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弓と剣  作者: 淳A
十剣
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施主 1  猛虎の話

 将軍執務室に出頭すると将軍はカルア補佐を残して人払いし、サダ、俺、そしてマッギニスだけに事件の報告をさせた。 マッギニスがクポトラデル国王の署名入りの覚書を提出し、報告を終える。 将軍はカルア補佐に原本は陛下へ送るよう命じ、それからサダに向かって満足げに言う。

「準大公、お見事な交渉です。 事件の真相が究明され、開戦を避けられた事、陛下もさぞかしお喜びになるでしょう。 実は大隊長徽章は私が一時預かっておりまして。 如何でしょう。 軍へ復帰なさっては?」

「えーと、師範が戻るのなら」

「タケオ殿。 第三大隊長は現在空席だ。 戻ってはくれんか?」

「それは、まあ、戻ってもよいのでしたら」

「大変結構。 ところで、今回の褒賞として相応しいのは副将軍位と考えている。

 ヴィジャヤン大隊長。 受けるか?」

「副将軍? そんなの、やれません」


 サダの返答が予想通りだったからか、モンドー将軍は全く驚かず、ただ頷く。 どう言う意味だ? 辞退しているのに頷くとは。 つまり副将軍をやらなくてもいい?

 そりゃサダに副将軍が務まるとは俺だって思わない。 だがそれを言うなら大隊長だって務まるとは思っていなかった。 俺だけじゃない。 誰だって思っていなかったはずだ。 なのに大隊長をやっている。 普通の意味での大隊長としての職責を果たしているのかどうかは別として。


 第十一大隊は収支が毎期大幅な黒字で、設立以来評価は全大隊中、不動の一位だ。 これが依怙贔屓による結果じゃない事は他の大隊長全員が承知している。 第十一の兵数は他の大隊に比べ十分の一もない。 各大隊への補助金は兵数により決まっている。 設備や兵舎など、兵数は少なかろうと出費は少なくならないものが多いから普通に金を使えば真っ赤っかのはず。

 黒字の一番大きな理由は莫大な額の寄付や寄進だ。 サダの部下になりたい貴族が国内は元より、外国からも札束を担いで押し寄せている。 入隊希望者リストは短くなるどころか長くなる一方。 そのうえ平民から瑞兆の父(青竜の騎士、ギラムシオ)への寄進もある。 一人一人の額は小さくとも数十万人から貰えば結構な金額だ。 平民からの寄進はサダ個人への投げ銭だから軍に納める必要などないのに、あいつは全て第十一大隊への寄付として計上している。 北軍兵士としての任務を遂行した結果、崇められるようになったという理由で。


 金だけじゃない。 以前なら北の貴族に短期間土地を借用したいと頼んでも簡単にうんとは言ってもらえなかった。 ところが今ではこちらから頼む前に、演習をなさりたいのでは、土地をお貸しします、と差し出して来る。 第十一との共同演習であれば、という条件付きだが、別にサダ本人が演習に参加していなくてもいい。 部下の誰かが顔を出していれば。 どの大隊もこの恩恵には大なり小なり助けられているからサダ様々だ。

 おまけに第十一は大峡谷内での死亡事故を激減させた。 おかげで大峡谷が安全な観光地である事が知られ、観光客が押し寄せている。 これは軍への貢献として評価されてはいないが、中々助けられているのだ。 観光客が地元に落とす金は街を豊かにし、街が豊かになれば軍の倉庫からの盗みや横流しが減るから。

 加えて第十一は統制の取れた規律で知られている。 兵士の多くが無学文盲で皇国語を話さないトタロエナ族出身にも拘らず。 トタロエナ族にとってサダは救世主と言うか、奇跡をもたらす英雄らしい。 領主なのに税金を全く徴収していない事も人気の一因だろう。 サダが喧嘩をするなと言えば誰も喧嘩しない。 サダが盗むなと言えば誰も盗まない。


 サダを大隊長にするために作られた大隊という特殊事情はあるにしても、大隊長としての職責を立派に果たしているのだ。 それは補佐がしっかりしているからでもあるが、ならマッギニスを副将軍補佐に昇進させればいいだけの話。

 副将軍の直属兵士はいると聞いているが、誰が副将軍直属かは明らかにされておらず、直属兵士用の宿舎や訓練所はないし、何をしているのか誰も知らない。 副将軍執務用の第二庁舎でサダが毎日弓の稽古だけしていようと文句が言えるのは将軍だけ。 サダファンのモンドー将軍が文句を言うとは思えない。

