表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
弓と剣  作者: 淳A
揺籃
405/490

無味

 目が覚めたら、自宅のふとんの中だった。


 なんだ、やっぱり助かったんじゃないか、て?

 そんなに残念そうに言わないでっ。 んもー。 ほんと、世間の風って冷たくなるばっか。


 はい? 助かったんだから文句言うな?

 そりゃ助かったのは嬉しいさ。 どうやら霜焼けもない。 体は無事だ。 でも気分は最悪。 俺が嫌と言ったくらいで、あのマッギニス補佐が諦めるはずはない。 また簀巻きにされるのかと思うと鳥肌が立っちゃう。

 も、もしかしたら、俺がうんと言うまで毎日簀巻き?

 ひーっ。 そこまでやったら人じゃないっ! 人外決定。

 残念な事に、マッギニス補佐は北軍の人外としてとっくに有名だ。 本人はもちろん、入隊したばかりの新兵だって知っている。 そんな事をしたらみんなに人外だと思われますよ、なんて言ったって脅しにもなりゃしない。

 マッギニス補佐ならやる。 そこまでだろうとどこまでだろうとやる。 誘拐みたいな強行手段に出る事はないかもしれないが、それはそんな事をしなくたって俺にうんと言わせる事が出来る人だ。


 ううう。 どうしよう? ふとんから出たくない。

 あ、このぬくいふとんを執務室に持って行くとか?

 うーん。 でも持って行ったって四六時中ふとんにくるまっている訳にもいかないよな。 お昼をふとんの中で食べたら行儀が悪いし。 かと言って出たらそこで終わり。 まあ、出なくたって終わりのような気がしないでもないが。


 マッギニス補佐、また出張に出掛けてくれないかな。 俺が出掛けたっていい。 普段なら出張でなくてもマッギニス補佐の顔を見る事はあまりないが、それは向こうが忙しくて俺に会う気がないからだ。 大きな声では言えないけど、マッギニス補佐が俺を呼び出しているのであって、俺がマッギニス補佐を呼び出しているんじゃない。


 上官なんだから会いたくないって言えばいいじゃないか、て? 誰がそれを言うの? 言ったって、それがどうした、だろ。 俺が言ったってそうなんだ。 部下の誰が言おうと関係ない。

 将軍に言われたら聞いてくれるだろうけど、そんな事を言ってくれ、て将軍に頼むの? 自分の補佐が怖いから会いたくないだなんて。 いくら俺だって情けなくて頼めやしない。

 俺の為に体を張ってくれる人ならいる。 だけどマッギニス補佐の氷攻撃を真正面に受け止めても平気な人なんて、少なくとも俺の隊にはいない。 あっさり床に転がされて終わりさ。


 今日を切り抜けるにはどうするのが一番いいんだろう? 会議とか客との面会があれば簀巻きにはならないと思うが、あいにく今日は何も予定が入ってなかったような。 面会なんてめんどくさい、とどれも断っていた事を今更ながら後悔した。

 外はまだ暗いが、空が白み始めている。 リネが隣に寝ていない所を見ると六時は過ぎているだろう。 弓の稽古に行かなきゃ。 でも的場にマッギニス補佐が待ち構えていたら?

 うー、行きたくないよー。 簀巻きだって暖炉のある執務室でやるより外でやった方が効果あるよな。 それとも的場じゃ人目があるから、やっぱり執務室? どっちにしてもお先真っ暗。


 ぬくいふとんから出たくなくて未練がましく寝返りをうっているとトビが部屋の扉を叩いた。

「旦那様、お目覚めですか?」

「う、まあ、な」

 俺は出来るだけのろのろ起き上がった。

「御気分は如何でしょう?」

 いつもなら朝しゃきしゃきしてないと冷たい視線を送って寄越すトビが今日はちょっと違う。 視線に気遣いが込められている。 心配かけちゃった?

