引き分け 猛虎の話
「師範。 デュエインで遊んでいるだろ」
道場で稽古の合間にネイ・ポクソン中隊長が笑いながら話しかけて来た。
因みに気安いタメ語なのは俺より階級が上だからだ。 百剣では師範と呼ばれるまでになったが、この称号は誰かに負けた時、すぐになくなる。 だが軍の階級はなくならない。 と言っても百剣に大隊長と大隊長補佐は一人もいないから俺の上は中隊長と中隊長補佐だけだが、小隊長に過ぎない俺が従わねばならない階級の剣士は結構いるのだ。
それとは関係なく、ただ一人生涯頭の上がらない人がいる。 それがポクソン中隊長だ。 俺が十九の時、俺さえいなければ軍対抗戦の北軍大将を務めたはずの人でもある。
対戦順位を決める時、みんな俺を先鋒に据えようと言った。 それは当然と言うか妥当な選択でもあった。 そもそも強ければ誰でも軍対出場選手になれる訳じゃない。 今までは俺程強い平民がいなかっただけなのかもしれないが。
普段の稽古でさえ平民のくせに、とあからさまな差別をされた事もある。 内心すんなり出場選手に選ばれただけでも意外だったから先鋒以外になれるとは思っていなかった。 しかしポクソン中隊長が俺を大将にするよう強く推したのだ。
「私では近衛の大将を倒す事は出来ない。 だがタケオなら勝てる可能性がある」
確かに俺はその時既に軍対出場選手の誰よりも強かった。 とは言っても年が年だし、平民で軍対に出場出来るだけでも異例の名誉だ。 なのに大将? 予想もしていなかった推挙に驚いたのは俺だけじゃない。 百剣の誰もが反対した。
「ですがタケオが先鋒でかなりの数を倒してくれれば、残りは私達で勝ちに持ち込めるのではありませんか?」
「今回の出場者はタケオ以外、全員前回に出場している。 相手の力量を知っているだろう? 本気で勝てると思っているのか?」
ポクソン中隊長の指摘にみんな顔を見合わせたが、それでも食い下がった。
「先鋒では勿体ないとおっしゃるのでしたら次鋒か中堅でもよいではありませんか」
「それでは大将戦には持ち込めても勝てはしない」
「どうしてもとおっしゃるのならタケオを副将に据える事を考慮してもいいですが。 いくら何でも大将はやり過ぎでしょう」
「だめだ。 タケオが大将でなくては。 でないと大将に辿り着くまでに疲れ切ってしまう。 絶対に不利だ。 私達で何とか大将の前の奴らを、出来れば副将まで全員片付けておくのだ。 そうすればタケオにも勝機がある。 五分五分、いや、四分六と言ってもいい。 私達の中で近衛大将と互角に渡り合える奴は彼以外いない」
あの年、ポクソン中隊長(当時小隊長)は三十歳。 つまりあれがこの人にとって最初で最後の軍対の大将になるチャンスだった。 そこに至るまでの壮絶な稽古、稽古の十二年を誰もが知っている。 副将となるのも名誉だが大将には及ばない。 それを諦める?
「負けたチームの大将となるより近衛を倒したチームの副将として名を残したい」
ポクソン中隊長のその一言が決め手となり、俺は大将に選ばれた。 軍対で優勝し、何より嬉しかったのはポクソン中隊長の御期待に応える事が出来たという事だ。
そして俺は勝ち続けるはずだった。 近衛の奴らがあのバカバカしい三回ルールさえ作らなければ。
「ちょっと幸せ過ぎるんじゃないかって、むかついたもので」
「はっはっはっ。 その気になれば師範だっていくらでもよりどりみどりだろうが」
「そっちの事はいいんですよ」
俺は手で引き分けの合図をしてみせた。
「なんだ、それに腹を立てていたのか」
「今年こそいける、と思っていたので」
「自分でやるのと人にやらせるのとでは同じという訳にはいかんさ。 だが、まあ、進歩はしているじゃないか」
出場を阻止されても北軍に北の猛虎ありと近衛の奴らに思い知らせてやる。 そう誓った俺は軍対に出る剣士に猛稽古をつけ始めた。 俺の速さと力には及ばなくとも才がある奴はこつを学ぶだけで随分違う。
俺の稽古は勝つ事のみを目指す。 美しさや礼儀に五月蝿い近衛剣士の優雅さはないが、連中には近衛特有の癖というか、弱点があるのだ。 それをどのように突くか、そのこつを徹底的に教え込んだ。
俺が出場する前はいつも近衛大将が引っ張りだされる前に勝利が確定していたと聞いている。 そのため軍対抗戦が終わった後、陛下の御前で近衛大将の剣技が披露されるのが習わしだった。 その剣技披露は俺が出場出来なくなってからも行われていない。 北軍大将が毎年近衛大将を引っ張り出しているから。
北ではそれを「猛虎の復讐」と呼んでいる。 まったく呑気な奴らだ。 その程度でなぜ復讐したと言える? なぜ勝とうとしない。 俺の口調から苦々しさが滲み出る。
「あいつ、引き分けなんかで喜びやがって」
「充分快挙だろ。 北の猛虎が何人もいたら、それこそ驚く」
ポクソン中隊長は少し肩を竦め、なだめ顔で言う。 そうは言ってもポクソン中隊長こそ俺よりずっと悔しがっているはずなのだ。 俺はこの人の胸の内に燃える炎の熱さを知っている。
「若みたいになれと言ってる訳じゃない。 あれは天分だが、俺程度に上達するのは他の奴らにだって充分出来るはずですよ。 その気になれば」
「その気、ね。 で、どうだ、来年は」
俺はちらっとウェイドの方に目を流し、ため息をついた。
「正直な所、あれじゃデュエインを超える事さえ難しい。 ウェイドは人が良すぎる」
ポクソン中隊長は笑って言った。
「悪い奴、というのも中々いないか」




