やせ我慢
北の長い、長い冬。 ちょっとブルーかも。
せっかく将軍に連れて行ってやると言われたのに、サガ兄上の結婚式や新年の軍対、やせ我慢して断った。 やっぱり行っておけばよかったかな。 そしたら母上に会えた。 奉公人のみんなにも。
だけど新兵なら誰だって最初の一年、帰省や遠出の許可は下りない決まりだ。 なのに俺だけ行ける、というのが嫌だった。 それでなくとも俺のような世間知らずはきっとどこかで思わぬぽかをやっている。
学校でみんなからつまはじきにされた記憶が蘇る。 自分が世間知らずである事をよく知っているのは、兄上達のように自宅で家庭教師に教えられたのではなく、普通の領民の子弟が行く学校に通ったからだ。
同級生に乱暴したり迷惑をかけた覚えはない。 勉強の進みが遅かったから先生には随分迷惑をかけたと思うけど。 でも俺がばかだから仲間外れにされたんじゃない。 領主の息子だから敬遠されたんだ。
例えば男の子同士での戦争ごっことか絶対混ぜてもらえなかった。 怪我でもされたら家に帰ってから親に折檻される、と言われては無理強いも出来ない。
かと言ってトランプみたいな怪我をする心配がない室内ゲームでもだめだった。 他の奴らがやる時は飴とか玩具とか何かを賭ける。 取ったり取られたりするけど、俺が混ざると途端に賭はなしになった。 俺が負けても俺から取る事が出来ないから。
俺は取られたって文句を言ったりしない。 取られたと告げ口した事もないし、父上や母上は子供のトランプの勝ち負けに口を出すような人じゃないんだ。 そもそも俺が学校で何をしているかなんて全然知らない。 父上も母上も忙しい。 家にほとんどいないし、どちらかと言えば放任で。 俺が学校で何をしたかを聞かれた事も、こちらから教えた事もなかった。 だから賭で負けたって知る訳がない。
母上は父上よりは家にいたから時々おしゃべりする事もあったけど。 子供の遊びにいちゃもん付けるような人じゃないし。
ただ俺の持っている物はどれも上等だから。 誰が見ても他の子が持っている物とは違う、て事がすぐ分かるようになっていた。
入学して間もない頃、俺が負けて飴を取られた事があった。 どうやら家でその子の親が、この飴は一体どうしたと聞いたみたい。 で、俺の家に親子で謝りに来た。 そんな事が二、三回あれば子供だって学習するだろ。 いくらタマラ執事から気にしないようにと言われたってさ。 きっと俺の家に来る前に親からがっつり叱られたんだろうな。 どの子も真っ赤に泣きはらした目をしていた。
俺が他の子と同じような物を持っていれば誤摩化せたんだが。 そういう物はどこで売っているのか、どうすれば買えるのか、俺には分かっていなかった。 その子に聞けばいいじゃないか、と今なら思うけど、買える場所を知っているだけじゃ買えない。 お金がないと。
俺は北軍に入隊するまで自分一人で買い物をした事がなかった。 お店に入って買った事はある。 でもいつも奉公人と一緒で、奉公人がその店に連れて行ってくれて金を払っていた。 だから自分が持っている物でもどこで買った、いくらしたと聞かれても知らないとしか答えられない。 それで他の子に聞いたって知らないだろうと思ったんだ。
もっともどこで売っているかが分かった所で俺の家からじゃ遠過ぎる。 敷地内にある森で狩りをする時だって馬がなきゃその日の内に帰れない。 敷地外へ行く時は必ずタマラ執事に行き先を言い、誰かに付いて来てもらう決まりになっていた。
外に行けたとしても俺は子供の頃自分のお金というものを持っていなかった。 だから何も買えない。 普段はお金を見る事さえあまりなかったし。 まあ、それは俺だけじゃなく家族全員がそうだった。 現金で払っている場面を見たのは偶に父上母上のお供をして皇都の劇場やレストランに行った時くらいか。
母上が領民にお金を恵んでいる所なら見た事があるから俺がお金を頂戴と言ったらくれたような気はするが。 その時絶対、何を買うの、と聞かれるだろ。
飴くらいなら買ってきてと誰かに頼めばよかったのかもしれない。 でも誰に頼んだらいいのかが分からなかった。 だって父上はいつもいないし。 でも母上が飴を、いや、飴じゃなくても食べ物を買っている所なんて見た事ない。
