表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
弓と剣  作者: 淳A
春遠き
43/490

歌手  ノナの話

 饅頭屋を営んでいる実家から、忙しくてどうにもならない、帰って来い、という手紙が届いた。

 これが二年前に届いたなら読んだ後すぐにゴミ箱に捨てていただろう。 去年だって迷いはしたろうが、やはり帰らなかったと思う。 だが歌手になりたくて皇都に来てもう四年。 俺がなれたのはただのカフェの店員だ。


 十八になってすぐ、俺は皇都に来て歌手になる道を探り始めた。 俺がある結婚式で歌を歌うように頼まれた時、皇都から来た招待客の一人がすごく褒めてくれた事がきっかけだ。

「いい声してるぜ。 皇都の歌手にだって負けねえ。 皇都の舞台で歌う気はねえのか? 皇都に行けばチャンスなんていくらでも転がっているのに。 もったいねえな」

 素人の言葉をそのまま信じたわけじゃない。 だけど、もしかしたら、という期待は捨てきれなかった。


 そりゃ来てみれば皇都で歌手を公募している所は沢山あった。 でも応募してくる歌手の卵はいつもその二十倍から三十倍はいた。 俺は毎回一次で落とされ、二次まで行った事は一度もない。 最終審査に辿り着くまで五次や六次の審査があるなんてザラなのに。

 皇都で思い知らされたのは俺程度の歌手ならそこらじゅうにいるという現実だ。 それでも顔が良ければパトロンを見つけて、という道もあったろう。 残念ながら俺程度ではそれも難しい。 

 どんなに小さくても以前舞台で歌った事があるとか、貴族の舞踏会で歌ったという経験があれば、ちょい役をもらう事も出来た。 だが俺が唯一知っている(と言えるかどうかも疑問だが)故郷の貴族はパーティーとか歌手を呼ぶような催しを一度もした事がない。 唯一楽師や歌手を呼ぶのは伯爵様の結婚式の時。 三十年に一回という頻度だ。 それだって声がいいだけじゃ呼ばれない。 コネがなけりゃ。

 皇都も同じでコネさえあればなんとかなる世界だが、平民の俺にはコネらしいコネなんて一つもない。 俺だけじゃなく俺の親戚、友達、知り合い、近所の誰彼を全部集めたってコネを持っている奴なんて一人もいやしない。

 ダンスや楽器を習った事がなかったのもまずい。 ここに来て初めて今時は歌手といえども舞台に立つには歌えるだけではだめだという現実を知った。 ダンスや楽器の一つも出来ないと。

 だけど皇都の物価は高い。 俺のしがない給金じゃ食費と家賃を払ったらダンスや楽器の先生に稽古代を払う金なんて残らない。 流行のステップ一つ踏めないんじゃ舞台に歌手として立つなんて夢のまた夢。 諦めるしかないと悟った。


 これが潮時、て事なんだろう。 俺はカフェの店主に今週一杯で辞める事を告げた。 店主はそうかと言って店員募集の張り紙を出した。 次の日俺の後釜が雇われ、明日から来なくていいと言われた。

 俺が住んでいた貸し間に大した物はない。 いつも金欠だったから。 布団を売って衣類を鞄に詰め、雑貨の類は世話になった友人や近所の人にあげた。 二日できれいさっぱり何もなくなった自分のちっちゃな部屋を見回す。 そして俺は四年という長いような短いような皇都の生活に終わりを告げ、故郷へ帰った。


 家に帰ってみれば確かに戦争のような忙しさだった。 六頭殺しの若饅頭のおかげで。

 六頭殺しの若の噂なら皇都でも聞いていたが、それが俺と同じ小学校に通ったあの若様の事だ、と帰るまで気が付かなかった。 同じ小学校に通ったと言ってもたったの二年だし、学年が違うから俺は若様と直接話をした事は一度もない。 何しろ年が四つ離れている。 そのうえあっちは領主様の息子。 こっちはただの平民だ。

