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弓と剣  作者: 淳A
揺籃
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絆  ヒジューア皇王庁執務官の話

「常識はずれの御尊父のせいで、サリ様の安寧が脅かされているのだぞ!」

 オベルテ執務官は怒声と共に皇王庁会議室の机をドンと叩いた。

「オベルテ、まあ、落ち着け」

「これが落ち着いていられるか!」


 オベルテはテイソーザ長官の庶子だが、別姓を名乗り、望んで外戚部という閑職に就いた変わり者だ。 なぜか実父の名を秘している。 私達の上司であるプリンタップ外戚部部長はオベルテの実父が誰であるか御存知だと思うが、表向きは私と同じく皇王庁の一執務官に過ぎない。

 プリンタップ部長は準大公が六頭殺しと呼ばれていた頃からの熱狂的なファンだ。 それでなくても下級役人の分際で準大公を批判したら僭越の誹りは免れないし、免職もあり得る。 そうなった時、テイソーザ長官がオベルテを庇ってくれるかどうか。


 外戚部は皇王族の外戚の婚姻や生死、転居等を記録している。 元々は所謂閑職で、私のような出世争いに敗れた落ち武者か、オベルテのような変人しかいなかった。 だがサリ様との御婚約が発表されて以来、準大公付きを狙う転属希望者が押し寄せている。 なぜか準大公担当執務官の数を増やす話は今の所全くなく、なりたければ現担当執務官であるオベルテを蹴り出すしかない。 後ろ盾があるだけに簡単に蹴り出される事はないと思うが。

 オベルテとは友人と言える程の親しい間柄ではないけれど、数少ない仕事以外の話もする同僚だ。 いなくなったら残念で、オベルテの大声が室外に漏れて誰かに聞かれるのでは、と気が気ではない。 会議室の扉は閉められているが声が漏れる事はある。


 オベルテの怒りを宥めようとして言った。

「私達には屋外での御様子しか知る術はないが、サリ様はいつもお元気だ。 それは御両親の御慈愛の賜物であろう?」

「その屋外での出来事だけで御婚約成立以来どれだけ事件があった? やれ飼い犬がサリ様を背負って暴走したの、今にも沈みそうな漁船にお乗せして外洋に出たの、言語道断の事件に事欠かない。 本来ならサリ様を背負って乗馬するのも厳禁なのに。 何を今更、という理由にもならないような理由で看過されている。

 そこに猫又だ。 このような害獣を愛玩動物にするなど最早正気の沙汰ではない! それもこれも平民出身の奉公人揃いだからこのような野放図がまかり通る。 このまま放置しておけばサリ様が危うい。 改善の動きが見えないのなら即座に準大公から養育権を剥奪し、皇王庁管轄とすべきだ!」


 宥めるどころか火に油を注いでしまったようだ。 昨日の事がまだ尾を引いているらしい。 オベルテは私が止めるのも聞かず、部長に直談判しに行ったのだ。 無視されたが。

 と言うか、部長はオベルテに対し、お前の意見など誰も聞いていない、黙れ、と言わんばかり。 無言でドアを指差した。 オベルテ自身も諌言を聞き入れてもらえるとは思っていなかっただろうが、自分の実父を知っているはずの部長からぞんざいな扱いを受けるとも思っていなかったのだろう。 憤懣やる方なしという様子で、溜まっている仕事を放って帰った。 因みに、その一部始終はオベルテをつまみ出した警備兵から聞いた。


 昨日の今日では声が少々高くなるのもやむを得ないが、準大公担当になる前は鷹揚自若で知られていた男だ。

「オベルテ。 声が高い」

 私がそう注意すると、オベルテは声を潜めるどころか更に大きくした。

「そもそも準大公がサリ様をお育てする御方として相応しいのか? あのみみずが這っているかのような文字。 からくり人形がお辞儀しているような拙い動き。 言い間違いだらけの受け答え。 どれを取っても準大公が伯爵家の子弟としてさえ碌な教育を受けていない事が窺える。 少なくともサリ様の御尊父として相応しい教養をお持ちのようには到底見えない」

「だがあの御方が前代未聞の偉業を成し遂げた英雄である事に関して議論の余地はない」

「私とてそれは疑っていないが、それとサリ様の養育は別だろう? お健やかなのは喜ばしいが、あの準大公に養育されたサリ様が後宮でどれ程御苦労なさるか。 考えただけで暗澹たる気持ちになる。

 安全対策も相変わらず杜撰だ。 此の度のりんご狩りとて碌な警備もなく突然の御出発。 挙げ句にヒャラ踊り。 御自身が踊られるのは勝手だが、それを御覧になったサリ様が真似をなさったのだぞ。 読み書きを教える前にヒャラを教える親がどこにいる」

