表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
弓と剣  作者: 淳A
遠雷
465/490

目力 1  サダの義母(リネの実母)、アキの話

 亭主のリツもあたしもリネを嫁にやる気なんか元々なかった。

 そりゃ嫁にやったっていいよ。 親の欲目抜きで器量はいいし、働き者だし。 きっと嫁ぎ先でもかわいがられる。

 遠くの村からなら話はあったんだ。 でも全部リツが断っていた。 長男のリイがああだから。


 母親のあたしが言うのもなんだけど、リイは北の猛虎と呼ばれるずっと前から普通じゃなかった。 ぎらぎらの抜き身をぶら下げて歩いているみたいな? いつもそんな感じ。 なもんで、村中の人から避けられていた。

 人ってあぶねえと感じたら逃げろと叫ばれなくたって逃げるもんだしさ。 本音を言や、あたしだって自分の息子じゃなかったらすたこら逃げ出していたよ。 喧嘩を売ったり怪我をさせた事はなかったけど、それはリイに喧嘩を売るような命知らず、この村にはいなかっただけと言えない事もなかったし。


 リイが入隊した時は村中がほっとしていたけど、リツとあたしはほっとする気になんかなれなかった。 若い者が軍に入るのはよくある話だし、たぶんあの子に向いている。 ただよそんちの息子みたいに定年まで地道にお務めするかとなると、そうはならないような気がしてさ。

 かと言って早死にしたリイのじいちゃんとも違う。 なんでもじいちゃんは上官をかばって死んだんだとか。 どうやらその上官は貴族だったらしい。 ばあちゃんが死ぬまで年金をもらえたのはそのおかげさ。 平の兵士が死んだって必ず遺族年金がもらえる、て訳じゃない。


 兵士になりたいならじいちゃんの事を自慢してもよさそうなもんなのに、うちのリイときたら。

「どうせ死ぬならその上官も道連れにすりゃよかったのに」

 こうさ。 貴族嫌いを隠そうともしない。 無口な子だからべらべら誰彼構わずそんな事をしゃべっている訳じゃないけど、貴族の家紋を睨みつけたり、貴族の奉公人に声を掛けられたらさっと逃げる。 あの態度を見りゃ貴族嫌いって事は初めて会った人にだって悟られるよ。

 そんなんじゃ上官の受けだって悪いし、仲間にも敬遠されるだろ。 農夫ならともかく、兵士で嫌われ者だなんて。 まともな死に方をするとは思えないじゃないか。


 上に逆らわず、地道に生きるんだよ、と入隊前に口がすっぱくなるくらい説教したけどね。 親の説教を素直に聞くような子じゃないし。 相手が貴族だろうと構わず盾ついて、そのとばっちりを食らって家族まで牢屋にぶち込まれるかも、と内心びくびくしながら暮らしていた。

 そうなったとしてもリツとあたしは親だ。 リイのせいで殺されたって諦めはつくよ。 親の育て方が悪かったんだ、て。 でもリノやリネまで巻き添えを食らったら?

 貴族にとっちゃ平民なんて虫けらも同然さ。 リツなんて昔、理由もないのに生きているのが不思議なくらいぶちのめされた。 理由があったら情け容赦なんぞあるもんか。 弟妹に何の咎があるんだい? なんて言ったって無駄。

 そういう意味じゃ親の側で暮らしていた方があぶないのかも。 ただこの村ならリネは誰の妹か知られている。 下手に手を出すバカはいない。 一人嫁ぎ先で苦労させるより、親が最後まで庇ってあげたくて。 だから遠くへ嫁にやりたくなかったんだ。


 だけど大姑、舅、姑がいるだけでやばいのに、そのうえ小姑までいたんじゃリノが縁遠くなっちまう。 それでリイからの送金はリノが嫁をもらったら別の家を建ててあげるつもりで貯めていた。

 リイはどんどん出世し、その度に送金を増やしてくれたんで、ピピが嫁に来た頃には離れが建てられるくらいになっていてさ。 仲人さんにもそれを伝えていたのに、なぜかピピには伝わっていなくて。 離れを建てる準備をしていたらびっくりされちまった。


