猫又
「海坊主の次は猫又と来たか」
緊急呼び出しを食らい、急いで将軍執務室に出頭すると、いかにもうんざりという感じで将軍がおっしゃった。
ねこまた?
猫の股? まさか、な。 第一、それじゃなんで海坊主の次なんだか分からない。
師範も同時に呼び出されたらしい。 しかも直立不動。 着席を許されていない、て事は叱られているんだ。
俺が怒られるのは珍しい事じゃないが、師範も一緒に怒られるだなんて。 なんで? 緊急呼び出しになるような事、何かしたっけ?
将軍のお顔を見ると、かなりまずい事をしたようだ。 ねこまただけじゃ何の事だか分からないが、猫と言えば昨日の猫しか思い当たる事はない。 師範は分かっているのかな?
ちらっと師範に視線を投げたら、ばしん、という強烈な返しが頭のてっぺんに来た。
い、いでーっ。 いでーよっ!
髪を掴まれ、天井から吊り下げられたみたい。 なに、これ。 新手の攻撃? 恐るべし。 もう一回やられたら禿げるかも。
あの視線を通訳すれば、俺に分かるか、ばかやろう。 巻き込みやがって。 だからあんな猫、放っておけと言っただろ、て感じ?
んもー、ほんと短気なんだから。 俺のせいと決まった訳でもあるまいし。 いや、まあ、猫を助けたのは俺だけどさ。 猫助けして何が悪いの?
それとも飼い主が現れて文句を言いに来たとか? 助けてあげたのに?
あ、家に連れ帰ったのがまずかった? だけどトビが言った通り、あの付近は空き家とか建築中の家ばかりで餌をくれそうな家が一軒もなかった。 連れ帰ったのが悪いというなら謝るけど、なぜそれが悪いのか教えて欲しい。
どう謝ればいいのか分からなくて黙っていると、しびれを切らしたかのように将軍がどん、と机を叩いた。
「猫又を知らんとは言わせんぞ!」
「申し訳ございません。 ねこまたって何ですか?」
将軍が深いため息をついた。
「本当に知らないのか?」
そうおっしゃって頭を抱えた。 更にもう一つでっかいため息をついてから両手をパンパンと鳴らし、次室に控えていたカルア補佐をお呼びになった。
「カルア、知らなかったで済むと思うか?」
カルア補佐は目を少し伏せた。
「ヴィジャヤン大隊長の人柄を知る人なら、さもありなんと納得して下さる可能性がないとは申せません。 皇王妃陛下とはお出迎えの際、御身辺を警護した縁がございます。 スティバル祭祀長とは親しいと申し上げる程ではないにしても、タケオ大隊長となら毎週お会いする間柄。 ヴィジャヤン準公爵を始めとする人脈も頼りになるかと存じます。 けれどその全てを投入しても知らなかったで事を収めるのは非常に難しいと申せましょう。
特に宰相。 そして大審院。 今回の件で大きな発言力をお持ちの方々とは交流らしい交流がないのですから。 状況は予断を許しません」
な、なんだか、すごくまずい事になっているみたい。 あの猫、結構有名だった? 将軍は暫く無言でいらしたが、ため息と共におっしゃる。
「ヴィジャヤン。 これに関してはスティバル祭祀長にお縋りするしかない。 祭祀長のお力だけで何とかなるかどうかは分からんが、座して待っていれば皇都から良い知らせが来る訳でもないのだ。 今すぐここで祭祀長宛に手紙を書け。
文面は、珍しき猫を拾った故、家内に入れてもよいか御検分戴けないでしょうか、とせよ。 お前の字を見ただけで破り捨てられる恐れはあるが、祭祀長へ代筆の手紙を差し上げるとは不敬極まりない。 いくら字がきれいでもそれだけで別な問題となる。
次のタケオとのお茶まで待ち、秘密裏にお言葉を頂戴出来れば穏便に済む。 とは言え、誰が何を見ていたか分かったものではない。 緊急事態だ。 手紙を出す前にマッギニスの意見を聞きたかったが。 出張でいつ帰るか確かではない以上、待っている訳にもいかん」
一体何が起こっているのか分からないが、とにかくカルア補佐から紙を戴いて言われた通りに手紙を書き始めた。
将軍が師範におっしゃる。
「タケオ。 平民出身のお前が猫又を知らなくても無理はないが、大隊長であり準皇王族の血縁となったのだ。 皇王族が忌み嫌うものを、全部は無理でも常識程度の事は学んでおくように。
尾が二つある猫は猫又と呼ばれており、皇王族にとっては天敵とも言える害獣だ。 一度でも触れたら病に倒れ、助からないと言われている。 呪いは普通、宝石類に掛けられるもの。 生き物には掛けようとしても掛けられないと聞いているが、猫又は例外らしい。 呪いなど何も掛けられていなくても有害なのだ、と言う者もいる。 私がそんな猫を見つけていたらその場で斬り殺していた。 とは言え、そんな猫を見た事など一度もなかったし、正直な所、今の今まで実存する動物とは思っていなかったのだが。
ヴィジャヤン。 伯爵の正嫡子であるお前が、猫又を知りませんでしたと言って簡単に信じてもらえるとは思うなよ。 ここはそれで押し通すしかないが」
皇王族の天敵? あのきれいな猫が? 呪い? 有害?
