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弓と剣  作者: 淳A
天駆
438/490

理不尽

「ヴィジャヤン準大公。 タケオ大隊長。 ようこそお越し下さいました」

 祭祀長のお住まいへ伺ったら玄関先で恭しく五人の神官に出迎えられ、ぎょっとした。 今までこんな風に名前を呼ばれた事なんて一度もなかったから。

 師範の護衛として訪問していた時に俺の名前が呼ばれないのは当然としても、客のはずの師範の名前だって呼ばれた事はなかった。 町中で思いがけなく神官と出会って挨拶されたのならまだ分かるが、ここは神域。 全てに意味がある。

 出迎えのあるなし。 出迎えが何人だったか。 出迎え神官の階級。 客の名前を呼ぶ呼ばない。 呼ぶとしたら爵位を付ける付けない。 付けたとしたらどれか。 どこから通される(玄関、裏口、庭先、その他)。 玄関へ入った途端、美しい刺繍入りの室内履きがさっと出て来た事にも。


 俺の方が先に呼ばれたうえに未来の爵位で、室内履きを出された。 どうやら今日俺が来た事は神官の皆さんにとても喜ばれているみたい。 だけどそれほど喜ばれるような事、何かしたっけ?

 室内履きが出されたという事は前回通された茶室でのお目通りじゃない。 客間に通されるという事だ。

 祭祀長のお住まいに招待されたからって客間に通されるとは限らない。 師範の場合、暖かければ庭先のパティオ。 寒くなったら庭の中に建てられている小さな茶室へ案内されていた。 それには北軍祭祀長としての正式招待ではなく、スティバル祭祀長個人の御好意によるお招きという意味があったらしい。


 前回はもう一段階格が上がり、玄関からお住居の中にある茶室へ通された。 因みに軍人の場合、将軍か副将軍にならないと客間には通されない。 これはしきたりだから祭祀長のお気持ち的には客間へ通したくても変える事が難しいんだって。 そうマッギニス補佐から聞いていたんだけどな。

 古卵の孵化はお目出度い事だから客間で聞きたい、とか? うーん。 でも何があったかまだ報告していないのに。 俺がいい知らせを持って来た事をどうしてもう知っているの? 西からの噂がどんなに早かろうと飛竜で帰って来た俺より早いはずはない。 そもそも古卵の孵化、て客間に通される程の事?


 はっきり言って師範と俺は神官の皆さんから嫌われている。 と言うか、今まで好かれていると感じた事はなかった。 何度も怒られているし。 まあ、お祓いをケルパ神社に頼んだくらいで怒られるんだ。 怒るのが神官の仕事なのかもしれないが。

 そんな怒りっぽい人達が、いきなりようこそお越し下さいました? なんで? 全然見当がつかない。 つかないからって無理につけようとは思わないが。 神域の慣習と儀礼は独特で、必ずしも宮廷儀礼に従わない。 神官の行動の裏を読むなんて、マッギニス補佐のような裏読みのプロでさえ気軽にやったりはしないんだ。 そんな難しい事を神域儀礼と宮廷儀礼の区別もつかない素人(俺)がやったら危ないだろ。


 ただ嫌われている理由なら分かっている。 俺達が成り上がりで信心深くないから。 それは神官から直接言われた訳じゃないが、見下されている事は目を見れば分かる。 この罰当たりが、て感じ。

 無理もないと言えば、無理もない。 師範は平民だし、俺だってたかが伯爵家の三男だ。

 神官になるには血筋と言うか、家系があるんだって。 公侯爵ともなれば身内に神官となった者が必ずいて扱いも違うと聞いた。 ここ何十年か新しく神官が採用された事はないらしいが、それ以前から伝手や縁故がなければ神官になるのは簡単じゃなかったらしい。 どうしてもなりたければ神官を養子にするとか寄付をはずむとか手段はあったようだが、俺の実家には幸か不幸か神官になった人はいない。 神官になった人が一人もいない家は貴族であってもかなり下に見られる。


