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弓と剣  作者: 淳A
天駆
440/490

労力奉仕  ラガクイスト西軍将軍の話

「この慶事の歴史的重要性を鑑み、青竜の騎士を西軍へお迎えしたく存じます」

「青竜の騎士は北軍駐在とする」

 陛下は一瞬の躊躇もなく、私の陳情を却下なさった。 常は関係諸方の意見をお求めになり、ある程度の時間を置いた後で最終的な断を下される。 西軍への移籍が簡単に実現するとは思っていなかったが、このような御即断になるとも予想しておらず、意外の思いは禁じ得ない。


 青竜の騎士は伝説の英雄。 その再来は皇国の再興を意味する。 どの軍に所属するかは慎重に協議すべき議題であり、各軍将軍へ打診し、最低でも数週間は熟考して戴けると確信していた。

 戴冠前は独善即決の司政をなさるのではと危惧されていた御方なだけに、私の補佐の中にはこうなる事を心配した者もいたが、私はそれを杞憂として退けた。 皇寵のような本来お一人で決めてよい事でさえ皇王庁長官や宰相に諮問なさったのだから、と。

 ただあの皇寵に関して言えば、陛下のお気持ちからと言うより政治的な意味合いを考慮して下されたのであろう。 それ故の諮問と思われる。 今回のような慶事に使ってよい例ではないのだが。

 例の是非はともかく、新年の舞踏会では青竜の騎士夫人と一度踊っただけで、後は御退席なさるまで青竜の騎士をお側から離さなかった。 それだけ見ても並々ならぬ御寵愛。 年一回程度の登城で御満足とは思えない。 出来ればずっとお手元に置きたいとお考えのはず。 だが近衛へ移籍となると様々な障害が予想される。


 古来より玉竜に乗れるのは皇王陛下と祭祀長のみ。 操縦士か護衛として同乗する事は可能だが、単独での乗竜を許したら波風が立つのは避けられない。 声に出して反対を唱える者はいなくとも反感を持たれる事は確実だ。 加えて当代陛下が玉竜にお乗りになった例は千年遡っても三度しかなく、陛下が強く望まれたとしても玉竜でのお出かけが実現する可能性は少ない。 なのに青竜の騎士を操縦士としてお側に置くのはせっかくの異能が宝の持ち腐れとなる。

 かと言って青竜の騎士用飛竜を用意した場合、どこで飼うかという事が問題になるだろう。 城内は玉竜の縄張り。 私の飛竜は玉竜の子なので城内に停めても問題はないが、それ以外の飛竜が城内に入り込めば玉竜が興奮して暴れるから城外に駐竜するしかない。 つまり別邸を建てる事になる。

 建築資金は国庫から出すとしても飛竜を飼うにはかなりの広さが必要だ。 邸内に飛行場がある公爵邸を買い取るか、郊外に新築するしかないが、飛竜は近距離移動に向かないので馬か馬車での出仕となり、往復だけで毎日三、四時間はかかる。

 西ならいずれの問題もない。 お住居はお好きな所に建てて戴けるし、季節を選ばず国内のどこへでも御自由に飛べる。 青竜を呼び出せば大峡谷へも二、三日で着くのではないか? 正確な時間は飛んでみないと分からないが、馬やポーロッキとは比べものにならない速度である事は確かだ。


 陛下の晴れやかで生気に満ちたお顔を拝見する限り、御不興があった故の御即断には見えないが。

「陛下、どうか今一度、」

「ラガクイスト。 青竜の騎士の再来という噂は、彼が六頭殺しとして勇名を馳せる遥か以前からあったとか」

「仰せの通りにございます。 確たる証拠がなく、噂の域に留まっておりましたが。 私が初めて耳にしたのは十六、七年前の事になりましょう」

「なんと。 彼が未だ幼少の頃ではないか。 証拠もないのに、何故そのような噂が?」

「幼き少年が青竜の背に乗っていた所を見た者がおりまして。 一人や二人ではございません。 何百人もの村人が見たらしいのです。 青竜はその少年を川へ下ろしたのだとか。 そこから助け上げた者がいたとすれば準大公の服に刺繍されている家紋を見たでしょう。 しかしながら誰が少年を助け、ヴィジャヤン伯爵の三男であるという噂を流したのかについては内々に探らせたのですが突き止める事は叶いませんでした」