「大丈夫。 俺、昨日はどうやって帰ったの?」

「ターデネクと名乗る兵士が旦那様を運んで参りました。 マッギニス補佐に命じられたとの事で。 執務中に旦那様が気絶なさったのだとか。 理由や詳細は伝えられておりません」

 俺を気遣っているトビを見て、仮病が使えるかも、という考えがちらっと浮かんだ。 ただどこにも痛みはない。 病気だけじゃなく、怪我らしい怪我だってした事ない俺だ。 下手な芝居をうったってトビを騙すのは無理っぽい。 ケルパやダーネソンを連れて来るまでもなく、ばれるだろう。 本気で心配している真面目な奉公人をよくも騙したな、とトビを怒らせたら目もあてられない。

 はあ。 仮病も使えないだなんて。 ほんと、生きづらい世の中だぜ。


 取りあえず養女の件を話しておこうと思い、実は、と話しそうになってから慌てて止めた。

 養女にするかしないかは北方伯家内の話だ。 執事が事情を知っていてもおかしくはない。 いや、知っておくべき事とさえ言える。 軍事機密と言うより政治絡みの話なんだから。

 だけどこれはマッギニス補佐の案だ。 サリをすごくかわいがっているトビなら俺以上に養女に出す事を渋るはずで、マッギニス補佐と正面衝突したとしても怯む人じゃない。 で、本当に衝突したらどうなる?

 トビ対マッギニス補佐。


 今まで二人が正面衝突する場面なんてなかったから、結果がどうなるか、それは俺にも分からない。 でも優劣を付けられない能力を持つ二人なだけに、本気でぶつかったらどちらも無事では済まないような気がする。

 どっちが強いか見てみたいなんて気持ちは金輪際ない。 猫又の例を持ち出すまでもなく、毎日普通に生きていたって怖い事がいっぱいある。 やれやれ今日は何もなかった、とぐっすり眠った次の日に、前日やらかした事が原因で地獄に落ちたりするんだぜ。

 それでなくても俺の周りには一歩間違ったら怖い対戦カードがごろごろ転がっている。 怖い姻戚だって随分増えた。 みんなと仲良くやっていけるならそれに越した事はないが、養女の件だって意見を聞いたらたぶん誰もが違う意見を言うと思う。 ブリアネクへくれてやるくらいなら是非当家へ、とかさ。


 俺を怖いもの知らずと思っている人は結構いるようだけど、それ、誤解だから。 今までだって俺は怖い目にあうと知りながら突き進んだ事なんてない。 怖い目にあうはずはないと思っていたのに怖い目にあった事ならいくらでもあるが。

 波風立てずに済む事ならなるべく荒立てず、というのが俺の基本だ。 身内の争いを見たくないなら自分でなんとかするしかない。


 そんなの当たり前だろって? 言われなくたって分かってるよっ。

 だけどこの状況、俺だけでなんとかなると思う? 無理だろ。 無理、無理、無理。

 誰かに相談しなきゃ。 だけどトビ以外となると、他に誰がいる?

 奉公人には誰であろうと相談出来ない。 マッギニス補佐に対抗出来ないだけでなく、そんな事をしたらトビに筒抜けだ。

 リネは奉公人じゃないし、トビを恐れてはいても俺が黙っていてくれと頼んだら何も言わないだろう。 だけど養女については、その方がいい教育をしてもらえるからサリの為になるのでは、と言いそうな気がする。 俺が嫌だとごねたら、周りの人を困らせるのはよくないです、と説教されるかも。 第一、リネに簀巻き対策を聞いたって分かりっこない。


 軍関係では将軍、副将軍、師範がいる。 その気になればマッギニス補佐をねじ伏せる事が出来る人達だけど、誰もが、養女にしろ、その方がいい、と言いそうな気がする。

 マッギニス補佐に簀巻きにされたとちくったって同情してくれそうな人はいない。 師範なんて何の助けにもならないどころか、お前は氷の簀巻きにされたくらいで丁度いい、もっとしてもらえ、とか言いそう。

