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弓と剣  作者: 淳A
揺籃
407/490

深読み  ブリアネク宰相の話

 今日はヴィジャヤン準公爵に宰相をやれと言う為、宰相官邸に呼んだ。

 宰相官邸は皇王城内にあり、彼にとって敵陣の真っ只中と言ってよい。 表向きは茶への招待で人払いはしてある。 だが用事もないのに呼び出されるはずがない事は承知しているだろう。 目の前に座るヴィジャヤンから緊張している様子は窺えないが。

 まるで自宅の居間であるかのような寛いだ面持ちで出された茶を飲んでいる。 おそらく何を言われるかを承知しているだけでなく、それになんと返事をするかさえ決めているのだ。

 私にした所で簡単に諾がもらえるとは思っていない。 打診なら過去に何度もしているのだから。


 彼が宰相の座を狙っているという噂を聞いた人は多いだろう。 私がその邪魔をしているというまことしやかな噂さえ流れているが、未だに実現していないのは私は勿論、誰かが妨害した訳でもない。 本人にやる気がないのが原因だ。 宰相を権力の頂点と思い込んでいる者はかなりいて、そういう輩から見れば意外だろうが。


 陛下が即位なさった時、誰もが次の宰相は皇太子殿下御相談役を務めたこの男と思っていた。 少なくとも私はそのつもりでいたのだが、あっさり逃げられた。 近衛将軍退任という予期せぬ事があり、その対応に追われたからでもあるが、退任劇はともかく、彼が準公爵に叙される事を宰相である私に間際まで知らせなかったのは故意の操作と見て間違いない。

 大人しく引き受けるとは予想していなかったが、逃げられるとも予想しておらず、その油断を突かれた。 宰相は国内政治を司り、陛下の臣民であれば誰であろうと命を下せるが、序列上は準公爵に過ぎない。 つまりヴィジャヤンと私は同位。

 公爵に命を下せるのは陛下のみで、勅命なら拒否出来ないが、宰相から公爵へ出せるものは依頼、勧告、警告の類に限られる。 どうやら陛下への根回しはとうの昔に済ませていた様子。 宰相任命の勅命を引き出す事は叶わなかった。


「宰相になると皇都に釘付けとなる。 それは望ましくない」

 陛下はそうおっしゃった。 では他に誰かいるか? 宰相になった途端暗殺される心配はない、と言い切れる人材は彼以外に誰もいないのだ。

 当初は難色をお見せになった陛下だが、私が病に伏せる日が続き、今年に入ってようやく、あれがやりたいと言うならば、というお言葉を頂戴した。

 早速本人を説得しようとしたのだが、巧妙に逃げられる。 偶に出仕したと聞いて呼び出せばもう帰った、本邸、別邸、どこに使いを出そうと主は旅行中という返事。 しかも公用という名目付きだから呼び戻す事も出来ない。

 新年や会議、出席が義務付けられている宮中行事もそこそこあるのだから逃げ切るのは容易ではないはず。 なのに逃げ足の速い事、速い事。 あれなら生業が盗賊だったとしても充分通用する。 小気味好いとさえ思っただろう。 自分が宰相でなかったら。


 ヴィジャヤン派閥の有力公侯爵家の誰からも彼を宰相に推す話が出て来ない所を見ると、遠慮しているとか勿体を付けているのではない。 もっとも逃げたくなる気持ちは分かる。 馬鹿でも務まるとは言わないが、賢い者なら宰相を引き受けたりはしないだろう。 賢い者は指名される側ではなく、指名する側に立つ。 傀儡を宰相に据えた方が責任を取らせたい時に何かと都合がよいのだ。


 とは言え、現在の政局は安定している。 昔のように宰相は暗殺されるのが仕事という訳ではない。 内乱を起こせるとしたらヴィジャヤンだけだろう。 陛下の御信頼も篤く、閣僚を選ぶにも苦労はすまい。 応と言うばかりにお膳立てされているのに、なぜやろうとしないのか? 自分がやりたくないなら傀儡を指名するのでもよい。 とにかく私が誰を指名しようと、ヴィジャヤンの推薦がなければ辞退されて終わる。 それを承知しているくせに推薦のすの字も出さない。


 一体どういうつもりなのか単刀直入に聞いてもいいが、深謀遠慮が服を着て歩いているような男だ。 本音で答えるとは思えない。 仮に答えたとしてもその答えを信じられるか? 何を聞いても信じられないのなら話しても時間の無駄と言えない事もないが。 妥協点があるのか、あるとしたらそれは何なのかは聞いておかねばならない。


