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弓と剣  作者: 淳A
春遠き
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転属  タマラの話

 コオ・タマラ、第一駐屯地第四十八小隊隊長に任ず。


 やったぜ! 朗報に思わず歓声をあげそうになったが、ぐっと腹に力を入れて堪えた。

 どれ程この転属辞令を待っていた事か。 勿論、待っていたのは私だけではない。 若の入隊以来、第一駐屯地への転属は今まで以上の狭き門。 針の穴をくぐりぬけるくらいの激戦となっている。

 だが転属願いを提出した他の誰と比べても自分の熱意と努力が劣っているとは思わない。 そもそも私が北軍に入隊したのもいつか若が北軍に入隊したら若の部下になりたい、そう思ったから選んだのだ。 つい最近若の勇名に踊らされて部下になりたがっている者達とは熱意の年季が違う。


 若が北軍を選ぶかどうかは賭けだった。 だから本当に入隊して下さった時の嬉しさは言葉では言い表せない。 その時点では若の部下になるという夢に一歩近づいたに過ぎなかったが。

 私には現在の勤務地である第三駐屯地でならすぐにでも中隊長補佐になれるくらいの功があった。 ただ一度階級が上がってしまうと、たとえ場所が第一だろうと小隊長に戻るという事は降格になる。 それは不名誉な何かをしでかしたというのでもなければ起こらない人事。 だから中隊長補佐昇進を打診された時、第一への転属希望を理由に辞退した。


 第一駐屯地で中隊長補佐に昇進出来るなら嬉しいが、そんな大昇進、待つだけ無駄だ。 何年待った所で空きなど出る訳がない。 いや、空き自体は出る。 将校(小隊長以上)になると退官年齢は六十歳。 定年前に除隊する将校はあまりいないが、毎年誰かしら退官する人はいる。

 だが中隊長の数は北軍全体でも百人前後しかいない。 中隊長補佐は中隊長一人に付き一人。 大隊長なら十人以上補佐がいる人もいるから数だけ比べたら中隊長補佐の方が少なかったりする。 ほとんどが貴族出身で、仮に空きが出たとしても第一駐屯地所属の小隊長の昇進が優先される。

 ただ補佐になるには出自や軍功より補佐される中隊長の指名が何より優先されるから私にも全くチャンスがないとは言えない。 今の所私を指名してくれそうな中隊長の知り合いはいないが、もし若が中隊長に昇進なさったら私を指名して下さる可能性は大いにある。


 そして若が入隊なさった。 六頭のオークを射殺するという歴史に残る偉業を成し遂げられての堂々たる入隊だ。 小隊長昇進は無論の事、この分なら中隊長昇進も時間の問題だろう。 入隊していくらも経たない昇進の場合、最近知り合った部下より幼い頃から馴染み深い私を補佐に御指名下さるのではないか。 私にはヴィジャヤン伯爵の後ろ盾もある。

 とは言え、楽観は出来ない。 私が平民である事に変わりはないし、若が中隊長に昇進する頃には更に人気が出て、伯爵子弟で若の補佐になりたいという兵士が入隊しているかもしれない。 だから私は若のお側で手伝える立場に付けたら嬉しいくらいの気持ちでいる。 補佐という地位に拘るつもりはない。

 いずれにしても第三駐屯地所属のままでは若が中隊長に昇進なさったとしても私が補佐に指名される可能性は少ない。 大隊長から第一駐屯地の小隊長の中から選ぶようにと命じられる可能性があるから。

 転属が叶い、また一歩、夢に近づいた手応えを感じる。 十年前、どこに入隊すべきか迷っていた時、執事である父に意見を聞いておいて本当によかった。


「お父さん。 若は将来、どの道を選ばれると思いますか?」

「皇国軍のどれかに入隊なさるだろう。 なぜそのような事を聞く?」

「いつか若が部隊の指揮を執る時、補佐として出来る限り助けて差し上げたい。 それが私の夢なのです」

「ふーむ。 それなら北軍に入隊してはどうか。 五軍の内、若がどこに入隊なさるか賭けは賭けだが。 入隊するとしたら北軍が一番あり得る。 これは私の予想に過ぎないがね」

「北軍、ですか? なぜでしょう? 自領の自警団か、他の貴族の私兵団へ入団する可能性の方が高いのでは? それにバーグルンド侯爵からは養子に望まれた事もあるのでしょう? あの御方ならいずれ南軍将軍となる事も考えられますし。 サハラン公爵は近衛軍将軍。 ラガクイスト侯爵は西軍将軍。 オスタドカ伯爵は東軍副将軍に確実視されていると聞きました。 それに養子でなければ、どこかから縁談が持ち込まれる可能性も高いのでは?」

