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弓と剣  作者: 淳A
零れ話 V
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解呪 1  呪術師、ルガ・ワジルカの話

ルガ・ワジルカ(ルデ・タイマーザの実子でヴァル・ワジルカの養子)の話です。

「ルガ、お前のお父さんに会いに行くから付いておいで」

 そろそろ夏を感じるある朝、祖母にそう言われた。 私が五歳の時だ。

「お父さん? 僕にお父さんがいたの?」

「そりゃいるよ。 誰にだってね。 会った事はなくてもさ」

 父がいない子は近所に何人もいたから自分にいなくても変とは思わなかったが、そう言われてみれば、母と祖父の命日なら今日だよと言われた事があったのに、父の命日はなかった。

 ともかく私の父が話題に上った事なんてそれまで一度もなかったし、生きていようと私にとって知らない人である事には変わりない。

「でも今日はエキと約束したんだ。 一緒に釣りに行くって」

「ルガはお父さんがどんな人か知りたくないのかい?」

「知りたくない」

「……ふうん、そりゃ残念だねえ。 せっかく乗り合い馬車に乗れるっていうのに」

「え? 乗り合い馬車?」

「お父さんが住んでいるのは遠くの町だからね。 何回も乗るんだよ。 まあ、行きたくないって言うなら仕方ないねえ」

「行きたいっ!」

「へえ。 どっちに?」

「乗り合い馬車っ!」

「あはは。 じゃ、行こうか」

「うん!」

 小さい馬車なら乗った事があったが、乗り合い馬車に乗った事はそれまで一度もなかった。 友達の中にも乗った事がある子は一人もいなかったから、私が乗ったと知ったらエキだってきっと羨ましがる。 私は喜び勇んで出掛けた。 なぜ突然父と会う事になったのか、おかしいとも思わずに。


 最初の乗り合い馬車を下りて次のに乗り換える時、祖母の旅行鞄がとても大きい事に気付いた。

「おばあちゃん、すっごく大きい鞄だね」

「あ、ああ。 長旅だし。 今晩は、宿屋に、そう、宿屋に泊まるから着替えがいるんだよ」

「宿屋? 宿屋って何?」

「遠くへ行く人が途中で泊まる所さ。 いいかい、宿の中に入ったら走ったり騒いだりするんじゃないよ。 いくら広くたって他のお客さんも泊まっているんだから」

「うん、分かった」

 自分の生まれた町から出るのはその日が初めてだった。 どこにも寄り道しなかったが、馬車の窓から見える景色。 途中の町で入った食堂。 そこで出された御飯。 その日の夜に泊まった宿屋。 何から何まで物珍しく、少しも退屈しなかった。


 次の日も乗り合い馬車を一回乗り換え、辿り着いた町で二人乗りの小さな馬車に乗った。 それは賑やかな町並みから外れ、あるお屋敷の門の前で止まった。 祖母が私に下りるよう促す。

「着いたよ」

「うわあ。 大きい!」

 どこまでも生け垣が続いている。 まるで貴族のお屋敷だ。

 最初は遊ぶ場所が沢山ありそうだと喜んだが、門に近づいて中を覗いたら屋敷の正面に窓がない事に気付いた。 元は窓だったみたいな長方形のくぼみはあるが、そこには石が嵌め込まれている。 内と外のどちらからも開けられるようには見えない。 これでは昼でも真っ暗だろう。 祖母の家から少し離れた所にある、子供達が幽霊屋敷と呼んでいるぼろ家でさえ窓くらいあったのに。 こんなお墓みたいな所に人が住めるのか、と思った事を覚えている。

