軍師 4
結局、ダンホフの軍師について情報を収集している暇などなかった。 よもや準大公がこれ程すぐ下手人を解明し、自害へと追い込み、クポトラデル国王にこちらの要求を呑ませ、示談書に調印させるとは。
準大公の事、必ず予想外があると覚悟はしていたし、万の起こり得る可能性の中には迅速なる解決も含まれていたが。 そうなる確率はほとんどゼロと考えていた。
国王の側近には大僧正の息がかかっている者がいる。 私の予想ではその者に妨害され、面会が叶うのは早くて到着一週間後。 仮に会談が無事に済み、国王の命令による犯行ではないと分かったとしても、他の容疑者である重臣全員にすんなり面会が出来るはずはない。 遅々として進まない事件解明にタケオ殿が痺れを切らし、面会させてくれない容疑者に殴り込みを掛け、尋問開始を更に遅らせる事の方が余程起こり得る、と。
たとえ予想外の事件は起こらず、尋問がすぐさま可能になったとしても容疑者の返答が一致するはずはない。 犯人を確定し、事件の全容把握をするには相手によって尋問内容を変える必要が出てくる。 準大公の記憶力には限界があるから尋問に関する注意点をあまりに早く伝えては肝心の本番の時に忘れられてしまう。 そう考え、「毒殺事件解明に関する注意点 その一」には全容疑者に尋問する機会をどうすれば得られるかについてだけ書いた。
容疑者に会って尋問出来れば嘘が分かる。 とは言え、会わせてもらえなければそれまで。 国王や重臣ともなれば全員老獪。 黙秘や仮病を使われたりするだろうし、事故や災害の不可抗力で尋問出来ない等も起こり得る。 証拠固めには葡萄酒の選定や運搬に関わった者達とも面会する必要があり、それにはクポトラデル宮廷内の関係組織や上下関係について知っておかねば誰をどの順番で尋問するかで揉める。 それらを簡単に説明しただけで三枚の長さになった。
準大公は僅か四、五枚の書類でさえ最後まで読まない事がある。 三枚は読んで戴けるぎりぎりの長さだ。 容疑者のほとんどは皇国語が話せないと予想され、腹の中で何を考えたか、クポトラデル語を知らないダーネソンにどれだけ把握出来るか、尋問を開始してみないと分からない。 その対応策だけで二枚では収まらない長さになった為、尋問の本文や順番は「その二」とし、尋問の日時が決まった後で提出するつもりでいた。 だから誰にどのような尋問をすべきか、皇国を出発した翌日に提出した「その一」には何も書いていない。
提出したから読んで戴けるとは限らないため、三日後に確認した。 その時準大公と交わした会話を正確に再現すれば。
「準大公。 先日お渡しした注意点ですが、何か御質問でもございませんか?」
「し、質問? えーと、その。 最初のページが少し、いや、かなり、分かりづらかったかな」
「では第二と第三ページは御理解戴けたのですね」
「う。 さ、最初で躓いた、と言うか」
「最後まで読んでは戴けた?」
「それは。 読んだ、かも?」
「何故疑問形なのでしょう?」
「よ、読んだけど。 結局どう質問すればいいの? それ、どこに書いているんだか見つけられなくて。 葡萄酒に毒を入れたのはあなたですか、と聞けばいいからわざわざ書かなかったとか?」
「尋問の文言や容疑者を呼び出す順番に関しては容疑者との面談日時が決まり次第、詳細を提案する予定でおりました。 高位の者が自ら酒蔵に出向き、毒を入れたとは思えません。 誰かに命じたはず。 ですから献呈酒が毒入りであった事。 そして誰が毒を入れたのか。 この二点に関して知らぬと嘘を吐いた者が下手人かと存じます」
「そっかー。 で、国王が命じたならそこで終わりになる訳だ」
「その可能性はないと断言は致しません。 ですが非常に少ないと申せます。 クポトラデル国王が皇国北軍将軍に毒酒を献呈したとなれば両国の関係悪化は避けられず、開戦となればハルサダル王朝の滅亡は時間の問題。 ヴァレーズ王太子は、皇国将軍の暗殺を企てねばならない理由などクポトラデルにはないと明言しておりましたが、それは事実でしょう。 ですから彼は葡萄酒が毒入りである事を知りませんでした」
「じゃ、王太子が標的?」
「その可能性はございます。 王太子候補は他にも何人かおりますので。 しかしその中に現国王の実子はおりません。 又、王太子は有能で人望もあり、国王と不仲であった訳でもなく。 国王が王太子を捨て駒にする理由はないかと」
