外泊 リネの話
「奥様。 旦那様から御連絡があった訳ではございませんが、今晩お戻りにはならないかと存じます」
トビは、大した事でもありませんが一応申し上げておきます、みたいな顔をして言ったけど、旦那様が何の連絡もなさらず突然外泊するってとても珍しい。 珍しいどころか、これって初めてなんじゃない?
いつお戻りになるか分からない事なら今まで何度もあった。 イーガンへ救助に行って、その後すぐ大審院の証人になっちゃったとか、ロックを捕まえに大峡谷へ行った時とか。 だけどなぜ連絡がないのか、その理由はちゃんと分かっていたんだもの。 無断外泊、て訳じゃないよね。
急なお仕事で夜遅くなったり、そのままお泊まりになる事なら時々ある。 そんな時はいつも、今日遅くなるから先に寝ていて、泊まるかも、と連絡して下さるし。 遅い予定が早くなる時でさえお知らせ下さる。 私が歌の先生に惚れられる事を心配して突然お帰りになった事なら何回かあったけど、大丈夫と安心して下さってからそんな事は一度もない。
お神酒を飲んで倒れて家に担ぎ込まれた時だって、今日は沢山酒を飲む練習をするから遅くなる、と朝お出掛け前におっしゃっていたから、ぐでんぐでんに酔っ払っている旦那様を見ても驚かなかった。 おちょこ三杯でああなったと聞いた時にはびっくりしたけどね。
飲みたいと思わないから飲まないだけで、俺って結構いける口なんだぜ、なんておっしゃっていたのに。 こんなに弱いだなんて。 私がお酒に強い事を言わないでいてよかった、と思わず胸を撫で下ろしちゃった。 やれどっちが強いの弱いの、お酒で張り合われても困るもの。
旦那様は夫たるもの妻より常に上であるべき、と思っていらっしゃる。 より強く、より賢く、より上手く。 何にでも。
今のままで充分妻の何倍も強くて賢くて上手いでしょ。 これ以上がんばらなきゃいけない事なんて何もない。 と私は思っているけど、旦那様にとってはそうじゃないようで。 歌やお習字みたいなどうでもいい事だって私の方が上手いといじけちゃったりするから困っちゃう。
それはともかく、今朝旦那様は遅くなるとおっしゃらなかった。 予定をお忘れになったんじゃない。 そりゃ旦那様が予定をお忘れになる事はよくある。 でもそんな時は必ずトビがフォローしてくれるんだもの。 旦那様が十歳の時、旅先で買ったお土産をホテルに置き忘れた事まできちんと覚えているトビが、今日の予定を忘れるだなんてあり得ない。
かと言って大雪や竜巻の季節でもないし。 メイレとリスメイヤーはいつも通り帰って来た。 なら、お怪我なさったとか事故があったのでもなさそう。
気のせいか、トビの様子がちょっと変。 普通っぽく振る舞うとこうなります、て感じ? 「普通」が強調されているみたいな?
何かあった? なぜはっきり言わないんだか聞いてみる? それとも聞かない方がいいのかしら。
言いたくない事なら聞かない方がいいよね。 だって言える事なら最初に言ってるでしょ。 お仕事の関係で理由がはっきり言えない時でも、急な御命令があったらしくとか、御来客がありまして、とぼかして言えばいいんだもの。 どんな命令なのとか、来客って誰、と私が根掘り葉掘り聞いた事なんて一度もないんだから。
ひょっとして、旦那様から口止めされた? それとも私をびっくりさせようとしている?
それだったらいいけど。 私に心配させない為に何も言わないのだとしたら? ちらっとそんな考えが浮かんで不安になった。 それより旦那様のお着替えを届けなきゃね。
「じゃ、お着替えはアラウジョに届けてもらえばいいのかしら? あ、アラウジョも一緒に泊まるの?」
「お着替えの必要はないかと存じます。 旦那様は駐屯地にお泊まりになる訳ではございませんので」
お稽古でいっぱい汗をかいたはずなのに? 着替えはもうあるからいらない、て事? 稽古用の着替えなら執務室にも一揃い置いてあるけど、寝巻きや翌朝の制服用下着までは置いていない。 それはトビも知っている。
おまけに駐屯地に泊まるんじゃなく、しかもどこって言わない。 て事は、私が知っている人の家でもなさそう。
「尚、アラウジョは旦那様がお戻りになるまで駐屯地に泊まり込む為、今晩こちらには戻りません」
旦那様と一緒じゃないなら、なんで駐屯地に泊まる訳? まさか、ここに帰れば私に色々質問されるから? それってもしかして。 もしかしたりする?