「準公爵は何と?」

「誰が流した噂か見当が付かないと申しておりました。 これが事実だとしたら実父であり、皇国の耳と呼ばれる情報通が知らないはずはありません。 当時は私の叔母であり、青竜の騎士の父方祖母、フェイ・ヴィジャヤンが存命でしたので彼女にも確認したのですが、同じ答えでした。

 誰か一人でも信頼の置ける証人がおりましたら当家に養子として迎え、次代とした事でしょう。 伯爵家の三男にとって侯爵位を継ぐのは朗報。 ヴィジャヤン伯爵家にとって相当な余録が期待出来ます。 私に隠す理由はないと判断し、それ以上の詮索は致しませんでした。 後にヴィジャヤンの家名を歴史に残す英雄となりましたが、あの当時それが予想出来たとは思えません」


 陛下はお側のカイザー侍従長にお顔を向けた。

「其方は準公爵から何か聞いておるか」

「二年程前に私が伺った時は、所詮は噂。 元を探るなど時間の無駄、とおっしゃいました。 青竜の騎士は何かと逸話の尽きない御方。 一々探っている時間がなくても無理はないかと存じます」

「青竜の騎士はともかく、準公爵は灯台下暗しと無縁に見えるが」

「噂の原因が分からない、とおっしゃった訳ではございません。 噂が事実と御存知だった可能性もございます。 それでしたら誰が流したかの詮索は時間の無駄となりましょう」

「しかし事実なら侯爵位が手に入るという事も知っていたはず」

「それは青竜の騎士の養育権を手放すという事に他なりません。 青竜の騎士が海神の愛孫(ギラムシオ)と噂された時も準公爵は知らぬ存ぜぬを通したのだとか。 その噂の流れる前、バーグルンド南軍将軍が養子にと望んだ時も断られたと聞いております。 青竜の騎士だからギラムシオだからではなく、我が子だから手放せなかったのではないでしょうか」

 陛下は感銘を受けたかのようにおっしゃる。

「親子の絆を尊ぶ家風、か。 貴族らしからぬ判断ではあるな」


 サキの顔を思い浮かべた。 親子の絆? あの深謀遠慮の策士がそんな不確かなものに動かされるか?

 それよりは手放さない方が得と知った上での判断のような気がしてならない。 なぜ二十年近く前にこうなると予想出来たのかは分からないが。

 またもやサキに出し抜かれたか。 そう思うと内心穏やかではない。 しかし目下の急務は陛下の御再考を乞う事だ。 どう申し上げればよいのか算段していると、陛下が私に向かってお訊ねになる。

「青竜の騎士に纏わる噂の中には良からぬものもあるようだが」

「良からぬ噂とおっしゃいますと?」

「飛竜の花嫁を穢したとか。 悪ふざけをする男には見えぬが。 人は見掛けによらぬとも言う」

「陛下。 それは青竜の騎士が四歳の頃、青竜の騎士の再来より前に流れた噂でございます。 その点をお間違えになりませぬよう」

「四歳? そのような狼藉が出来る年でもあるまいに」

「いえ、出来るのです。 飛竜の花嫁とは飛竜の神への生贄。 生涯一度も男性を見た事のない乙女が選ばれ、男性の姿を見ただけで穢された事になるので。 生贄は私の父が禁じた悪習なのですが、当時はまだ隠れて行う部族があったようです」

「ならば花嫁を穢された者にとっても隠したい事では? 噂を広めようとするとは思えぬが」

「当事者は隠したくとも謎は人の口の端に上るもの」

「謎?」

「青竜の騎士は五歳の時、誘拐されております。 犯人は捕まらず、なぜ無事に戻れたのかも不明です。 その事件の後、花嫁を穢されて激怒した村人に誘拐されたが、飛竜王の御加護により救われた、という噂が流れました」

