古卵
「ああ、ここに来たかったんだ」
俺がそう言うと、師範が面白くなさそうに聞いた。
「なんで分かる」
「え。 だってあのマリジョー山脈ですよ? もしかして、聞いた事ありません?」
「ないな」
「青竜が住む山として有名です」
「ふうん」
おお、でも、これがあの、でもない。 結構知られている山だと思うんだけど。 小学校の授業にも出てきたんじゃなかったっけ? その辺りは俺自身、薄らぼんやり覚えているだけで確かじゃないが。
まあ、小学校で習った事を大人になっても覚えている人なんていないよな。 俺なんか卒業した翌日にはもう忘れていたような気がするし。 師範も忘れちゃったんだろう。
「飛竜の聖地と言われています」
「へえ、聖地。 そりゃあ有り難い。 因みに、それは誰が言ったんだか聞いてもいいか? お前か?」
「い、いえ。 俺じゃありません。 世間でそう言われてる、てだけで」
すると師範がうんざりした顔をした。
「世間ねえ。 で、その世間のどなた様か知らんが、そいつはどうやって飛竜がここを聖地だと考えていると知ったんだ? 本人、てか、本竜に聞かなきゃ分からんよな? て事は、そいつは飛竜語がしゃべれた訳だ。 大したもんだぜ」
「それは、その、俺にそんな事を言われても」
「ふん。 俺には出来ないだけで、世間にゃ飛竜語がしゃべれる奴が結構いるのかもな。 人の言葉が危なっかしいお前でさえしゃべれるくらいだ」
「え? 俺?」
「何をすっとぼけていやがる。 さっき俺に言っただろ。 スパーキーが早く乗れと言ってる、とかさ。 せっかくぺらっぺらなんだ。 その流暢な飛竜語を使って聞いてみてくれ。 一体いつ帰る気だ、て」
「そ、そんな事を言われても。 飛竜語なんてしゃべれません」
「この切羽詰まった局面で嘘くさい謙遜、するんじゃねえ」
「謙遜なんかしていません」
「じゃ、なんでスパーキーの言いたい事が分かったんだ?」
「その、なんとなく?」
「ほう。 お前はなんとなく飛竜の言いたい事まで分かる奴だったんだ。 すげえ。 なら俺の言いたい事だって分かるはずだよな。 何も言わなくたってさ。 それとも俺を読むのは飛竜より難しい、てか」
「えーと、早く、帰りたい?」
「ずばり、御正解、てやつだ。 さすがは飛竜の言いたい事が分かる奴なだけあるぜ。 で、いつ帰してもらえるんだ?」
「わ、分かりません」
「なんてこった。 そこが外せない一番肝心なポイントだろ。 ま、さ、か。 わざと外しているんじゃないだろうな」
俺が必死に首を横に振ると師範が怖い顔をしてにじり寄って来た。 後ずさろうとしたが、スパーキーの尻尾が邪魔して逃げられない。 た、助けてっ。
「人をがっかりさせるのがうまいよなあ、お前って奴はさ。 と言っても、がっかりさせられているのはいつも俺だけみたいだが。 他の奴らはがっかりするどころか、お前のやらかす事に喜んで舞い上がっているよな? 案外お前は俺だけをがっかりさせる為にこの世に生まれてきたのかもなあ。 だとしたら今回も中々いい仕事をしているぜ。 褒めてやってもいい。
俺も北の猛虎と騒がれていたって現実は御覧の通りの男だ。 遥々西の果てから北軍まで来たお前に、さぞかしがっかりされているんだろ。 散々寒い目にあった挙句、こんな男かよ、と思うよな? 腹も立つし、仕返しだってしたくなる、てもんだ。 そう考えると、誰かさんは最初から知ってて俺を呼んだのかも、な?」
「知ってるって、何を?」
「飛竜がマリジョーまで飛ぶ気だった、て事をさ」
師範はそこで俺の声真似をし始めた。
「北の猛虎と威張ってたって飛竜に乗った事もないんだぜ。 せっかくの機会だしぃ、ちょっとびびらせてやるか。 飛竜だらけの西でウロウロさせりゃ、その内西の猛竜になるんじゃね? うひひ」
「そ、そんな。 俺、うひひと笑った事なんかないし」
「気になるのはそこか」
「他にどこを気にすればいいんですか? あ、師範が西軍に移ったら西の猛虎でしょ。 猛竜なんて言いませんよ。 そもそも、俺、師範にがっかりした事なんてありません。 やっぱりすごい、想像したよりすごいと思ってます。 尊敬し」