 最高級の壷切り茶を啜りながらヴィジャヤンは柔らかな微笑みを見せる。

「芳醇な香りですね。 錦織り成す紅葉を連想させる深い味わいです」

 ふと、彼の息子が天からこちらに向けて手を振った時の笑顔を思い出した。

 顔立ちは似ていない。 だが少年のような笑顔だけは妙に似ている。 笑顔を見せながら人の度肝を抜く所も。

 知性の欠片も感じられない準大公の笑顔と、政権を握れば史上最強の宰相として名を残す器量がある男の微笑みを同じ括りにすべきではないのだろうが。 笑いが似ている事が気に食わないとは言わないまでも、私は最後に笑ったのがいつかさえ思い出せない。 彼らが笑って暮らせているのは私が毎日あくせく仕事をしているおかげではないのか? そう思うと嫌みの一つも言ってやりたくなる。


「並の男なら香りを楽しむどころか飲む事さえ躊躇したであろうに。 肝が据わっているな。 まず毒味役に飲ませなくてもよいのか?」

「お戯れを。 無粋な物を入れてはせっかくの芳香が無駄となりましょう。 又、誰もが逃げた宰相職をお受けになった剛胆な御方から胆が据わっていると言われましても。 さて、褒められているのやら貶されているのやら」

「まあ、貴公をここで毒殺したら日を置かずに私も埋葬されるであろう」

「生きる事に飽き、死ぬおつもりで宰相になられた御方にとってはその方が好都合では?」


 これには内心驚いた。 腹心の部下にさえ厭世気分を臭わすような事は何も言っていないのだから。

「自分が大根役者とは中々気付けぬもの」

「御謙遜には及びません。 百まで生きるおつもりと思っている者がほとんどでしょう」

「ではなぜ貴公は気付いた?」

「配役に少々難がございました」

「ほう。 配役、とな?」

「閣下は歴史に造詣が深くていらっしゃる。 ここ数十年は病死や事故死に見せ掛けた暗殺により、どの宰相も二、三年で殉職している事を御存知ないはずはない。 最近は国内情勢も安定しているとは言え、それまでは長年に渡る抗争で誰もが疑心暗鬼。 皇王族や、その皇王族に仕える者達、上級貴族の思惑も錯綜しておりました。 彼らにとって目的達成の邪魔を取り除く事は大して難しい事でもない。 侯爵を宰相に選ぶ慣らいも、表向きは公爵家同士の紛争が起こった時、公正を期す為となっておりますが、真の理由は公爵だと揉めた時に首のすげ替えが容易ではないからです。 それらを御承知にも拘わらず御辞退なさらなかったのは、自死するより他人に殺された方が後々面倒がないと思われたからでは?」


 驚くべきではない。 上級貴族ならヴィジャヤンと比べても引けを取らない位の情報収集能力を持っているが、同じ情報を手にしていてもその裏に潜む人と金の流れを的確に読む分析力でこの男に優る者はいないのだから。 売り物が情報だけなら「皇国の耳」があれ程繁盛しているはずはないのだ。

 私の心情も読み尽くしているのだろう。 だからと言って、ここで自分の心情を吐露するほどの親切心は持ち合わせていないが。


「人は自分なら上手くやれると思うもの。 暗殺されたニュハス前宰相も楽天家であった」

「楽天家、は誤解を招く言葉ではないでしょうか。 宰相という宰相が次々と暗殺されていながら黒幕は不明のまま。 前宰相は政情の乱れが深刻化し、私利私欲を守る為には手段を選ばない輩に囲まれている事を御存知でした。

 当時はどの領地も飢えており、税収は日に日に先細りするばかり。 体面をどれだけ繕おうと内情は火の車。 貴族が金の事で争い始めたら一朝一夕に片が付く事はありません。

 過去の宰相達が早世したのはいずれも無能だった為と思うような自信家ならともかく。 前宰相は自分を過大評価なさるような御方ではございませんでした」

「皇国の再興を本気で信じていた夢想家、と言うべきか」

「会議の度に暗澹となりがちな陛下の御気分を建設的な提案で少しでも明るくして差し上げたいと思えばこその御決断、と私は推察しております」


 ニュハスの意図を読み取っている者が私以外にもいるとは思わなかった。 ニュハス侯爵家とヴィジャヤン伯爵家は敵と言ってもよいくらいの間柄ではなかったか? 敵対関係にあればこそ知らねば危ういという事なのかもしれないが。