「あの、あの、おかあさん。 ここで一緒に住んじゃ、だめ、ですか?」

「え? いや、そっちの方が金がかからなくて助かるけど、ピピはこんな古い家でもいいのかい?」

「はい。 家族で一緒に住む、ていうの、やってみたかったんです」

 あたしらに遠慮して言ってるようには見えなかった。 ピピは六つの時奉公に出され、それから間もなく親兄弟は流行り病にかかって死んだ、て聞いてる。

 奉公先の旦那は奉公人を家族扱いするような人じゃなかったらしい。 奉公人は漬物なら尻尾、ご飯なら旦那の家族が残した物しか食べちゃだめなんだって。 それを知らずに大根の漬物を切って、真ん中辺りの味見をしたら、殴られて体が壁に叩き付けられた事があったんだとか。 朗らかな子だからそんな苦労をしたようには見えなかったけどね。

 それにリネとうまがあって、何かと言えば亭主のリノよりリネを頼っていたし。 義理の姉とは言ってもピピの方が年下だ。 リネも妹が出来たみたいで嬉しかったんだろ。


 みんなで仲良く暮らしていた所にリネの入籍の知らせさ。 くそったれ、と心の中でリイに毒づいたよ。 妹をなんだと思ってるんだか。

 でっかいため息を何度もついていたら、リツに説教された。

「これぐれぇで済んでよかったと思いな。 俺なんかリイがどんぱちやらかして、その見せしめに家族みんな晒し首にされるかも、て心配していたんだぜ。 それよっかましだろ」

「そりゃ晒し首よりは、ね。 でもさ、なんで伯爵の三男坊? よりにもよって、そんなろくでなしを」

「ま、それは。 まずい、て言や、まずいが。 広い世間だ。 中にゃまともな貴族もいるかも」

「何呑気な事言ってんだか。 貴族に半殺しにされた時の傷、二十年近くたった今でも痛むくせに。 リネが旦那に殴られたらどうすんの。 遠くへ行かれちまったら体を張って庇ってあげる事も出来やしない」

「そんときゃリイが間に入ってくれるさ。 つえぇし、近くに住んでいるんだから」

「ふん。 そんな殊勝な兄貴だったら妹を生贄に捧げるような真似、するもんか」

「諦めろ。 相手が悪い。 別れろ切れろと口出しした所で、こっちが負けて終わり。 口出し損のくたびれ儲けさ」

「言われなくたってもう諦めているよ」


 なにせリネはいく気満々。 親が四の五の言ったって聞きやしない。 あの浮かれ様じゃ下手な口出ししたら家出されちまうかも。 娘がろくでなしに惚れ込んで家出したとか、相手が貴族でなくたって世間にいくらでもある話じゃないか。

 だから何も言わなかった。 どうせ向こうは勢いで入籍したんだろ。 のこのこ第一駐屯地まで行ってみりゃ、もう離縁されてたりして? 会いに行けば一回寝てみようくらいは思うかもだけど。 貴族の若様なら女なんてよりどりみどり。 泥臭い田舎娘なんぞ三日で飽きて、ぽい、さ。

 それで実家に戻してくれるんならいいんだ。 貴族の元嫁、て肩書きがあれば一生実家暮らしでも世間で肩身の狭い思いをしなくて済むし。 子供が出来て、その子も一緒に返してくれるなら、手切れ金を寄越せなんてけち臭い事、言わないよ。


 まあ、行かない内に話が立ち消えになってくれたら一番さ。 だから本当に迎えが来ちまった時はがっかりした。 リネに下剤を飲ませ、出発を諦めさせようか、なんて事まで考えたけど、こんな機会でもなけりゃ旅なんて一生させてあげられない。 苦労させたくないのは山々さ。 でも、馬には乗ってみよ人には添ってみよ。 しない後悔よりした後悔、とも言うし。