ならタマラ執事か? あの顔で飴を売っている店を知っているとどうして思える。 甘党である事を知ったのは俺が入隊した後だ。
いつも俺と遊んでくれたコオ兄に頼めば買ってくれたと思うが、俺が八歳の時北軍に入隊しちゃったし。 しょっちゅう服を汚して帰るせいでメイドのカナには受けが悪かった。 大きくなってから風で飛んだ洗濯物を取り込んであげたりするようになり、扱いが随分上向いたけど。 料理人のタキは高級な飴を作ってくれ、俺に手渡した本人だ。 これじゃ嫌だ、安い飴の方がいい、とはいくらわがままな俺でも言えなかった。
奉公人なら他にも結構いたけど、みんな複数の仕事を同時にこなしているような忙しい人ばかりで。 どこに売っているか知らない飴を買って来て、と頼める雰囲気じゃなかったんだ。
飴に限らず、子供が仲間に入れてもらう為の必須アイテムというのは何かしらある。 それを持っていないというのは子供の世界では大きい。 他の子とは違う、と大声で叫んでいるようなものだろ。 何を話したらいいのかにも困る。 それに名前だって先生が俺を呼ぶ時は「若」。 名前の呼び捨てじゃないのは俺だけだ。
それでも喧嘩して仲直りしたみたいな事があれば最後には仲間になれたのかもしれない。 母上は喧嘩した末に俺が負けて泣いて帰ってきても領民の家に怒鳴り込むなんて真似はしなかったと思う。
だけど本当にするかしないか、それを知るにはまず俺を殴って泣かせる必要がある。 ちょっと泣かせてどうなるか見てみるか、という度胸のある子供は、幸か不幸か俺の周りにはいなかった。
俺が弓の世界に嵌ったのは、たぶん友達がいなくとも出来る事だったからだ。 そのうえ何か獲物があると、ちゃんと料理してくれた。 楽しいし、おいしいし、褒めてもらえる。 一石三鳥だった訳。
それはいいんだけど、一日中狩りをしているとその他の事は疎かになった。 勉強だけじゃなく。
例えば俺は自分だけで買い物をした事がないから物の値段を知らない。 大きくなって自分のお小遣いがもらえるようになったが、同い年の友達はいなかったから友達同士で出歩く事もなかった。 かと言って一人で町に行って買い物する気にもなれなくて。 お店の人は俺が領主の息子だと知っているからお金を出しても受け取ってもらえないんだ。 いくらいいです、いいですと言われたってさ。 それって泥棒と同じだろ。
自分では人嫌いだと思っていない。 世間知らずで、人とどう付き合ったらいいか分からないだけで。 口べたは元々だけど、趣味が狩りだと誰かと一緒に行ったとしてもしゃべる事なんてないし。 それで困る事もないから余計口べたに拍車がかかったのかも。
ただいつも自然に囲まれていたからか俺は人より目と耳がいいみたい。 それって狩りをするには役立ったが、偶に人中に混じると知らなくてもいい事を知る事になった。
俺に聞こえないと思ってする会話が聞こえてくる。 本人は隠れてやっているつもりの動きを捉えたりする。 まあ、人には裏があるって事くらい目と耳がよくなくたって分かるものだろうけど。
だから不思議だ。 俺が口べたなのは相変わらずなのに、ここでは沢山の人が俺の周りに寄って来る。
例えば食堂。 食べに行けば俺の両脇前後の席はすぐに埋まる。 的場に行けば必ず俺の稽古を見ている人がいる。 みんな自然に集まってくるんだ。 誰かに言われた訳でも頼まれた訳でもないのに。
もちろん北軍にだって俺を嫌っている人はいる。 ギャッツ中隊長とか。 でもそういう人だって正直だ。 腹に一物を隠して俺に愛想笑いをしにくる、て訳じゃない。
「よお、若」
どこに行っても声をかけられる。 弓部隊では特に背中をぽんぽん叩かれる。 いや、ぽんぽんじゃないな。 ばんばんだ。 それはかまわないんだけど、偶になでなでする人がいる。
あれは、ちょっと。 いや、かなり嫌かも。
とにかく、外は寒いが人は温かい。 世間知らずの俺にとって、ここは初めて見つけた居心地が良い場所なんだ。 少しやせ我慢するぐらいは仕方ない。