「時系列としては、生け贄を救った、逆恨みされて誘拐され、その後青竜の背に乗る姿を目撃された、という事か?」

「噂が事実とすれば、そうなります」

「ふうむ。 他にも何かありそうな」

「実は、当家にも幼少の青竜の騎士が一人で操縦士席に座り、遊んでいる姿を目撃した者がおります。 飛竜は操縦士以外の者が操縦席に座る事を嫌がるもの。 そのような事をすれば子供であろうと容赦なく振り落とされるはずなのですが。 なぜ振り落とされなかったのか、真に不可解ではありました。 けれどこれだけで青竜の騎士の再来と奉上する事は憚られまして」

「なるほど。 今回の事にしても古卵が孵化した事は僥倖。 それがなくば何らかの軍功を立ててからでも遅くはない、現時点での称号授与は時期尚早と反対する者が出なかったとは言えぬ。 伝説の青竜の騎士は飛竜の大群を引き連れ、数万に及ぶ敵の軍団を蹴散らしたのだから」

「今回も多くの民が、飛竜の大群を引き連れて飛行する青竜の騎士の勇姿を目撃しております。 そもそも竜鈴を鳴らせただけでも子々孫々語り継ぐべき奇跡。 称号授与は当然至極と申せましょう。

 又、青竜は今までその姿を見た者は一人もおりませんでした。 マリジョー山脈の麓にある西軍第一駐屯地の兵士でさえ。 その青竜を呼び寄せ、轡や操縦席なしでお乗りになった。 いずれも熟練の竜騎士であろうと出来る事ではないのです」

「青竜を呼び寄せる難しさや鳴鈴の不思議は竜騎士でなければ分かるまい」

「ならば尚の事、その意味を深く理解する西軍へとお迎えすべきではないでしょうか? これがどれ程驚異的な事であるのか、飛竜がいない北で理解する者がいるとは思えません」

「この移籍に関してはスティバル、テイソーザ、ブリアネク、ケイフェンフェイム、夫々から進言があった。 青竜の騎士は北にこそあらまほしき、と」


 祭祀庁、宮廷、皇王庁、大審院の長が既に合意している?! これにはさすがに驚いた。

 この四人が何であれ、かつて合意した事があったか? (まつりごと)が前例に従うばかりなのも、元を正せば新しい事を実行しようとすると必ず四人の内の誰かが合意しないからだ。

 異な事もあればあるもの。 第一、軍人の移籍は将軍の決裁事項だ。 歴史に残る慶事だから祭祀庁と皇王庁が口を出すのはやむを得ないとしても、宰相と大審院最高審問官は完全なる部外者と言ってよい。

 この展開は予想していなかったが、スティバル祭祀長とテイソーザ皇王庁長官には西への移籍に同意して戴ける勝算があった。

 天駆ける青竜と幼竜の姿を見、その神々しさに感涙を流した者は西軍兵士に限らない。 来年の飛竜祭は古卵が孵化した日に行う事が決まった。 青竜生誕劇の上演や様々な出し物の提案が続々と寄せられている。 今までは大した集客力のない祭だったが、これからは国内有数の一大祭事となるだろう。 青竜の騎士がお見えになるなら六頭杯以上の活況も期待出来る。

 飛竜祭の祭祀を司るのは西軍祭祀長だ。 大群衆の前で祈りを捧げれば祭祀庁の権威を高めるのに役立つ。 スティバル祭祀長が青竜の騎士をお手元に置きたいとお考えなら、御一緒に西へ転任なさればよい。 スティバル祭祀長に北を好む理由があるとは聞いていないし、天の気をお預かりしていると噂される御方だ。 西への転任を止められる人は祭祀庁内にいないだろう。


 テイソーザ皇王庁長官にとっても利点がある。 半年近く雪に埋もれている北だと頻繁な登城を命ずる事は出来ない。 かと言って近衛に移籍したら皇王族の皆様からの面会希望が殺到する。 皇王族の面会は皇王庁の管轄だ。 今でさえ面会希望の調整に手間取り、それ以外の仕事が碌に出来ない有様なのに。 誰それは既に会ったのに、なぜこちらに順番が回って来ないのか、という御不満を宥めるのは人手を増やせば解決するという問題でもない。 必ずや長官を巻き込む争いとなろう。

 それに飛竜は北以外のどこにでもいるとは言え、東への移籍は陛下より皇太子殿下と近しくなる恐れがあるから望ましくない。 南は飛竜にとって暑過ぎる。 夏は北、冬は南へ移動する事になり、サリ様と御家族に大変な御不便を強いる。 青竜の騎士はいいとしても、サリ様も飛竜にお乗りになるのか? サリ様は陸路となれば、その間サリ様の安寧を守る責任者は誰か?