私の隣で聞いていたエナが気色ばんだ声でトビに訊ねた。
「旦那様がどなたかにお目を止められ、そちらにお泊まりになるのでしょうか?」
「旦那様はお気軽にそのような事をなさる御方ではない。 サリ様、奥様の御前である事を忘れたか。 迂闊な発言は控えるがよい。 乳母の分際で」
トビにびしっと言われ、エナが私とサリに向かって額付いた。
「大変出過ぎた真似を致しました。 何卒広き御心をもちまして私の無礼をお許し下さいませ」
「ゆ、許します」
トビったら、何もそんなきつい言い方をしなくたっていいのに。 エナはきっと私じゃ聞きづらいだろうと思って代わりに聞いてくれたんでしょ。 普段は聞かれない限り余計な口出しなんてする子じゃないんだもの。
今でも旦那様に愛人は一人もいない。 結婚前から旦那様はトビに、そっち関係は一々聞かないで全部断っていいから、とおっしゃったんだとか。 それっきりになってる。 とは言っても旦那様は以前御自分がおっしゃった言葉をお忘れになったりもするのに、以前そうおっしゃったから今もそう思っていらっしゃると考えてもいいのかどうか。
旦那様の愛人嫌いは世間にも知れ渡っているけど、旦那様はお若いし、私はこの夏に出産だし。 で、やっぱり必要でしょ、みたいな噂がそちこちで囁かれているらしい。 それは先週フロロバが晩御飯の用意をしながらこっそり教えてくれた。
どよーんとした気分が私の顔に出ていたらしく、エナが不思議そうに聞いてきた。
「奥様、如何なさいました? もしや愛人が増えるのはお嫌なのでしょうか? 上級貴族になればなる程、正妻の力は強くなるのですよ。 愛人を選ぶ時は主の意向より正妻の意向が尊重されます。 複数の愛人がいるならその優先順位、どこに住まわせるかは勿論、お手当をいくらあげるか、主のお渡りはいつ、どこで、何度かも正妻の一存で決まる事なのです。 愛人管理は正妻が行う家事の一つと申せましょう。
又、外出から買い物に至る全てに正妻の許可が必要なので、旦那様の寵愛を戴いている愛人であろうと奥様の歓心を買う事に奔走致します。 私の母はその辺りの機微を弁えず、不遇をかこつ日々でしたが。
上級貴族出身の愛人でしたら実家からの貢物も期待出来ます。 奥様にとりまして御損になるような事はございません」
そりゃ世間じゃそうかもしれないけど。 いくら立場は私の方が上だって、高貴なお生まれのお嬢様にあれしろこれしろと指図するだなんて私には無理。 たとえ旦那様のお目に留まったのが平民の女性だったとしても、上品で、しとやかで、すごい美人、しかも実家はお金持ち。 と、三拍子も四拍子も揃っている人だったら? ちょっと歌が上手いくらいの私じゃ太刀打ち出来ないでしょ。
要するに私の腰が引けてるって事。 たぶんエナには見抜かれているんじゃないかな。 私の自信のなさと言うか。 人気者の英雄を独り占めして申し訳ないという気持ち。 そういう所に鋭い子だから。
とにかくここにはサリがいる。 旦那様がお戻りになる事は確かだよね。
「明日はいつもの時間にお戻り、という事でいいのかしら?」
「どちらに向かわれたのか不明な為、明日御帰宅なさるかどうか分からないのです」
「えっ。 行き先を誰にもおっしゃらずにお出掛けになったの?」
「実は本日昼過ぎ、ダンホフ公爵家からどの飛竜を操縦なさりたいか、お選び下さいとの申し出がありまして。 旦那様が飛竜に試し乗りなさいました。 その時竜鈴を鳴らされたのだとか。 飛竜がそれに鋭い反応を示し、尋常ならざる速さで西へ向かって飛び去ったとの事。
ダンホフ本邸は東なので巣に戻ったのでない事は確かですが。 では西のどこに向かったのか、現在の所、誰にも分かっておりません。 旦那様御自身、御存知ない可能性もございます。