 偶に公式の席に現れ、兵や群集に向かって手を振るくらいはやってもらうとしても、それは今だってやっている。 副将軍に就任したら新兵に逆戻りのお気楽人生とまでは言わないが、仕事は大隊長時代より楽になるはず。

 なによりサダの昇進に外野から文句が来る心配は全くない。 文句を言う奴がいるとしたらサダの直属という身分を失った元部下くらいだろう。 それは組織上、第十一を副将軍直属部隊にする事で解決する。


 唯一問題があるとすれば副将軍は諜報機関と軍内秘密警察を指揮しているという点だ。

 秘密? それ何? 食べれるの? のサダが秘密警察の長? それはさすがにまずい。 実務はマッギニスがやるとしても秘密と言う秘密をトップが次々漏らしたら士気だって地に落ちる。 

 例えば誰が副将軍直属か。 それを知っているのはジンヤ副将軍以外では、モンドー将軍、カルア将軍補佐、アーリー副将軍補佐と他に何人かいる副将軍補佐数名のみと聞いている。 大隊長でさえ自分の部下の誰が副将軍直属なのか知らされていない。

 しかしサダならそう言われていても廊下で部下に会ったら部下への返礼をするんじゃないか? でなきゃ、誰それは副将軍の部下でしょう、とカマをかけられ、違います、とか、はい、そうです、とバカ正直に答えそうだ。

 今何の調査をしているんですか、のような直球にさえ、何々です、とありのままを答えるかもしれない。 そんな性格を利用され、秘密を漏らす奴が現れたらどうする? 漏洩した奴を捕まえたとしても、副将軍がそうおっしゃったんです、と言い逃れされるだろう。 サダが、そんな事言ってない、と言った所で誰も信じないような気がする。

 だが今、俺が直面している問題はそこじゃない。 問題は、なぜサダと全く同じ事を言っても言ったのが俺だと通用しないのか、だ。


「では、タケオ大隊長。 副将軍を受けてくれ」

「お断り致します」

「そうか。 ところでポクソン補佐の軍葬だが。 施主はお前だ」

「お待ち下さい。 軍葬の場合、施主は将軍か副将軍が務めるものでは?」

「そうなる事がほとんど、ではあるな」

「私がやれば世間は次期副将軍は私と誤解するでしょう」

「何を今更。 世間の誤解など気になる男でもあるまいし」

「この場合、気にしない訳にはまいりません。 副将軍は只今はっきりお断り申し上げました。 副将軍をやらされるのなら軍には戻りません」


 モンドー将軍とカルア補佐が一瞬目線を交わす。 カルア補佐が進言する。

「将軍。 ここは一つ、タケオ大隊長の気持ちをお考え下さい。 副将軍となれば剣を振り回していればよいと言う訳には参りません。 やり慣れぬ仕事を覚える為に稽古時間が大幅に削られる事が予想されるだけに、やる気になどなれないのでしょう」

「仕事はやっている内に慣れる。 今日慣れなくとも明日。 でなければ明後日。 そういうものだ。 ジンヤとて最初から副将軍をし慣れていた訳ではない」

「向き不向きもございます。 そもそもやる気のない者に出来る仕事ではありません」

「ふむ。 急いては事をし損じるとも言う。 こう見えても私は気が長い。 タケオがその気になるまで待とう。 それまで貴賓室でゆっくり休むといい」

「その気になるまで、とは。 その気にならなかったら、一体いつ」

 帰れるのですか、と聞こうとした俺の質問は将軍に遮られた。

「では、ヴィジャヤン。 タケオがその気になるまで一緒にいろ」

「えっ。 俺だけ先に家に帰っちゃだめなんですか?」

「次期副将軍が誰かは秘中の秘。 本人にやる気がないのに下馬評が先走っては纏まる話も纏まらない。 お前に言ったら全軍に言ったも同然だ」

「そんなっ。 絶対に言いません! 誰にも」

「だだ漏れ前科百犯に、今度こそ言いません、と誓われてもな。 これは北軍の将来が懸かっている人事。 下馬評が先走った挙句、道を誤った大隊長の先例もある。 私としては慎重にならざるを得ない。 分かってくれ」

