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弓と剣  作者: 淳A
遠雷
448/490

成就 2

「お、お許しを。 お慈悲を」

 老婦人は真っ青になり、平伏した。

「あの夜何があったのか、あなたがした事見た事全てを正直に言いなさい。 ダンホフからいくら受け取ったのかも」

「め、滅相もない。 私はただ王女様に。 付いて来るようにと命じられ、付いて行っただけでございます」

「王女様が? 一度も会った事のない男に御自分から会いに行ったと言うの? 侍女でもない、あなただけを連れて? おかしいとは思わなかった?」

「そ、それは。 おかしいとは思いましたが。 王女様が、あの御方は私の子の父となる人だから会いたい、とおっしゃいまして」

「なんですって?」


 すると王女様の特殊能力は予知?

 大変勘のよい御方ではあった。 侍女が伝え忘れた予定の変更を御存知だったり。 カシュエの言葉を全て信じるつもりはないけれど、ここまでは事実である可能性が高い。

「では王女様からダンホフに愛を告白なさった?」

「告白? あ、それ、は。 その、お暇は、なかったかも」

「え?」

「王女様は公爵様の寝所に、あの。 お寝間着のまま忍び込まれたので」

「なっ?! なぜお止めしなかったのっ!」

「しました。 したのです、が。 お部屋の前で私が王女様を必死にお止めしている音を公爵様に気付かれてしまって。 何分お寝間着姿。 夜伽のお相手と勘違いなさったとしか。 その誤解を解こうにも、当時の私のお粗末な皇国語とあちらの片言ブルセル語では埒があかず」

「王女様は皇国語に堪能でいらっしゃるのよ」

「でも恥ずかしがって何もおっしゃらなかったのです。 お名前も、エリ、としか。 それだと町でよく聞く源氏名ですし。 あっと言う間にドアに鍵を掛けられてしまって。 一体どうすればよかったのか。 警備兵を呼んでいいのやら悪いのやら」

「ではダンホフはいつ王女様の素性に気付いたの?」

「事が終わって、すぐ、ではないかと。 娼婦でしたら生娘のはずはありませんし。 ドアが閉められて小半時経った頃、公爵様が寝乱れたお姿で廊下に飛び出し、お付きの方の部屋へと駆け込まれまして。 何やら御相談なさっておりました。 その結果、王女様をお荷物の中に隠して出発する事にしたようで」


 近くの椅子に腰掛けようとしたけれど、その場で崩れ落ちた。 リジューラを見ていた侍女達が一斉に立ち上がって駆け寄る。

「テュナラン王弟妃殿下。 医師を呼び入れる事をお許し下さいますか?」

「いえ、いえ、結構よ。 単なる旅の疲れだと思うの。 心配しないで」

「女性の医師も控えておりますが」

「大丈夫。 旅装のままだったのがよくなかったのだわ。

 カシュエ。 着替えを手伝いなさい。 他の者は下がってよい」

「畏まりました」


 人払いはしたものの誰が聞き耳を立てているか知れたものではない。 着替えながらカシュエに小声で訊ねる。

「あなたはずっと王女様のお側に?」

「はい。 お亡くなりになるまで。 その後、お暇を頂戴しましたが」

「王女様は、お幸せに見えた?」

「それは、もう。 今日はどんないたずらをして旦那様をびっくりさせてやろうかしら、といつも楽しそうな御様子で。 色は同じだけれど中身が全く違うお飲物をお出しになったり。 下男に変装して旦那様へ足湯をお持ちしたり。 誰も考えつかないような事を次々思いつかれるのです」

「ダンホフは、怒ったりしなかった?」

「いつも笑いの絶えない御夫婦でいらっしゃいました。 王女様のお加減がよろしくない時は、王女様から見えないところで悲しそうなため息をもらしていらっしゃいましたが」


 陛下になんと報告しよう。 事実をありのまま?

 事実ではあっても真実はあるの? それとも事実の積み重ねが真実?

 ロジューラ殿下が健やかに育ち、リジューラ殿下が生まれたという事実。 そして両殿下の緑の深さ。 これらは全て王女様の予知が生み出した結果なのでは?

