表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
弓と剣  作者: 淳A
揺籃
416/490

助け舟

 色々あったが、今回の登城は割とうまくいったと思う。


 え? うっそだー?

 何っ、何が嘘なのっ!

 こほっ。 怒ってなんかいませんよ。 ぷんぷん、なんて子供じゃあるまいし。


 はい? 三ヶ月前にもぷんぷんした? リネに愛の告白した時って。

 げっ、げふっ! せっかくの美味しいお茶を吹き出しちゃったじゃないか。

 細かいっ! 細かいよっ! そんな昔の話、きれいさっぱり忘れてっ!


 んもー、世間てば。 ほんと、どうでもいい事に限ってしっかり覚えているんだから。

 こう見えても俺は毎日成長している。 今日の俺は昨日の俺じゃない。 もちろん、三ヶ月前の俺とは別人だ。 身長と体重が変わっていないせいで世間の皆さんからは中々信じてもらえないが。


 レカ兄上なんて、会ったのは十年振り。 身長と体重だって随分大きくなっているのに、開口一番、相変わらず落ち着きのない奴だ、なんだぜ。 何を言ってるんだか。 三年前、公爵の従者にさえびびっていた頃と比べたって、今どれだけ落ち着いていると思う? 大峡谷の上と下くらいの違いがあるじゃないか。 ズボンを履かずに飛び出したのは、レカ兄上に会えるとは思ってなくて喜びとびっくりに体当たりされたからだって事、ちっとも分かってくれないんだから。 普段落ち着いてる人だって喜と驚のダブルでぶち当たられたら、そのままの格好で飛び出したりするだろ。


 おいおい。 俺が「驚」の字を知ってたくらいでびっくりしないでくれ。

 ったく。 時々いるんだよな。 俺がコネで小学校を卒業したと思ってる人。 嫌になっちゃう。

 ま、中身の成長なんて、ちょっと見には分からないものだし、外見でしか人を判断しない人達に気付いてもらえなくても仕方がない。 誤解されるのには慣れている。 一々ムカついたりはしないさ。

 それに役人や事情聴取官、審問官の皆さんとは初対面だ。 こっちは調べられる立場で、向こうが知りたいのは何があったという事実だけ。 俺の成長がどうとか興味もないだろう。

 ただ皆さん、俺に会いに来たはずなのに同席している師範やサジ兄上の顔色ばっかりちらちら窺っていた。 あれにはすこーしムカついたかも。 師範に同席をお願いしたのは俺だから、文句が言える立場じゃないんだけど。


 師範は会議や面会の類が大嫌い。 なのにそんなお願いをしたのは、会議というものは短ければ短い程よいと思っている人達の間で師範は必要不可欠な人物として知られているからだ。

 師範は滅多に発言しない。 会議中に一言も言わない事だって珍しくないんだけど、その無言が出席者の皆さんには結構なプレッシャーらしい。 不機嫌全開。 早く終わらせろ、て感じ。 それでみんな会議や面会を早めに切り上げようとする。

 師範のおかげでどの調書もサクサク仕上がり、予定時間内でカタが付いた。 俺が師範に同席を頼んだ時は、俺は座敷童じゃないんだぞ、お前みたいな暇人と一緒にするな、と散々悪態をつかれたが。 なんだかんだ文句を言いながらも全て出席してくれたからすごく感謝している。


 サジ兄上の方は陛下から出席するように直々のお指図があったんだって。 どうしてそんなお指図をなさったんだか理由は分からないが、サジ兄上は何を質問しても怒らずに説明してくれる人だ。 そんな人が側にいてくれるのはとても助かる。 賢いのに優しいだなんて、俺の周囲にはいないタイプだ。

 そりゃトビだってちゃんと答えてくれるし、上官や師範は別として、馬鹿な質問をしたって馬鹿な事を聞くなと怒る人はいない。 でも面と向かってそう言われなくても、むっとしている時は分かるだろ。 時々顔にはうっすら微笑みを浮かべていながら目が怒ってる人もいる。 あれって普通に怒られるよりずっと怖い。 何で怒られているのか理由が分からないものがほとんどだから余計に。

 因みに、それはマッギニス補佐だけの事を言ってるんじゃない。 例えば神域の料理人もそうだった。

 菜食で量がちょっぴりなのはなぜですか、なんて聞くもんじゃないと後でトビが教えてくれたけど。 のっけから肉を付けて量を増やしてくれと頼むのは厚かましいんじゃないかと思ったから聞いたのに。 だって俺が知らないだけで何か理由があって菜食なのかもしれないだろ。 俺は何が何でも肉を食わせろと言いたかった訳じゃない。 理由があるならそうですか、と言って引き下がったさ。

