後妻 1 サジアーナ国王太子妃サイ(サダの義姉)の話
「逆子、なのだとか」
今回の旅では特務女官長を務めているミナ(エルラヘブ侯爵夫人)が私の耳元で準大公夫人の噂を囁いた。
準大公夫妻を愛する者なら悲しみ、衝撃を受ける知らせ。 けれどサジアーナの王太子妃が最も重要視すべきは国益。 兄弟親戚の感情や思惑など二の次、三の次にせねばならない。 私の脳裏にまず浮かんだのは、夫人亡き後、妻の座に座るのは誰、という問い。
準大公、サダ・ヴィジャヤン。 ほんの数年前までは無名の伯爵家三男。 それが今では生きた伝説。 青竜の背に乗り天駆け、海王の愛孫と信じられる生神様だ。 爵位などなかったとしても誰もがお近づきになりたい英雄の妻、となれば妻の名が歴史に残るに留まらない。 妻の実家、親戚姻戚のステイタスもどれだけ上がる事か。
父にしても宮廷の重鎮扱いされているのは娘が準大公の実兄の妻である事が大きい。 レイは準大公の親友として敬愛され、ヘルセス公爵家の未来は安泰。 そのおかげで私は父から深く感謝されている。 当初反対するつもりでいた父を説得し、ヴィジャヤン伯爵家との縁組みを後押ししたから。
因みに、それは私に先見の明があっての事ではない。 又、ヴィジャヤン準公爵の卓越した情報収集能力を評価したのでもない。 三人の子息とは挨拶を交わした事がある程度で、ライのお相手の人柄は勿論、次男サジが名医である事、三男サダが弓の名手である事も知らなかった。 ただ準公爵夫人が亡母の友人で、彼女の温かい人柄なら幼い頃から知っていた。
母の葬儀の時、感情を見せるな、いや、悲しんでいるように見えないのは穏当を欠く、と親戚達から正反対の指図を出され、心の拠り所を失い、混乱している私の手を優しく握り、支えてくれた。 それだけではない。 サジアーナへ嫁ぐ時、国情や後宮のしきたりに関して的確な助言をしてくれたし、結婚後も遠路遥々サジアーナまで私の様子を見に来てくれた。 父から頼まれた訳でもないのに。 そこまでしてくれたのは親戚友人を含めても彼女だけだ。
彼女が姑ならライが苦労する事はない。 そういう姉心もなかったとは言わないけれど、姻戚となればこれからも訪問してもらえるだろう。 そのような打算があってした事。 とは言え、これ程素晴らしい結果を齎したのだから少しくらい恩着せがましくても許されよう。
今回の後妻の件でも候補を持つ貴族は父やレイの歓心を買おうと躍起になるはず。 残念ながら父に後妻候補となれる娘はいない。 それだけに他の娘を推薦する可能性がある。 ヘルセス公爵家の推薦は強力な援護射撃だ。
現準大公夫人のように実家が平民ならステイタスが上がろうと下がろうと大した違いはないけれど、貴族にとっては一族の興亡が懸かっている。 実家が貴族なら生家が観光名所になり、彼女の名前が付いているだけで多くの製品が飛ぶように売れる。 その一方で、もし敵対関係の貴族の娘が娶られたら? 領内の税収が二倍になるか半分になるか、この縁組次第。
ただ下手に特定の女性を推薦し、その女性が選ばれなかったらヘルセスの権威が格段に落ちる。 慎重な父の事。 誰も推薦しないかもしれない。 しかし父が無言を通そうと、他の貴族も無言を通すかは疑わしい。
何しろ準大公は出自に拘らない。 このまま放置しておけば後妻候補の数は千、いえ、万を越えるだろう。 正妃の座どころか、王の座を巡る争いより苛烈な争奪戦となり、事と次第によっては内戦勃発となるやもしれず、サジアーナまで火の粉が飛ぶ事さえ考えられるのだから私にとっても対岸の火事ではない。 仮に準大公夫妻と親密な間柄であったとしても、この知らせに胸を痛めている暇などなかったと思う。
