施主 3
「師範。 おめでとうございます」
何が目出度い。 副将軍昇進が目出度いならなぜ自分でやらない。 ま、お前にとっては目出度いよな。 副将軍をやらなくて済むんだから。
とニコニコ顔のサダに言い返したりはしない。 モンドー将軍とカルア将軍補佐が目の前にいる。 そしてジンヤ副将軍とアーリー副将軍補佐、一緒にクポトラデルに行った八人も。 余計な事を言ってバカを泣かせたら長い会議が更に長くなる。 駐屯地に戻って今日で四日目。 早く家に帰りたいのは誰だって同じだ。
但し、全員同じ気持ちとは言えない。 将軍執務室に着席している十四名、それぞれ思惑がある。 嬉しそうな顔のサダだって副将軍になった俺に自分の周囲を嗅ぎ回られたら、一瞬でも目出度いと思った事を後悔するんじゃないか。 そんな先々まで考える頭がないから今は呑気に喜んでいるが。
サダ以外は全員緊張した面持ちだ。 そりゃそうだろう。 本音は俺が副将軍になったら何をやらかすか恐れているはずだ。 しかもモンドー将軍は後三年で退官する。 俺が次の将軍となる事はほぼ決定と見ていい。
俺の年を考えたら、これから気の遠くなるような年月、将軍が交代する事はない。 やっぱりこいつじゃまずいとなって暗殺されるかもしれないが、そんな事を目論む奴の首は片っ端から飛ばそうと思えば飛ばせる力が与えられる。 いや、誰も何も目論まなかったとしても御意見番も重しになる上官もいない将軍だ。 退屈凌ぎに戦争を始めるんじゃないか、国内はおろか外国さえ巻き込むのでは、と本気で心配している奴だっているだろう。
俺にしたところでそういう誤解を解く気は全くない。 誤解じゃないかもしれないからな。
ポクソン補佐が殺された時に思った。 下手人だけじゃない。 下手人を見つける邪魔をする奴がいたら、たとえ相手が国王だろうと殺してやる。 それが国と国の戦いに発展しようと知った事か、と。
結局そうはならなかったが。 それはサダがあっさり解決したからで、俺が自制したからじゃない。
将軍が口火を切る。
「まず公式発表の件だが。 ジンヤに報告してもらう」
副将軍が読み上げた筋書きは簡単に言えば次の通り。
クポトラデル王太子が北軍将軍を表敬訪問し、その際葡萄酒を献上した。 それを飲んだポクソン第三大隊長補佐が即死。 だが王太子は毒入りである事を知らなかったと主張。
迅速なる真相糾明のため、タケオ第三大隊大隊長以下、特務部隊十名がクポトラデルに向けて出発。 その結果、クポトラデル国王の協力もあり、事件の全容が明らかになった。
毒殺の標的は皇国北軍将軍。 それにより王太子が帰国不能となるか、又は処刑されれば二国間で紛争が起こる。 その混乱に乗じた王位簒奪を目論んだ当該計画の首謀者二名は自害。
国王は監督不行き届きの責を負う事を認め、賠償金の支払いに同意した。 将軍の身代わりとなったポクソン大隊長補佐の軍葬はタケオ大隊長が施主となり、後日行われる。
「以上だ。 ここまでで何か質問は?」
副将軍がお聞きになると、サダが手を挙げた。
「師範と俺が退官した事は公表しないんですか?」
バカとは知っていたが、ここまで物知らずだったとは。 懲罰による降格なら一階級だけ下がる事もあるが、将校(小隊長以上)が自分から願い出た退官の場合、将校としての全階級を返す。 一階級だけ返す、なんて事は出来ない。 退官しても軍に残るなら軍曹からやり直す事になる。 たとえ元の階級が将軍だろうと。 だから将校の退官願は同時に除隊届として受理されるのだ。 ブロッシュ大隊長のように。 副将軍昇進の話が出た時点で退官はなかった話にしないとまずい事に気が付くべきだろ。
副将軍のお顔が陰る。 さすがにあり得ない質問で、どっと疲れたのだろう。 叱るか説明するか迷っていらっしゃるようで即答なさらない。 サダのこの手の質問に慣れていらっしゃる将軍が代わりにお聞きになった。
「ヴィジャヤン。 お前は退官願を提出した覚えでもあるのか?」
「え? ありません」
「まあ、ないだろうな。 私も受け取った覚えはない。 最初に言ったが、これらは公式発表項目だ。 故に非公式で何があったかは含まれていない。 また、非公式にあった事を漏らすような無責任な者はここにはいないはず。 私を含め、誰一人として、な。
但し、お前に黙れと命じているのではないぞ。 それは天に雨を降らすなと命じるようなもの。 百害あって一利なし、だ。 ただ喋る時は事実に則している事。 それだけ注意しろ。 タケオとヴィジャヤンに関し、退官願が受理された事は過去一度もない。 それが事実だ。 分かったか?」
「り、了解。 その、マッギニス補佐が特務大隊長だった事はどうなるのか気になったもので」
