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弓と剣  作者: 淳A
遠雷
452/490

白湯 2

 代行は当主と次代が突然同時に死亡したとか、病で意思決定が不可能になった場合に任命される。 当代の弟と次代の息子、どちらに継がせるかで揉めた時など、次の当主が決まるまでの繋ぎとして親族の誰かが代行を務めるのだ。

 当代も次代も健康なのに縁もゆかりもない下級侍従を代行に任命するとは、ダンホフは勿論、どこの貴族にも前例はないだろう。 しかもナジューラ様が事前に当代様へ相談なさった様子はない。 いくらダンホフでは次代の方が当代より上の立場とは言え、当代様には長年当主として君臨し、人脈、資金、そして軍を掌握している。 実力行使でこの任命を取り消そうとなさるのではないか? 大規模な内部抗争を始める必要はない。 ナジューラ様はまだ軍を完全に掌握してはいらっしゃらないだろうし、当代様が護衛の誰かに私を暗殺せよとお命じになるだけで済む。

 それに次代様には沢山の御兄弟、親族がいらっしゃる。 皆々様が同じ考え、同じ利害のはずはない。 利害が錯綜する一族の舵取りをしていかねばならないのに、このような独断専行は反感を買い、造反の原因にもなるのでは?


 飛行場で私を出迎えたトリステラ執事は無表情で、驚きは勿論、侮蔑も反感も窺えない。 まあ、下級侍従に感情を読まれるようでは公爵家執事は務まらないと思うが。

 因みにこれが初対面。 私は飛竜から下りたばかりだから厚い防寒コートを着ており、代行証であるペンダントトップは見えない。 なのに私が代行証を取り出して見せる前に右の人差し指と中指を伸ばして左胸の上に置き、礼をした。 次代様へするように。

「お帰りなさいませ。 長の御旅行、さぞかしお疲れでございましょう」

 後ろに上級侍従十人を従えている。 飛竜を使えるのは当代様、次代様とロジューラ様、貴賓客、緊急時の伝令、特別な配達に限られるが、執事が出迎えるのは当代様、次代様とロジューラ様、貴賓客の時だけだ。 これは御到着と同時に関係各方面へ連絡や命令を出す必要があるからで、伝令や配達なら侍従が出迎える。 侍従なら誰でもよいし、一人か二人いれば充分だろう。 つまりこの出迎えは代行が到着すると執事が知っていた事になる。

 私の防寒コートは奉公人用のお仕着せだから貴賓客でない事は一目瞭然。 代行任命は私にとってさえ寝耳に水だったし、飛竜より早い連絡手段があると聞いた事はない。 一体いつ本邸に知らせが届いたのか? 私にとっては突然でも、ナジューラ様は私より先に執事へ通達なさっていた? しかしそれなら次代様が私に執事へのメモを託す必要はないはず。


 トリステラ執事が恭しく聞く。

「緊急警備会議が間もなく開かれるのですが、如何なさいますか?」

 次代代行である以上、次代様がなさるように振る舞わねばならない。 この場合お休みになるか、御出席なさるか。 次代様のお側に仕えた事のない私には見当がつかなかった。 かと言って、どちらにしたらいいのでしょうと執事に聞ける訳もない。 苦し紛れに訊ねた。

「議題は?」

「本邸改修工事の件です。 警備の側面から抗議がありまして。 紛糾する恐れがございます」

 ならば出席しなくては。 それに疲れているとは言っても私は客として乗っていただけだ。 客席は風除けに覆われ防寒されている。 身を切られる冷風に逆らい、手綱を離せない操縦士のつらさを思えば大した事はない。

 準大公は飛竜を御自分で操縦なさるのだとか。 御来臨は夏だが、上空の風はさぞかし冷たかろう。 寒がりでもいらっしゃる。 御到着と同時に温かいお飲物を差し上げたい。 それには飛行場も改修する必要がある。

 それが完成するまで私は生きているか? お飲物を差し上げるのは私ではないかもしれない。 完成どころか明日の朝陽さえ拝めるかどうか。 悲観的な考えが次々浮かんで来そうになり、急いで気を取り直す。

