施主 5
「ポクソン夫人に慰められちゃいました」
泣き腫らした目で恥ずかしそうにサダが言う。 そのサダを見て、この泣き顔は使えるな、と思うとは。 俺の腹黒さにも年季が入ったもんだ。
もっともこの顔のサダを連れて外を歩いたら、またサダを泣かせていやがる、と俺が冷たい目で見られるんだが。 冷たい人目が気になる性格でもないし、サダの顔の腫れが治まるのを待っている時間が惜しい。 二人でジンヤ副将軍の元へ出向き、遺族への通知が終わった事を報告した。
副将軍はその場でアーリー補佐に指示を出す。
「明朝、緊急会議を行う。 各大隊長に伝達せよ」
時間が押している事は知っているが、それでも副将軍がこれほどすぐ会議を招集なさるとは思わなかった。 月一で行われる月例会議には将軍、副将軍、そして第一駐屯地駐在の四名の大隊長とそれぞれの補佐一名づつしか出席しないが、四半期に一度、全大隊長が出席し、各部隊の収支決算と問題点、来期の展望などを報告する。 第三四半期会議に出席するため、第四から第十の大隊長とその補佐、合計十四名は既に第一駐屯地に到着していた。 この機会を逃したくないのは分かるが、根回しなしで軍葬の施主を発表したらほとんどの大隊長は黙っていないだろう。
将軍が危うく毒殺された事件を解決するまで知らされなかったとは大隊長の面目丸潰れ。 黙って流すにはあんまりな内容で、解決したのなら、まあ、いいか、とは誰も思わない。 そのうえ施主をゴリ押しされたら、ふざけるな、だ。
穏便で知られる副将軍の事。 まず四半期会議を終わらせ、その後大隊長と一人づつ面談し、俺が施主を務める事に対する意見を聞く。 言いたい事を言わせ、不満はあるだろうが、と宥めてから緊急会議を招集し、施主を発表すると思っていた。
もっとも正式な連絡はなかろうと大隊長ともなれば何も知らなかったはずはない。 第一以外の駐屯地に駐在している大隊長でも第一で何があったか、噂くらいは聞いているはずだ。 全員それなりの人脈を持っているし、特にサーシキ第二大隊長はここに駐在している。 帰任と同時に欠席した歓迎昼食会で何があったか聞くのが当たり前で、聞かれた者は知っている限りを答えただろう。
歓迎昼食会の最中、医師と薬師が呼び出され、その後クポトラデルの王太子とその一行は全員面会謝絶となった事。 流行病の疑いがあるという噂は流れたが、医師や薬師が付いている様子はない。
歓迎昼食会後に予定されていた俺の模範試合が理由もなく突然中止され、その日の内にタケオ大隊長以下十名が飛竜で出発。 行き先、目的、軍務か否かに関してさえ緘口令が敷かれている。 軍務での出発なら任務の中身は機密でも軍務である事は明かされるものなのに。
私用に見えない事もないが、それにしては親戚でも友人でもないマッギニス補佐とクポトラデル語の通訳が同行した。 加えて隊員数が少ない第十一大隊はともかく、五千の兵を擁する第三大隊をジンヤ副将軍が指揮の代行をしている。 タケオ大隊長不在の間、代行を務めるべきポクソン補佐の姿がどこにも見当たらない。
大隊長だけじゃなく、事件後、将軍が副将軍にどこまで伝えたのか俺は聞いていない。 全部か、一部か。 一部ならどの部分を隠したのか。 もっとも副将軍なら何も伝えられなくとも事件の全容を正確に推測しただろう。 だがサーシキ大隊長は何をどこまで知っているのか。
それをサーシキ大隊長に聞く気は全くない。 何であろうとあちらから進んで教えてくれた事は今まで一度もないし、こちらから聞けば、返って来るのは聞いた事に対する返事ではなく、説教、嫌味、皮肉だったりした。 あちらとしては、不出来な後輩のくせに格上の先輩に対してその態度は何だ、と指摘する事の方が何より重要なのだ。
