下品 猛虎の話
「ヴィジャヤンのヒャラが下品だと皇王庁執務官からクレームが来た。 上品に踊らせろ」
そりゃ自分の仕事なら何でもやるさ。 どんな汚れ仕事だろうと。 だが上品に踊らせろ? それのどこが北軍大隊長の仕事だ?
将軍から緊急呼び出しを食らうのは珍しくないが、中身がこれだけ下らないのは珍しい。 なのに少しも悪びれた様子を見せずに命じるとは。 さすがは北軍将軍と言うべきか。 将軍になる気なんぞハナからないが、もし運悪くそんな目にあったら、この態度を見習わせてもらおう。 しかしいくら命令とは言え、中身がこれじゃ。 黙って引き下がるのはどうにも業腹だ。
「ヴィジャヤンに直接お命じになっては如何でしょう?」
「命じた所であいつに理解出来ると思うのか」
そりゃ思わないが。 だからってあいつに理解させる事がなぜ俺の仕事になる?
文句を顔に出すな、といろんな奴から言われて気を付けているが、俺の顔を見慣れている将軍には隠せなかったんだろう。
「あいつに理解させる事がなぜ俺の仕事になる、とか思うなよ。 極論を言えば、理解出来なくてもヴィジャヤンが悪いのではない。 あれはあれなりに理解しようと努力はしているのだ。 結果が出ていないだけで。
ただ今までは出なくとも何とかなった。 分からないんですう、と例の涙目で縋るとかな。 これがテイソーザ長官から来たクレームなら、それでいけたのかもしれんが。 四角四面の執務官連中に通用するとは到底思えん。
もうすぐサリ様のお誕生日だ。 去年はサジ殿がオスティガード皇王子殿下からの贈り物を持って来てくれたが、今年はダンホフのすぐ後にヘルセスの式がある。 サジ殿は来れないと思った方がいい。 もし底意地悪い奴だったら、ここで踊ってみせろ、と言わんものでもない。 今日明日中に直しておけ」
「どう踊れば上品になるのですか? 生まれが下品な私には分かりません」
「生まれが上品な私にだとて分からん。 分かる奴など北軍にいるものか」
俺の顔が更に渋くなったらしく、将軍がため息をつかれる。
「このような命令、私が面白がって出していると思うな。 執務官が不快感を表していると聞いた時は私とてむっとした。 ヴィジャヤンのような不思議がヒャラっているだけで有り難いと思えんのか、と一喝したいくらいだ。 が、サリ様が幼い今、執務官相手に事を構える訳にはいかん。 皇王庁の実務担当は執務官であって長官ではない。 下手をすると皇王庁からの善意で家庭教師が一個中隊送られて来る。 元々成人前の皇王族にはお一人様に付き、二、三百人の家庭教師が付くものなのだ。 ヴィジャヤンがその者達相手に何をやらかすか。 座して見物する、と言うならそれでもよい。 私は退官させてもらう。 次もそう続くまい。 その後も退官や辞退が続けば遠からずお前が北軍将軍をやる羽目になると思うが?」
汚い脅しだ。 俺の前にジンヤ副将軍、トーマ大隊長、サーシキ大隊長がいるじゃないか、と怒鳴り返してやりたいが、ジンヤ副将軍は今日退官願を出してもすんなり受領されるくらいの年期で、トーマ大隊長は退官を慰留されての勤続。 モンドー将軍が退官願を出すくらい事態が悪化したとなると、やりたがりのサーシキ大隊長でさえ逃げるだろう。 うまい逃げ方を沢山御存知の御方だし。 つまり逃げ遅れた俺にお鉢が回ってくる、というのは充分あり得る筋書きなのだ。
将軍はちらっと俺を見て、脅しが効いた事を確認すると口調を和らげた。
「なにもお前に上品を理解しろと言っているのではない。 これこそ上品、と喝采させる必要もない。 向こうが黙りさえすればよいのだ。 相手を黙らせる。 北の猛虎の得意技ではないか」
剣で黙らせてもいいのか? いいならやるぜ、とは心の中でしか言えない。 俺も命汚くなったもんだ。 諦めるしかないが、その前にもう一押しさせてもらおう。