 諸般の事情を考慮すると、近衛、東南への移籍は皇王庁の仕事を増やすだけだ。 北なら現状維持。 損にはならなくとも得もない。 少なくとも私にはこれといった利点が考えつかなかった。


「恐れながら、スティバル祭祀長以外の皆様はこの慶事を未だ御存知ない故、そのように進言なさったのでは?」

「昨日、スティバルと青竜の騎士が登城してな。 そなたの報告に比べ至極簡単な経緯ではあったが、古卵の孵化を報告してくれた。 テイソーザ、ブリアネク、ケイフェンフェイムも同席していた故、皆、承知しておる。 ブリアネクなど竜鈴の音を聞いて感涙にむせんでおったぞ。 鬼の目にも涙とはこの事か」

 なんと、スティバル祭祀長と青竜の騎士が私より先に到着していた?

 私自ら奏上する事は青竜が飛び去って即座に決めた。 ただ何分予定にない上京で、将軍としての決裁事項もあり、出発したのは四日後だったが。 青竜の騎士は権謀術数より弁当の中身の方をお気になさるような御方だし、スティバル祭祀長にしても迅速な対応とは無縁な御方。 僅か四日の出遅れを致命的なものになし得るとは思えない。 一体、誰が。


「それはそうと。 スティバルがな、道中、二頭の竜賊に襲われたと申しておった」

 陛下のお言葉に思わず息を呑む。 竜賊の存在は勿論知っている。 飛行の際、常に予定していた場所に着陸出来るとは限らない。 予想外の着陸で飛竜の餌がなかったら、そこにある物で腹を満たす事になる。

 どの河川も誰かの所有地で、そこで獲れる魚はその土地の所有者の資産だ。 小型の飛竜でもかなりの量を食べる。 単なる無銭飲食とは言えない額の被害になるが、それを知っていても所有者を探し出して金を払う律儀な者などいない。 正規の駐竜場で休憩すれば金を払わねばならないから、わざと駐竜場を避ける者さえいる。 大きな声では言えないが、軍以外の飛竜所有者は全員竜賊が副業と言っても過言ではない。

 残念ながらそれを取り締まる兵力となると、どの軍にもない。 民間で取り締まるのは更に不可能だ。 飛竜の操縦士は上級貴族の縁者か奉公人に決まっているから犯人が分かっていてさえ訴える事は難しい。 目の前で盗まれていながら見過ごすのは業腹だが、操縦士を捕まえた所で手持ちの金がなければ払えと言ってもないものはない。 名も名乗らず飛び去られたら追いかけるには飛竜が要る。 追いかけた所で激しく揺れる飛竜の上から操縦士を狙って射落す事など出来ないし、弓では飛竜を射落せない。

 それでも被害が餌だけならまだましと言える。 中には民家から金品を盗んだり、抵抗した民を殺す者もいる。 金に困っている訳ではなくても。


「スティバル祭祀長の御身にお怪我はございませんでしたか?」

「無事と申しておった。 飛行中、賊が矢を射かけようとした為、青竜の騎士が弓で撃退したとの事」

「飛行中?! 弓で撃退、とは。 まさか飛竜を弓で射落とされた?」

「いや、操縦席の留め紐を狙い、席を射落としたらしい。 席がなければ飛竜に乗るのは難しいのであろう?」

「しかし乗客ならともかく、操縦士が矢を射るとは。 席なしで乗竜する以上に難しい事です。 どのようになさったのか想像もつかないのですが?」

「その武勇談を聞いた皆の者が、是非見たいと強請ってな。 飛竜を操縦しながら矢を放つ技を披露してくれた。 全的命中、見事な手並みであったぞ。 矢馳せ竜(やばせりゅう)を転じ、やぶさりと呼ぶべきか。 本人は、留め紐を狙った時には外れた矢もありました、と恥ずかしげに頬を染めていたが」