 とは言っても空きっ腹は堪える。 我慢しようと思えば出来るが、百剣のみんなも警護の合間に交代で稽古を怠りなくやっているから神官用の菜食じゃ物足りないんだ。 腹を空かせていたのは俺だけじゃない。 そしたら料理人がつむじを曲げないようにサジ兄上がうまく言ってくれて。 次の日から燻製肉とか魚や卵が付いて量もたっぷりになった。


 ところでサジ兄上は筆頭御典医見習になった。 見習と言ってもこの職業の場合、次期筆頭御典医という意味があるんだとか。 継嗣ではなく、次代に決まった、みたいな? 上級御典医を飛ばしての昇進だ。 軍隊で言えば二階級特進?

 トビが言っていたけど、御典医就任半年で筆頭御典医見習に抜擢された例はないらしい。 すごいよな。 さすがはサジ兄上。 どこに行っても優秀な人は優秀だ。

 サジ兄上のように相手を怒らせず、自分の思い通りの結果を手にしている人を見ると、俺もまだまだだと思う。 ただ今回みんなに心配されたのは儀礼や世渡りが下手だからという理由じゃない。 俺がやってしまったあれやこれやがどれだけ問題にされるか。 それが理由で養育権の取り上げになるかならないか。 それはマッギニス補佐やトビにも予想が付けられなかった。


 もっともブラダンコリエ先生は儀礼だけでもかなり悲観していたが。 どうやら絶対俺が大ポカをやらかすと思っていたみたいで。 トビに辞職願いと遺書を預け、俺がやらかした失敗の度合いによってどちらかを儀礼庁長官に提出しておいてくれるように頼んでいた。 そんなに思い詰めなくたっていいのに。 ただ俺の知ってる儀礼教師はすごく暗い人達ばかりだから職業病なのかも。


 俺が楽観的過ぎるんだ、て? そんな事あるもんか。 そりゃスティバル祭祀長が登城なさる御予定じゃなかった時は、みんなが心配した気持ちも分かる。 でも煎じ詰めれば陛下のお気に入りになれたら大丈夫、なれなかったらそれまでよ、だ。

 だからと言って破れかぶれだった訳じゃない。 もうどうにでもなれと思っているなら必死に儀礼の練習なんかしないだろ。 一ヶ月やそこらで酒に強くなるのは無理だから、失礼のないように水で薄めてもいいかをお伺いする練習をしたし、踊りだって一生懸命おさらいした。 どれも及第点はもらえなかったけどさ。


 握手のおかげで陛下が御健康になった、そのお礼というか、握手した時の痛みへの慰謝料代わり?

 とにかく、儀礼上の間違いは全部見逃してもらえた。 でも最初からこうなると分かっていた訳じゃない。

 皇寵は戴いているとは言え、それはサリを守るのに都合がいいから下さったんだ。 それと養育権は別物と考えた方がいいとそちこちから助言されていたから皇寵に胡座をかいていた訳でもない。 陛下のお気に入りになれるコツがあるなら俺だって知りたい。

 サハラン前将軍は先代陛下のお気に入りだったから、ここにいらしたならコツを聞きに行っていたが、先代陛下のお供として出発しちゃったし。 それにお二人は二歳の時から一緒に遊んだ幼馴染と父上がおっしゃっていた。 そんな濃い関係、真似のしようがない。

 サハラン前将軍以外では生きている人で先代陛下のお気に入りになった人はいないらしい。 好かれてない人に好かれるコツを聞いたって無駄だろ。 それにこういう事って案外、陛下に直接お伺いしたって分からないんじゃないか、て気がする。


 例えば俺は、どのような女性がお好みですか、とよく聞かれる。 リネみたいな女です、と答えていたからだと思うが、リネに似た顔、似た体格で歌のうまい女性が次々挨拶して来るようになった。

 あ、似てる、とは思うよ。 だけどそれだけだ。 似ているからって好きになるか? そっくりさんの中に剣の達人や野菜作りが趣味の人がいなかったとか、そういう問題じゃないんだ。

 そもそもリネのどこが好きなんだと聞かれたってさ。 一緒にいると安心するし、いないと早く会いたいなと思う。 でもどこがどう好きだからそういう気持ちになるのかなんて自分でも分からない。