 顔を顰めて祖母に聞いた。

「おばあちゃん、この家、窓がないよ。 お父さん、ほんとにここに住んでるの?」

 小さくため息をついて祖母が答えた。

「ここで働いているんだよ」

「じゃ、通い?」

「さあてね。 それはおばあちゃんにも分からないから、お父さんに会ったら聞いてごらん」

 うん、と返事をしそうになったが、止めた。 どうせ顔を見たらすぐに帰るんだし、父がどこのどんな家に住んでいようと自分には関係ない。 その時はまだそう思っていた。

 ただこれ程広いお屋敷なのに門番が一人もいないのは不思議だった。 しかも門が少しだけ開いていて誰でも入れるようになっている。

 祖母になぜ開いているのか聞こうかと思ったが、最後に乗った馬車の運転手が祖母と私と荷物を下ろしたら逃げるように走り去った事を思い出した。 それまではどの運転手も自分から進んで祖母の鞄を運ぶのを手伝ってくれたのに。 こんな不気味な家、泥棒だって入りたくないだろう。 だから鍵なんて要らないのかも、と思った。

 私だってわざわざ遠くから来たものの、出来れば入りたくない。 父に会えなくてもいいから。 でもここでぐずったら祖母を困らせる。 そう思ったから我慢した。


 門をちょっと押して中に入ると、色とりどりの花が咲き乱れていた。 祖母は花が好きだ。 道端に咲いている花でも、きれいなお花だねえと言って立ち止まって匂いを嗅いだりする。 こんなに沢山あったら嬉しがるはずなのに、脇目も振らず正面玄関を目指して歩いて行く。 そのまま階段を上って行くのかと思ったら、立ち止まった。

「おばあちゃん?」

 何だか様子が変だ。 不安になって祖母の手を握った。 いつもなら握り返してくれるのに黙って握られるままになっている。 そして後ろを振り向いた。 後戻りするみたいに。

「家に帰るの?」

 祖母は小さく首を横に振って向き直り、私の手をぎゅっと強く握りしめ、階段を上った。

「おばあちゃん、痛いよ」

「あ。 ごめん、ごめん」

 祖母が玄関のドアを叩こうとすると、その前に向こうから開いた。 灰色の服を着た男の人が立っている。 その人の首に掛けてあった石が私をじろっと見るかのように光った。 近寄り難いと言うか。 近寄ったら危ないと言うか。 もしかしたら、呪術師? 少なくとも大工さんや八百屋さんとかの、私が知っている商売をしている人には見えない。

「入れ」

 その人は誰かに聞かれる事を恐れるかのように低い声で言った。

「お邪魔します」

 深くお辞儀して祖母が入る。 私も続こうとしたらその人に肩を掴まれ、押し戻された。

「お前は外で待っていろ」

 家に入らずに済んでほっとした。


 祖母を待っている間、ぼんやり考えた。 ここは呪術師の家なのかもとか、ひょっとしたらお父さんは呪術師なのかなとか。

 そうだったらすごい。 乗り合い馬車に乗った事よりすごい。 帰ってみんなに教えたら驚くだろう。

 だけど祖母が今までなぜ教えてくれなかったのか分からなかった。 誰にだってすごく自慢出来る事なのに。

 男の子なら将来なりたいのは剣士か呪術師だ。 改めて思い出してみると、私は祖母に呪術師になりたいと言った事があったが、その時の祖母は少しも嬉しそうではなかった。


「呪術師ねえ。 なんでそんなものになりたいんだい?」

「あのね、花を枯れなくする術があるんだって。 それでね、おばあちゃんにたくさん花束を作ってあげる!」

「そうかい。 ルガは優しい子だね。 でもおばあちゃんは枯れる花の方が好きなんだよ」

 枯れない花束を作ってあげたら絶対喜んでもらえると思っていたのに、そう言われてがっかりした。

「どうして枯れる方がいいの?」

「花は枯れるからきれいなのさ」


 何だか納得出来ない答だったが、真剣に呪術師になりたかった訳でもないから話はそこで終わった。

 あの時どうしてお前のお父さんも呪術師なんだよと教えてくれなかったのか? まだ呪術師ではなかったから? だとしても呪術師になる修行をしていると教えてくれたっていいだろう。

 呪術師になるのは止めなさいとは言われなかったが。 何となく祖母は私が呪術師になる事を望んでいないように感じた。 はっきり反対しなかったのは、わざわざ反対しなくても呪術師になるなんて無理と思っていたからのような気がする。