「けっ!」
「な、何なんです、その、けっ、て」
「忘れてくれ。 こんな話をお前にしたって糠に釘だった。 ああ、お前には、忘れるな、と言っといた方がいいか? 忘れるなと言われた事に限ってきれいさっぱり忘れる奴だもんな」
これっていじめ? いじめだよな? もしかしたら今晩中、こんな風にいじめられるの? つらいかもっ。
もっといじめられるんじゃないかと身構えたが、師範も疲れていたらしい。 それ以上何も言わずに食料袋をひっぱり出した。
はあ。 嫌な汗かいちゃった。 そりゃここが目的地で明日帰り始めたとしても北に戻るまで二日はかかる。 四日間も突然いなくなったんだ。 無事に帰ったってすごく面倒な事になるだろう。 お詫びやら報告やら。 懲罰や罰金だってないとは思えない。 それを考えたら誰かに八つ当たりしたくなる気持ちは分かる。 で、ここには俺しかいない、と。 スパーキーや竜鈴に八つ当たりしたって俺みたいに冷や汗かいてくれる訳じゃないもんな。
ともかく、これで目的地に着いたっぽい。 なら後は帰るばかりだ。 どこまで行くか分からなかったから今までせんべいや木の実をちびちび食べただけで我慢したが、後二日なら牛の干し肉を食べちゃおう。 これは合計五枚しかなかったんで、師範の袋に三枚、自分の袋に二枚入れておいた。 五枚目を半分こにしようかな、と思ったんだけどさ。 ちらっ、とな。 でも殊勝な俺は何も言わず、師範に一枚多く入れておきました。 気遣いだ、気遣い。
気を遣った所で肝心の師範には全然伝わらないような気もしたが。 人ってちゃんと食べてないと気が短くなるだろ。 師範は元々気が長い人でもない。 腹が減ったせいで更に短くなったら困るのは俺だから。
「えーと、この分なら帰るまでの食料も大丈夫そうですね。 今晩は干し肉を食べませんか?」
「これで帰れるならな」
俺が言う事を全然信じてないっぽい。 ま、いいけどね。 これくらいで怒る程俺も子供じゃないし。 食べたくないなら食べなきゃいいだけの話だ。 俺は自分の袋から干し肉を取り出して食べ始めた。
「ダンホフの干し肉って、ほんと、美味しいですよね。 蜂蜜、ニンニク、胡椒、パプリカ、唐辛子の他にも何かソースを使っているんじゃないでしょうか。 干し肉なら北にもあるけど、この深みはないような気がします。 ナジューラ義兄上の式に参列する時はこれを大量に買うつもりです。 きっとみんなに喜ばれますよね? 高かったら沢山は買えないけど」
「買わなくたって土産にもらえるだろ。 サジ殿の結婚式の時だってお前ももらっていたじゃないか」
「でもあっと言う間に自分ちで食べ切っちゃったから。 どこにもおすそ分け出来なかったんです」
後一枚しかない貴重な肉だ。 大事に食べていると師範も一枚出して食べ始めた。 それをあっと言う間に食べ終えたかと思うと、二枚目も思い切りよく食べ、三枚目を取り出す。
へえ。 結局食べるんだ。 俺には、いつ帰れるか分かるもんか、みたいな事を言っておいて。 ほーんと、素直じゃないんだから。 分かりづらいったらありゃしない。 こんな気難しい夫じゃヨネ義姉上もさぞかし苦労なさっているだろう。 俺も命が惜しいから余計な事は言わないが。 リヨちゃんが大きくなって師範と揉めたりしたら、叔父として味方になってあげないといけないな。
食べ終わって改めて辺りを見回し、マリジョー山脈の美しい夕焼けに見とれた。 国内で一番高い山じゃないが、ここに登った事がある人は一番美しい山だと口を揃える。 北にこれ程高い山はない。 観光で来た訳じゃないけど、これが見れただけで帰った後のごたごたを乗り切れるような気がする。
夜は満天の星。 麓でさえ北並みの寒さだが、又来たくなるような山だ。 俺が来たのはこれでようやく二回目なんだけど。
そう言えば、なんでここへ何度も遊びに来た事がなかったんだろ? 俺の実家から結構な距離があるとは言っても、ここよりもっと遠い所にだって何度も遊びに行った事があるのに。 初めてここに来た時、何かまずい事でもあったっけ?
