悪い奴 デュエインの話
道場で珍しく師範が稽古前に話しかけてきた。
「よお、デュエイン。 お前、ワルなんだってなあ。 道場でぶちのめしてやってくれっていろんな奴からお願いされたぞお」
微笑みなんぞとはハナから無縁の猛虎だが、師範が凄んだ時の迫力はまた格別だ。「ともびと」の発行は今日だからある程度のしごきは覚悟していたが。
俺の方が年上とか、全然関係ない。 ぶちのめすって言ったらきちんとぶちのめす御方だ。 始めに言っておいてあげたんだから感謝しろよ、と言わんばかりの脅しに、心臓に毛が生えていると言われる俺でさえ背筋に寒気が走り、つい吃った。
「し、師範。 そ、それはないでしょう? 俺がタミ一筋って、師範もよく御存知でしょうが」
「知らねえなあ。 お前が『雪まろげ』の顔だって事も知らなかったしよお」
稽古前だというのに俺の背中に冷たい汗が伝い始める。 師範は半殺しの稽古を始める前、微かに語尾が伸びるのだ。 気のせいか? 師範の目が獲物を見つけた喜びで輝いているような。
「か、顔って。 婚約前に、たまーに遊んだぐらいで。 月イチとか。 最後に行ったの、去年の秋だし」
「へえ。 秋、ねえ。 軍対前のしごきの真っ最中に、そんなもんに行く元気があったんだあ」
「え? あ、いや。 そ、それは」
ひーー、しまったと思ったが、時既に遅し。
「しごきが足りなかったみてえだなあ、デューエーイーンー」
合掌。
後でウェイドが気の毒そうな顔で教えてくれたが、食堂でのやりとりはあっという間に広がり、「ともびと」が発行される前から俺は北軍の悪い奴の代名詞となっていたんだと。
言っておくが、俺は女を泣かせた事や騙した事なんて一度もない。 遊びと割り切って付き合う相手とは向こうも納得しているんじゃなきゃ声をかける事さえなかった。 誰と比べたって真面目とまでは言わないが、間違っても悪い奴と呼ばれるような事はしていない。 それは百剣ならみんな知っている。 なのになぜそんな噂が広がったのか。
どうやら「若に悪い遊びを教えようとした奴」が、いつの間にか「悪い奴」に短縮された、という事らしい。 それに気づいたからと言って俺にどうしようがある? 一応若の従者に愚痴は零したが、あいつの書いた事には嘘も誇張もない。 まんまだ。 走り去る若の背中を見ながらカルア将軍補佐がげらげら笑った事までは書いてなかったが。
改めて考えてみれば、そっちの方が重大ニュースだろ? 入隊して十二年。 将軍補佐が笑ったのを見たのはあの時が初めてだ。 古参の奴らだって全員たまげていたじゃないか。 来年退役のカウロンなんか涙ぐんでいたぞ。 あの世でみんなに自慢するネタが出来たって。
これは「若便り」だ。 いかに歴史的な出来事だろうと将軍補佐はうぶな新兵を笑っただけ。 若でなくとも笑ったんだから載せられない、と言うのか?
それはおかしい。 普段笑った事がないので有名な将軍補佐だ。 笑わせたのが若でなけりゃ笑うなんて一生あり得なかった。 誓ってもいい。 て事は、これも若の偉業の一つだろ。
普段笑わないのは北軍みたいな所に笑いの種なんてないから、 だと?
馬鹿を言っちゃ困る。 毎冬暖かい所から来た連中がころころ転がるんだぜ。 笑うなという方が無茶だ。 ぶかぶかのブーツを買ったために転んで、その拍子にすぽっと抜けたブーツが頭にぱふっとかぶさっちゃった奴を見ても笑わなかった人なんだぞ? 他の見ていた奴らなんか笑い死ぬかと思ったぐらいなのに。 いや、見ていなくてさえキューバリのあだ名、「烏帽子」の由来を聞いてひーひー笑わなかった奴がいると思うのか?
それはともかく若があんなにうぶとは知らなかった。 伯爵家の正嫡子なら女なんてよりどりみどりと思っていたんだ。 いや、よりどりみどりである事はあるんだろう。 縁談だって雨のように降っていると聞いたし。 全部断っているだけで。 なんでも独身主義らしい。 昔女で痛い目にあったのかもな。
若には悪い事をしちまった。 飯を残した事のない若が食べ終わる前に走り去った所を見ると、よっぽど恥ずかしかったんだろう。 一言謝っておこうと思って若の所に行った。
「もう、先輩、勘弁して下さいよー。 だけど気にしていません。 謝る事なんて何もないです」
若本人がそう笑いながら言ったんだ。 考えている事がまるっと顔に出る奴だ。 俺に気を遣って嘘をついたとかじゃない。 あいつが気にしてないと言ったら本当に気にしてないんだ。 本人が気にしてないのにどうして周りが気にする必要がある?
上官や同僚、百剣の面々には散々からかわれたが、若の事をよく知っているから本気で俺を責めたりしていない。 知らない奴らに陰でワルと噂されるくらい大した実害はないだろうと思っていた。
それは甘かった。 火のない所に立った煙を消すのは火を消すよりも難しい。
「マン君。 ちょっと、いいかね?」
「お義父さん、どうしました?」
タミとは昇進後、結婚する。 新居も買ったし、義父となるダン・ジャックの事は既にお義父さんと呼んでいる。
「その、なんだ」
言いづらそうな顔を見てピンときた。
「俺がワルだって噂の事ですか?」
「い、いや。 ま、その。 家のやつが心配してな。 そのう、べ、別に疑っているとか、そういう事ではなくてだな」
「タミも心配していますか?」
「あ。 う、えーと」
義父の目が泳いでいる。 これは、まずい。
俺は急いで半休を取り、タミの家に駆けつけた。 そして義母とタミの前で、タミと付き合って以来悪い事なんて何もしていない、今後もするつもりはない、と改めて誓った。
ほんとにもう、泣きたくなったぜ。 軍対も終わり、これで晴れて地獄の稽古から解放されると思っていたら、あれを上回る稽古に次ぐ稽古。 毎日ふらふらだ。 そのせいでタミには、釣った魚には餌をやらないって言う訳、となじられたし。
こんな疲労困憊の状態で一体どんな悪さが出来るというんだ? それでも俺は悪い奴なのか?