「出席する」

「ではこちらへ」


 トリステラ執事が私を先導し、その前を行く先触れが第一会議室の扉を開けて告げた。

「ナナシ次代様代行、只今御到着」

 全員が起立し、私に向かって礼をする。 ざっと見渡した所二十名の出席者がいたが、知った顔は一つもない。

 私が着席すると議長らしき人物が私に向かって挨拶した。

「お初にお目にかかります。 次代様より参謀総長を拝命致しました、ザラ・バースランデンと申す者。 何卒お見知り置き下さい」

 それに頷き、出席者に自己紹介するよう促した。

 ヨスタウ警備隊総長、シャオドナ本邸警備隊長、ラモショル飛竜隊隊長。 その他には次代様側近数名、侍従長、侍女長、建築士、工事現場監督、インテリアデザイナー、家具担当責任者など。 テラノース船隊隊長は出席していなかったが、議題が議題だし、次代様側近が代役を務めているのかもしれない。


 名前は分かったが、誰が次代様の味方で誰が敵なのか。 全員が味方、という訳ではないだろう。 大きな声では言えないが、ダンホフにとって一番大切なのは金。 忠誠も金で買える。 現在一番のお金持ちは次代様、と考えるならダンホフ軍の忠誠を握っている事になるが、金で買える忠誠心をどれだけ信頼出来るか。

 それにレートラッドや皇都別邸で会った次代様の側近達はいずれも金で買われたようには見えなかった。 それは心強い。 とは言え、ダンホフは数十人で思いのままに動かせる程小さくはない。

 バースランデンにしても前職は水兵長と聞いている。 昨秋次代様側近になったばかりで側近として仕えた時間が短いだけでなく、それ以前も次代様と親しい訳ではなかったようだ。

 それが今や参謀総長。 水死してもおかしくはない事故で助かり、しかも助けた御方が準大公。 岸辺でヒャラを御一緒し、お褒めのお言葉を戴いたのだとか。 まさかヒャラの才能を買われて参謀総長に任命されたのだとは思わないが。

 それに次代に指名される前のナジューラ様は風前の灯火と思われていた。 先代皇王陛下お見送りの際に船が沈没した時も、庶子に殺される前に自害なさろうとしたのでは、という噂が流れた程。 間もなく殺される正嫡子の側近に志願するとは自殺行為だ。 一族の命運を道連れにする事も考えられるのだから、少なくとも金欲しさや軽い好奇心による志願ではない。 ただ経歴から見て、本邸内の警備事情に詳しくはないだろう。 本邸外の事となるとどこまで知っているか。 私より世間を知らないかもしれない。


 ダンホフ公爵軍は公称九千五百。 実数二万を擁する。 末端兵士にとってバースランデンは顔を見た事もなかった水兵あがりだ。 陸での経験が全くない参謀総長の命に従うかどうか。 忠誠心だけで二万の兵を動かせるものではない。 そもそも司令官としての能力で選ばれたのではなく、取りあえず忠誠心に関して疑いはないから、という人選だったように見える。

 他家の貴族軍なら総司令官は参謀総長だが、ダンホフ公爵軍の事実上の総司令官は本邸警備隊長。 つまりシャオドナだ。 彼がバースランデンの命を素直に聞くかどうか、現時点では分かっていない。 バースランデンどころか次代様の命を聞くかどうかも。

 警備隊、本邸警備隊、飛竜隊、船隊はそれぞれ独立しており、組織上の上官は当代様だ。 報告は参謀総長にしているが、当代様がお忙しいから便宜上そうしているだけに過ぎない。 参謀総長に各部隊の長を解雇する権限はないし、懲罰する場合でも当代様の許可が要る。

 邸外の警備隊は領内はもとより、世界中に分散するダンホフの別邸、銀行、商店等の警備を統括しているから兵数は多いが、一騎当千の精鋭揃いなのは本邸警備隊で、最新の武器も本邸が一番揃っている。 もしヨスタウとシャオドナが戦ったら、バースランデンがヨスタウ側に付いたとしてもシャオドナが勝つだろう。


