解呪 4
図書館で過去のリスナーに関して調べたら過去に二人、リスナーの息子が呪術師になっていた。 しかしその二人しか見つからない。 どうやら父はこれだけでリスナーの息子なら呪術師になれると言ったようだ。
リスナーは少ないと言っても過去帳に記録されているだけで二十人以上いる。 子供がこの二人しかいなかったとはちょっと考えられない。 呪術師になりたくなかった人もいるだろうが、なりたくてもなれなかった人がいたはずだ。 結局、私が呪術師になれるというのは父の希望的観測ではないのか?
確信に満ちた言葉だったから内心喜んだのに。 ぬか喜びさせるんじゃない、と思わず心の中で呟いた。 父の言葉がなくても一年以内に解呪に挑戦するつもりではいたが。
ただ必死に勉強しさえすれば三年で全呪術の手順を暗記出来ると思ったのは甘かった。 気が付いたらシャノッドを八年も待たせている。 シャノッドと一緒に暮らす家を買う金を貯めるにも二、三年はかかるだろう。 これ以上待たせたら、こんな年寄りを働かせる気ですか、と言われてしまう。 助手をやるのは一年だけにして、来年の秋には解呪に挑戦するつもりだ。
勝算ならある。 大きな声では言えないが、既に解呪した経験があるのだ。 ほとんどの呪術は時間が経つと自然消滅する。 父に内緒で消えかかっている呪術を消滅前に解呪した。
意外に簡単だったが、それは自分で掛けた呪術だ。 本番でやらされるのは他人が掛けた呪術で、おそらく自然消滅前の簡単な呪術ではないだろう。 難易度が格段に上がっているのに安易に挑戦して命を落としたら元も子もない。
気は逸るが、一年は辛抱する事にした。 それだと二十歳に手が届いてしまうが、それでも史上最年少。 充分噂になるだろう。 噂になればそれだけで客が集まる。 シャノッドが父からいくら給金を貰っているのか聞いてないが、それに負けないくらいは出してやりたい。
リスナーの息子である事を世間に公表すれば更にいい客寄せになると思うが、実父の名を言う気はない。 リスナーの息子の割に下手だと噂されたら嫌だし、呪術師組合に入る時、戸籍も提出する。 それに記載されている父の名はヴァル・ワジルカだ。
父と母は結婚していないし、私は父の庶子でもない。 つまり父は嘘を書き入れた事になる。 実子ではないと証明出来る人はいないのだから大丈夫とは思うが、虚偽の届け出は処罰される。 私が余計な事を言って父に恩を仇で返すような真似はしたくない。
リスナーという能力に興味はあるし、リスナーの下で修業出来たら私がリスナーになる確率も上がるような気はするが。 それはまあ、どうでもよい事だ。
一年が経ち、そろそろ解呪に挑戦しようと実験室で準備していたある日、シャノッドが私の手の届かない遠くへ行ってしまうような気がして、胸が締め付けられるように痛んだ。
「シャノッド、行かないで」
ここにいる訳でもない人の名を呼んだってしょうがないのに、シャノッド、シャノッド、と呼び続けた。 準備を手伝っていたロクが私の涙に気付き、声をかけてきた。
「ルガ、どうした?」
父が手元の資料から顔も上げずに言う。
「ビシワス、ワジルカを部屋へ連れて行け。 今日そいつは使い物にならん」
驚いている様子が全くない。 シャノッドの死期が近い事を知っていたのだろう。 なぜ教えてくれなかったと父を責めた所で、聞いてどうする、会いに行った所でシャノッドの死期は変わらない、と言われそうだ。
そうかもしれない。 それでも会いに行きたかった。
奇跡は。 奇跡は望めなくても。
その日から一ヶ月後、シャノッドの遺言執行人と名乗る人が父に分厚い袋を届けに来た。 父は無言で書類に署名し、各一部をその人に返し、もう一部を私に手渡した。 父の重要書類戸棚に収納しようとしたら止められた。
「これらの書類は全てお前のものだ。 自分用の重要書類入れを買って仕舞っておくように」
改めて見ると、それは相続と不動産及び銀行口座の名義変更に関する書類だった。 一番上にあるものは相続登記書で、シャノッドの全財産が私に譲られると書いてある。
被相続人名 タム・シャノッド
相続人名 ルガ・ワジルカ
続柄 祖父