 それに大隊長の退役後の爵位が準伯爵である事からも分かるように、大隊長は普通なら祭祀長にお目通りが叶う階級じゃない。 なのに俺はスティバル祭祀長のやさしさに甘え、度々お力添えをお願いしていた。 神官の皆さんから身の程知らずと思われても仕方がない。 目を使わなくても口で言ってくれりゃいいのに、とは思うけど。

 師範は師範で、神官がどうした、ふん、て態度だもんな。 あれじゃ嫌われたって文句は言えないよ。 でも師範は祭祀長のお召しに応えただけだ。 俺に縋られて師範の方からお目通りを願い出た事はあるが、師範自身が希望したお目通りは一度もない。 なんでわざわざ見下されに来なきゃいけないんだ、と思う気持ちも分かる。

 俺は気が弱いから相手が誰だろうと師範みたいな強気な態度には出れないが、下手に出たってどうせ好かれないんだ。 謙るだけ無駄と師範が思ったとしてもあながち間違いではないのかも。


 はい? どうせ見下される事には慣れてるだろ、て?

 いいえ、慣れていません。 例えばマッギニス補佐の視線は冷たいが、別に俺を見下している訳じゃない。 冷たく見えるのは頭の中がきちんと整理整頓されているからだと思う。 なにしろあの頭には巨大な図書館並みの知識が詰め込まれている。 きちんとしてなきゃ収拾がつかない。 だからたとえ相手が上官だろうと、それをグチャグチャにするような曖昧な言動が許せないんだろう。 必要な時にさっと取り出せなくなるから。

 あれだったかな、これだったかも、と返事をした時のマッギニス補佐の容赦のなさときたら。 神官の蔑視の方が十倍ましと言えない事もない。 ただマッギニス補佐の場合、わざと間違えたのでもない限り命を取るまではしないから、どちらか選べと言われたらマッギニス補佐を選ぶが。 究極の二択かも。


 そう言えばいつだったか。 自分の物覚えの悪さにマッギニス補佐の前でため息をついた事があった。

「マッギニス補佐みたいになりたいとは言わない。 せめてもう少し俺が物知りだったらなあ」

「知識の量で賢さは計れません。 知らない事は聞けば済む事です。 聞く気がないのでしたら問題ですが、大隊長はお聞きになり、そして賢い御判断をなさる。 上に立つ者としては充分と申せましょう」

 もしかして、褒められた? その後、養女の件を断ったりしたから賢い判断をする人とはもう思われていないだろうが、俺的には中々心温まる思い出だ。 あれが最初で最後の褒め言葉になるかも、とは思わないでおく。

 上級貴族の皆さんの視線も一見冷たい。 だけどあれは自分の感情を隠しているからだ。 俺のファンである事がばれて利用されたら困るとか、そんな感じ。 だから頼んでもいないのに助けの手を差し伸べてくれたりする。 俺を見下すどころか中身は熱い。

 師範だって短気だから冷たい人に見えるが、俺を見下してはいないし、どんなに腹を立てていたって俺を見捨てない。 あれで中々面倒見がいいんだ。 長男気質って言うか。 根が照れ屋だから頼られて嬉しいなんて死んでも言わないと思うけど。


 その点、神官の蔑視に温かみはない。 北国の二月。 掛け値なし、てやつ。 血筋を尊ぶからサリが準皇王族になって以来、その血縁である俺達への態度がすこーしましになったが、基本は無表情。 嫌がらせだって前回の訪問では何もやられなかったけど、それまでは必ず何かされていた。 と言っても大したもんじゃないが。 冬に凍った円座を出された、とか。 いくら真冬だって室内に置いていたら円座が凍るはずはない。 あれは絶対わざと外に置いていたんだ。 俺達用に。

 夏は庭の尖った小石が敷き詰められている辺りに跪くよう案内されたし。 そんなどうでもいい事でスティバル祭祀長を煩わせたくなかったから、ちくったりしていないけどさ。


 ともかく、今までずっとそんな感じだったから今日も何かされると身構えていた。 事前の許可がなくても祭祀長への訪問が許される身分にはなったが、突然の訪問が大変な無礼である事に変わりはない。 そのうえ先触れを出さなかった。 神域への先触れは昼を過ぎたら出せない決まりだから。 それを無視して出したって、決まりを無視したという理由で神官を怒らせる。 そうなったらもっと拗れるだろう。

