無思慮
目的は果たせた、と思う。
要するに移籍も昇進もしたくない。 これを陛下にお願いした時は気持ちが昂っちゃって涙を零すという無作法をしちゃったが、無事お許し戴けた。 それ以外にもいろいろある事はあったが、ま、そう大した事じゃない。
はい? 嘘をつくな? 大した事、何かやらかしたんだろ?
やっだなー。 疑り深い人ってこれだから。 そりゃ飛竜で皇王城へ乗り入れたのは、ちょーっと派手だった、かも。
あ、あ、誤解しないで。 それはスティバル祭祀長に命じられたんだ。 俺がやりたくてやったとか、そんなんじゃないし。
「乗竜したまま正門から入城せよ」
そう命じられた時は俺だってぎょっとした。 無許可の飛竜で入城? 飛竜には縄張りがあり、玉竜の血縁か番じゃないと城内に入れないと聞いていたのに。
だけど祭祀長は軽い感じでおっしゃった。 いつもの優しい微笑みを浮かべながら。 大層な事を命じているような御様子は少しもなかったから、他にもやった人がいるんだろう、俺が知らないだけで、と思ったんだ。
皇都に入ってからは俺が先頭を務めた。 祭祀長は既に祭祀長服をお召しになっていらっしゃる。 皇王城正門前に着くと、竜鈴を鳴らせ、とお命じになった。
そこで、鳴らしたらどうなるの? なんて聞けないだろ。 それに理由が何であれ、祭祀長命令に逆らう事なんか出来やしない。
で、鳴らした。 そしたら俺達の飛竜だけじゃなく城内の玉竜も一緒に鳴き始めてさ。 成長した飛竜は普段そんなに鳴いたりしない。 でも鳴く時は遥か遠くまで響く声で鳴く。
それが何十頭も同時に、だ。 なもんで祭祀長御到着を告げる神官の声が掻き消されちゃって。 祭祀長旗が翻っているのを見た物見の塔の兵士が門番に開門を命じたんだけど、門番には聞こえなかったみたい。
門番が中々開けないからだろう。 焦った兵士が号砲を打ち上げた。 するとそれを聞いた城内の兵士が一斉に地鳴りのような大歓声を上げ、自分の兜や鎧を叩き始めたんだ。 その賑やかな音が嬉しかったのか、飛竜が負けずに鳴き声を張り上げる。 もう、すごいのなんの、お祭り騒ぎ。
わあああ、ヒョオオオ、ガガーン、
ぐおおう、ヒョオヒョオ、ガシャン、
うわあ、ガンガンガン、ヒョオオオ
お祭を十合わせたみたいな騒ぎになった。 後で聞いたんだけど、号砲って新年以外では陛下が戴冠した時とか将軍が戦いから凱旋した時にだけ鳴らされるものなんだって。 あんまりある事じゃなかったみたい。 ちょっとどころじゃなく派手な入城だったかも。 てへぺろ。
いや、俺だってお騒がせしてすみませんくらいは思ったよ。 でもみんなすごく喜んでいたし。 何よりスティバル祭祀長の落ち着いた御様子を見ると、こうなる事を予想していらしたと言うか、わざとなさったような気がした。 なら俺がすまなそうな顔をする訳にはいかないだろ。
どうやら門前の騒ぎは遠くにいらした陛下のお耳にも届いたようで、陛下御自ら大会堂がある一角の入り口までお出ましになり、スティバル祭祀長をお迎え下さった。 新年に拝見した時のような清々しい微笑みを浮かべていらっしゃる。 予定にない騒がしさでお仕事の邪魔をしたに違いないのに。
スティバル祭祀長が陛下に深々と一礼し、奏上なさった。
「ハレスタード皇王陛下へ、万歳万歳万々歳を申し上げます。 準大公が竜鈴を鳴らし、青竜の古卵の孵化を目撃致しました。 これこそ青竜の騎士、再来の証。 又、陛下の御代が更なる振興を遂げるという天の啓示。 この吉報、陛下の臣民へ遍く知らしめ賜え」
「遠路を急ぎ、吉報を齎してくれたか。 スティバル、大儀であった。 中で詳しい話を聞こう」
そしてスティバル祭祀長の後ろに控えていた俺にもお声を掛けて下さった。
「青竜の騎士よ。 共に歩もう」
差し出されたお手を握る時、痛みを覚悟して身構えたが、握手しても全然痛くなかった。 そよ風がすっと体を通り過ぎていった感じ。 陛下のお体の調子がよいからかな? 御機嫌が麗しければ俺の身勝手なお願いでも叶えて下さるかもしれない。 そう考えたら気持ちが明るくなった。
