だが。
俺から見ればウェイド上級兵は中々いいとこ行ってる。 すさまじいの一言に尽きる猛虎の攻撃を立派に躱しているんだから。 あれが出来る人って百剣の上位十名の中でもそんなにいないんだし。
ただ軍対間近の秋からしごきのレベルが更に上がるのはいつもの事だ。 十一月ともなれば、これでほんとに稽古と呼べるの、と言いたくなるほど壮絶でさ。
去年の秋俺は初めて大将戦の稽古を見た。 そこでは火花が散っていた。 言い回し上の火花ではない。 本物の火花が。
その時の相手はデュエイン上級兵。 俺はただただ舞い散る火花の激しさに息を呑んでいた。
「若、不吉ですのでお止めください」
そうトビに注意されるまで自分が合掌している事に気が付かなかったくらい。 あれを見た時俺は初めて、剣士を目指さなくて本当に良かった、とつくづく思ったね。 俺が子供の頃通った道場では上級者だってこんな激しい稽古をしていなかった。 たぶんみんなが目指していた西軍か近衛軍ではこんな稽古をしていないからじゃないかな。 上級者の稽古は激しいと言うより美しいと言う感じだった。 いずれにしても俺のようなビビリのおっちょこちょいには向いていません。
それにしてもツラをなんとかする、て。 業界用語? 剣道界特有の言い回し、とか?
分からない事があったらまずトビに聞く。 そしてトビにも分からない事であるかどうかを確認しておく。 恥をかかないための重要なポイントだ。
「なあ、トビ。 ツラをなんとかしろって、どういう意味?」
「何となく雰囲気で分かるような気がしないでもないですが、正確な所は分かりかねます」
「刺青を入れて来い、という意味なのかもしれないな」
北ではよく男が顔に刺青を入れるが、ウェイド上級兵はまだ入れていない。 タケオ小隊長も入れてないけど。
兵士の中には結構入れている人がいて、実は俺も箔付けに入れたかった。 だけど若のような色黒の方は入れても目立たないのでお止めになった方がよろしいでしょう、とトビに言われ、諦めたんだ。 くすん。
それはともかく、男がツラを何とかするなら刺青以外ないだろ。 だけどトビはそう思わなかったみたいで。
「それはないです」
お。 ドきっぱり、言いきったな。 自分だって正確な所は分からないくせに。 どうして俺の言った事が不正解だっていう確信を持つんだ? 全部じゃなくても半分ぐらい当たっているかもしれないじゃないか。
俺がむっとした顔をしたのが分かったのか、トビが静かに言う。
「若も近頃はタケオ小隊長と夕餉を共になさる事もおありになる。 酒の席のついでに直接お聞きになればよろしいではありませんか」
それはそうなんだが。 タケオ小隊長から、お前そういう事も知らんのか、これだから弓頭は、とか思われたりして。
いや、タケオ小隊長が弓をばかにしているとか、そんな事は全然ない。 ただ俺が無知なせいで弓をやっている奴って大体こんなものなんだろう、と思われたりしたら心外だろ。
でも聞くは一時の恥。 思い切って夕飯の席で聞いてみた。 誤摩化されるかもと思ったら、あっさり答えてくれた。
「俺の顔を見て怖いと思うか?」
そう言って、タケオ小隊長は背筋の凍るような顔を俺に向けた。
そこでちびらなかった俺を褒めてほしい。 あやうく、ぎゃーーっと叫んじゃうところだった。 今夜、夢に見ちゃうかも。
「こ、怖い、です」
「試合中のウェイドの顔を見て、怖いと思った事はあるか?」
ウェイド上級兵の、きりっとした女にもてそうな顔を思い浮かべた。 男前と言っていいと思う。 怖くは、ないな。 いい人だって事をよく知っているからかもしれないけど。
待てよ。 顔立ちを比べるならタケオ小隊長だって充分男前だ。 女にすごくもてるって聞いた事もある。 命の瀬戸際の人を見捨てたりしない。 根はいい人、て事も知っているし。
でもウェイド上級兵が、俺が今見たような相手をびびらせる視線を送っている所なんて見た事ない。 試合の時は防御用の面を被るけど、目の所は開いているから視線を見る事は出来る。
俺が首を横に振ると、タケオ小隊長が微かに頷き、酒で口を湿らせながら言った。
「来年の近衛大将はグレッテだ」
「その人、今年の軍対に出た人達の中にいませんでしたね。 去年の中にもいなかったような。 初出場で大将なんですか?」
するとタケオ小隊長は、ふっとあざ笑うかのように口元をくいっと上げた。
「グレッテはな、俺のためのルールで締め出されたんだ」
「というと、あの三回ルール?」
「そうだ。 俺が二回目に出場した時に先鋒、次の年は二十六歳で次鋒を務めた。 あのルールさえなければ、次に中堅、副将、そして大将を二年務めたと思う。 先鋒だった時、既に抜群のセンスを見せていた。 しかし奴は後一回しか出られない。 だから待ったのだろう。 だが奴も今年三十になる。 来年の近衛大将は確実に奴だ」
「そんなにすごい人なんですか?」
「俺でも仕留めるのに苦労するだろうな」
ひ、ひえーーーっ。 北の猛虎でも苦労するような相手?!