とは言え、真っ先に浮かんだ問いの裏に隠れた母を失う子への憐憫でもなければ、妻を失う夫への同情、ましてや来るべき政争への懸念でもない。 世紀の恋を成就させ、幸せな玉の輿に乗った準大公夫人の運がこのような形で尽きる事への、おそらく、安堵。
私は国王となる見込みが全くなかったカリアシュ第二王子に望まれ、輿入れした。 カリアシュは王太子となった今も私を深く愛している。 予想外の出世を遂げた夫に愛され続ける妻、という意味では準大公夫人と似た幸運に恵まれており、彼女を羨むべき理由はない。 世間に隠している、ある事情を除いては。
私に子供が授からなかった原因は不妊ではない。 私の死を恐れるカリアシュが避妊しているのだ。 サジアーナでも出産時に亡くなる女性は多い。 私の母も産後の肥立ちが悪くて亡くなっているし、私とて出産に対する恐れはある。 でもいくら出産で死ぬ女性が多かろうと、我が子を腕に抱く女性の数がそれを遥かに上回るのも又事実。
カリアシュの気持ちを動かそうと手を替え品を替え説得を試みたけれど、全て徒労に帰した。 彼にその恐れを吹き込んだのは彼の実母、私の義母であるシューニア王妃だったから。
彼女がなぜ私の子を望まないのか。 王妃が漏らす言葉の片鱗から推測する事は難しくない。 自国民の妾妃なら実家に重税を課すなどの脅しを使って思い通りに出来る。 でもヘルセス公爵家にその手の脅しは効かない。 そもそも財力、兵力、どちらもヘルセスの方が優っているのだから。 加えて私の実妹が準大公の実兄の妻となった。 それは有事の際、皇国の後ろ盾が期待出来るという事。 その私、そして私が産む子を思い通りに動かす事は難しい。
嫁いでから十二年。 王妃を蔑ろにしたり、故意に波風を立てようとした事はない。 とは言え、他の妾妃のように私財を擲ってまで王妃を喜ばせようとした事もなかった。 私財なら持っているけれど、それはいざと言う時の蓄え。 離縁したくても私財を使い果たした為に身動きが取れないとなっては困る。
贈答品に金を掛けた所で私を好いてくれる訳でもないだろうし、慎ましいのは私の身の回り全てがそうであり、王妃への贈答品だけが慎ましいのではない。 王妃の誕生祝賀会の規模が縮小されたのは国庫の現状を知る王の指示。 私の指示ではないのだけれど、彼女にとって面白くない事に変わりはなく。
又、王妃は外国嫌いで知られている。 皇国が、と言うより、内政干渉を恐れ、どこであろうと嫌いなのだ。 父と弟のレイがサジアーナを訪問したのは私の結婚式の時だけ。 内政干渉のそぶりを見せた事などないとは言え、将来レイが、或いはレイの息子が、サジアーナに対し野心を抱かないと保証出来る訳でもなく。
仮に私が誓約書を書いたとしても王妃の疑心暗鬼を消す事は出来なかったと思う。 嫁姑の確執があるとか、嫌われているという意味ではない。 彼女にしてみれば他国はサジアーナの主権を脅かす種。 芽吹く前に摘んでおきたいのだ。
生まれたのが男子であれば殺すと約束していたら出産を許してもらえたと思う。 けれどそこまでして命がけの出産に挑む気にはなれなかった。 生まれたのが娘であろうと、そのような約束をさせた王妃を憎まずにいられるとは思えない。 彼女の反対を押し切れなかったのは自分の力不足であり、私が同じ立場であったら同じ事をした、と頭では理解していても。
それに万難を排し、王子を産み育てた所で、その子が国王として相応しいかは賭け。 王太子を選ぶ時、私はシューニア王妃と同じ轍を踏まずにいられるだろうか?