そのような状況ですので、明日お戻りになったとしても上官を始め、各方面への御説明、御報告等ございましょう。 御帰宅まで少々時間がかかるかと存じます」
部屋にはカナとソニもいた。 だけど誰も何も言わない。
ケルパが大きなあくびを一つして、サリが一生懸命積み木を積み上げる音がやけにはっきりと響く。
「うにゃあ、ぎゅあぎゅ、ぬにーい」
ノノミーアの鳴き声が、いつかこんな事をやると思ってたのよ、案の定やらかしたわね、と言ってるみたい。 そして二つの尻尾で床をびしびしっと叩いた。 ちょっと、奥さん、しっかりしてよ、と私に気合いを入れるかのように。
思わず、ごくんと唾を飲み込む。
「……あの、それって。 つまり、その。 誘拐された、とかじゃなく?」
「それはないでしょう。 操縦は旦那様がなさっており、同乗はタケオ大隊長のみとの事ですので」
「リイ兄さんが一緒?! それってやば、いえ、危ないんじゃ」
「何か問題でもございましたか?」
「だってリイ兄さん、きっと怒ると思うの。 すごく。 突拍子もない事に巻き込まれるのを嫌がる人だから」
「北の猛虎の人生こそ突拍子もない事の連続では?」
「そう見えるかもしれないけど、リイ兄さんって自分から進んで突拍子もない事に飛び込んだりする人じゃないのよ。 もしそういう性格だったら北軍に入隊するんじゃなくて、傭兵になるとか、皇都へ行って一旗あげようとしたんじゃないかしら。
剣士に憧れるのだって平凡の極み、て言うか。 男の子なら強い剣士になりたいと思ったりするでしょ。 突拍子もない事じゃないよね」
「好むと好まざるとに拘らず、長い人生、誰にも一度や二度は突拍子もない事があるかと存じますが」
「それはそうだと思うけど。 旦那様に会ってから突拍子もない事ばっかりなんだもの。 一度や二度ならまだしも、回数が、その、多過ぎる、て言うか」
「旦那様にしても突拍子もない事をやろうとしてなさっている訳ではないでしょう」
「そこよ。 それが一番の問題なんじゃない? 突拍子もない事だと思わず、どんどんやっちゃう、て所が。 例えばその、竜鈴を鳴らす、て。 あれ、国宝、なんだよね? 普通なら国宝を鳴らしてみようとは思わないんじゃ?」
旦那様に悪気がない事はたぶんリイ兄さんだって分かってる。 それに今は突拍子があるとかないとか言ってる場合でもない。 妻として夫のフォローしなきゃ。
ただ私は何があってもサリの側から離れちゃいけない事になっているから、夫のしでかした不始末をお詫びする為だろうといきなりサリを置いて出掛けたりは出来ない。 だからってサリを連れてお詫びに行ったら別の問題になりそう。
そもそも旦那様が突拍子もない事をする度にお詫びしていたら他の事なんて何も出来やしない。 それでも私は妻だ。 出来ない事でもやるしかないんだけど。 リイ兄さんの怒りを鎮めるだなんて。 神様でもあるまいし。
「リイ兄さん、最近少し丸くなった、て噂もあるけど、元々短気な性格だから」
私が焦ってそう言うと、カナが落ち着き払った声で宥めてくれた。
「奥様、そう御心配なさらずとも。 タケオ大隊長とて慣れもございましょう。 少々の事ではお怒りにならないのではございませんか? 海坊主の時も最初の頃こそ楽しそうに泳ぐ旦那様に雷を落としていらっしゃいましたが、日が経つにつれ海坊主と友達もありか、と納得なさっていた様子。 海坊主と海を泳ぐ事がありなら飛竜と空を飛ぶ事もありでしょう」
「そう、かしら?」
そう言われてみれば、そんな気もする。
そこでトビがソニに質問した。
「旦那様は将軍の許可なくサリ様のお側から離れてはならない事になっているが、この場合どの程度の叱責になるか予想は可能か? 明日お戻りになればそれほどの大事にはならないと思うが。 もし何日もお戻りにならない場合、将軍としても陛下へ奏上せざるを得ないであろう?」
