表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
弓と剣  作者: 淳A
天駆
435/490

孵化  抱き人、オムザールの話

 四年前、死にたくてマリジョー山脈へ登った事があった。 なぜ西軍第一駐屯地で死にたくなかったかと言うと、死体が間違いなく実家へ送り届けられるからだ。 親孝行らしい事は何もしてない。 なのに信心深い親は葬式くらい立派なものを出してやろうとするだろう。 借金をしてでも。

 貧乏な親に葬式代まで払わせたくない。 だけど死体を残さないで済む方法なんて思いつかなかったし、駐屯地の近所ならどこで死んだって同じ事になる。 だからマリジョー山脈に登る事にしたんだ。 あそこなら毎年必ず行方不明になる人がいるが、それっきりだ。 誰も探しになんか行かない。

 死体がなけりゃ葬式は出せないし、俺の親もひょっとしてどこかで生きているんじゃないかと思って大して悲しまないだろ、とか。 そんな身勝手な事を考えた。 いくら筆無精な子供だって山へ行ったっきり戻って来ないと聞いて悲しまないような親じゃないのに。


 死にたくなった理由は、どんなにがんばったって竜騎士にはなれないと分かったからだ。 俺の家は昔っからの平民で、近所も同じような貧乏人ばかり。 知り合いに竜騎士になった人なんて一人もいない。 分不相応な夢を持つ事がそもそも間違っているんだけど、俺の子供の頃からの夢だった。

 俺の親は世間知らずって訳でもない。 腐る程の金がなきゃ竜騎士になれない事はとっくに知っていたと思うが、俺の夢をばかにしたりしなかった。 本気でなれると思ってはいなくても。

 もっともわざわざぶち壊さなくても子供の夢なんてその内壊れるもんだよな。 下手に諦めろと言って、なんでと聞き返されたら、家に金はないって事を説明しなきゃならない。 そんな事、子供に言う気になれなかった気持ちも分かる。


 親父は俺を止めるどころか期待を持たせるような事を言った。

「竜騎士団に入るには試験も面接もないんだと。 乗れる飛竜さえあれば誰でも竜騎士になれるんだ」

「えっ。 じゃ、どうしたら飛竜に乗れるの?」

「飛竜ってな、卵から顔を出した時に目が合った人だったら背中に乗せてあげるんだってさ」

「じゃあ、卵。 飛竜の卵を見つければいいんだ?」

「うーん。 竜卵ってそこらに落ちてるようなもんじゃないからな。 買うっきゃない。 大きくなったらがんばって稼げ。 金を貯めれば竜卵が買えるぞ」


 要するに、しっかり働いて貯金しろ、と言いたかっただけなんだろうが、試験も面接もなく、飛竜さえあれば竜騎士になれるのは事実だ。 俺にはちょっとがんばれば手が届きそうな夢に見えた。

 竜卵は十万ルークとか、それ以上の値段のやつもあるが、茶竜だったら五万くらいで買える。 俺にとっては五万でも大金だけど、西軍に入隊し、一年間給金を必死に貯めれば出せない金じゃない。 孵化した後は餌代が大変だが、竜騎士の給金は平の兵士の十倍くらい貰える、て話だ。 なら借金したってすぐに返せるだろう。 孵化しなけりゃ餌代を借金する必要もないんだし。


 十八の時、俺は竜卵の世話をする抱き人として竜騎士団に入団した。 竜騎士団は西軍の一部で同じ駐屯地の中にあるが、西軍に新兵として入隊したって飛竜関係の仕事はさせてもらえない。 飛竜関係の仕事は全て竜騎士団でしている。

 竜騎士団に入れば竜騎士にはなれなくても竜医、餌係、幼竜養育士、飛行訓練士など、仕事は色々ある。 竜卵の買い付け、飛行場の整備士、飛竜舎の大工という仕事もあった。 どれを選んだとしても新米が飛竜に直接触る機会はないが、裏方の仕事を選んだら、まず竜騎士にはなれないという事は知っていた。 竜卵を抱いている時間なんてないから。