表向き、王妃が国政に携わる事はない。 次期国王は御前会議で選ばれ、王妃は出席出来ないしきたり。 けれどカリアシュが選ばれたのはシューニア王妃がそう望んだからだ。
彼女の選択が正しかったとは、少なくとも私は思っていない。 カリアシュは思慮深く、優しい。 配偶者としてこれ以上を望みようがない人ではあっても、時には過酷であらねばならない執政者としての資質に欠ける。 平時でさえ優柔不断で重臣の諍いを止められないのだ。 戦時、非常時にはどうなる事やら。
その時誰が決断を下すのか。 シューニア王妃? 息子が国王となる事を望んだだけで、彼女に執政者としての資質がある訳ではないのに? そもそも彼女が存命ではなかったら? サジアーナに付け入ろうとするのはヘルセスだけでもあるまいし。
なのにラストラッド国王はカリアシュ以外の王子全員を辺境へと追い遣った。 シューニア王妃は欲しい物を手に入れる為なら手段を選ばない。 他の王子を王太子に選べばその王太子の暗殺を企てる。 カリアシュが王太子になるまで。 そのような企て、成功しようと失敗しようと内乱の元。 さればと言って愛する王妃を離縁する事も出来ず。
抜本的な解決より問題の先送りを選ぶカリアシュの性格は父親譲りのよう。 今はそれで済むとしても、いずれ綻びは現れる。
国の将来を悲観して子供を持たなかった訳ではないし、出産に挑む女性の勇気を賞賛する気持ちもある。 同時に、挑む自由がある人に対する羨望も。 だからだろう。 出産で命を落としたという噂を聞く度に安堵するのは。 夫の希望に従った自分の選択は間違っていなかった、そう思いたいのだ。
怪我の功名と言うか。 実子がいない私が決めると公平感が出るようで、今の所サジアーナの後宮内は平穏無事。 それはサジアーナでは珍しい事で、それ故私の管理能力に対する評価は高い。 王妃となったあかつきには国政に携わるかもしれない。
外交に関しては、とりわけ対皇国の交渉では、今すぐ私の活躍が期待されている。 レイの結婚式への出席も閣議であっさり決まった。 準大公が出席すると分かったから。 王太子妃となった以上、国外へ出る機会など生涯あるまいと諦めていたのに。
準大公のサジアーナ訪問を実現する為には皇国との関係を強化せねばならない。 それが今回の旅の目的で、その為なら旅程を変更する事も許されている。 義妹の葬儀なら出席しても不自然ではないし、葬儀には皇国の重鎮が漏れなく出席するはず。 私の外交手腕を発揮する絶好の機会だ。
少し残念なのは、実弟レイ、実妹ライから逆子について何も聞かされていなかったという事。 レイと準大公は親友と呼べるほど親しい間柄と聞いている。 誰の誘いであろうと断る準大公夫人がライの誘いだけは断らない、とも。 ならば逆子の事は噂になる前に知っていたはず。 なぜ私には伝えなかったのか、故意である事は確か。 その理由は?
私の立場に対する配慮? 知らせぬ方が余計な気遣いをさせずに済むと忖度された? 或いはレイが推す後妻候補が既にいる? いるとしたら、それは誰?