 私がなぜそのような軍事の詳細まで知っているかと言うと、貴族の正嫡子が他家に奉公に出る場合、婿の口が見つかるまでの腰掛けか、その家の執事や家令等の重職に就く為かに分かれる。 私はダンホフ別邸の家令職を狙っていたので侍従の仕事と直接の関係はない軍事組織の事も学んでいたのだ。 下男に降格された後でその知識が役に立つ日が来るとは思っていなかったが、大筋は忘れていない。

 要するにシャオドナが次代様に付くなら安泰。 そうでない場合、次代様はかなりの苦戦を強いられる。 側近の中の誰かを本邸警備隊長に任命する事も出来なくはないが、ほとんどが船員上がりだ。 剣士が素直に従うか疑わしい。 参謀総長がタケオ大隊長だったら別だが。 あの御方には周囲を睥睨し、従属させる意志と迫力がある。 今日参謀総長、いや、本邸警備隊長に任命されたとしてもダンホフ全軍が即座に従っただろう。


 三年前、タケオ大隊長に稽古を付けてもらったダンホフ精鋭剣士は全員深い敬意を払っていた。 あれは単なる強さへの畏敬ではない。 当代様でさえタケオ大隊長と同席なさった時は度々視線を送り、御機嫌を窺っていらした程だ。

 タケオ大隊長程ではないにしてもシャオドナとヨスタウからは長年大軍を指揮してきた司令官の威厳が感じられる。 けれどバースランデンからは感じられない。 では他に誰が適任か、と聞かれても困るのだが。

 レートラッドによると、ナジューラ様は別邸でお生まれになり、普段は国内にある別邸のどれかにお住いで本邸にお顔を出される事は滅多になかった。 それ故本邸警備隊の誰とも親しい関係をお持ちではない。

 かと言って、別邸警備兵と親しいという訳でもないらしい。 ヨスタウに初めてお会いになったのも次代に指名された後と聞いている。 庶子の御兄弟なら本邸で生まれ育っており、本邸警備隊員の何人かとは飲み友達という間柄らしいが。

 シャオドナの忠誠心がどこにあるか分からない内は彼と事を構える訳にはいかない。 何も起こりませんように、と密かに祈る。


 工事現場監督のスーペイルが改修工事項目を読み始めた。

 窓を全てガラス張りとする。

 正面玄関扉の一部にガラスを嵌め込む。

 廊下の姿隠し用扉を取り外す。

 武器を邸内倉庫から邸外倉庫へ移し、邸内倉庫は来客用荷物置き場として改装する。

 本邸周囲十二カ所に設置されている投石機を全て取り外し、駐車場にする。

 八頭立て馬車が両方向にすれ違えるよう、正門を広げる。


 まだ続きそうだったが、シャオドナが激しくテーブルを叩いて怒鳴った。

「許し難いっ! 本邸警備を何と心得るっ!」

 出席者の中で一番の年長であるヨスタウがシャオドナを嗜める。

「代行の御前だ。 声を落とせ」

 私が命令した改修工事ではないし、何を改修するかは今初めて聞いた。 次代様が大規模な本邸改修工事をなさるという噂は聞いていたが。

 シャオドナは私が諸悪の根源であるかのように睨む。

「代行。 御承知のように本邸は本来要塞。 敵の襲撃に備えるべく設計されております。 本邸の崩壊は当家の権威失墜に他ならず。 慶事、弔事、戦時、平時、いつ何時であろうと警備は万全でなければなりません。

 これは軍事の基本中の基本。 しかも今回、客数だけで五千を越える。 客の奉公人を装い敵が紛れ込む恐れもあり、軍備を増強すべき時。 減らすなど言語道断。 次代様を始めとする御家族皆様の安全を考えれば美観や快適は二の次三の次とすべきでしょう。 即刻改装工事中止をお命じ下さい」