 それはともかく、今回の登城で俺が目標にしたのはサリの養育権を取り上げられない事だ。 それについてはマッギニス補佐からこう忠告された。

「サリ様の養育を伯爵家で行う事に反対する声は婚約発表時点で既に相当数ございました。 様々な事件が重なった事で、更にその声が高くなったと聞き及んでおります。 御実家での養育は陛下がお命じになった事。 とは申しましても、陛下と雖も数で反対されては敵いません。

 幸い準公爵は次期宰相の呼び声高く、宮廷内での影響力も少なからずございます。 けれど政治を動かす勢力としては約四分の一。 ですから残り四分の三に当たる皇王庁、閣僚、大審院、各組織の頂点に立つテイソーザ皇王庁長官、ブリアネク宰相、ケイフェンフェイム大審院最高審問官、この三人の動向が鍵となる訳です。

 ブリアネク宰相は内心はどうあれ、政局の混乱を招く養育権取り上げを先頭に立って主張なさる事はないでしょう。 大審院には圧倒的多数を確保出来るだけの心強い味方がおります。 問題はテイソーザ長官です。

 テイソーザ長官は皇王庁の絶対的な存在。 第二、第三のいない第一と申せます。 皇王庁総掛かりで養育権剥奪を主張した場合、中立であった宰相と大審院まで引きずられるかもしれません。 そうなっては時間稼ぎは出来るとしても阻止する術はございません。 ですから大隊長がサリ様を養育なさる事に、賛成して戴く事が無理だとしても反対はしないという所までテイソーザ長官に軟化して戴く必要があるのです。

 此の度レイ・ヘルセスとプラドナ公爵令嬢キャシロとの婚約が調いました。 テイソーザ長官夫人はプラドナ公爵実妹で、大隊長はテイソーザ長官夫人の姪の義兄弟となります。 その絡め手を使う道がない訳ではございませんが、テイソーザ長官御夫妻の関係はそのような口出しが可能なほど良好なのか。 それが不明な為、現時点では当てには出来ません」


 と言う訳で、俺はまずテイソーザ皇王庁長官にお会いする事なった。

 テイソーザ皇王庁長官はテイソーザ大公でもある。 俺みたいな準付きじゃない、正真正銘皇王族のお血筋だ。 先々代皇王陛下の皇弟殿下の御長男。 つまり先代陛下の従兄弟という事になる。

 トビが説明してくれた所によると、元々陛下になる可能性がない皇王族男子は外国の王族や国内上級貴族のお婿さんになるのが普通で、大公家を構える事があまりないんだって。 大公家は皇王陛下のお血筋に万が一の事があった場合のスペアというか、本陣が崩れた場合の後方支援という感じらしい。

 だから分家が一つもないのは困るが、沢山ある所為で継承争いが起こったらもっと困る。 それで三家か、多くても四家を越えないよう、相続に関するしきたりが厳しく決められているんだって。

 現在大公はテイソーザ家だけなのも、そのしきたりの中に、娘、庶子、養子は大公位を継げないという決まりがあるからだ。 それでセジャーナ皇太子殿下とレイエース皇弟殿下はお婿さんに行かず、外国からお嫁をもらったんだろう。 オスティガード皇王子殿下が皇太子殿下になった時、それぞれ大公家を構えられる。 どちらの殿下にも正嫡男子がいらっしゃるから将来大公家は二つ増えるが、テイソーザ長官夫人には女の子しか生まれなかったからテイソーザ家は長官の代で終わる。

 父上が教えてくれたんだけど、先代陛下は歴代の陛下の中では珍しく一人息子でいらした。 その為テイソーザ大公家に正嫡男子がいない事が問題になったが、テイソーザ長官は夫人を離縁して若い妻を迎えようとか、男の子を生んだ愛人を正妻にしようとはなさらなかった。 それで世間から愛妻家と呼ばれているんだって。


「同じ愛妻家同士、話が弾むといいんだけどなあ」

 面会の前にそう呟いたら、トビが言った。

「旦那様。 それはあまり御期待なさらない方がよろしいかと存じます」

「どうして?」

「これは他言無用でお願い申し上げます。 実は、セジャーナ皇太子殿下とレイエース皇弟殿下の実父はテイソーザ長官という噂がございまして」

「はあ?」

「先代陛下の第二子、第三子、どちらも皇王女殿下でいらした為、同じ頃お生まれになったテイソーザ長官の長男、次男と交換なさった、と。 一人息子でいらっしゃる先代陛下にお一人しか皇王子殿下がいらっしゃらないのは由々しき事態。 そのような交換が実際あったとしても驚くべき事ではなく、もしそうなら夫人を離縁するのは賢い事とは申せません。 いずれは実子を皇王陛下に、という野望があるかないかは別と致しましても」