 リネの事だから、下働きでいいから側にいさせて下さい、とねばるかも。 だけど伯爵様のお家なら下働きだってちゃんとしたとこから雇うだろ。 どうせすぐに帰って来る。 若い内にちょっと苦労しておくのもいい、て思ったんだ。 その時は。


 みんなでリネを見送った後、リツに聞いた。

「どれくらいで帰って来ると思う?」

「三ヶ月、てとこか」

 それを聞いたリノが呆れた顔をした。

「とうさん。 旦那は伯爵家の若様なんだぜ。 嫁を自分の実家に連れて行って、帰りに皇都でちょっと遊ばせるくらいの甲斐性、あるだろ。 三ヶ月じゃろくな観光をしている暇もねえ。 俺は半年に賭けるね」

 そしたらピピがもっと呆れた顔をして。

「なーにが観光。 英雄の嫁に遊んでる暇があるもんですか。 リネさんの事だもん。 やらなくていいと言われたってばりばり働くでしょ。 あの働きぶりを見たら手放せないよ。 あたしは五年は帰してもらえないと思うな」

 それを聞いた男どもが笑い出した。

「丁稚奉公じゃあるまいし。 五年、て。 五ヶ月の間違いだろ」

 リノに笑いながらそう言われ、珍しくピピがむっとして言い返した。

「器量、気っぷ、力持ち。 この三拍子が揃った女なんて二人といやしない。 おまけに歌が上手くて、気が利くんだもの。 オークを倒すくらいの男なら女を見る目だってあるでしょ!」

「オークを倒すのと女を見る目に何の関係があるんだよ」

 あたしだってあるとは思わなかったけど、ピピの言葉が嬉しくて味方をしておいた。

「子供がすぐ出来りゃ乳離れするまで引き止められるだろうしさ」

「じゃ、かあさんも五年に賭けるのか?」

「う、うーん。 三年、てとこ?」


 ほんとは一年もしないで帰って来ると思っていた。 まさかこんなに長々引き止められるだなんて。

 リネが嫁に行って三年半。 八月には二人目が生まれる。 一年は乳をあげなきゃ。 となると、ピピの予想通りになっちまう。

 一体いつ娘を返してくれるんだい? そう北方伯様に手紙を書いていたよ。 もしあたしに字が書けたら。


 八月の半ば、北方伯様から手紙が届いた。 まずリツが読む。 子供が生まれた知らせのはずなのに、渋い顔になった。 出産前に届いたリネからの手紙には、元気にお腹を蹴っています、と書いてあったから死産とは思えない。 じゃ、難産? ひょっとしてリネに何か。 いや、そんな、まさか。


「アキ、お前も読んでおきな」

 あたしは字は書けないけど、簡単な字なら読める。 子供達に字を習わせた時一緒にお手本を見たりしていたから。 それに毎年北方伯様から年賀状をもらっている。 難しい字を書く人じゃない。 ただちょっと読みづらいんだよね。 字が汚いから。

 いや、かまやしないよ。 読めればなんだって。 そもそも字が書けないあたしに人様の字をどうこう言う資格なんてありゃしない。 元気な孫が生まれた知らせなら汚い字だって嬉しいさ。 読めない字がありゃリツに聞けばいいか、と思いながら手紙を見ると。


「おとうさん、おかあさんへ

 リネがげんきなおとこの子をうんだので、サナとなづけました。

 サダより」


 ちゃんと読めたし、悪い知らせでもない。 だけど、これは、ねえ。 なんと言ったらいいんだか。 リツが腕組みしちまうのも無理はないよ。

 口でどう説明していいか分からなくて、リノとピピにも読んでもらった。 読み終わるとみんなお互いの顔をちらっと見て黙り込む。 どうする、これ、と目であたしに聞いて来た。

 どうするって。 なんであたしに聞くんだい? まるでうちがカカア天下みたいに。

 言っとくけどね、嫁に来て以来あたしが勝手に決めた事なんかひとっつもありゃしないんだよ。 なのになぜか何か困り事や迷う事があると、みんなまずあたしの意見を聞くんだ。 あたしが言ったように決まる、て訳でもないのにさ。