「で、でも。 師範て、結構頑固ですよ。 簡単にはうんと言わないんじゃ」

「ではお前が副将軍をやるか? それなら今日帰っていいぞ。 私としてはどちらが副将軍をやろうと構わん」

「そんな。 俺にはやれない事くらい、皆さん分かっているでしょう?」

 サダがそう言うと、将軍は気味が悪くなる程にこやかな顔を俺に向けた。

「タケオ、どうだ? ヴィジャヤンに副将軍は務まらないと思うか」

「立派に務まると思います」

「聞いたか、ヴィジャヤン。 皆さんの中にタケオは含まれていない。 かく言う私とカルアも含まれていない訳だが、お前とは同じ釜の飯を食べた仲。 この先の付き合いもある。 ここで重箱の隅を突くような真似はすまい。 タケオさえ皆さんの中に含まれたら他に誰も含まれていなくとも不問に付す。

 と言う訳で。 副将軍を受けるよう、タケオを説得しろ」

「な、なんで俺が」

「お前以外に誰がタケオに圧を掛けられる」

「師範に圧を掛ける? そんなの俺にだって出来ません」

「「はっはっはっ」」

 将軍とカルア補佐、二人で同時に笑い始める。 因みに将軍はともかく、カルア補佐が声を出して笑ったのを見たのは今日が初めてだ。 人の噂でカルア補佐が笑ったと聞いた事はあるが、軍内には眉唾物の噂がよく流れるから俺は信じていなかった。

 この笑いだって随分嘘臭い。 将軍とカルア補佐が事前に、ここで声を出して笑おう、と打ち合わせしていたかのようで。


 楽しげな笑いとは裏腹に、サダに向ける将軍の瞳は真剣そのもの。

「面白い事を言う奴だ。 復讐で頭に血が上った猛虎を手懐けておいて。 事件が上首尾で解決しているのも、二人が生きて帰ったのも、タケオが斬り合いを始める前にお前が説得したからだろうに」

「説得なんて俺は何も」

「この期に及んで遠慮や謙遜はいらん。 二人は毒殺事件の解明にクポトラデルへ行き、真相を糾明して戻った。 この覚書を見る限りクポトラデル側もその解釈を事実と認めており、故にこちらの要求を呑む事に合意し、開戦の恐れはない。 そう理解して間違いないな?」

「そ、それは、で、でも」

「タケオが頑固である事は百も承知。 だがポクソン亡き後、お前以外にタケオに圧を掛けられる者はいないのもまた事実。 それとも後は野となれ山となれ、で近衛、又は他軍への移籍を陛下に陳情するか?」

「そんな事、一言も言ってないじゃないですか」

「陳情するのはただだからな。 実現するかしないかはともかく。 しかしそうなると領地が大峡谷では少々不便か。 北軍の管轄地を通らなければどこへも行けん。 では移籍と転封、同時に陳情せねば、なあ?」


 将軍の脅しに心底びびったサダは目で俺に縋る。 大峡谷に閉じ込めるとか、移籍や転封なんぞ全部こけ脅しに決まっているのに。

 確かに将軍ならやろうと思えばやれない事じゃない。 とは言え、サダは陛下の寵が厚い国民の英雄であり、準大公だ。 いつまでも通せんぼが通用するものか。 それに移籍先がどこであろうとサダの取り合いになる。 それを考えたら陛下がお許しになるとは思えない。

 そんな事も言われなきゃ分からないで副将軍をやる気か、とサダに向かって言いそうになったが、そんな事を言えば、だから副将軍なんかやれないと言ってるでしょ、と言い返される。

 サダを一目見ただけで脅しが効いていると分かるのに、将軍は念には念のダメ押しをしてきた。

「後で紙と筆を届ける。 陛下へのお手紙となると細部が重要だ。 北方伯の家紋入りの紙を使い、準大公として出すか。 或いは北軍の公式用紙を使い、大隊長として出すか。 決めてから書くように。

 また、誤字脱字があっては後々面倒。 言葉遣いが不適切で思わぬ結果を招く事もある。 その点に関しては安心しろ。 私が校閲してやる。 配達もな。 勿論手紙の内容は、このモンドー、天に誓って墓場へ持って行くつもりだ」


 サダは視線を泳がせ、お先真っ暗と言わんばかり。 このバカが。

 見え透いた嘘はお止め下さい、と将軍に向かって言いそうになったが、サダの為に頼まれてもいない助け舟を出してやる気にはなれない。 どうせ最後はサダの望み通りになる。 それがどれ程難しい、前例のない望みであろうと。 本人は何もしなくとも周りが実現に向けて動くから。