「そ、それって、最初からウェイド上級兵に勝ち目はないんじゃ?」
こう言っては失礼だけど、いくらウェイド上級兵が強いと言っても師範であるタケオ小隊長との差は歴然としている。 北の猛虎と互角に戦える人と対戦してウェイド上級兵が勝てるとは思えない。
「ウェイドだって技術的にそんなに遜色がある訳じゃない。 ただあの人の良さが。 そしてそれが顔に出るのがまずい。 グレッテに睨み負けしたらそこで終わりだ」
それでツラを何とかしろ、て訳か。
「いやー、俺、今日は剣の奥深い所に触れちゃったぜ」
夕飯から帰ってトビにそう言った。
「若。 剣の奥深い所とおっしゃりたい時は、剣の奥義とおっしゃって下さい」
「扇? に、そんな意味があったんだ? 」
「はい。 念のため申し上げますが、風を扇ぐ扇とは違う字である事に御留意下さいますよう。 このような字になります」
「そんなの今教えてくれなくてもいいから。 それよりさ、ツラを何とかするって、睨み負けするなっていう意味だった」
「そうだろうとは思いました」
ちぇっ。 かわいくないやつ。 それならそうと最初に聞いた時に教えてくれたらいいだろ。 どうでもいい字ならすぐに教える気があるくせに。
次の日、食堂で夕餉の席についたら稽古でずたぼろになったウェイド上級兵が、はあっと大きくため息一つつきながら空いている俺の右隣によっこらしょっと言って座った。 あまりに痛々しくて水を差し出した。
「大丈夫ですか?」
ウェイド上級兵が水をゆっくりと飲みながら答える。
「ああ、まあな。 きついことはきついが。 師範も大分丸くなったし。 文句は言えん。 乗り切るしかないさ。 大将ともなれば責任重大だ」
「あの、師範ってタケオ小隊長の事ですよね? 丸くなったって。 それ、何か北特有の言い回しですか?」
俺の左隣に座っているザイルキ軍曹がパンのお代わりに手を伸ばしながら答えた。
「いや。 まんま」
因みに彼は去年の軍対大将。 タケオ小隊長とは入隊の時からよく知っている間柄だ。
「入隊したばかりの師範はぎらぎらの抜き身みたいだったぜ。 それに比べりゃ今なんか丸いも丸い。 だるまさんもびっくり、てやつだ」
そこで俺の正面に座っているファイフォ小隊長が鳥腿に齧りつきながら言った。
「そう言えば、ありゃあ怖かったよな。 覚えているか? 昼の人海分け」
タケオ小隊長が新兵として入隊したのはファイフォ小隊長の隊だ。 なんだか北の猛虎の新兵時代なんて想像出来ない。 ちょっと行儀は悪いが俺は芋をかじりながら聞いた。
「じんかいわけって何ですか?」
「いやさ、ほら、昼の食堂って混むだろ?」
「はい」
「でさ、師範が現れる。 もちろんまだ新兵の頃の話だ。 周りは古参、上級兵ばかり」
「はあ」
「なのに、ざざーーっと。 こう、人の海が師範の左右に分かれる訳。 で、人海分け」
そ、それは、また、目に浮かぶというか、なんというか。
「相部屋の奴らが怖くて夜眠れないって泣きついてきてな。 無理もない。 あいつの隣じゃ誰であろうと眠れまい。 という事で、特例でタケオ小隊長は一人部屋にした」
ファイフォ小隊長はちょっと遠い目をして当時を振り返る。 それに、うん、うん、と頷くウェイド上級兵。 食事を続けながら言った。
「ま、抜き身の刀が自分の脇に置いてあったら私だって眠れん。 寝返り打つのも命懸け、ではな」
「いやー、タケオ小隊長ってそんなあぶない人だったんですか。 俺、今晩怖い夢見ちゃいそう」
ザイルキ軍曹が芋にさっさっさっと塩をふりかけながら言った。
「それに比べりゃ今なんか人間味が感じられるぜ。 師範も人だったんだ、て感じ?」
「うむ。 若饅頭、食べていたしな」
人参を生でぼりぼりかじりながら、ウェイド上級兵が頷いた。
ところで、俺は北に来るまで人参は煮たものしか食べた事がなく、生でも食べられるという事はここに来て初めて知った。 思わずじっとウェイド上級兵の口元を見つめてしまって、つい気がそれてしまったが、饅頭を食っていたからどうだと言うんだ? 誰だって饅頭ぐらい食うだろ? 俺は食べないけどさ。
ザイルキ軍曹がお茶をすすりながら言う。
「あれ、和むよな」
そうなんだ? 饅頭にそんな効果があるとは知らなかった。 それなら俺も食った方がいいのかな、とか思っていると、俺の顔をまじまじと見てファイフォ小隊長が感慨深げに言う。
「若の影響だと思うぞ」
「はい?」
「やはり天賦の才がある者同士、という事なのか」
ウェイド上級兵が誰に聞くでもなく、そう呟いた。 そこで食事を終えたザイルキ軍曹がファイフォ小隊長に聞いた。
「肝胆、あいなんとか、と言わなかったっけ?」
「肝胆相照らす、だ。 全く違った才能ではあるがな。 そういう事もあるだろう」
なぜか、よかった、よかった、みたいな感じでみんなから言われ、一体俺がタケオ小隊長のどこをどう変えたというのか、ちっとも分からないうちに夕餉が終わった。 自分で考えてみたが、やっぱりよく分からない。 それで部屋に帰ってからトビに聞いてみた。
「なあ、タケオ小隊長って俺が来て以来、性格が丸くなったらしいんだけど。 それってほんとに俺のおかげだと思う?」
「タケオ小隊長の以前の性格を知らない私達には確認のしようもありません。 知っている人達がそうだと言うのなら、そうなのでしょう」
返って来たのはしごくまっとうな、でも俺の疑問に全然答えてはいない答えだった。