陛下の後ろに控える重臣達も不機嫌には見えなかったが、俺は上機嫌と不機嫌の区別を正しくつけられた試しがない。 人を見る目にかけて、特に上級貴族が何を考えているかを察する事にかけては自信が全くないんだ。
念のために言わせてもらうけど、それって俺だから察しが悪いとか、俺だけが察せられない、て訳じゃないからね。 上級貴族の仕事は人に感情を悟らせない事と言ってもいい。 もし御機嫌に見える時があったとしたら、それは陛下に御挨拶する時とか、結婚式とかの不機嫌な表情を見せてはまずい状況だからだ。 いつもは御機嫌にも不機嫌にも取れる微妙な表情を浮かべている。
もちろん俺がサリを抱いている時に不機嫌な顔をする人はいないし、抱いていなくたって瑞兆の実父に不機嫌な顔を見せる人はいないが、不機嫌じゃなけりゃ上機嫌なの? そういう訳でもないだろ。
ところがなぜかダンホフ公爵は上機嫌にしか見えない表情を浮かべていた。 慶事はともかく、ダンホフ家の飛竜に乗って現れた事はそんなに喜ぶような事じゃないはずなのに。
祭祀長が乗っていらっしゃるからお召しがあった事は分かるだろう。 祭祀長のお召しならダンホフ公爵本人がその場にいたとしても断れないし、名誉な事ではある。
とは言え、慶事は放って置いてもいずれラガクイスト将軍が奏上してくれた。 俺が登城したのは移籍や昇進を断りたいからで。 つまり俺のわがまま。 私用だ。 移籍や昇進なんかしてもしなくても、北軍はともかく、ダンホフが困る訳じゃない。
そんな自分勝手な理由で飛竜をあちこち連れ回されたら持ち主は気分が悪いだろ。 餌代だって笑って流せる金額じゃないんだし。 皇都へ行くなら事前にダンホフ公爵へ知らせるくらいの気遣いはしなきゃ。 飛竜が十頭もいればその内一頭を伝令として飛ばす事だって出来る。 なのに俺はそれさえしなかった。 ダンホフ家を軽んじたと受け取られても仕方がない。
なぜ俺が登城したのか到着時点では分からなかったにしても、それなら尚の事、どっちか分からない表情を浮かべているはずで、理由が分かったら嫌みの一つや二つ、言われると覚悟していたんだけどな。
言い訳になるが、ダンホフなんてどうでもいいと思ったから知らせなかったんじゃない。 背筋が凍る迫力でマッギニス補佐から急かされてさ。
「西軍将軍より一分でも先に陛下にお目通りする事が肝要です。 さもなければこの陳情は失敗するでしょう。 昨日出発していたとしても遅いくらいなのですよ」
そう脅され、ダンホフ公爵に伝令を走らせたとしても返事を待っている時間はなかったんだ。 それに下手に知らせて、それは困ると言われても無視するしかない。 無視なんてしたら知らせなかった時より話が拗れるだろう。 それでダンホフ本邸へ早馬を出しただけで出発した訳。
陛下の御前から下がり、北へ帰る前にダンホフ公爵と会い、飛竜を勝手に乗り回した事を謝った。 言い訳しようとしたら、公爵が微笑みを浮かべて俺を押しとどめる。
「尊きお気遣い、忝く存じます。 然し乍ら此の度の慶事にダンホフの飛竜がお役に立てた事は当家の歴史に残る名誉であり、欣快に絶えません。 飛竜は今後も御自由にお使い下さい」
金塊に絶えない、て。 金塊が絶えないどころか、すごい損をしているのに? と言うのも、マリジョーの時は突然の遠出だったから師範も俺も財布を持っていなかった。 幸い途中飛竜が舞い降りたのはどこもダンホフ家の所有地で。 そこの管理人に名を名乗り、後で金を払うからと言ったんだ。 そしたら、当家の飛竜ですので餌代の御心配はどうか御無用に、と遠慮されちゃって。 つまり俺が飛竜に乗っている間、自分達が乗れなかっただけじゃない。 俺が乗っている間の飛竜の餌代まで向こうが払っている訳。
さすがにそれを繰り返しては申し訳ない。 と思ったから皇都への旅ではちゃんと軍票を持って行った。 でもどこの駐竜場もダンホフの所有でさ。 払おうとしたんだけど、当家の飛竜ですので、こちらは受け取れません、と言われちゃって。 結局ただ乗りしている。