 仕事の中で唯一竜騎士になれる可能性があるのが抱き人だ。 抱き人は孵化直前まで竜卵を抱く。 他の仕事の方が給金がよかったから迷ったが、俺に抱き人を雇う金はない。 孵化するまで自分で竜卵を抱くしかないから、まず竜卵に慣れておきたい。 そう思って抱き人を選んだ。 給金はどの仕事よりも安かったから卵を買う金を貯めるには時間がかかるが、必要な事を習い終わったら給金のいい仕事に移るつもりだった。


 竜騎士団は飛竜の色毎に分かれている。 階級は黒が一番上。 次が赤。 そして緑。 最後が茶だ。

 更に飛竜の飛行距離や速度で五段階に分けられている。 一番上が四ツ星。 まだ飛べない飛竜と年を取って飛べなくなった飛竜は一番下の星なしだ。 竜騎士の年齢や入団してからの年期は関係ない。

 自分の飛竜が老いて星なしになったら竜騎士団で孵化している竜卵の順番を待つ事になる。 但し、それだと色を選べない。 それが嫌なら自腹で竜卵を買う。 念入りな人は抱き人も竜騎士団を頼らず自分で雇うらしい。


 それまで飛竜を間近に見た事がなかったから入団したての頃は何もかも珍しくて一々感動していた。 入団したその日に早速卵袋を付けられ、竜卵を一つ任された。 ずっしりとした手応えの本物の竜卵だ。 嬉しくて、先輩に聞いた。

「これは何色ですか?」

「緑だ」

「いつ頃孵化するんでしょう?」

「さあ?」


 なんで教えてくれないんだろうと不思議だったが、それはいつ孵化するか誰も知らないからだった。 明日か、一年後か。 孵化しない事だってある。 と言うか、孵化しない竜卵の方が多い。

 なぜこれは孵化したのに、あれは孵化しなかったのか? もっともらしい事を言う人はいるが、ただの思いつきで言ってるんだ。 こうすれば絶対孵化する、て事を真面目にやったって孵化しない時はしない。 飛竜に関する本も沢山出ているが、要するに確かな事は何も分かっていない、て事を長々説明しているだけ。


 竜卵を買えば済むという問題じゃない事だけは確かだ。 竜騎士への道は思ったよりずっと険しい。 そう分かっても俺は諦めなかった。 色にこだわらなきゃ何とかなる、茶の竜騎士だって空が飛べる事に変わりはない、と。

 俺は一年間必死に金を貯め、茶竜の卵を買った。 六万ルークは相場より高いが、高い方が孵化する可能性も高いような気がしたし、一年経っても孵化しなかったら五万で買い取ると売人に言われ、それなら、と思ったんだ。

 一年間、俺は竜卵と一緒に寝たり、仕事に差し支えない時は必ず竜卵を抱いて過ごした。 精一杯がんばったけど、孵化はしなかった。 仕方なく売人の所へ買い取ってもらいに行ったら、そいつは行方不明。 店は食堂になっている。 そこにあった竜卵店の店主の行方を知っている人は誰もいない。


 半べそかいて駐屯地に戻ったら、レガオンカ先輩が教えてくれた。

「お前さ、金を払う前に人に聞けよ。 孵化しなかったら五万で買い取るって。 そこで変だと思わなきゃ。 古卵なら五千で買えるんだぜ。

 そこにある竜卵を見ろよ。 一つは古卵で、もう一つは昨日生まれた新卵だが、どちらが古いか、お前に見分けがつくのか? 竜卵の鑑定が出来る奴を連れて行かなきゃ騙されたって当たり前さ」

「だけどその人、西軍御用達で、ブオーロ主任のダチ、て言ってたんです」

「それ、ブオーロ主任か買取りしている誰かに確認したのか?」

 俺は首を横に振った。 買取りする人は普段駐屯地の外で仕事をしていて駐屯地に戻って来るのは買い取った卵の納品日くらいだ。

「ブオーロ主任の名前なんて秘密でも何でもないんだぜ。 ダチと言われたからって鵜呑みにするな。 ほんとにダチだとしたって、その卵が生まれてくる所をお前の目で見たんでもない限り金を払うんじゃない。 生まれたての竜卵だろうと孵化するかしないか、区別をつける方法なんてないんだから。