 私が住んでいた町にはミズおじさんという物知りがいて、その人にどうしたら呪術師になれるか聞いた事があった。

「そりゃ呪術師に弟子入りするのさ。 それしか道はないね」

「ねえ、ミズおじさんの知り合いに弟子入りさせてくれそうな呪術師、いない?」

「呪術師なんてこの町に来た事さえないんだぞ。 どうやって知り合いになれるんだか、こっちが聞きたいね」

 そう言われたが、いつか会えるかもしれない。 会えたら弟子入りさせてもらうつもりだった。


 父が呪術師なら話は簡単だ。 そうでなかったとしてもこんなに大きな家で働いているなら一人くらい呪術師を知っているだろう。 私を弟子入りさせてくれるよう、父に頼んでもらえばいい。

 弟子入りが無理なら一つでいいから呪術を教えてもらえないかな? 教えてもらえるんだったら何がいいだろ。 祖母を待ちながらそんな取り留めもない事を考えた。


 しばらくして祖母があの男の人と一緒に戻って来た。 祖母がにこにこ笑いながら言う。

「ルガ。 今日からこの人がお前のお父さんだ。 言う事をよく聞いて、いつかお前も立派な呪術師になるんだよ」

 呪術師になれる事は嬉しいが、私はすっかり待ち疲れていて喜ぶ元気はなかった。 それに今日からこの人がお父さん、て。 昨日までは別の人がお父さんだったみたいな言い方だ。 まあ、いつからだろうとお父さんはお父さんだ、と思い直したが。

 とにかくお父さんに会えたのだし、呪術を教えてもらうのは後でいい。 お腹が空いていたから早く家に帰りたかった。 ここで食べ物を強請ってもいいのか迷っていると、腹の虫がぐうっと鳴いた。 父はそれを予想していたかのようにポケットから焼き菓子を取り出した。 ぐずぐずしていると大人は気が変わったりするからすぐに食べた。 サクサクして甘い。 もっとないのと聞きたかったが、行儀が悪いと祖母に叱られるような気がして我慢した。

「食べ物を貰ったら食べる前に礼を言いなさい」

 注意されたから頷いたが、せっかく強請るのを我慢したのに褒められなかった事が面白くない。 それが顔に表れていたのだろう。 父が苦々し気に言った。

「返事は?」

「うん」

「その年でまともな返事も出来ないのか?」

「ルガ。 返事をする時は、はい、お礼を言う時は、ありがとうでしょう?」

「はい。 ありがとう」

「学校に行かせる前に家庭教師を付ける必要があるようだな」

「申し訳ありません。 私の躾が至りませんで」

 祖母は深く頭を下げて謝った。 謝る事なんかないのに。 食べ物を貰うなんて滅多になかったが、貰った時にはいつもちゃんとお礼を言って、何を貰ったか祖母に見せてから食べていた。 今お礼を言わなかったのは、この人が私のお父さんと紹介されたからだ。 自分のお父さんに食べ物を貰ったからってお礼を言うか? そんな事をしている友達なんて見た事ない。

 むっとして、お父さんはお父さんでも普通のお父さんじゃないの? と聞きそうになったが、余計な事を言えばもっと祖母を困らせるような気がしたから黙っていた。

「あの、ルガの事、どうか、どうか、よろしくお願いします」

 祖母はそう言いながら深くお辞儀して中々頭を上げなかった。 その縋るような言葉に父は軽く頷いただけだ。 いくら子供だってそこで、お父さんはその年でまともな返事をしなくてもいいの、と聞いたりする程バカではない。


 父は祖母と私をその家から少し離れた所にある小さな一軒家に連れて行った。 そこには父よりずっと年上に見える男の人が住んでいた。

「シャノッド。 これは私の息子のルガだ。 家庭教師を見つけておいてくれないか」

 そう言って祖母の旅行鞄と財布らしき袋をシャノッドに手渡した。 祖母の家からこんなに離れた町で、なぜ家庭教師を探すのかよく分からなかったが、そこは小さくても窓がちゃんとある家だったし、それより食べ物が何かないかが気になった。