 出席者の視線が私に集中した。 到着したその日に発言を求められるとは。 いや、発言ではない。 これは次代様の命令を覆すよう、求められているのだ。

 ナジューラ様だったら御自分の間違いを認め、工事を中止なさるか? それとも勧告を退ける、或いは即答出来ないとお逃げになる? しかしいつまで逃げる気だ? それに即答を避けたせいで工事がお式に間に合わなかったら命令を覆したと同じ結果を招く。

 頭の中で次代様のお言葉を反芻した。

「対応に迷う事があっても一々私の采配を仰がず、何が準大公の御心に添うかを自分で考え、行動するのだ」

 この場合、どうすれば準大公の御心に添うのだろう? 工事中止、ではない。 それは確かだ。 本邸が陰気臭い場所である事は聞いていたが、これ程とは思わなかった。 これでも去年より随分ましになったのです、とレートラッドが言っていたが。 このままでは結婚式が最初で最後の御来臨になるだろう。

 シャオドナに引き下がってもらわねば。 とは言え、この様子では正面からの強行突破は跳ね返されるか無視されて終わりだ。 絡め手を使うしかない。 どれが使える?

 準大公は明るい邸を好まれると言った所で、それはそれ。 こちらにはこちらの都合あり、と改修に同意してはもらえないだろう。 血戦を生き延びた戦士が受け入れるのは事実と結果のみ。 攻めるとしたら、そこだ。


「シャオドナ。 撤去される武器の中に使用された実績のある物は?」

「全てです。 これらは敵を恐れさせ、躊躇させる役目を果たしておりますので。 命を落とした敵が一人もいなかったから無駄だったとは申せません」

「過去、本邸内では代替わりの度に百名以上の者が殺されていた。 五百年間の犠牲者を数えれば二千数百名を越える。 撤去予定の武器は外敵を恐れさせたが、ダンホフ家内の人命を救う役には立たなかった、という事で間違いないな?」

 当代様の代替わりの現場にいたシャオドナこそ知っていよう。 犠牲者は正嫡男子とその妻子。 そして彼らを守ろうとして死んだ侍女、侍従、警備兵だ。 過去帳に記録されている死因は病死となっているが。 どの代替わりを見ても庶子が爵位を継ぐ半年前に皆都合良く病死している。 庶子、又はその手の者によって殺害されたとしか考えられない。 ロジューラ様、ナジューラ様は正嫡子であっても殺されていないが、これは実に五百十三年ぶりの事なのだ。


「安全第一には同意する。 しかし既存の軍備では家族を守れなかった事もまた事実。 お客様の中に敵が紛れ込む危険性は否定しない。 だが敵ではないお客様の安全はどう守る? 準大公は次代様の義弟、当家の親族でいらっしゃる。 家族さえ守れなかった武器に頼って準大公の御身を守れるのか? 守れると思う根拠は何だ? 護衛として猛虎が付いて来るから大丈夫、とでも言うつもりか。

 武器が何の役にも立たないとは言わない。 本邸の威容が敵を恐れさせる役に立っていた事も認めよう。 とは言え、本邸は長い間正嫡男子の処刑所でしかなかった。 その過去は今更変えようもない。 だが未来は。 それはこれから我らが作るもの。

 次代様は準大公の御来臨が何度もある事を望んでいらっしゃる。 それを実現する為の改修に中止はない。 たとえお式には間に合わなくとも」

 底冷えのする声でシャオドナが質問する。

「つまり丸腰の家でなければ御来臨は望めない、と?」

「そうは言わない」

「では、具体例を伺いたい」

「それは私にも分からないが、二度と行きたくない家については三年前、準大公のお言葉を聞く機会があった。 取っ手が付いていない扉と拷問部屋のある家。 陽の当たらない部屋や廊下、落とし穴、隠し扉、忍び返しがある家も嫌、と」