「それは御心配なさらなくともよろしいでしょう。 竜鈴が鳴るとは瑞兆。 歴史に残る慶事です。 瑞兆によって引き起こされた事は何であれ慶事として扱われるべきもの。 モンドー将軍なら御承知のはず。 タケオ大隊長も御存知かどうかは分かりませんが」
「では皇王庁からの処罰もない?」
「慶事を起こした者が処罰される事は万が一にもありません。 たとえ慶事の最中に物損事故や人身事故があり、人命が失われたとしてもです。 竜鈴は皇王家が代々継承する五種の神器の一つ。 皇王位の象徴であり、神器に従うとは陛下に従うと同意。 従わない方が懲罰されるでしょう。
その昔、青竜の騎士が竜鈴を鳴らし、飛竜を従えて外敵を迎え討ち、陛下に大勝利を齎したのだとか。 それは天駆と呼ばれ、尊ばれております。 天駆を罰するとは陛下を、ひいては天を蔑ろにするもの。
ただ神器はどれも秘されており、それだけに神事以外での使用例がございません。 天駆は良しとしても、竜鈴に従った飛竜がした事をどこまで良しとするか。 法として明文化されてはいないので判例もなく、いかようにも解釈が可能です。
今回の場合、外敵を討ちに行った訳でもないので何をしても許されるとは限りません。 事と次第によっては大きな問題となり得ます」
「例えば飛竜が家屋を破壊した場合、誰が賠償する?」
「修復可能な物損事故でしたら損害があったとしても被害届を出す持ち主はいないのでは? 海坊主の時も荷崩れを起こした船が相当数あったと聞いておりますが、当家に賠償請求を申し立てた船主は今まで一人もおりません。 竜鈴が慶事である事は明らかなので、仮に賠償金が必要になったとしても国庫から支払われると思います。
しかし飛竜が誰かを殺害した、或いは旦那様が旅先で強盗に襲われ、タケオ大隊長が応戦し、その結果死傷者が出た、となると陛下の御決断を戴かねばなりません。 こちらが被害者、加害者、どちらであったとしても相手が誰かによっては審議開始となる恐れがございます。 審議するかしないかで紛糾する事態も全くないとは申せません。
旦那様が青竜の騎士と認定されれば審議は回避出来ると思いますが。 青竜の騎士以外に竜鈴を鳴らせる人はいなかったとは言え、鳴らせた、即ち青竜の騎士と認定されるかどうか。
幸い新年の舞踏会の際、陛下は旦那様を片時もお離しになりませんでした。 皇寵浅からず。 それは誰の目にも明らかであったかと存じます」
皇寵って、陛下のお側にいたかいないかで計れるものなの? 確かに私達夫婦は両陛下が御退席なさるまでお側から離れなかった。 陛下が大峡谷の事やベルドケンプ島でのあれこれを次から次へと旦那様にお訊ねになったから。 新年会でそんな特別扱いをされた人は今までいなかったんだとか。
と言っても旦那様が皇王妃陛下と踊ったのは一回だけで、私も陛下と踊ったのは一回だけだった。 私達夫婦はダンスが苦手だから、それで済んだのはとても助かったけど、私達の為を思ってしてくれた事じゃないと思うし。
ただ両陛下が舞踏会で踊るのはとても珍しいとは言われた。 そういう意味では一回でも踊れたのはすごい事なのかも。 もっとも旦那様は一回も踊らずに済むかも、と予想していたからがっかりしていたけどね。 陛下は毎日お忙しい御方だから、さぞかしお疲れだろう、て。
ところが実際お会いしてみたら陛下はとってもお元気で。 一晩中踊りの相手をさせられるかも、と内心ヒヤヒヤした程。 だから舞踏会の後で旦那様に言ったの。
「陛下はとてもお元気でいらっしゃいましたよ」
「うーん。 やっぱり握手のおかげ、なのかな」
「握手?」
「握手は健康にいいんだってさ。 ボルチョック先生が言ってた」
そんなバカな、と言いそうになって、舞踏会の間陛下が何度も旦那様の左手を握っていらした事を思い出した。 陛下もそう思っていらっしゃる、て事?