「でも、大僧正、だっけ? 黒に近い人。 国王の次に大僧正を質問すればそこで終わるんじゃない?」
「仮に二番目の尋問は大僧正で、彼が下手人だと分かったとしても、重臣全員を尋問しなければ単独犯か、複数の重臣との共謀か、主犯が誰かは分かりません。 一人見つかった時点で尋問が終わったとお考えになりませぬように」
「はあ。 なら質問はなるたけ短くしないとなあ」
偶々御前会議で重臣が一堂に会していた幸運もあった。 とは言え、これほどあっけなく事件が解決し、示談が成立したのは準大公の尋問のおかげ。 因みに注意点は「その十」まで書いていたが、基本を説明した「その一」を御理解戴けていないのに「その二」以降をお読み戴いても混乱させるだけと考え、提出していない。 あの尋問を準大公お一人で考案なさったとは思えず、会議室から別室へ移動した際にお伺いした。
「閣下。 真に見事なお手並みでございました。 特に三つの尋問は簡潔明瞭にして的確。 本日国王及び重臣全員との面談が叶うと御存知だった訳でもなく、熟考なさるお時間はなかったと思うのですが。 どなたかの助言でもございましたか?」
「やだなー、マッギニス特務大隊長たら。 どなたか、て。 あなたの助言でしょ。 じがじがん?」
「自画自賛、とおっしゃりたい?」
「あ、ああ、それ、それ」
「しかし私が書いた注意点その一には何をどう尋問するかについて触れた箇所はありません。 誰か他の者が書いた書類と勘違いなさっていらっしゃるのでは?」
「書類を読んでる暇なん、いや、その、ほら、注意点をもらった次の日、じゃなくて、次の次? とにかく、あなたに聞いたじゃない。 どう質問すれば下手人が分かるか」
なんと。 立ち話で伝えただけの気軽な指摘をそのままお使いになったとは。
準大公の深くお考えにならない、なりたくない御気性なら嫌と言うほど知り尽くしている私でさえ内心驚いているのだ。 下手人にとってはさぞかし予想外の尋問であったろう。 いくら数々の奇行が噂になり、思いつきで行動なさる事は広く知られている御方とは言え、疑い深い人物であればあるほど噂の裏の裏を読もうとするもの。
突然の訪問。 その理由を包み隠さず全員に告げ、尋問は単純明快。 僅か三つで答えは二択。 であればこそ尚の事、この尋問の裏には何かあると思わせたか。 下手人の二人だけは答える時に身構えた。
彼らに今日初めて会った私が気付いたくらいだ。 長年二人を知る国王と重臣達も気付いただろう。 準大公はお気付きにならなかったらしく、嘘が見分けられる事を証明なさったが。 証明などされなくとも準大公の嘘を見分ける能力を信じたから、国王は自分しか知らない前王朝滅亡の真実を語ったのだ。 確信がなければ朝食に何を食べたか等の無難な例にしたはず。
前王朝滅亡の理由が今更明らかになったところで何の違いも齎さないように見えるが、過去は未来を左右する。 暗愚の国王が賢明な大僧正によって倒された過去と、寺院の搾取を阻止しようとした賢王が謀殺された過去では、臣下の忠誠が王政と院政どちらに向かうか。 改めて指摘するまでもない。
ただ国王が重臣の誰にも相談せず、示談を受け入れた理由がはっきりしなかった為、後で確認した。
「ダーネソン。 示談を即決した時の国王の心情は掴めたか?」
「大僧正が自害しようと、すぐ新しい大僧正が就任し、海王宮入門券の販売が続く事を案じておりました」
「信仰上、大僧正は国王より格上だからな。 法では大僧正を縛れない。 入門券の購入を法で禁じようと民が隠れて買うのを止めるのは難しい」
「その点、ギラムシオ様なら大僧正より遥かに格上。 入門券が高過ぎる、とのお言葉をギラムシオ様から頂戴出来れば、大僧正であろうと値下げに従わざるを得ません。 ここで賠償金を出し惜しみ、ギラムシオ様の御機嫌を損ねては、と。 又、前王朝滅亡と毒殺事件の主犯が明らかにされた事で寺院側が弱気な内に。 この機会逃すまじ、という焦りもありました」
「時間が経てば経つほど寺院を強気にさせ、反発を抑えるのに手間取る。 さっさと手打ちにしてギラムシオ様の御協力を戴くのが上策。 その為ならこの賠償金は安いもの、と算段したか」
「はい」
私は今でも準大公の事を知略の根幹を承知している御方と思っている。 但し、それは「大賢は愚なるが如し」とは違う。 大賢は知っていながら知らないふりをする故愚者に見えるが、準大公の場合知らないのはふりではなく、本当に知らない。 準大公の知略は相手の賢さを逆手に取る。 相手は準大公をバカのふりをしている狡猾な男ではと疑い、その裏を掻こうとして墓穴を掘るのだ。