「このような難問はマッギニスに任せるべきでは?」
「その下品な踊りを見たのは北軍ではお前だけだろうが。 そもそもお前が側に居たのになぜ止めない。 護衛だけしていれば後は野となれ山となれ、か? お前はもっと使える奴だと思っていたぞ。 自分の不始末は自分で片付けろ。 以上だ」
自分の不始末だと? サダの不始末の間違いだろ。 ならサダが片付けるべきだ、と言えるものなら言った。 しかし言えないのだからしょうがない。 最後の悪あがきをしてみた。
「カルア補佐。 お知恵を少々拝借出来ないでしょうか?」
こういう時意外な程冷たい御方だ。 きれいに無視され、執務室から追い払われた。 下らん事は部下に丸投げ、という訳か。 まあ、俺も同じ立場だったら同じ事をしたと思うが。
零したくもないため息が零れる。 またサダの尻拭い。 一つ終わったかと思えば次だ。 俺はあいつのおふくろじゃないんだぞ。
おふくろで思い出したが、ヴィジャヤン準公爵夫人はサダの尻拭いをした事はないんだとか。 彼女はサダの涙目に動じない唯一の人としても知られている。 そういう意味ではマッギニス以上の超人だ。 ダンホフの結婚式で立ち話をした時、偶々その話になった。
「十八年間一度も尻拭いをしなかったとは。 歴史に特筆すべき記録です」
すると隣にいた準公爵が笑いながらおっしゃった。
「私は結構な数の尻拭いをしたがね」
「旦那様は甘くていらっしゃるのですわ。 どうして突き放せませんの? 尻拭いなど本人にやらせればよいのです」
「本人にやらせたら拭わなければならない箇所が増えるだけだろう?」
「そのように助ける人がいるからいつまで経っても学ばない、とは思われませんの?」
いやー、びしっとしたもんだぜ。 その調子で息子がびしっとなるように育ててくれたら、もっとよかった。
もっとも賢い事で知られる準公爵でさえ尻拭いをさせられたのなら、俺がさせられてもバカという訳ではないのだろう。 もしかしたらサダは迷惑は男に掛けるものと決めているのかもしれない。 そんならそれでもいい。 但し、俺以外の男を見つけてくれ。
くそっ。 考えれば考える程腹が立つ。 サダの得な性格が。
同じ事を俺がやったら、なんで人に迷惑を掛ける、掛けるお前が悪い、となるのに。 さっさと自分でなんとかしろ、と怒鳴られて終わりだ。 なんとかしなかったら首が飛ぶ。 この差別待遇は一体どこから来るんだ?
確かに今ではあいつはお偉いさんだが、俺だって軍務上は同階級だし、序列としては俺の方が上なんだぞ。 皆さん忘れているようだが。 義兄という事を抜きにしたってこき使われる謂れはない。 なのにこき使われている。 俺だって忙しい、少しはかわいそうだと思わないのか、と将軍に向かって言える訳でもないが。
しかも誰彼構わず迷惑を掛けているくせに掛けた奴からさえ好かれている。 兵士だけじゃない。 最近は神官にまで大人気だ。 近所迷惑に足が付いているような奴なのに。 それでも近所迷惑ならその場から逃げれば済むし、引越しすれば二度と同じ目にはあわないが、サダはそうはいかない。 足が付いているから向こうからやって来る。 朝だろうと夜だろうと。 今日だろうと明日だろうと。 時を選ばず、人の都合を考えず。 来るなと言っても来る。
なぜ止められないのか? 師範に来るなと言われた、とそっちこっちでサダが愚痴るからだ。 例の涙目で。 すると、なぜ来るなと言う、かわいそうじゃないか、面倒を見てやれ、というお叱りが飛んで来る。 ならお前が面倒を見てやれ、と言い返す事は出来ない。 特に相手が将軍や祭祀長だと。
むしゃくしゃしてそのまま執務室に戻る気になれず、道場に寄って汗を流した後、ポクソン補佐に愚痴った。