 忍び返しについては、それがある家だとタケオ大隊長がぴりぴりして準大公への八つ当たりがきつくなるという理由だったが、そこまで説明する必要はないだろう。


 出席者の視線がシャオドナに集まる。 が、無言。 シャオドナ以外に表立って反対する者はいないようだ。

「スーペイル。 改修項目が全て記載されている書類はあるか?」

「こちらです」

 全部で十八項目あったが、どれも分かりやすくまとめられている。

「出席者は全項目を検討し、異議、又は改良を提案したい項目があれば、その理由を次の会議までに書面で提出せよ。 次は来週木曜、十時開始とする。 それまでに提出がない場合、異議なしと理解する。

 項目に対する異議、又は質問がある場合、それに対する所見、或いは答えをスーペイルが翌週の会議で発表する。

 スーペイル。 出席者が各項目の進捗状況と完成予定日を閲覧出来るようにしておけ」

「承知しました。 工事見積がまだ提出されていないものがあり、予算超過で変更される場合は如何致しましょう?」

「予算超過による変更はない。 但し、準大公は御自分の為に大金を使わせる事を申し訳なく思うような御方である。 こちらが好きでした事であっても。 それ故最初から派手なデザイン、高価な材料は避ける事。 又、準大公の御為にわざわざ用意したと見えないように配慮せよ。 準大公家の家紋入り刺繍やお名前入りの陶器は恐縮させるだけだ。 食卓に置く塩を大峡谷産にするのは喜んで戴けると思うが」

 すると当代様侍従長ソブラズマが発言した。

「お待ち下さい。 他の宿泊客もいらっしゃいます。 準大公がどちらにお泊まりになったのか、隠せるものではございません。 最上級の部屋と設えを用意しなければ世間体が悪いだけでなく、不敬の誹りは免れないでしょう。 皇王庁からの懲罰さえあり得ない話ではないかと存じます」

「そういう事情があるなら最上級の部屋を用意するのは構わないが、そこでお休み下さるとは思えない。 美しい寝台や絹の寝間着を汚す事を恐れ、床に裸でお休みになるかも」

「叙爵前ならともかく、皇寵ひとかたならぬ今、そのような振る舞いをなさるでしょうか?」

「そのような振る舞いを平気でなさるお人柄、という事だけは忘れないように。 翌朝未使用の寝台と寝間着を見て後悔した所で詮無き事。 念の為タケオ大隊長の部屋には装飾天蓋なしの寝台を二つ。 寝間着は木綿で同サイズ、同色の物を用意せよ。

 どちらの部屋にお泊まりになるにしてもタケオ大隊長が準大公のお側から離れる事はない。 どれ程当家の警備が万全であろうとな。 それは当家の警備に御不満があるという意味ではなく、弓と剣。 お二人でお一人、と考えるのだ。

 ところで、リストに窓やドアの消音が含まれているが、準大公とタケオ大隊長のお部屋だけは微かに開けただけで音が響く方がよい。 その方が安心してお休み戴けるだろう。 無音を好まれるお客様もいるだろうから消音装置の取り付け取り外しは簡単に出来る物が望ましい。 ドアには小窓を付け、開けなくとも外に立つ人物が誰か、室内のお客様から見えるようにしておく事。

 尚、リストには入っていないが、御到着後すぐに白湯を差し上げられるよう、飛行場に給湯室を設置してもらいたい。 私からは以上だ。 何か質問は」

 挙手はなかったので退室した。


 反対されなかったから賛成されたのだとは思わない。 突然現れた邪魔者として暗殺される事も考えられる。 もしかしたら次代様は、自分より私が殺される方が混乱は少なくて済む、とお考えになったのかもしれない。 不平不満も代行になら言いやすいだろうし。 それは次代として当然の戦略で、殺されたとしても次代様を恨む気はない。 レートラッドを道連れにするのは心苦しいが。

 いずれにしても次代様からの課題は早めに片付けておきたい。 私はトリステラ執事に次代様のメモを見せ、式次第と関係者の名前を聞いた。 かなりの分量ではあったが暗記すればいいだけだからそう難しくはない。

 問題は警備だ。 これはシャオドナと面談するしかない。 相談せずに決めれば大きく拗れる。 後回しにすれば解決する訳でもないから、その日の内にシャオドナを執務室に呼んだ。


