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弓と剣  作者: 淳A
零れ話 V
422/490

解呪 3

 少々の事では動じないロクが真っ青になっている。

「おい、ルガ、お前は? お前はどうする?」

「どうするとは。 何をでしょう?」

「ダンホフさ。 先生に付いて行くのか?」

「はい」

「あ? 俺はてっきり、お前は呪術師になって独立したいんだと思っていた」

「そのつもりですが」

「そのつもりって。 お前、あのダンホフなんだぞ? 生きては帰れない事で有名な呪われた家と知って、そんな呑気な事を言ってるのか?」

「生きては帰れない? お抱えなら終身雇用でしょう。 生きては帰れないとは誤解を与える言い方ではありませんか」

「五十八で死んでも悔いはない、て?」

「享年五十八歳は早いと思いますが。 呪術師が奉公先で早世したから呪われたと決めつける事もないでしょう。 病気か事故だった可能性もあります」

「お前って奴は。 だから偶には世間話も聞いておけと言ってるじゃないか。 マ二オン先生の前、その前の前、その前の前の前と、どこまで遡ってもダンホフのお抱えで十年以上続いた呪術師はいないんだぞ。 マ二オン先生なんて勤続たったの五年だ。 それだけじゃない。 助手や見習も足抜け出来ない事で有名なんだぜ」

「居心地がよくて他に行く気になれなかったのかもしれません」

「どんなに居心地がよくたって事情があって辞めなきゃいけない奴の一人や二人、いるもんだろ。 それが何百年もの間一人もいないだなんて。 絶対おかしいじゃないか。 おまけに今まであの家に奉公してから呪術師になれた助手だって一人もいないんだ。 他の家なら助手が呪術師になったなんて別に珍しくもない話なのに」

「しかし付いて行かないとなると他の先生に入門するのですか? ワジルカ先生がお許し下さるでしょうか」

「そりゃ許して下さるさ。 ダンホフに行く前ならな。 だから発表の時一ヶ月以内に同行するかしないかを決めるように、とおっしゃったんだろ。 片道切符じゃなかったらそんなに長々考える時間をくれるもんか」


 念の為自分でも呪術師の過去帳を調べてみた。 確かにダンホフお抱え呪術師で勤続十年以上の者はいない。 享年が長寿と言える年齢の者、助手で呪術師になれた者もいなかった。 死因は過去帳に記載されないから分からないが、誰も長生きしていないのは事実。 根も葉もない噂ではなさそうだ。

 主が金貸しでは恨まれていても不思議ではないが。 父はなぜこのような曰く付きの出仕を断らなかったのだろう? 他の呪術師は死のうと自分は死なないと過信するような人ではないし、先月四十二歳になったばかり。 働き盛りで病弱な体質でもなく、どうせ間もなく死ぬと捨て鉢になる理由もない。

 それにロクは人の気分の変化を読み取る事に長けている。 父とはよく雑談もしているから、もし父に死にたくなるような心境の変化があったとしたら教えてくれたはず。


 では何か断れない理由があった?

 金絡みとは思えない。 父のような人気呪術師の年収はお抱え呪術師の年収よりずっと多い。 父の収入を正確に勘定した事はないが、百万ルークを越える依頼が月に何度もある。 父の給金がいくらか知らないが、吝嗇で知られるダンホフだ。 現在の年収を上回る給金は出さないだろう。

 ダンホフから借金しているとは聞いていない。 父は贅沢を好まないし、好んだとしても困らないだけの資産を既に持っている。 今だって引き受けるより断る依頼の方が多いのだ。 金が必要なら仕事を増やせばいい。 それに自分の資産では間に合わない程の巨額の金を借りたいのなら呪術師組合から無利息でいくらでも借りれるのだから、わざわざ高利貸しから借りる必要はない。


 もしかしたらマ二オン先生の死因絡み?