「交換、て。 そんな事、やっていいの?」

「やっていい悪いの問題ではございません。 どの陛下も在位期間は十数年で終わっております。 もしハレスタード陛下の在位も十年少々で終わったら、オスティガード皇王子殿下はいらっしゃいますが、戴冠なさるには些か御幼少。 中継ぎの陛下が必要となります。

 先代陛下は戴冠前からそうなる事を御憂慮なさっていたのかもしれません。 過去にも似たような状況で大公家から皇太子殿下となられた例がございます。 ただその御方は中継ぎの皇太子殿下となられただけで戴冠なさってはいらっしゃいませんが。

 国内の大公はテイソーザ家のみ。 とは言え、国外には婿入りなさった先代陛下の従兄弟が三人いらっしゃいます。 中継ぎの皇太子殿下ならともかく、先代陛下の従兄弟が戴冠なさる事になれば、それなら私も先代陛下の従兄弟、と継承権を主張なさる御方が出ると予想されます。 それによって多くの外国を巻き込んだ皇王位継承戦勃発となる事も全くあり得ない話ではないのです。

 そしてもしテイソーザ長官に実子、又は孫を皇王位に、という野望があるとしたら、サリ様のお相手にはラムシオン皇王子殿下を、とお考えになるはず。 それ故サリ様を後宮で養育すべきと主張なさっているのでしたら、こちらが何をどう申し開きしようとあちらに聞く耳はないと考えられます。

 ここは一先ず相手の出方を見ては如何でしょうか。 事実を確認する質問には短く、はい、いいえ、程度で。 それ以外の質問には、詳しい事は覚えておりません、周囲の者に確認しておきます、とぼかした答えで返事を先送りなさるのが無難かと存じます」


 すごーく面倒。 ごちゃごちゃしていて、要するに何なの? 愛妻家なの? 愛妻家じゃないの? トビの説明が長過ぎて結局分からなかった。

 ま、俺にとって肝心なポイントは、はい、いいえ、覚えておりません、確認しておきます、だよな。 そこはしっかり押さえておいた。

 ふっ。 俺って最近、賢さ、二割増?


 とにかく会わない訳にはいかない御方にはさっさと会ってしまうに限る。 で、お会いしました。

 テイソーザ長官は先代陛下より二つ年上と聞いたが、先代陛下よりずっと若く見える。 但し、他の五十代の人に比べたらかなり老けていると言えるんじゃないかな。

 老けていると言っても、青い人の目に浮かんでいた老いとは違う。 あの目には不思議な活気があった。 面白そうな何かがあったら見逃さない、みたいな? 老いてますます盛ん、て感じ。

 テイソーザ長官の目に浮かぶ澱みは疲れだと思う。 きっとお仕事があまりに忙しくてゆっくりお休みになる暇がないんだろう。 皇王庁長官なんて役職名を聞いただけで疲れるもんな。 ただでさえ忙しいのに俺みたいな小物にまで会いに来なきゃいけないんだ。 仏頂面になる気持ちも分かる。


 俺としては挨拶だけでも最高の敬意を払ったものにしたかったが、ブラダンコリエ先生に注意された事を思い出した。

「準大公と呼ばれた場合、同位の貴族はテイソーザ長官しかいらっしゃらない事をお忘れなきよう。 他は全て格下となります。 格下の貴族に過ぎた敬意を払うのは慇懃無礼となる場合がございますので何卒お気を付け下さい。 テイソーザ長官へは軍隊の同階級で年上への御挨拶を目安になさればよろしいかと存じます」


 テイソーザ長官には叙爵式の後で御挨拶したから初対面じゃない。 お初にお目に掛かりますとは言えないので無難な時候の挨拶を交わし、わざわざ会いに来てくれた事にお礼を申し上げた。

「本日は多忙なお役目にも拘らず御足労戴きまして、恐縮です」

「なんの。 此の度の吉報、数百年の長きに渡り代々の皇王庁長官が待ち望んでいたもの。 その詳細を伺う為なら大峡谷の果てであろうと参りましょうぞ。 早速ですが、準大公は旅の途中、青き御使いに会われたとか」

「はい」

 あれは会ったと言うより見ただと思うが、短く答えろと言われていたのでその説明は省いた。

「そして尊き宝玉を拝受なさった」

「はい」

 はいじゅの意味が分からなかったが、宝玉に関する質問ならいいえと答えるべきではないような気がする。 大きさ、形、色だってちゃんと覚えているんだ。 詳しい事は覚えておりませんでもないし、確認しておきますでもないだろう。 なら残るのは、はい、しかない。