信じられなくて呆然となった。
「ヴィジャヤン大隊長。 書き直して下さい」
カルア補佐に注意され、はっと手紙に目を落とすと、インクが落ちてスティバル祭祀長のお名前の一部を消しちゃってる。
「あ、あ、す、すみません」
カルア補佐が差し出した新しい紙に書き直した。 言われた通りに書いたけど、このままじゃ猫は殺されるっぽい。
「あの、この所元気がなかったリネが、猫と遊んだおかげでとても明るく笑うようになりました、と書いちゃだめですか?」
「「「……」」」
だめみたいだな。 嘘じゃないのに。 昨日歌を歌ったのだって猫と遊んだから、て気がした。 ただの偶然かもしれないけど。 でもリネが朗らかに笑うだなんて、ほんとに久しぶりだったんだ。 サリにとってもいい運動になったし。 喜んで猫を追っかけ回したからお腹が空いたらしく、御弁当をもりもり食べていた。 べたべた猫に触ったけど病に倒れるどころかいつもより元気、て感じ。 一体、どこが呪いなの?
ひょっとして、サリがまだ皇王族じゃないから大丈夫とか? 皇王族には天敵でも皇王族以外の人には何の害もないなら皇王族が来ない場所で生かしておけばいいんじゃない? そもそも我が家に皇王族が訪れる可能性なんてないも同然だろ。 サリがお嫁に行っちゃう時、連れて行かなければいいんだし。 昨日ふらっと現れた猫だから、今日家に帰ったらもうどこかに行っちゃって、いないかも。
だけどそんな事が言えるような雰囲気じゃない。
将軍がお訊ねになった。
「奉公人や警備の剣士の中に猫又に気付いた者はいなかったのか?」
「ふさふさしてるので、二つの尻尾と言うより一本の太い尻尾に見えるんです。 俺が気付いてリネとトビに言いましたが、言いふらしたりはしていないでしょう。 猫又とは知らなくてもトビが気味悪がって捨てに行こうとしたんです。 他の奉公人にも気味悪がられたら困るから黙っていました。 たぶんその内気付かれると思いますが」
「猫又の噂が広がらないよう、奉公人全員に箝口令を敷いておけ」
そこで師範が将軍へお訊ねになる。
「私がヴィジャヤン邸へ行き、猫を殺せば解決するのではないでしょうか?」
「えっ」
「いや、それはスティバル祭祀長の御指示があるまで待て。
ヴィジャヤン。 サリ様も猫に触れたのだろう?」
「はい」
「そして昨日、その猫を自宅に連れ帰った。 そうだな?」
「はい」
「猫又に触れ、しかも一つ屋根の下でお休みになった。 となると、解呪の儀が必要となる」
「かいじゅの儀、ですか? それは何をする儀式なのでしょう?」
「呪いを解く儀式だ。 私は参列した事がないから詳しい事は知らん。 だがそれをするには元凶が手元になければやれないと聞いている。 元凶が動物なら死んでいるより生きていた方がよいかもしれん」
書き終えた俺の手紙を見て、将軍が渋いお顔をなさる。
「習字の練習を怠けおって」
「す、すみません」
「全くしょうがない奴だ。
タケオ。 祭祀長にはお前からの手紙であるかのように持って行け。 お目通りが叶うかどうかは分からんが、門番はお前が毎週来ている事を知っている。 予定にない面会であっても特に不思議とは思わず神官を呼んでくれるだろう。 神官の耳にサリ様の安寧に関する緊急事態と囁けば、取り次いでくれるはずだ。 お前が突然祭祀長の御宅へ伺った事は隠せんが、事情を知らない奴らから見れば、祭祀長から急なお呼び出しがあったのか、なくても行ったのかの区別はつくまい」
「了解しました」
師範は俺の手紙を持って神域へ向かった。
俺は改めて将軍とカルア補佐に昨日のりんご狩りと猫を助けた経緯、そして家に連れ帰った事を報告した。
「するとサリ様に異変がなかった事は間違いないのだな?」
「はい。 今朝も大変御機嫌な様子でした」
「分かった。 取りあえず猫は隔離しておけ」
「それは、家から出さない事は出来ますが。 リネも一緒に隔離する事になると思います」
「何だと?」
