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弓と剣  作者: 淳A
遠雷
453/490

大樹 1  ヤジュハージュ国グラウプ侯爵(ナジューラの叔父)の話

 十七歳の時ヤジュハージュ国のグラウプ侯爵令嬢と結婚し、その時皇国籍を捨てたが、私は当代ダンホフ公爵の異母弟だ。 昨年ファレーハ皇太子妃殿下の筆頭女官として任じられたジェナ・ハーブストは兄の同母妹で、私の異母妹でもある。


 資産家であるグラウプ侯爵家への婿入りは悪い話ではない。 なぜ実母の身分が高い訳でもない私に回って来たかと言うと、兄弟の中でヤジュハージュ語を流暢に話せるのは私だけだったからだ。 ではなぜヤジュハージュ語のようなマイナーな言語が話せたか。 ヤジュハージュ語が好きという訳でも周囲に話せる人がいた訳でもないのに。 教師を自分の小遣いで雇ってまで学んだのはダンホフ一族の近くにいたくなかったからだ。


 私は一族の中でいつも見下されていた。 金儲けが下手なダンホフなど飛べない鳥も同然。 それに次代争いの本命は早い時期に頭角を現す。 兄は五歳の時に株の売買で儲け始めた。 私が八歳になった時それを聞いて自分もやってみようと思い、小遣いで株を買ったら、一ヶ月も経たずに暴落し、元手さえなくしたのに。

 株だけが金儲けの術ではないにしろ、投資の才能は父に勝るという評判の兄に私が勝てるとは思えない。 負けが決まっている投資を真剣に学ぶ気にはなれず、かと言って剣の道、文官、皇王族に仕える侍従職、どの道を選ぼうと国内のどこへ行こうとダンホフの名は付き纏う。 だがヤジュハージュなら住んでいる親類縁者は一人もいない。 ダンホフ家の支店なら世界中にあるし、言葉が話せればヤジュハージュに移住しても困る事はないだろうと考えたのだ。 母が存命だったら止められたと思うが、母は私が幼い頃に亡くなっていた。


 ジェナと私は年が近く、私がヤジュハージュ語を学んでいるのを見ると彼女も興味を持ち、一緒に学ぶようになった。 彼女の母は侯爵令嬢で、将来皇王族の愛妃か侯爵の正妻になれる可能性があり、誰にも見下されたりはしていなかったが。

 私達は兄妹というより学友で、良き相談相手でもあり、結婚後もお互いの人生であったあれこれを伝え合い励まし合う、そんな交流が続いていた。 だから彼女が皇太子妃殿下付き筆頭女官に昇進した時、私からお祝いの品と手紙を送っている。

 皇太子殿下主催の舞踏会での出来事と普通の昇進でない事はダンホフ経由で聞いていた。 難しい立場への昇進だからすぐに返事が来なくても心配はしなかったが、一年近く経っても音沙汰がない。 過去にも多忙に紛れ、手紙の頻度が落ちた事はあったが、今回の無沙汰はどこか違う。 私への無言のメッセージのような。 どうか会いに来て、と囁いているような気がしてならなかった。

 会いに行く事は出来るけれど、私には訪問すべき否か迷う理由があった。 ヤジュハージュ国王コンネルセ陛下はファレーハ皇太子妃殿下の異母兄であらせられる。 ジェナを訪問すればどうしてもファレーハ皇太子妃殿下の近況を陛下へ奏上しない訳にはいかない。 言葉をどう取り繕おうと明るい話題にはなりそうもないのに。


 逡巡している最中、陛下からのお召しがあった。

「グラウプ。 そなたを特務査察官に任命する」

 特務査察官は陛下の代理人で、宰相と同等の身分だ。 但し、公職ではない。 任期は任務遂行期間に限られ、査察院関係者以外に特務査察官である事や任務内容を公言してはならない事になっている。 とは言え、重職。 ダンホフ嫌いで知られる陛下からの任命に内心驚いた。

 ヤジュハージュの金融市場はダンホフ系列銀行に牛耳られており、そのせいで陛下は財政を思いのままに動かせない。 もっとも陛下のお望み通りに税を徴収し、歳出していたら国庫は破綻し、民は路頭に迷っていたと思うが。