「人生一発大逆転を絵に描いたようなお帰り。 おめでとうございます」

 皮肉の一つや二つは覚悟していたし、人生一発大逆転は分かる。 だが、お帰り? 次代様ならともかく。

「代行が本邸を訪れるのは出張であってお帰りではない」

「ほう。 御自分の出生の秘密を御存知ないとおっしゃる?」

「出生の秘密?」

「あなたのお名前はオジューラ・ダンホフ。 先代ダンホフ公爵の第一正嫡子としてお生まれになったアジューラ様の第一正嫡子でいらっしゃいます」


 そんな事を言われた事は今まで一度もなかったが、驚きはしなかった。 腑に落ちた、と言うか。 親が私を見る目。 他の兄弟と比べてどこか違う扱い。 そしてトリステラ執事が出迎えの時に言った、お帰りなさいませ。

「誰から聞いた?」

「一歳のオジューラ様をホルタン伯爵家へお連れしたのは私ですので」

「他に知っている者は?」

「少ないかと。 全て秘密裡に行われた事ですし。 私にしてもある別邸を訪れた時、この子をホルタン伯爵家へ届けよ、と上官に命じられただけ。 本邸の警備兵が別邸で生まれ育ったオジューラ様のお顔を知っているとは思わなかったからでしょう」

「だが次代様は御存知?」

「おそらく。 それ故の代行任命かどうかは分かりませんが」


 出生の秘密を知っても私の心境にさしたる変化はなかった。 仮に実父母が生きているのだとしても会いたいとは思わない。 ただ少し、好奇心が動いた。

「そもそもなぜ実子を殺したり手放したりする? 私の場合など手放した後、ダンホフに奉公させている」

「理由は聞いておりません。 けれど五百年以上、爵位を継いだ正嫡男子が一人もいなかった。 その裏には余程の事情があったのでしょう。 自分の子が殺される運命と知り、座してその日を待つ親ばかりではないはず。 ある代は分家を。 ある代は名を捨て、生かす事を考えたとしても不思議はない。 世間が噂する通り庶子弟に殺された正嫡男子もいたのでしょうが。 当代様の代替わりの時、病死として記録された者達は名は失っても命は失っておりません」

「若い頃、私には言い交わした女性がいた。 身分違いという訳でもなかったのに父に猛反対され、絶縁されたのだが。 反対の理由を知っているか?」

「いいえ。 ですが、命は救われても子には恵まれないよう配慮したのでは? 過去にはダンホフ直系を手に入れ、よからぬ事を企んだ者もいたようで。 無届で実子を手放した事実が陛下のお耳に届けば家名断絶。 そうなる前に本当に殺さねば収まりがつきません」

 

 これが事実だとして。 今、シャオドナが私に告げる理由は何だ? 人払いをしなかったからレートラッドも聞いている。 シャオドナがレートラッドの口の堅さを知っている訳でもあるまいに。 要するに知られても構わない。 それどころか噂になってほしい? 何の利益があって?

 せっかくの出自。 しかも代行に任命された。 ついでに爵位を狙えと煽っている? 代行でさえ重荷に感じているのに。

 もしや私を傀儡として利用したい? 退役する年齢のシャオドナがそんな野望を抱くか?

 突き詰めて考えようかとも思ったが、シャオドナの、そして次代様の理由が何であろうと私の務めに変わりはない。 このお役目は命じられたからと言うより、私自身が準大公に喜んで戴きたくてしている事だ。


 それ以上自分の出生に関して詮索する事はせず、警備の詳細について協議した。 大筋に関しては今すぐ決めておかないと細部を詰めている時間がない。 どのような不手際があろうと責めるような御方ではないが、ないからこそ、その安全を保障しきれない所が気になる。