あ、青竜に乗ったな。 乗ったと言っても客として乗ったんじゃない。 今思うと、あれは餌か玩具として捕まえられた、て気がする。
餌、のはずはないか。 飛竜は自分に乗ろうとする人を攻撃する事はあっても人を食べたりはしないらしい。 あの時は確か、川岸で遊んでいたら後ろからいきなり掴まえられたんだ。 ぽんと飛竜の背中に放り投げられて。 その飛竜には馬の鬣みたいな長い毛がいっぱい生えていたから痛くはなかったが。
その毛がもわもわしてて。 絡まっちゃって、とってもくすぐったい。 散々笑わされた挙げ句、川に落とされたような。
それからどうなったんだか、よく覚えていない。 気が付いたら宿屋で、それからどこにも寄らずに家へ帰った。 ただ帰ってからおばあ様に褒められた事を覚えている。 おばあ様に褒められたのって後にも先にもそれっきりだから忘れられない。 なぜ褒められたんだかは分からなかったが。 無事生きて帰って来たから?
ともかく怪我をした訳でもないし、褒められたから良い思い出とは言わないまでも悪い思い出とは思っていなかった。 だけど今考えてみれば、子供が青竜にとっつかまって運び去られたんだ。 それを見ていた母上にとってはトラウマだったかも。 それでここが二度と来たくない場所になった、とか?
青竜に乗った事があるんですよ、て師範に言おうかな? うーん、でも、法螺を吹きやがって、と言われたら嫌だし。 一部始終を見ていた証人はいるとは言え、みんな俺の家族だから信じてもらえないかも。
それになぜか俺の家族が青竜の事を世間に話した事は一度もない。 いくら子供だからって色を見間違えたとは思えないし、背中に毛が生えているのは青竜だけだ。 青竜に乗った事は勿論、見たと言うだけでいい話の種になるのに、マリジョーに行った事さえ家族の話題に上った事はなかった。 なんでだろ、とか考えている内に眠くなったから黙って寝た。
翌朝、帰るつもりでスパーキーに乗り、北の方角へ顔を向けた。
「よろしく頼むぜ、相棒。 飛べ!」
ところが飛ぼうとしない。 何かを待っているみたいな顔で俺を見つめている。
「スパーキー、どうした?」
竜鈴を待ってるのかな? 帰るだけなのに? それってなんか変じゃない?