それを知ってか知らずか、ダンホフ公爵は満面の笑顔。 で、今後も御自由に? これって言葉通りに受け取ってもいいの? 責められなくて助かったし、嘘をついているようには見えなかったが。 俺はダーネソンじゃないからダンホフ公爵がどこまで本気なんだか見極めなんてつけられない。
取りあえずありがとうございますは言っておいたが、誰からだろうと借りは作るな、といろんな人から注意されている。 それで家に帰ってからトビに、どう返礼したらいいか聞いてみた。
「今ではこちらの方が格上ですので、お返しを御心配なさる必要はないかと存じます」
「うーん。 そうかな? いくら格上だって陛下じゃあるまいし。 ただで貰っていいものの限界、てあるだろ。 ダンホフ家の結婚式に出席する為ならまだしも全然関係ない事の為に乗り回して餌代まで払わせたら、ふざけるな、てならない?」
「なりません。 ダーネソンによるとダンホフ家は当家に対し並々ならぬ恩義を感じているとの事。 飛竜も最初は十頭全てを旦那様へ差し上げるつもりでいたようです」
「ええっ!? 十頭全部? 差し上げるって。 そんな馬鹿な」
「さすがにそれは、なぜそこまで、と世間の疑惑を招くでしょう。 又、当家所有となりましたら餌代を払うのは当家の責任となります。 そのような余裕はございませんので、そういう申し出があったとしてもお断りするしかありません。
あちらはそこまで読んだ上で、お好きな飛竜をお選び下さいという言い方にしたようでした。 ならば当家が餌代を払わなくても想定内。 このまま乗り続けたとしても文句を言われるとは思えません」
「だけど恩義って。 何の? ナジューラ兄上を助けた事はブレベッサに乗らなかった事とちゃらにしてもらったし。 猫又の件だって助けてもらったのはこっちだよ?」
「何の恩義かを知っている者に会う機会がなかった為、理由までは分からなかったとの事。 しかし準大公に対して大恩がある事はダンホフ家内の全員が承知しておりました。 タイマーザ師は、旦那様が紅赤石を掴み、破呪なさった事に感謝しているのであろうと推測しておりましたが」
「はあ? 紅赤石? そりゃ船と一緒に沈んでいたら失くしていた宝石だけど。 破呪って。 それ、ほんとに俺がやったの?」
「真偽のほどは分かりませんが、少なくともダンホフ公爵はそう信じているのでしょう」
「ふうん。 ま、有り難いと思ってもらえる事なら俺がした、て事でもいいけどさ。 もしかしたらダンホフ公爵は餌代まで払わせられている事を知らないんじゃ?」
「知ったとしてもあちらは払えないような家計ではございません」
「そうだけど。 後でやっぱり払ってくれと言われたら、こっちは払えないような家計だぜ」
「その時はその時、という事で」
トビったら意外に図々しい。 俺ならいくら相手がすごい金持ちだって自分の分まで払ってもらったら申し訳ないと思っちゃう。
もっともダンホフ公爵の金払いのよさは今始まった事でもないんだけど。 去年のサジ兄上の結婚式の時だって。 交通費、リネへの化粧料、サリの警備費から旅行中のお弁当代まで、俺の懐が少しも痛まないように気を遣ってくれた。
そもそも俺の実兄の結婚式で、婿入りした訳でもないのに、そこまで気を遣う必要なんかないだろ。 本当はもっと金を包みたいけどヴィジャヤン家に遠慮してやり過ぎないようにした感じさえあった。
サリに出席してもらえて嬉しいのは分かる。 それでも無爵の伯爵家次男と結婚するのになぜあそこまでしたのか分からない。 金持ちって見えない所に大金を使うと聞いてはいたけど。 金の使い所を間違えているような。 金持ちに向かって貧乏人の俺が言う事じゃないとは思うが。
トビは、旦那様の親戚の座を射止めたのです、この程度は当然至極、とふんぞり返っていた。 それが間違っていないとしても、ダンホフの本音をどこまで読み切れているかは確かじゃない。 なにせトビときたら誰でも俺を英雄として崇めていると思っている。 ダンホフだって例外じゃない、と本気で考えているっぽい。 俺は偉い、だから俺の兄上も偉い、みたいな?