 ま、信用出来る売人を見つけるなんて信用出来る盗人を見つけようとするみたいなもんさ。 いないと思った方がいい。 金持ちは正直な売人を探すみたいな無駄はやらない。 雌雄の飛竜を飼って卵を生ませるんだ。

 もっとも番いだって卵を生むとは限らないけどな。 卵を一回も生まずに死ぬ雌もいるし、卵が生まれたって孵化するとは限らない。 それはお前みたいな二年生だって嫌って言うほど見て知ってるだろ」

「あの、次に買う時は、一緒に来て下さいませんか?」

 レガオンカ先輩は呆れた顔で言った。

「次は、て。 お前、また竜卵を買う気でいるのか? 孵化は聞き逃しそうな軽い音だ。 始まったら殻が壊れるまで大した時間は掛からない。 もし夜中に始まったら、いや、昼間でも辺りが五月蝿くて飛竜が顔を出す瞬間に間に合わなかったら、それで終わりだ。 その飛竜に乗れる機会は二度と来ない。

 乗れない飛竜でもいつか竜卵を生むかもしれないが、それまで餌代を払えるか、て問題がある。 西軍だって金はいくらでもあるって訳じゃないんだぜ。 だから孵化を見逃さないように抱き人を何人も雇っているんだ。 たった一人じゃ一日や二日ならともかく、何日も寝ずに竜卵を見張るなんて出来ないし。 どんなに気を張っていても竜卵を眺め続けていたら飽きるだろ。 それに軍の抱き人だと竜卵を抱いている間に他の仕事が舞い込んだりして。 ふっと気を抜いた瞬間、孵化していた、なんて事もある。 だから竜騎士は自分専用の抱き人を雇うんだ」

「……飛竜に乗るには、すごくお金がかかるんですね」

「馬だってそこらを走っているやつを捕まえれば乗れる、て訳じゃないからな。 飛竜に乗るには馬百頭分の金と手間がかかると思え」

「百頭?!」

「そこで驚くなよ。 竜騎士の制服には必ず家紋が刺繍されているの、気付いてなかったのか? 竜騎士なんて貴族でもなけりゃなれるもんか」


 六万ルークは諦められる。 でも竜騎士になる夢を諦めるのは身を切られるより辛かった。 後もう少しで叶う、と思っていただけに。

 操縦は出来なくても客として飛竜に乗る機会ならいくらでもあるし、抱き人が嫌なら他に飛竜関係の仕事がいくらでもあるんだ。 死ぬまでの事じゃないだろ、と今なら思うが。


 何もなかったら生きて帰らなかった。 ところがマリジョーの麓の川岸で竜卵を見つけたんだ。

 野生の竜卵は飼育されている竜卵より孵化しやすいと言われている。 それは先輩からの又聞きの又聞きで、ほんとかどうか知らないが。

 ただ野生の竜卵って、普通は巣から盗んで来たものだ。 川岸に落ちていた竜卵を拾ったなんて聞いた事がない。 期待するな、と何度も自分に言い聞かせた。 飛竜の巣は深い山の奥にある。 こんな山の端まで流れ着くには相当な時間がかかっているだろう。 この卵が孵化するより宝くじに当たる方がまだあり得る。

 とは思ったが、孵化しない竜卵でも色々な使い道があるから五千ルークで売り買いされているんだ。 例えば飼育している飛竜が卵を生んだら巣から取り出して抱き人が育てるが、巣を空っぽにしておくと親が暴れて手がつけられなくなる。 でも代わりの卵を置いておけば暴れない。 それに親でなくとも飛竜が騒ぐ時に卵を見せると大概静まる。 つまり五千ルークを拾ったも同然で、持ち帰っても無駄骨にはならない。


 そこで今朝、出掛ける前に生まれて一週間も経っていない卵と古卵を取り替えた事を思い出した。 飛竜は卵が生まれてから一年経っても孵化しないと関心が薄れて卵を温めなくなるが、それまでは一生懸命温め続ける。