 先代陛下はその点を御理解なさっており、ダンホフに感謝こそすれ敵意をお持ちではいらっしゃらなかった。 だが経済の動きに詳しくない当代陛下にとってダンホフは目の上のタンコブ。 「信用出来ない」と同義語でもある。

 私自身は金融業に携わっていないが、仮に携わっていて親切心で陛下に助言したとしても、口を出すなと追い払われたと思う。 陛下にとって私は死ぬまでダンホフ。 ヤジュハージュで暮らした年月が皇国で暮らした年月の二倍になった今でも。

 なのに特務査察官? 最早選り好みをしている場合ではない、という訳か。 それ程事態が切羽詰まっているのだとしたら、いくら名誉な重職であっても喜べない。


「ファレーハが蟄居を命じられているという噂の真偽を確かめよ。 事実ならその理由を知りたい。 レイエース皇王子の園遊会には出席した所を見ると幽閉や投獄ではないようだが。 昨年五月の舞踏会以来、公式非公式を含め、拝謁が叶えられた者は一人もいない。 医師の回診はなく、加減が悪い訳でもないのに皇王主催の新年舞踏会を欠席したとは只ならぬ」

 この件こそ、口を出すな、とおっしゃって戴きたかったが。 一連の外交問題に準大公が絡んでいる事は確実。 皇太子妃殿下が社交界から消えた以上、ヤジュハージュで準大公への伝手がある者は私だけだ。

 ある意味、これは陛下のお気に入りになる絶好の機会ではある。 ただ、経済政策にお強いとは言えない陛下のお気に入りになる事が必ずしも自分の利益になるとは限らない。 そういう計算高い所がダンホフのダンホフたる所以で、嫌われる原因なのだろうが。 嫌われた所で今更だ。


 準大公絡みとなると慎重の上にも慎重を期さねばならない。 御本人は無害でも周囲はヤジュハージュなど簡単に踏み潰せる実力者ばかり。 それに準大公は一見無害に見えるが、辺りが被る迷惑の大部分は準大公に起因している。

 常軌を逸する行動はともかく、なぜそのような事をしたのか、直接御本人にお伺いしても訳が分からない。 だから誤解が深まる。 賢さで知られた御方ではないので要領を得ない返事でも仕方がないが、その誤解を解く役目が御本人以外の者に回って来る。 その役目に当たった者こそいい面の皮。


 皇太子殿下の舞踏会から早々にお帰りになった件にしてもそうだ。 理由を聞かれた準大公は、恥ずかしいから聞かないで、とお答えになったのだとか。

 それを教えてくれた実家からの伝令に訊ねた。

「……つまり、どこがどう恥ずかしいのだ?」

「私にそこまでは。 旦那様は、あれだけ恥ずかしい真似をして恥ずかしくなかったらそれこそ問題、とおっしゃいましたが。 家内にはダンスが下手でメンザルバを踊るしかなかった事が恥ずかしいのだろう、とおっしゃる御方もおりますし。 いや、犬を連れて行った事、いや、それより東軍准将を呼び出した事、いや、皇太子妃殿下に向かってきっぱりずっぱりとおっしゃった事こそ、と。 何分儀礼上なさった失礼、間違いは数知れず。 家内の解釈も多種多様。 これという決め手もなく」

「単に答えたくないから恥ずかしいと言って誤摩化した、とか?」

「なんでもそう質問された時、準大公はぽっと頬を染め、聞いた者の背中をばしん、と叩いたそうで。 恥ずかしいと思っていらっしゃる事は確かです」

 いずれにしても正解は闇の中。


 陛下のお側に控えていたキャディエラ侍従長が私に一通の報告書を差し出した。 報告書には皇太子殿下主催の舞踏会で妃殿下が準大公の愛犬を粗末に扱い、その為準大公が短時間でのお帰りとなり、それが皇太子殿下の逆鱗に触れ、蟄居の命が下された、と書いてある。 それを読みながら、どうしたものかと急いで考えを巡らす。