そんな訳あるか、ての。 俺が無名で父上の方が偉かった時、親の七光りはもちろんあったが、それが理由で俺も尊敬されたりはしなかった。 サジ兄上が尊敬され、大切にされているとしたら、それはサジ兄上の能力がダンホフの皆さんの目に留まったか、ユレイアさんの指示があったとか、そういう理由だろ。 俺の七光りなんて関係あるもんか。
とは言え、サリの血縁の伯父という立場に実益はある。 俺にしたってこんなに人気があるのは、サリとリネ、そして師範の七光りがかなり混じっているからだろう。 ただ俺の場合人気は人気でも、笑える、貴族のくせにあれも知らない、これも間違う、見てて飽きない、て感じの人気だ。 師範のようなかっこいいとか、オーラがすごくて憧れるという人気じゃない。
それに人気があるから何をしてもいいって訳じゃないだろ。 そこら辺を乗るだけのつもりがマリジョーまで行っちまったのだって、まずいと言えばまずい。 それは飛竜が竜鈴に反応したからだし、試し乗りだって向こうからして下さいと言ったんだ。 結局慶事、て事で許されるとしてもさ。
無条件で受け取ってもいい好意なのかは分からないけど、本当に飛竜を好きに使ってもいいなら有り難い。 六頭杯はもうすぐだ。 出来れば模範演技は飛竜に乗ってやりたい。
飛竜の操縦士で矢を射る人は滅多にいないんだって。 誰もやらないからか、すごく難しい技をやってるように見えるらしい。 陛下の御前で飛竜に乗って矢を射ったらすごーく受けた。 上から下を狙うのは下から上を狙うよりずっと当てやすいし、走っているウサギや飛んでいる鴨を射落とすより簡単なのに。 こっちの足場は揺れているが、的は地面に置いて動かないんだから。
北じゃ飛竜を見る事さえあんまりない。 六頭杯でもきっと受けるだろう。 六頭杯の後はセジャーナ皇太子殿下の舞踏会がある。 リネは欠席するから出席するのは俺だけだ。 飛竜なら半日で着く。 離宮に泊まる事になったとしても翌日には帰って来れるから、七月のナジューラ兄上、レイ兄上、どちらの結婚式にも余裕で出席出来るし、夏の間領地に何回か顔を出しても八月のリネの出産に立ち合える。
とまあ、内心あっちこっちへ飛ばす気満々なんだが。 破呪とか、そんなやったかやらなかったか分からない事で恩を売って、ずっと借りっ放し。 しかも餌代向こう持ち、なんて許されるの?
誰かに聞きたいけど、準大公なんて俺以外いない。 もしいたとしてもそんな借りを作った事のない人に聞いたって分からないだろ。 青竜の騎士という箔が付いたから、少しくらい図々しくても許されるような気はするが。 六頭杯出場はどこかへ行く為に飛竜に乗るのとは違う。 ダンホフ公爵から特別使用料として何かくれと言われるかも? それが心配で、まずキーホンに聞いてみた。
「えーと、六頭杯で模範演技する時、スパーキーを借りてもいいかな?」
「どうぞ御遠慮なく。 主より、青竜の騎士の御用命がある限りそちらを優先せよ、帰任の必要はない、と言われております」
「えっ。 帰任の必要はないって。 じゃ、給金はどうするの?」
「以前と同額の給金が毎月ダンホフ銀行の口座に入金されております。 北にも支店があるので本邸に戻らなくても引き出せるのです」
これってもしかして、ほんとに十頭全部俺にくれる気だった? しかも操縦士付き!