会議では顔を合わせるし、すれ違えば挨拶はする。 だが今まで一緒に飲みに行くとかの個人的な付き合いは一切なかった。 誰ともその調子なら俺が人嫌いで済む話だが、トーマ大隊長となら月一は仕事抜きで会って話す。 それは第三を引き継いだし、丁寧な引き継ぎを感謝しているからでもあるが、トーマ大隊長の蘊蓄や昔話は結構面白い。 第一駐屯地の所在地として今の場所が選ばれた理由とか。 将軍用台所の隣に兎小屋があるのは八代前の将軍が兎料理が好きだったからとか。 仕事とは何の関係もない無駄話が俺のいい息抜きになっているのだ。
それに他の大隊となら合同練習などの交流があるし、大隊長と会えば立ち話くらいする。 サーシキ大隊長と喧嘩らしい喧嘩をした事はないとは言え、大隊間の交流がなく、会っても立ち話さえしないとなると反りが合わない事は世間も気付いているだろう。
サーシキ大隊長対俺。 どちらに付くか。 ボーザーは俺の副将軍昇進に反対する大隊長はいないと言うが、表立って反対はしなくとも俺の指揮に従うかどうかはまた別問題。 面従腹背となる恐れがある。
サダは俺に副将軍がやれると思っているが、そう思っている大隊長は他に一人もいないか、少ない。 諜報の「ち」の字も分からない俺が諜報の要じゃ、その諜報に頼って大隊を指揮せねばならない大隊長が不安になる気持ちも分かる。 おまけに副将軍なら誰の首だって飛ばし放題。 副将軍になった途端、俺が何をやらかすか、という不安は宮廷内にもあるはず。
それにサダが俺の側に付いているから陛下も俺の側に付いていると思うのは間違いだ。 たとえ陛下は反対なさらなくても臣下には臣下の思惑がある。 クポトラデルが巨額の賠償金を支払わされたという噂が広まれば、浮き足立つ外国もあるだろう。 どこからどんな茶々が入らないものでもない。
そもそも大隊長全員が束になろうとサダには勝てないと決めつけてもいいのかどうか。 今までサダが自分の部下以外の人事に口を出した事はない。 今回の昇進はサダが振り払った火の粉が飛んだ先で起こした火事と言えるが。 自分がやりたくないから俺を推しているだけで、自分がやらずに済むなら別に俺でなくても、と考えているんじゃないのか? 末席の大隊長としていつも低姿勢なサダが上席の大隊長全員と争ってまで俺を推すか?
ただ俺がどんなに疑おうと、他の大隊長は陛下の後ろ盾があるサダが推したら大隊長全員で声を合わせても無駄と思っているかもしれない。 だからサーシキ大隊長の目が怖くても俺に話し掛けるのだろう。 万が一、俺が上官となった時に備えて。
とは言え、サーシキ大隊長なら副将軍ではない今でさえ軍内諜報はお手のもの。 元々北軍の副将軍の主な仕事は軍紀の統制。 他国との交渉や宮廷での根回しも必要になったのはサダが入隊してからで、ごく最近の事だ。 そっちはマッギニスが実務を担当するだろう。 なら軍内諜報の実務はサーシキ大隊長が担当し、俺は名前だけの副将軍となる可能性が高い。 そう考えたらサーシキ大隊長を怒らせたい大隊長はいない。
緊急会議で施主の指名に異議を申し立てるのはサーシキ大隊長ではないかもしれないが。 誰が申し立てようとそれはサーシキ大隊長の意向を汲んでの事と見ていい。 俺としては今すぐ申し立てられた方が助かる。 会議中は何も言わず、納得したふりをして裏であれこれ根回しされたら始末が悪い。 その結果が俺に届くまで時間がかかるし、途中で又聞きや誇張が加えられ、俺の耳に入る頃にはぎょっとするような話になっているはずだ。 そうなると単なる噂として無視するのは難しい。 巻き込まれて処罰される兵の数が増える。
文句があるならさっさとここで言え、と言いたいが。 そう俺が言ったところで本音をベラベラ喋るか? そう簡単に事が運ぶなら誰も苦労はしない。 サーシキ大隊長なら、言って何かが変わるなら言いますが、とか言いそうだ。 なら黙っているかと思えば、散々もったいを付けた挙句、言うだろう。 施主は副将軍が務めるべき、と。
それへの反論を俺は考えていない。 反論があるとすれば、俺が決めた事ではないし、俺がやりたいと言った訳でもない、だ。 要するに副将軍に下駄を預ける。 それに副将軍がどう答えるか?