 スティバル祭祀長なら古卵の孵化を喜んで下さると思うが、だからって神官にとっても喜ばしいかどうか、それは報告してみないと分からない。 喜んだとしても、ただ嬉しいのか、この出来事を利用出来るから嬉しいのか。 神官の思惑なんて上級貴族の思惑以上に読めない。

 なにせあの非の打ち所がないスティバル祭祀長でさえ神官達、特に上級神官からは不人気なんだとか。 理由は色々あるらしいが。 非の打ち所ありありの俺が嫌われたって不思議はないんだ。


 玄関に辿り着くまではいろんな予想をしていた。 どれも明るくない。 玄関先で神官に訪問の理由を聞かれ、こちらから報告しておく、追って沙汰を待て、と追い返されるかも。 問答無用で、出直せと怒鳴られるか、そこまでいかなくとも嫌みの一つや二つは言われると覚悟していた。 なのに嫌みどころか恭しい。 少しも咎められず、すんなり客間へ通された。

 出迎え。 名前の呼び順。 爵位付き。 室内履き。 客間。 嫌みなし。

 この中でどれが最も重要なんだろう? 正解は分からないが、俺としては名前の呼び順が一番気になった。

 前回の訪問も今日程じゃないが客扱いはされた。 庭の茶室じゃなく、お住居の中にある茶室に通されたし。 でも全て師範の方が先だった。 入室順、席順、お茶を出される順番も。 そしてそれが正しい。 軍で一番重要な順番は階級順だから。 師範は第三大隊長で、俺は第十一。 これだけでもう、俺が先に呼ばれる事は金輪際ないはずなんだ。

 古参兵が高貴な出自の新兵に遠慮するみたいな事は上級将校となってもある。 だけどそれは仕事を命じる時の態度とかに表れるもので、準大公だからって第十一大隊長が第三大隊長より先に呼ばれたりはしない。

 唯一考えられる理由は今年の新年会で陛下から準大公と呼ばれた事だ。 会場にいた他の人達にも聞こえる大きなお声で。 しかも一回や二回じゃなく、何度もそう呼ばれた。

 トビによると、これには俺の親戚が準大公と呼ぶのとは全く違う重みがあるんだって。 これで準大公は正式と言うか、公式と言うか、叙爵式はしていなくても誰もが呼ぶべき爵位となったらしい。 だから軍以外の場所では、大公であるテイソーザ皇王庁長官が同席しているのでもない限り、俺が必ず一番先に呼ばれる。


 神域は軍じゃない。 だから階級より爵位を優先しても別にいい。 でもそれならどうして今まで皇寵を戴いた俺に嫌がらせしていたの? 皇寵を戴いたのって去年の春だぜ。

 スティバル祭祀長は俺が昇進したらすぐ大隊長を付けてお呼び下さったし、陛下と握手してからは準大公とお呼び下さっている。 神官も側でちゃんと聞いていた。 なのに嫌みな態度に変わりはなかった。 皇都から帰る途中とか、前回の竜鈴を頂戴した時だって。

 歓迎される事自体は悪い事じゃないとは言え、恭しい態度になるには何か理由がなけりゃ変だろ。 客間に通されても理由が分からないと薄気味悪い。 祭祀長の御指示があっての変更なら意地悪はされないかもだけど。 俺達が遠慮する事を期待しての変更だったりして? なのに遠慮しないものだから、いつまで待っても祭祀長がお見えにならなかったり? それか、長々待たされ、そのせいでお目通りの最中に俺達のお腹が鳴ったりとか。 そんな不調法をしたら当然ただでは済まないよな?