ここまでされると喜ぶのが怖い。 後で何を言われるか。 あれしろこれしろがあるはずだ。
とは思ったが、飛竜から矢を射ればやんやの喝采を受け、しかも稽古不足を誤摩化せる。 先々の心配より目先の楽に流され、結局六頭杯の模範演技はスパーキーに乗ってやった。
ほんと、世の中何が受けるか分からない。 こんなの誰にでもやれるとまでは言わないが、流鏑馬より簡単なのに。 応援の歓声を送ってくれる人達に向かってネタをばらすような真似はしないけどね。 熱い声援なんて毎日もらえる訳でもないんだし。
声援どころか師範からは怒鳴られ、上官だけでなく部下や奉公人からも叱られる毎日だ。 リネはサリの面倒を見るのに忙しい。 飼ってる犬や猫からだって冷たい目で見られ、俺の癒しにはなっていない。 こう見えても俺って結構苦労人なんだぜ。 誰にも信じてもらえないが。
皆さんの声援で気が大きくなった、て訳でもないが、お願いは褒められている内にしておいた方がいいよな? それでキーホンに聞いてみた。
「その、五月の下旬にさ、セジャーナ皇太子殿下の舞踏会に招待されているんだけど。 スパーキーに乗って行ってもいい?」
「勿論です。 御自身で操縦なさりたいのでしょうか? 私が操縦し、乗客としてお乗り戴くのでも構いません。 ただフレイシュハッカ離宮に離着陸なさるのでしたら事前にお許しを戴く必要があるかと存じます。 まずダンホフ別邸へお立ち寄り戴き、そこから離宮まで馬車を御利用になるのでしたら許可の類は何も要りません。 如何致しましょう?」
「あー、それは将軍の御都合をお伺いしてから答える」
「畏まりました。 お決まりになりましたらどうかお知らせ下さい」
キーホンはどちらにしても大して違わないと思っていたようだし、俺は日程の調整さえすれば、と簡単に考えていた。 ところが翌日将軍にお伺いしたら、それはそれはでっかいため息をつかれた。
「お前という奴は。 どこまで無思慮なんだか」
「はい? いえ、その、も、申し訳ございません」
「何がどう申し訳ないのか言ってみろ」
「え? あ、ご、御迷惑を、お掛けして、」
「ほう。 誰に、どんな迷惑を掛けた?」
ど、どうしたんだ? 将軍がこんな風に突き詰めた質問をなさるだなんて。 まさかマッギニス補佐が乗り移った?
その可能性を考えただけで背中に冷たい汗が伝い始める。 将軍は俺がろくな事を考えていないと見抜いたんだろう。 俺の返事を待たず、パンパンとお手を叩いた。
「カルア! マッギニス! 入れ」
両補佐が執務室に入り、ドアを閉めると同時に将軍がおっしゃった。
「フレイシュハッカへは飛竜で、という案が出た。 誰の口から、は言うまでもない。 さて、どうする?」
カルア補佐とマッギニス補佐が視線を僅かに絡ませる。 それだけでお互い何が言いたいか分かったみたい。 まずカルア補佐が発言した。
「よろしいのでは? ヴィジャヤン大隊長が無思慮なのは世間も承知。 馬で乗り入れたから思慮深いと評価が上向く訳でもないでしょう」
もしかしたら。 俺ってカルア補佐には好かれていなかった? それともこれってカルア補佐まで怒らせるような事だったの?
どう謝ればいいのか分からずオロオロしていると、将軍がマッギニス補佐にお訊ねになった。
「許可されると思うか」
「前例はございませんが、お許し戴けるのではないでしょうか。 皇王城へ入城したという実績がある飛竜ですし」
「では申請してくれ。 たとえ今年の舞踏会には間に合わなかったとしても来年がある」
「了解。 申請者は青竜の騎士、でよろしいですね?」
「うむ」
冷たい空気が執務室内に流れ始める。 早めに切り上げないと風邪を引くと判断なさったか、将軍がやや早口になった。
「カルア。 ヴィジャヤン不在の間は私がサリ様護衛の指揮を執る」
「舞踏会への名代は誰になさいます?」
「ジンヤに頼もう。 タケオとマッギニスも出席せよ。 他に出席させるとしたら誰がよい?」
「アーリー補佐、ポクソン補佐を推薦致します」
「ではそのように。 仔細を出席者、大隊長及び百剣に通達しておけ」
「了解」
「以上だ」
俺達が退室しようとすると、マッギニス補佐が俺に向かって言った。
「大隊長。 この申請を間に合わせるには飛竜せねばなりません。 ダンホフに飛竜の借用を御用命下さい」
「はい。 あ、その、分かった」
「又、舞踏会の夜は離宮内で宿泊となるでしょう。 少々異例ながらその準備はタケオ家執事ボーザーに任せたいと存じます。 今回の任務に同行させたい為、タケオ大隊長に依頼して戴けますか?」
「わ、分かった」
「飛竜の準備が整い次第、出発という事で」
「えっ! まさか、今日出発? そんな急にボーザーを借り出そうったって、向こうにも都合ってものがあるだろうし」
マッギニス補佐の目がぎらん、と光る。 あ、まずい。
「飛竜の乗り入れ許可を頂戴するのは通常ですと数年はかかります。 数日で戴けるとしたら、それは大隊長の御威光。 それ程の不可能事を可能になさる御方が、執事の借用に手間取るとも思えないのですが」
目に笑いは浮かんでいない。 そんなものが浮かんだ事なんて今まで一度もないが、ひょっとしたら冗談かも、という儚い望みを捨て切れなくて。 ついまじまじとマッギニス補佐の目を覗き込んだら、きつい冷風を吹き掛けられた。 目っ、目がっ!
