軍師 2
「クポトラデル土産のお勧めとか、知ってる?」
クポトラデルへの出発準備をしている最中、準大公がキーホン飛竜操縦士にお訊ねになった。 少し離れてはいるものの声が届く距離に私の姿が見えたからか、キーホンは無言で視線を私がいる方向に流す。 はっと気が付かれたらしく、準大公が小声で付け加える。
「いや、その、知らなくてもいいんだけど」
準大公がポクソン補佐の死を悲しんでいないとか、泣き腫らした瞳が乾く前に彼の死を忘れた訳では勿論ない。 生涯忘れようにも忘れられないとさえ言える。 ポクソン補佐は今まで猛虎の怒りの緩衝材となっていた。 それがなくなった事で一番直接的な被害を被るのは準大公なのだから。
因みに私が緩衝材になった事は一度もない。 役職名こそ大隊長補佐だが、ヴィジャヤン大隊長のお側で仕事をした事はほとんどないし、タケオ大隊長と一緒に仕事をする機会は更にない。 新年の上京、年数回ある貴賓との食事会、将軍が招集する月例会議などで顔を合わせるだけの関係だ。
仮に私が常時お二人と共にいたとしても私の性格では緩衝材になれなかったであろう。 氷を緩衝材として使うには無理があるように、人には向き不向きと言うものがある。 そもそもタケオ大隊長の怒りは無理もないものばかり。 上官の尻拭いという余計な仕事を増やされた私にしてみれば怒りを和らげるどころか、もっと怒れと言いたいくらいだ。
しかし今回の旅は私の失策が原因。 準大公はその尻拭いに駆り出されたようなもの。 たとえタケオ殿に寄り添う気持ちがあろうと我が身を挺して準大公を庇うつもりでいた。 ただ私に庇うつもりはあっても庇う能力はない。
例えばこの場にタケオ殿がいたら準大公の御質問を聞いた途端、怒りの鉄拳をお見舞いしていたに違いない。 ふざけるな、と言いたいタケオ殿の気持ちは理解出来る。 だが準大公はなぜ土産のお勧めをお知りになりたいのか、その理由が私には理解出来ない。 理解出来ないから予測出来ず、予測していないから御質問を止められず、準大公は猛虎の鉄拳を受けていただろう。
私とて土産を贈った事なら何度もある。 しかし貴族が土産を贈るとしたら必ず理由があり、いつ誰にいくらの土産を贈るかは大凡決まっている。 指示は主が出すとしても、それを手配するのは奉公人か、将校であれば補佐か従者が普通だ。 自分で探したり買ったり送ったりはしない。
今回は予定外なだけでなく、機密で、準大公の私的な旅。 しかも少人数での随行警備だ。 責任者の私が土産を買っている暇などあるはずがなく、私の周囲にも私が土産を買って来る事を期待している者など一人もいない。 軍務をこなす忙しさはなくとも土産を買っている心理的な余裕など準大公にとってもないはず。 観光とは言い難い旅なのだから。
準大公夫人は準大公より常識がおありになる。 命懸けの旅に出た夫から土産を期待なさるような妻ではないし、奉公人のダーネソンが忙しい主の代わりに土産を買おうとして質問するならまだ分かるが。
平民は観光に行けば様々な人に思い思いの土産を買うのだとか。 その習慣は知っているが、準大公は元々の出自からして平民ではないし、タケオ大隊長は平民だが旅先で土産を買った事はない。 私はヴィジャヤン準公爵から何度かお土産を戴いた事があるが、どれも常識に沿った物だった。 すると準大公が土産に関して特異な家風のお育ち、と言う訳でもなさそうだ。
私が見る限り、準大公が土産をお求めになるのは趣味と呼べる。 誰にやれと言われた訳でもないのに自分がやりたくてやっているのだから。 時と場所を選ばず趣味に没頭していたら目上の者に叱責されても仕方がない。 タケオ殿は退官して平民となったが準大公の義兄であり、無爵ではあっても目上の者。 それでも叱られて当然の事をしている準大公を庇うべきなのか?
