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弓と剣  作者: 淳A
十剣
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十番目 6

 ゴラブチック参謀はどこにも寄り道せず、準大公一行を会議室らしき部屋へと案内した。 大きな扉を叩くと中から侍従らしき者が扉を開け、ゴラブチック参謀が中へ向かって深々と一礼する。

「陛下。 皇国よりヴィジャヤン準大公閣下が御到着なさいました。 緊急の御用件との事。 お人払いなさいますか?」

 会議中だったようで、十数名が着席している。 ハルサダル二世以下、全員が立ち上がった。

「準大公。 ようこそお越し下さった。 どうぞこちらへ。 御用件を伺いましょう。 ここに同席しているのは我が国の重臣。 信頼の置ける者達で問題解決の一助となるはず。 準大公が人払いを望まれるならそう致しますが」

「いえ、それは必要ありません。 着席して下さい。 私の随行員も立会人として同席してもよろしいですか?」

「勿論です」

「早速ですが。 貴国のヴァレーズ王太子殿下が北軍将軍を表敬訪問した事は皆様御存知かと存じます。 その際、手土産として自国産の葡萄酒を持参した事も御存知でしょうか?」

「はい。 閣議で決定された事項故、全員知っております」

「歓迎昼食会の席でその葡萄酒を一番最初に飲んだ者が亡くなりました。 この件に関し、皆様に三つの質問をさせて下さい。 どれも短く、はいかいいえで答えられるものばかり。 お手間は取らせません」

「陛下、」

 臣下の一人が発言しようとしたが、国王はそれを目で遮り、準大公に返答なさった。

「承知した。 では、まず私から」

「念の為、お答え下さる方のお名前とお役目を伺います」

「ハルサダル二世。 クポトラデル国王である」


 準大公は次の質問をなさった。

 葡萄酒に毒を入れたのはあなたですか。

 葡萄酒が毒入りであると知っていましたか。

 誰が毒を入れたか知っていますか。


 当然だが、国王以下全員がどれにも「いいえ」と答えた。 こんな質問、聞いた所で正直に答える者はいないだろう? 特務大隊長の警告をお忘れになったのか?

 ところが室内の重臣全員に聞き終わると準大公がおっしゃった。

「それでは労務大臣クレイアゼンと大僧正アユーアの両名を皇国での軍事裁判に召喚します」

 名指しされた二人は顔色を変えなかったが、国王が目を見開いた。

「準大公。 それは。 毒を盛った犯人はこの二人と糾弾している?」

「実際毒を盛った犯人は他にいると思いますが、この二人より上の立場の人は陛下と王太子殿下しかいないのでしょう? でも陛下と王太子殿下は毒入りであった事、誰が毒を入れたかを御存知ない。 ならば上から命じられた犯行ではありません。 主犯はこの二人のどちらか。 或いは共犯と考えるのが自然です。 主犯は一人だとしても、もう一人は犯行計画を知りながら止めなかった。 皇国法ではそれも犯罪となります」

「その糾弾の根拠は?」

「二番目と三番目の質問に嘘をつきました」

「なぜ嘘と分かる」

「なぜかは分かりません。 ただ分かるのです。 それだけでしたら今ここで証明する事も出来ます。 何かおっしゃって下さい。 それが嘘か本当か、申し上げます」


 室内に重くのしかかる沈黙を国王が破った。

「ノーイエン王朝最後の王は寺院が民を搾取していると考えていらした」

「本当です」

「それ故、寺院への課税、そして大僧正の任命権を国王とする事を企てた」

「本当です」

「それを事前に察知した前大僧正ウェイザーは民を扇動し、王と王族を殺害した」

「本当です」

 更に言葉を続けようとする国王を大僧正が遮る。

「王よ。 信仰を失いし者に王朝の礎は築けませぬぞ。 ノーイエンの二の舞を踏むおつもりか」

 ハルサダル二世が静かに返す。

「王朝の礎を築くのは民。 民を失えば王朝も失われるのは当然の帰結。 そして王が変わろうと国は存続するように、僧が変わろうと信仰は存続する。 それを信ずる民がいる限り。

 アユーア。 安んじて己の罪を悔い、皇国で刑に服せ」

「愚か者の言葉には従えぬ」

 大僧正は周囲が止める間もあればこそ、小さな錠剤を飲み込み、椅子から崩れ落ちた。 クレイアゼンは大僧正の方には見向きもせず、国王に向かって訊ねる。

「今更事実を告げる事に意味があるでしょうか。 過去は変えられず、死者は戻りません」

「意味はあろう。 過去の事実は未来への良き教訓。 たとえ己の命を救う役には立たなくとも。

 その選択は其方次第。 いずれを選ぶにしても、クレイアゼン。 クポトラデルの民は其方が起草した労働基準法によって助けられた。 王への忠誠はなかろうと国の礎を築いた其方の貢献。 私は忘れぬ」