マッギニス補佐の冷たい声が暗闇に響く。
「執事、飛竜、どちらの借用もお急ぎ下さい。 私の方は今すぐにでも出発可能ですので」
「いで、いや、その。 着陸許可を戴くのがそんなに難しいとは知らなくて。 それならダンホフ別邸に寄って、そこから離宮へ行った方がいい?」
すると将軍が机を拳で激しく叩いた。
「無思慮もいい加減にしろっ! 寄ったら最後、二度と北軍に戻れなくとも構わんと言うつもりかっ!」
こ、怖いっ。 将軍の怒号にびびっていると、カルア補佐が取りなしてくれた。
「皇太子殿下でしたら陛下への御遠慮がある事ですし、拘束される心配はありません。 そういう意味では離宮へ直接乗り入れた方が正しい選択と申せます」
どうやら俺はそんなに嫌われている訳でもない? マッギニス補佐が軽く頷いて言った。
「最近のダンホフは以前と比べて変わったという噂も耳にしますが。 用心に怪我なしとも申します」
過去にダンホフと何かあったのか、将軍は面白くもなさそうにお応えになる。
「ふん。 ダンホフが変わっただと? 瑞兆の親戚を悪し様に言う気はないが、何が変わろうとあの拝金主義だけは変わるものか。
ヴィジャヤン、何をぼさっと突っ立っている。 さっさとタケオの所に行って怒鳴られて来いっ!」
「はっ。 了解!」
転がるように将軍執務室から出て、師範がいる道場へ駆けた。 息を切らしながら駆け込んだ俺の喉元に、練習用とは言え鋼の剣の切っ先を突きつける。
「何も言うな。 これに突かれて痛いか痛くないか、知りたいのなら別だが」
ひーっ。 これって身から出た錆? そうなの?
何も言うなと言われたから、執事のボーザーをマッギニス補佐に同行させて、お願い、と必死に身振り手振りで頼んだ。
分かってもらえたとは思わない。 でも必死に何かを伝えようとしている事は分かってもらえたようで、師範はうんざりした顔を見せながらも剣を鞘に収めてくれた。
「今度は何だ」
「あ、あの、ぼ、ボーザーを、マッギニス補佐と、一緒に、離宮へ、行かせて、下さい。 今、すぐ」
ぎりっと歯ぎしりはしたものの、師範は側にいた従者のコシェバー(弟)に命じた。
「ボーザーに伝えろ」
師範に一礼し、コシェバーが駆け出す。 その後に続こうとしたら師範に軍服の襟首を掴まれ、引き戻された。
「ぐっ、ぐえっ」
「他にも俺に言う事があるよな? 吐け」
「ごっ、ごほっ! く、詳しい事は、か、カルア補佐が、」
「腹に溜めとくのは健康に悪いらしいぜ。 すんなり出て来ないなら腹を蹴ってやろうか? 一発で足りなきゃ五発でどうだ?」
「り、離宮には、飛竜で、行きます」
「ふーん。 その根回しにマッギニスが行くのは分かるが。 なぜボーザー?」
「し、師範も、飛竜、で」
師範が俺の軍服の襟元を思いっ切り締め上げる。 息が出来ない。 顔を真っ赤にしてじたばたもがいていると、まあまあという感じでポクソン補佐が間に入ってくれた。
「師範。 今日の所は穏便に」
「いいのか? 俺を止めた事をきっと後悔するぞ。 こいつは恩を仇で返す奴だからな」
「げっ、げほっ、ひっ、ひどいっ。 俺が、いつ、恩を仇で」
「何がひどい。 ひどいのはお前だ。 で、俺とお前だけか? 他に誰が飛竜で行くんだ?」
「ジンヤ副将軍、アーリー補佐、マッギニス補佐。 と、ポクソン補佐です」
師範がポクソン補佐に視線を投げる。 ほら見ろ、もう恩を仇で返されただろ、とでも言いたげに。
ポクソン補佐はちょっと肩を竦めたが、何も言わない。 仏のポクソンというあだ名は伊達じゃなかった。 思わずポクソン補佐を拝みそうになったが、これは将軍の命令だ。 文句なんて言える訳がない。
正確に言えば、皇太子殿下の舞踏会に出席するのは任務ではなく、御褒美と言うか、名誉なんだが。 この場合一緒に行くのはたったの六人。 剣士として頼りになるのは師範とポクソン補佐だけ。 これじゃ万が一、数で襲われた時に助からない。
飛竜で行くんだから以前フレイシュハッカへの途中で襲われたような事件は起こらないとしても、何も起こらないとは言い切れない。 離宮内は東軍兵士に守られているが、だから俺達も安全か、と言えばそんな事はないだろう。 俺を誘拐したい人とか今でもいるみたいだし。 たぶん東軍兵士の中にも。
