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弓と剣  作者: 淳A
十剣
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十番目 3

「クポトラデル、てどんな国?」

 無邪気なお顔で準大公がお訊ねになる。 出発したばかりでまだ準大公の事をよく知らない頃だった為、俺は緊張しながら答えた。

「十歳の時に国を出て以来訪れた事は一度もなく、ほとんどは本で学んだ事ですが、知っている限りでお答えします。 気候や民族についての御質問でしょうか?」

「あの、礼儀にうるさい国だったりする?」

「礼儀、でございますか。 それは、どうでしょう。 私の場合どれも通訳に必要だから覚えたもので、軍事関係が中心です。 宮廷内儀礼について学んだ訳ではないので確かではありませんが、皇国宮廷内の礼儀に比べたらうるさくないのでは。

 クポトラデルには皇国の儀礼用語を一対一で翻訳出来る程の数はありません。 相手や機会でお辞儀の種類が変化する訳でもないですし。 宮廷内では礼儀にうるさいのかもしれませんが、皇国の儀礼庁に当たる役所がなく、役所がないなら取り締まる役人もいない訳で。 処罰されたとしてもそう厳しくはないと思います」

「挨拶抜きで、葡萄酒に毒を入れたのはあなたですか、と聞いたら、礼儀知らずと思われて答えてもらえないとか、ない?」


 何をどう考えたらそういう質問に辿り着くのか。 凡人の俺には想像もつかない。 だが質問である以上、答えねばならないのが困る。

 その時俺達は駐竜場で休憩していた。 軽食が配られ、上下の別なく一緒に食べていたから準大公の御質問は全員の耳に届いている。 どう答えれば御納得戴け、次の御質問に繋がらずに済むのか。 皆様俺よりずっとよく御存知のはずなのに誰も助け舟を出してくれない。 準大公の「通訳」として、フォローのタマラと密かに呼ばれているタマラ中隊長でさえ卵サンドをゆっくり咀嚼なさっていらっしゃる。 とてもゆっくり。 おそらく休憩が終わるまで中隊長の咀嚼が終わる事はないだろう。


 しょうがないので自分で考えられる限り最も無難な答えを絞り出した。

「国王陛下へお会いする時はマッギニス特務大隊長がまず名乗り、準大公閣下を御紹介なさるかと存じます。 すると国王陛下、またはお付き侍従が、この予告なき御訪問の理由をお訊ねになるのでは。 そこで何があったかを御説明なさり、次に御質問となるかと存じます。 事件が事件ですし、どの質問にも正直に答えてもらえるかは分かりませんが、それは礼儀を知っているかいないかとは何の関係もないような気が致します」

「そうか。 まあ、そうだよね。 じゃあさ、初めまして、をクポトラデル語でなんて言うの? それはクポトラデル語で言った方が印象がいいでしょ?」


 これにどう答えるべきなのか。 日常会話の初めましてなら短い。 だが陛下への御挨拶となると、お初にお目に掛かる機会を頂戴し、恐悦至極に存じます、だ。 これをクポトラデル語で言うと、かなり長くて複雑な発音の連続となる。 皇国語の挨拶でさえ頻繁に間違える事で有名な御方に安易に教え、本番で言い間違えたらどうする?

 それにクポトラデル語では音の上げ下げ、伸ばし方によって意味が全く違う。 理解不能な間違いだったら誤魔化しようもあるが、「恐悦至極」が「慚愧せよ」になっていたら、発音を間違えたんです、わざとじゃありません、で済むか? 訪問の目的が目的なだけに。

 だからって準大公閣下に、間違えないと約束して下さい、なんて言える訳がない。 通訳として必要とされている間は生かされても帰国してから不敬罪で首が飛ぶだろう?


 どう答えたら教えずに済むか悩んでいると、特務大隊長が発言して下さった。

「閣下。 クポトラデルの国王、ハルサダル二世は流暢ではありませんが皇国語が話せますので、クポトラデル語での御挨拶は御無用かと存じます」

「へえ。 なら話は早いか。 でもそれならなぜエットナーを連れて来たの?」

「国王に面会を申し込んでも会えるとは限りません。 王太子が出発し、我々が王城へ到着するまで約二ヶ月の月日が流れており、その間にハルサダル二世は暗殺され、新しい国王が戴冠している可能性もございます。 毒入り葡萄酒は王太子を狙っていたのかもしれません。 政変や内乱はなくてもハルサダル二世が今回の交渉相手となるか否かはまた別問題。 国王が交渉して決裂したら国王の退位問題ともなりかねない為、最初の交渉には国王の代理が来ると考えられます。 国王以外であった場合、皇国語は通じないでしょう。