現在、皇王族と大公家に適齢期の未婚女性はいない。 既婚の誰かを離縁させてまで後妻の座を狙うのは彼らのプライドが許すまい。
次に考えられるのは公爵家の正嫡女子。 そこにもいないけれど、公爵家の場合、非正嫡子や傍系の娘を養女にする道がある。 候補者数は無限とは言わないまでも相当な数になるだろう。
国内の公爵家とは大なり小なり親戚関係があり、どこの娘でも同じと言えない事もないけれど、ダンホフに押され気味の昨今。 ヘルセスが静観してよい状況ではない。
貧乏男爵よりケチと陰口を叩かれていたダンホフが、なんと飛竜を操縦士付き、餌代、全て無料で提供し、しかも北軍が差し出した飛行場使用料を、お気遣い無用と言って受け取らなかったのだとか。 そういう金の使い方をするとは知られておらず、世間をあっと言わせるインパクトがあった。
吝嗇と陰口を叩く者はもうどこにもいない。 代わりに竜鈴鳴動の機を齎した金運の家というイメージが定着しつつある。
さすがの準大公も金に靡いたとは言わないまでも、これ程の大盤振る舞い。 無視出来るものではない。 現に挙式はダンホフに先を越されている。 表向きはヘルセスへの道筋を飛竜に慣れさせる為となっているけれど。
青竜の騎士が出席しただけで家史に残せる名誉とは言え、明日本当に到着するのか。 明日になるまで分からない、かろうじての出席と言えない事もなく。 又、今は親密な関係であろうと将来も親密であるかは保証の限りではない。 親密な内に手を打たねば、と私なら考える。
なのに常なら先手先手と打つ父が養女を迎えるでもなく、せっかくヘルセス領まで来る準大公の為に長期滞在したくなるようなもてなしを用意している様子もない。 引き止めるどころか、巨額の設備投資をして飛行場を設置した。 準大公がすぐ帰れるように。 本邸だけでなく、領内に何カ所も。 しかもその建設資金はダンホフからの融資。 執事のテスケルからそれを聞いた時には呆れるしかなかった。
「一体いくらの暴利を払うつもり? 利益が見込める訳でもない設備投資に」
「無利息の融資なので、その御心配は御無用かと存じます」
「無利息?! なぜ?」
「飛行場の利用優先順位を陛下、準大公、当家、次にダンホフとさせて欲しいとの事」
「陛下が利用するとは考えられないし、準大公とてそうそう何度も訪れる事はないでしょう。 ヘルセスは飛竜を所有していないのだから無利息にしなくとも好きなだけ利用可能なはず。 他に何か条件があるのでしょう? 空港使用料は未来永劫無料とか?」
「使用料は別途、指定料金を払う契約を結んでおります。 他家が使用料を前払いした、或いはダンホフの使用料より上回る金額を払った場合、ダンホフは優先権を主張しない、という一項もございました」
「あのダンホフが優先権だけで無利息融資? 話が上手過ぎて融資を受ける気になれないわ。 父が決めたの?」
「次代様です」
「理由は?」
「準大公の訪問の便宜を計る為とおっしゃいました」
その為だけに億を投資? まさか、ダンホフの傘下に下った? でなければ私が予想した以上にダンホフとの関係が緊密になっている? もしや、ダンホフの養女を後妻に推す事が交換条件?
次々疑問が浮かんだけれど、そのような質問をテスケルにした所で知らないか、知っていたとしても他国に嫁いだ私に答えるはずはない。
一体、実家に何が起こっているのか。 今回の結婚式にしても当惑する事だらけ。 プラドナの娘を選んだ理由さえ知らされていない。 父はプラドナ公爵を、益体もないバトッチエの王位継承権を鼻に掛ける事が趣味の見栄張り、と評していた。 私もそう思う。
バトッチエはサジアーナより豊かで軍事力も勝る。 けれど皇国に勝る程ではないし、王位継承は女性に優先権があり、男性が継承するのは王女がいない場合に限られる。 つまり王位継承順位ではプラドナ公爵の実妹、テイソーザ皇王庁長官夫人の方が上なのだ。 プラドナ公爵が王位を継承する可能性など万に一つもない。
ただ今回のプラドナ側の最高位の親戚はバトッチエ国の女王陛下。 当然出席するのは名代、それもプラドナ公爵夫人の実家、フィリジョト公爵がついでに名代を務めると思っていた。 それがなんと、次の女王、スパーニエ・マクハージランサ王女、本人が夫と共に出席するという。
もしや、バトッチエの風習を取り入れろ、やれ、あれがない、これをしろ、と既に準備が終わった事までやり直しさせようとしている? 或いは式をダンホフより派手にしろとか、要求するのでは?