どうしたらいいか迷っていると、イライラした声で師範が聞いてきた。
「何をしている。 さっさと出発しろ」
「飛べってもう言ったんです。 なのに飛んでくれなくて」
「ここが目的地じゃなかったのか? 後は帰るばかりなんだろ」
「そのはず、なんですが。 どうも、その、様子がちょっと変、と言うか」
「まさか聖地だから、これからずっとここに住みつく、と言うんじゃないだろうな」
「え? 飛竜は巣を引っ越したりしません。 壊れたら同じ場所に作ろうとするんです」
「それも世間様が言ってる訳か」
「世間様って。 まあ、そうですけど」
スパーキーは、ねえ、いつ鳴らすの、ねえ、ねえ、みたいな顔で俺を見る。
うう。 このままここに座っていても帰れないよな。 仕方なく竜鈴を鳴らしてみた。
りりりん りりりん りりりん
それにスパーキーと辺りの飛竜が一斉にヒョオオと応える。
そこまでは今までと同じだが、今日はなぜか応えた後でも飛ぼうとしない。 頭をマリジョー山脈に向けてヒョオオと鳴き続ける。
スパーキー達がヒョオオと鳴くと、山の方からも微かにヒョオオと鳴く声が返ってきた。 木霊じゃない。 段々大きくなっていく。
「おい、あの音は何だ? 大丈夫なんだろうな?」
「ええと。 マリジョーに住んでいる飛竜がこっちに向かっているみたい、です」
「何しに?」
「分かりません」
「分からんだとう?」
「だって分からないし」
「分からないなら、なんで竜鈴を鳴らした? 飛竜なら放って置いてもいつか巣に戻るんじゃなかったのか? ダンホフにある巣に戻るのに、なぜ竜鈴を鳴らす必要がある?」
「だ、だけど命令しても飛んでくれなかったから。 俺が竜鈴鳴らすのを待ってるみたいだったし。 このままずっとここに座っている訳にもいかないでしょう?」
「お前って奴は、」
そこで師範が口を噤んだ。 師範の視線の先に顔を向けると、飛竜が近づいて来る。 十頭や二十頭じゃない。 百? いや、二百? 大群だ。 ひえーーっ。 やばいかもっ!
「飛竜って、こんなに群れるものなのかっ?!」
「い、いいえっ。 それに人に飼われている飛竜ならともかく、野生の赤竜、黒竜、茶竜、緑竜が一緒に飛んだとか、聞いた事ありません」
ヒョオオ ヒョオオ ヒョオオ ヒョオオ
大きい鳴き声で、もう騒音と言っていい。 ただ攻撃して来そうな雰囲気じゃない。 嬉しそうな。 どちらかと言えば、お祭り騒ぎ?
先頭の飛竜が見えて来た。 青い。
ひょっとしたら、あれ、俺が子供の頃乗ったのと同じ青竜? もっとも珍しいとは言え、青竜は一頭以上いるはずだ。 これがあの時の飛竜かどうかは分からない。 何頭かいたら分かるかも。 でも青いのは一頭だけだ。 まあ、子供の頃一度見たきりだし、青竜が何頭もいたって見分けなんか付かなかったと思うが。
飛竜の群れは俺達のいる所まで来ると上空をぐるぐる回り始めた。 青竜だけが下りて来て、俺の顔をじっと見つめる。
ぐわわっすっ! (覚えているか)
どうやらあの時の青竜のようだ。 俺が頷くと、乗れ、と言うかのように足を折った。
当たり前だが、操縦席なんて付いていない。 背中の毛に掴まる事は出来るが、子供ならともかく、大人の俺が掴まっても大丈夫なのか? 青竜ってすごく速いんだ。 振り落とされたらどうしよう?