 リネんちに年賀状を出すか出さないかを決めた時だって、そう。 あたしゃ出さない方がいい、て言ったんだ。

「大隊長に出世してすぐ皇都に出稼ぎ。 この秋ようやく家に帰ったばかりなんだし、きっと年賀状どころじゃないよ。 嫁の実家から年賀状をもらったら、こっちからも出さなきゃ、と気を遣わせるじゃないか」

 ところがリツが眉間にしわを寄せて。

「そりゃ俺だってそんなご大層なもん、出したかねぇ。 けどよ、旦那の名前でリネが出すかも、だろ? こっちが出してねぇのに向こうから来ちまったらどうする? やばいだろうが」

「リネがそんなでしゃばった真似するもんか。 金だってかかるんだし。 嫁の実家より先に出さなきゃいけない所がいっぱいあるんじゃないの? もらったならともかく、もらってもいない平民の家へ貴族が年賀状を出したりしないよ」

 ところがリノもリツと似たような意見で。

「かあさん。 年賀状代なんざ貴族にとって屁でもないさ。 それに貴族なら年賀状とか、奉公人に書かせるんじゃね?」

 そこでピピが言ったんだ。

「ねえ、リノ。 リネさんに手紙で聞いてみれば?」

「んな暇、あるか。 返事が来る前に正月だ」

「あー、それもそうだね。 じゃ、タジばあさんに聞いてみるって、どう?」

「タジばあさん? いくら物知りだって六頭殺しが嫁の実家に年賀状を出すか出さないかまで分かるかよ」


 あたしもそう思ったけど、噂をすればなんとやら。 昼過ぎにタジばあさんが家にりんごのおすそ分けを持って来てくれて、ついでだから聞いてみた。

「ねえ、タジばあさん。 リネの旦那様に年賀状、出しておいた方がいいと思う?」

「年賀状? そりゃ出しといた方がいいね。 絶対向こうからも来るから」

「来る、かねえ?」

「来る来る。 賭けたっていい」

「リネからの手紙には、筆無精な人、て書いてあったんだけど」

「それは、まあ、そうらしいね。 ただああ見えて、中々義理堅いとこもあるんだ。 小学校一年の時の先生に未だに年賀状を出してる、て話。 小学校の先生に出すなら奥さんの実家にだって出すさ」

「そりゃその先生が貴族だからじゃない?」

「その先生も平民だって」

「貴族の学校の先生が平民?」

「うんにゃ。 六頭殺しの若様が通ったのは平民学校なんだと」

「へえ。 なんでまた、伯爵家の若様がそんなとこに?」

「なんでも親御さんが建てた学校らしい。 貴族が平民のために学校を建てる、てのも珍しい、て言や珍しいよね」

「息子に通わせたくて建てた、とか?」

「うーん、どうだろ。 そこに通ったのは六頭殺しの若様だけ、て聞いてるけど。

 ね、ね、アキさん。 んな事よりさ、知ってるかい? 旦那様がリネちゃんに首ったけで。 リネちゃんがいなけりゃ夜も日も明けない。 あっつあつのあっつあつ、て」

 みんな野良に行き、家には昼寝している孫のリン以外誰もいない。 なのにタジばあさんはわざとらしくあたしの耳元でささやいた。

「真っ昼間にやるのも中々燃えるよな、と言ったんだと」

「ちょっ、ちょっと、タジばあさん。 そんなガセ、一体誰から?」

「ガセなもんかい。 御本人様からその耳で聞いた人が教えてくれたんだ。 名前を言ったってあんたは知らない人だから言わないけど。

 六頭殺しの若殺しのリネ? ギャハハ。 それじゃ長いから、若殺しのリネ、でいいか。 兄貴より名前が売れたりしてね。

 ま、それはともかく、おめでただってすぐさ。 ひょっとしたら年賀状に、子供が出来ました、て書いてあるかも」


 あたしは半信半疑だったけど。 出してないのにもらったら気まずいとみんなが言うもんで、字が一番まともなリノが書いて出しておいた。 リネの旦那、旦那の実家、それと一応リイのとこにも。 今までリイが実家に年賀状くれた事はなかったし、こちらから出した事もなかったけど、リネに出してリイに出さないのは何かあると世間に思われたら嫌だし。