 父は謎解きが好きだ。 趣味と言ってもいい。 それで他の呪術師が失敗した解呪に挑戦する事がよくある。 ただ代々の呪術師の死因が解呪に失敗したせいとは信じ難い。

 呪術の世界は何でもありのようでいて、実際は金、技、そして運に左右される。 何百年も継続する呪いが存在する事自体、眉唾もの。 仮に事実だとしても十年続く呪術でさえ相当な熟練を要するし、それを収納する石が必要だ。 道端に転がっている石を拾ってきても使い物にはならない。 強度と純度に優れた石だと大抵美しいから宝石として売買されている。 つまり高額な上に小さい。

 今まで様々な石を見る機会があったが、十年間続く呪術を収める石でさえ百万ルークはする。 何百年も続く呪術を収める石だなんて、どれだけの金を積めば手に入るのか想像もつかない。 それに金を積んだから見つかるというものでもないだろう。 そんな石に出会えるかどうかは運だ。

 金、技、石の三拍子が揃っていたとしても、そこまでして呪う対象がお抱え呪術師とは。 対象があまりにちゃちでは?

 人気商売だから嫉妬されるし、呪術を掛けられた事を恨む人もいるだろうが、所詮は一奉公人。 言葉は悪いが単なる手先だ。 呪術師を恨む為に大金をかけたら、その呪術師に依頼した人を恨む余裕がなくなる。 ダンホフ公爵は天寿を全うしたと言える年齢で亡くなった人ばかりだ。

 それに公爵と違って次の呪術師が前任者の血縁である事はまずない。 将来のダンホフ家お抱え呪術師まで恨む必要がどこにある? ダンホフ公爵なら末代まで呪ってくれと依頼する人がいくらでもいるだろうが。

 ダンホフのお抱えになりたかったのになれなかったから、とか? だが呪術師にとって誰のお抱えかは大して重要ではない。 普通は爵位より同業者の技術評価の方を気にする。

 或いは呪術師という職業自体を憎んでいるとか? それならダンホフお抱えに拘る必要はないような。


 それにしても数百年もの間続いている呪術か。 そういうものが実在するなら是非見てみたい。

 ……まさか、これが父の理由?


 明日が返答の締め切りという日、ロクに聞いた。

「どうするか決めましたか?」

 ロクも私と同じ日に助手になった。 見習なら修業中に何人か違う先生に入門するのはよくある事だが、助手になってから移るのは簡単ではない。 今回の場合、移籍を希望するなら推薦状を書いて貰えるという話だが。

「う、まあ、な。 まだ迷ってると言えば迷っているんだが。 先生に付いて行く事にした」

「と言う事は、呪術師にならなくても構わない?」

「構わない、て訳じゃないけど。 俺は解呪に挑戦したって失敗するような気がするんだ」

「意外に弱気ですね。 呪術の手順をよく間違えていたステンガードさんでさえ呪術師になれたとは思わないのですか?」

「うーん。 だけど命あっての物種とも思うし。 呪術はうまくても解呪に挑戦しない人が結構いるのは、やっぱりそう思うからなんじゃない? ステンガードさんなんて初めて解呪に挑戦する日の朝、夜のおやつに防壁術を掛けてから行ったんだぜ。 先生から許可を貰っていないのに」

「えっ」

 解呪は先生にしか出来ないから些細な術であっても事前の許可が要る。 無許可で施術したら破門だ。

「帰ってから自分で解呪するから、てさ。 それを見て思ったんだ。 解呪に成功するのは、失敗するかもとは欠片も考えない奴なんじゃないか、て。 俺には、たぶん、無理。

 どうせ助手で終わるなら呪術師になれないのは大した問題じゃない。 それにマ二オン先生に師事していた助手や見習はぴんぴんしてる。 て事は、助手の命は大丈夫なんだろ。 他に入門したい先生はいないし。 お前は?」

「付いて行きます」


 私が最も尊敬している呪術師は父だ。 子供の頃は呪術師というだけですごいと思っていたが、父の仕事を間近に見るようになり、他の呪術師との違いが分かるようになった。 特に解呪の素晴らしさは他の追随を許さない。 密かに自分の目標にしている。

 普通は一度術を掛けられると解呪されても石には傷と言うか、痕跡が消えずに残っているのだが、父が解呪した石にはそんな痕跡が少しも感じられない。 そして石から嬉しそうな残響が聞こえるのだ。 汚れが落とされて嬉しい、みたいな?