相続人が未成年の場合、代理人名 ヴァル・ワジルカ
続柄 父
なぜシャノッドが祖父である事を黙っていたのか。 それを父の口から聞く気にはなれなかった。
祖父が待っていないなら急いで解呪に挑戦する必要はない。 いずれは呪術師になるが、私は呪術師になったと同時に独立するつもりでいる。 ダンホフが呪術師を二人も雇うとは思えないし、仮に雇うと言ってくれたとしても私は父と一緒に仕事をしたくない。 ここから引っ越す事になる。
私が育った家は父の家ではなく、祖父の家だった。 それを相続したから住む場所はあるが、あそこに呪術関係の道具や資料は何もない。 その点、ここには膨大な数の呪術関係図書と呪具と宝石がある。 特に宝石はさすがはダンホフと言いたくなる量と質だ。 学ぶ環境としてここ以上の場所は望めない。
それに独立したら新米呪術師に来る仕事なんて盗難防止術ばかりだが、ここならその類は代々の助手が掛け終えているから新たに盗難防止術を頼まれる事は滅多にない。 そして普通なら来ないような依頼が来る。
例えばダンホフ公爵家は何頭か飛竜を飼っている。 新しく一頭生まれた時、鳴き声が施術室にまで届いた。 雑音のせいで施術が失敗する事もあるから施術室には防音術が掛けてある。 成長した飛竜の鳴き声なら聞こえない。 ところが生まれたばかりの飛竜の鳴き声には防音術が効かないらしく、ぎゃあぎゃあ聞こえて来る。 いらついた父が足元にあったバケツを思いっきり蹴飛ばした。
「ワジルカ、あの鳴き声を止めてこい!」
「それは、どうすればよいのでしょう?」
「お前の頭は何の為に付いている? それくらい自分で考えろ。 参考にしたいなら図書室にいくらでも記録が残っている。 あれが聞こえている内は仕事にならん。 三日以内にやっておけ」
図書室には飛竜関係の記録を保存している専用書庫があった。 今まで行われた防音術に関する資料も思った以上にある。 百年程遡ってみて気付いたが、全く同じ呪術を使っている助手は一人もいなかった。 それはこういう形でしか名を残せない助手の存在証明だからだろう。
同じなら術名だけを記載するが、独自の呪術であった場合手順と作成者名が記載されるのだ。 いずれ後世の助手に読まれ、比較され、そして時に感心され、時にバカにされる。 それを考えたら安易に人真似をする気にはなれない。
とは言え、下手な施術をして失敗したらそれも記録に残る。 そのうえ期限は三日以内。 長々考えている時間はない。
幼い飛竜の鳴き声だと止められないのだとしたら、今私達の実験室を守っている呪術は飛竜の鳴き声を止めていると言うより音全般を防音しているのだろう。 飛竜に特化した呪術など私は掛けた事は勿論、見た事もない。 それでまず音源である飛竜を見る事にした。
広大な飛行場には飛竜舎がいくつもあり、その一つに近づくと若い男に声を掛けられた。
「何か御用ですか?」
「お邪魔します。 私はルガ・ワジルカと申す呪術師助手です。 今度生まれた飛竜の鳴き声を止めるよう命じられまして」
「それはそれは。 御面倒をお掛けします。 私は飛竜操縦士見習いで、ナム・キーホンと申す者。 どうかお見知りおき下さい。 これが問題の新顔で」
そう言ってキーホンがくるっと振り向いた。 飛竜用に作ったらしいおんぶ籠を背負っている。 その中に飛竜の赤ん坊がいた。 どうやら私が気に入らないらしく、寄るな、と脅すかのように、ぎぇーぎぇーと叫んで翼をばたつかせ始めた。
「おい、スパーキー、静かにしろ。 すいません、ワジルカ殿。 赤ちゃん飛竜はどれもこんな調子でして。 警戒心が強いんです」
「あなたには馴れているのですね」
「はい。 卵から孵った時、側にいた人には騒ぎません」
「親はどれですか?」
「ここにはいません。 飛行用飛竜はどれも卵の段階で親から離して育てるのです。 野生の飛竜を飼い馴らすのは非常に難しいので」
キーホンがスパーキーの住処を見せてくれた。 扉に青く塗られた飛竜の浮き彫りが付いている。 普通、馬車や厩舎の扉に付いているのは家紋だ。
「キーホン殿。 なぜ青竜なのでしょう?」
「これが付いていると飛竜が扉に体当たりしないのです」