そんな事をぼんやり考えていたらトビがソニへ更に質問した。
「この件に関し、奥様、又は当家から陛下へお手紙を差し上げるべきと思うか?」
「旦那様が竜鈴と共に飛び去った事は諜報員が早馬を出したと思われます。 飛行先であった事の詳細は旦那様がお戻りになってから将軍へ報告なさり、将軍が陛下へ奏上なさるでしょう。 軍務での御出発ではなくとも竜鈴に関する事なので。 当家から同じ報告をする必要はありません。
とは申しましても旦那様とタケオ大隊長、どちらも御不在とは由々しき事態。 その間サリ様の安寧に不安を抱かれる御方もいらっしゃるかと存じます。 このような事件があったのに何も報告せずにいては後々不手際を責められる原因にもなりましょう。
残念ながら皇寵を戴いているのは旦那様のみ。 それ故奥様のお手紙は伯爵夫人としてのお手紙となり、陛下へ差し上げるにはそれなりの手順を踏む必要がございます。 準大公夫人としてでしたら皇王妃陛下へお手紙を差し上げる事が出来ますし、女官長がお手紙を止めるような事にはならないとは思いますが。
何分準大公位は正式な叙爵によって得たものではございません。 準大公夫人として振る舞うようにとのお許しを皇王妃陛下から頂戴する前に、当然お許し戴けるはずという態度を見せては心証を害する恐れがございます。 かと言って正式な手順を踏んでいては、お手紙が届くまで相当な時間がかかるでしょう。
ここはウィルマー執事からテイソーザ皇王庁長官へ、定期報告の体裁を取られては如何でしょうか? サリ様の御機嫌麗しく、常の如き。 主不在の為、些か早めではございますが御報告申し上げます、云々。 それが最速で穏便な報告になるかと存じます」
上の事情なんて何が何だか分からない私にソニはとても分かりやすく答えてくれる。 そしてどうすればいいのかも。 旦那様がまだ無事にお戻りじゃないのに安心するのは早いかもしれないけど、無事お戻りになりさえすれば後は何とかなりそう。
安心したらお腹が空いている事に気付き、夕飯をどうするか考えた。 まあ、私だって新婚の頃は何かある度、一々心配したり驚いたり、ご飯が喉を通らなくなったりしていたんだけどね。 旦那様がまともに飛竜を操縦するのってこれでようやく二回目。 妻ならこんな時、御無事かどうか夜も眠れないくらい心配するもんでしょ。 でもこうしょっちゅう突拍子もない事があると、心配するより先に、またか、と思っちゃう。
勿論そんな事、面と向かって旦那様に言ったりしないけど。 旦那様はあれで中々鋭い所がおありになるから気を付けないとすねられちゃう。 青い人の時みたいに。
何でも皇都までの旅の途中、道端を見たら裸ん坊の青い人が石の上に座っていたんですって。 真冬に。 その子を助けようとして一行を止めた、とおっしゃるの。 行軍を止めた後でもう一度見たら、どこにもいなかったんだとか。 足跡一つ付けず、煙みたいにかき消えたらしい。
そんな事ってあり得るの? ダーネソンとケルパは嘘と言ってないから嘘ではないんだろうけど、私にはとても信じられなかった。 奉公人もみんな真面目な顔で聞いていたし、勿論誰も嘘だなんて言ってない。 なのに旦那様は、ぷっと膨れたお顔をなさって。
「あ、そう? そう来る?
うっそだー、と言わないからいいってもんじゃないんだぜ。 全然信じちゃいない事くらい、目を見れば分かるもんね」
そしてぷいっとみんなに背を向けたの。 トビは落ち着き払い、他のみんなも旦那様がすねたからどうした、て顔をしていたけど。 私は未熟者だからオロオロしちゃった。
だってここで信じますと言ったらケルパのブーを食らっちゃう。 かと言って、信じませんなんて言ったらどんな事になるか。
旦那様って見掛けによらず、拗れると引きずる御方でね。 御機嫌を直して下さるまでとっても時間がかかるの。 そして私がとっくに忘れた頃、以前のあれこれを引き合いに出して愚痴ったり。 その愚痴をちゃんと最後まで聞いてあげないと、こっちに急ぎの話があっても聞いてくれなかったりするから。
どう言い訳したらいいのか困っていると、トビがうまく旦那様を宥めてくれた。
「旦那様。 祭祀長御一行を無許可で停止したにも拘らず、何のお咎めもなかったのです。 それは猊下御自身が青い人の目撃を真とお認めになられたからに他なりません。
摩訶不思議な出来事ではございますが、私を始め奉公人は今まで数多くの不思議を目撃、体験しております。 不思議というだけで嘘と決めつける事はございません」
さすがはトビ。 信じられない、てポイントをさりげなく誤摩化してる。 旦那様はお気づきにならなかったみたいで御機嫌を直して下さった。
「ま、信じてくれればいいんだ。 俺だって自分で見たんじゃなきゃ信じられないような話だからな」
今回の外泊だって旦那様の事だもの。 何か不思議な事に出会うんじゃない? それを聞いた時、信じられないという態度を見せたら絶対すねるに決まっているから気をつけなきゃ。 飛竜に乗るなんて外泊ほど珍しい出来事でもないけどね。