「この仔細が広まれば、飛竜に乗ってさえいれば何をしてもよいと思う者への良き警鐘となりましょう」

「ケイフェンフェイムも同じ事を申しておった。 いつどこで青竜の騎士と鉢合わせするか分からないとなれば飛竜絡みの犯罪も減るであろう。 近衛では飛行許可を出す事は難しいが、北なら自由。 それ故北を推す、とな」

「西軍であっても飛行は御自由です。 マリジョー山脈が近いので青竜の呼び出しも容易でしょう。 皇都だけでなく、御領地や国内各地へもお気軽に行き来して戴けるかと存じます」

「そう発言する者もいたのだが、それにはブリアネクが反対した。 西では北程の空き地がない。 青竜の騎士が西に住んでいると聞けば観光客が押し寄せるであろうし、西へ移住する者も増えよう。 大量の人が限られた土地に流れ込めば土地の高騰を招き、少ない畑地を潰して宅地とする事になる」


 鬼宰相と恐れられるブリアネクに向かって、お前は引っ込んでいろと一喝する勇気はないが、ここで引き下がっては青竜の騎士を西軍に迎えるという夢が潰える。

「尤もな御指摘ながら、北軍において青竜の騎士は人望こそあるものの、将軍となるべき御方とは思われていないのだとか。 西でしたら本日将軍職を拝命なさったとしても異を唱える者など一人もおりません」

「昇進に関しては、本人から固辞したいとの申し出があった」

「固辞?! それは何故でございましょう?」

「能力不足と申しておった。 将軍だけでなく、副将軍も嫌らしい。 本人がやりたくないのに無理やりやらせては報賞どころか懲罰になってしまう」

「では、此の度の御褒美は昇進ではない?」

「うむ。 他に何がよいか聞いた所、このまま北でサリ様を養育する事をお許し下さい、と申した」

「それをお許しになるのは少しばかりお待ち下さい」

「しかし。 許すと、もう言ってしまったのでな」

 ぎょっとして陛下のお顔を見つめた。 いくら皇寵があろうと、お強請りをその場で許した前例などない。 昇進を断る事がお強請りになるかに関して議論の余地はあるとしても、居並ぶ群臣の誰一人としてお止めしなかったのか?


 カイザー侍従長に疑問の視線を向けた。 いつもの無表情で無言を通すかに見えたが、陛下に発言のお許しを乞う一礼をした。 何を言われるか御存知だからか? 陛下が視線を逸らされる。

「陛下。 次に青竜の騎士のお目が潤まれた時は、その様に視線を逸らされますよう」

「目が潤んだから許した、という訳でも」

 珍しく歯切れが悪くていらっしゃる。 つまり泣き落としを使われた? それが通用したという事も信じられないが。 いずれにしてもお取り消しはなさそうだ。

 陛下のお言葉だけでも揺るがし難い。 そのうえ基幹四庁が合意しているとなると全将軍の合意がなければ北軍在籍を覆す事は不可能だ。 僅かでも見込みがあるならいくらでも根回しをするが。 西への移籍に他の将軍の後押しは望めまい。

 東は青竜の騎士の叔父、オスタドカ。 南は青竜の騎士の父の親友、バーグルンド。 何を餌にしようと青竜の騎士の意に背く真似はしないだろうし、モンドーへは言うだけ無駄。 かろうじて近衛のマッギニスなら?