特に今回の場合、尋問された者達の中で準大公と直接会った事があるのはゴラブチック参謀だけ。 彼でさえ結婚式で紹介されたに過ぎず、親しく準大公のお人柄を知る訳ではない。 準大公に一度も会った事がない下手人が、あの尋問に裏がないはずはないと考えても無理からぬ話。
それに定石に従うなら容疑者全員を一堂に会して尋問する事もあり得ない。 葡萄酒に触れる機会があった者一人一人個別に尋問し、そこから容疑者を絞り込み、個別に召喚して下手人を特定するのが普通だろう。 しかしそのやり方では下手人は見つけられてもクポトラデル側を納得させる事は難しかったに違いない。 準大公には嘘を見分ける能力があると言っただけでは信じる者と信じない者に分かれたと思う。
高位の者を断罪する場合、その者の同志、部下、親族を含めた支援者も納得させなければ禍根を残す。 容疑者全員を同席させて尋問したとしても、難解な尋問であれば無罪の者でも尋問の意味を忖度し、緊張して答える。 全員緊張していたら下手人の緊張した態度に違和感を抱く者はいなかったのではないか。
下手人の有罪が明確でなければ庇う者や自国内での裁判を要求する者が出るし、下手人も簡単に罪を認めようとはせず、皇国での審問を逃れる道を画策したはずだ。 しかし尋問が簡単で答えが二択なら身構える必要はどこにもない。 もっとも準大公がその効果を御存知で意図してなさったとは思えないが。 単に尋問が長いと覚えられないし、間違えたくないから短くなさっただけのような気がする。
一見平凡に見える非凡。 それは準大公を知る者なら誰もが知っている。 だが非凡の中身は弓の腕前とか猿のぬいぐるみをお求めになったり、飛竜の前でヒャラを踊る奇矯な振る舞いを指しているのであって、聡明や深謀遠慮が含まれているとはお世辞にも言えない。 私にしたところで事件が解決し、示談が成立した事を伝聞で知ったら、いつもの強運か誰かの援助があったおかげと思い、準大公の知略による勝利とは思わなかったであろう。
確かに今回も運や多くの援助に恵まれているが、この決着は準大公の知略と決断があればこそ。 退官なさった事にしてもタケオ殿が単身でクポトラデルに乗り込んでいたら、いくら国外にも名を馳せた剣豪であろうと遅かれ早かれ殺害されていたはず。 皇国の英雄が殺害されたとなれば、その理由や状況に拘らず皇王陛下が看過なさるはずはなく、示談や賠償金で片が付いたとは思えない。
開戦となれば最終的に皇国が勝とうと多くの人命が失われ、土地が荒廃する。 一連の準大公の行動を我が身を顧みない浅慮と評する者もいるだろうが。 どれ程浅慮に見えようと、準大公が私人として直接クポトラデル国王と会談するのが開戦回避、早期解決への近道なのだ。 準大公がそこまでお考えになったとは思えないが。
クポトラデルはギラムシオ様を崇拝する国。 誰が準大公暗殺を目論もうと刺客のなり手を見つける事は難しい。 暗殺を実行したい者自身が手を下すしかない有様では取り敢えず準大公のお命は御無事と言える。 ギラムシオ様を国内に留めたい国王や重臣から引き止められるとしても監禁まではすまい。 ならば一か八か、準大公の強運に賭ける価値はある。 モンドー将軍はそうお考えになったから準大公をお止めにならなかったのだろう。 勿論諦めもあっただろうが。
ふとデュガン侯爵を思い出した。 噂によると当時一介の北軍兵士で伯爵家の三男に過ぎない準大公を評し、天の気を掌中にした者、と言ったのだとか。
天の気は皇国皇王陛下のみが代々受け継ぐ。 祭祀長猊下がその一部をお預かりしていると聞いているが、詳しくは私も知らない。 いずれにしても陛下と猊下、お二人以外の誰かが掌中に出来るようなものではないから、噂にはなっても爵位こそ剥奪されなかったものの社交界から蹴り出された男の戯言、と真面目に受け取る者はいなかったが。
一時は飛ぶ鳥を落とす勢いの時代の寵児だった男。 私が知る限り、準大公のお命を狙いながら生き残っているのは彼だけだ。 未だに不遇を託つとは言え、大峡谷の観光ブームに乗った新商売を始めるしぶとさもある。 彼も強運な男と言えよう。 強運同士、相通じる、或いは何か感じるものがあった?