 父はその家に私を置いて祖母と一緒にどこかへ出掛けて行った。 祖母は手提げ鞄一つだったし、私に何も言わないで行ったから、すぐに戻って来るんだろうと思った。

「ルガ坊ちゃん。 腹は空いてるかい?」

「うん。 ぺこぺこ」

「卵焼きならすぐに出来るが」

「卵焼き、大好き!」

 お腹がいっぱいになった途端眠くなり、居間にあった長椅子の上で横になった。


 起きたら朝だった。 祖母を捜したが、どこにもいない。

「シャノッドさん、おはよう。 おばあちゃんは、どこ?」

「おはよう、ルガ坊ちゃん。 悪いが、おばあさんの事は聞いてないんだ。 あと、私を呼ぶ時はシャノッドでいい。 この家はルガ坊ちゃんのお父さんのものでね。 私はその管理を任されている奉公人のようなものだから」

 私の部屋だと言われた所には大きな旅行鞄が置いてある。 祖母がこれを持って帰らない訳がない。 それで少し安心したが、晩御飯の時になっても祖母は戻らなかった。 祖母がいつ戻るのか父に聞きたかったが、父も帰らない。

「シャノッド、お父さんはいつ帰るの?」

「すまないが、お忙しい方だから私にも分からない。 たぶん今日お帰りにはならないと思う」

 そう言って旅行鞄を指差した。

「これにルガ坊ちゃんの着替えが入っていると思うんだが。 開けてもいいかい?」

「うん」

 シャノッドが旅行鞄を開けたら、中に入っていたのは全部私の物だった。 今の季節の服だけじゃない。 冬用のジャケットや手袋、ブーツまで入っていた。 でも祖母の物は一つもない。 すると自分の荷物を取りに家に戻ったのか?

「ねえ、シャノッド。 おばあちゃんはここに戻って来るんだよね?」

「すまんが、私も知らん」


 シャノッドは毎日どこかに出掛ける。 外から戻って来る度に祖母の事を聞いたが、同じ答が返って来るだけだった。

 祖母の家はポンス通りにある。 ポンス通りをしばらく歩くとバレチャード街道に繋がっているから、バレチャード街道まで連れて行ってもらえれば自分で祖母の家に帰れる。 でもここから歩いて辿り着ける距離ではない事は子供でも分かった。 馬車に乗らないと。 それには行く先の町の名前を知っていないと乗せてもらえない。

「シャノッド。 バレチャード街道があるのはどの町だか知ってる?」

「バレチャード街道? さあて。 聞いた事ないから近くの町じゃないな」


 家に家庭教師が来るようになったから、その先生にも聞いてみたが、やっぱり知らなかった。 それに馬車に乗るにはお金が要る。 食べ物や着る物ならシャノッドがくれたし、玩具でも欲しいと言えば買ってもらえたが、お金はくれなかった。

 父なら祖母の住んでいる町の名前を知っているだろうし、帰る為のお金をくれるんじゃないかと思い、父が来るのを今か今かと待っていたが中々来ない。

 勇気を振り絞って窓なし屋敷にも行ってみたが、いつ行っても門が閉まっている。 錠が掛かっているようには見えないのに押しても引いても動かない。 この家は父の家ではなく、父の先生の家だとシャノッドが言っていた。 敷地は刺に覆われた生垣に囲まれているし、それを無理やり乗り越えて入り込んだらどれ程父に叱られるか分からない。 実行する勇気はなかった。


 一年ぶりに父と会えた日、真っ先に祖母の住所を聞いた。

「挨拶抜きか?」

「え? あ、お父さん。 お帰りなさい」

「私の事は父上と呼ぶように」

「はい。 ……父上」

「お前の質問だが、それを聞いてどうする。 お前の祖母は二ヶ月前に亡くなった。 今あの家に住んでいるのはお前の知らない家族だぞ」


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