現在の私の職務は準大公の護衛。 殴り掛かるタケオ殿から準大公を守るのは職務上の義務とは言える。 ただ現実問題として今回の同行者全員が一丸となろうとタケオ殿を止められはしない。 たとえあちらは素手で、こちらは全員武器を手にしていたとしても。
加えてタケオ殿はサリ様の血縁の伯父。 無爵であろうと刃を向けるなど許されない。
それに現在の私は準大公に諫言出来る身分でもない。 準大公の執事なら、お買い物はお止め下さいと諫言しても許されるだろうが、陛下から皇王族筆頭と宣言された御方から見れば北軍大隊長は単なる臣下だ。 臣下が皇王族の御趣味にあれこれ口出しするなど僭越極まりない。
私がお止めしたところで準大公が素直にお聞き下さるとは思えないが、もし買うのをお止めになり、それが皇王庁に知られたら、私は口出しした事を咎められるだろう。 私だけではなく、私を特務大隊長に任命した北軍将軍の責任問題となるはずだ。
その点、タケオ殿の拳骨程度なら皇王庁が知ったとしても問題にはならない。 お二人の日常茶飯を熟知しているし、過去、皇王族でも兄弟喧嘩の例ならいくらでもある。 もっとも皇王族の場合、兄弟喧嘩は側近に命じてやらせる代理喧嘩となるのが普通で、御自分の拳を使った前例があったと聞いた事はないが。
いずれにしても準大公はお心のままに行動なさる。 ブレベッサ号乗り換えのように伝えている時間がなかった場合もあるが、リネ様の開腹手術に関する御決断のように、時間があろうとお伝えにならない事の方が多い。 あれが最初ではないし、最後でもないだろう。 元々気楽な三男坊として全て御自分で考え、行動なさっていらしたからか、事前に周囲に伝え、それについての意見を聞いてから行動なさる方が珍しい御方なのだ。
たとえ御質問になろうと、その時受けた進言に従うとは限らない。 誰が進言したかに拘らず。 そして一旦こうとお決めになったら、その頑固な事。 鋼の方がまだ柔い。 それはサリ様をブリアネク宰相の養女にする件で思い知らされた。
ブリアネク宰相は長年在職していた関係で部下の官僚とその親戚に売った恩がかなり蓄積している。 宰相のお年を考えると彼の存命中に使い果たす量ではない。 彼はサリ様を養女としてお迎えする場合、それらの恩を実子達にではなく、全てサリ様と御尊父へ贈与する事を確約した。
それは宮廷内におけるサリ様と準大公の安寧を保証するもの。 モンドー将軍は養女の打診を受けた際、それを噛み砕いて準大公に説明したのだが、それでもうんとおっしゃらない。 匙を投げた将軍が私に説得役を押し付けた。
準大公がこうなったら梃子でも動かない。 とは知りながら、氷の簀巻きで脅してみたが。 その程度で何とかなるような頑固ではなかった。 結局この話はすぐ向こうから取り消され、どう断れば角が立たないかを悩まずに済んだが。
世間は六頭殺しの若のイメージを未だに信じている。 部下の顔色を窺い、従者にさえ振り回されている、と。 実際は豪傑として知られる北軍将軍でさえ準大公に振り回されているのに。
第十一大隊にしても誰もが実際の大隊長は私と思っている。 ヴィジャヤン大隊長は傀儡と思われていた方が私に先に情報が伝えられ、何かと都合がよい。 だからその風評を変える気はないが、私は補佐以外の何者でもなく、大隊がヴィジャヤン大隊長の指揮に従って運営されるよう監視しているに過ぎない。
もし私が指揮をしていたらトタロエナ族を兵士として入隊させたりはしなかった。 使役人足として徴用する。 その方が安上がりだ。
素直にポクソン補佐の進言に従っていたタケオ大隊長の方が余程傀儡と言える。 と言っては語弊があるなら、タケオ大隊長はポクソン補佐の指揮を完全に信頼していた。 上官の性格を熟知しているポクソン補佐の事。 タケオ大隊長自身が指揮したかのように指揮していたのだろうが。 どれほど上官の性格を熟知していようと、こう決断するはず、という部下の読みは意外なほど当たらないもの。
これは私の上官が非凡で人の期待の斜め上を行く人だから言うのではない。 平凡非凡に拘らず、部下への伝達は上官の優先事項ではなく、上官は伝わっていると思い込み、部下は上官の意図を確認しづらい。 そこに齟齬が生じるものなのだ。