 おおよその事実はダンホフ経由で聞いた報告と一致している。 しかし本当に犬が原因なら、恥ずかしいから聞かないで、というお答えにはならないだろう。 それをここで陛下に申し上げても、誰が言った、いつ聞いたを聞かれる程度で、ダンホフ経由の情報を信じては下さるまい。 それに犬が原因ではないなら何が原因なのか。 その答えを私が知っている訳でもない。


 皮肉な笑みを瞳に浮かべ、陛下がお訊ねになる。

「皇国では皇太子妃より準大公の飼い犬の方が偉いのか?」

「セジャーナ皇太子殿下は愛玩動物をお飼いになっていらっしゃいませんが、いらしたとしても皇太子妃殿下より大切になさるとは思えません」

「では準大公は皇太子より偉くなったか。 犬の扱いに難癖を付け、皇太子妃に蟄居を命じるよう皇太子を唆すとは。 ヤジュハージュを小国と侮っての仕業であろう。 英雄と祭り上げられ、いい気になりおって」

 陛下の口調にお怒りが滲んでいる。 無言でやり過ごしては同意した事になってしまうが、根拠もないのに違いますとは申し上げられない。 苦し紛れに準大公のお人柄を引き合いに出した。

「準大公は皇太子殿下に愁訴なさるようなお人柄ではないと聞いております。 たとえ愛犬の扱いに御不満があったとしても。 ましてや唆すなど」

「ふん。 皇寵厚き準大公だ。 讒訴など、やり放題であろう」

「謙るお人柄については陛下もお聞き及びかと存じます」

「猛虎に黙って殴られ、部下の機嫌を取る為饅頭を配り歩き、儀礼の練習を怠けて教師に嫌みを言われていた。 それを信じろ、と? どれも世間の目を欺く為の演技であろうが」

「ヤジュハージュにおいても準大公を実際に拝見した者、少なからず。 裏表なきお人柄を演技と疑う者はおりません」

「まさか全て事実とは言うまいな? 虚実入り乱れ、面白おかしく誇張された話もあるはず。 やれ八十人を引っ張って泳いだの、帽子のサイズは六十五センチの」

 八十人はともかく、帽子は私も単なる誇張と思っていたのだが、去年六頭杯を見物しに行った友人が土産にサイズ六十五センチの北方伯帽を買って来た。 しょっちゅう猛虎に殴られ、たんこぶが絶えない為、その大きさの帽子を特注したらしい。 もっとも今、問題にすべきは帽子のサイズではない。


「準大公は儀礼関係が苦手で、苦手な事は一寸伸ばしになさる、とはどの報告も一致しております。 その準大公が皇太子妃殿下への新年の御挨拶を一生懸命練習なさったのだとか。 それは皇太子妃殿下が御欠席なさると御存知なかったからとしか思えません」

「では突然理由もなく皇太子がファレーハに蟄居を命じたと申すのか。 わずか一年前は夫婦円満と報告されていたのに。 皇太子の寵愛が他の女性に移った様子はない。 準大公ではなく、競争相手に陥れられた結果でもないとしたら、一体誰の策略だ」

「北軍内神域で準大公が襲撃され、その事件にとある高貴な女性が一枚噛んでいたという噂が流れております。 誰と名指しはされておりませんが」

「それは明らかに冤罪。 ファレーハ自身は勿論、仕える女官の中にも大それた陰謀を画策出来る才のある者はいなかった。 第一、神官に指図するなど皇太子妃であろうと出来る事ではなかろう」

「御尤もな御指摘ながら、そのような大事件、公にされないのは皇王族の関与があったからとしか考えられません。 処罰らしきものを受けていらっしゃる皇王族は皇太子妃殿下のみ。 犬は表向きの理由で、実は、と世間が噂するのも無理はないのです」

 陛下は視線を宙に向け、ため息をつかれた。

「そのような流言飛語がある事自体、問題の根の深さを物語る。 実際にあったかどうかも疑わしい事件の冤罪を、どう雪げと言うのか。 名指しの中傷より質が悪い。 原因を探ろうにもヤジュハージュから連れて来た女官は全員役目を解かれ、しかも解任後帰国を許された女官が一人もいない」