 もっとも皇国語が話せる下手人だったとしても、毒を入れたのはあなたですか、と聞いて、はい、と答えるでしょうか。 それは言葉が通じる通じないの問題ではないという事、お心の隅にお留置き下さいますように」


 準大公は素直に頷いていらしたが、だから大丈夫、とはとても思えなかった。 面と向かって毒を入れましたか、とお聞きにならなくとも他の何か。 もっとまずい御質問をなさるような気がしてならない。

 それをそのまま訳してもいいのか? その場で誰かに許可を取っている暇などないだろうし、いいか悪いか今の内に聞いておきたいが。 誰に聞けばいい?

 序列としては特務大隊長だろう。 しかしあの御方に聞いても、場合に応じて自分で判断せよ、と言われて終わりのような気がする。 自分で判断するのはいいが、その判断が間違っていたら? その場では見逃されても帰国と同時に首が飛ぶのでは? そう考えただけで今晩眠れそうもない。


 ともかく、これ以上答えに困る質問をされたくなくて、次の休憩では厠に逃げた。 呼ばれたら行かなくてはならないが、準大公は厠に入っている者を呼び出したりはなさらない。 そろそろ出発かと思って出た途端、そこに準大公が立っていらした。 そして最初の予想外を遥かに上回る爆弾を落とされる。

「エットナーは両親がクポトラデル人と言ってたよね」

「左様でございます」

「耳が尖ってないけど、」

 ギョッとした。 耳が尖っているクポトラデル人とお会いになった事がある? 耳が尖っているのは、少なくともクポトラデル国内では、二十数年前に滅ぼされたノーイエン王朝の直系男子だけだ。

 俺が国を出たのは内戦が始まる少し前で、出国してからは親戚友人の誰とも連絡は付かなかった。 だから何がどうなったのか詳しくは知らない。 だが噂では王族は一人残さず殺された事になっている。 内戦前でもクポトラデル王族が外国人に会う事は滅多になかった。 今年二十三歳の準大公に耳の尖ったクポトラデル人と会う機会なんて一度もなかったはず。


 急に準大公のお言葉が途切れたのでお口元を見ると唇に氷が張り付いている。 これが噂に聞く「氷の口封じ」か。 てっきり言葉の綾だとばかり思っていた。 まさか本物の氷が使われていたとは。

 さぞかし冷たかろう。 どんどん血の気を失っていく唇を見るまでもない。 準大公の瞳に浮かぶ涙を見た時、心臓をぎゅっと掴まれたような気がした。

 氷を張り付けた当の本人は謝るでもなく、済まなそうでもなく。 いつもと変わらない口調でおっしゃる。

「閣下。 身体的特徴に関して言及する事は非礼であると御理解下さい。 これはその場にいない人の特徴を含みます。 また、クポトラデルに限りません。 世界各国共通の礼儀と御理解下さって結構です。

 優勝した剣士の鍛えあげられた体を賞賛するとか、太っている事が富裕の証であり、痩せている人にも太りましたね、と挨拶する事が正しい礼儀である国など、例外もないとは申しませんが。 稀なので、その時は事前にお知らせ致します」

 準大公はこくこく何度も首を縦に振り、氷を溶かそうとお手元の水筒を傾けた。 が、一滴も落ちて来ない。 思わず自分の水筒を差し出しそうになったが、準大公のオムツを替えた事が自慢のタマラ中隊長がすぐお隣に水筒を手にして立っている。 準大公の執事補佐、幼馴染、かかりつけ医師と薬師も。

 単身での復讐を邪魔され、内心面白くないであろうタケオ殿の知らんぷりには驚かないが、準大公の為なら火の中水の中の皆様が代わりの水筒を差し出そうとしていない。 きっと理由があるのだろう。 それが何かは推測出来ないが、単なる通訳の俺が出しゃばった真似をするのは気が引けた。


 それより。 耳が尖ってないけど、に続いて何をおっしゃろうとしたのか。 いずれにしても準大公は耳が尖ったクポトラデル人がいる事を御存知な訳だ。 いつ、どこで、誰にお会いになった?

 肖像画を御覧になったとは思えない。 クポトラデルには肖像画を描かれると魂が抜き取られ、長生きしないという迷信がある。 だから誕生日毎に肖像画を描かせるとか、見合いでは肖像画の交換をするだけで本人が会うのは結婚式当日などの習慣はない。

 画家はいるから死後、肖像画が描かれる事はあったかもしれないが、絵画や美術品が収納されていた宝物館は焼き払われているし、滅亡した王族の肖像画を持っているクポトラデル人など一人もいないだろう。 そんな物を所有していると世間に知られたら誰からどういう目に遭わされるか分かったものではないのだから。 もし肖像画を御覧になったのだとしたら、一体誰が所蔵していた誰の肖像画だったのか?