 なぜ分かったと問い質しそうになったが、聞いた所で答えまい。 私にした所で同じように解釈しているが、ニュハスと腹を割って話した事はないし、誰かから何かを聞いた為にそう思うのではない。

 ただ私の領地に行くにはニュハスの領地を通る。 その関係で橋や道路、治水工事が行なわれていたのをよく目にしていた。 十年、二十年先でなければ見返りが望めないような規模のものだ。


 ニュハスの領地は豊かな土地とは言えない。 豊かであっても、あの当時そういった長期投資をしている貴族はいなかった。 だから工事の背後にある領主の意図を読み取るのは容易い。

 けれど同じ事を全国的な規模でやろうとしたのは無謀だった。 自領なら可能であっても皇都のような所有権が複雑に絡み合っている所でやろうとしたら工事完成前に国庫が破綻する。 宰相なら何でも出来るという訳ではないのだ。

 歴代宰相が何人殺されようと惜しいと思った事はなかったが、ニュハスには死んで欲しくなかった。 だからこそ言葉を尽くして宰相への就任を止めたのだが。


「決断の真意はともかく、就任一周年記念を生きて祝えないようでは望ましい結果とは言えまい。 しかも置き土産に私を指名していきおった。 何の面当てか。 全く忌々しい」

「前宰相は洞察力に優れた御方でした。 難局を打開するのは盟友である閣下以外にいないと思われたのでしょう」

「誰が盟友だ。 あれとは新年の挨拶以外、言葉を交わした事はない」

「酒を酌み交わすばかりが盟友ではないと存じます」

「第一、あれの遺言にどれ程の重みがあったと言うのか。 就任当時の経緯はそなたもよく知っておろう。 次を誰にするかカイザーとダンホフの間で最後まで折り合いが付かず、次善の策としてどちらの公爵とも深い繋がりのない私が支持されたに過ぎない。 宰相に選ばれる為に最も重要な資質はどこからも反対されない人材である事、それに尽きる」

「それだけでは就任しても一年と保たなかった事でしょう」

「私が殺されなかったのは単なる時の運」

「運だけでは、とてもとても」

「それはまあ、よい。 私としては在任期間最長の宰相として歴史に名を残す事だけは避けたい」

「記録樹立までまだ何年もございます。 お急ぎになる必要がございましょうか」


 誰でもよいなら急ぐ必要はないが、傀儡や一年で殺される宰相では準大公を処罰するのは不可能だ。 この男でなければ出来ない事だから急いでいる。 先代陛下お見送りの際の一連の事件を不問とするならそれでも構わないが、それは私ではなく、この男がやった事として残したいのだ。 史上稀に見る親バカとしてヴィジャヤンの名が記録されようと私が気に病む事ではない。


「必要はなくても政情が安定している今の内に政権交代をしておいた方が最善であろう」

「宰相の任期に上限はございません。 閣下にはまだまだ御活躍戴きたいものです」

「年寄りは労るものだ。 そなたなら五十代の働き盛り。 人脈、叡智、実務能力、どれを取ってもそなたに優る者はいない。 どの公爵からも異議の申し立てはないはず」

「未熟者にて、そのような大任を承るのは荷が克ち過ぎております」


 誰にどう持ち上げられようと迂闊な返答をしないのがこの男の賢い所だ。 既に宰相以上の仕事をしているではないか、とはさすがに言えない。 ヴィジャヤン派閥は国内最大とは言え、宰相の権限は派閥の首領に勝る。 自派の貴族へは税率を低く、他派の貴族へは高く設定する事も可能なのだから。

 但し、そんな事をしたら翌日暗殺されても不思議はない。 以前の私ならそれは望む所だったが、ここ三、四年で状況は大幅に変わった。

 もし今私が死ねば次の宰相は私の息子達になるだろう。 情けないが、ブリアネクの名さえあれば思いのままと信じているような馬鹿者揃いで、在任期間最短記録を更新して終わるのが関の山だ。

 せっかくここまで持ち直した宰相の権威を、今、地に落としてはならない。 私個人としては宰相の体面など構わないが、宰相は陛下の代理人。 宰相の権威の失墜は取りも直さず陛下の権威の失墜でもある。 それでなくても準大公人気は既に陛下への尊崇を上回っているのでは、という懸念があるのだから。

 瑞鳥が天駆けて以来、国内景気が上向き、税収が増え、何より人心に明るさが戻った。 ニュハスが信じて已まなかった皇国の再興が芽吹いている。 それが予期せぬ喜びである事は否定しない。 さればと言って、準大公にやりたい放題をやられては困るのだ。