「世の中には底なしのバカ、進化するバカ、サダ・ヴィジャヤンという名のバカがいるが、一番質が悪いのがサダ・ヴィジャヤンという名のバカだ」
「下品なヒャラの件ですか?」
「なんだ、もう知っているのか? 誰から聞いた?」
「マッギニス補佐です。 あれは皇王庁からクレームが来るだろう、と警告されたそうで」
「どこがまずかったんだ?」
「御自分の目で御覧になったのでは?」
「サダの事は見ていたさ。 だがあいつが何をどう踊ろうと知った事か。 俺は護衛として行ったんだ。 親戚としての招待だけだったら舞踏会なんぞに行ってない。 それでなくてもこっちはたった一人で護衛していたんだぞ。 ダンホフの警備が不満、て訳じゃないが。 ヒャラを見ている暇なんかあるもんか」
「まあ、ダンホフの警備は金に飽かせただけの水漏れ警備でしょうし」
「レイによると昔はそうだったらしいが、あの結婚式は、さすが、と唸らされた。 金に飽かせてはいたがな」
「ほう。 とは言え、人数が人数です。 穴があったのでは?」
「本邸内と式場、舞踏会の会場は全てダンホフで固められていた。 ダンホフじゃなきゃ親戚の侍女や護衛だろうと入れん。 リューネハラ公爵夫妻の護衛でさえ客の奉公人用宿舎で待機だ。
ダンホフの警備兵、奉公人は全員名札を服に縫い付けており、制服で何の職務か一目で分かる。 身元不明な者が紛れ込んだりしないようにだろう。 親族にも名札が用意されていて、サダと俺が到着したと同時にダンホフのお針子が現れ、俺達が持って来た服全てに縫い付けていた。 俺だってリネがユレイアの義妹という親戚関係がなかったら蹴り出されていたかも」
「中々ですね。 快適さを犠牲にして警備を厳しくした?」
「いや。 痒い所に手が届くもてなしだった。 俺に付いたダンホフの世話係もボーザーと競るくらいツボを心得た奴で。 誰に聞いたんだか俺の好物まで知っていたぞ。 それと邸内の警備上の盲点となりそうな所には全てガラスが入っていて見通せる。 窓、扉、壁」
「築五百年の古城なのに、ですか?」
「改築したんだろうな。 それと客室の扉には滞在客の名前入りの表札が付いていた。 客が複数ならその全員の名が入っている。 それ以外の奴が部屋へ入る時は廊下のそちこちに立っている警備兵が確認していた」
「でも客が勝手に動いたら? 表札を持ち歩く客などいないでしょうに」
「それで思い出したが、サダのやつ。 夜中に、部屋が広過ぎて寝れないとかぬかしやがって。 俺の部屋に転がり込んで来てな。 まあ、その方が警備には便利だし、そのまま朝まで俺の部屋で寝かせておいたんだ。 で、朝出掛けに扉の表札を見たら俺達二人の名前になっていた」
「名前を書き入れるくらい簡単でしょう」
「木彫りだぞ。 しかも長ったらしい能書き付き。 オスティガード皇王子殿下御婚約者御尊父、ヴィジャヤン準大公閣下、ヴィジャヤン北方伯、北軍第十一大隊隊長。 俺の方は北軍第三大隊隊長だけだが」
「ヴィジャヤン大隊長の表札にタケオ大隊長の名を彫り入れたのでは?」
「いや、新しく一から彫ったとしか思えん。 俺の方がサダより上になっていたし。 前のやつは俺の名前が中央に彫られていたから長い能書きを入れる隙はなかった。 なぜ俺が上で、準大公のサダが下だったのかは分からんが」
「その部屋がヴィジャヤン大隊長の為に用意した部屋より格下だったからでしょう。 ヴィジャヤン大隊長の名前が上だと、準大公に格下の部屋を用意した事になってしまいます。 下でしたらタケオ大隊長の部屋へ遊びに来た客になりますが。
それに誰がどの部屋に泊まったか、当然記録していたでしょう。 その記録は末代まで残される。 となると、たかが表札一つでも粗略な真似は出来ません」
「つくづく面倒な奴らだな。 貴族ってのは」
「そこまでやるのはダンホフだけだと思いますが」