 ならば、この後は? ロジューラ殿下の能力が何であるのか私では分からない。 金融財政に関して並々ならぬ手腕をお持ちなのだとか。 でも王族の能力はそのような即物的なものではない事の方が多いのだ。 とは言え、それだけでもブルセルを豊かにするだろう。

 王女様はロジューラ殿下が御家族で母の故国へ帰り、国を治める事を望んでいらしたのだろうか。 だから正嫡男子が庶子弟に殺される事で有名な家であっても正妻として嫁ぐ事をお気に掛けなかったのか。 ブルセルにお住まいの頃は政治経済に興味がおありのようには見えなかったけれど。 時々塔に上って遥か遠くに見える城下町を眺め、民の幸せを願っていらした。


 しかしロジューラ殿下がブルセル国王となる事を喜ぶ人ばかりではない。 そもそもロジューラ殿下御自身、国王の座を望まれるかどうか。

 ダンホフの次代ナジューラは金融関係の采配を全てロジューラ殿下に任せたと報告されている。 ブルセル国王として動かせる金はダンホフ公爵家の番頭として動かす金の十分の一にもならないだろう。

 それにダンホフ公爵が金儲けの才がある長男を手放すだろうか? 王女様との御結婚がダンホフの悪行の結果でない事は分かったし、彼が王女様を心から愛していた可能性もある。 けれどそれと彼が強欲である事には何の関係もない。

 ただ周囲はともかく、ロジューラ殿下に真実を告げれば牛後より鶏口を選ばれる可能性はある。 ブルセル王国はフィシェルズ大公家が牛耳り、ダーラツ王は傀儡と信じられているけれど、実際は国王陛下が国政を完全に掌握しており、フィシェルズ大公は陛下の御意を実現する手代に過ぎない。 傀儡の噂は故意に流している。 王族を一人も国外に出したくないから。

 ブルセルは軍事小国。 近隣諸国から配偶者として望まれたと言えば聞こえはよいけれど、現実は人質として要求されているのだ。 拒否すれば攻め込まれる。 だからフィシェルズ大公が政治の実権を握っているかのように振る舞い、大公令息や大公令嬢を人質に差し出していた。


 様々な思いが錯綜し、豪華絢爛たる結婚式、山海の珍味を並べた食卓、どれもはっきりとは覚えていない。 招待客の中の見知った顔は気になったものの、これだけ数がいると互いに会釈するのが精一杯。 一人一人と話し込んでいる時間はなかった。

 それは幸いと言える。 何も言わなくとも、いえ、何も言わない、言いたくない事ほど察するのに長けたディルビガー公爵がいたから。


 不思議な事にダンホフ公爵もディルビガー公爵を避けていた。 と言うか、他の客と変わらない短い挨拶をしただけで終わらせた。 報告によるとダンホフはセライカ王国内に千億を越える資産を保有している。 今の所セライカにとってダンホフは客。 ダンホフが上の立場だ。 けれど、もし資産を皇国内へ戻すか他の国へ動かしたい場合、金融政策を牛耳るディルビガーが首を縦に振らなかったら資産を動かせない。

 ナジューラの婚約者がディルビガーの娘であった事もディルビガーとの繋がりを強固にしたかった故であろう。 それが婚約破棄となった。 噂では慰謝料一億とか、二億と言う人もいる。 それなりの額ではあったのだろうが、千億の命運を握る男に対し、少しは済まなそうな顔を見せてもよさそうなもの。


 もっともここにはかの準大公が出席していらっしゃる。 ディルビガーの影が霞んだとしても当然と言えるのかもしれない。 ダンホフ公爵夫妻、リューネハラ公爵夫妻、新郎新婦は勿論の事、出席者全員の視線が常に準大公を追っていた。

 私の目には普通の青年貴族にしか見えなかった。 着ている軍服は儀礼服なだけで美麗なものではないし、人を振り向かせる美貌でもない。 彼より彼の後ろに影の如く立っていた剣士の方が余程存在感がある。

 とは言え、「何か」はあるのだ。 なければ東軍祭祀長や主賓のテイソーザ大公までいそいそと話し掛けに行くはずがない。 特にテイソーザ大公の気難しさはブルセルにまで聞こえているほど。 そして賄賂が少しも通用しない事でも知られている。