「昨日の夜、寝る前にあの猫を猫用の部屋に入れてドアを閉めたんですが、今朝起きたら俺達の寝室にいたんです。 寝る時はいつも内鍵を掛けているから俺達のどちらかが起きて入れてあげなきゃ入れないはずなのに。 リネから目を離さない猫と言うか。 どこに行っても付いて来るので。 猫だけ隔離しようとしても、たぶん出来ません」
「ううむ」
将軍とカルア補佐の瞳が、やはり普通の猫ではなかったか、と言っている。 それは誤解です、とは言いづらい。 フロロバなら内鍵が掛けられていても開けられるが、フロロバ以外でそれが出来る人はいない。 人だって簡単に出来ないのに、そんな事が出来る猫だなんて普通じゃないだろ。 でも普通じゃないから悪人、と言うか、悪猫と思うのは間違いだ。
「俺としては、あの猫がリネと一緒にいてくれた方が安心なんですが」
「安心、だと?」
「何となくリネを守ってくれているような気がするので。 リネは歌や儀礼とか、練習しなきゃいけない事が結構あります。 サリ様といつも一緒にいる訳ではありません。 サリ様にはケルパや護衛がいますが、リネ専属の護衛は今までカナだけでした。 あの猫にケルパのような力はないですが、猫にしては大きいので、いると頼りになるんです」
将軍のお顔が曇る。
「カルア。 猫又と聞いて、陛下はどうなさると思う? それでなくても未決の問題が山積しているというのに、これだ。 問答無用で養育権を取り上げろ、となるのではないか?」
「微妙な所です。 御勘気は免れないと思いますが。 ヴィジャヤン大隊長から養育権を取り上げたら、サリ様をどこにお移し申し上げるか、という事が問題になるでしょう。
猫又は誰でも知っている害獣。 とは申しましても実際に見た者がいるとは聞いた事がございません。 また、呪術関係は門外不出です。 猫又の呪いとはどのようなものであるのか、神官でなければ詳しくは知りません。 未知のものほど恐れるのが人の常。 解呪の儀式が滞りなく終了したとしても呪いに触れた御方を後宮にお迎えするのは相当な抵抗があると予想されます。
しかし後宮以外での養育となりますと、どなたを選んでも合意するまで相当紛糾するのではないでしょうか。 最終的には陛下が御決断なさるとしても警備その他諸々をどうするか、その経費を誰が負担するのか、問題になるはずです」
「婚約破棄となる可能性は?」
「それはないと存じます。 タケオ大隊長が猫又を知らなかった事を見ても分かる通り、猫又に触れたから婚約破棄、では民が理解するとは思えません。 又、婚約破棄となれば発表と同時に、それなら我が国へ、とサリ様をお迎えしたい国がいくらでも名乗りを上げる事でしょう。 サリ様が他国へ輿入れなされば大量の移民の引き金となる事は目に見えております」
「まあ、婚約破棄にならないとしても前途は多難だが」
そして将軍は口を噤まれた。
サリの事を御心配下さっている様子が窺える。 俺だって不安だ。 後宮なんて悪口の巣窟にしか見えない。 今では後宮にサジ兄上夫妻もいて下さるが、たったの二人じゃ味方の数としては心細い。 いくらケルパが身の周りを守ってくれたって悪口から守ってくれる訳じゃないし。
サリが病気したり怪我したりする度に、猫又に触ったのが原因だという噂になったら? それだけじゃない。 皇王族のどなたかが御病気になったのもサリのせいだと責められたら?
サリがお嫁に行くまで間がある。 猫又の呪いなんて忘れてくれるかもしれないが、貴族って上になればなる程、物事を簡単に忘れたりしないんだよな。 呪いみたいなばかばかしい事だって。
呪いなんて俺はただの迷信だと思っているが、それで婚約破棄になってくれるなら俺としては嬉しい。 但し、外国に嫁にやる気はない。 それってつまり一生誰とも結婚しないって事になるが、親元にずっと置いておけたら安心だ。 そんなの親の身勝手だ、と分かっちゃいるけどさ。
はああ。 でもこうなると知っていたらあの猫を家に連れ帰ったりしなかったのになあ。