 生き物でもあるまいし、石が嬉しがるか、と言われればそれまでだが。 他の人が解呪した石から同じ残響を聞いた事はない。


 父以外の呪術師を手伝った事がない私の評価ではあてにならないかもしれないが、顧客の家に行けばいつも畏敬の念で出迎えられるし、他の呪術師からも深く尊敬されている事が窺える。 シェベール先生の直弟子という立場は羨ましがられはしても、それだけで尊敬されたりはしない。 父に入門したい見習や助手が引きも切らないのも世間の評価が如何に高いかを物語っていると思う。

 他の先生に入門しても呪術師になれるかもしれないが、解呪は一か八か。 命懸けの綱渡りだ。 最高の師から学んだ方が成功の確率が高いような気がする。

 私は父に付いて行くと返答した。 父は頷いただけで理由を聞いたりしなかった。


 初めて公爵本邸に到着した日の事は今でもはっきり記憶している。 敷地内に足を踏み入れただけで泥が纏わり付いて重くなったように感じた。 呪術が暴走している? しかしそれなら風と混じるはずで、こんな風に重たく足を引っ張ったりしない。

 あまりに異質で、ぞっとした。 もし父が一緒でなかったら後先を考えず逃げ出していただろう。 不思議な事にロクは平気な顔をしている。 他の助手と見習は全員付いて来る事を辞退したが、マ二オン先生に師事していた助手二人と見習三人が私達を出迎えてくれた。 その人達も平気な顔をしている。 彼らの場合、慣れもあるのかもしれないが。

「ロクは平気なんですか?」

「平気、て何が?」

「足が重いでしょう?」

「重い? 俺には何も感じられないけど?」

「そうですか。 では私の気のせいでしょう」


 気のせいでない事は分かっていたが、目に見えないだけにどう説明したらいいのか分からないし、皆の前で父に質問するのは憚られた。 だが一週間経っても一ヶ月経っても重さが消えない。 暴走した呪術ならどんなに強烈なものであってもその日の内か、遅くても翌日には消滅するのに。

 父も平気な顔をしているが、平気な顔を見せているだけだ。 その証拠に、ここに住むようになってから術を掛ける時に履く靴を常に履いている。 靴底に防御術を掛けた石が入っているから履き心地はよくないのに。

 誰かが掛けた呪術の所為で空気が澱んでいるのなら、その呪術を閉じ込めている石が邸内にあるはずだ。 標的も。 最初は父を狙っているのかと思ったが、特定の人を攻撃しているような動きが感じられない。 ただ静かに澱んでいる。


 ダンホフ公爵家本邸付属の図書室は私が今までに訪れたどの図書館より大きくて充実していた。 この奇妙な現象が呪術なのか、何らかの説明が見つかるかもしれないと思って文献を探したが、一ヶ月探しても何も見つけられない。 仕方なく父に質問した。

「先生。 この澱みは何でしょう?」

「行き場を失った呪術が停滞した結果だろう」

「やはり呪術なのですね。 なぜ消滅しないのですか?」

「大きさも質も完璧に同じな石二つを使っているからだ。 おそらく同じ石を正確に二つに割り、それから最初の石に呪術を掛けた。 もう一つの石を終着点にし、着いたら最初の石に合図を送るように設定する。 そして終着点の石にも同じ呪術を掛け、最初の石に辿り着いたら合図を送るようにしておく。

 だが終着点に空きはない。 同量同質だから拮抗して、入って来ようとする呪術を跳ね返す。 跳ね返されたから終着点に辿り着いたという合図を送れない。 合図が来ないから石は失敗したと思って新しい呪術を発信する。 その繰り返しだ。

 入れなかった呪術は入ったという合図が送れないだけで暴走しているのではない。 正常稼働している呪術だから消滅しないのだろう」

「その呪術は一体誰を標的にしているのでしょう? 私には分からなかったのですが」

「ダンホフ公爵家だ」

「しかしダンホフ公爵を攻撃しているようには見えませんでした」

「公爵の命を狙っている訳ではないからな。 特定の誰かを標的にすれば、その者の命が絶えた時、呪術も終わりを告げる。 これを仕掛けた呪術師はダンホフを末代まで呪いたかったらしい。 マ二オン先生は、正嫡子が爵位を継げないように呪っていると言っていた。 人が標的ではないからダンホフ公爵家が存続する限りこの呪術が終わる事はない。