 たとえ瑞兆の実父で皇寵があろうと、その地位や財産が皇王陛下より尊いはずはない。 皇王室の威光を傷付けるような行為が少しでもあれば暗殺されるだろう。 その暗殺を指令する立場にいるのが皇王庁長官であるテイソーザ大公だ。 

 準大公にとって文字通り生殺与奪の権を握る御方。 準大公の方こそテイソーザ大公にすり寄って行くべきだろうに、歩み寄られてもぼーっと立っているだけ。 テイソーザ大公が微笑みながらおっしゃる。


「準大公。 道中は無事であったか?」

「はいっ。 おかげさまで良いお天気に恵まれ、何事もなく到着致しました」

「はっはっはっ。 準大公の何事もなくは、かなりの事があったりもするからのう」

「そ、そのような事が、ありましたっけ?」

「うむ。 あった、あった。 何度もな。 何があったかを言い始めたら長くなるので端折るが。

 さて、今回は事があったか、なかったか。 準大公が乗った飛竜に訊ねたら何と答えるであろう」

「何もなかったと答えます。 ぎゃーす、ぎゃぎゃっす、という感じで」

「ふっ。 よい、よい。 青年の覇気、愛すべし。 挫くべからず、とは先代陛下からの忝きお言葉。 このテイソーザ、いかに老骨なれど忘れるはずもなく。 安堵せよ」

「……ありがとうございます?」


 なぜ疑問形なの。 しかも飛竜の鳴き真似? 意図した無礼ではないとしても、あんまりでは? とは思ったけれど、準大公の不調法をテイソーザ長官がお気にされた様子はない。 大公が準大公の無礼を見逃してあげる理由などないでしょうに、あの口調の温かさは看過と言うより慈愛。

 そして先代陛下のお言葉。 どのような経緯があってそうおっしゃったのかは知らないけれど、準大公のやる無茶を笑って許す、という意味にしか受け取れない。 それを誰の耳にも届くように話した。 これは先代陛下のお言葉を違える気はない、道中本当に何もなかったのかもしれないが、あったとしても罰する気はない、という皇王庁の意思表示だろう。


 皇寵を戴いているのだから既にやり放題を許された身分と言えなくもない。 それでも行き過ぎを咎められて殺される恐れならいくらでもあった。 なのにそれがなくなった?

 おそらく周囲もそう解釈したのだろう。 目が大きく見開いている。 但し、肝心の準大公に気付いた様子はない。 飛竜の御機嫌の取り方を身振り手振り付きでテイソーザ大公に説明し始めた。 儀礼もしきたりもあるものか、と言わんばかり。 これでは真性のバカ。 ではなくても、かなりのおばかさんと言えるのでは?


 どれ程のおばかさんだろうと侮れない人気ではある。 親族紹介の後、お一人で始めた踊りでもやんやの喝采。 何の脈絡もない、めちゃくちゃな動きなのに。 テイソーザ大公におもねった故の喝采ではあり得ない。 大公がお帰りになった後の舞踏会での話なのだから。

 それに楽団がこの踊りに合わせた曲を演奏していた。 私が知っているどの社交ダンス曲とも似ておらず、曲と言うよりお囃子で、普通のダンス曲では使わない楽器を使っている。 つまり事前にこの踊りになる事を予想していたのでなければ演奏は出来ない。


 あの格式を重んじるダンホフが親戚顔合わせの舞踏会で、優雅とは程遠い踊りを許したとは。 信じられないけれど楽団が無許可の楽曲を奏でるはずはないし。 気に入らなければ今すぐ楽団に止めろと指示を出す事も出来るのに、それをしていない。 しかし受ければ誰が何をしてもいいとはならないのがこういう席。 ロジューラ殿下?!


「サ、サレイア! ロジューラが!」

 すぐに止めなくては、と言おうとする私をサレイアが遮った。

「あの子も結構やりますわね」

 口元は扇子で隠しているものの、目が笑っている。

「止めないの?」

「あれはヒャラと呼ばれる踊り。 準大公が創始なさったんですの。 お膝元の北は勿論、国内各地で大変な人気を博しておりますのよ。 準大公が踊るヒャラを見たのは私も今日が初めてですが」