「なぜ体当たりしないのか理由を御存知ですか?」
「青竜は飛竜の王と言い伝えられておりまして。 だからではないか、と」
「飛竜の王? しかし飼っている飛竜は全てここで生まれたのでしょう? 青竜は飼い馴らす事は出来ないと聞いているのですが。 青竜を見た事がない飛竜でも王と分かるのですか?」
「なぜ分かるのかは私にも分からないのですが。 ただ生まれたばかりのスパーキーでさえこの扉を蹴った事はありません」
記録で読んだ呪術は既に消滅しているが、ここに来たついでだ。 他の飛竜も見せてもらった。 最近の例では呪術師が術を掛ける時だけ特殊な防音術を施した別の箱に入れたり、飛竜の嘴を術で縛り、鳴き声を止めたものもあった。 それは安上がりだし簡単だ。 しかし何度も掛け直す必要がある。 そんな面倒な事はしたくない。
飛竜の中に一頭鳴かない飛竜がいた。 他の飛竜より生気がなく、気のせいかどこか悲しげな目をしている。
「この飛竜の名は何ですか?」
「タッカーです」
タッカーというと、声帯を焼かれた飛竜だ。 それは呪術を掛けた石を一度飲ませれば済む。 掛け直しをする必要はなく、石は糞と共に体外に出る。 二、三日すれば声帯の傷も治ると記録されていた。
「元気がないように見えるのですが。 私の気のせいでしょうか?」
「いいえ、私もそう思います。 どうか飛竜の声帯を傷つける呪術だけは使わないであげて下さい。 飛竜は鳴き声で番を見つけると言われておりまして。 もっとも飼われている飛竜の中から番が生まれた事はありません。 それで声帯を潰しても大した違いはないと思われたのでしょう」
「すると何か違いがあった? どのような違いがあったのですか?」
「タッカーは遠くへ飛びたがらないのです。 無気力と言うか諦めていると言うか。 他の飛竜なら目的地が遠ければ遠い程喜ぶのですが。 ですから近距離用にしか使えません」
同じ呪術を使う気は最初からなかったが、飛竜を痛めつけるような事はしたくない。 しかし安い石では長続きする呪術を掛けるのは難しい。 かと言って赤ちゃん飛竜の鳴き声を止める為だけに高額な宝石を使おうとしても許可されないだろう。
そこでダンホフ所有の美術品の中に青竜の彫刻があった事を思い出した。 あれを拡大投影して見せたら鳴き声が静かになるかもしれない。
投影術なら簡単だ。 安物の石を使っても長続きするし、何回か掛けた事があるから失敗する心配もない。 青竜だと認識してもらえなかったら効かないだろうが、試してみる価値はある。
父から許可をもらえたので、翌日施術した石をスパーキーの住処に持って行った。 彫刻が迫真の出来栄えだったおかげか、スパーキーがすぐに静かになった。
すると父が言った。
「血は争えぬもの」
正直むっとした。
「どこに問題がございましたか?」
「悪く取るな。 ルデもな、このように単純明快な呪術を掛ける事に長けているのだ」
「単純明快でしたら簡単に解呪されるのでは? 術として稚拙という意味ではないのでしょうか?」
「逆だ。 複雑な術程暴走し易く、目的以外のものまで攻撃して自滅するから解呪も簡単だ。 その点、単純明快な術は安定している。 簡単に解呪出来るように見えるが、ほころびがないだけに、お前以外の者がこれを解呪しようとしたら一日では終わるまい。 解呪を始めたらその間飲食は出来ないし、眠ったら目覚めない事もあるので眠るのも厳禁だ。 一日飲まず食わず眠らずでも死にはしないが、体力と気力の勝負となる。 そんな危険を犯してまで解呪に挑戦しようとする者はいない。 それは解呪不能と同じ事。 しかも安くて簡単。 術としては理想と言える」
父に褒められた? 私が覚えている限り父に褒められた事はない。 貶される事もなかったが、ふむ、とか、無言とか。 悪くない、と言われたのが今までの最高だ。
だが嬉しいという感情は湧いて来なかった。 どちらかと言えば、当惑? こんな何気ない会話が切っ掛けで父との距離が縮まったりしたら独立したいと言いづらくなる。
父の事だ。 私を引き止めたりしないし、なぜ独立したいのか、その理由を聞く事さえないと思うが。