 結局、本邸へ入れるのは招待客のみ。 招待客が連れて来た奉公人や護衛は全員敷地内に建っている奉公人用宿舎で待機させる事にした。

「五千を越える客人の身の安全がダンホフだけの責任となるが?」

「お任せ下さい」

 その言葉を信じるしかない。 私は本邸警備のエキスパートではないのだから。


 工事にしてもお式までに全てを完成させる事は到底無理な話。 お目につきそうな所だけ先に済ませ、後は追々とするしかない。 もっとも私が毎日やっている事のほとんどは喧嘩の仲裁だが。

 準大公の部屋に付ける表札の字体はどちらがいいか。 お寝間着を縫うのは誰か。 晩餐のメニューから室内履きのデザインに至るまで。 一生懸命であるが故の諍いと思うと、殴り合いの喧嘩であっても厳罰とはしづらい。

 それに奉公人同士の揉め事ならまだましと言える。 早々と招待客が現れ、居座ろうとするのには参った。 最初は私も丁寧にお引き取りを願っていたが、一人や二人ではない。 説得だけで一日が潰れた時、辛抱が尽き、トリステラ執事に怒鳴った。

「一々私に聞くな! 私の役目は準大公のお側を務める事だけだ。 さっさと追い返せ!」

「お言葉ではございますが、執事といえども奉公人。 当代様か次代様の御命令がなければ招待客を追い返す事は出来ません。 たとえ御到着がお式の三ヶ月前であろうと。

 十把一絡げに追い返してもいいのか、誰なら御滞在を許し、誰ならお引き取り戴くのか。 皇都までお伺いを走らせていてはお返事を戴くまでにお式当日となるでしょう」

 いっそ全てを投げ出し、逃げようかとさえ思った。 それなら代行でいる内に準大公にお会いしておきたい。


 次代様からの紹介状が届いたその日、私は北へと出発した。 生憎準大公御自身は御不在で再会が叶わなかった事に落胆したが、準大公のお側近く仕える方々から有益な情報を聞けたのは収穫と言えよう。

 お好きな物やお嫌いな物を聞いた時、料理番を務めているフロロバに言われた。

「三年前と比べて変わった物ですか? うーん。 ちょっと思いつきませんね。 好き嫌いのない御方ですし。 食べた事がない物でも一度はお試しになります。

 好みよりお行儀の方が問題じゃないでしょうか。 三年前に比べりゃまし、と言えなくもないですが。 身内の身贔屓で。 三角食べとか食べ順の精度は期待しないで下さい。 指で摘んでも失礼にならない食べ物とかでお願いします。 祝辞を間違えずに読むので精一杯だと思うんで」

「では準大公に相応しいコース料理を用意するのは止めるべき?」

「それって美術品のような仕上がりですよね。 食べ物だと気が付かないかも。 駐屯地では他の兵士と同じ物を食べているし、俺が自宅で作っているのもただの家庭料理で手の込んだ物じゃないです」

「しかしウィルマー執事がそのメニューを見てどう思われるか」

「そりゃ同行していれば五月蝿い事を言うでしょうが、今回はタケオ大隊長だけですから。 それより怖いのは。 あの、何かをやらかす、あれですよ」

「あれ、とは?」

「大隊長の側にいると、はっと気が付いた時にはもう何か起こっていて。 自分の人生が信じられない事になっていたり。 あなたにもありませんでした? そんな事」

「私が今、ここに生きて立っている事自体、その結果と言えるでしょう」

「そんな事は一生に一度、もうあったから二度とない、て訳でもないんでねえ。 覚悟しておいた方がいいですよ」

 すると又何かが起こる? 信じられない事がこれ程沢山起こった後で?

 充分あり得る。 あの御方なら。

 何も起こらないはずがない。 それは期待と呼べない事もなく。


 御来臨の日、抜けるような青空の彼方から準大公が操縦する茶竜が現れ、無事着陸なさった。

「ナナシ! また会えたね。 元気にしてた?」

「お言葉、忝く存じます。 息災にしておりました。

 長の滞空、お体が冷えたのではございませんか? よろしければ白湯をお召し上がり下さい」

「うん、体があったまる。 さすがナナシ、気遣いの人!」

 そして御出発の朝も。

「何から何まで世話になった。 ありがと! また会いたいなあ」

 そうおっしゃって私の手をきゅっと握って下さった。 風の贈り物のような暖かい気流が不眠不休で疲れ切った私の体を通り過ぎる。 その後、不思議な程爽やかな気持ちで満たされた。