 すると私の脳裏をお読みになったかのように陛下がおっしゃる。

「マッギニスも同席していたので聞いたが、異論はないと申しておった」

 最後の頼みの綱でさえ切れていたか。 多少の反対は覚悟していたが、時間は掛かってもお許し戴けると予想していたのに。


 重い足取りで城内の西軍将軍執務室に戻った。 出迎えた補佐のデルガトウは私の顔色を見ただけで察したのだろう。 首尾を聞いたりはしなかった。

「デルガトウ。 準公爵が今どこにいるか分かるか?」

「来週半ばまでグゲン侯爵領です」

「目的は?」

「お花見と伺っております」


 陛下の御即断がサキの差し金という証拠は何もない。 卒のないあいつの事。 何もしていないという証拠ならいくらでも見つかるだろう。

 花見は表向きの理由としても、皇都にいないのならいかに皇国の耳であろうと西軍駐屯地で起こった古卵孵化を知るには間がある。 今日辺り知らせが届いたかもしれないが、グゲン領から陛下へ進言する術などない。 グゲンは飛竜を持っていないし、どこからか借用するとしても城内への着陸許可を持っていないのだから。 ダンホフ別邸か郊外のどこかに着陸し、早馬で手紙を届けたとしても私より先に届いたはずはない。 ただ四庁の合意をこれ程の短期間で取り纏める、そんな離れ業が出来る者もいないのだ。 サキ以外に。

 祭祀長、宰相、皇王庁長官、大審院最高審問官。 各々に思惑がある。 青竜の騎士がどこに所属しようと構わないと思っていたとしても、いや、それなら尚の事、わざわざ北軍常駐を進言するのは不自然だ。 そう進言するよう誰かが唆した、と言っては言葉が悪いが、誘引したとしか考えられない。 サキではないなら誰が?


 青竜の騎士、は外せる。 幼竜を巣に返した事を見るまでもない。 世間の常識からかけ離れた御方だ。 昔は少し変わっている程度で済んでいたが、今ではかなりの域に達していらっしゃる。 宮廷内の根回しなどやり方さえ御存知ないだろう。

 ただ彼の周囲を固める者は優秀だ。 執事のトビ・ウィルマー。 補佐のオキ・マッギニス。 いずれも中々の策士と聞いている。 ウィルマーならサキとの関係も密だし、マッギニスなら近衛将軍の甥。 ケイフェンフェイムやブリアネクへの繋がりもある。 根回しの能力と伝手はあるとは言え、上官の指示なく根回しをするか? それにどちらも若く、皇都在住ではない。 彼らを並の執事や大隊長補佐と一緒にしようとは思わないが、手紙一本で陛下や臣下の重鎮を動かすのは二人の人脈を合わせても無理であろう。


 ならばスティバル祭祀長がお指図なさった? 御自ら飛竜で乗り込まれた事を見ても並々ならぬ御感興が窺える。 とは言え、長年政治に一切関与なさらず、マーガタン中央祭祀長解任まで祭祀庁を統べる者らしき動きをお見せになった事はなかった。 宮廷内や皇王庁、大審院と密な関係がある訳でもない。 北軍駐在を進言するようお命じになった所で、彼らが素直に従うか?

 猛虎に至っては青竜の騎士以上に政治や宮廷の思惑に関心がない。 もし北軍将軍の座を狙っているのだとしたら青竜の騎士が北軍に居座るのは邪魔なだけだ。 離れたくないのなら一緒に移籍すればよいだけの事。 モンドーにうんと言わせるには手間取るとしても受け入れる方は大喜びだ。


 そもそもの計算違いは、青竜の騎士が西への移籍を望んでいらっしゃると思い込んでいた事だが。 北にお住まいのままでは飛行は夏に限られる。 たとえ将軍位に御興味はなくても国内旅行が年中短時間で出来るのは大きな魅力だ。 各地に顔を見せる機会を増やせば名声と影響力も上がる。 人気ならいくらでもある御方だが、人気や名声は増えて困るものではない。

 唯一嬉しくない者がいるとすればサキ、と考えていた。 青竜の騎士の人気が更に上がればサキの影響力を越える。 お二人に意見の相違がなければ何も問題はないが、もしあれば重んじられるのは青竜の騎士の御意見だ。 相対的に見ればサキの影響力が低下したという事になる。

 要約すれば、サキ以外に陛下や重臣を自在に動かせる者はおらず、青竜の騎士を北に留め置きたいと思う者もいないのだ。 サキが裏で糸を引いているという気持ちは拭えない。 どのような手を使ったかは分からなくても。