 ふうう。 俺も随分疑り深くなっちゃった。 マッギニス補佐に鍛えられたからかな。 あ、疲れのせいかも。 なにせ何日もぶっ続けで飛竜を操縦した。 疲れもするさ。 飛竜って客として乗るだけでも疲れるんだから。

 ここが西軍なら操縦がどんなに疲れる事か分かってくれる。 まず休めと労ってくれたり、お水やおしぼりを持って来てくれたり、いろんな気遣いをしてくれるが、北じゃ飛竜を操縦した事のある人なんていないもんな。

 飛竜を操縦した? へえ、そう、で終わり。 帰ったら即会議。 息つく間もなく神域だ。

 でもこの報告さえ終われば家に帰れる。 それだけを楽しみにがんばるしかない。 とにかく早く終わってほしい。 師範と会う事を楽しみにしていらっしゃるスティバル祭祀長には申し訳ないけど。


 昔はぶっきらぼうを絵に描いたような師範と一緒にお茶を飲んで何が楽しいのか不思議だったが、神域にお邪魔するようになってスティバル祭祀長のお気持ちが少し分かるようになった。 辛気臭い神官とおしゃべりするより師範と無言で座っていた方がよっぽど気分が明るくなる、て。

 何しろ神官の中には祭祀長の御心にわざと逆らっているとしか思えない人もいる。 いくら不遜な神官だって俺達にしたような嫌がらせを祭祀長に向かってするはずはないが、祭祀長なら神官のトップ。 上官と言うか、上司だろ。 普通、上司のお気に入りに嫌がらせをするか?


 ここだけの話、俺だって自分の部下には嫌みを言われたり、頼んだ事を後回しにされたりの嫌がらせをされた事がある。 だけどそれは忙しい部下の仕事を増やす方が悪いんだからしょうがない。 と自分で納得していたって部下に逆われたら哀しいのに。

 第一、スティバル祭祀長は俺のような自分でも何を言ってるんだか分からない上官とは違うだろ。 部下に理不尽な要求をなさっていらっしゃるとは思えない。

 聞くところによると、上級神官なら祭祀長をお諫めする事が許されているんだって。 師範を招待するのが気に食わないなら、招待するなと言えばいいじゃないか。 表立って抗議するとか、お諫めするなら分かるが、祭祀長に分からないよう客に嫌がらせをする、て。 まずいんじゃないの?


 祭祀長の御心に逆らっている例は他にもある。 例えば皇都へお出掛けの際、スティバル祭祀長は、儀礼は出来る限り簡略にせよ、とお命じになった。 目的地に短時間で到着する方が望ましい、民を煩わせるな、と。

 で、俺達はその御希望に添った準備をした。 ところが出発直前に祭祀長の側付き神官から茶々が入った。 あれがない、これを買え、それを変えろ。 いや、もう、うるさいのなんの。

 祭祀長の御旅行には古来からの儀礼がある。 軽んじるなと言いたい気持ちは分かるけど、それってスティバル祭祀長のお言葉より重いもの?

 どうやら重かったらしい。 神官にとっては。 だから平気で神官に逆らう俺達が目障りだったんだろう。 おまけに逆らっても罰せられない。 で、余計腹が立ったのかもな。


 それにしても今日は神官の態度だけじゃない。 お住居の雰囲気もどこか違う。 どこが違うんだろうと考えて、神官の数が増えている事に気付いた。

 スティバル祭祀長のお住居は慎ましいと言っても部屋数は二十以上あるが、祭祀長が静寂を好まれるとかで住み込みの神官や下働きは今まで一人もいなかった。 全員近所の宿舎から通っている。 神官がお邪魔する時は一人か二人。 三名でお邪魔するのは来客がある時に限られ、そんな時でも五名以上がお邪魔した事はないと聞いている。 つまり以前なら五人の神官に出迎えられる事はあり得なかった。


 俺達を出迎えてくれた五人は全員新しい。 俺が一度も見た事のない顔というだけじゃない。 とても若いんだ。 二十代か、三十そこそこ?

