十番目 1 エットナーの話
「よっ! 十剣!」
俺のあだ名は十剣だ。 百剣どころか剣士でさえないのに。
まあ、クポトラデル王国に行った決死隊の末席に連なってはいる。 但し、だからこのあだ名になったと言うのは正確じゃない。 帰国後、「北軍将軍暗殺事件」を解決した話を元に芝居が上演され、その演目が「北軍十剣士」だったんだ。
あの時弓と剣のお二人に従った現役北軍兵士は、特務大隊長に任命され、帰国後大隊長に昇進したマッギニス大隊長補佐。 アラウジョ大隊長側近。 帰国後大隊長補佐に昇進したタマラ中隊長。 医師のメイレ。 薬師のリスメイヤー。 そして俺の合計六名。 出発当日退官した弓と剣のお二人と、元北軍兵でタケオ大隊長の従者であるゼン・コシェバー、そして準大公家執事補佐ダーネソンも含めれば十人になるが、十剣士どころか現役北軍剣士はたったの二人だ。 退役を含めても三人しかいない。
お二人の退官は世間に公表されなかったとは言え、タマラ中隊長は百剣だが上位十番内に入った事はないし、アラウジョ大隊長側近は百剣に入れる程の腕前と聞いているが、百剣ではない。 タケオ殿一人で剣士十人分とは言えるとしても。
要するに事実とは何の関係もない理由でこの題目が決められているのだ。 後で脚本家が教えてくれた経緯によると。
「北軍二剣士」では迫力に欠ける。 又、ヴィジャヤン準大公を剣士と思う観客は一人もいないし、主役がタイトルに入っていないのはまずい。 それに現役剣士のお二人(タマラ中隊長とアラウジョ側近)はどちらも舞台では大してセリフがない脇役だ。 脇役がなぜ演目になっているのか、と観客が混乱する。
「三剣士」なら事実。 とは言え、そこに北軍を付けた途端、嘘が混じる。 かと言って北軍は外したくない。
「弓と剣」は無難と言えば無難だが、本、玩具、雑誌、服、靴、菓子類、土産物と、既に様々な商品の名前やデザインの一部に使われている。 おまけに「弓と剣、その出会い」という芝居が上演されていて、この演目がそれの後日談か再演と勘違いされたくない。
「北軍十剣士」だと退役軍人、剣士ではない人まで数えているが、数字の語呂がいい。 飛竜を操縦したダンホフの操縦士と道案内人は北軍ではないから数に入っていない事を気にする観客はいない。
つまり十剣士と剣の腕前には何の関係もない。 それは舞台を一度も見た事がない人にだって分かるはずだ。 無名の俺はともかく、他の九人は決死隊のメンバーに選ばれる以前から世間で知らない者はいない有名人で、名前、経歴、職業、出自は勿論、剣の腕前がどの程度なのか、みんなよく知っている。 ただ十番目の剣士の役名がエットナーで。 しかもそいつの軍での役割から出自まで、俺にそっくりなのだ。
勝手に俺の名前を使うな、と言えたらいいが。 実は脚本家が事件について色々質問しに来て。 どれにも知らぬ存ぜぬを通したが、気を悪くするでもなく、一杯奢らせてくれと言う。 そいつが結構面白い奴で人をおだてるのがうまい。 いい気分にされて、芝居に実名を使ってもいいかと聞かれた時、つい、いいぜ、と言ってしまった。
俺は舞台なんぞに全く興味はない。 知り合いにも見た事がある奴なんて一人もいなかった。 面白くない出来だったら舞台好きだって見に行きやしない。 見た所でどんな実害がある? どうせ俺は端役だろ。 と思ったのが間違いの元。
招待券をもらったし、一回くらい見ておけばよかったんだが。 初日の辺りは残業続きで出掛ける気になれず、招待券は上官にあげた。 上官の目の輝きを見ると前評判は上々だったのだろう。 中々の出来栄えだったらしく、再演が決まった事も聞いた。
再演も見に行く気にはなれなかったし、ましてや自分に実害が出るとは思っていなかった。 実害と言い切っていいのかどうかは微妙だが。 奢られたり、サインを強請られたり、そのお礼に金や贈り物をもらったりもしたから。
それにあだ名自体は無害と言える。 俺の知り合いが面白がってそう呼んでいるだけで、俺を知らない奴にそう呼ばれたからと言って目くじら立てる程の事でもない。 呼ばれたって無視すればいいだけだが、劇中、エットナーが大剣をぶんぶん振り回す場面があったらしい。 文官の俺が実は凄腕の剣士? そんな訳があるか。 俺の体格を見れば分かるだろ。
芝居なら嘘も誇張も脚色もある。 舞台で見栄え良く振り回す為、サイズだけは大きい軽い剣を使ったのだろう。 舞台を一度も見た事がない俺だって小道具に細工をするくらい知っている。 ところが世間の皆さんは意外に御存知ないようで。 俺をその目で見ていながら剣豪と信じ込んでいる人がかなりいて、手合わせを申し込まれるようになった。
しかもそれはまだまし。 有名人扱いされ、女との逢瀬や友人との飲み会にまで邪魔が入ったり。 それだけじゃない。 宿舎の俺の部屋が荒らされ、名札や服や靴が盗まれたりもした。