 そうおっしゃったが、陛下の御関心は皇太子妃殿下の蟄居ではない。 昨秋、オルゲゼ公爵が何やら勝算ありげに皇国に潜入した。 手ぶらで帰国したのだが、その直後、ヤジュハージュに常駐していた皇国大使が任期終了前に突然帰国し、シンコプロスを始めとする皇国駐在ヤジュハージュ外交官は全員国外追放され、新たな外交官の受け入れを拒否されている。 皇国側に理由を訊ねてもなしの礫。

 オルゲゼ公爵は準大公の驚異的な力泳を見物したとだけ報告していたが、そのような情景を偶然道端で目にした訳でもなかろう。 何を企んだかは知らないが、失敗した挙げ句、誰の企みであるかを皇国側に察知され、国交断絶を招いたとしか考えられない。

 現在ヤジュハージュからの観光客や商人は皇国内に親戚がおり、国境まで出迎えに来た者を除き、国境で追い返されている。 陛下にとって急速に冷え込んだ両国関係の正常化こそが急務。 とは言え、オルゲゼ公爵を処罰した所で皇国の態度が軟化する保証はない。 又、皇国からオルゲゼ公爵の処罰を要求された訳でもないのに処罰したら陛下がオルゲゼ公爵の企みを知っていたと認めた事になる。


「皇国側が離縁を望むなら無条件で受け入れよう」

 陛下は、これで文句はなかろう、有難いと思え、と言わんばかりだが。 ハレスタード皇王陛下は新年恒例の閲兵式で準大公操縦の飛竜にお乗りになり、空から五万の兵の大歓声にお応えになった。 周囲がお止めしなかった事にも驚いたが、非常に生気溢れるお姿で、御容態芳しからずという噂を吹き飛ばした。 プラシャント皇王妃陛下第二子御懐妊の噂もある。 セジャーナ皇太子殿下が戴冠する可能性はなくなったと言ってよい。

 離縁してもしなくても皇太子妃殿下のお子様が戴冠する可能性はないのだから皇国にとって毒にも薬にもならぬ提案だ。 そんなものが餌になるか? とは思っても口には出せないが。

「そなたはダンホフ次代の結婚式に出席するのであろう? 準大公が準主賓とか。 ついでに皇国がヤジュハージュとの国交通商をどうしたいのか、再開の条件は何かを聞いて来るように」

 そのついでこそ真の目的。 しかし陛下にも面子というものがある。

「御意」


 承ったものの私が出向いた所で国交正常化に繋げられるかどうか。 物流停止で倒産が増えればダンホフにも被害が出るから実家に援助を頼む道もあるが、経済情報の早さでは右に出る者がいないダンホフの事。 被害を最小限に食い止められるよう既に手配しているだろう。 準備完了、後は本国からの撤退命令を待つばかりかもしれない。

 ヤジュハージュの国情に詳しくはないであろうナジューラがどう采配する? それより気になるのは彼が私をどう思っているか、だ。 単なる親戚と思われているだけならいいが。 次代になった途端擦り寄って来た追従者、と悪感情を持たれている恐れがある。

 直接会うのでさえ父の葬式とユレイアの結婚式、今回の結婚式でようやく三度目。 私の婿入りは兄の最初の結婚より早かったし、私が皇国を訪れた時もナジューラと会う機会はそうなかった。 それはやむを得ないとしても、手紙の遣り取りさえなかったのは私が故意に交流を避けていたからだ。


 兄の言葉の端々からロジューラに関しては将来を嘱望している事が窺えた。 けれどナジューラに関して全くの無関心で、そのせいか父方親戚でナジューラに肩入れしている者は一人もいなかった。 元々金儲けが上手ければ振り払い切れない程人がすり寄って来るが、下手だと生きていても死人扱いされるような家だ。 ナジューラが庶子の誰かに殺されると決まった訳ではなくとも爵位を継いだ正嫡子は何百年もの間一人もいない。 その歴史が覆えるような兆しは何もないのに継嗣に近づいたら、何が目的だ、と痛くもない腹を探られる事は必定。