「そのお力を今後どのように使うおつもりか?」

「え? あ、あの、握手して、使います」

 ちょっと長かった? でもどう使うかを聞かれているんだ。 用意していた返事じゃ答えにならない。 握手して使いますならそんなに長くもないよな? 握手だけだったら短いが、それじゃ意味不明だし。

「誰にでも?」

「はい」

「ほう。 相手が私であっても?」

「はい」

 痛いのは嫌だが、この御方には好かれないと困る。 握手で元気になったら多少の事には目を瞑ってもらえるんじゃない? でも握手すれば元気になるなんて言われただけじゃ信じられないだろう。 こういう事は実際体験してもらうに限る。 俺はテイソーザ長官の手を左手で握った。

 どうやら俺が本当に握手するとは思っていらっしゃらなかったようで、テイソーザ長官は僅かに目を見開いた。 サジ兄上が俺を止めようとして立ち上がったのが見えたが、長官の疲れならボルチョック先生のよりずっと軽そう。 すぐに終わるだろう。

 辺りの空気がくらっと揺れたか? だけどすぐに収まった。 鉄の玉を受け止めたみたいなずっしりとした感覚はあったが、痛いと言う程じゃない。 陛下の時と比べたらそよ風に吹かれたみたいなもん。

 テイソーザ長官のお顔を見ると、少し握手しただけなのに疲れが吹っ飛んだみたい。 最初の印象よりずっとお若く見える。

 へえ。 やっぱり俺の握手には人を元気にする効果があるんだ。

 テイソーザ長官はそれ以上何もお訊ねにならず、お帰りになったが、その時瞳にうっすらと涙を浮かべて御挨拶して下さった。

「準大公の末長き御健勝と御多幸を心よりお祈り申し上げる。 青き御使いの実在を此の身で感受する日が来ようとは。 生涯この日を忘れる事はありますまい」


 もしかしたら人に好かれるには握手すればいいの? その時は確信が持てなかったが、ブリアネク宰相とケイフェンフェイム最高審問官にお会いした時も、握手したらすっきり爽やかなお顔になった。 御自分でも疲れが取れた事を実感したんだろう。 来た時の挨拶は紋切り型で何の感情もないものだったのに、帰る時には明らかに好意と言える温かみが込められていた。

 相手の機嫌がいい内に、どうか養育権を取り上げないで下さい、とお願いしようかとも思ったが、結局どなたへもお願いしなかった。

 サリを育てるのは誰が一番いいと思うか、と質問される事を覚悟していたんだけど、されなかったし。 俺に握手されてもサリは別の人に育てられた方がいいと思うなら、向こうもそれなりの考えがあって言ってるんだろう。 俺の思い通りにならなかったとしても決められた事は受け入れるしかない。


 でもテイソーザ長官は俺の幸せを祈るって言ってくれたよな。 それって単なる社交辞令かもしれないが、そこまで言うなら養育権を取り上げたりしないんじゃない? ブリアネク宰相とケイフェンフェイム最高審問官も今後の御活躍に期待すると言ってくれたから、諸手を挙げて賛成とまでは行かなくても、ここ当分は様子を見るとしてくれそうな気がする。

 ふう。 案ずるより、てやつだ。


 待てよ。 この握手、誰にでも効果がありそうだよな? それで試しに師範と握手してみた。

「ね、俺をもっと好きになりました?」

 すると拳骨が飛んで来た。 どうしてっ?!


 うーん。 ひょっとしたら握手はストレスを取るだけ? つまりストレスまみれの人には効果があるし、有り難がってもらえる。 でもストレスがない人には関係ない、とか? 師範なら毎日やりたい放題だもんな。 ストレスがあったとしても、ぱっとその日の内に発散しちゃって溜めるとは無縁だろ。

 あ、もちろん師範に向かってそんな事言ったりしませんよ。 俺だって命は惜しいし。 それに養育権を取り上げろと騒ぎそうな人に効くだけで充分だ。


 それにしてもあの御使いを見た時、こいつでちょっと遊ぶとするか、と誰かが言ったような気がしたんだけどなあ。 他に誰もいないから、てっきりあの御使いが言った言葉だと思ったのに。 だから石が消えた時も、ちぇっ、やっぱりからかわれたのか、と思ったんだ。 実は不思議な力を授けてくれていただなんて。 帰ったらケルパ神社に参拝して、きちんと謝ってから改めてお礼しなきゃ。

 助け舟を出してくれてありがとうございました、て。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