今回の毒殺事件に関しても準大公がどのように解決なさるか予断を許さない。 僅か十名で国の重鎮が主犯であろう事件の解明に乗り出すのだ。 無事の生還さえ疑わしい。 強運で数多の難事件を乗り越えられた御方だから終わり良ければ、となるかもしれないが。 それは万に一つの確率。
それに解決とは言えない決着を見る恐れもある。 例えば準大公が救援を頼んだ訳でもないのに、陛下がクポトラデルへの進軍をお命じになるとか。 又は、準大公に肩入れしている誰かがギラムシオの思し召しと称し、民を煽動して国王暗殺を企て内戦が勃発したり、大僧正に恨みを持つ者が大僧正を暗殺し、濡れ衣を準大公に被せようとする等。
いずれにせよ誰にとっても、タケオ殿を含めても、ポクソン補佐が葡萄酒を飲み干した理由の解明は優先事項ではないだろう。 それは私だけの優先事項でクポトラデルでは解明が難しい案件だから、まずクポトラデルから生還せねばならない。
準大公がお一人でいらっしゃる時、お訊ねした。
「閣下はいつ帰国なさるおつもりですか。 日数でなくとも、例えば下手人が判明した時点、或いはクポトラデル国王が責任の所在を認めた、それを書面にした時点、等の事象でお答え下さってもよいのですが」
「うーん。 それは出たとこ勝負、と言うか。 理想と現実、てものがあるし」
「とおっしゃいますと? 何が理想で、何が現実なのでしょう?」
「犯人が見つかって皇国までしょっぴいて来れたら理想。 それなら大審院でどう決着が付くか師範も自分の目で見届けたいだろうし、帰国する気になってくれるだろ。
でもそれって、たぶん、無理だよな? 毒を入れたのが偉い人だったら誰がやったか分かっても、しょっぴく訳にはいかなかったりして。 そうなったら、もう泥沼。 師範は穏便のおの字も考えていないよ。 下手人が死罪になったってポクソン補佐が生き返る訳じゃないのに。 生きて帰れりゃクポトラデルの奇跡、て感じ?」
「すると閣下は主犯が判明しても即座に死罪と断ずるより皇国での軍事裁判に出頭させるため帰国なさりたい。 そうお考えなのですね?」
「うん」
「主犯が判明しない場合もあるのでは?」
「それはあるかもだけど。 ダーネソンが嘘をついた人を見つけた時点で犯人のあたりは付けられると思う」
「第一容疑者は大僧正と目星はついております。 では、下手人が判明し、賠償金で話がついたと致しましょう。 ところがタケオ殿は金での決着に不満を抱き、帰国に同意しない。 その場合、閣下はどうなさいますか?」
「うう。 犯人が分からない方が師範は長生きする? 見つけるまでは死ねない、とかさ。 でも犯人が分かったら師範に教えない、て訳にはいかないよなあ。
はあ。 ま、どうなろうと俺は師範と一緒にいる。 それだけは確かだ。 師範が帰る気になるまで俺も帰らない」
「まさか生涯クポトラデルでお暮らしになるおつもりですか?」
「いや、師範なら一箇所にずっと住むより、そっちこっち世界中を歩き回るだろ。 端金で示談となったらクポトラデルでひと暴れしないと気が済まないだろうし。 血の雨を降らした場所で住み続ける、て無理でしょ」
「そのような浮き草の如き外国暮らしを陛下がお許しになるはずはございません」
「爵位と領地は返上する。 サリの婚約が解消されると思うけど、皇王族なんてならない方が気楽さ。 家は爵位をもらう前に買ったし、リネ名義だ。 サリとサナが大きくなるまで困らないくらいの金は貯めてある。 俺が帰らなくたってトビがいるから大丈夫」
「家族、爵位、金、名誉。 その全てよりタケオ殿を優先なさるとおっしゃる?」
「だってそれ全部、師範のおかげで手に入れたものだし。 師範に助けられなきゃ俺は入隊前に死んでいた。 助かったとしても弓しか能のない伯爵家三男の昇進なんて小隊長止まりだろ。 一生独身のつもりでいたから妻子だっていなかった。