 今までの神官は若くて四十代。 ほとんどが五十代で、一目でそれと分かる豪華な神服に複雑な刺繍の入った帯を付けていたから全員上級神官だ。

 新顔の神官はずっと簡素。 俺達に声を掛けた神官の帯にはいくらか刺繍が入っていたから中級だと思うが、他の四人の帯には刺繍が入っていなかったから下級神官だろう。 それに出迎えの五人の他にも奥や廊下に人の気配がある。 よくよく考えてみれば、ここに辿り着く前に通り過ぎた神官宿舎でも人影を見た。 合計四、五十人はいたと思う。

 スティバル祭祀長直属神官は二十人しかいないと聞いていたから、全員神官ではないとしてもお仕えする人の数が増えている。 いつ増えたんだろう?


 そんな事を考えている所にスティバル祭祀長がテーリオ祭祀長見習を従えてお見えになった。 スティバル祭祀長はいつもの慈愛に満ちたお顔だ。 テーリオ祭祀長見習もさわやかな微笑みをお見せ下さった。

 はああ。 癒される。 この包み込むような温かさを神官の皆さんに見習ってもらいたいぜ。 この温かさは相手が師範と俺だからじゃない。 平の兵士に対しても同じような態度で接して下さるんだ。 気難しいケルパが丁寧に挨拶する御方なだけある。

 テーリオ祭祀長見習が神学生だった時、奉公人として来てもらえないかと誘って断られた事はすごく残念だったけど、次期祭祀長となられたから俺にとっては結果的にもっと有り難い事になった。

 なにしろ祭祀長なら皆様慈愛深いという訳じゃない。 それは中央祭祀長を見れば分かる。 聞きたい事があったとしても、あの人に聞く気にだけは絶対なれない。

 俺を助けてくれたのだってスティバル祭祀長であればこそ、だ。 それを知っているだけに内心次の北軍祭祀長は誰か、不安だったが、テーリオ祭祀長見習ならスティバル祭祀長のように俺を導いて下さるだろう。 そんな安心感がある。


 その気さくなお人柄に甘え、新年に皇都から北へと帰る途中、零した事があった。

「私は神官の皆さんに嫌われているようです」

「そう、ですか。 気にしなくともよいでしょう」

「でもこれは私に直すべき所があるからではないでしょうか? それを直せば嫌われなくなるのでは?」

「どのように直した所で望むような結果は得られません。 神官が仕えるのは天。 軍や宮廷、人心は世俗。 敢えて世俗に逆らおうとしている訳ではなくとも、天の意を尊ぶあまり、神官が世俗に従わない事はままあるのです。

 過去、軍や宮廷のしきたりどころか陛下や祭祀長のお指図に従わない神官もおりました。 祭祀長は天の気をお預かりし、天にお仕えする人々を指導する御方。 ですが、天そのものではありません。

 皇王陛下は天子であらせられる。 けれど子が親に逆らう事があるように、天子が天の意に逆らう事がないとは言えません。 そのような場合お諫めするのが神官の務め。 神官階級に、我こそは正、と思う驕りがないとは言えないのです。

 準大公は非常に多くの偉業を成し遂げられた。 しかしながらその行跡に対する解釈は祭祀庁内で統一されておりません。 神官の中には独自の解釈をしている者もおります。 行跡が問題と言うより、その行跡をどう解釈するか。 それによって準大公への好悪が分かれているのです。

 全神官に好かれる行跡はありません。 広い世間には自分が何をしようと嫌う人もいる、と捉えておけばよいでしょう」


 深い、よな。 俺より年下とは思えない思慮深さだ。 改めて言うまでもないが、俺に比べて思慮深いと言ってるんじゃない。 そんな比べ方をしたら世の中の人全員が思慮深くなっちゃうだろ。


 はい? 俺に思慮深さの何が分かる、て?

 ちょっとー。 ばかにしないでもらえる? それが分からないで世間の荒波を乗り切っていけると思うの?