「一過性、という事でもない?」

「どうかしら。 選手権大会開催の話も出ているようで。 一過性かどうかはともかく、問題は今。 世間ではプラドナ公爵令嬢のヒャラが注目を集めておりますの」

「今月レイ・ヘルセスと結婚するキャシロの事?」

「ダンホフともあろう者がプラドナ如きに後れを取る訳にはまいりませんでしょう?」

「でもレイの妹はサガ・ヴィジャヤンの妻。 サガの弟がユレイアの夫。 プラドナとも姻戚関係では」

「それはそれ、これはこれ。 キャシロがナジューラの妻なら多少の手柄顔は御愛嬌でしょうが。 姻戚の配偶者がやる事にまで手柄顔を見せては自分の持ち札が如何にお粗末か、世間に晒しているようなもの。 かと言って、ナジューラを始め、庶子とその配偶者全員を掻き集めても踊りが得意な者はおりませんし。 仕方なく、ロジューラに声掛けしましたの。 ここ一番という時に頼りになる子ですから」

「ロジューラが踊りの名手と聞いた事はなかったような」

「気合い一つで何とでもなると申しておりました。 ヒャラは恥ずかしいと思ったら負けなのですって」


 なるほど、と思わないでもない。 私にしたところで社交ダンスならいくらでも踊れる。 けれど、あれを踊れと言われても恥ずかしさが先に立つ。

 ロジューラ殿下にあのような思い切りがあったとは。 サレイアに頼まれたから嫌々、のようには見えない。 実に楽しそうに踊っていらっしゃる。

 さすがに続いて踊ろうとする人はいないだろう、と思いきや、ロジューラ殿下に続いて親戚が次々踊り出した。 しかしあの調子では今晩準大公は誰とも踊らないのでは? 少なくともサレイアには準大公と踊る権利がある。 新婦の実母、リューネハラ先代公爵夫人にもあるけれど。 実は準大公がどちらと先に踊るかに関心があった。


「このまま準大公のパートナーに選ばれなくてもよいの?」

「ええ。 私と踊ったら次はリューネハラ先代公爵夫人と踊らなければ収まりがつきません。 でも彼女は遠慮するでしょう。 リューネハラ公爵夫人に花を持たせようとして」

 リューネハラ先代公爵夫人は後妻。 当代リューネハラ公爵は先妻の子だ。 リューネハラ家に大金を使わせた挙げ句、離縁されて帰って来た娘の事を気に病まなかったはずはない。 次が望外の良縁となり、これで帳消しと言えない事もないけれど。 また子宝に恵まれず、離縁にならないものでも、と考えたら遠慮したくもなるだろう。


「そこまであなたが気遣う義理はないでしょうに。 気遣った所でリューネハラ側が気付くかしら」

「リューネハラに恩を売りたいのではありません。 準大公にとって。 そしていずれこの家の女主となる人にとって、今宵が楽しい思い出となれば充分なのです」

 そう言って、彼女は互いを見つめ合う新郎新婦に目を細めた。

 私は出産間近だった為、サレイアの結婚式に出席出来なかった。 出席した人からは、あたかも花のない葬式のようであったと聞いている。 招待客も少なく閑散としており、親戚の顔合わせも文字通り顔を合わせただけ。 あっと言う間に終わった、と。

 私の結婚式が、そしてその後に続いた結婚生活がサレイアと同じであったら、息子の妻の為に彼女と同じ気遣いをしてあげられただろうか。


 大変な盛り上がりを見せた所で準大公は自室へお下がりになったが、親戚の興奮は覚めやらず、舞踏会は明け方まで続いた。 翌日の昼過ぎに起きた時には準大公は北へとお帰りになった後。 早朝の御出発と知っていたら寝なかったのに。

 ため息と共にエイウィルの間で遅い昼食を取っているとロジューラ殿下がいらした。

「本日自宅へ帰る為、王弟妃殿下にお別れの御挨拶を申し上げたく、参上致しました」

「もう? お忙しいのね」

「北に本格的な拠点を作らねばなりません。 加えて当家次代は南に大規模な造船建設所を計画しておりまして。 しばらく本邸と皇都、そして北と南を飛び回る事になるでしょう」