 子供の頃から私はサキが苦手だった。 何がどう苦手なのか自分でも説明出来ない。 家柄、財力、知力、体力、容貌、どれを取っても私がサキに劣るものはないにも拘らず。 これは自惚れなどではない。 世間の評価だ。 なのになぜかいつも肝心な所でサキに出し抜かれる。

 例えば、シノ。 シラ・ジョシの情報網は国内有数で、それは長女シノの夫が引き継ぐと見られていた。 だから誰が彼女を射止めるかは上級貴族の関心事だった。 公爵家で正妻の座を約束した所はないが、私は正妻の座を約束した。 ところが蓋を開けてみれば、という訳だ。

 侯爵家で正妻の座を約束したのは私だけではなかったから誰と比べても負けない自信があったとは言わないが、格下のサキに負けるとは思わなかった。 求婚に失敗した事が即ちサキに劣っている証とは思わないにしても、サキは皇国の耳を更に拡大充実させた。 それは彼の先見の明に依る所が大きい。 目の付け所が違うと言うか。 物事を分析、予想する能力は他の追随を許さない。 それが私にとって羨望となり、劣等感ともなっている。

 それ故私から調査を依頼した事はなかった。 親戚だし、聞きたい事があれば頼ってもよさそうなものだが。 今回のような事だと尚更聞けない。


 あれこれ考えている所に騒音が聞こえて来た。 いらついて窓の外へ目を向けると、建設用重機が何台も運ばれている。

 私の執務室は玉竜用に仕切られた区画の西隣にあり、ここを通り過ぎれば区画内だ。 飛竜関係は何であれ、必ず西軍に諮問される。 修理程度の増改築でさえ予算や許可等の手続きで揉めるのが通例だ。 重機を運ばねばならぬような建設計画が通ったとは聞いていない。 既存の竜舎と付属施設に空きがあるのだから。

「デルガトウ。 あれは一体何の騒ぎだ?」

「青竜の騎士の竜舎を建てる為の地ならしでしょう」

「竜舎? 玉竜を他に移すと言うのか? そのような大事、西軍に諮問なく陛下がお許しになったと?」

「いえ、移動はないと存じます。 青竜の騎士が駐竜なさった際、玉竜が竜鳴しました」

 飛竜は番や家族、家族と見做した飛竜に会うと独特の高音で鳴く。 それを竜鳴と呼ぶ。 竜鳴した飛竜の間では縄張り争いは起こらない。


「金はどうした? 補正予算が組まれたとは聞いてないぞ」

「全額寄付で賄われるので、予算審議会を通す必要はありません」

「少なく見積もっても数千万の金を、誰が出すと言ったのだ? ダンホフか?」

「ダンホフ公爵は出す気満々でいらしたようですが。 御前会議の席上、テイソーザ長官が、ダンホフ公爵家は既に飛竜を提供している、竜舎はテイソーザ大公家に寄付させて欲しいとおっしゃったのだとか。 するとブリアネク宰相が、寄付したいのは誰も同じ。 一家に限るのではなく、金額の上限を一万ルークにして多くの家から募っては如何、と提案なさいました。 どう決着するかは不明ながら資金不足になる事は考えられないので始まったのでしょう」

「だが地鎮祭もなく、いきなり地ならしとは」

「地鎮祭は昨日、青竜の騎士が北へお帰りになる前に行われております。 陛下御自ら鍬入(くわいれ)なさいました」


 陛下の鍬入は御寵愛の証。 強請った所で手に入るものではない。 最後に陛下が鍬入なさったのは二百年以上前だ。 無知故の猪突猛進が意外にも通った、という事なのか?

「陛下は竜舎を強請られたとおっしゃらなかったが」

「お強請りされた訳ではないからでしょう。 地鎮祭の後で、青竜の騎士がテーリオ祭祀長見習に何が建つかをお訊ねでした。 御自分用の竜舎と知って大変驚かれた御様子で。 誰にお礼したらいいのか、お土産は何がよいか等、御質問なさっていらっしゃいましたから」

 強請ってもいないのになぜ、と聞きそうになったが、過去の昇進、叙爵、領地。 いずれも青竜の騎士が強請ったものではない。

 竜舎は建てるべきもの。 工事に反対する者などいるはずはないが、御本人さえ知らない内に工事が始まるとは思わなかった。 考えてみれば下手に知らせたら、いらないとおっしゃったのではないか? そうなってはいつ工事を始められるか分からない。