 次代争いに負けた正嫡子が生き延びる道は分家か亡命。 どちらにしても後ろ盾がなければ実現は難しい。 亡命を選ぶとしたら手助けが出来るのは外国の親戚に限られる。 私自身は誰が継ごうと賛成も反対もするつもりはないが、ダンホフ次代がナジューラを殺そうと追手を放ったら、それを笑って追い払える程私の婚家は金持ちでも有力でもない。

 ナジューラが頼るとしたらまず母方の親戚だろう。 顔見知りに過ぎない私に自分の運命を託す相談をするとは思えないが、一応叔父だ。 父方の伝手を頼るとしたら一番の近親は私。 万が一身元引受人を頼まれたらどう対応するか、内心戦々恐々。 だから五年前先代ダンホフ公爵の葬式で会った時、そして昨年四月のユレイアの結婚式でも型通りの挨拶を交わしただけで終わらせたのだ。


 兄から頼まれたのならともかく、頼まれもしないのに死ぬ運命の甥に近づく気は全くなかった。 仮にナジューラ本人に縋られても母方の伝手を使えとか、親戚以外の誰かを頼れ、と門前払いに近い対応をしたと思う。

 頼られなかったから無礼な真似もしていないとは言え、ナジューラは蓄財の才はなかろうと馬鹿ではない。 私の敬遠と無言の意味を理解していただろう。

 ナジューラの瞳には何も浮かんでいなかったが。 恐れも懸念も。 希望さえ。 葬式で悲しむでもなく、結婚式で喜ぶでもない。 一言で言うなら無関心。 家、金、自分の命、未来、全てに関して。

 あのナジューラが次代に選ばれるとは。


 今となっては後悔先に立たず。 同時にダンホフの先行きに不安を抱いた。 ダンホフ一族は一枚岩ではない。 それどころか金と感情の縺れが常にあり、近親憎悪と言える程の泥沼状態だ。 そこに鳶に油揚げ。

 次代指名直後に表立って文句を言う者はいないだろうが、爵位さえ継げば何でも思い通りになる訳ではない。 それでなくともナジューラの金融采配能力に疑いを持つ者は多い。 本家の財産を急激に減らせば誰かに暗殺される事さえ考えられる。 今は身の守りを率先すべき時。 なのに城下町の整備、本邸の大改修、数万を越える新規雇用。 どれ一つを取ってもダンホフの基盤を揺るがしかねない巨額の出費だ。 しかも全てナジューラの一存で決定されたのだとか。 宝くじを当てたものの使い方が分からず散財している? 結婚式の祝儀があるから巨額の赤字にはならないと思うが。


 結婚式と言えば、準大公の御臨席を勝ち取り、しかも挙式日はヘルセスより先。 ヴィジャヤン派閥内でのダンホフの出遅れを一気に挽回する鮮やかな手際と言える。 普通の結婚式なら出席は痛い出費で、ダンホフでは兄弟の結婚式であっても欠席する事がよくある。 今まではダンホフに借金している者達に出席を強要し、その祝儀で全てが賄えるようにしていた。 それでも赤字が出ないようにするのがせいぜい。 本邸改修工事をやれる程の祝儀が集まった事などない。 ユレイアの結婚式では巨額の祝儀が集まったが、あれは瑞兆の御臨席を戴いたおかげだし、そもそもヴィジャヤン伯爵家の結婚式でダンホフ公爵家の結婚式ではない。

 ただ瑞兆の御臨席はなくてもナジューラの結婚式にはユレイアを何倍も上回る祝儀が集まるだろう。 単なる親戚に過ぎない私にさえナジューラの結婚式への招待状が欲しい者達から賄賂が届けられている。 準大公は海の生き神という噂がヤジュハージュ国内で広まっているのだ。

 断れば断る程、寄って来る人の数と貢ぐ金額は上がる一方。 出席が無理なら侍従侍女として同行させてほしい、と王族にまで縋られた。 縋りたくなる気持ちも分からないではないが。 七月にもう一つ準大公が御臨席なさる結婚式があるとは言え、ヤジュハージュにヘルセス公爵家、リューネハラ公爵家、プラドナ公爵家の親戚は一人もいない。 お忙しい準大公が結婚式に御臨席なさる暇など再びあるかどうか。