将軍もおそらく、少人数で出席したら何かあった時に防げないと心配したからあんなに怒ったんだ。 て事には今頃気が付いたんだけどさ。
はあ。 これじゃ無思慮って言われても仕方がないか。
言い訳させてもらえるなら、どうせ皇太子殿下の舞踏会には行かなきゃならない。 もし馬で行くとしたら将軍とその護衛で一行百人近くになる。 その数で動くとなると、どう急いだって往復一週間はかかるんだ。
でも飛竜なら片道半日程度で着く。 夜は飛べないから帰るのは翌日になるが、そんなもんで帰って来れるならそんなに悪い話でもないだろ。 馬で行けば安全と限ったものでもないんだし。
なんて、無事に帰って来るまで誰にも言えないけどさ。 特に一週間という驚異の短時間で皇太子殿下からお許しを頂戴してきたマッギニス補佐には。 平気な顔を見せているが、目に疲れが浮かんでいた。 随分無理をしたみたい。
そりゃそうだよな。 飛竜で飛んだとは言っても離宮への着陸はまだ許可されてないんだから、まずダンホフ別邸に着陸し、そこから離宮へ馬を走らせたんだろう。 交渉に何日かかったのか知らないが、もし許可が下りなかったら俺達は馬で出発しなきゃいけない。 時間が経てば経つ程、こちらとしては向こうの要求にうんと言うしかなくなる。 それってすごいプレッシャーだし、他にも飛行場の準備とか手続きとか、いろいろあったはずだ。
疲労にも効くのかどうか分からないが、マッギニス補佐の手を俺の左手で握ってみた。 そんな事をされた事がなかったからか、マッギニス補佐は珍しく驚いていた。 俺も驚いた。 マッギニス補佐の手が全然冷たくなかったから。 冷たいどころか俺の手より温かい。
握手の効果かどうかは分からないが、マッギニス補佐の目に浮かんでいた疲れが消えていった。 それにつれ、手が冷水に浸したみたいに冷たくなっていく。 慌てて自分の手を引っ込めた。
マッギニス補佐の報告を受け取ってすぐ、キーホンに知らせた。
「皇太子殿下よりお許しを戴いた。 俺と師範はスパーキーに乗りたい。 他四名。 帰りはもう一名増えるから、スパーキーの他に二人乗せられる飛竜を三頭借りてもいい?」
「承知致しました。 ただフレイシュハッカにある飛行場は離宮建設以来一度も使われた事がないと聞いております。 当家の操縦士で離宮付属の飛行場に離着陸した経験がある者がおらず、戸惑う事があるかもしれません。 失礼がございましたら何卒御容赦下さい」
一口に飛行場と言っても離着陸しやすい飛行場としにくい飛行場がある。 古くからある飛行場は大体どこも離着陸しにくい。 それは俺も聞いた事があった。
「フレイシュハッカ離宮の飛行場が建設されたのはいつ頃だか知ってる?」
「三百二十四年前と記憶しております」
要するに俺のようなど素人が着陸しようと思わない方がいいタイプの飛行場な訳だ。 そんな事も知らずに行くと言ったのかと責められてもさ、困るよな? そこを使った事がある操縦士なんて死んだ人を含めても一人もいないんだし。
当日は風のない、良いお天気に恵まれた。 予定通りに到着出来るか不安だったが、予定より少し早いくらいに無事着陸出来た。 離宮の飛行場の地面にでっかい集中線が引いてあり、スパーキーがそれに誘導されたみたい。
やれやれと命綱を外して下りようとしたら、衝突するっ、という叫び声が聞こえた。 上を見上げると、後ろの三頭もスパーキーと同じ様に誘導されたらしく、翼が触れそうなくらい近くに下りて来る。 やばい。 吹き飛ばされる。 スパーキーの背中から地面まで八メートルはあるのに。
何かに掴まっている暇はなく、師範と俺は席から吹き飛ばされた。 スパーキーが翼を畳まないでいてくれたおかげで俺は翼を伝って滑り下りる事が出来たが、師範は地面に叩きつけられて動かない。
「師範! 大丈夫?!」