 しかしこれでは移籍に失敗しただけでなく、西軍将軍が先頭となるべき工事にまで後れを取った事になる。 重ね重ねの不手際にため息が零れた。


「ラガクイスト家の口座から一万ルークを寄付しておけ。 上限が上がった時は私の承認を待たず、上限一杯まで寄付するように」

「その件ですが。 今朝宰相補佐官に確認した所、現金での寄付は既に締め切られておりました。 昨日中に目標額五千万を突破した為、今後受け付けるのは資材等の現物寄付か、労力奉仕に限るとの事。 おそらく寄付に出遅れた家があの重機を提供したのでしょう」

 改めて窓の外に目をやると重機の後に人足が続いている。 それだけ見れば普通の工事現場だが、よく見るとかなりの人数が人足とは思えない上等な仕立ての服を着ていた。

 一際目立つ白い服。 磨き抜かれた美しいつるはし。 担いでいるのはプラドナ公爵だ。 隙のない身のこなしで辺りに気を配っている者は主の護衛として着いて来た剣士だろう。

 エングラブ管財庁長官、ムーリキン筆頭侍従、皇王庁外戚部のオベルテ執務官もいた。 使い込まれたシャベルを持ち、動きやすそうな作業着で足元もしっかりしているから見学やひやかしに来たようには見えない。

 ただ私が知る限り、彼らは青竜の騎士を嫌っていたのでは? 嫌うと言っては言い過ぎかもしれないが、労力奉仕に出向く程の肩入れをしているようには見えなかったのだが。 どちらかと言えば嫌っている事を悟られぬよう青竜の騎士関係は何であれ敬遠しているように見えた。

 他にも名は知らないが、普段肉体労働などしていそうもない文官、神官、医師の姿が見える。 皆、宴にでも来たかのように楽しげだ。


 私は軍服を脱いで茶色の私服に着替え、靴を奉上用から行軍用に履き替えた。

「休暇届を提出しておいてくれ」

「了解。 護衛は二十名でよろしいですか?」

「労力奉仕に護衛は無用」

「労力奉仕をする為、休暇を願い出た護衛がおります。 彼らの御同道をお許し下さい」

「同道は許すが、私の護衛に行くのではない。 不粋はせぬよう注意しておけ」

「承知致しました」


 シャベルを担いで人の流れに混じると、そちこちから黙礼された。 返礼はしたが、私からは話し掛けなかった。 向こうからも話し掛けて来ない。 行けと命じられたとか、世間話をしに来た訳ではないからだろう。 私と同じ理由で参加しているのだとしたら、なぜ来たのか聞くまでもない。 今自分に捧げる事が出来るのは時間と手と汗だけだからだ。


 手を動かしながら考える。 青竜の騎士の為に出来る事は何か。 早急に着手すべきは竜舎と飛行場の建設だ。 まず北軍第一駐屯地と御領地に。 竜舎は雪の重みに耐えられる設計に改良せねばならない。 親戚で飛行場を持っているのが私とダンホフだけなのも不便だ。

 御実家、ヘルセス、グゲン、と派遣する設計士の数を数え始め、気が付いた。 御本人は勿論、周囲の誰一人として私に頼んだり強請ったりしていない事に。

 そこで初めて青竜の騎士に関する一連の決定が、サキどころか誰からの根回しもなく行われた可能性がある事に思い至った。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 『やぶさり』 粋な言葉ですね! 語呂もいいしサリともかかってますね! 『誰からの根回しもなく行われた可能性』 これまた素敵で痛快ですね! サダは権謀術数とは無縁のところにいるだぜ!とばか…
[良い点] 陛下への好感度がまた一段上がりましたwww 六頭殺しのうるうるにほだされる人に悪い人はいない!
[良い点] 読み応えありました。 青竜の騎士の登場がヤバいことになってる。が興味ない?理解してない?のは本人と猛虎(笑) [気になる点] サキはサダが青竜にあったのは黙ってるようにて家族に言ったのか…
感想一覧
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