何より疲れるのが事件の真相を聞かれる事だ。 数え切れない人から。 知らない人には黙っていれば済む。 しかし上官や上級将校にまで聞かれるのには参った。 苦し紛れに、マッギニス大隊長に話してもいいのか伺います、お許しを戴いてからでないと話せません、と言ったら、いや、その必要はない、とそれ以上聞かれなくなるが、同じ人からは聞かれなくとも別の人から同じ質問をされる。
因みに芝居には俺以外誰も実名で登場していない。 元々名を知られている人ばかりだし、誰が随行したか誰でも知っている。 でも皆さん俺より賢いからな。 実名入りを許さなかったのだろう。 俺だけは無名だったから、実名でなければ世間に知られずに済んだはずなのに。 と、自分の粗忽さを後悔したが後の祭りだ。
今更現場に居合わせた事を否定する気はない。 だからって実はこれこれこういう次第でした、と喋れるか? ヴィジャヤン大隊長でもあるまいし。 あの御方の場合、機密を機密と思わず喋っているから許されるのだ。
もっとも何でも許されているかに見えるヴィジャヤン大隊長でさえマッギニス補佐に氷の簀巻きにされた事があるのだとか。 何が原因かは知らないが。 それにヴィジャヤン大隊長は英雄だから蘇生してもらえたが、簀巻きにされたのが俺だったらそのまま埋められて畑の肥やしだ。
俺は通訳部隊に所属する文官に過ぎない。 専門はクポトラデル語。 両親がクポトラデル人で、俺もクポトラデルで生まれた。 教育は皇国語で受けたが、家では常にクポトラデル語を話していたから読み書きも出来る。
とは言え、優秀な通訳だから指名されたという訳ではない。 皇都ならともかく、北軍にクポトラデル語を話す兵士はあまりいないし、通訳部隊でもクポトラデル担当は俺の他に二人いるが、事件当日どちらも休みを取っていただけの話。
いずれにしても事件に関し、誰かが何かを漏らした様子はない。 お口が軽い事で知られるヴィジャヤン大隊長でさえ黙秘を通していらっしゃる。 だからあの芝居はエットナーという名前の人物が登場する事と、事件の始まりはクポトラデル王太子殿下の為の歓迎昼食会という事以外、事実とは何の関係もない話になっている。
もっとも俺が見た事を洗いざらい漏らしたところで誰にも信じてもらえないだろうが。 最初から最後までこの目で見ていた俺でさえ信じられないくらいだ。 そういう信じられない事をなさるのがヴィジャヤン大隊長のヴィジャヤン大隊長たる所以、と散々聞かされていてさえ。
その日の昼食会の主賓はクポトラデル王国のヴァレーズ王太子殿下。 クポトラデルの場合、王太子だから次の国王と決まった訳ではないが、随行員の一人が外務大臣だった。 殿下の気まぐれによる外遊なら随行するのは侍従か、外務省から来るとしても副大臣か事務次官だろう。 大臣が随行したとしても皇都に留まり、わざわざ北まで来るはずはない。 おまけにダンホフ公爵からの紹介状も付いていた。
今では弓と剣に会いたい王侯貴族が列をなしている。 外国からの賓客と言うだけでは歓待しきれない。 どうやら外務大臣が随行している事とダンホフの紹介状を重要視し、将軍が一席設ける指示を出したらしい。
北軍側の出席者はモンドー将軍、弓と剣のお二人、ポクソン補佐、マッギニス補佐。 北軍の慣例で、宴席に将軍と副将軍が一緒に出席する事はない。 カルア将軍補佐とトーマ大隊長はスティバル祭祀長のお呼び出しがあり、サーシキ大隊長は親戚の不幸で欠席なさっていた。
冒頭、王太子殿下からモンドー将軍へ葡萄酒が贈られた。
「友好の証として我が国の最高級葡萄酒を持参致しました。 芳醇な香りと滑らかな味わいをお楽しみ下さい」
王太子殿下随行の侍従が葡萄酒の栓を抜き、酒盃に注いだ。 素晴らしい香りが室内に漂う。
「ほう。 それはそれは御厚意忝い。 早速楽しませて戴きたいのは山々ながら、近年体が酒類を受け付けなくなりましてな。 飲酒を控えております。 ですが貴重な一杯、無駄にする訳には参りません。 ポクソン。 其方が受けろ」
「はっ。 有難き幸せ」
タケオ大隊長は昼食会の後すぐに模範試合が控えていたし、ヴィジャヤン大隊長は飲めない御方だ。 マッギニス補佐は飲まない御方として知られている。 それで酒豪のポクソン補佐へお勧めになったのだろう。
葡萄酒を飲み干した途端、ポクソン補佐が椅子から崩れ落ちる。 すぐさまモンドー将軍がパンと手を叩いた。 次室のドアが開き、給仕が顔を出す。
「至急メイレとリスメイヤーをここへ」
次の間に控えていた二人がすぐに現れ、メイレがポクソン補佐の脈をとった。 しかしポクソン補佐のお顔を見れば既に息をしていない事は医者でなくとも分かる。
「御臨終です」