 こう見えても俺は違いがよく分かる男なんだぜ。 普段沢山の賢い人に揉まれているからな。 毎日沢山の弓を触っていると弓の違いがよく分かるみたいなものさ。

 但し、思慮の中身が分かると言っているんじゃない。 思慮深い人に好かれているか嫌われているかが分かるんだ。 思慮深い人は感情を面に出さないが、出さないだけで好き嫌いがちゃんとある。 好かれていれば失敗しても大目に見てもらえるが、嫌われていたら、こいつをどういじめてやろう、となる。 それって俺でなくても分かる事かもしれないが。


 そこでようやく気が付いた。 もし移籍したら着任した軍の祭祀長の命に従わなきゃならない、て事に。 普通なら将軍でさえ祭祀長にお目通りする機会はそんなにないけど、俺は何度も呼び出されるだろう。 用があろうとなかろうと。 いい客寄せになるから。

 スティバル祭祀長ならそんな事はなさらない。 他の祭祀長も俺が知らないだけで思いやりのあるお人柄なのかもしれないが、皆様にお目通りした時、少しも温かみを感じなかった。 そして中央祭祀長とは金輪際合わない。 それはもう分かっている。 次の中央祭祀長が誰かは知らないが、今の祭祀長があの人というだけで近衛にはぜーーったい行きたくない。

 それでなくてもケルパに好かれる人は珍しい。 そんな人を見つけたらその人から離れないようにしないと。


 これをどう申し上げたらいいのかを考え、肝心の報告をしないでいたら、スティバル祭祀長がお訊ねになった。

「準大公、竜鈴の効果はあったか?」

「は、はいっ! マリジョー山脈にて青竜と出会い、共に西軍第一駐屯地へと飛び、そこで古卵の孵化に立ち会いました」

「ほう。 青竜と共に飛び、古卵が孵化した、と。 善きかな。 この慶事に相応しい祝祭を行うよう、陛下へ進言せねば。

 テーリオ。 陛下への手紙を届けてくれるか」

「畏まりました」

「お、恐れながら」

「なんだね?」

「その、これによって移籍を命じられたりしないでしょうか?」

「おや。 北がよいと申すか? そなたは寒がりと聞いていたが。 寒さ慣れしたか」

「い、いえ、寒さに慣れてはおりません。 けれどスティバル祭祀長のお側より離される事は寒さ以上に辛い事です。 出来れば昇進もない方が」


 これって直訴っぽい? 将軍からはだめもとで言ってみろと言われたが、本当に言ってもいいのかな? 自信がなくて語尾が消えた。

 お叱りがあるかも、と恐る恐るスティバル祭祀長のお顔を窺うと、少しお考えになられていらっしゃる。 お怒りのようには見えない。

「ラガクイストは青竜の飛来と古卵の孵化、どちらも見たのだな?」

「はい。 モンドー将軍へのお手紙を下さいました」

 ラガクイスト将軍の手紙を差し出すと、スティバル祭祀長が御覧になり、テーリオ祭祀長見習にもお見せになった。

「テーリオ。 準大公の移籍に関し陛下から御下問があった場合、そなたなら何と答える?」

「一つの軍の専属とするより、準大公を正式に青竜の騎士に叙し、陛下直属の武人となさっては如何でございましょう? それでしたら移籍自体が無用となります。 北軍内の階級を辞退するかしないかは準大公次第。 留まるにしても昇進はモンドー将軍次第となりましょう。

 又は、この慶事を記念した祝日を制定するとか。 祝日の施主が将軍や副将軍ですと、様々な不都合があるかと存じます」

「ふむ。 古卵の日、とするか?」

「善き名でございますね。 民にも親しまれるのではないでしょうか」

「騎士叙勲と祝日制定。 両方を同時に進言した方がよいな。 ならば他の祭祀長の合意を得ねば。 では私が奏上した方がよいか。 ラガクイストは飛竜を使ったであろう。 出遅れては何かと面倒。

 準大公。 ダンホフの飛竜はまだ滞在しているか?」

「はい」

「皇都へ飛ぶ。 準大公、タケオ。 供をせよ」

「「御意」」

 師範と俺が同時に答える。


 スティバル祭祀長がぱんぱんとお手を叩かれた。 すると客間の扉が開き、そこに五人の神官が控えていた。

「フィズレーン。 即座にダンホフの操縦士へ連絡し、飛竜を召し出せ。 明日の朝、準備が出来次第私は飛竜で皇都へ向かう。 護衛は準大公とタケオ。 旗持ちはテーリオが務める。