弟子達はみんな、父と私は仲が悪いのだと思っている。 それはある意味正しい。 もっとも喧嘩をした事はないし、父の言葉には何であろうと従っている。 ただお互いに無関心なだけで。 ロクの方が私より余程父の事を気に掛けているし、仲が良い。
シェベール先生が亡くなった時、父は心労で痩せたのだが私は全然気付かなかった。 最初に気付いたのはロクだ。
「おい、ルガ。 ちょっと頼まれてくれないか?」
そう言って色とりどりの花が咲いている鉢を持って来た。
「これ、先生が好きな花なんだ。 持って行ってくれないか?」
シェベール先生の遺言を巡って一騒動あり、それは訴訟騒ぎにまで発展していた。 父が訴訟関係の書類を私に丸投げした為、花どころではない。
「この訴状は今日中に提出しなくてはならないのです。 すみませんが、ロクが持って行って下さい」
「まあ、そう言わず。 で、ついでみたいな感じでさ、先生に御飯をちゃんと食べるように言ってくれよ。 俺が言ったって聞かないから」
「ロクが言って聞かないなら私が言っても聞かないでしょう?」
「いいや、聞くね。 ま、試しに言ってみてくれ。 このままじゃ、先生、倒れちまう」
そう言われて仕方なく花を持って行った。 改めて父の顔を見ると目が落ち凹んでいる。 これ程とは思わず、全然気付かなかった事が申し訳なくなった。
「先生。 今日は食事を御一緒させて下さい」
その日から父は食事を摂るようになった。 それが不思議で、ロクに聞いた。
「どうして私が言えば聞くと思ったのですか?」
「だって先生はいつもお前の言う事なら聞いているじゃないか。 他の弟子が言ったって、ふん、それがどうした、て感じなのに」
「私の言う事を聞いた? 他にもありましたか? 例えばどんな?」
「ほら、先生が花壇を作ろうとした時とか。 お前、無駄です、て止めたろ」
「はい」
「あれには驚いた」
「しかしここは。 土が悪いので花は育ちません」
「いや、そこじゃなくて。 先生が素直に花壇を作るのを止めた事に驚いたんだ」
ロクにはそう言われたが、それは花を植えるか植えないかのようなつまらない事だからだろう。 例えば私がここから引っ越そうと言ったら父が言う事を聞くか? そうは思えない。
澱みが年々ひどくなっている。 こんな所に何年も住んで健康によい訳がない。 ダンホフ公爵家には数え切れない程別邸がそちこちにあるし、皇都の別邸なら本邸に負けない大きさだ。 本邸から動くなと言われた訳でもないのに、なぜ引っ越さないのか?
ともかく私にとってここは長々住みたい場所ではない。 ロクがいるから私がいなくなっても父が困る事はないだろう。
そして二十七歳になった年の秋、私は父に解呪に挑戦したいと伝えた。 すると父は金庫から一つの箱と鍵を取り出し、私に手渡した。
「ではこれをやってみろ。 お前の祖父から託された。 お前が解呪に挑戦する時、これをやらせてくれ、と」
そう言われ、すぐに挑戦すべきか少し迷った。 何か深い意味でもあるのだろうか?
あったとしても先に進まない限りその答えを知る事は出来ない。 長々迷えば迷う程良い結果が齎されるのなら迷う意味もあるが。 私は自室に戻り、箱を開けた。
すると中に置いてあった石が発光し、空気が動いた。 懐かしい匂いが漂う。
これは、卵焼き? 初めて祖父に会った日、そしてそれから何度も作ってくれた卵焼きの匂いだ。
影が現れ、それが形を成した。 祖父だ。
「ルガ、久しぶりだな。 どうだ? 稀代の呪術師になれたか? それともこれからなるのか? 道筋を誤るなよ」
そして掌を上向きにした。 また空気が動き、若い女性らしき影が現れて囁いた。
「愛するルガ。 幸せになってね。 あなたも呪術師になるの? お父さんのように。 うふふ」
そう笑いながら手をひらひら振っている。 それが空気を動かし、次に現れた影が祖母になった。
「ルガ、やっぱり呪術師になるのかい? 止めておいた方がいいんじゃないのかねえ。 そんな命懸けの仕事をしなくたってさ、他にいくらでもあるじゃないか」
これは何だ?
幻影術? 幻影が幻影を生み出した?
そんな複合術があるだなんて私が読んだどの本にも書いてなかった。 一体、これをどう解呪すればいい?