 あの学校は一学年男女二十五人ずつ、合計五十人で六学年しかない。 全校生徒三百人だ。 親が何をやっていて、どこに住んでいて、誰が兄弟とか、領主様の息子でなくたって知っている。 とは言ってもお人柄までは知らない。 俺の友達の弟が若様と同じ学年だったが、そいつも若様の事はよく知らないと言っていた。 なんでも人を呼びつけたりしない御方らしい。 だけどそっちが呼ばないのに領主様の息子に平民の方から近寄っていける訳がない。 だから俺は、まあ、俺だけじゃないようだが、若様と遊んだ事はなかった。 若様の学年の平民とならしょっちゅう一緒に遊んでいたけど。

 

 若様はいつも一人で遊んでいらした。 なぜかは分からない。 普通はそっちの方から俺の子分になれとか、あれしろこれしろと言ってくるものだろう? 誰だって嫌と言えないんだし。

 それでなくとも俺達は小さい頃から悪さをすると伯爵様の地下室にぶちこむぞ、と脅されて育つ。 そりゃ誰もそんな地下室なんて見た事はないが、だからこそ一層怖いんだ。 その地下室があるお城から来た子供だなんて。 それだけで不気味じゃないか。 若様なら俺達を地下室にぶちこめと奉公人に命令する事だって簡単だろ。 そうなったらきっと親だってどうする事も出来ない。 そんなものが本当にあったとしても実際ぶちこまれた人なんて知り合いに一人もいない、と気が付くのは大人になってからだ。

 俺が知っている限り誰かが若様の家に遊びに行った事もない。 よく御家族で旅にお出掛けになるらしく、しょっちゅう学校をお休みになった。 だから六年間同じクラスだった奴に聞いたって若様の事はよく知らない。 とてもおとなしい無口な御方だったとしか。


 若様が卒業されてからは噂の欠片も聞いた事がなかった。 次に聞いたのが六頭殺しの噂だ。

 俺の町にどんどん観光客が来るようになり、その人達から若様に関するいろんな話を聞くようになった。 俺はオークなんて見た事もないが、すごい化け物なんだろ。 それを射殺した英雄だ。 ほんとにすごい事を成し遂げられたんだな、と改めて感心した。 あの頃なんで無理をしてでももっと親しくなっておかなかったんだ、とちょっと後悔したが。 時既に遅しってやつだ。


 そんなある日、執事のタマラ様直々、我が家においで下さった。

「次代様は秋に爵位を継がれ、同じ日に挙式される。 その御結婚式でノナに六頭殺しの若の歌と祝婚歌を歌ってもらいたい」

 俺は一も二もなく承諾した。 伯爵家の御結婚式で歌うだなんて子々孫々自慢出来る名誉だ。 子孫はまだいないけど。 それどころか当分結婚するつもりだってないけどさ。

 おやじもおふくろも大喜び。 早速臨時の手伝いを雇い、俺が歌の練習に集中出来るようにしてくれた。 祝婚歌は昔から結婚式があれば頼まれて歌っていたから大丈夫だが、若様の武勇を歌ったものは出来立てのほやほやだ。 しっかり練習しないと。 せっかくの晴れ舞台で歌詞を間違えたなんて事になったら目も当てられない。


 おやじによると当代様の御結婚式は招待客七十名程度だったらしい。 でも伯爵様も観光収入やらなんやらで儲けているみたいだし、招待客も二倍ぐらいに増えるかもしれない。 それにお客様は貴族ばかりだろ。 俺にしてみればこれが一生に一度、あるかないかの晴れ舞台だ。 たとえ観客数が少なくても。

 やる気満々で練習に出向き、そこで楽譜を渡された時、俺は初めて何かおかしいと気付いた。 リハーサルなら楽師は一人かせいぜい二人しかいないと思ったのに、なぜか十八人もいる。 音合わせを聞いただけで全員最高級と分かる楽師だ。 リハなら本番で弾く楽師の弟子が来るものなのに。