「まあ、そこまでやってもらわなきゃ安心して眠れなれなかった。 なにしろすごい数の客とその何倍もの奉公人と護衛だ。 ばりばりの殺気でさえ掻き消されるような人ごみ。 そこに殺気を上手く隠せる奴、わざと見せつける奴、隠すのが下手な奴、ごちゃまぜになっている。 人が少なけりゃ誰が誰を狙っているか分かるんだが、あの人数ではお手上げさ」
「ヴィジャヤン大隊長を狙う者がいたのですか?」
「はっきりとは言えん。 狙っていたのはサダじゃなかったのかも。 守っているのか殺す気なのか、区別がつかなかった。 サダを狙っている奴が近くにいて、そいつを殺そうとしていた可能性もある」
「ふうむ。 厄介ですね。 大隊長が御覧になったダンホフの陣容を確認しておきたいのですが、よろしいですか?」
俺達は執務室へ戻ってダンホフ軍の組織表を広げた。
「まずバースランデン参謀総長。 ナジューラ殿が指名した新しい参謀総長で、なんと船員上がり。 異色の大抜擢です」
「ああ。 ブレベッサ号の乗組員だったらしいな。 サダをきらっきらの目で見ていたぜ。 ただ警備の細かい所に気が回るような男には見えなかった。 剣士でもないし。 あれで参謀総長が務まるのか、と思わないでもない」
「ダンホフの参謀総長は陸、海、空を束ねております。 必ずしも剣士である必要はないのでしょう。 船員にも腕の立つ者はいますが、剣士と言えば警備隊。 警備隊総長ヨスタウ、本邸警備隊長シャオドナ、どちらも名の知られた剣豪です」
「頬に刀傷があるのはどっちだ?」
「シャオドナです。 赤い服を来ていたのではありませんか?」
「ああ。 何か謂れでもあるのか?」
「最初から赤ければ返り血が目立たない、と。 ダンホフの代替わりはいつも血の雨が降る事で知られております。 当代の時も相当な修羅場だったようで」
「服の色が変わったって気にするようなタマには見えなかったが。 じゃ、ナジューラも危ないのか?」
「いえ、大丈夫でしょう。 ナジューラ殿の正嫡子の兄、ロジューラ殿は分家しました。 殺す必要も殺される心配もありません。 何でもロジューラ殿は前々から分家を望んでいたのだとか。 爵位を狙っていたのなら分家を望むはずはありません」
「庶子は? うじゃうじゃいるんだろう?」
「次代に決まる前ならともかく、決まった後で殺すのは非常に難しいでしょう。 ダンホフ軍が一番に守るのは次代と聞いております。 ナジューラ殿が軍を完全に掌握するにはまだ時間がかかると思いますが」
「ま、お家騒動が起こった所でこっちが巻き込まれる事はないだろ」
「そうとは言い切れません。 猫又の件、呪術師、飛竜など、ナジューラ殿でなくてはこれ程の助けがあったかどうか」
「つまり事があれば俺達はナジューラに加勢する事になる?」
「そうなるでしょう。 しかしナジューラ殿が死んだとなれば加勢のしようはありません。 その場合、誰に付くかは考えておかねば」
そう言われて気になった。
「シャオドナは誰に付く?」
「さあ。 気になる理由でもおありですか?」
「殺し足りていないような目をしていたからな」
「軍対抗戦大将を務めた頃の猛虎のような?」
「俺があんな目をしていたって?」
「ははは。 シャオドナに会った事がないので比べられませんが。
ところで、危ない目をした奴の懐に入り込むのはヴィジャヤン大隊長の得意技。 ファンの数を増やした、という事は?」
ちっ、と思わず舌打ちした。
「サダときたら。 赤い服って目立っていいですよね、とか言ってあんな不気味な奴と握手していた」
「ほう。 ヴィジャヤン大隊長の握手からは不思議な活力が貰えます。 シャオドナの殺気も払われたのではありませんか?」
「分からん。 元々サダや俺を狙っていたようには見えなかった。 だがお近づきにはなりたくない男だぜ」