その質問には副将軍がお答えになった。
「マッギニスはクポトラデル王国と交渉し、こちらに有利な条件で示談を締結するという特務を完遂した。 その功績により来年特務大隊長から第三大隊長へと昇進し、タケオ施主が昇進した後の空席を埋める。 特務内容は機密である事の方が普通だ。 詳細が公表されなくとも誰も疑問を抱かない。 言うまでもないが、示談の内容、賠償の詳細も機密である事を忘れるな」
「すると俺の補佐は誰になるのでしょう?」
それにはカルア補佐がお答えになった。
「指名したい者がいるなら後で提出するように。 そちらを優先する。 現在、候補として名が上がっているのはタマラのみだ」
「それなら俺の指名と同じです」
いやはや、初っ端から下らん変化球を投げやがって。 おまけに質問の理由が、自分の尻拭いは誰がしてくれるのか、だ。 まあ、聞きたくなる気持ちは分かるが。 マッギニスは頭が三つ、手が二十本付いているんじゃないかと思うような仕事量をこなしていたからな。 しかし一番簡単な部分でこの調子では今日中に家に帰れるかどうかもおぼつかない。
思えば出会ったその日からこいつにはしなくてもいい苦労を次々させられた。 と、愚痴のループに嵌まりそうになったので考えるのをやめた。
「次は今後予定される行事についてだ」
副将軍が述べる順に従い、アーリー副将軍補佐が黒板に書き留める。
陛下への奏上。
遺族への通知。
大隊長への通達。
事件の公表。
軍葬の大筋の決定。
軍葬の日程発表。
軍葬。
皇都に向けて出発。
新年。
現副将軍の退官と次期副将軍の発表。
現副将軍退官後の叙爵式出席。
「はっきり言って軍葬までの日程が非常にきつい。 全てが支障なく進んだとしてもきついのだ。 一つでも躓けば年内の軍葬は不可能となる。 かと言って軍葬前にタケオの昇進を発表したら揉める事は確実。 昇進が再来年に持ち越されるかもしれない。 それまで副将軍席を空席とする訳にもいかず、私の退官も再来年となるだろう。
脅すつもりはないが、私の体調が悪化していてな。 その時まで保たなかったら通常の引き継ぎは無理となり、次期副将軍の負担はかなりなものとなろう。 円滑な引き継ぎをするためにも問題点があればすぐに報告せよ。
では、奏上だが。 マッギニス担当でよいか?」
そこで将軍が発言なさる。
「事件の報告はそれでよいとしても、施主の人選を奏上せねばならん。 私も行くしかあるまい。 なぜヴィジャヤンではないのか御下問があるだろうし。 陛下は御理解下さると思うが、他軍の将軍、官僚との折衝及び質疑応答、全てをマッギニスがやっては、事件が余りに迅速に解決した事でもあり、これはマッギニスが裏でお膳立てした猿芝居と受け取られる恐れがある」
副将軍が頷き、アーリー補佐が黒板に将軍とマッギニスの名を書く。 するとマッギニスが挙手し、発言した。
「ついでに、と申し上げては語弊がありますが。 クポトラデル王太子を同行させ、陛下への謝罪の機会を与えては如何でしょう。 クポトラデルとの外交関係を友好なものにしておけば、今後の賠償金の支払いもスムーズかと存じます。 その点を考慮するなら彼にも事件の顛末を知らせておく方が上策。 また、将軍が上京なさるのでしたら警備も万全です。 王太子用の警備隊を別途編成する手間が省けるかと」
将軍がそれに頷かれたので、黒板に王太子とエットナーの名も書き加えられた。
「次は遺族への通知だが。 タケオ施主。 お前がやるか?」
「それはヴィジャヤン大隊長にして戴きたい」
「理由は?」
「軍葬は名誉ではありますが、施主の階級が大隊長である事は格を下げた扱いと受け止める者もいるでしょう。 青竜の騎士自ら足を運んで通知する事はポクソン子爵家にとって家伝に残す価値のある名誉であり、格下感を解消する役に立つかと存じます」
「ふむ。 では、そのように」
次に副将軍が将軍にお訊ねになる。
「大隊長への通達をする会議はいつに致しましょう。 将軍のお帰りを待ちたいのは山々ながら、軍葬の日程を考えるとそれでは間に合いません。 ただ間を置かないと事件を奏上する前に軍葬の施主、つまり次期副将軍を決めた事がばれてしまいます。 それで十日後を考えているのですが、如何。 日程的にはきつくとも軍葬の下準備なら先に進められない事もないですし」
「陛下は事件の決着を御存知だ。 決着してもしなくても帰国が決まったと同時にクポトラデルから陛下へ書面で報告するよう、マッギニスに指示しておいた」
将軍がマッギニスにお顔を向け返答を促したので、マッギニスが答える。
「はい。 この報告は最速を目指せとの事でしたので、クポトラデルに一番近い駐竜場からダンホフの飛竜を使いました。 報告は遅くとも四日前に陛下のお手元に届いたかと存じます」
