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弓と剣  作者: 淳A
春遠き
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若便り  ある兵士の話

「今月の会誌はまだ届かぬのか?」

 主らしき兵士が隣の従者らしき男に少々いらついた感じで聞いていた。 

「紙の配達に何やら不手際があったという事で。 二、三日は遅れるかと思われます」

「うぬ。 待ち遠しいな」

「まことに」


 雪のせいで遅れた今月号を待ちかね、上記のような会話がそちこちで交されている。 これは従者のためであった「ともびと」が、今や主従共々に読まれる雑誌となったからだ。

 いや、主従どころか従者のいない平民の兵士にさえ広く読まれている。 廊下を通り過ぎる主従の会話を聞いて、そう言えば先週すごい雪だったな、と納得する俺は従者じゃない。 もちろん主でもない。 単なる北軍一兵士。 平民で、更に言えば若に憧れて入隊した新兵だ。


「ともびと」の人気の秘密は若の従者であるトビ・ウィルマーが書いている「若便り」だ。 若の言動を実に正確に報告している。 若自身は自分の日常を平凡、無味乾燥極まりないものと思っていらっしゃるようだが、誰がどう見たって若の毎日は他の新兵とは全く異なる。


 朝は的場での朝稽古から始まる。 朝稽古があるのは他の新兵も同じだが、俺達の場合掃除や雪かき洗濯に薪割りといった各種雑用を必ずやらされる。 と言うか、稽古の時間はそれをやっただけで終わるのが普通だ。 若なら弓の稽古に集中する事が許されているが。 そりゃまあ、当たり前だよな。


 朝稽古の後、若は朝餉を取る。 他の皆と同じ食堂で時間も食べる物も同じだ。 それだけ聞けば一見何の変哲もない一兵士の朝飯だが、若の場合側には必ず誰か有名人が座る。

 一般食堂で食べているんだから辺りには同期や同じ兵舎、つまり普通の兵士もいるが、若の両隣と正面に座れる人は事前にちゃんと決まっていて席争いのような見苦しいごたごたが起こらないように配慮されているのだ。

 朝餉だけじゃない。 若がいつ誰とどこで何を食べるかは完全に予約済みだ。 一ヶ月先まで。 御本人は知らないらしい。 若便りを読む限り、事前に知らされていたとしてもその日が来る前に忘れているっぽい。 幸い凄腕の従者がいる。 今まで手違いがあった事はないし、これからもないだろう。 たとえ御本人は何も知らなくとも。


 同席する人はどのようにして選ばれるか? ここは軍隊だ。 早い者勝ちでもじゃんけんでもない。 上下関係が全てを支配する。 同じ階級だとしたら、次は力関係。 過去の功績。 貸し借り。 と言っても金じゃない。 命やメンツを救った救われただから、過去の功績次第では平の兵士でも隣に座れたりする。

 因みに、これは兵舎に付属している食堂での食事に限った事ではない。 外食に誘われた時若が嫌と言った事はないので、いろんな人が気が向いた時に若を飲み食いに連れ出している。 一見無作為であるかのように見えるが、実はそれもしっかり交通整理されているのだ。

 どうやら若は好き嫌いのない御方らしく勧められた物は何でも食べる。 酒は飲まない。 ただ腹一杯食べるだけだ。 だが従者のウィルマーが外食続きでは塩分の取り過ぎになりがちで健康によろしくないと心配した。 それで最近の外食は三日に一度に減っている。

 外食の回数が減ろうと増えようと俺には関係ないが、若と食事を共にしたいと列をなしている中隊長や小隊長が何百人もいるんだ。 俺のような底辺(金もコネもない新兵)では、いつまで待った所で若と直接お話しする機会や一緒に飯を食うチャンスなんか巡ってくるはずはない。

 そんな俺達にとって「ともびと」はファン雑誌であり、貴重な情報源だ。 ウィルマーは文章を飾ったりしないから書いている事は日記というか、まるで業務日誌みたいだが、それはそれで面白い。


 最新号には若の結婚に関する逸話が載っていた。

『二十一日。 朝餉にて右手の御方が若に御結婚の御予定をお聞きになった。 不意を突かれた若が汁物をぶっと吹き出されたものの正面の御方は流石の身のこなしで御無事。 若にこの類の御質問をなさる際は、お口に何も含んでいない事をまず確認する気遣いが望まれる。』


 この反応を見る限り若の結婚は当分先と考えて間違いないだろう。 この日若の右手に座ったのはドミ・デュシャン。 つぼを外さない質問をする奴だ。

 ところで「若便り」には若の周りに座っていたのが誰か、実名入りで記載されていた事はない。 そんなものは書かれていなくとも読者全員が、いつ、だれが、どこに座ったかを知っているから。 二十一日の朝餉で正面に座っていたのは一昨年の軍対抗戦で大将を務めたモイ軍曹だ。

 座った人の名前だけじゃない。 何を話していたかも雑誌に載る前にとっくに噂になっている。 でも話に尾鰭が付くのは珍しい事じゃないし、若便りには公式発表の重みってものがある。 例えば若の童貞疑惑に関しては二十四日の記事でけりが付いた。


『二十四日。 夕餉の際、若が左手の御方より「雪まろげ」へのお誘いをお受けになった。 何も御存知ない若が、いいですよ、と気軽にお答えになったため、右手の御方がすかさず若の好みをお聞きになった。 若はその質問の真意を察する事が出来なかった御様子で。 食べ物の好みを聞かれたと思われたか、好き嫌いはありません、とお答えになった。 そんなはずはない、と更なる御質問あり。 質疑応答が繰り返された末、ようやく何の店かを理解なさった若は激しく赤面され、「無理!」と一言叫ばれて食堂より走り去られた。

 御中断なさった夕餉をお部屋へお持ちしたものの、ちゃんと食べ終わってから部屋に戻ったと主張なさり、お手を付けられない。 結局お食事は召し上がらないまま。 夜、何度もお水を飲んでいらした。

 この手の会話には慣れていらっしゃらない御方なので、仕掛ける際は夕餉がお済みになっている事を確認する気遣いが望まれる。』


 これに関して一部の連中の間で賭けの話も出ていたようだが、誰がそれを聞きに行くか、いや、聞いた所でその答えが事実だとどうやって確認するか、という点で座礁し、賭けにならなかった。

 二十四日の夕餉で左手に座ったのは今年軍対抗戦で大将を務めたマン・デュエイン上級兵。 今年の軍対では近衛大将を延長戦に持ち込み、なんと軍対史上初の引き分けを掴んだ。 春の人事異動で小隊長に昇進する事が内定している。 まさに時の人。 

 右に座っていらしたのはオカ・カルア将軍補佐で、若が走り去った後でもしばらく笑っていらした。 古参兵があっけにとられて笑うカルア将軍補佐を見ていた事が忘れられない。


 こう毎日逸話だらけではネタには困らなくとも全部を書いたら相当な量になる。 ウィルマーもどれを選ぶかでさぞかし苦労しているだろう。 有名人の従者ともなればそれ以外の苦労の方が多いと思うが。「若便り」に引用された話し手からの苦情処理とかもあるだろうし。

 そう言えばこの逸話が掲載された後、ウィルマーはデュエイン上級兵から、あの記事のせいで北軍の悪い奴の代名詞になってしまったぜ、もうちょっと書き方に気を遣ってくれ、とぼやかれたそうだ。


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