 ともかく指揮者の人が来て、練習が始まった。

「それじゃ、ノナ。 軽く合わせてみるか」

「よろしくお願いします」

 いい感じで歌えたと思ったが、指揮者に難しい顔で駄目出しされた。

「うーん。 いい声をしているが、もっと大きな声で歌わないと。 声量不足だ。 私達は練習用の楽師なのだから、この人数に合わせた声量では本番の時に困るぞ」

「えっ。 あの、当日も皆さんが演奏なさるんじゃないんですか?」

「当日はパーガル侯爵家専属楽団が演奏する。 楽師五十四名のフルオーケストラと聞いている」

 パーガル侯爵家! パーガル侯爵は音楽好きで知られ、パーガル侯爵家お抱えと言えば皇都でも宮廷楽団に次ぐ評判の格式高い楽団だ。

「指揮者のマイ・クレム様は容赦のない御方だからな。 覚悟した方がいい」

 マイ・クレム様! 皇都の人気歌劇という歌劇は全てこの人が作曲し、指揮していると言ってもいい。 俺もマイ・クレム様が募集したオーディションに行った事がある。 一次審査に現われたりしないからお顔を見た事はないが。

 そして楽師の一人から聞いた極めつけ。

「式場も皇都のヘルセス公爵邸だ。 招待客が何人かは知らないが、相当な数になると見てよい。 千人は越えるだろう。 なんと言っても皇太子殿下の御臨席を戴くのだ。 公爵の気合いの入れようも半端なものではあるまい」

 それに宰相閣下、皇国全将軍、と何たらかんたら続いたようだが、俺はもう聞いちゃいない。 急いで執事のタマラ様にこれを知らせないと大変な事になる。 俺は一目散に駆け出した。


「タマラ様! タマラ様!  あ、あの、何か、大きな手違いがあったようで! 私は、その、このような晴れがましい席で披露するほどの声も才能もございません!」

 タマラ様は慌てているせいで怒鳴り声になっている俺を静かに宥めた。

「まあ、落ち着きなさい、ノナ。 心配しなくとも手違いなどではありません。 あなたが選ばれたのは若の御推薦があったからです」

「は、はあ?」

「兄上が御結婚なさると聞いて、式で歌うならノナがいいよ、と若がおっしゃったのです」

「俺を、名指しで? あの、それはノナという名の別の歌手では?」

「若はノナという名の人間を一人しか知りません。 私もノナという名の歌手が他にいると聞いた事はないですし。 あなたは誰か知っているのですか?」

「そ、それは、知りませんが」

「ですから間違いのはずはありません」

「し、しかし、でも」

「私はあなたの声を聞いた事はありませんでしたが、あなたの噂なら若が小学校に入学なさった頃から知っていました。 実は学校であなたが歌うのを聞いた若がとても感心なさって。 何を思ったか、屋敷中の者に歌を歌うよう、せがんだのです。 仕方なく歌うと、ちぇっ、ノナの方がよっぽどうまい、と文句をおっしゃる。 それなら歌わせなければよいのに。 旦那様から、奉公人の仕事の邪魔をするものではない、というお叱りがあるまでそれが毎日続いたのですから、忘れようにも忘れられません」


 俺はそれから毎日必死に練習した。 生まれてからこのかた、こんなに真剣に練習した事などないって言うぐらい。

 それは殿下のためでもなければ伯爵様や次代様や式に参列なさるきら星のような方々のためでもない。 俺にとって一番聞いて戴きたい方は御出席なさらないと聞いた。 それでも。 さすが若様の耳が選んだ歌手と言われたい。 それは無理だとしても若様の御推薦に恥じないだけの歌を歌わなくては、と思ったんだ。

 幸い若様に捧げられた歌はきれいなメロディーと力強い調子の歌いやすい曲で、覚えるのに苦労はなかった。


 式での演奏が無事終わった後、憧れのマイ・クレム様が俺の所に来ておっしゃった。

「君、中々いい声をしているね。 皇都で今度上演する予定の私の歌劇に前座として出演する気はないかい?」

 かつての俺が夢にまで見た申し出だ。 なのに今、不思議なほど自分の気持ちに迷いはない。

「ありがとうございます。 とても光栄なお話ですが、自分は故郷から離れるつもりはありません。 お断りさせて下さい」


 俺は歌うだろう。 これからもずっと。

 若様の故郷で。 若様に捧げる歌を。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] ご無沙汰しております。本作愛読者の鈴乃屋です。別垢からで失礼いたします。 外出時に拝読しているため別垢です(汗) 今回読み直し中に違和感に気づきましたので、ご報告になります。 >自分はここ…
[良い点] 周回中(返信お気になさらず) 家中の奉公人を歌わせて回るお子さま若にほっこり そして若の中にノナの歌声が残り続けていたことも
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