不安がない訳でもなかったが、どうやら青竜は俺をどこかへ連れて行きたいっぽい。 たぶん何かを見せたい? その何かを見ない事には、ここから帰る事は出来ないような気がする。
「師範。 ちょっとここで待っていてもらえますか。 青竜が俺に乗れと言ってるようなので、行って来ます。 スパーキーから下りたら俺が戻るまで乗ろうとしないで下さいね」
師範は呆れた顔を見せただけで何も言わなかった。 止めろと言いたかったんだろうが、このまま二人でここに座っていたってどうにもならない。
青竜が飛び始めると他の飛竜も後ろに続いたが、徐々に思い思いの方向へ散らばって行った。 青竜はマリジョー山脈の奥深くへと向かい、やがて大きな岩に辿り着く。 岩の上に巣らしきものがあったが、空っぽだ。 そこから南下し、山脈の外れくらいまで飛んだ。 そこには大きな川が流れていて、その近くの崖下に飛竜の白骨が落ちていた。
俺が乗っている青竜より小さいが、たぶん子供じゃない。 兄弟か。 もしかしたら、この青竜の番い? だから巣が空っぽだったのかな。
飛竜は死んでも簡単に腐ったりしない。 白骨になるとしたら三年以上経っているだろう。
そこで青竜は向きを変え、再びマリジョー山脈を背にして飛び始める。 しばらくして翻る皇王旗が見えた。 点在する庁舎の大きさから見て、西軍第一駐屯地だと思う。
青竜は一番大きな庁舎の前にある広場に下りた。 辺りの兵士はみんな目をまん丸にして俺を見ている。 俺に驚いているんだか青竜に驚いているんだか分からないが、たぶん両方だろう。 青竜が人里に下りて来るのも、その上に俺が乗っているのも、あっと驚くような出来事だ。 それが二つ同時に起きているんだから。
俺は近くの兵士に声を掛けた。
「北軍第十一大隊長、サダ・ヴィジャヤンだ。 ラガクイスト将軍にお目通りする事は出来るか?」
「少々お待ち下さい」
その兵士が俺に敬礼し、庁舎の方へ駆けて行く。 彼が庁舎に入る前にラガクイスト将軍が出て来て下さった。
「ヴィジャヤン大隊長! 青竜と共に飛来とは。 喜ばしい事この上ない。 一体、」
そこで将軍の言葉が途切れる。
「もしや、その鈴は竜鈴?」
「はい。 スティバル祭祀長よりお預り致しました」
俺がそう答えると、将軍は陛下の使者を迎える儀礼で応えた。 兵士全員が一斉に将軍に倣う。
「竜鈴の尊きお導きに深く感謝申し上げます。 青竜の騎士の再来に見える機会を頂戴し、喜びに絶えません。 此の度の御用をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
青竜に乗ったら青竜の騎士の再来になるの?! それって安直じゃない? とは思ったけど、そんな事を言える雰囲気でもないし、それに竜鈴を鳴らしたからここに来たんだ。 そういう意味では竜鈴のお導きと言っても間違いじゃないだろう。
「御丁寧なお出迎え、痛み入ります。 ですが、私は皇王陛下の使者として参った訳ではございません。 実は、なぜここに連れて来られたのか、私自身にもよく分かってはいないのです。 でもここでしたら古卵がありますよね?」
「ございます。 どれを御覧になりたいのでしょう?」
「三年以上経っている古卵がありましたら全部見せて戴きたいのです」
「承知致しました」
将軍が古卵を持って来るように命ずると、すぐに運ばれて来た。 合計十個ある。 どれも長径が三十センチ以上あり、大きさと模様に多少の違いはあるが、これと言った特徴はない。
青竜は迷わずその内の一つをツンツンと突いた。
「ラガクイスト将軍。 これを戴いても構いませんか?」
「どうぞ。 中の飛竜はとうに死んでいると思いますが」
将軍がその卵を持って来た兵に訊ねた。
「オムザール、これはお前が拾って来た卵か?」
「はい、そうです」
「いつ見つけた?」
「四年前です。 マリジョー山脈麓の川岸に流れ着いておりました」
「青竜の騎士。 本当に古卵でよろしいのですか? 新しい卵がございますが」
「はい。 青竜はこれを取り戻したくて私をここまで連れて来たような気がするので」
「では今晩こちらにお泊まり戴く訳には参りませんか?」
「申し訳ありません。 リイ・タケオ大隊長をマリジョー山脈の麓に待たせておりまして」
「なんと。 弓と剣、手に手を取っての飛行でありましたか。 竜鈴の音がそれ程遠くまで届くとは存知ませんでした」
「いえ、北からマリジョー山脈まではダンホフ公爵より借りた飛竜で飛んで参りました。 今年の夏、ダンホフの結婚式に参列するのに飛竜を借りたいと思ったもので。 試しに北軍第一駐屯地周辺を飛ぼうとしたのです。 その時竜鈴を鳴らしたら、飛竜が西へ西へと飛び始め、結局マリジョーまで連れて来られた次第。
音自体は全然大きくないんですよ。 ほら」
そこで竜鈴を鳴らしてみせた。 音は小さいが、駐屯地内の飛竜には聞こえたらしい。 ヒョオオヒョオオと鳴いて全ての飛竜が俺の方に向かって足を折り、頭を下げた。 どうやら俺を乗せてくれるらしい。 飛竜がいるんだから竜騎士の皆さんもいるよな。
「せっかくですし、今ここにいる竜騎士の方々だけでもこれが鳴らせるか試してみませんか?」
「それは青竜の騎士以外、誰にも鳴らせない鈴では?」
「言い伝えではそうなっておりますが。 皆さん、試した訳でもないでしょう? 私の他にも誰か鳴らせる人がいるかもしれません」
俺がそう言うと、将軍は竜騎士団長の勲章を胸に付けている人に訊ねた。
「ソコロドフ団長、現在ここにいる竜騎士は何名だ?」
「二十三名です」
「せっかくの仰せだ。 全員に試させてみよ」
「承知致しました」
将軍と竜騎士団長、そして竜騎士達が順番に鈴を揺らしたけど、鳴らせる人はいなかった。
「うーん、不思議ですね」
何だか皆さん、面白いものでも見るようなお顔で俺を見ている。 俺、何か変な事言った?