「縁談に関して言えば旦那様は上級貴族からの申し込みという申し込みを全てお断りになっていらっしゃる。 養子もだ。 理由はお伺いしていないが。 それから考えると若が近衛、東西南へ行く可能性は少ないと思う。 北軍以外、どこも上級貴族との繋がりが非常に強いから。 同じ理由で貴族の私兵団への入団もないだろう」


 父の勘は鋭く、私が知る限り予想が外れた事はない。 他にこれと言った決め手もなかったので北軍に入隊したが。 本当に若が入隊なさるまで父の予想が当たるかどうか半信半疑だった。

 夢に一歩近づけた事は嬉しい。 だが転属辞令が下りたからと言って安心は出来ない。 第一駐屯地は全北軍の中でただ一つ、将軍、副将軍、大隊長が揃っている任地だ。 他の駐屯地は大きい所でも副将軍が定期的に閲兵に行くぐらいで将軍のお顔を見る機会など滅多にない。 大隊長や中隊長も様々な軍功を挙げた軍人がきら星のごとく勢揃いしている。 あの北の猛虎が小隊長だ。 他は推して知るべしだろう。

 また、北軍駐屯地周辺の町はどれもかなりの大きさだが、中でも第一駐屯地一帯は人口では北最大で賑やかな繁華街もある。 元々若者にとって魅力のある土地柄の上に猛虎人気。 そして今は若人気が加わった。 それだけに他の駐屯地からの転属願いが津波のように押し寄せている。

 転属願いだけではない。 猛虎や若を目当てに貴族の若樣方が続々と北軍に入隊しているのだとか。 北の貴族だけではなく国中から。 おまけに転属願いを出しているのは若い兵士に限らない。 兵士の中には退役後、家に帰るよりどこかの貴族の家で護衛等の職を得たいと思っている者もいる。 つまり今ではそこそこ年季が入った兵士も第一へ転属を希望するようになった。

 それに第一に転属したから退官まで第一と決まったものでもない。 特に平民だといつ蹴り出されてもおかしくはないのだ。 普通だったら。

 

 私には切り札がある。 ヴィジャヤン伯爵家の後ろ盾だけではない。 若のおむつを替え、幼少の八年間を共に過ごし、若の信頼を勝ち得ている、という誰も持っていない切り札が。 但し、私の転属を陳情してくれるよう若に頼んだ事はない。 下手に何かを頼んだら文字通りに受け取られ、将軍閣下に直訴するとかの暴挙を平気でなさる恐れがあるから。

 私が北軍に入隊して以来、若はさぞかし御成長なさった事と思う。 その御成長ぶりを詳しく知っている訳ではない。 ただ実家からの手紙や偶に帰省した時の御様子を拝見するだけで知れる事はある。 どうやら子供の頃の純粋で直裁な御気性にお変わりはない。 だとすると、物事を穏便に運ぶ事が苦手でいらっしゃる。 転属を陳情してくれと私に頼まれ、それを上官、その上官、そのまた上官に陳情した事は、その日の内に若の上官だけではなく第一駐屯地中に広まるだろう。

 頼まれて嫌と言えない性格は平の兵士ならいい。 だが昇進確実の貴族の子弟が上官でもない者の言う事を素直に聞くのは褒められた事ではない。 それは若の昇進が考慮される時プラスとはならないはずだ。 特に将来、若が中隊長に昇進する時、私の勤務態度を見た訳でもないのに幼い頃世話をしてもらったという理由で私を補佐に指名したら、せっかくの昇進が取り消される事にもなりかねない。


 転ばぬ先の杖。 そうはならないかもしれないが、そうなっては申し訳ない。 だから若には何もお願いしなかった。 そんな事をせずとも会う度に若を抱きしめている。 それを見せつけるだけで私がどれだけ若と近しいか、周りに知らしめるには充分だ。

 勿論それだけではない。 父を通し、ヴィジャヤン伯爵様にお口添え戴けるようお願いしてある。 トビにも第一の人事に関し、情報を流してくれるよう頼んでおいた。 トーマ大隊長の義兄であるドーラン小隊長に知遇を得たのは偶然だが、彼を通じてトーマ大隊長に御挨拶申し上げる機会を得たし。

 それにしても一番の幸運は若が北軍に入隊なさったという事だ。 若自身は北の猛虎に憧れて、とおっしゃっている。 十年前、父がそれを予想出来たはずはない。 これが運と言うものか?

 せっかく掴んだ幸運だ。 決して無駄にはせんぞ。

 

 良き知らせを齎してくれた目前の総務部人事担当課長に向かい、決意を込めて言った。 

「謹んでお受けいたします」



追記

 コオ・タマラ

「北軍十剣」の兵士の一人。 本人は若を助ける気満々でいたが、この後何度も若に命を助けられる羽目になる。 ある意味、幸運を一度も無駄にしないで生きた人。


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