 ともかくここでぐずぐずしていても仕方がない。 ナジューラとの親交を深めねばならないし、準大公は二週間程度の滞在でヘルセス領へ向かうだろう。 その短い時間で準大公に近づくには本邸奉公人の中に手引きをしてくれる者が要る。

 と言う訳で、縋る王族はコンネルセ陛下に振り払って戴き、式の三ヶ月前にダンホフ本邸がある城下町に到着した。 町は活気に満ち溢れ、掃除が行き届いている。 歩いている民も身綺麗だ。 五年前訪れた時と本通りの位置は同じでも雰囲気が全く違う。 投資額に見合う、いや、それ以上の見返りがあったという事か?

 本邸も敷地内に入る前から以前との大きな違いを感じた。 近づこうとする者には歯を剥いて追い返そうとしているような家だったのに、愛らしい花が出迎えてくれたからか、なにやら心が温まるような。 奉公人も無駄のない動きは以前と同じだが、どの瞳も輝いている。 私が本邸で暮らしていた時には誰もが目を伏せていたから瞳を見た事などなかった。


 勝手知ったる実家。 案内を断って自分の部屋に向かおうとしたらダンホフ次代代行モウ・ナナシに止められた。

「大変申し訳ございません。 何分前例なき大規模改修工事の最中。 お客様の御身に万が一の事があっては申し訳ない為、何卒本邸でのお泊まりは御遠慮下さい」

 まさか玄関先で追い返されるとは。 兄がいたらこのような扱いをされたとは思えない。 兄の正嫡子、庶子の誕生は勿論、庶子の結婚や孫の誕生の際にも義理を欠かした事はないし、それなりのお返しもあった。 それは兄弟仲が良いからと言うより、セジャーナ皇太子殿下とファレーハ皇太子妃殿下の御成婚に尽力し、その波及効果でダンホフに利益を齎した事に対する謝礼だと思うが。

 過去に何度も本邸を訪問して迷惑を掛けていた訳ではない。 皇国には度々訪問しているが、本邸を訪れたのは兄の二度の結婚式と父の葬式、合計三回だけだ。 今回は大変込み合う事を考慮し、侍従と護衛は他に宿を取らせ、本邸には各一名しか連れて来ていない。

 しかし相手は次代代行。 当代代行ではない。 事前にナジューラから出されていた指示に従っている? だとしても予告なく現れた私の滞在許可を南の別邸にいる次代に確認している暇はないはず。 門前払いされる程恨まれていたとは思えないし、恨んでいたとしても、やられてもいない門前払いをやり返すのは行き過ぎだ。 現時点でのナジューラは順風満帆、さすがはダンホフ次代と親族を唸らせているが、味方が多くては困るという訳でもあるまい。


「少々早い到着である事は承知の上。 五月に開催されるセジャーナ皇太子殿下の舞踏会にも招待されているのでな。 ここは一つ、融通をきかせてもらえないか」

「改修は全館全室に及ぶ為、お泊まりになれるような状態ではないのです」

 本邸内に部屋がいくつあるのか十七になるまでここで暮らした私でさえ知らないが、数百を越える。

「一気に全室を改修する訳でもあるまい。 客室でなくともよい。 私の独身時代の部屋がまだあるだろう?」

「侍従が城下町にある宿屋へ御案内致しますので、そちらにお泊まり下さい」

 静かな、だが有無を言わせぬ口調。 たかが平民のくせに、と一喝したくなったが、現在の彼の身分は次代代行。 他国の侯爵より上なのだ。 特務査察官なら多少の重みはある。 しかし公言出来る役職ではない以上、ここがヤジュハージュ国内であったとしても、だから滞在させろと強要は出来ない。

 ナジューラがどれ程ナナシを信頼しているか分からないし、玄関での押し問答は人目を引く。 下手に騒いで結婚式の招待を取り消されては元も子もない。 私は大人しく宿へ向かった。


 宿のダイニングルームはほとんどの席が見知った顔で埋められていた。

「叔父上。 お久しぶりです」

 私に気付いたユーエン・ダンホフが立ち上がり、声を掛けてきた。 ユーエンは次代争いの筆頭で、私もかなり肩入れしていた。 艶のいい肌を見る限り失意の日々には見えない。 近況を聞きたいから同席を勧めた。