 そしたらなんと、その三軒だけじゃない。 そっちこっちからいっぱい届いた。 ヴィジャヤン伯爵様、先代様、父方母方の御親戚。 ヴィジャヤン伯爵様の奥様の御実家からまで。 こっちは御親戚の住所どころか名前も知らなかったから慌てたのなんの。

 おまけにグゲン侯爵様からはリイとの婚約のお知らせ付き。 最初は冗談か、リイ・タケオって名前の別人との婚約かと思ったよ。 でも冗談にしちゃ念が入り過ぎてる、て言うか。 ヨネさんからの丁寧な手紙が付いていたし、ヨネさんの父方、母方の親戚からも年賀状が届いた。 それにいくらよくある名前と言ったって北軍の大隊長で同姓同名がいるとは聞いてないし。 いたとしても親の名前まで同じ、て事はないだろ。


 こっちはリイにそんな話があった事さえ知らなかったから、びっくり仰天さ。 しかも我が家の中で一番の貴族嫌いだったリイが、貴族から嫁をもらう? 上からの命令で断りきれなかったとか?

 だとしたって親に一言も言わない、て。 ふざけるんじゃないよ。 リイが目の前にいたら怒鳴りつけていたね。

 結婚するなら勝手にすりゃいいさ。 相手も平民なら。 けど、貴族から嫁をもらうのに親が何もしない、て訳にはいかないだろ。 平民と親戚になった事を貴族が喜ぶはずない。 何もしてない事で親が責められたらどうするんだい? 知らなかったんです、が通用する相手じゃなかったら? あっちは難癖付けようと思えばいくらでも付けられるんだし。

 年賀状は後から出しても文句を言われなかったけど、いつどんな目にあわされるか。 結婚式の時に会って、弱い者いじめをしそうな人達じゃないと分かるまでは、四月に氷の湖の上を歩いている気分だったよ。

 ただ弱い者いじめをしなくたって貴族は貴族さ。 上品で、気が利いていて。 でもどこか冷たい。


 だからリネの旦那の年賀状は貴族らしくなくて驚かされた。 筆不精の人が年賀状を出した、てだけじゃない。 他の人からのは全部宛名だけ手書きで、新年の挨拶は印刷。 だけどリネの旦那のやつは、どう見ても御本人様の手書きだったから。

 因みになんでそれが分かったかと言うと、トビさんがリネを迎えに来た時、そっちこっちへ手紙を書いている所を見ていていてさ。 字がとても上手だったから褒めたんだ。

「きれいな字だねえ」

「どうもありがとうございます。 伯爵家の奉公人としては並ですが」

 それがとてもあっさりした言い方で。 ほんとに並だから並と言った、て感じ。


 字が書けないあたしに字のよしあしが分かるのか、て? 分かるさ、それくらい。 料理だって自分じゃ作れなくてもうまいかまずいか分かるだろ。

 侍女のカナさんも元は伯爵家の奉公人と聞いている。 なら、こんな汚い字を書く訳ない。 リネの字でもなかった。 住み込みの部下が何人かいるらしいけど、まともな字が書ける女房や奉公人がいるのに、わざわざ字の下手な部下に書かせるのは変だろ。 女房でも奉公人でも部下でもないなら、残るは御本人様しかいないじゃないか。

 改めて思い出してみると、あの年賀状を見た時、嫌な予感がしたね。 リネが二度と帰って来ないような。 あんな字を書くだなんて貴族は貴族でも、たぶん普通の貴族じゃない。 普通なら平民の妻なんぞ顔を見ただけで実家に返しておしまいさ。 だけど普通じゃなかったら?