将軍が俺にお訊ねになる。
「すると、この卵を巣に戻す事が今回の飛行の目的なのでしょうか?」
「どうやらそのようです。 マリジョーの麓に着いた時、てっきりそこが目的地かと思ったのですが。 今朝、北へ帰ろうとしても飛竜が飛ばなくて。 それで再び竜鈴を鳴らしたのです。 するとマリジョーの方角から飛竜の大群を引き連れた青竜が現れ、その背に乗ると巣に連れて行かれました。 そこが空っぽで。 飛竜の巣にはいつも妻か子、でなければ卵が置いてあるものですよね?」
「お言葉の通りです。 それにしても予定外の飛行でしたら途中食べ物にも不自由なさったのでは?」
「ダンホフの飛竜の操縦席に塩せんべい等が置いてあり、空腹を凌げました」
俺がそう言うと、将軍が側近に命じて下さった。
「すぐに携帯食料を用意せよ」
「了解」
「あの、それとこの卵を途中で落とさないように卵袋を頂戴したいのですが」
「承知致しました。 卵はそれ一つでよろしいのですか?」
「はい、そのようです」
卵袋はクッションが入った大きな巾着みたいな袋だ。 持ち歩けるように肩紐が付いていて腹に抱きかかえる感じ。
卵は見た目程重くはなかった。 卵袋に入れる時、ざらざらした手触りの卵を撫でながら言った。
「これからお前を巣に戻してやるからな。 安心しろ」
するとコンコンと中から音がする。
「あれ?」
こちらからもコンコンと叩いてあげたら、又コンコンと音がして卵にひびが入った。
辺りから一斉に息を飲む音がする。 将軍が側の兵士達に命じた。
「孵化だ。 準備せよ」
その命を受け、兵士が四方に散って行く。
コンコン叩く音と、ひびが段々大きくなっていった。
欠片を除けてやると青竜の赤ちゃんの嘴が見え、目が合った。
「きゅう、きゅうう」
お、中々かわいい鳴き声だな。
「おーし、元気で出て来い。 うまい魚をたらふく食べさせてやるぞ」
卵から出て来たばかりの赤ちゃん青竜は赤茶けた色でふにゃふにゃだったが、羽はすぐにでも飛べそうな位しっかりしている。
小さい魚を選んで差し出したら、ぱくんと丸呑みにした。 喉につっかえないよう、魚の大きさに気を付けて呑ませてあげていると、うとうと眠そうな顔をする。 そのまま寝かしてあげた。
「ふう。 どうやら大丈夫のようです。 あの、この魚、別の袋に何匹かもらってもいいですか?」
「勿論です。 携帯食料も持てるだけお持ち下さい。 他に必要な物はございませんか?」
「いいえ。 食い逃げみたいで大変申し訳ないのですが、これにて失礼させて戴きます」
「その飛竜は、巣に戻すおつもりでいらっしゃる?」
「はい。 そう約束しましたから」
「……色はまだ青くありませんが。 青竜ですね?」
「そうだと思います。 背中に産毛が生えているので」
「飛竜を何頭か護衛としてお供させたい所ですが。 青竜は他の飛竜が自分の巣に近づく事を嫌がると言われておりまして」
「大丈夫です。 何とかなるでしょう」