見栄を張り合うのは貴族の常とは言え、あの家と縁続きになればしなくてもよい出費が増えるだけ。 キャシロも両親と同じ見栄張りかどうかは知らないけれど、持参金がいくらだろうと踊りが少々上手い程度で両親の欠点を帳消しには出来ない。
ところがヘルセス領内はかつて見た事がない程活気に溢れている。 民の顔色や身なりもよい。 重税に苦しんでいるなら玄関先や窓際を花で飾る余裕はないだろう。 久しぶりに訪れた本邸にも外見に然したる変化はないけれど、雰囲気がとても明るい。 奉公人はめまぐるしく動きながら微笑みを絶やさず、誰もが準大公の到着を心待ちにしている様子。 プラドナの無理難題に四苦八苦している様には見えない。 でもこれがプラドナの要求を無視した結果だとしたら、執念深いプラドナの事。 必ずや滞在中に挽回しようとするはず。 それでなくても普段サジアーナを見下している国だ。 準大公と踊る機会を私から奪おうとするのでは?
案に相違し、プラドナ公爵一行は少人数。 数に物を言わせてはいないし、自分の家の優位性を主張する事もない。 プラドナ公爵の子は非正嫡子とその配偶者も含め全員出席していたけれど、愛人や愛人の親戚を連れて来た人はおらず、全て当主夫妻、次代夫妻、正嫡子か、その配偶者のみ。 未婚の非正嫡女子は慎ましい礼装で花嫁の介添えに徹し、出過ぎた真似はしていない。
マクハージランサ王女にしても丁寧な物腰で、この縁組みを非常に喜んでいる様子が窺えた。 見下されるに違いないと身構えていた私が拍子抜けする程。
ダンホフ公爵も同様。 無利息融資をしてやっただろうが、と内心思っていたとしても傲慢な振る舞いは、ちらっとも見せていない。 出席しているのは当代夫妻、次代夫妻、正嫡子ロジューラ夫妻だけ。 護衛や側付きの数も僅か数名だ。
覚えている限り、ダンホフ一族は常に人を値踏みする目で見ていた。 自分にとって金になるかならないか。 なるなら笑顔を見せるのもやぶさかではないが、ならない人に対しては仏頂面。 笑顔を見せるのは顔の筋肉の無駄遣いと思っているかのような態度だった。 ところが今日は晴れやかな顔で談笑している。 私にまで笑顔で話し掛け、是非ダンホフ領へもお越し下さい、と招待されたのには心底驚いた。 サジアーナでは外銀の介入を許していない。 私に愛想を振りまいた所で無駄という事は知っているはずなのに。
ヴィジャヤン一家も、準公爵夫妻、ヴィジャヤン伯爵夫妻、次男の妻が出席するのは当然としても、筆頭御典医見習に昇進した次男まで出席するとは思わなかった。 筆頭御典医見習なら外出は許されないはずでは?
いくら準大公の母方伯父とは言え、ジョシ子爵夫妻が招待されていたのも意外だった。 招待客の顔ぶれを見ると国の政治を左右する力がある実力者本人とその正妻が出席しているだけで、閣僚レベルは招待されていない。 閣僚を差し置いてもジョシ子爵を招待せねばならない理由があるだろうか?
ともかく、どの出席者にも後妻候補の一人や二人はいる。 なのに逆子の知らせに色めき立っている様子がないのはなぜだろう。 手の内を見せたくはなくても、こういう機会に根回ししておかねば候補リストに載る事は望めないだろうに。
怪力頑強で知られる準大公夫人なだけに出産で亡くなるとは思われず、表立っての競争になっていなかった、という所までは分かる。 でも逆子なら葬儀の準備と、その後の手伝いに誰を送るか、くらいは話してもよさそうなもの。 それもないのは候補が沢山居過ぎて膠着状態だから?