 お見送りを無事に済ませ、次代様に代行証をお返ししようとした。

「完成していない改修工事があるのだろう? 完成するまで代行を務めよ」

「全て完成となると、後何年かかるか」

「準大公には大変御満足戴けた様子。 あの御機嫌を見れば又の御来臨が期待出来よう。 陸海空を縦横に駆ける御方のお側を務めるのは大儀。 私は海、そなたは陸、と分担すれば苦労も半分となる。

 なに、陸と言っても金儲けはロジューラ。 宮廷関係は父上が何とかして下さる。 そなたが采配するのは陸の三分の一。 全体の六分の一と思えばよい」

 瞳に笑いを浮かべておっしゃる。 本邸を私に丸投げして御自分は海へ遊びに行く、という算段か。


 ある意味、次代様は準大公以上に奔放と言えよう。 ただ準大公の奔放は天衣無縫。 次代様の奔放は計算ずくめでいらっしゃる。 どちらにも勝てない事に変わりはないが。

 考えてみればこれは適材適所。 仮に私がダンホフ公爵家を継いでいたら凡庸な当主にしかなれなかった。 金儲け、政治、新規開拓、いずれの才もなく。 かと言って才のある者を採用し、活用する道を思いつくでもなく。 ダンホフという巨大な船が静かに沈んで行くのを眺めるだけであったろう。

 本邸改修の監督は大変だが、二、三年で終わる。 終わりが見えている仕事なら私にもやれない事はない。 何よりダンホフ次代代行なら下級侍従より何度も準大公とお会いする機会がある。

 私は軽いため息と共に深く一礼し、このお役目をお受けした。


 改修箇所が次々増やされ、次代様が爵位を継承した後も公爵代行としてこき使われると知っていたら、たとえ準大公の笑顔という餌を目の前にぶら下げられようと引き受けなかったのだが。



追記

 現在ではどの飛行場にも給湯室が設置されているが、これを初めて設置したのはダンホフ本邸飛行場で、次代代行モウ・ナナシ(後に公爵代行)が創案した。

 公爵家の代行という重職を長年務めた人物であるにも拘らず、ナナシの生涯は謎に包まれている。 史実として確認出来るのは生没年のみ。 下級侍従から次代代行への昇進は今日に至るまで他に例がない。 理由には諸説あるが、青竜の騎士(後の準大公、サダ・ヴィジャヤン)の推薦があったとする説が有力。

 ダンホフ公爵家には正嫡子が触れると輝く「ジューラの誇」と呼ばれるダイヤがあり、ナナシが触れた時に輝いたと伝えられる。 それ故彼をダンホフ直系とする史家もいるが、推測の域を出ない。

 因みに慣用句、「ナナシがなくては始まらない」は青竜の騎士が白湯をナナシと言い間違い、それが広まったもの。 だがこれはナジューラ・ダンホフの言葉で、それ程ナナシを頼りにしていたとする説もある。

(「ダンホフ本邸改修詳細」より抜粋)


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― 新着の感想 ―
[一言] >次代様の奔放は計算づくめでいらっしゃる。  この場合は「計算ずくめ」。  接尾語の「ず」と「づ」や「じ」と「ぢ」は、四つ仮名といって、特殊な使い分けがなされるため、主なもの用を暗記してお…
2024/02/05 09:34 退会済み
管理
[良い点] ナナシさん優秀!才がないだなんてとんでもない! 短い間にあれほど的確に若と師範を把握してあれほど的確な指示ができるなんて、人を見る目と気遣いと胆力どれも素晴らしい。 そしてなし崩しに公爵代…
[良い点] 弓と剣と理解してるだけで優秀ですね。他はなんだかんだ若優先ですけど。そして実際の関係はボケとツッコミと誰か教えてあげてw 更新ありがとうございます。
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