例えば私が準大公を評して、天の気を操る軍師、と言ったとする。 世間は、単なる運がいいだけの、つまり軍師としては二流と解釈するだろう。 準大公御自分を含め。 私より優れた知略の軍師と解釈する者がいるとは思えない。
少なくとも世間の評価では私は一流の軍師だし、私自身も自分が二流の軍師とは思っていない。 北軍入隊時から常に課せられた任務を果たし、上官の期待以上の結果を齎してきた。 サダ・ヴィジャヤンを守るという任務にしても現時点で御無事なのだから任務に失敗してはいない。 とは言え、この結果は私が軍師として優れていたから齎されたのではなく、全て準大公の知略と強運によって齎されたものだ。
暗殺未遂、誘拐未遂、危険な任務、大審院審問、皇王庁監査、等々。 過去、準大公は御無事の生還が不思議な難関を無傷で切り抜けていらした。 ほとんどは私が不在だったか予期していなかった事件で、ゼラーガ侯爵邸裏門のような私の予想通りの展開は例外中の例外と言える。
タケオ殿の剣。 そしてウィルマーを始めとする部下や奉公人、親戚一同の助けもあった。 全て準大公の独力とは言わないが、周囲に有能な人々が集まり、愛玩動物でさえ有能なのは準大公の運を引き寄せる力の強さの表れと言えよう。
それらは全て後世が正確に評価を下すのかもしれない。 今は誰が下した評価であろうと世間が額面通りに受け取る事はなくとも。
運と知略で時代を変革した者は過去にもいた。 だがその変革者と同じ時代を生きた者が変革者を変革者と認識していたか? 否だ。 それは同時代の者が変革者について記録を残した例がほとんどない事を見ても分かる。 私は先人と同じ過ちを犯していたのか?
北への民の移住や国内経済の活性化は単なる一個人の運でこれ程の連鎖反応は起こり得ない。 ダンホフの肩入れにしても何らかの伝手により準大公が青き宝玉の持ち主である事を知ったのでは?
ナジューラ殿の側近筆頭に選ばれたセバロスは有能な船長だったと聞いている。 戦略や宮廷事情、皇王族の秘密にも明るいとは聞いていないが、彼の実家、セバロス伯爵家は海軍将校を輩出し、南軍将軍補佐を務めた者もいた。
伝説によると青い宝玉は南の島へ飛翔したのだとか。 ならば親族に宝玉の探索をした者がいても不思議ではない。 探索から生きて戻った者はいないと聞いたが、合計すれば数十万を越える派兵だ。 一人や二人、記録に残されていない生き残りがいた可能性があるし、代々の南軍将軍が指揮した派兵なら将軍補佐も承知していたはず。
改めて考えてみれば準大公が過去にしでかした儀礼違反は数え切れないのに、一つとして懲罰が課せられていない。 これはダンホフの肩入れだけでは実現不可能だ。 勿論皇寵と準公爵の影響力は大きい。 準大公は五軍将軍を始め、多くの上級貴族と懇意か親戚でいらっしゃる。 だが懇意でも親戚でもない官僚、審問官、神官の数の方が遥かに多いのだ。 つまり準大公を支持しているのは親戚や友人だけではないという事になる。
青き宝玉。 天の気の持ち主。 後世に名を残すであろう知略の軍師に軍師は必要なのか?
居たとしても害にはならないだけで、読まれずに終わった「注意点」のように不要では?
必要だとしたら私がすべき事は何なのか。
よもや軍師として己の存在価値を問う日が来ようとは。