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弓と剣  作者: 淳A
春遠き
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祈り  ある兵士の話

 静謐な朝。 若が矢を射る。

 バシュッ バシュッ

 一矢。 また一矢。 丁寧に射っていく。 祈るかのように。


 それを遠くから見ている俺。 必死に稽古したけど、ちっともうまくならなかった俺。 あそこまで命中出来たらどんなに嬉しいか。 羨ましく思いながら見ている。

 まあ、必死に稽古したとは言っても真冬に稽古した事はなかったが。 そんな事をしたら弓がうまくなる前に死ぬだろ。


 バシュッ バシュッ

 矢が的を貫く音の少し前に、空気がひゅんと唸る。 その切れ味の良い音が遠くで見ている俺の耳にまで響く。 辺りで見物している兵士の顔マスクからくぐもった感嘆が漏れる。 俺は黙ってそれを聞いていた。

 すげえなんて今更言う気になれない。 今朝だって矢が当たらないと若が愚痴っていると聞いたから、この寒い中わざわざ見に来たのに。 何が当たらない、だ。 どう見てもちゃんと当たっているじゃないか。 ガセ?


  若の声が聞こえた。

「ちぇっ。 また外れちゃった」

 俺は隣でぶるぶる震えながら見ている奴に聞いた。

「なあ、当たらないって噂、聞いたんだけど。 だから毎日稽古しているって。 でもみんな当たっているだろ。 若だって。 なんで外れたと言ってるんだか、分かる?」

「そりゃ狙った所に当たっていない、て意味さ。 見ろよ、矢の並び。 左右にぶれているじゃん?」

「ぶれているって。 ほとんどまっすぐだろ」

「夏だったら定規で線を引いたみたいな並びだぜ。 それと比べているんじゃね?」


 的のどこに当たろうと当たっているんだ。 それでいいじゃないか。 しかもあの的は百二十メートル先に置いてある。 どうしてこれでもう充分だと思わないんだ?

 刺さった矢を見て、若がぶつぶつ文句をおっしゃっている。 まだ満足したようには見えない。

 この寒稽古が冬中続く。 毎日毎日、休みなく。 吹雪の日もやっていると聞いた。 雪の日に当たらなくたって当たり前だろ。 的だって見えない。 なんで当たると思うんだ?

 若の瞳が何かを見つめている。 的?

 いや、違う。 ふと思い出した。 あの瞳は以前ケルパ神社で会った、祈りを捧げる僧に似ている。


 祈ったからって願いは届くのか? 俺の祈りは届かなかった。 だから僧に聞いたんだ。

「どうして祈るんです? 願いを叶えてくれる訳でもないのに。 無駄だとは思わないんですか」

 僧は俺の不躾な質問を叱るでもなく、説教するでもない。

「祈る事自体が誰にでも許され、与えられている恵みだからですよ」

 若も祈っているのか? もっともっとうまくなるように、て。 稽古を続けている所を見ると、祈っていたとしても稽古をせずにうまくなれるとは思っていないんだろう。


 的場には自分も稽古する振りをして常に若番が二、三人いる。 若がついうっかり凍傷にかかったりしないように。 吐く息でまつげがばりばり凍る冬だ。 外気に肌を晒したら五分で凍傷にかかる。 あの黄金の指に万一があっちゃまずいだろ、と。

 従者がいつも側に張り付いているとは言え、あの従者にとっても初めての北の冬。 温石というものがある事さえ知らなかったんだとか。 石綿を知らずに普通の手袋で石を掴み、燃やした事もあったらしい。 今ではこまめに温石を近くの暖炉小屋で暖めては冷たくなったやつと取り替える手際もいいが。


 若は恵まれている。 誰もが若を大事にする。 稽古なんかしなくたってそれに変わりはないだろう。 なぜそんな、しなくてもいい努力をするんだ?


 バシュッ バシュッ

 寒さにめちゃくちゃ弱い御方と聞いている。 それでなくともあんたはもう充分、名人じゃないか。


 愚問だな。 祈りに終わりはない。


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― 新着の感想 ―
[一言] 「祈り」題名からもう好きなんです。若は誰もが認めているのにも関わらず 自分は 弓の名人だとは思ってはいないんですよね。どのように弓を射ることが出来れば 自分でも納得が行くのでしょうか? …
[良い点] 周回中(返信お気になさらず) 猛虎と饅頭…このころはまだ、若がそんなにどやされていない貴重なシーンですね(笑) そして若の地頭の良さやトビの心中が聞けるのも最初の頃ならではで新鮮で楽しい…
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