 世間には兄弟間で資産を殖やす競争をさせ、勝った者が家督を継いでいるように見せているが。 誰が勝とうと、これが解呪されない限り正嫡子が爵位を継ぐ事はないだろう」

「先生はこの石の解呪に挑戦なさりたいからお抱えになったのですか?」

「いいや。 石は既に解呪不能と鑑定されている。 私の仕事はこれ以上被害が広がらないようにする事だ」

「具体的には何をなさるのでしょう?」

「一つ二つ試す気ではいるが。 どれにするかまだ決めておらん」

「石を見せて戴けますか?」

「今はまだだめだ。 お前が呪術師になったら見せてやる」

「ダンホフお抱えになった呪術師の助手で呪術師になれた者はいないと聞いているのですが」

「ああ。 お前が最初になるな」

 実にあっさりと言われ、驚いた。

「先生は以前、呪術師になれるかどうか事前には分からない、とおっしゃいませんでしたか?」

「普通はな。 だがリスナーの息子なら別だ」

「リスナー?」

「他人が掛けた呪術の解呪の鑑定が出来る者をそう呼ぶ。 お前もリスナーかどうかは呪術師になってからでないと分からないが」

「先生がリスナーとは存じませんでした」

「私ではない。 リスナーはお前の実父、ルデ・タイマーザだ」


 その時初めて実父の名を知った。 なぜか私の実父の名は父も知らないと思い込んでおり、今まで聞こうと思わなかった。 これ程身近に実父がいたとは。

 タイマーザ先生は父と同じくシェベール先生の直弟子だ。 私達がダンホフ本邸に転居するまで約八年間、同じ家に住んでいた事になる。

 但し、同居と言ってもタイマーザ先生は常にシェベール先生と一緒に行動されていた。 父がシェベール先生の旅に同行した事はない。 いつもシェベール先生が旅行中か、でなければが父が旅行中だったから、私がタイマーザ先生にお目にかかった事は一度もなかった。

 同時に家にいた時もあったと思うが、広い家だ。 面会を申し込まない限り偶然会ったりはしない。 そして私に面会を申し込む理由はなかった。

 何しろ父はタイマーザ先生の悪口を口癖のように言っている。 例えば誰かが菊の葉とハリエンダの葉を間違えたりすると、ルデみたいな間違いをしやがって、この間抜け、と怒鳴っていた。 葉の形こそ似ているがハリエンダは無臭だから、怒鳴られて当然の間違いではあるが。

 呪術師でそのような間違いをするとはちょっと考えられない。 タイマーザ先生が見習の時にした一度の間違いを父がしつこく覚えているのかと思ったら、違った。 どうやら本当にそんな間違いをよくする御方らしいのだ。 タイマーザ先生の弟子のパエスノさんから聞いた愚痴だから信憑性はある。

「自分がやらかした間違いで死んだ、ていうならまだ諦めもつくさ。 でも自分の先生がやった間違いで死んだら諦めきれるか? まーったくもう、うちの先生ときたら。 解呪の腕は確かなんだけど」


 タイマーザ先生が父に会いに来た事はない。 理由は分からないが、父とタイマーザ先生は犬猿の仲なのだと思っていた。 ロクが聞いた噂によると、タイマーザ先生は父が行う術の準備を手伝っていた時に香木を間違えた事があったのだとか。 術を掛ける時は必ず香木を使う。 それを間違えたら術が掛からないだけでなく、失敗して死ぬ事もある。

「ロンセとセンパをどうして間違えられるんだか。 笑って忘れる、てのは難しいよな」

「実は故意だった、とか?」

「そんな間違いをよくやる人なんだって。 今始まった話でもないんだ。 タイマーザ先生、シェベール先生の前はバサンス先生に師事していたんだけど、そこから蹴り出されたのもうっかりが原因らしい。 で、いろんな先生の門を叩いた。 ところが入門試験で必ず大ポカをやらかす。 それで全部断られた、て話」