 今までの俺なら、だからどうした、と気にもしなかった。 竜卵の交換は俺の仕事だ。 やらない訳にはいかない。 だけど自分でも一年間古卵を抱き続け、そして一年後、どんなに失望したか。 古卵と知らずに抱き続ける飛竜がちょっと前の自分みたいで、かわいそうになった。

 何度古卵に取り替えられても飛竜は一生懸命温める。 あの根気は親であればこそだろうが、一回孵化しなかった程度で絶望し、死のうとするだなんて、あまりに辛抱が足りない。 せっかく転がり込んで来た竜卵だ。 もう一度だけ、温めてみようかという気になった。

 孵化するとは思えないが、少なくともこの卵の方が俺が買った卵より孵化する可能性が高い。 それに飛竜団の竜卵ならどれも孵化を待つ竜騎士がいる。 でも自分で買った竜卵、拾った竜卵なら孵化した飛竜は俺の物だ。

 俺に抱き人を雇う金はないから孵化の瞬間を見逃す可能性の方が高いけど、乗れない飛竜だって卵を生ませるのに使える。 一番安い茶竜でも十万ルークだ。 黒竜だったら五十万で売れる。 その金があれば今度こそ生まれたての竜卵が買えるだろう。 捕らぬ狸の皮算用だと思うが、俺は竜卵を持ち帰って孵化するかどうか見届ける事にした。


 結局その竜卵も一年経っても孵化しなかったが、その時にはもう死ぬ気はなくなっていたから竜卵に命を救われたと言えない事もない。 だからか、あの竜卵は俺にとって何となく特別で、飛竜に古卵を抱かせる必要がある時はいつもあの竜卵を使っていた。 飛竜が抱いていない時は自分で抱いて寝たり、時々話しかけたり。 それでみんなからダッコというあだ名で呼ばれてからかわれたが、全然気にならなかった。 俺の気のせいだと思うけど、あの竜卵には他の古卵にはない、不思議な温かみがあったんだ。 俺が語りかける言葉に耳をすましているかのような。


 とは言っても、あの竜卵が孵化した時、俺はみんなと同じくらい、いや、それ以上に驚いた。 しかも中から出て来たのは青竜だ。

 急いで飛竜の赤ちゃん用小魚を持って行くと、青竜の騎士がお言葉を掛けて下さった。

「この竜卵を諦めないでくれてありがとう」

 そして俺の手をきゅっと握って下さった。 とても温かいお手をしていらっしゃる。 手を握られるなんて親に手を引かれた子供の時以来だし、相手は生きた伝説だ。 思いっきりどもった。

「い、いえ。 わ、私は、だ、抱き人で。 じ、自分の仕事を、しただけ、でっす」

「でもさ、これ、四年も経っていたんでしょ。 普通ならとっくに諦めてるよな? 長い間冷たい所に放って置かれていたら俺が何を言ったって応えてくれなかったと思うんだ。 凍えちゃって。 こんなにすぐ応えてくれたのは誰かがずっと温めていてくれたからだろ」


 俺の抱っこが青竜の助けになった?

 ほんとかな、と信じられない気持ちもあったが、そうおっしゃって戴けただけで嬉しくて、胸がじんわり熱くなった。

 その後はぼーっとして、何がどうなったんだかよく覚えていない。 気が付いたら俺は皆と一緒に飛び去る青竜の騎士を見送っていた。 どんなに目を凝らしても飛竜の姿が見えなくなると、そちこちからでっかいため息が漏れた。


 俺の隣に立っていたペネゴルがシャーウェンに聞く。

「お前さ、何に一番驚いた?」

「う、うーん。 一番を選べと言われても。 強いて言えば、古卵が孵化した事?」

「四年経っているやつだもんな。 そこまで古い卵が孵化するだなんて。 自分のこの目で見ていたのに信じられん。 そんなの、お伽噺の中の話だって思ってた」

 シャーウェンの隣にいたズラフシャンが口を挟んだ。

「それにも驚いたけど。 あの、試してみませんか、には度肝を抜かれたぜ。 竜鈴て、何百年もの間、誰にも鳴らせなかった鈴なんだろ?」

「昔は竜騎士として入団する時、竜鈴を鳴らしてみるというしきたりがあったらしいぜ。 青竜の騎士だけあって昔のしきたりをよく御存知なのかも」

「だけどさ、普通、自分以外に何人も鳴らせる人がいたら有り難みが減る、て考えるんじゃね? 触るな、とおっしゃるなら分かるけど。 あれじゃ、さあ、みんなで一緒に青竜の騎士になりましょう、だろ」