「それはそれは。 でもいつかブルセルを訪問する事を約束して下さいな」

「お約束は出来ません」

「え?」

 単なる社交辞令であろうと気持ちよく承諾してもらえると思っていたのに。

「母の遺言がありまして。 約束はするな、と。 たとえ簡単に実現出来るものであろうと」

「まあ。 なぜそのような遺言を?」

「人は約束に縛られるものだから、と申したそうです」


 亡くなった先代国王陛下には人が言った約束の実現を強制する力がおありだった。 ダーラツ王族の特殊能力が何であるかは配偶者にさえ秘密だから、これは私の推測に過ぎないけれど。 本人に聞いても答えてはもらえないし、文書で残されてもいない。 墓碑に刻まれた献詩から想像する事が出来るくらいで。

 もしや王女様は父王陛下に何かを誓い、その約束に縛られた? そうだとしても私はその約束の内容を知らないし、当代陛下でさえ御存知ないかもしれない。

 けれどもし王女様とダンホフ公爵の結婚を望まれたのが先王陛下だとしたら、なぜ王女様が突然王女様らしくない行動を取られたかの説明がつく。 そしてその結婚が出来るだけ幸せなものであるよう願ったのだとしたら、ダンホフ公爵のダンホフ公爵らしからぬ行動も。 ブルセルから誰も王女様を取り戻しに行かなかった理由も。


「王女様は後悔なさったのかしら? 約束に縛られた事を」

「それについては聞いておりません。 ただこの遺言がなかったとしても約束は実行可能なものであるべきと考えております。 多忙が予想される為、訪問を約束する事はどうか御容赦下さい。

 約束する事が悪いと申しているのではございません。 父の例で恐縮ですが。 三十二年前、先のブルセル国王陛下に拝謁した際、父は妻を深く愛する事を誓ったのだとか。 誓った事を後悔していないと申しておりました。 その時はエリアーナモア王女が自分の妻になる事を知らなかったようですが」


 ダンホフは陛下の能力を知った後でも同じ事を言っただろうか? 彼が約束に縛られていたおかげで王女様は短いながらも幸せを掴んだからよしとする? その約束に縛られた所為で別の幸せを逃したかもしれないのに?

 同時に思い出した。 サレイアが旅立ちの朝、国王陛下に誓った言葉を。

「ロジューラ殿下をお守りします。 たとえ我が子の命と代える事になろうとも」

 後悔しなかったはずはない。 あれは我が子がどれ程愛しいか、知らなかった時にした約束なのだから。

 するとまるで私の心を読んだかのようにロジューラ殿下がおっしゃる。

「私の継母も申しておりました。 約束した事を後悔してはいない、と。 何を約束したのかは教えてもらえませんでしたが。 あの夫婦は案外似た者夫婦なのかもしれません。 約束をした人が死んだ後でも守り続ける頑固な所とか。 他の貴族に負ける事をよしとしない勝ち気な所とか」


 ロジューラ殿下は一国の王となるに相応しい聡明な御方だ。 ブルセル国の実態を話せばお気持ちを変えて下さるのでは? けれど私が言葉を発する前にロジューラ殿下がおっしゃる。

「体はこの国から離れなくとも思いはブルセルを訪れるでしょう。 何度でも。

 私にとってブルセルは亡母、継母、義母。 三人の母の故国。 母達から私へ惜しみなく注がれた愛。 その愛を培ってくれた国を忘れる事はありません。 母の腕で聞いた子守唄を生涯忘れる事がないように。

 例えるのは真に畏れ多い事ながら、準大公はここにお住まいではございません。 ですが当家の者全員に幸せを齎して下さいました。 私は準大公のような遠く離れた見知らぬ誰かにさえ幸せを齎す人でありたいと切に願っております。 それは約束と呼ぶにはあまりに不確かで。 微力な私の願いに過ぎませんが」


 終生、先代国王陛下の祈願であったブルセル国民の幸せは、このような形で成就するのかもしれない。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 堅苦しい油断できない社交ダンスだと思ってたらヒャラだもんね。絶対忘れないわw
[一言] 更新ありがとうございます。 母が亡くなってから、父であるダンホフ公爵とは 若が呪いを解く前の間、一度も交流がなく、暗殺を恐れるため 投資の才能があるのにもかかわらず、 目立つことを恐れて生…
[良い点] いつも楽しく拝見しています ロジューラ殿下と御母様達周辺のお話とても良かったです。 特に仲睦まじかったご両親の様子に暖かい気持ちになりました。 準大公も愛されている……今度はなにかやらか…
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