「そうは言ってもシェベール先生の入門試験には無事合格したのでしょう?」

「お前、知らないの? シェベール先生は入門試験をやらない事で有名なんだぜ。 面接一回。 それで決まり。 弟子は顔で選ぶ主義なんだと」

「顔? タイマーザ先生はそれ程美男子なのですか?」

「いや、並。 フィズボン先生だって、別に。 ワジルカ先生は下手な俳優よりいい男だけどさ。 たぶん顔と言っても面食い、て意味じゃないんだろうな。 いるだろ、顔立ちは並でも振り返りたくなるようなオーラがある人。

 あ、ただタイマーザ先生の声。 ありゃ中々だぜ。 皇都の大舞台に立っても通用すると思う。

 そう言えば、お前もいい声しているよな。 タイマーザ先生とそっくり。 お前は言葉が丁寧だから間違えたりしないけど。

 な、一回玄関で、くそっ、誰かおらんのか、て言ってみたら? きっとタイマーザ先生の助手がすっ飛んで来るぜ。 ははは」

 そう言われても、まさか親子だとは思わなかった。 滅多に家にはいない人だから私生活に関する噂を聞いた事もない。 なのに子供がいて、しかもそれが私?


 私を養子にした時、父は二十八歳だった。 もし私がその年で突然五歳児の父になってくれと頼まれたら、頼んだ人が無二の親友であったとしても断っただろう。 単なる同門の誼みでそこまでするか? しかも仲が良いとは言えない同門だ。 タイマーザ先生に借りがあるとか、恩義があるなら悪口三昧にはならないだろうし。

 とは言え、父が孤児になる私への憐憫の情に駆られたとは尚更信じられない。 また、将来呪術師になれそうな子だから、という理由でもないだろう。 当時父は既に呪術師だったが、タイマーザ先生はまだ助手。 リスナーである事は分かっていなかったはずだ。 僅か五歳の子が将来呪術師になれるかどうかは博打も同然で、博打嫌いの父がそんな賭けをするとは思えない。

 それに父は気前が良い性格でもないのに大金をかけて私に様々な習い事をさせた。 ダンホフお抱えとなった今ならどれも大変役に立つが、そんなに昔からいつかお抱えになると分かっていたはずはない。

 父の両親は貧乏ではないと言うだけの平民と聞いている。 遺産を相続したとか金の使い道に困った末の散財でもないだろう。 私を単なる義務で育てたのだとしたら、なぜここまで金をかけたのか? それともタイマーザ先生から養育費を貰っていた? そこが気になったので父に訊ねた。


「私の養育に関してタイマーザ先生と何かお約束でもなさったのでしょうか?」

「あいつは自分に子供がいる事を知らん」

 知らないならタイマーザ先生から養育費をもらっているはずはない。 増々混乱して聞かずにはいられなかった。

「ではなぜ私を養子にしたのですか?」

「なぜ、か。 なぜだろうな。 あいつから何かを奪い取ってやりたかったのかもしれん。 腹いせ、みたいなものか」

「先生は何を奪われたのか、伺ってもよろしいですか?」

「シェベール先生だ。 あいつが来る前は、どこであろうと先生に同行するのは私だった」

「しかしタイマーザ先生が子供を奪われたと知らないなら腹いせになっていないのでは?」

「知らなくていい。 第一、あいつは私からシェベール先生を奪ったとは夢にも思っていないだろう。 先生に気に入られる為に何かをするような可愛げのある男ではないのだ。 自分が気に入られている事にさえ気付いているかどうか。 人の気持ちなど、これっぽっちも理解しない。 石の気持ちならよく分かるらしいが。

 シェベール先生もリスナーだ。 あいつの能力を見抜いて弟子にしたのだとしたら贔屓するのは当然で、持って生まれた才能のせいで恨まれたら、あいつもたまったものではないだろう」

「タイマーザ先生は自分の子供を何とも思わなかったから捨てたのでしょうか?」

「詳しい事情は知らん。 お前の祖母によると、お前の母があいつの修業の妨げになりたくないと言ったらしい。 それで孕った事、子供が生まれた事も知らせず、戸籍の父親欄を空白にした。 そこに私の名前を書き入れさせたのはそうしないと養子手続きが面倒だからだ。 あいつに息子だと名乗りたいのなら私は構わんぞ。 会いたいのならこちらに立ち寄るよう、手紙を書くが」

「いいえ、結構です」

 私にとって実父がリスナーというのはプレッシャーでしかない。 知っている人は少ない方がよい。


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