 ズラフシャンが物知りのクラキロに向かって訊ねた。

「おい、竜鈴て国宝じゃなかったっけ?」

「ああ。 皇王家に代々伝わる五種の神器の内の一つだ。 その一つでも持っている御方は陛下の代理人となる」

 おおっという感じでそこらにいる連中がどよめいた。

「なんて事ない握り飯をうまそうに食べて、お代わり貰ってもいい? とかさ。 ちょっと見、近所の兄ちゃんなのに」

「ポスターと比べたって、少し、てか、全然雰囲気が違うよな」

「弓を構えれば気合いが入る、て事なんじゃないか?」

「かもな。 実はさ、最初に名乗られた時、本当に本物か、と一瞬疑っちまった。 にこにこ全然偉そうじゃないし、常に弓を手放さない御方だって聞いていたのに何もお持ちじゃないから」

「まさか本当に青竜に乗って登場するとは思わないよな。 いくら青竜の騎士だってさ」

「しかも操縦席が付いていない、素乗りだぜ、素乗り。 俺だったら青竜に頭下げられたって、びびって乗れねえ」

「ああ見えて、オークを倒し、ロックと飛び、海坊主と泳いじまう豪傑だ。 青竜に素乗りするくらい朝飯前だろ」


 そこに普段無口なアーウィルが口を挟む。

「それにしても青竜の赤ん坊を巣に戻す、て。 俺的にはあれが一番魂消たね。 いくら約束したと言ったって孵化する前の卵にちょっと呟いただけじゃないか。 あれを飼ってりゃいつでも青竜に乗れるのに。 もったいねえ。 見たか、あの青竜の速さ。 あれなら皇都へだって一日で着くぜ」

「竜鈴がありゃお好きな時に呼び出せるだろ」

「それはマリジョーまで来れば、の話だろ。 西に来なきゃ呼び出せないのは不便じゃないのか」

「それもそうだ。 これを機会に西軍に移って下さらないかな。 元々西の御出身なんだし」

「そうなったら嬉しいよなあ。 何もずっと、なんて贅沢は言わねえ。 冬の間だけでもいいからさ」

「うん、うん。 毎年陛下へ新年の御挨拶にいらっしゃるんだし。 青竜なら皇都からここまで目と鼻の先だ」

「ついでに北の猛虎も御一緒に、となりゃ最高なんだが」

「何度もいらしている内にこっちの方が気に入って、西の猛虎になったり、とか?」


 明るい笑い声が零れ、暫くみんなで青竜の騎士の事をああだこうだ話していた。 青竜の騎士に手を握って戴けた事は羨ましがられたが、あれが俺の竜卵だった事は誰も話題にしなかった。 どうせ孵化するとは思っていなかった卵だ。 飛竜が飛んで行っちまっても残念とは思わなかったし、ましてや、これで俺の人生が変わるだなんて。


 翌日、俺はソコロドフ竜騎士団々長に呼び出された。

「オムザール、お前を竜騎士に任命する事が正式に決まった」

「えっ?! あの、なぜですか?」

「古卵の孵化は瑞鳥飛来に勝るとも劣らぬ慶事。 あの竜卵がここになかったら、青竜が青竜の騎士を連れて来る事はなかったであろう。

 ヴィジャヤン大隊長が青竜の騎士の再来という噂は以前からあったし、竜鈴をお持ちでいらした所を見ると、しかるべき筋では既に御存知の事であったのだろうが、噂の域に止まっていた。 このような形で下々にも知られる事になったのは大変喜ばしい。 歴史に残る慶事の呼び水となったのだ。 これくらいの報賞は当然と言える」