「残念ながらダンホフの方はこちらに近づく気満々です。 九月には剣士二十名が強化訓練に来る事になりました」
「む。 よくカルア補佐がすんなり承知したな。 すると費用は向こう持ち?」
「二日前、五千万ルークの入金が確認されました」
「五千万? ダンホフにとっては端金かもしれないが、たった二十名の訓練に出す金か? 裏があるだろう?」
「あるとしたらヴィジャヤン大隊長の人徳としか」
「人徳?」
「ダンホフはヴィジャヤン大隊長に大恩があるとの事。 何があったのかは分かりませんが。 何しろヴィジャヤン大隊長にさえ思い当たる節がないようで」
「ふん。 ならダンホフにサダのヒャラを直してもらおう。 上品なら売る程ある家だ。 大恩人の為に一肌脱いでくれてもいいよな」
「養育権取り上げとなればダンホフも黙っていないでしょうが。 どうやら皇王庁長官もヴィジャヤン大隊長のファンになった様子。 それに皇王庁長官夫人はプラドナ公爵の実妹。 執務官程度が上訴した所で長官まで行けば握り潰されます。 ならばダンホフの出番はありません。 今回のように騒いでいるのが執務官レベルの場合、下手にダンホフが口を出してはかえって面倒な事になります。 それでなくともサリ様へ家庭教師を送り込みたがっているのは執務官だけではありませんし」
「けっ。 ヒャラが下品で困っているのは俺で、サダじゃないしな。 助けはどこからも来ない、て訳か。 人徳がない、てのはつくづく不便だぜ」
「何をおっしゃる。 猛虎の為なら喜んで命を投げ出す剣士達が何人いようと人徳と呼ぶに値しない、と?」
「……いや」
久しぶりにきつい一本を食らった。 自嘲自虐は俺の悪い癖だ。 慎まないと。
「助けは来ます。 頼む所を間違えなければ」
「うむ。 話を戻すが、結局サダのヒャラのどこが下品なんだ?」
「腰を振り過ぎたようです」
脱力ここに極まれり。
「そりゃ、あの踊りが上品とは言わないが。 なら腰を振るなと言えばいいじゃないか。 下品だの上品だの。 全くめんどくさい奴らだ。 じゃ、腰を振らなきゃいいんだな?」
「それは。 私には判定しかねます。 こちらが考える上品が、あちらの上品として通用するとは限りません。 今の段階では社交ダンスのパートナーを事前に選んでおく、踊り方を変える、のどちらもフォローしておきませんと。
今の内に社交ダンスのパートナーをマッギニスに選んでもらっては如何ですか。 ヒャラの方はフロロバに相談し、ヴィジャヤン大隊長に練習してもらうとか」
俺に妙案がある訳でもない。 サダの執務室へ出向き、マッギニスを呼んでもらった。
「ヘルセスの式で踊るとしたらパートナーは誰がいい?」
「この場合、少人数で収める事は不可能です。 誰とも踊らないという選択をするしかありません。 皮肉な事にダンホフでしたら二人と踊れば済んだのです。 新郎新婦、どちらの生母も出席していたので。 次はそうまいりません。
レイ殿の生母は亡くなっています。 かと言って、キャシロ様の生母と踊っただけでは新郎側がおもしろくない。 では新郎の実姉、サジアーナ国の王太子妃とまず踊る? それは新婦側がおもしろくない事になります。 新婦の父のいとこ、バトッチエ国のスパーニエ・マクハージランサ王女が出席なさっているので。 バトッチエは女王が治める国。 この御方が王位を継ぎます。
様々な失敗の経験を生かし、最近は大分丸くなったという噂のプラドナ公爵ですが、人の性根は容易には変わらぬもの。 誰と踊った踊らなかった、その順番がどうのこうのと慶事の席で愁嘆場を演じないとも限りません。 仮にプラドナ公爵夫妻は冷静でも両殿下とそのお付きの者達が国の威信を傷つけられて黙っているかどうか。 残念ながらサジアーナとバトッチエは友好国でもなく。