 宰相に相応しいのはお前しかいないと縋った所でこの男がうんと言わないのは分かっている。 ならば準大公がサリ様の父として不適格であるという点を攻めるしかない。


「瑞鳥にぶら下がっていた、あれがなあ」

 わざとらしくため息をつくと、同じようにわざとらしく一呼吸置いて準公爵が答える。

「……良い事尽くめ、とは中々ならぬものかと」

「サリ様は皇国の安寧の為に必要な御方。 然し乍ら御尊父があれでは」

「サリ様の養育に関し何か御不満でも?」

「下々の者にも平気でサリ様のお姿をお見せしている。 あの親しみ易さこそが人心の尊崇を集めている理由ではあろうが、奔放な教育方針は余りに無防備」

「そのようにテイソーザ皇王庁長官がおっしゃった?」

「私も同意見だ。 仕事柄、混沌や争乱、その種となりそうなものを早期に駆除する義務があるのでな」

「準大公のお手元でサリ様をお育てする事に関しては、既に陛下よりお許しを戴いているはずですが」

「陛下は鷹揚かつ寛大でいらっしゃる。 陛下のお気持ちに背こうというのではない。 だが準大公の養育に問題が多々ある事は貴公も承知しておろう。

 そも準大公家の奉公人に平民がいるとは何事。 また無許可で御用船乗り換えとは、やむを得ない事情があっても死罪となるべき所である。 そのうえ乗り換え先が漁船。 穏当を欠くどころの騒ぎではない。 しかもサリ様をお守りするお役目の最中でありながら持ち場を離れて救助活動。 それで終わりかと思えばサリ様を外洋へ連れ出し、面妖な怪物を連れ帰り、ラーザンタ人と揉め事を起こす。 いずれも目に余る。 なのに言語道断の所行に関する弁明が一つもない」

「報告書でしたら山のように提出されているのでは?」

「皇王庁や大審院が派遣した者どもが提出したものならな。 あれをそのまま信じろと言うのか? 飼い犬が嫌がったから船を乗り換えた、網を放ったら八十人が縋って来たので泳いで引っ張った、海坊主とは昔馴染みで泳ぎ友達だ?

 幻想小説を奏上したいのなら本人が登城して奏上すべきである。 準大公が来れないなら貴公が宰相となって奏上すればよい」


 準大公の周囲には深謀遠慮の策士が揃っている。 報告能力がないのではない。 ヴィジャヤンだとて報告書には書かれていない裏を知っていよう。 サリ様を散々危ない目にあわせておきながら平気でヒャラを踊っているのだとしたら暗澹たる思いを抱かざるを得ないが、この男も平気なら、それはサリ様の安全に関する裏付けがあっての事なのだ。 自分が何を言ってるか分からない男ではないのだから。


「貴公が宰相となれば陛下もお喜びになる。 就任式は新年で如何? 早過ぎるという事もあるまい」

「乗り換え先は自家用船でした。 御用船になるはずだった船が沈没した事でもありますし、そう問題にせずともよろしいのではないでしょうか」

「自家用船という前例はない」

「自家用馬車と同じ範疇に入るのでは? 自家用馬車の乗り換えを禁ずる前例はなかったと思います」

「前例がないから罪ではないと言うつもりか?」

「では何がどのように問題なのか、皇王庁に問い合わせてみては如何でしょう?」


 私を煽っているのではない。 ヴィジャヤンは知っている。 皇王庁が何もしない意向である事を。 おそらくその理由も。 知っていればこそ、そんな事が言えるのだ。

 準大公がやった事はどれ一つを取っても皇王庁が火を噴いて当然の事件。 ところが厳罰で知られる皇王庁が私に何も言って寄越さない。 海坊主が現れたという突拍子もない報告にさえ審議の要求をしていないのだ。

 皇王族絡みの事件では往々にして事がうやむやとなる。 陛下が皇太子殿下であらせられた時に起こった暗殺事件がその例だ。 サリ様の誘拐未遂や神域での準大公襲撃のように皇王族が命じた事件ではなくても、殿下の国外旅行が明るみに出る事を恐れ、皇王庁は大審院に提訴しなかった。 だから皇太子殿下の直命により準大公が外洋に出掛けた事が不問になっているのは分かる。

 だが船の乗り換え、人命救助、海坊主はいずれも皇王族と何の関係もない。 準大公が独断でやった事。 それさえ誰も追及しようとしないのは何故か。

 私はテイソーザと協力関係にあると思っていたが、救助に関しては温情を持って対処するように、とだけ言われ、理由は説明されていない。 厳罰に処せとは言外にも臭わせていない以上、陛下か皇太子殿下の御指示があったとしか考えられないが。 どのような意図があっての事なのか? 背景を知らねば適切な判断は下せない。