 ともかく、今回の手紙は毎年もらう年賀状の字とそっくりだ。 北方伯様の手書きの手紙に返事を出さない訳にはいかないよ。

 で、なんて書けばいいんだい? おめでとうだけじゃ木で鼻をくくったみたいだし、ほんとは言いたい事があるのに黙っている、と思われたりして。 しかもほんとは言いたい事があるから困るんだ。 さっさと娘を返してくれ、て。


 そりゃ悪い人じゃないとは思うよ。 冗談を言ってる訳でもないのに面白いと言うか。 貴族っぽいとこなんかまるでない。 ただね、平民っぽい、て訳でもないんだ。

 平民だったら世間の顔色を窺う癖が身に付いてる。 親兄弟や親戚だけじゃなく、仕事の上役、同僚、地主、金貸し、ご近所さん。 そういう人達にどう思われるか、気にしないで生きてる平民なんかいない。 いたら嫁をもらう前に死んでるよ。

 ところがリネの旦那には誰かの顔色を窺っていた様子がまるでなかった。 リイの結婚式に出席していた将軍様、祭祀長様、副将軍様、大隊長様。 きら星のような豪華な服を着たお客さん。 自分の親兄弟や親戚はともかく、他はみんなリネの旦那よりずっと偉い人っぽい。 なのにどちら様にも一回あっさり挨拶しただけ。

 誰にもあっさりなのかと思えば、一緒のテーブルに座ったあたし達夫婦に一生懸命話し掛けたりして。 ほっといてくれりゃいいのに。 リネからあらかじめ、旦那の仕事や親戚の話をあれこれ聞いちゃだめ、と注意されていたんで、こっちは何を話したらいいんだか分からない。

 普通はどんなお偉いさんだって酒好きだ。 リツの酒を一口飲めば酒造りの話をあれこれ聞いてきたり、蘊蓄を垂れたりするから間が持つんだけど、リネの旦那は酒を飲まない人なんだと。 乾杯の時も唇を濡らした程度で、飲み干していなかった。


「うわ。 ピリピリしますね。 熱いからマッギニス補佐の視線みたいとは言えないけど。 痛くはないから師範の殺気とも違うな。 強いて言えば、トビのピリピリ? とにかくすごい、て感じ」

 だって。 で、なんて返したらいいのか困ったリツが苦し紛れに。

「えー、その。 お隣さんとはうまくやっていらっしゃるんで?」

「はい? あー。 お隣さんか。 実は俺、まだ会った事ないんです。 トビがうまくやっているんじゃないかな。 後で聞いておきます」

 会った事がない? 皇都から戻って半年経つのに? しょうがないからリツは金貸しの事を聞いていた。

「その、お金のお世話になっている所にも一言挨拶しておきたいんですが。 家を買う金はどちら様からお借りになったんで?」

「誰からも借りていません」

 つまり即金? あんな豪邸を? そんなの平民に出来る話じゃないよ。


 リツもそれ以上何を聞いたらいいのか分からなくて黙った。 そしたら向こうがリイの事を話しだしてさ。 こっちから聞いた訳でもないのに。

「師範の事、とても尊敬してます。 かっこいいですよね? 頼りがいがあるし。 男はやっぱりああでなきゃ。 短気なとこもあったり、世間にどう思われるか全然気にしない人だけど」

 世間を気にしていないのはあんたでしょ、てあやうく言いそうになったね。 お偉いさんに囲まれた席で人目を気にせず平民の妻とべったべた。 時々リネの手をきゅっと握りしめたりしてさ。

 いやはや。 こっちは目のやり場に困ったよ。 周りは、こいつには言うだけ無駄、て感じで。 リイだけじゃなく、将軍様まで見ないふりしてた。 それで済んじまう、てのがすごい。


 だからって親までやりたい放題じゃ娘に恥をかかせちまう。 特に向こうは出世のし続け。 伯爵より偉くなったんだとか。 あたしにゃ違いなんて分からないけど、とにかく偉い人から手紙をもらったんだ。 返事を出さなきゃ。

 で、その返事に、父母より、と書いてもいいのかい? しきたりや礼儀にうるさい人には見えなかったし、向こうが先におとうさん、おかあさんと書いたんだ。 いいような気はするけど。

 いくら娘の亭主だって貴族は貴族。 おかあさんと呼ばれて、はい、それはあたしです、みたいな返事を出したら、平民のくせにいい気になりやがってとか、厚かましい奴らと思われるんじゃ?