副将軍が眉を顰めてお訊ねになる。
「陛下宛の報告をヴィジャヤンが書いたのか?」
それにサダが明るく答えた。
「大丈夫です。 俺が書いたのは、事件がありましたのでマッギニス特務大隊長の報告書を御覧下さい、だけなので。 あ、封筒の宛名と差出人名も書きましたが」
それを聞いて将軍も眉を顰める。
「二度も三度もある事とは思えんが。 もしお前が陛下へ手紙を出す機会が再びあったら、宛名と差出人も誰か他の者に書いてもらえ。 受け取った侍従がお前の字を読めず、開封していたらどうする。 まさか陛下のお名前を書き間違えてはいないだろうな。 誰が確認した?」
サダが視線を泳がせるとマッギニスがフォローした。
「ヴィジャヤン大隊長の封書は陛下宛の親展用封筒に入れ、差し出し人が青竜の騎士である事を私が書き、封緘印を押しました」
「常に変わらぬ丁寧な仕事だ、マッギニス。 親展用封筒を持参していたとは。
タマラ。 マッギニスの後任を務めるのは苦労だろうが、ヴィジャヤンの尻拭いをよろしく頼むぞ」
「皆様の不安を一日でも早く解消出来るよう、精進致します」
「よい心がけだ。 知っての通り、お前の上官は自分の名前でさえ書き間違えた事がある。 手抜かりがあったとしてもお前のせいとは思わん、と今の内に言っておく。
それでは私とマッギニスは明日、出発する。 その翌日遺族に通知し、通知が済んだら大隊長を招集せよ。 軍葬と施主に関しては既に祭祀長へ申し上げており、こちらで決めた日程でよいというお許しを頂戴している。
タケオ。 大隊長への通達が終わったら過去の軍葬の手順をトーマから聞いておけ。 前例に従うか従わないかはお前が決めていいが、公表するのはジンヤに報告してからにしろ。 軍葬に間に合うよう私が戻って来れるとは思えんが、戻れた場合、弔辞を述べる。 戻れなかったらジンヤが代読してくれ。 私以外、最低もう一人に弔辞を依頼するように。
他に何かあるか?」
そこで俺が質問した。
「スティバル祭祀長は新年の御挨拶に上京なさるのでしょうか?」
「そう言えば伝え忘れていたが、スティバル聖下は祭祀長のお役目をテーリオ猊下へ譲られてな。 新年に上京なさるのか否か、御予定をまだ伺っていない。 猊下と聖下、お二人で上京なさるのか。 どちらかお一人、或いはどちらも上京なさらないのか。
タケオ施主。 近い内に聖下からお茶のお誘いがあるはず。 その時お前が聞いておけ」
「了解。 他にはどなたが? サリ様も上京なさるのでしょうか?」
「今の所準大公家の皆様全員で上京の御予定だが、何分真冬の旅。 お子様の御健康を優先せねばならん。 お前達の留守中、賜剣の儀が行われ、サナ様はテーリオ祭祀長から恩寵を賜った。 お二人の内のどちらか一方だけの御不調であろうと御旅行は取り止めにしてよい。 その時はお前も北に残り、御家族の警備を指揮しろ。
マッギニスはどうなるか分からんが、私は新年前に北へ戻るつもりでいる。 駐屯地を手薄にする訳にはいかんからな。 新年の一連の行事は叙爵式に出席するジンヤに私の名代を務めてもらう」
「了解」
「お前にとっては不本意な決断かもしれんが。 テーリオ祭祀長は、これも星のお導き、とおっしゃった。 気負わずにやれ。 お前なら出来る。 副将軍であろうと。 将軍であろうと、な。 以上だ」
こうして会議が終わった。 第一庁舎の廊下でサダが俺に泣き言を言い始める。
「遺族への通知だなんて。 俺、やった事ないですよ。 本当に俺にやらせてもいいんですか? ポクソン家に行ったら何か言う前に泣いちゃうかも」
「それでいい」
「はあ?」
「泣いて来い。 たっぷり。 お前の涙はポクソン補佐への供養だ。 下手な悔やみの言葉より遺族の胸に響くだろう」
俺の分も泣いてくれ、とは言わなかった。 俺は軍葬の施主。 施主が泣いたらそれは後悔、または慚愧の証として受け取られる。
実際後悔しているのだが。 それを世間に悟られては遺族の悲しみが増すばかりだ。 そもそも今更後悔したところで何になる。 あの日、誰かは知らないが、事前に知らせてくれたのだ。 葡萄酒は毒入り、と。 なのに俺は紙切れに書かれたその警告を戯言と受け取った。 匿名だったし。
ところがポクソン補佐はそれを見て、午前中に予定されていた俺の模範試合を午後へ移し、自分の剣舞を午前中にした。 理由なく王太子からの献杯を断る訳にはいかないし、かと言って毒味を誰かにさせ、毒入りではなかったら外交問題になる、と言って。
脳裏に浮かぶポクソン補佐は俺に背を向け、無言。 その背に悔いが浮かんでいると感じられないのは俺の儚い願望に過ぎないのか?