誰それの御指名、と言うのが一番簡単だが。 誰それの箇所に誰が入る?
陛下? 奏上に行った将軍が帰っていないのに?
モンドー将軍? 陛下に奏上する前に決めた? それはまずいんじゃないのか?
まさか、サダ? 俺以上に副将軍のなんたるかを知らないサダが指名?
つまり誰の指名だろうと紛糾する。 その場は収まったとしても後々。
会議に出席した大隊長はみんな平然とした顔をしているが、俺を含め、内心戦々恐々だろう。 サダだけは相変わらず。 お久しぶりです、と言いながらみんなに笑顔を振り撒いていた。
いつも浮いているサダが今日も浮いていたって変ではないが、いつもはポクソン補佐がそっとサダを地上すれすれくらいに引き戻していた。 本来ならそれはサダの補佐がやるべき仕事だが、マッギニスは我関せず。 タマラは浮いているサダを温かく見守り、と言うか嬉しそうに見上げている。 浮いている事が全く気にならないようだ。
まあ、サダが浮こうと沈もうとどうでもいい。 どうでもいい事をしてもらいたくてポクソン補佐に生き返ってもらいたい訳でもない。 だがクポトラデルへの旅で思い知らされた。 今まで俺の喉が枯れずに済んでいたのは俺が怒鳴らずに済むよう手を回していた人がいたからだ、という事に。
ポクソン補佐の後任を選ばねば。 それを考えただけで胸が痛む。 本当にかわいそうなのは俺の心の中でしょっちゅう死んだ前任と比べられる後任なんだろうが。
会議の開始と同時に副将軍が、サダと俺の退官部分を抜かした事件の概要を説明し、次に公式発表予定の各項目を読み上げた。
「ここまでで何か質問は?」
そこでサーシキ大隊長が挙手した。 誰かに頼むかと思ったが、誰かに頼める事ではないと気付いたか。
「軍葬の施主はどなたがお決めになったのでしょう?」
「テーリオ祭祀長だ」
副将軍のお答えに会議室の誰もが沈黙した。 まさかここでテーリオ祭祀長のお名前が出て来るとは。 見掛けによらず、とは誰もが思ったに違いない。
去年まで無名の一神学生。 噂によると学績優秀でもなかったらしい。 一応知られた星読みの家系ではあるが、星読みの能力を持った者は何代も出ていないのだとか。
いずれ祭祀長になられるとしてもそれはずっと先の話。 そして祭祀長になられたら国政や軍政に全く口出しなさらなかったスティバル祭祀長のスタイルを継承する、と思っていたのは俺だけではないだろう。
あっと言う間に祭祀長となられた事で世間を驚かせたばかり。 そのうえ軍葬の施主を御指名なさった? 祭祀長としてこれくらい簡単にやれるし、それ以上の事もやろうと思えば出来るのだぞ、という示威行動?