 するとリステレイフ中僧? うーん。 愚痴は聞いてもらえると思うが。 養女はマッギニス補佐が俺の事を心配して考えてくれた戦略というか、宮廷内の駆け引きだ。 大人しく従った方が、とやんわり諭されそうな気がする。


 はああ。 よくよく考えてみれば、我を通して牢獄行きとなり、爵位を取り上げられたら、サリだって取り上げられる。 そうなったら二度とサリの顔が見れなくなる事に変わりはない。 それに比べたら養女は会える可能性があるだけまし? なら、我慢する?

 ううっ。 や、やっぱり嫌。 泣いちゃうかも。

 泣けば俺の言う事を聞いてもらえた子供の頃が懐かしい。 母上には全然効かなかったけどな。 他の人にもやっちゃだめって母上に言われて、それからやらないようになった。 泣き落としをした事がばれたらかなりきついお仕置きをされたし。

 いつもはやさしい母上だけど怒らせたら怖いんだ。 師範やマッギニス補佐のような怖さじゃないが。 例えて言えば神様を怒らせたら怖い、みたいな? でもここに母上はいない。 相手がマッギニス補佐じゃなきゃ今でも泣き落としは結構通じたと思うが、今、あの手この手と試している時間はない。


 普通の養子縁組なら皇王陛下のお許しを戴くまで早いものでも一年はかかる。 数年かかる事も珍しくないし、許可が下りない事だってあるらしい。 ただ実際に許可を出しているのは宰相なんだ。 それはトビが言ってたから間違いない。 陛下は盲判というか、宰相の報告を受けて頷くだけなんだって。

 という事は、俺がうんと言ったらすぐに許可が下りる。 翌日に許可が下りちゃうかも。 だから取りあえずこの場はうんと言って時間稼ぎをする、という手は使えない。 父上や兄上達なら養女の代わりになる案を考えてくれそうだけど、手紙のやりとりをしている時間なんてないし。


 こうなったらスティバル祭祀長に縋るしかない。 祭祀長ならこの養子縁組を許可をしないようにと奏上する事も出来るはず。 だけど祭祀長にお会いするにはなんたらかんたら色々複雑な手順を踏まなきゃならない。 手順を無視したら後でもっと困った事になる。 今まで一度もやった事のない俺がやったって許可が下りる訳がない。 マッギニス補佐に頼まないと。 マッギニス補佐以外で手続きが出来る人って言ったらカルア補佐くらいだろう。 他の誰がやったってどこかで失敗して会わせてもらえないに決まっている。

 すると前にやったみたいに師範の護衛として付いて行き、お目通りするしかない。 マッギニス補佐に隠しきれるとは思わないが、お目通りは叶うはずだ。 それにはまず師範にうんと言ってもらわなきゃならないんだけど。 そこで躓く予感はあるが、自分で勝手に面会願いを出したらもっと大きく躓くに違いない。


 俺は覚悟を決めて師範が朝稽古している道場へ向かった。

「師範、お願いがあります」

「なんだ、朝っぱらからその不景気な面は」

 師範はちっと舌打ちして俺を師範控え室へ引っ張って行った。

「アラウジョ。 話が終るまで誰も入れるな」

「了解」

 ドアを閉め、師範が言った。

「養女の件だろ」

「御存知でしたか」

「マッギニスが将軍に皇都で何があったかを報告した時、同席していたからな」

「あの、それで師範はどう思われます?」

「いいじゃないか。 サリの事は皇王族の婚約者になった時点で後宮入りしたと思って諦めろ」

「お、俺は嫌です」

「ふん。 なら他へ話を持って行くんだな。 俺には何を頼んでも無駄だ」

「そ、そんな」

 出て行こうとする師範にしがみついた。

「何もしなくていいんです! ただ祭祀長とお会いする時、護衛として付いて行く事を許して下さるだけで」

「何もしなくていいだあ?」

 師範が俺の胸ぐらをぎゅっと掴んでぎりぎり締め上げた。 く、苦しいっ。

「寝言を言うんじゃねえっ。 お前を連れて行っただけで俺も一つ穴の狢、何かをした事になるんだっ。 祭祀長に何を言うつもりか知りませんでした、なんてバカな言い訳が通用すると思うのか!」