将軍は微妙なお顔をなさったが、何もおっしゃらずにいてくれた。 青竜の騎士って正確にはどういう身分なのか知らないけど、どうやら竜鈴を持っているおかげで陛下の使者と同等の扱いになるようだ。 それなら西軍将軍の命令に従わなくても責められない。 とは言え、ここは西軍駐屯地。 本気で俺を止めようと思えば簡単だろう。 それをしないでいてくれた事を心の中で感謝した。
赤ちゃんを飛竜用おんぶ袋に入れて青竜の背に乗ると、青竜は俺が何も命令しなくても飛び始めた。 そのまま巣に向かうのかと思ったら、まず俺を師範が待つ所に運んでくれた。
着陸すると青竜の赤ちゃんがもぞもぞ動き始める。
「あ? お腹が空いたか?」
「きゅううん」
魚を差し出すと、さっきの二倍ぐらい食べ、食べ終わったら辺りをパタパタ飛び始める。
「おお。 生まれてすぐ飛べるなんてすごいな。 これからもその調子でがんばれよ」
「きゅうっ、きゅきゅうっ!」
青竜は赤ちゃん竜を背に留まらせると、巣に向かって飛んで行った。
「ちっ。 やたら時間がかかると思ったら。 飛竜の子育てまで手伝っていやがったか。 この暇人め」
「あの、これ、西軍将軍からの差し入れです」
師範はすっかりおかんむりだったが、俺が差し入れを手渡した途端、機嫌が直った。
んもー、師範てば。 こんな顔して、さりげなく現金商売なんだから。 俺だって遊んでいた訳じゃないのに。 操縦席のない飛竜に乗るのって疲れるんだぜ。 そんな事、客席にしか乗った事のない人には分かってもらえないと思うから言わないが。
とにかく、今度こそ帰れるだろう。
「スパーキー、頼んだぜっ!」
「ぎゃうぎゃうっす、ぐわあっ!」
スパーキーは元気な鳴き声で応え、飛び始める。 そうこなくちゃ。
竜鈴を鳴らさなくとも飛んでくれた事にほっとした。 明らかに東へ向かっている。 ただ北軍第一駐屯地とダンホフ本邸、どっちへ向かっているんだか分からない。
ま、どっちにしろ、いつか帰れる事に変わりないよな? それに改めて考えてみりゃ俺が飛竜を操縦するのって、これでようやく二回目だ。 前に自宅と北軍駐屯地の間を往復したのを二回と数え、ここに来るまでの休憩も数えるなら十回以上飛んだり着地した事になるが。 いきなりこんな長距離を飛んだのに無事って事をまず喜ぶべきだろう。 これも竜鈴の御加護かも。
ともかく、どこに向かっているんだとか師範から聞かれないで済むように俺の方から話し掛けた。
「あの飛竜の赤ちゃん、古卵が孵化して生まれたんですよ」
師範は食料袋の中にあった肉詰めパンをもぐもぐ食べ、無言だ。
「もう、ほんと、うわあ、て感じ。 つぶらな瞳がとってもかわいくて」
肉詰めパンを食べ終えると、次に変り御飯のおにぎりを出して食べ始める。
「西軍の皆さんも驚いてい」
「これは何だ?」
師範が食料袋の中から小袋を取り出して見せた。
「え? あ、漬け物です。 大根、じゃないかな」
「じゃ、これは?」
「クッキーです。 棗椰子のジャム入りの」
師範は時々これは何だと聞いて来る以外、黙々と食べ続ける。 それはいいんだけどさ、ちょっとは何があったか気にしてくれてもいいんじゃないの? 古卵が孵化するなんて、すっごく珍しいんだから。