そりゃ家族と師範のどっちも側にいてくれたら嬉しい。 でもそれが無理なら俺は師範に付いて行く。 師範は俺の人生を変えただけじゃない。 もっと沢山の人の人生を変えられる人だ。 今はポクソン補佐を亡くしてやけになっているけど、きっと世の中を変えるよ。 その時師範の側にいなかったら全部を見逃しちゃう。 それだけは嫌」
こういう決断力がこの御方の侮れない所だ。 簡潔にして直裁。 外せないポイントのみを考慮なさり、それ以外の全てを失う事を恐れず、先の先まで読んで悩んだりはなさらない。
明快な決断は周囲を納得させ易い。 それはいいが、私はその後に来るものを考えずにはいられない。
毒を入れろと指示したのは大僧正か彼の意を汲んだ側近だろうが、大僧正は罪状を否認するだろう。 実際手を下した者は国王の命令でやったと偽証する可能性もある。
国王は大僧正の首を差し出して終わりにしたいだろうが、外国の圧力に負けて無実の罪の大僧正を死罪にしたと思われたら重臣と民に見捨てられる。 かと言って主犯の首を差し出さなければタケオ殿の剣が黙ってはいまい。
どちらに転んでも戦いは避けられず、それに弓と剣、両方が巻き込まれ帰国不能となったら? 皇国から派兵されると思うが、国外への派兵訓練をしているのは近衛軍だけだ。 北軍から派兵されるとしても極一部の兵に限られる。 自分の部下でもない兵に命令する事は出来ない。 準大公がどれほど穏便な解決をお望みであろうと、それが実現する可能性はゼロと言っていい。
しかしクポトラデルに最初に到着したのが近衛軍ではなく、ダンホフ軍だったら? 準大公はダンホフの飛竜操縦士に行き先から理由まで洗いざらいお話しになった。 昼食会の後、飛竜の貸し出し延長をお願いする準大公の泣き腫らしたお顔を見れば重大事件が起こった事は黙っていても伝わっていただろうが、ヴァレーズ王太子が献呈した葡萄酒を飲んだポクソン補佐が死んだ事まで教える必要はないのに。
ダンホフの操縦士でクポトラデルに行った事がある者はいなかったから道案内人にはなれない。 目的地を知らせる必要がないだけでなく、その理由に至っては教える方がどうかしている。 にも拘わらず教えた。
準大公は何もお考えではなく、ただ御自分の泣き顔の理由を伝えただけだろうが、操縦士は間違いなく上司であるダンホフ公爵と次代にこの事件を伝えたはず。 つまり誰よりも早く派兵準備が出来たダンホフが戦場一番乗りとなり、被害が一番多く出たとしても戦果は全てダンホフ軍のものとなる。
ヴィジャヤン大隊長が北軍を退官し、準大公としてクポトラデルへ出陣なさるシナリオは幾通りも考えていたが、この展開は全く考慮していなかった。 この事件の解決次第では、いや、たとえ解決しなくても北軍の次期副将軍、次期将軍の顔ぶれが変わる。 それによって準大公の、そして皇国の未来も。
思えば準大公が皇寵を頂戴した事。 ギラムシオや青竜の騎士として崇められるようになった事。 大隊長への昇進、叙爵、青い人との邂逅。 どれも予め考えられた戦略によって獲得した結果ではない。
大隊長昇進への道筋なら私も準大公の小隊へ転属が決まった時点で既に考えていた。 しかし私の計画では三十代で中隊長。 四十代で大隊長という、根回しなどしなくとも手に入ったであろう無理のない昇進。 大隊長という結果は同じでも中身は全く違う。
準大公のような昇進も戦争も望んでいない人に軍師は無用の長物とも言えるが。 準大公に戦う気はなかろうと相手が何も仕掛けて来ないとは限らない。 準大公の人柄を知らなければ我が国への野心ありと思い込む者。 人柄を知って尚、準大公を危険視する者。 与し易しと見て利用しようとする者。 国の思惑や軍の利害関係に翻弄される事を考えれば軍師が十人いても足りないくらいだ。
兵を動かすだけが戦略ではない。 軍師に必要な知識には宮廷や政治の駆け引きや交渉能力も含まれる。 今まで私は軍師として準大公のお役に立った事はなかったが、クポトラデルでは重宝して戴けるはず。
事件の解明どころか生還も覚束ない。 なのに私の胸を満たす高揚感。 これから何が起ころうと、それは私の人生を、そして世の中を大きく変える。 そんな予感。
理由なき確信を根拠に行動する事を戦略とは呼ばない。 父の戒めが脳裏を過ったが、聞き流した。