「賢王に仕える機会を得たのは我が身の幸運。 それを長らえる事が出来なかったのは我が身の不徳」

 クレイアゼンはそう答え、錠剤を飲み込んだ。


 国王は準大公に向かって深く頭を下げた。

「今回の事件に関し、私は重大な責任を感じている。 北軍将軍へ深甚なる謝罪をお伝え戴きたい。 犠牲者への賠償として何をお望みか」

 準大公はお側のタケオ殿に小声でお訊ねになった。

「何だったら師範の気が済みますか」

 その御質問には返答なさらず、タケオ殿は特務大隊長へ向かっておっしゃった。

「任せる」


 それを受けて特務大隊長が国王に向かって告げた。

「皇国北軍将軍モンドーの要求は以下の通り。

 一つ。 クポトラデルより贈られた葡萄酒による毒殺を「北軍将軍暗殺事件」と呼ぶ。

 一つ。 当該事件を未然に防げなかった事に対するクポトラデル国王による真摯なる謝罪。

 一つ。 当該事件の真相の徹底的究明。 これには首謀者、幇助者の断罪のみならず、原因、因果関係の究明を含む。

 一つ。 首謀者の死亡が確認された為、身柄の引き渡しは要求しない。 だがクポトラデル王太子ヴァレーズは首謀者を監督する義務の一端を担うと判断する。 その不履行により王太子の身柄を無期限に拘束し、この拘束に要する諸費用は全てクポトラデルの負担とする。

 一つ。 犠牲者は皇王族の五親等である為、国使を皇国皇王陛下へ派遣し、謝罪する事。

 一つ。 当該事件に関する詳細の公表を禁ずる。

 一つ。 犠牲者への賠償は以下の項目の合計とする。

 犠牲者が生存していた場合、退官まで受け取るはずだった給金。 現職の給金に加え、昇進した場合の増額を含む。

 退官後の年金二十年間分。

 遺族への慰謝料として五千万ルーク。

 遺族に相続税が課せられた場合、クポトラデルが国庫へ支払う。

 軍葬費用はクポトラデルが北軍へ支払う。

 前述項目のいずれかに違反が認められた場合、クポトラデルは皇国に対し賠償合計金額の十倍を支払う。

 以上が皇国語とクポトラデル語で併記された書面を二通用意し、皇国特使にして準大公サダ・ヴィジャヤン、クポトラデル国国王ハルサダル二世、双方納得の上、署名する事」


 国王は目を閉じて一呼吸したが、居並ぶ重臣の誰にも相談せず、即答した。

「全て了承した」

 そして法務大臣命じた。

「ワージルダ。 書面の作成を任せる。 マッギニス特務大隊長と協議のうえ、調印日を決めよ」

「分かりました。 準大公御一行はいつまで滞在なさる御予定でしょう?」

 その質問に準大公が明るくお答えになる。

「この後何人か質問しなくてはいけませんが、それが終われば帰ります。 調印は明日でいいですよね? こういう事って早めにまとめればまとめるほど揉めないし」

 国王と法務大臣が顔を見合わせ、絶句した。 内心、俺も。 もし書面の翻訳をするのが俺一人なら一週間は欲しい。 読み書きには不自由していないが、法律用語なんて調べなきゃ分からない。

 法務大臣はごくんと唾を飲み込み、頷いた。

「マッギニス特務大隊長、お手数ですが条文を皇国語で書き留めて下さいますか。 それをクポトラデル語に翻訳させます」

 特務大隊長は軽く頷き、五分で書き終えた。 それを御覧になった準大公がそっと感嘆のため息を漏らす。

「きれいな字」

 そこですか、と危うく言いそうになったが堪えた。 確かにきれいな字だし、並外れた実務能力と言える。 噂には聞いていたが、それ以上だ。 しかしこの難事件を解決したのは特務大隊長ではない。 犯人を特定したのはどこからどう見ても賢くは見えない準大公だ。


 到着したその日に事件が解決するとは誰も、俺だけでなく、特務大隊長でさえ予想していたとは思えない。 俺に人を見る目がなかっただけ、と言われるかもしれないが、熱烈な準大公ファンでさえ準大公を賢いと言う人は俺の周りには一人もいなかった。

 フレンドリー、呑気、天然、おっちょこちょい、物覚えが悪い、空気が読めない、誤字脱字が多い、字が汚い、数字に弱い、世間知らず。 それと似たような事を言う人ならいくらでもいたが。 理路整然とか、嘘を見抜く洞察力があるだなんて一度も聞いた事がない。

 噂で聞いた事がないだけでなく、一緒に旅をして寝食を共にしてもそういう資質に恵まれた御方と感じた事はなかった。 ただの一度も。 ついでに言うなら、準大公をよく御存知の今回の随行員も世間と同じ評価をしていると感じた。 普通の人なら間違えそうもない事(矢筒に矢を入れたか)だって必ず確認し、あっと驚くような勘違い(王国は国王を反転させて強調した言葉)でも全く驚かず、冷静なフォローをしていたから。


 なのに本番で見せたこの手腕。 何がすごいって、相手に有無を言わせず自分に都合のいい結果を引き出す、あの交渉力だ。 王太子を人質に取られている小国の王が大国の要求を呑むのは分かる。 けれど復讐に燃えていたタケオ殿があっさり引き下がるとは思わなかった。