結婚式に出席する身支度を整えながらミナに訊ねた。
「国内では候補を絞り切れず、国外と、となる可能性はどれくらいあるかしら?」
私がこれからしようとしている事を読んだかのようにミナが答える。
「リュサベル王女様でしたら候補の筆頭になる事も可能ではないかと存じます」
リュサベルは今年十四歳。 亡くなったサジアーナ国王太子の一粒種で、婚約者は決まっていない。 前王太子妃マドリンは私に遠慮してか、表に出たがらず、修道院に入り浸りな為、リュサベルの結婚相手探しは私に任せられた。
国王陛下は皇国内の誰かとの縁組みを期待している。 準大公なら外国嫌いの王妃も諸手を上げて喜ぶだろう。 幸せな結婚となるかどうかは蓋を開けてみるまで分からないにしても、準大公と二人で並べば美男美女。 絵に描いたような夫婦と言える。
二十三歳の準大公にとって若過ぎる妻ではない。 儚げな風情で逞しさなど欠片もない少女だから準大公の好みが逞しい女性なら対象外だけれど。 まさかそういう視点で配偶者を選んだりはしないだろうし、リュサベルにしても相手が準大公なら不満はないはず。 あったとしても従順な彼女が国の決定に反抗するとは思えない。
問題はフェラレーゼ。 プラシャント皇王妃の実妹も十四歳。 婚約者がいるとは聞いていない。 それだけ見れば最初から負け戦。 けれど皇王妃の座を手に入れた国が準大公夫人の座も、となれば諸外国が黙ってはいない。 後妻の座を狙いたいのはどの国も同じ。 皇王妃の出身国は参戦を遠慮するよう根回しし、それがうまくいけばリュサベル以上の候補は現れまい。
皇国側にしても下手に口出しして内乱や外交問題とするより、準大公に選ばせようとするのでは? そこで準大公に近い人にリュサベルを推してもらえば。
ただレイやライの協力は期待出来そうもない。 では、誰が?
「準公爵夫妻が推す候補は誰なのか、探れそう? レイやライは知っていたとしても言わないような気がするわ。 準公爵夫人とは昨日会ったばかりだけれど、式の前にもう一度会って直接聞くべきかしら?」
「それは、上策とは言い難いかと。 逆子である事は準公爵夫人も先刻承知のはず。 こちらが何も言わずとも相手が何を考えているか正確に読み取れる人です。 もしリュサベル王女様を推す気持ちがあるのなら、逆子の事を漏らしたでしょう。 それがなかったのは後妻の件に関し、少なくとも現時点では何も言う気がないと受け取るべきかと存じます。 無理に押した所で受け流されるだけでなく、あちらの心証を害する事にもなりかねません」
招待しても断られる関係になったら困るのは私だ。 準公爵夫人に恩を感じる理由ならいくらでもあったから、彼女から情報提供を強請られたら断らなかったと思う。 なのに強請られた事は一度もなく、私からの心尽くしの土産でさえ遠慮し、受け取ってもらえた事はない。 それはミナも知っている。
「加えて準大公は意外に頑固な一面があるらしく。 後妻に誰を推すか、準公爵夫人に聞いた所でそれが実現する可能性は低いと思われます」
「現夫人も親が用意した妻ではないものね。 もっとも当時彼は伯爵家の三男。 いくら同一人物の婚姻ではあっても準大公夫人を選ぶのとは訳が違うわ。 ハレスタード皇王陛下も好きにせよとはおっしゃらないでしょう」
「皇王陛下の胸先三寸なのでしたら準大公本人に直接聞いた所で誰なのかは分かりません。 とは申しましても、本人の好みが全く無視される事はないかと存じます。 今年の皇王陛下主催新年晩餐会の料理が宮廷料理と言うより家庭料理だったのは準大公の好みが考慮された結果らしく。 宮廷舞踏会での選曲、ダンスの種類さえ準大公の都合に合わせたと聞いております。