駆け寄ったら気を失っている。 軍服を緩めて胸の音を聞き、俺の左手で握手してみた。 その途端、ぐっと締め付けられるような鈍い痛みが伝わって来たが、初めて陛下と握手した時に比べたら大した痛みじゃない。 胸の音はしっかりしている。 胸や肩の骨が折れている様子もないから大丈夫だろう。
そこに真っ青な顔をした飛行場の責任者らしき人が駆けつけ、土下座して俺に謝った。
「青竜の騎士をお迎えするにあたり、このような不手際がありました事、深くお詫び申し上げます。 責は我が身にあり、どうか他の者は御容赦を」
飛行場のせいでもあるまいし、この世の終わりみたいに悲観しなくてもいいのに。 招待客が怪我をした時、偶々現場にいた人がとばっちりを食った事でもあったのか? 師範は大丈夫と言おうかと思ったが、医者でもない俺からそんな事を言われたって信じられないよな。 師範が地面に叩きつけられた時、嫌な音がしたし。 普通の人なら助からない高さだ。 もごもご適当な事を言って誤摩化した。
担架を担いだ人達が駆け寄って師範を運ぼうとしたが、それは断った。 俺なら大人しく運ばれるけど、師範は違う。 担架で運ばれている最中に気が付いたらきっと暴れる。 どこか怪我をしていたら、かえってひどくしそうだ。
師範を肩に担いで歩き出したら、いくらも歩かない内に師範が目を覚ました。
「おい、何で俺にケツを向けている。 下ろせ!」
師範は他の人なら名前で呼ぶが、俺の事は、おいとかお前で呼ぶ。 みんな同じズボンを履いていて、マッギニス補佐以外は体格も似ているのに俺のケツだとすぐ分かったなら頭はやられていない。 師範をそっと地面に下ろして聞いた。
「気分は如何です? 自分で歩けますか?」
「当たり前だ。 ちょっと目を瞑ったくらいでいらんお節介をやきやがって」
あの世を垣間見た人は性格が変わるって聞くけど、この様子じゃちらっとも見ていないな。 柄が悪いせいであの世入りを断られたのかもしれない。 何はともあれ、大した事なさそうでほっとした。 でも歩く時、顔を顰めて右足を引きずっている。
「俺の肩に掴まって下さい」
それさえ嫌々だったが、どれだけ高い所から転げ落ちたか気付いたらしい。 黙って俺の肩に掴まった。 ポクソン補佐とマッギニス補佐が下りてすぐこちらに駆け寄ろうとしていたが、それは俺が止めた。
「こっちは大丈夫っぽい。 ジンヤ副将軍のお側にいてくれ」
そう声を掛けたら師範が耳元で怒鳴った。
「ぽいとは何だっ! 余計な一言を付けるなっ!」
むっとしたが、師範は弱っている所を見せるのをすごく嫌がる。 怪我をしたせいでいつもより気が立っているんだろう。 師範の短気には慣れっこだし、人目がある所で喧嘩する訳にもいかない。 言い直した。
「大丈夫。 ジンヤ副将軍の方、よろしく」
ふう。 俺ってこんなに気遣いの人なのに。 世間って一体、俺のどこを見てるの?
ボーザーは師範の怪我を見ても落ち着いた様子で俺達の部屋へ案内してくれた。 お医者さんに診てもらったら右足首の捻挫だった。 それくらいで済んだのは奇跡と言っていい。 だけどでっかい青あざがみるみる内に広がっていく。 舞踏会が始まる頃には足の甲がどんなに大きい靴でも収まらないくらいに腫れ上がっていた。
それでも舞踏会に顔を出さない訳にはいかない。 ボーザーがどこからか松葉杖と捻挫用のサンダルみたいな履物を探して来た。 師範はサンダルは履いたが、松葉杖はつかずに出席した。
「これくらい気合いで何とかなる」
怪我をした時くらい見栄を張るのは止めればいいのにと思ったが、なんと普通に歩けている。 腰から上だけ見たらいつもと変わらず、少しの隙もない。 さすがは師範。 鍛え方が違う。 足首が丸太みたいに腫れ上がっていなかったら飛竜の背から振り落とされ、地面に叩きつけられたと言っても誰にも信じてもらえなかっただろう。 サンダルを履いていても苦手な社交ダンスを断る為の見せかけと思われたんじゃないか。 サンダル履きの人にダンスを申し込んだりしないだろ。
断る手間が省けてよかったですね、なーんてな。 言う訳ない。 お腹の中ではバリバリに苛ついてる師範に向かって。 そこまで無思慮じゃないもん。