「でも孵化したのは青竜の騎士のおかげで。 あの御方がいらっしゃらなかったらただの古卵です。 見つけたのが誰かは関係ないのではありませんか?」

「それに青竜の騎士のお言葉もある。 お前が諦めずにずっと温めていたから孵化した、と。 

 又、あれはお前が拾った竜卵だ。 生まれた飛竜の正式な所有者として、ただでは渡せない、と言う権利があった。 相手が青竜の騎士であろうとな。 知らなかった訳でもないのだろう? なのに何も言わず見送ってくれた。 これは将軍からの謝礼だ。 青竜を売った代金と思ってくれ」

 団長は俺に「特別報賞金」と上書きされた分厚い封筒を差し出した。

「竜騎士入団式は毎年一月末に行われるが、お前の竜騎士着任日は昨日付けだ。 入団式に関してはいずれ書面で通達する。 給金、制服、竜騎士章、宿舎等、詳しい事はマドリン竜騎士に聞くように。 彼がお前の指導教官となる。 それとアニルド養卵長に次の孵化はお前に知らせるよう、指示を出しておいた。 後で確認しておけ」


 俺が、竜騎士? 飛竜に乗れる?

 長年の夢が叶うというのに嬉しいより先に不安になった。

「し、しかし。 私に飛竜の操縦が出来るでしょうか?」

「孵化しても竜騎士を乗せて飛べるようになるまで三年はかかる。 それまでに操縦法や竜騎士としての作法を学べばよい。 飛竜に乗るのがお前の夢だったのだろう? 恐れるより先にまず試してみろ」

 団長にそう励まされたが、心配はなくならなかった。 操縦もだが、それ以上に他の竜騎士に何と思われるか。

 俺が知る限り竜騎士は最初から竜騎士として入団した人ばかりで、抱き人から竜騎士になった人はいない。 抱き人は底辺の仕事だから他の仕事へ移る人ならいるが、他の職業からだって竜騎士になった人はいないんだ。 貴族しかいない所に平民の俺が入っていったら嫌がらせをされるんじゃないか?


 マドリン教官は四ツ星の黒竜騎士だ。 顔は知っているが、話した事は一度もない。 黒竜騎士は自分の飛竜が年を取って飛べなくなると、自腹で黒竜の卵を買う。 抱き人は孵化を待つ竜騎士とならよく会うが、自前の飛竜に乗っている竜騎士と会う機会は滅多にない。 いずれ団長になるんじゃないかという噂を聞いた事があるから高貴なお生まれなんだろう。

 恐る恐る挨拶しに行ったら、マドリン教官は普通におめでとうと言って下さった。 平民の俺には家紋とか儀礼とか、どうしたらいいのか分からない事が沢山あったが、聞けば勿体付けずに答えてくれた。 他の竜騎士へも紹介されたが、俺を抱き人あがりとばかにしたり、平民のくせにと差別する人は一人もいなかった。

 それは俺があの卵を拾ったからでもあるんだろうが、何となく、青竜の騎士のおかげという気がしている。 だってみんな俺に会うと、握手をさせてくれ、と頼むんだ。 右手じゃない。 青竜の騎士に握られた左手だ。


 ただ俺に割り込みされた人も握手で誤摩化されてくれるかどうか分からない。 今孵化を待っている竜卵は二つある。 次々孵化するかもしれないが、孵化と孵化の間が二年以上空いた事もあった。 こればっかりは孵化するまで分からない。 星の数で給金も変わるから待ち順は竜騎士にとって死活問題だ。 揉めて血を見る騒ぎになった事だってある。


 俺が割り込んだ所為で順番が一つ後になった人はゾイエ竜騎士。 星なしの赤竜騎士だ。 竜騎士って大体高飛車だけど、その中でも特に高飛車な人として知られている。

 孵化を待っている間、竜騎士と抱き人は四六時中一緒に暮らす。 本当なら竜騎士が抱き人の側を離れないようにするべきなんだが、ゾイエ竜騎士はお前が俺に付いて来い、て感じ。 俺は深夜番(夜二時から朝の六時まで)しか当たった事がなかったから大丈夫だったが、ゾイエ竜騎士が起きている時の当番になった人達は竜卵を抱いているのにあちこち引きずり回され、愚痴っていた。