「ぐ、うっ」

 師範は息が出来なくてじたばたしている俺を床に投げ捨てた。

「サリがブリアネクの養女になれば、あちらの顔が立ち、こちらはいつブリアネクに背中をぶすっとやられるかを気にせずに済む。 仲良しこよし、万々歳だ。

 今までどんなに危ない橋を渡って来たか、お前は分かっているのか? 今回のお見送りでお前がやらかした事だって、一つ間違えば一家一族纏めて処刑になったかもしれん。 それに抗弁したマッギニスが生きて帰って来たのは驚くべき事なんだぞ。 お前はこの機会に死んで帰って欲しかったかもしれんが」

「そ、そんな。 そんな事、思っていません」

「へえ。 氷の簀巻きにされたって生きていて欲しいのか。 見上げた根性だぜ。 まあ、あいつも中々しぶとい。 本当にくたばって帰って来たら驚いたと思うが。

 とにかく今までお前がやった事のせいで死んだ奴はいないからって、それが当たり前だと思うなよ。 お前が我を張れば張る程、割を食う奴が増える。 部下や奉公人だけじゃない。 リネや次に生まれる子の命だってお前次第だ。 それともサリさえ手元に置けりゃ次はどうでもいいか? まだ生まれていないしな」


 ここまで言われるとは思っていなかった。 師範だって本音はサリを養女に出したくないだろうと思っていたのに。

 じゃあ、諦める?

 ……嫌。 それは嫌だ。

 誰かを犠牲にしても? 自分が犠牲になるのはいい。 俺以外の人が責任を取らされたら? 次の子が取り上げられても、それでもサリを養女に出すのは嫌って言う?

 師範の言ってる事は脅しも入っているだろうが、俺がここで抵抗したらいろんな人に迷惑が掛かるというのはあり得ない話じゃないんだ。 それは俺にだって分かる。

 じゃ、どうしたらいいの? 他人とか次の子とか言われたって命の順位なんてつけられないし、そんなものつけなくても何とかなるんじゃないか、てそんな風にしか考えられない。

 何とかって、何?


 たぶん、俺はそこから的場へ行ったんだと思う。 たぶんと言うのは弓の稽古をしたかどうか覚えていないから。

 ふと気が付いたら執務室にいた。 ここにいたら簀巻きにされる、逃げなきゃ、と思ったような気もするが、体を動かすのが億劫でずっとそこにいた。

 これをしてくれ、あれをしてくれと言われ、言われた通りにしたけど、何をしたのかはっきりしない。

 結局簀巻きにはされなかった。 マッギニス補佐が来なかったんだ。 いや、来たのかも。 俺が覚えていないだけで。

 何もかもが薄ぼんやりして霧に包まれているみたい。 腹が減っていない所を見ると昼飯だって食べたはずだが、何を食べたのか思い出せない。


 ふと辺りを見回したらもう夜になっていた。 とっくに家に帰っていて着替えを済ませている。 サリの顔を見に行こうかと思ったが止めておいた。 起こしちゃったらかわいそうだし。

 月がない夜だけど湖の対岸に建っている家の灯が見える。 それを見るともなく見ていたら心配そうなリネの声がした。

「旦那様。 どうか少しだけでも召し上がって下さい。 お体にさわります」

 いらないと言いそうになったが、喉が渇いてる。 言われるままに食卓についたらフロロバが卵とじにしたおかゆっぽいものを出してくれた。

「うまそうだな」

 食べたけど、味は分からなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