「積もる話をしたい所ですが、いくつかまとめねばならない商談の最中でして。 明日の朝食を御一緒させて戴けないでしょうか」

 ユーエンが下がると次代争いの二番手、ニアンが話し掛けて来た。 同じ理由で同席を断られたので明日の昼食を約束した。

 その次はエミラ。 金額的には次代争いの三番手だが、三人の中では一番の年長で、肩入れしている親族の数は一番だった。 私の読みが正しければ親族の動向を掌握している。 彼とは夕食を約束した。


 エミラが離れると親戚や商売関係者が入れ替わり立ち替わり挨拶に現れた。 と言ってもほとんどが儲け話の自慢で私にとって興味がある話ではない。 ただどの話にも準大公という共通点があった。

 北(大峡谷、或いは北軍第一駐屯地、スアサンダ離宮付近、ケルパ神社通り)に会社(旅行、製薬、不動産、食料品と業種は多種多様)、又は支社(支店、派出所、店舗)を設立する。 或いは、ホテル、リゾート、別荘の建設計画。 言い回しに多少の違いはあるが、皆同じ言葉で締め括った。

「準大公を北にお留め置かれた事は皇王陛下の御英断と申せましょう」

 誰が指揮しているのか、滅多な事では一丸とならないダンホフが完璧なまでに足並みを揃えている。 わずか半年やそこらでナジューラは一族の掌握を果たした? だとしたら彼は家を興した初代、銀行を創設した八代、株式市場を開設した十五代より後世に名を残すダンホフ公爵になるだろう。


 エミラがナジューラをどう思っているか聞いてみたい気もしたが、私に対して正直に答えねばならない義理がある訳でもないから聞かなかった。 エミラはフレイシュハッカ離宮関連商取引の金策も手がけている。 翌日夕食の席で、離宮の様子を聞いた。

「大規模ではありませんが、そちこち改装されております。 このところ皇太子妃殿下は毎日そちらでお過ごしですし、毎年恒例の舞踏会に向けての御準備もあるのでしょう」

「皇太子妃殿下のお加減について何か聞いているか」

 エミラは私の問いが聞こえなかったかのように全く別の話をし始めた。

「ヤジュハージュには高さ百メートルを越える大樹があるのだとか」

「うむ。 木もあそこまで育つと神々しい。 国内のみならず、外国からも人を呼び寄せている」

「是非皇国にも一本欲しいものです」

「同種の木は皇国にもある。 大きく育たないだけで」

「ヤジュハージュで大きく育った木を動かせませんか?」

「あれ程の巨木、動かせん。 動かしたとしても根付くまい。 木を殺すだけだ」

「なるほど。 それ故でしょうか。 皇王陛下が準大公を動かそうとはなさらないのは。 北で大きく根を張り、遥か遠くから人を呼び寄せる。 大樹のような御方ですから」

 私が何のコメントもせずにいると、エミラが念を押すかのように言う。

「仮に、ですが。 尊き木陰を奪おう、傷つけようとする輩が現れたら、その木陰で憩うダンホフ一族が看過する事はありません。 同じく大樹を慈しみ育てるヤジュハージュなら、わざわざ行動でダンホフの本気を示さずとも分かるはず。 とは思いますが、私はヤジュハージュの国情に詳しい訳でもないので。 叔父上のお考えを聞かせて戴けないでしょうか」


 私への問いかけのようでいて、実はヤジュハージュへの脅しだ。 皇国の大樹を動かそうと企む者が再び現れたらダンホフの制裁を覚悟せよ、という。 オルゲゼ公爵は準大公誘拐を企んだのか?

 だがオルゲゼ公爵だけを問題にしているのならこのような回りくどい寓話にする必要はない。 外交筋を通してオルゲゼ公爵の処罰を要求すれば済む。 この脅しはオルゲゼ公爵の後に続く者が出る事を予想しての事だろう。

 実際、準大公人気は衰える所を知らず。 それにオルゲゼ公爵の件では王族の内意を受けていた疑いがある。 もしかしたら皇太子妃殿下も準大公をお側に置きたくて何かなさった?