 リネの旦那は気にしなくてもさ、周りの目、てもんがあるだろ。 親が大きな態度でいたら娘の立場を悪くしないもんでもない。

 リツ、リノ、ピピも似たような事を考えたみたいで。 不安そうな顔をしている。


 いっそ手紙は書かずに、口でおめでとうを伝えるだけにしとく? なにせ手紙を届けてくれた人が普通の郵便配達夫じゃなかった。 なんと北方伯様の奉公人。 しかも下男とか下働きじゃない。 執事補佐なんだと。

 トビさんみたいな高貴な雰囲気はないけど、誰もがなりたい、けどなれない、で知られている北方伯様の奉公人だ。 執事補佐ならトビさんのお眼鏡にかなった人なんだろ。 ただ者のはずはないよ。

 ともかくそんな偉い人にいつまでも黙りんぼじゃ失礼だから、リネの様子を聞いてみた。

「遠いところ、わざわざすみませんねえ、ダーネソンさん。 じゃあ、今度も安産だったんですね?」

「産後は順調と伺っております。 アキ様、どうか私の事はダーネソンとお呼び捨て下さい」

「え? いいのかい?」

「奥様の御実家の皆様は瑞兆の血縁親族です。 奉公人だけでなく、どの貴族よりも格上となられました」

 するとピピが言った。

「あたしは血縁、て訳じゃ」

「ピピ様は瑞兆の従兄弟の実母でいらっしゃいます」

「は? あ。 と、とにかく、リネさんと赤ちゃん、元気なんだ?」

「何分奥様はまだ産屋からお戻りではございません。 その為、詳しくは奥様が別邸へお戻りになった後でお知らせする事になるかと存じます。 旦那様が取りあえず吉報をすぐこちらにもお知らせするようにとおっしゃいまして」


 なんだか奥歯に物が挟まったような言い方だね。 旦那に、こう言え、と言われたとか? だけど北方伯様は何でもズバッと言っちゃう人だ。 それはたぶん、ないだろ。 この人の上司のトビさんも、はい、いいえ、をはっきり言う。 旦那の人柄に沿った言い方を心掛けている、て感じ。

 安産か、元気か、と聞かれたら、はい、と答えりゃ済むのに。 この人、なんでぼかしているんだろ?

 まあ、みんなほっとした顔をしている。 ここであたしが水を差す事もないか。


「こんなにすぐ知らせてもらえて、ありがたいです。 体力だけはある子だから大丈夫とは思っていたけど、側にいてあげられないもんだから、つい、余計な心配したりして。 いくら体力があったって逆子、て事もあるし、とか」

「実は、逆子でいらっしゃいました」

「「「「ええっ!?」」」」

 家族全員、思わず叫んじまった。 だって逆子って。 なのに助かった? ピピが真っ青になったけど、無理もないよ。 逆子で助かったとか、あたしでさえこの年になるまで聞いた事なんか一度もありゃしない。

 家族全員目を丸くして、ほんとかよ、とあたしに目顔で聞いて来る。 そんなのあたしに聞かれても。


 するとダーネソンが言った。

「手術を担当した医師のメイレによると、手術によって切った傷はきれいなので、事故による傷を縫うより簡単なのだとか。 いずれ逆子はこのように手術で取り上げられるようになる、と申しておりました」

 きれいな傷口、て。 つまり腹を切って子供を取り出した?