いや、その前に。 祖母に聞きたい事がある。 どうして私を置き去りにしたのか。
祖父にだって。 なぜ祖父である事を黙っていたのか。
そして母とも少しは話してみたい。 でも解呪したら、みんな消えてしまう。
では、解呪しない? 今ならまだ解呪を開始していないから引き返せる。
引き返す? つまり呪術師になる事を諦める? そんな事は出来ない。
だが姿だけを残しておくなら許されるのでは? もしかしたらこれは祖父から私への贈り物かもしれない。 私がいつでも家族に会えるように。
とは言え、姿だけを残すとは呪術の一部を解呪せずに残すという事で。 石はきれいにならない。 きれいではない石から何かが現れたとしても煙の塊程度だ。 術を掛ける前の石は相当高価な宝石だったはずだが、それが道端の石ころになる。
もし祖父が生きていて、きれいな石を使い、この呪術を掛けたとしても、これ程はっきり祖母と母を再現するのは無理のような気がする。 あの女性が本当に私の母なら二十六年前に死んでいるし、祖母が亡くなったのだって二十一年前だ。 祖父がいつ施術したのか知らないが、そんな昔に死んだ人の姿をありありと現し出すだなんて。 余程の宝石を使ったのだとしても石さえあれば出来るというものではないだろう。
ではなぜ父はこれを解呪するようにと言ったのか? 安全だから? 空気が安定していて暴走するようには見えない。 それは感じられるが、私にそんな感知能力があるとなぜ父が知っている?
それに解呪を開始したら時の流れを体感出来ない。 私にとってはほんの五分や十分にしか感じられなくても実際には丸一日過ぎていたという事があり得る。 その結果、水や睡眠不足で体が動かなくなり、死ぬ事もあるのだ。 暴走しない、即ち安全とは言い切れない。
父の本音は私に死んで欲しかった、とか?
まさか。 父が今まで私に掛けた手間暇とつぎ込んだ教育費を考えたら、それはあまりに馬鹿げた仮定だ。
ともかくいつまでもここで父の理由を忖度し、迷い続けた所で呪術師にはなれない。 これを解呪するのは嫌と言ったら、それが嫌ならこれをやれ、と次に渡された石がこれより難しい可能性だってある。
そこで、ほころびがないから私の呪術は解呪が難しいと言った父の言葉を思い出した。 それならほころびが見付けられればそこから解呪出来るという事では?
この呪術にほころびがあるとしたらどこだ?
幻影とは思えない程きちんとしているので確信はないが、母の髪のような気がした。 真ん中で二つに分け、左右の耳元でしばってある。 成人した女性がする髪型ではない。 笑顔もどこか幼い。 おそらく祖父は成長した母を見た事がないのだ。 又聞きか、昔の記憶を使って再現しているから祖母に比べて薄ぼんやりしているのだろう。
私はほつれている母の髪にそっと触れ、引っ張ってみた。 手応えはなく、するすると伸びて来る。 そのまま手繰り寄せ、毛糸玉を巻くように自分の手に巻き付け始めた。
編み物が解かれるように母が段々消えて行く。 その糸は祖母に繋がっていた。
このまま続けるのか? 母はともかく、祖母を消したくはない。 他の呪術師がやった解呪後の石を見ると何か残っている方が普通だ。 しかしどれだけ消せば安全なのか? 私には判断が付けられない。 それに三人の内の二人が残っている状態では解呪に成功したとは認められないだろう。 そもそも解呪の世界から抜け出せないのでは?
私はそのまま解き続けた。 祖父に繋がると糸が太くてしっかりしたものになり、祖父が一段と饒舌になった。 自分がもうすぐ消される事を知って邪魔しようとするかのように。
「あの家の屋根裏を見てみろ。 面白いぞ。 禁煙呪具が二百本ある。 俺が若い頃流行ってな。 禁煙呪具の変遷という展示会が開催されてから人気が再燃している。 それだけじゃない。 他にも高く売れる呪具が沢山ある。 不注意に捨てたりしないよう気を付けるんだぞ。 今は価値がなくたって五十年後、百年後に価値が生まれないとも……」
最後に祖父の温かい瞳が残った。 いつも私を見守ってくれていた瞳だ。
これも解く? ここまで来れば少しくらい消し残しがあっても安全だろう。 解呪の成功も認められるに違いない。 ただ父なら絶対私が残した痕跡に気付く。 他の呪術師なら気付かなくても。 気付いても何も言わないかもしれないが。
父を越えたい。 その時初めて自分がそう思っている事を自覚し、結局跡形なく全てを消し終えるまで解き続けた。
ふと気が付くと、私は自室で石の入っている箱を手にして椅子に座っていた。 石は静謐な水色の光を放っている。 呪術が掛かっている様には見えない。 ほっとため息をついたら石の囁きが聞こえた。
(おめでと)