 だとしたら至急何らかの手を打たねば取り返しのつかない事になる。 ダンホフにとってヤジュハージュから全面撤退する事は難しくないが、ヤジュハージュ経済にとっては大打撃。 国内金融機関をめちゃくちゃにされたコンネルセ陛下が黙っているはずはなく、報復なさろうとするだろう。

 安易に武力に訴える事はないと思いたいが。 ナジューラの暗殺とか。 あり得る。 正嫡子が必ず死ぬ家だから次代を殺すくらい簡単、と。 だがダンホフ次代を殺すよりヤジュハージュ国王を殺す方がどれだけ簡単か。

 私が陛下をお諫めした所で、いや、お諫めするのが宰相であったとしても聞き入れては戴けないような気がする。 では誰なら適任か。


「エミラ。 ジェナに会いたいのだが」

「ヤジュハージュ人が妃殿下付き女官へ近づく事は禁じられております。 グラウプ侯爵として会いたい場合、皇太子殿下のお許しが必要となる為、いつになるかお約束出来ません。 私の補佐としてでも構いませんか。 それでしたら明日、私はフレイシュハッカ離宮へ出発する予定なので、御一緒に如何でしょう」

「有り難い。 同行させてもらう。 ところで皇太子殿下に拝謁を請う事も禁じられているのか?」

「それは皇太子殿下のお気持ち次第としか。 叔父上からジェナ叔母上にお訊ねしては? そちら経由の方がお目通りが叶う可能性が高いと思います」


 これで帰国しても何もしなかった訳ではないという申し訳は立つ。 ダンホフとして離宮を訪れる事に一抹の不安は拭えないが。

 不安は昨日この宿に到着した時から感じていた。 出来レースと言うか。 誰かに操られ、筋書き通りに動かされているような。

 だとしたら誰が書いた筋書きだ? ナジューラ? ヤジュハージュに詳しいと聞いた事はないが。 誰か新しく相談役でも雇ったか? ナナシが意外に策士であった可能性もある。

 準大公、でない事だけは確かだ。 ユレイアの結婚式でお会いした準大公が脳裏に浮かぶ。

「あ、どうも、どうも、サダ・ヴィジャヤンですっ! あの、一応、大隊長してますっ! 北軍で」


 皇国の大樹と言われても、あれが? としか思えない。 けれど御本人がどうあれ、ダンホフ一族はそう思っているのだ。 それは親戚に合唱されるまでもなく感じ取れる。

 再び訪れたくなるような本邸。 町の活気。 民の笑顔。 早春を彩る花々。 いずれも以前私が訪れた時にはなかったもの。 挙式程度の理由で起こるはずはなかった現象だ。 これらが準大公のおかげなら彼は紛れもなくダンホフの大恩人。


 準大公の為に動いたとしても私が非難される事はないだろう。 自国の国益に反しない限り。 だがヤジュハージュではギラムシオをお迎えしたいという機運が嘗てない程盛り上がっている。 ギラムシオの招待を諦める事はヤジュハージュの国益と言えるのか? そう私が判断したら陛下は御同意下さるか?

 どちらの国益にもなる道を探すつもりではいるが。 もし私の行動がヤジュハージュの国益に反するとしたら。 母国と自国、どちらかを選ばねばならないとしたら。

 私はどちらを選ぶ?


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― 新着の感想 ―
[気になる点] >ヤジュハージュにヘルセス公爵家の親戚は一人もいないし  ここは文脈的には「ダンホフ公爵家」では?
2024/02/05 10:20 退会済み
管理
[一言] 更新ありがとうございます。 今回のブラウプさんは 今までのダンホフ家の方たちとは違い、陰鬱なダンホフ家そのものと同じような悲惨な人生を生きてきた方ではないのですね。けれど頭脳明晰なことに変…
[良い点] ダンホフ家の話が続いてめちゃくちゃ楽しいです! みんな若が大好きですね こうしてダンホフは変わっていったみたいな裏事情がだんだん分かってきてすごく面白いです。 コロナでどこにも行けないの…
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