 私は準大公操縦の飛竜に乗るが、旗の重さを考えるとテーリオを乗せる飛竜にタケオも乗るのは無理であろう。 合計三頭の飛竜を用意するように。

 ガドスティブ。 そなたはモンドーにこの事を知らせよ。 尚、準大公とタケオは本日神域に宿泊し、明日に備える。

 デッサイ。 準大公とタケオの食事と寝具を手配せよ。 又、二人の家に人をやり、事情を知らせておくように。

 バーズラフ。 神域にある飛竜舎と飛行場を整備せよ。 十頭飼える広さはあるが、長年放置していたから整備完了まで時間がかかるであろう。 取りあえず三頭、発着出来ればよい。 いずれは青竜の騎士の基地とする。 その為の便宜を計るように。

 ダナエタン。 古卵の孵化を記念した祝祭を行う。 関係各庁及び西軍との連携を計り、準備に着手せよ」


 神官達はスティバル祭祀長の御用命を承り、素早く下がった。 俺は呆然と見てるだけ。 スティバル祭祀長て、こんな風にずばずばお命じになる御方だったっけ?

 物知らずの俺だが、これがどんなに前例のない御用命かくらいは分かる。 祭祀長が突然上京なさる事は初めてじゃないけど、貴族の飛竜を召し出して乗ったなんて聞いた事がない。 しかも護衛がたったの二人! いくらその一人が北の猛虎だって少な過ぎるだろ。 こんな時こそ神官がお諫めすべきなんじゃないの?

 だけどスティバル祭祀長のお言葉には周りを従わせる力が込められていた。 有無を言わせない。 言いようがない。 これってもう、決定事項になっているよな?


 師範と俺はデッサイ神官に案内され、用意された部屋へ下がった。 ほっと一息吐く間もない。 部屋のドアが閉まった途端、師範が俺の胸ぐらを掴んだ。

「よかったなあ。 これでお前は晴れて陛下直属だ。 大隊長もやらなくていい。 副将軍も、将軍も。 一生遊んで暮らせる身分、て訳だ。 今までだって何もやっていなかったような気はするが。 俺はそんな細かい事を気にするような男じゃないからな。 安心しろ。

 実に目出度いが、なんで俺がどこまでもお前に付いて行く事になっている? 護衛には他の奴を選べ!」

「そ、そんな。 師範だって祭祀長のお言葉を聞いていたでしょ。 俺が言ったんじゃありません。 嫌なら嫌って、どうしてあの場で言わなかったんです?」

「たかが大隊長の分際で、そんな事が言えるかっ! だがお前なら言えるよな? 今からでも遅くはない。 他の奴を護衛に推薦すると祭祀長に言え」

「言えって、どうやって? 祭祀長は一日に何度もお目通りが叶うような御方じゃないです。 会いたいと言ったって会わせてもらえませんよ」

「言ってみなきゃ分からん。 青竜の騎士様の御希望なら聞いてもらえるんじゃないのか」


 なんなの、その青竜の騎士「様」て。 嫌みったらしい。 内心むっとしたが、ばりばりに怒っている師範に逆らうと後が恐い。 じゃ、護衛を変えるよう、祭祀長に言いに行く? だけど俺は祭祀長のお部屋がどこか知らない。 廊下を歩き回っていたら神官に引き止められるだろ。

 そうは思ったけど、何もしなかったら師範が暴れ出すかも。 仕方なくドアを開けた。 俺達の部屋の外には師範の年くらいの神官が控えていた。

「準大公、何か御用でもございましたか? 私でよろしければ何なりと承ります」

「あの、今日もう一度スティバル祭祀長にお目通りする事は出来ますか?」

「本日はもうどなたとも御面会になりません」

「そう、ですか。 そうですよね」

 俺は師範を振り返った。 何か言いたい事があるならこの人に言えば、て感じで。 いつもなら師範を他の人に仕向けるなんて真似はしない。 そんな事をしたら相手がかわいそうだろ。 でもその神官には全く隙がなかった。 ゆったりした神官服を着ているから体の線は分からないが、おそらく相当鍛えている。 肝が据わっていそうな人だ。 たぶん師範に何を言われても受け流してくれるだろう。