 いくらきれいだって、ちょっと切ったくらいじゃ子供を取り出せないだろ。 普通、腹を切るのは母親が死んでからだ。

 そりゃ命が助かったなら有り難いさ。 だけど生きている内に腹を切られる、て。 偉い人の奥様になったらそんな痛い思いまで我慢しなきゃいけないのかい? やっぱり遠くへ嫁にいかせるんじゃなかったよ。

 もしかしたら。 リネは嫌だと言ったのに無理やり手術されちまった? 逃げようにも金を隠されて逃げられなかったとか? 手紙にはいい事ばっか書いていたけど、それもこれも全部、旦那にこう書けと言われて書いていたんじゃ?


 思わず拳を握りしめ、リツに言った。

「あんた。 あたし、リネの顔を見て来る」

 止めたって行くよ、という顔をしてたからだろう。 リツがため息をついてダーネソンに聞いた。

「あー、その。 ダーネソン? こいつは言い出したら聞かない奴でして。 どうにも申し訳ねえが、一緒に連れて行ってもらう訳にはいきませんかね? 庭先からでも娘の姿を一目見せてもらえりゃ、おとなしく帰ると思うんで」

「旦那様は御実家の皆様全員を御招待なさいました。 第一駐屯地にある北方伯家別邸に何泊でもお好きなだけお泊まり下さいとの事。 この機会に是非北方伯家本邸へもお立ち寄り下さい。 大峡谷の御観光も御希望でしたら御案内申し上げます」

 そう言って、懐から分厚い封筒を取り出した。

「旅費もお預かりしてまいりました。 お久しぶりの御面会、奥様もさぞかしお喜びになるでしょう」


 なんなのさ。 会いに行ってもいいなら、さっさとそう言ってくれりゃいいじゃないか。 来いと言われてないし、行ったって追い返されると思っていたから行かなかったんだ。 旅費がないから行かなかったんじゃない。 平民だって旅費くらいあるよ。 送るなと言っても送金してくれる孝行息子がいるんだから。 どうせ大した額の送金じゃないんだろ、とでも言いたいのかい?

 面白くなくて、旅費をもらわなきゃいけないほど金に困っちゃいないよ、と啖呵を切ってやろうかと思ったけど、余計な事を言うんじゃねえ、とリツに目で釘を刺された。

 はいはい、分かってますって、それくらい。


「アキ、せっかくだ。 会いに行きな」

「うん。 あんたは?」

「止めとく。 体が本調子じゃねえ。 北方伯様によろしく言っといてくれ。 ついでにリイとヨネさんの顔も見てくりゃいい。 リヨもかわいいさかりだろ。

 リノ、ピピ。 おまえらはどうする? 行きたいなら一緒に行っていいぜ。 どうせもう二、三人、雇おうと思っていたんだ」

 ちょっと考えてからリノが首を横に振った。

「俺は行かねえ。 仕事が山積みだ。 行ってもとんぼ返りになる。 それじゃかあさんが向こうでゆっくり出来ねえだろ」

 ピピはリネに会いたそうで、もじもじしていた。 たぶんピピは妊娠している。 馬車で何日も揺られたら赤ん坊が流れるかも。 それにリンはやんちゃざかりだ。 いっときもじっとしていない。 連れて行ったらリネを逃がさなきゃいけない時、足手まといになっちまう。

「リンは連れて行けないよ」

 あたしがそう言うと、ピピは察してくれたようで。

「あの、あたしも遠慮しときます。 おかあさんがリネさんの様子を見てきてくれるなら安心だし」

 という訳で、あたしだけリネに会いに行く事になった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 更新ありがとうございます。 アキさん、母親としては当然の心配ですよね。 でもなんだか、ケルパとノノミーアに挨拶されてこのまま実家に帰れなくなる気がしないでもないですが、大丈夫だろうか??? …
[良い点]  多角的な視点から語られる情景に、物語の世界を感じる。 [一言]  息が詰まるようなこの国で、助け合いながら生きるタケオ家の人々に清涼感を感じます。
[良い点] 更新ありがとうございます。 若殺しのリネ、二つ名がしっくり合いすぎ/// 貴族に対して嫌な思いと恐怖があるのに、娘を思うお母さんが強くて… 続きが楽しみです。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