それらと配偶者の選択を同列に語る事は出来ないにしても、無理強いは皇王陛下でさえなさらないのでは。 無理矢理入籍させた所で同衾を強制は出来ませんし、妻の座を勝ち取っても名ばかりでは後妻の実家の肩身も狭く、宮廷内での影響力が増すどころか減りかねません」
「すると鍵は準大公の好み? かつて浮き名を流した事のない人の女の好みだなんて。 見当もつかないわ」
「噂では、好みの女性を訊ねられると、妻、と答えるのが常だとか」
「次々現れる女を追い払うのが面倒で言った、口からのでまかせではないの?」
「だとしても、現夫人に似た所が一つもない女性では選ばれる可能性は低いでしょう」
「美声の女剣士なのですって?」
「加えて自ら土いじりもする働き者」
「蓼喰ふ虫とは言うけれど、それではまるで村の農婦」
「出自が村の農婦ですし。 不思議な事でもないかと存じます」
「歌と剣はともかく、土いじりをした事がある貴族の娘なんているかしら」
「いない故、居並ぶ美女の誰に秋波を送られても靡かなかったのでは」
「でも農婦でいいなら貴族の美女より沢山いるわ。 妻一筋になる理由が何か他にあるはずよ」
「理由になるかどうかは分かりませんが。 似た者夫婦ではあるようです」
「どの辺りが?」
「準大公夫人は自分の言動が世間にどう受け止められるか斟酌しない御方らしく、舞踏会から帰る時、ほっとした顔を隠そうともなさらないのだとか。 たとえそれが陛下主催の新年舞踏会であろうと。
貴族の女性でしたら主催者に失礼と受け取られる表情を人前で見せるはずがございません。 又、他の農婦でしたら出席した事のない華やかな席、高貴な人々から向けられる追従に舞い上がり、早々と帰る事に未練がましい態度を見せたと思います」
「確か、準大公は舞踏会嫌いなのよね。 意外な共通点があった、という事? まあ、夫はそれでいいとしても、そのような無作法、ヴィジャヤン準公爵夫人が看過するかしら」
「姑と確執らしきものがあるとは聞いておりません」
「あの知的な夫人が無作法を見逃しているのも不思議と言えば不思議。 伯爵夫人の頃でさえ誰にも遠慮しない物言いで知られていたのに。 平民の嫁に遠慮するだなんて」
「どうせ世間は咎めない、と見越していた可能性もございます」
「だとしても、性格が似ている嫁姑でさえ揉め事の一つや二つ、漏れ聞くもの。 昼と夜くらい性格の違う嫁姑の間に何の確執もないとは信じられないわ」
「準大公夫人は姑に盾つくような嫁ではないようで。 又、準大公夫人に仕える侍女はヴィジャヤン伯爵家の先々代から仕えた忠義者。 双方の性格を把握している賢い者が間に立てば、問題が起こったとしてもうまく誤摩化せるでしょう」
「こちらの息のかかった者を奉公人として送り込む事には失敗したのよね? 平民を選べばよかったのかしら」
「準大公の方からお声が掛からなければ雇われないようで。 とは申しましてもマレーカ公爵の娘が乳母として勤続が許され、ベイダー侯爵令嬢が家庭教師の座に収まった所を見ると、平民なら雇われるという事でもなさそうです。
いずれに致しましても肝心なのはリュサベル王女様が準大公に気に入られるか否か。 会わせてしまえば若く美しい妻に目を奪われ、後はトントン拍子となるかもしれません。 そこはこちらのお膳立て次第。 楽勝、とは申しませんが、かなりの勝算があるのではないでしょうか」
私もそう思っていた。 準大公に会うまでは。