 それに準大公は絵画や芸術の類に興味のない御方だ。 どう考えても実物にお会いになった可能性の方が高い。 一体、誰とお会いになったのか。 まさか、その方は今も御存命?

 それを特務大隊長がいる前で、いや、たとえいなくても、準大公に聞く気にはなれないが。 滅びた王朝の生き残りがいるかいないか、俺にとってはどうでもいい。 張り付いた氷がどれくらいで解けるのか、自分の唇で知りたい訳でもない。


 だが今の内に準大公にクポトラデルの内政事情と歴史的背景を説明しておくべきではないか? 今回の目的は毒殺事件の真相の究明であって、滅ぼされた王朝の復興ではない。 それは言われなくとも分かっているが、過去に巻き込まれず事件を解決する事が出来るのだろうか。 しかし説明した所で御理解戴けなかったら?


 ノーイエン王朝時代、いい思いをしていたのは一握りの上流階級で、それ以外は飢えていた。 皇国より温暖な気候で民は勤勉。 何か理由がなければ飢えるはずはないのに。

 今は道端で飢えている人を見掛ける事はないと聞いている。 と言う事は、現国王の施政はそう悪くはないのだろう。 だが飢えていない民に不満はなくても土地を取り上げられた地主達に不満は大有りだ。 彼らの中にはノーイエン時代を懐かしむ者も多いはず。 現国王暗殺未遂事件が後を絶たないという噂を聞いたが、それは以前美味い汁を吸っていた特権階級の不満の表れではないのか。


 不満分子の表向きの理由は、現国王ハルサダル二世の父であり、ノーイエン王朝時代陸軍大将だったスペルック・ハルサダルの裏切りとなっている。 但し、ノーイエンの滅亡はハルサダル将軍のせいではない。 ノーイエン王朝は反乱軍によって倒された。 その反乱軍のトップを簒奪者として掃討したのがハルサダル将軍で、その功績により戴冠し、建てたのがハルサダル王朝だ。

 ところが地主階級はハルサダル一世は勿論、現国王ハルサダル二世にも忠誠を誓っていない。 と言うのもハルサダル将軍には宮殿の警護兵全員に退去命令を出し、反乱軍が国王と王族を次々殺していくのを傍観していたという噂があって。 それが事実なら明らかに背信行為だ。

 ハルサダル一世は、退去命令を出したのは内戦を話し合いで未然に防ごうとしたノーイエン王であり、反乱の黒幕説を事実無根と否定したが。 ハルサダル王朝が建って二十数年が経つ今でもその噂は消えず、特務大隊長がおっしゃったような王朝の変遷がいつ起こってもおかしくはない政情だ。

 しかしノーイエンの生き残りを戴冠させ、自分は摂政として政治の実権を握れば国内の不満分子を抑えやすくなる。 もし生き残りがいるとなれば、現国王とその周辺はそれこそ草の根を分けても探し出そうとするのではないか。


 そんな背景を質問されてもいないのに申し上げて、準大公が国王派か地主派、どちらかの肩を持ち、内戦に拍車をかけたらどうする? よかれと思って説明した、なんて俺の弁解は誰にも通用しないだろう。

 それでなくても復讐に燃えたタケオ殿が何をなさるか。 タケオ殿は下手人が国王だろうと誰だろうと容赦しないだろう。 だがクポトラデルの警備兵がそれを黙って見ているはずはない。 いくら稀代の剣士だろうと数には負ける。 それに巻き込まれて準大公まで殺されたら皇王陛下のお怒りはいかばかりか。 陛下がクポトラデルとの開戦を決断なさったら特務大隊長の手腕を以てしても収拾が付けられないのでは? そこまで拗れる前に俺は死んでいると思うが。


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― 新着の感想 ―
[一言] ああ、あの人の出自がここで明らかに…… サダの暴走で向こうの国が大混乱に陥るか?w
[一言] 更新をありがとうございます。 天然発言で エットナーさんを困惑させている若の様子は相変わらずで、彼を気の毒に思いながらも、まるで平穏であるかのように錯覚してしまいました。 ルカ義兄上のこ…
[一言] サダの豪運をもってしても、不幸が訪れる ただ、暗躍や暗殺は、今後も付きまといそうだなぁ
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