「一歳四ヶ月でヒャラがお出来になるとは卓越した運動能力。 喜ぶべきではないか」

「運動能力を高める前にすべき事が他にいくらでもあるだろうが」

「例えば?」

 オベルテがぐっと詰まった。


 皇王族専属教師ならいくらでもいる。 とは言え、皇王女殿下は皆様御幼少の頃に輿入れ先が決まるのが普通だから学習なさる課目は主に輿入れ先の国の言語や礼儀習慣だ。 皇王族男子の婚約者が国内から選ばれる事はあまりない。 歴史を遡れば侯爵令嬢で国母となられた御方もいらっしゃるが、御幼少の頃から将来の国母として養育された訳ではないのだ。

 前例がないだけに歴史や教養の各学科毎に教師を付けるにしても、まずどの課目を教えるべきかで揉めている。

「皇王子殿下なら皇国の歴史、政治、軍事、経済、しきたりを中心に学ぶし、学ぶ順の前例もある。 だが男性が学ぶべき儀礼や軍事の詳細をサリ様に教えても仕方がない。 かと言って学科の取捨選択を外国育ちの皇王妃陛下にお任せするのは無理がある」

 渋々ながらオベルテが頷いた。


 皇王妃陛下は実子であるオスティガード皇王子殿下でさえ御自らお育てになってはいない。 それに御自分の御幼少の頃何を学んだか、詳しく覚えていらっしゃらないだろうし、仮に覚えていらしたとしてもフェラレーゼの慣習を皇国に持ち込まれるのは困る。

 フェラレーゼの王族は女性といえども乗馬をなさるのだとか。 乗馬に限らず、フェラレーゼなら当然の教養でも皇国では論外な事があり、その逆もある。 フェラレーゼでは論外だからと皇国の長年のしきたりを蔑ろにされたら、それも大きな問題となろう。

 それに皇王妃陛下がこうとお決めになれば、その御決定を覆す事が出来るのは陛下しかいらっしゃらない。 慣例上何か問題があったとしても女官長もフェラレーゼ人では簡単には気付くまい。


 例えば皇王妃陛下がサリ様に乗馬を学ぶようにとお命じになられ、その授業の最中にサリ様が落馬してお怪我なさったら? その場にいた教師を処刑するだけでは済まず、皇王妃陛下の責任問題と発展する恐れがある。 事故はなくても、そのような危険な事をお命じになったのは瑞兆に害をなすおつもり、と讒言する者がいないとは限らない。 下手をすると内乱、フェラレーゼ国との全面戦争さえあり得ない話ではないのだ。

 サリ様の養育に関して皇王妃陛下に進言する者が必要なのだが、その選任に手間取り、まだ決まっていない。 進言に従って不都合があった場合、進言した者の首が飛ぶ。 事と次第によっては爵位剥奪や一族の連座もないとは言い切れないのだから引き受ける方も慎重にならざるを得ない。 進言する者が決まったとしても事故を恐れ、あれもするなこれもだめ、という進言しかしなくなる。


「課目が決まり、教師が派遣されたところで終わりではない。 必ずやその進捗に口を出す者が現れる。 やれ教え方が下手だの、間違っているの。 場合によっては教師が毎月変わる事にもなりかねん。 諸般の事情を考えると、先々はともかく今の所準大公に養育をお任せするのは悪い事ばかりではないのだ」

「しかし国語、数学、儀礼を教育課目とする事に反対する者はいないだろう。 なら今から教師の選抜を開始しても早過ぎるという事はあるまい。 御成婚の日取りは未定とは言え、早ければサリ様が十四歳になったと同時に挙式となる可能性もあるのだから。 課目が決まらない事には教師が決められないし、教師の選抜は課目の選定以上に時間がかかる。 もたもたしていたら教師を派遣する前にサリ様の後宮入りの日となりかねん。 一体いつ部長は課目の選定をする気だ?」

「もしかしたら未発表なだけで課目は決まっている可能性もある。 ただ教師を誰にするかが決まらず、それで発表しかねているのでは? 誰を選んだにしても、なぜその人が選ばれたかを明確にしておかないと選ばれなかった者達からの抗議で収拾がつかなくなるし」

「この際部長の娘でも良い! あの準大公よりましだ」

 部長には息子が八人いるが、娘は一人だけで確か今年十歳になる。


「オベルテ。 腹立ち紛れに馬鹿な事を言うな。 第一、部長推薦の教師では準大公に対して大した強制力はなかろう。 長官推薦でないと」

 これ以上話していても切りがないし、今では閑職どころか激務と言える仕事量だから席を立った。

「いずれにしても陛下なら準大公から養育権を剥奪出来るのに、そうなさらないのは何らかのお考えがあっての事だろう。 貴公の気持ちも分からないではないが。 私達がここで焦っても仕方がない」