問題を更に難しくしているのが、主賓である皇王庁長官の妻はプラドナ公爵の実妹であるという事。 親族顔合わせにも当然出席なさる。 新婦側としては皇王庁長官夫人と最初に踊ってもらいたいでしょう。
黙らぬ者達を黙らせる。 そこがレイ殿の腕の見せ所となる可能性もありますが。 最悪、流血沙汰を覚悟なさいませんと。 或いは血気を収める為、後に踊った女性とは複数回踊るとか。 その場合踊り終わるまで帰れない事になるかもしれません」
俺はサダに念を押した。
「おい。 ちゃんと聞いていたな? 忘れるなよ」
「失礼な。 要するに誰とも踊らなけりゃいいんでしょ。 そんなの今更言われなくたって最初からそのつもりだったし。 それでいいなら忘れません」
その確信ありげな態度がかえって俺の不安を煽ったが、本人が忘れないと言っているのに、お前なら絶対忘れる、と言ったらばかにしている事になる。 まあ、ばかにしてはいるんだが。
「とにかくヒャラを直せ。 それしかない」
「どんな風にですか?」
「俺じゃ分からん。 フロロバを呼んで聞いてみろ」
やって来たフロロバはサダの踊りを見て首を傾げた。
「うーん。 腰ですか。 無理に止めたら全体の動きをぎこちなくしてしまいます」
「動きなんぞどうだっていい。 下品というクレームさえ来なけりゃ」
「クレームは来ないかもしれませんけど。 キャシロ様は踊りの名手として知られています。 ヒャラも美しい腕の動きで評判が高いし。 皇太子殿下の舞踏会では普通の社交ダンスしか踊れなかったから、今度こそ本家と一緒にヒャラを踊る事を楽しみにして、練習に励んでいらっしゃると思うんです。
ヒャラって上手い人の隣で踊ると下手なのが目立つんですよ。 だから噂になるでしょう。 なぜ大隊長がダンホフで踊った時よりお粗末なヒャラでお茶を濁したのか。 あっちは上級、こっちは下級で手抜きした、と思われたらまずいんじゃないですか?」
「上級も下級もあるか。 ただのでたらめ踊りに。 ばかばかしい」
「タケオ大隊長の剣はどの流派とも似てないですよね? 昔はでたらめの剣、下級の剣と散々ばかにされていたとか? 今、そんな事を言う人なんて一人もいませんけど」
フロロバも中々言うようになった。 そこにサダが茶々を入れる。
「でもヒャラはさ、何年経ってもばかにされているんじゃない?」
「「「「……」」」」
「ごほっ。 ヴィジャヤン大隊長。 それより腰の動きです。 止めようとか動きを小さくしようとしたら踊りがつまらなくなりますよね? だから腕の動きを増やして目がそちらに行くようにしたら如何ですか? 直角、鋭角、とにかく何でも角度をびしっと決める。 そして決めと決めの間隔を短くするとスピード感が出ます。 たったったらら、たったらら。 こんな感じで」
「ちぇっ。 そもそも上品に踊れだなんてさ。 ほんと、師範たら一々注文が多いんだから。 ちょっとは俺の苦労を考えてくれてもい、いでぇっ!」
サダに殴りかかったりはしないさ。 最近は俺も人間が出来てきたし。 アラウジョとバリトーキが俺の両脇にいて、死んでも離すかという勢いで縋りついたせいもあるが。
一応、軽く蹴りは入れておいた。 軽く、な。 せっかくサンドバッグで鍛えた足だ。 偶には使わないと。
サダが涙目で睨んだが、無視した。 それくらいは俺にだって出来る。
「じゃ、しっかり練習しておくんだぞ」
「そんな時間、どこにあるんです? 弓の稽古だって碌にしていないのに」
黙れ、と言いたいが、この泣き言だけは言いたくなる気持ちも分かる。 だが俺は心を鬼にして言った。
「なら好きなように踊りやがれ。 どうせ明後日かそこらには皇王庁から人が来る。 骨は誰に拾ってもらうか、それだけ決めておけ。 俺は拾わん」
「うう。 一生懸命練習しますよ。 すればいいんでしょ。 すれば」
後はこいつの育ちの良さが下品を薄めてくれる事を祈るしかない。