 今回の事件の解決は、クポトラデルがこちらの条件を呑むか否かより、その解決でタケオ殿の気が済むか済まないかにかかっていたと思う。 タケオ殿は死ぬ気だった。 本人から聞いた訳じゃないが、国境付近に着いて休憩している時、準大公がタマラ中隊長へそう愚痴っていらした。


「ほんと、師範たら。 華々しく討ち死にする事しか考えてないんだから。 嫌になっちゃう。 少しは残される人の気持ちを考えてくれたっていいのに。 後は野となれ山となれ、だもんな」

「師範がそうおっしゃいましたか」

「言われなくたって分かるよ。 見ただろ。 あの目のギラギラ。 国王にはまず俺に話をさせろ、とかさ。 話をする気なんてまるでないくせに」

「師範にとってポクソン補佐は部下と言うより師とも父とも仰ぐ御方でしたから。 それに剣舞を午前中、模範試合を午後としたのは偶然で、逆もあり得ました。 その場合毒殺されていたのは師範のはず」

「けど師範を失うのは北軍にとって大打撃、て事くらい俺に言われなくても分かりそうなもんだろ」

「しかしそれを言えば火に油。 ポクソン補佐を失うのは打撃じゃないと言う気か、となるでしょう」

「だよね。 あのギラギラ、将軍がクポトラデルに開戦すると約束したとしても消えなかったよ、きっと」

「下手人を成敗すれば師範の腹の虫も収まるのでは?」

「どうだろ? 俺は復讐したいと思うほど誰かを憎んだ事ないけど。 そういう経験した人が俺の知り合いにいて、教えてくれたんだ。 復讐相手が死んでも恨み辛みは少しも減らなかった、て。 でも自分の経験した事よりもっと辛い目にあった人を見た時、初めて自分の恨みを手放してもいいかと思えたんだと」

「師範の場合、それを待っていたら何年先の話になるか」

「うーん。 師範てさ、ああ見えて結構憐れみ深い所があるでしょ。 と言っても俺を憐れんでくれた事なんか今まで一回もな、あでででっ!」

「なんでお前を憐れむ必要がある? かわいそうなのは俺だっ! 俺!」

 いつの間にかタケオ殿が準大公を見下ろしていらした。 辺りは砂利だらけ。 ゴン、と鈍い音がするまで誰の足音も聞こえなかったのに。 それにいくら義兄とは言え、タケオ殿は今はただの平民だ。 準大公を殴っても許されるのか? まあ、お側のタマラ中隊長や離れてはいてもしっかり見えているはずのアラウジョ側近が何も言わないのだ。 俺が余計な口出しをするつもりはないが。


 それはともかく、準大公はあの場でタケオ殿の瞳に憐れみが浮かんだのを見たのではないか。 重臣に裏切られ、大僧正が自害した事で、更に危うい立場となったクポトラデル国王への。 その瞬間を逃さず、気が済む条件をお訊ねになったのだとしたら準大公は弓が上手いだけの御方ではない。

 世間では真の大隊長はマッギニス補佐で、ヴィジャヤン大隊長は単なるお飾りと信じている。 ヴィジャヤン大隊長が陛下のお気に入りなのもマッギニス補佐が作ったシナリオ、とか。 ヴィジャヤン大隊長がいずれ副将軍、そして将軍になったとしても、実際の指揮をするのはマッギニス補佐、と。

 実は俺も今までそう思っていた。 しかしこの鮮やかなお手並み。 そんじょそこらのお飾りに出来る芸当ではない。 思い返せば退官を決意なさった時も準大公は即座にお決めになった。 どうしたらいいとマッギニス補佐に聞いたり、顔色を窺ったりしていない。 あの御方なら副将軍や将軍になっても同じ感じで突っ走るだろう。 裏で操るなんて、やろうとしても間に合わないような気がする。


 それはそうだとしても。 別室に通され、尋問する被疑者を待っている間、準大公がお訊ねになった。

「ねえ、エットナー。 明日帰る前にどこかでお土産買っている暇、あると思う?」

 鮮やかなお手並みをお見せになったのはただの一回。 この手の御質問や冷や汗の出そうなお言葉なら日に三回はある。 一回もするなとは言わない。 せめて週一程度なら俺だって、世間の評価ほど当てにならないものはない、と言い切れるのに。

 とは言え、十番目の随行員に過ぎない俺に実際の準大公はどんな御方かと聞いて来る者はいないが。


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― 新着の感想 ―
[一言] 完結が近いようで、嬉しいような寂しいような不思議な気持ちです。いつも読みごたえのあるお話をありがとうございます。 サダたちの世界の宗教でこれが正解かわかりませんが、 ポクソン補佐のご冥福を…
[一言] 楽しく、嬉しく、心ウキウキ、続き待ってます♪♪。      
[良い点] ここ数年の中で1番の小説 閑話がここまで面白いのは初めて [一言] 更新楽しみにしています
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