 真実がどこにあるのか読めない苛立ちで、つい呟いた。

「馬鹿には馬鹿なりの理由があるはずだが」

 準大公に向かって宰相にあるまじき暴言だが、ヴィジャヤンは私の挑発に乗らず、静かに返す。

「広大な北の大地は大木を育てるのに適しております。 狭い土地に巨木の若木を植えれば成長を阻まれましょう。 美しく剪定し、小振りに育てる事が惜しい木もある。 という事で、今暫く見守って戴けないでしょうか」

「北で立ち枯れたらどうする。 安全第一とは思わぬのか」

「どこであれば安全とおっしゃる? 歴代宰相が暗殺されたのは、ほとんどがこの官邸内ではありませんでしたか? 塀と扉と最強の兵士に囲まれていれば安全と言える訳でもない事は閣下も御同意下さるはず。 貴族の本邸、別邸はどこであろうと血塗られた過去の一つや二つはあるもの。 新邸を建てれば安全な訳でもない。 恐れ多い事ではありますが、後宮でさえ赤子の約半数は一歳のお誕生日を祝えないと聞き及んでおります」

「北であれば安全と言う根拠は何か」

「どこが安全と申し上げているのではないのです。 こちらが良い、いや、あちらの方が、と移し替えていては根を張る間もない。 やれ育て、すぐ育て、と水や肥料をやり過ぎて枯れる木もあり。 新年の際、サリ様のお健やかなる御成長を御覧になれば御安心戴けるかと存じます。

 本日は大変美味しいお茶を御馳走様でございました。 これにて失礼させて戴きます」


 辞去するヴィジャヤンの後ろ姿を見送って舌打ちした。 宰相をやらせるどころか、いつかやる気があるのかさえ聞き出せなかった。 道理で素直に呼び出しに応じたと思ったら。 サリ様を養女にという話がある事を知って牽制しに来たという訳か。 それにしてもどこからその話を聞いた?

 準大公から養育権を取り上げるべきという動きは元々あったが、誕生と同時に婚約が調ったという前例がないため、その婚約者の養育権に関する前例もない。 あったとしても法はこちらの都合次第でいくらでも改訂出来るし、こちらが何もしなくても向こうから次々馬鹿な真似をしてくれているのだ。 養育権剥奪の理由に困る事はない。

 とは言え、相手は国民の英雄。 国民感情を逆撫でするような真似は出来ない。 準大公の領地を北の僻地にしたのも、そんな所で未来の皇王妃陛下を養育する訳にはいかない。 後宮へお迎えするまで皇都に住む事になると予想した故だったが。 見事に外れた。


 いつまで経っても北を離れる様子がないのでサリ様を養女にする話が持ち上がったが、どこの家が迎え入れる事になっても強硬な反対があるだろう。 それで取りあえず私を養父として打診した。

 正直な所、私を辞めさせてくれるなら次の宰相は準大公がやってくれても良い。 どうせ実務を執るのはマッギニスの次男だろう。 少々若いが、虎も付いて来るかもしれない事を考えると悪い話ではない。

 だがこの話を持って行った使者は一昨日北に向けて出発したばかり。 到着したはずはないし、この事を知っているのはテイソーザだけ。 まだ陛下に奏上していない。 私以上に反ヴィジャヤンであるテイソーザが漏らすだろうか? 漏らす気がなくてもヴィジャヤンなら探り出せると思うが。


 それとも準大公が動いた? 養女の話が来る事を予想して父親に知らせたのか? そんな先見の明がある男には見えないが。

 頭の中身はともかく、人の予想を裏切る。 何より彼の人脈は侮れない。 直属上官は勿論の事、全軍の将軍から覚えが目出度い上に、スティバル祭祀長にも気に入られているのだ。 軽く見たのは間違いであったか?

 祭祀庁の内部は陛下のお気持ち以上に不透明だ。 祭祀長を味方に付けているとなると、こちらとしても対抗策を考えておかねばならない。

 もしかしたらお見送りに行ったのも裏に何か別な目的があったのでは? 行き当たりばったりにやった事のようにしか見えないが。 もしやそれも世間への目くらまし? だとしたら、とあり得る可能性を思い巡らし始めた所で根本的な間違いに気が付いた。

 馬鹿を深読みしても始まらない。


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