 師範は俺を睨んだが、ここで騒ぎを起こしてまで祭祀長に会いに行きたいとは思わなかったようだ。 そこに給仕の人達が俺達の食事を運んで来てくれた。

 おお。 美味しそう。 師範も腹ペコだったんだろう。 黙々と食べ始めた。


 夕食後、お風呂まで頂戴し、くたくたに疲れていた俺は風呂から上がった途端、倒れるように眠り込んだ。 これで師範の文句を聞かずに済むと思ったら、夢に師範が現れ、今にも俺の頭を噛み砕きそうな勢いで怒鳴った。

「くそっ! お前のせいでっ!!」

 なぜか、これは夢だと分かっている。 なら言い返せばいいのに。

 俺のせい? どこが? どこをどうしたのが悪かったの、て。

 夢の中でも気弱な俺は口答え出来ず、怒鳴られっぱなし。 朝起きたら耳がじんじんした。 疲れが全然取れていない。


 どよーんとした気分で顔を洗っていると、朝稽古を終えて一汗流したらしい師範が部屋に戻って来た。 用意された朝食をゆっくり食べ始める。 御機嫌だ。

 なんでそれが分かるか。 師範は機嫌が悪ければ悪い程ものすごい早さで食べ、機嫌がいいとゆっくり食べるという癖があるんだ。

 そりゃ機嫌よくもなるよな。 いつもは自分のペースで稽古する事が出来ない。 第三大隊長として書類の決済や会議、面会の予定がびっしり詰め込まれているし、そのうえ師範として他の剣士の稽古も見てあげているんだから。

 だけど祭祀長護衛なら陛下の護衛と同じだ。 それ以外の事は何もしなくていい。 師範は夢の中でも、俺のせいで祭祀長護衛にされたと怒っていたけどさ。 お前のおかげで祭祀長護衛になれた、ありがとう、とお礼を言ってもいいくらいだろ。 今日だって師範は飛竜に客として乗ればいいだけ。 万が一飛行中に襲われたとしても向こうも飛竜に乗っているはずだから弓で、つまり俺一人で応戦するしかない。

 到着したら俺と一緒に陛下の御前に出る事になるかもしれないが、今まで師範が何か言わされる場面なんてなかった。 その後師範は帰って普段の日常に戻れるが、俺には六頭杯が待っている。 模範演技に出なきゃならない。 何日も稽古してないのに。 ぶっつけ本番で射ったら当たらなかったりして。 沢山いるお客さんの前で大恥かくかも。 ううっ。


 これってどう考えても貧乏くじを引いてるのは俺だよな。 俺だって誰かに八つ当たりしたい。 でも八つ当たりなんて、された事はあってもした事はない俺だ。 ここに師範しかいないからじゃない。 八つ当たりを黙って受け止めてくれる殊勝な人なんて俺の周りには一人もいないんだ。

 師範はいいさ。 好きなだけ俺に八つ当たり出来るし、俺がいなくたって師範の八つ当たりを喜んで受け止める人がいっぱいいるんだから。 なんで夢の中に出て来てまで俺に八つ当たりするの?

 理不尽、だよな?


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― 新着の感想 ―
[良い点] すごいなテーリオさん・・・既に外側だけ見れば、次期祭祀長の風格が漂っていますね。 まあ、これからのテーリオさんの一番の悩みは若からの悩み相談の答えになりそうですが・・・ [一言] 師範の…
[一言] 理不尽なのは俺だ! (猛虎氏談)
[一言] 更新ありがとうございます。 スパーキーに試し乗りしてからの目まぐるしい日々。休む間もなく、休んだら師範に怒鳴られる夢を見て(苦笑)。 前回人よりも動物のことの方がよく理解できると言いました…
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