「準大公に避寒用別荘を建てるような才覚があるなら私もこれ程焦りはしない。 自領の荒野にはお連れしたくせに。 別荘どころか皇都に別邸を建築するつもりさえないのだぞ。

 今回の新年の御挨拶だとて、どうやら去年と同様サリ様を準大公夫人が背負い、馬での上京となるらしい。 サリ様がお風邪をお召しになったら一体どうする気だ?」

「だが南にお住まいになれば御健康とは限るまい」


 貴族の幼児死亡率に関しては私以上に詳しいオベルテが黙り込む。 相当広範囲に調査されたにも拘らず、未だに原因不明である事を熟知しているから。

 気候が暖かければ過ごしやすいし、食べ物だって豊富だ。 なのになぜか幼児死亡率は低くならない。 それどころか南の方が北より高い。 東や西にも同じ事が言える。 勿論、身分が高ければ子供の死亡率は下がるが、餓死がない分下がっているに過ぎない。

 何より問題なのは最高級の食事と充分な医療体制が整っているにも拘らず、後宮の新生児死亡率は北は勿論、皇国内のどこと比べても高いという事実だ。 皇王族で一歳のお誕生日をお迎えになるのは半数に満たないという有様。 おそらく中には謀殺された赤子もいるとは思うが。

 オスティガード皇王子殿下は幸いお健やかでいらっしゃるものの、皇王族のお子様は総じて五歳を過ぎるまでは病弱な御方が多く、先代陛下の御兄弟のように四人全員が早世なさった例もある。 もし子育て競争があったとしたら準大公は百人中五十位以下にはならない。 その上ヒャラが踊れる程お元気なのだ。 私が審判なら第一位は準大公に差し上げている。

 

 オベルテが諦め切れないと言うかのように深いため息をつく。

「準大公御自身も貴族だ。 実父母に育てられた訳ではないのだろう? なぜサリ様をお手元に置く事をこれほどまでに拘るのか。

 ヒジューア。 貴公なら分かるか?」

「いいや。 だが、なぜサリ様をお手元に置いてはだめなのか、と準大公に聞かれたら何と答える?」

「それが皇王族のしきたりだからだ」

「準大公なら御尤もと恐れ入るかもしれないが、準大公周辺には皇王庁がそう言ったからと恐れ入るような者は一人もいないと思うぞ。 まず瑞兆をどこでどう養育するかに関する前例は全くない点を突いて来るだろう。 準大公の元では危険と主張した所で、後宮の幼児死亡率の高さを指摘されたら事実なだけに反論のしようがない」

「準大公の実兄、サジ・ヴィジャヤン殿は新参とは言え、御典医。 御典医なら幼児死亡率の高さを何とかすべき立場だろうが」

「それなのだが。 先週サジ殿とお会いする機会があってな。 彼は両陛下に母子の絆を深めるべきと進言なさったのだとか」

「絆? どういう意味だ?」

「皇王族や貴族の女性が出産した場合、お乳係、乳母、教師が赤子の養育を担当する。 自ら授乳したり抱いたりあやしたりする事はない。 それを変えるべきとおっしゃっていた」

「従来通りの何が問題なのだ?」

「触れ合いがない事が問題らしい。 親は子に触れ、子は親に触れ、絆を育むものなのだとか」

「絆があれば幼児死亡率が低くなるとでも? そんな荒唐無稽な話、信じられるか?」

「ヴィジャヤン伯爵家では代々伯爵夫人が授乳なさるのだとか。 準公爵夫人も三人のお子様全員、御自分の母乳でお育てになったとおっしゃっていた」

「……伯爵夫人がどのように子育てしようと皇王庁が口を挟む筋合いのものではないが。 つまり準大公はサリ様との絆を育む為にサリ様を手放したがらない、と?」

「どこまで意図なさっての事かは知らない。 だが結果的にはそうなっている」

「部長も御存知?」

「私が報告した時、部長はこの進言に関して既に御存知だった」

「ううむ。 しかし絆は生まれても準大公のような変人に育ってしまったらどうする」

「お健やかな瑞兆と病んだ瑞兆、どちらがよい?」

 完全に納得した顔ではなかったが、オベルテは少し落ち着いた足取りで自分の執務室へ戻って行った。

 せっかく静まった彼の気持ちを乱す事もない。 マーシュで漏れ聞いた準大公の呟きは伝えない事にした。


「ほんと、俺の周りって変わった人ばっか」


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