 そう言う意味ではサダは人の上に立つ事に向いている。 今回だってサダが副将軍になる事を望みさえすれば叶うのに。 あいつの望みは、副将軍になりたくない、だ。

 今まであいつが望んだ事は全て実現している事を考えると今回も例外ではないだろう。 それで話が終わるなら俺だって日和見を決め込む。 だが次の副将軍は世間から、副将軍になりたくてサダを騙し、蹴り落とした男、と呼ばれる運命だ。 そしてその運命が自分の上に降り掛かるとなると冗談じゃない。


 時が経てば世間の見方も変わると思うが、ジンヤ副将軍の退官は来年。 退官年齢を過ぎても現職であるトーマ大隊長の例はあるが、ジンヤ副将軍には無理だろう。 サダから聞いたが、メイレによると寿命が二年を切っているらしい。

 モンドー将軍の退官だって僅か三年後。 遠い未来の話じゃない。 針の筵に座る事になると知っていながら副将軍を受けたら、将軍職から逃げる訳にはいかなくなる。

 マッギニスに押し付けられるものなら押し付けるんだが。 あいつは賢い。 火中の栗を拾うような真似は絶対にしない。 副将軍はなんとしてもサダにやってもらわないと。


 カルア補佐は俺達十人全員を第一庁舎の貴賓室がある一角へと案内した。 そこに入るには鍵が付いた鉄柵を通らねばならない。 体のいい監獄とは思ったが、一番奥にある最高級貴賓室に案内された。

「ヴィジャヤン大隊長。 この一角には将軍の許可なしでは誰も出入り出来ないが弓の稽古をしたいだろう? 二階に大広間がある。 長辺が三十メートルしかないので物足りないと思うが、そこに的を用意した。 自由に使え。 後で食事の希望を聞きに給仕が来る。 三食の他に軽食、夜食など希望があれば言うように。

 これは皆の名札だ。 利用する部屋の扉の名札用フックに掛けておけ。 給仕の手間が省ける。 副将軍が決まったらそこにある呼び鈴を鳴らし、給仕に言付けろ。 やる気が出た、と」

 カルア補佐はそれだけ言うと退室した。

 マッギニスが自分の名札を掴み、サダに向かって一礼する。

「大隊長。 仕事が溜まっておりますので、これにて失礼させて戴きます」

 すると残りの奴らも自分の名札を掴んで一礼し、マッギニスに続く。 まるで最後の馬車に乗り遅れまいと焦る乗客のように。 一人になりたかったから従者のコシェバーが出て行くのは止めないが、なんとサダまで。

「おい、サダ、どこへ行く。 この貴賓室はお前用だろ」

「ここは師範が使って下さい。 いくら爵位は上だって自分の上官よりいい部屋に泊まるのは気が引けます」


 俺の忍耐力は自分が思うより向上していたらしい。 お前さえ断らなけりゃお前が上官だろ、と叫んだりはしなかった。 サダに飛びかかって首を絞めあげたりも。 それをやり始めたら自分を止められる自信はないし、ここには俺を止められる奴がいない。

 その時初めて俺はポクソン補佐がもういない事を痛感した。 今だけでなく、これからもずっと。

 目の前で死なれたんだ。 それは分かっていたが、自分もすぐ後を追う気でいたから特に何も感じなかった。 生きて帰れると分かった時点でも、帰ったらヨネとは離縁し、外国かどこか一人で旅に出るつもりでいたし。 北軍に戻ると答えた時でさえ、ポクソン補佐なしで大隊長を務めるとはどういう事か、本当に理解していたとは言えない。


 失ったものの大きさに天を仰ぐ。 胸を抉られるような痛みに膝を屈し、唇を噛んだ。

 ポクソン補佐。 なぜ俺を置いて逝った。

 脳裏にポクソン補佐が現れる。 ただ静かに何も語らない。 生前の彼のように。 俺が答えを欲しがっている時に限って沈黙を貫き通す。


 扉を叩く音がしたので洗面所へ行き、顔を洗う。 床には重厚な絨毯が敷き詰められており、涙の痕跡を悟られる心配はなかったが、手拭いで拭いておいた。


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― 新着の感想 ―
[気になる点] >復讐で頭に血が上った猛虎を手なづけておいて。   「手なづけ」ではなく「手なずけ(手懐け)」
2024/02/05 21:42 退会済み
管理
[良い点] だだ漏れ前科百犯  本作一番のパワーワード。
2024/02/05 21:40 退会済み
管理
[一言] 更新ありがとうございます。 ポクソン補佐が亡くなってしまっても 心のどこかで 生きていてくれるのでは?と諦められずに 思っていましたが、師範の慟哭を見て 実感してしまいました。 師であり…
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