 絶対嫌みを言われるか嫌がらせをされると覚悟していたが、意外にもそれらしい事は何も言われなかったし、されなかった。 これは後で気付いたんだが、孵化を待っている竜卵は古い方が茶で、もう一つは赤だった。 俺は何色だって嬉しいけどゾイエ竜騎士は違うような気がする。


 夏の終わり、俺の竜卵は一年と五日で孵化した。 普通なら一年経った日に古卵としてお蔵入りとなるが、この卵には青竜の卵の時に感じた温かみがあるような気がして。 俺が抱くからもうちょっと待ってくれ、もう一日だけ、もう一日だけ、と引き延ばしていた。


 俺が赤ちゃん飛竜に餌をやっていると、マドリン教官が飛竜登記簿を持って来た。

「オムザール。 名を決めたか?」

 他の飛竜は彗星、銀鱗、閃光とか、かっこいい名前が多い。 頭を絞って考えたが、小学校しか出ていない俺に賢そうな名前なんて思いつけなかった。 かと言って自分の飛竜の名前を他の人に考えてもらうのは嫌だ。

 ふとダッコが思い浮かんだ。 竜騎士になったから俺をダッコと呼ぶ人はもういない。 そう呼ばれていた時は嬉しいと思った事はなかったが、呼ばれなくなったら何だか寂しい。

「はい。 ダッコにします」

 もっとまともな名前を選べと言われるかと思ったら、マドリン教官は頷いて登記簿にダッコと書き入れた。

「運がいい飛竜に相応しい、縁起のいい名だ。 流行するかもしれんな」

「あはは、まさか」

「それはともかく、お前が諦めなかったおかげで貴重な茶竜を失わずに済んだ事は非常に喜ばしい」

「貴重、ですか? 茶竜が?」

「うむ。 青竜の騎士が好んでお乗りになるのが茶竜らしくてな。 最近茶竜の値段が跳ね上がっている」

「そうでしたか」

「この際だ。 真剣に竜卵への語りかけを始めるとするか」

「え?」

「ダッコが孵化したのはお前が他の者はしていない事をしたから、という可能性がある。 他の者がしていない事と言うと、竜卵への語りかけだ。 それの何がよいのか分からないが、青竜の騎士も竜卵に語りかけていらしただろう?」

「でも竜卵に語りかけろと言われたって、ゾイエ竜騎士がやるでしょうか?」

「ふうむ。 だがあいつは青竜の騎士の熱烈なファンだ。 乗せられやすい一面もある。

 ダッコ法。 これぞ孵化率向上の秘訣。 かの青竜の騎士もなさっていた究極の孵化手法! と言えば、やるんじゃないか。

 ところで、お前は竜卵に何を話していた?」

「別に、大した事は何も」

「例えば?」

「がんばれ、とか。 大空を一緒に飛ぼうな、もうすぐだ。 あ、マリジョー山脈に連れて行ってやる、もよく言ってました。 夕焼けがきれいなんだぞ、て」

「飛竜にとってマリジョー山脈は生まれぬ内から行きたい場所であった、か。 あり得る。 これは言うべきセリフの例として入れておこう」


 冗談かと思ったら、マドリン教官は本当に語りかけをダッコ法と命名し、ゾイエ竜騎士にやらせ始めた。



 追記

 現在最も広汎に使用されている竜卵の孵化方法はダッコ法と呼ばれる。 抱き人から竜騎士に昇進した事で著名なキップ・オムザールが編み出した手法で、孵化を待つ竜騎士が毎日一回以上語りかけるというもの。 孵化率が格段に向上する事が知られ、急速に普及した。 後世の研究により、竜卵に語りかける回数と孵化率の向上には相関関係がある事が立証されている。

 因みに、ダッコはオムザールの愛竜の名。 ダッコ法によって孵化された最初の飛竜で、オムザールが定年により退団するまで共に飛行し、通算飛行距離最長記録を樹立した。 (「竜卵孵化手法詳細」より抜粋)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 心温まるお話だ
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