俺はテーリオ祭祀長のお人柄を知らない。 スティバル祭祀長には贔屓されたが、代替わりすればその贔屓も終わると覚悟していた。 スティバル祭祀長からお茶に呼ばれた際、テーリオ祭祀長見習が同席していた事は一度もなかったし。
テーリオ祭祀長の御贔屓はサダだ。 それはサダの妻子への厚遇にも表れている。 俺だって嫌われてはいないと思うが、それはついでと言うか、俺がサダに好かれているからであって。 サダと俺のどちらかを選ぶとなれば迷わずサダをお選びになると思っていた。
もしやサダが副将軍になりたくない事を御存知で、だから俺を推した? でなければ軍の慣習に疎く、軍葬の施主がどういう意味を持つか御存知ない? それなら将軍か副将軍が説明するはずだが。
意外だろうと何だろうと祭祀長の御指名なら覆せるのは皇王陛下のみ。 陛下が覆したとしてもそのお言葉がこちらに届く前に軍葬を終えていればそれまでだ。
サーシキ大隊長を始め、出席者の誰からも質問は出ない。 理由を聞いたところで副将軍が、理由は知らん、と答えたらそれ以上追及しようがないのだから。
副将軍は淡々と続けた。
「事件の公式発表は明日を予定している。 その時軍葬の日時を入れるか入れないかだが、一週間後で何か支障があるか?」
それにサーシキ大隊長が質問する。
「秋の合同葬儀は十日後ですが。 それを早める、という事でしょうか?」
北軍では毎年四月に今まで死亡した兵全てに捧げる鎮魂祭を、十一月にその年に死亡した兵を弔う合同葬儀を行う。
「いや。 これはポクソン大隊長補佐のみの軍葬だ。 合同葬儀とは別に行われる」
単独の軍葬は将軍、又は副将軍が死んだ場合に限られる。 行軍中、数十名が吹雪に巻き込まれて死んだとか、犠牲者の数が多い場合、合同葬儀とは別に慰霊祭が行われる事もあるが。 大隊長以下なら死因の如何に拘わらず合同葬儀で弔われるから死んだのが大隊長補佐とは思えない破格の待遇だ。
「単独軍葬もテーリオ祭祀長がお命じになった?」
サーシキ大隊長の質問に副将軍が頷く。
「では日程も?」
「合同葬儀と同日は避けるように、とのみおっしゃったので日程はこちらで決めてよい。 だが合同葬儀の後では吹雪で式が取り止めとなるかもしれん。 異議がないなら軍葬は一週間後と発表する」
副将軍が一同を見回し、誰も異議の声を上げない事を確認する。
「では、トーマ大隊長。 軍葬の流れをタケオ施主に説明しておけ。
尚、タケオ施主がポクソン補佐の後任を指名するまでアーリー副将軍補佐が第三大隊長補佐を兼任する。 施主に用事がある者はアーリーを通せ。 私への連絡事項があれば第三庁舎の大隊長補佐室へ提出しろ。 以上だ」
アーリー副将軍補佐がたとえ臨時だろうと俺の補佐をする事に同意するとは。 内心サダに心酔しているアーリー補佐がサーシキ大隊長の側に付くはずはない。 では、自分が軍内指揮の実権を握りたいから俺の側に付く事にした? それはそれで信じ難いが。
緊急会議はあっさり終わった。 この後に続く嵐の激しさを予感させるような静けさで。
呑気に背伸びしながらサダが言う。
「はあー、助かった。 思ったより早く終わって」
そして皆の後に続いて退室しようとする。 サダの襟首を掴み、引き戻した。
「ぐっ、ぐえっ」
「お前は残れ。 俺と一緒に軍葬の流れを聞いてもらう」
「な、なんで俺も?」
「弔辞を読むのは二人だ。 一人は将軍。 もう一人要る。 お前が読め」
「俺、弔辞を読んだ事なんて一度もないです」
「じゃ、いい経験になるな。 喜べ」
「そ、そんな」
「俺だって施主をやった事なんか一度もない。 だが、やらされる。 副将軍になりたくないとごねた奴がいるせいで」
「それとこれとは、」
「別か? 副将軍はお前でも施主は俺になったと思う根拠は何だ?」
「根拠? そんな事を聞かれても」
そこで俺達を面白そうに見ているトーマ大隊長に聞いた。
「弔辞を読む人の位が高ければ高いほど故人にとって名誉と聞きましたが、間違いありませんか?」
「うむ。 その通りだ」
「聞いたか? サダ。 弔辞は青竜の騎士にして準大公、サダ・ヴィジャヤンとして読め。 北軍第十一大隊長も付けたかったら付けていいが」
「でもマッギニス補佐がいないのに。 誰が弔辞を書くんですか?」
「お前だ」
「軍葬まで一週間しかないんじゃ無理です」
「ふん。 一年あったってお前にまともな弔辞が書けるもんか。 だからどうした。 涙が止まりません、だけでいい。 それを読んだ後は泣いて誤魔化せ。 弔辞は故人に捧げられ、一緒に埋められる。 一行しか書いてなくたって墓を掘り返して読む奴なんかいない。
北軍、いや、北で一番位が高いのはお前だ。 弔辞はお前に読んでもらう」
「一番位が高い、て。 師範はその俺より偉そ、あだだっ!」
「俺は忙しい。 分かるな?」
俺の眼光で攻撃された唇を手で庇いながらサダは涙目でこくこく頷いた。