予想外
父上の別邸に着いてみたら、下の取りやすい所にぶら下がっているりんごは全部取られた後だった。
「あれれ?」
俺がちょっと首を傾げると、トビが言った。
「土方が取って食べたのかもしれません。 今日誰もいないのは丁度土台が終わった所だからのように拝見致します」
土台を見ると俺の家より小さいが、結構な大きさだ。 たぶん二十人くらい働いていたに違いない。
「まあ、食べるなと言われていたら食べなかっただろうけど、何も言われてなきゃ食べちゃうよな」
「りんごに関してどういう指示があったのか、大工の棟梁か責任者に事情を聞いておきます」
「いや、そんなのわざわざ聞かなくてもいいから。 父上と母上が北にいらっしゃる予定は当分ないし、いつも旅行中なんだ。 旅先にりんごを送れなんて言うもんか。 サガ兄上夫婦が西の本邸にお住まいなら送ってあげたかもだけど。 皇都ならどこでも売ってる果物だし、サジ兄上は後宮に食べ物類を送られても受け取れない、ておっしゃっていただろ。 そんな事くらい父上ならとっくに御存知さ」
そこに師範一家が到着した。 りんごの木を一目見て察しがついたようで、ふん、どうせお前の考えつく事はこんなもんだ、みたいな目線で俺を見ながら言った。
「じゃあ、そこらで弁当を食べたら帰るか」
ちょっとむっとした。
「えー、せっかく来たんだから、りんご狩りしましょうよ。 ほら、上の方にまだ沢山取り残しがあるし」
「家に戻って梯子を持って来るってか?」
「いえ、そんな事しなくても、あそこにある長い棒を使えば何とかなりますから」
俺は持って来た矢筒に付いている縁取りの鉄の輪を外した。 そして馬車に常備してある紐を使い、工事現場に置いてあった長い棒二本を繋げ、その先っぽに鉄の輪を括り付ける。
「エナ、お弁当を包んで来た袋があるだろ。 りんご受けにするから、この輪に縫い留めて。
「畏まりました。 袋の大きさは如何いたしましょう? りんご一個収まる位がよろしいですか?」
「いや、大きすぎると枝に絡まるから不便だけど、何個か入るくらいの大きさにしてくれ」
南なら園芸用品店でこんな風に輪の先に受け袋が付いている竿を売ってる。 ちょっと高い所に付いている果物を木に登ったり、梯子を使ったりしなくても取れるように。 別に珍しいもんじゃないんだけど、北でこんな竿を売っている店を見た事はない。 口で説明するより実演して見せた。
「ほら、これを使えばてっぺんのりんごだって取れますよ。 こうやって」
輪にりんごにひっかけ、くいっと引っ張っると袋の中にぽとんと落ちた。
ふっふっふっ。 どーだ、恐れ入ったか、みたいな目で師範を見る。 師範に恐れ入った様子は全然なかったが。
ちぇっ。 張り合いないったらない。 初めて見たなら驚いたふりをしてくれたっていいだろ。 ま、自分が発明した訳でもないのに感心されたら、かえって怖いかもな。
とにかく取り尽くされたかに見えた木にも沢山りんごが残っていて最初の木だけで二十個以上取れた。 この調子なら持って来たバケツ、全部一杯になる。 竿は三本しかないから交代で取る事にした。
「おーし、じゃあ残ったみんなで焚き火でもするか」
師範が呆れた顔をする。
「焚き火? ここで? いくら父親の持ち家だって別家だろ」
「そりゃ家が完成していたら敷地内で焚き火はまずいでしょうけど、建築中で整地が終わってないんだから大丈夫でしょ。 今日は風もないし。 火が飛ばないように盛り土します。 お弁当はすぐに食べられる物ばかりですけど、鳥腿やソーセージはちょっとあぶると美味しいですよ。 石炭も持って来てあります」
という訳で石や土を使って囲炉裏っぽいものを作り、そこらに散らばっている木の枝を入れて焚き火を始めた。 今日は小春日和だけど、もう初雪が降ったし、火があるとそれだけで楽しい。
焚き火の足しにするために枯れ木を拾っていると猫の鳴き声が聞こえた。 声のする方を見上げると大きな木の枝に猫が踞って下りられなくなっている。 助けてあげたいが、かなりでかい猫だ。 りんごを取る竿なんかじゃ役に立たない。 梯子もないし、家に戻って梯子を持って来た所で脚立式のやつじゃ届かない高さまで登っている。 それに大きな木だが、幹も枝も梯子を立て掛けられるような太さじゃない。 他の枝が邪魔してなきゃ梯子を垂直に立てて下を人間が支えるという道もあるんだけど。
どうしよう? いつからそこにいるのか知らないが、このまま放っておいたらその内お腹が空いて木から転げ落ちるだろう。
「あーん、な、な、むう」
助ける方の俺が心配しているのに、猫は、あーら、おひさ、みたいな呑気な挨拶をして寄越した。
なんなの、その余裕。 ついさっき登ったばかりなのか? 弱るどころか元気に愛想を振りまいている。 馴れ馴れしい、ていうか。
「にゃにゃ、う、みゃー」
うふふ、あたしの事、覚えてる、と言ってるみたい。 それがどこか海坊主やケルパを思い出させ、ぎくっとした。 改めて見直したが、今まで一度も会った事がない猫で間違いない。 とは言え、ケルパを見た時にも子供の頃に会っていた事を思い出さなかったから、この猫ともどこかで会っているのかもしれないが。
猫の顔なんて一々覚えてないだろ、て? そりゃ普通の猫ならそうだろう。 だけどこの猫に一度でも会っていたら忘れる訳がない。 それほどきれいな猫なんだ。 つやつや触り心地のよさそうな灰色の地毛に虎っぽい模様。 それが白毛というより銀色で、キラキラに輝いている。 そのうえ青みがかかったぱっちりお目目。 誰が見てもため息をつくような掛け値なしの美猫だ。
前科があるだけに昔会った事を忘れている可能性は否定出来ないが、俺が動物の追っかけをしたのは後にも先にも誘拐されたあの一回きりだ。 疑うならカナに聞いてくれ。 だから会って忘れているのだとしても前回会った時に事件らしい事は何も起こっていない。
ともかく、これだけ見てくれの良い猫だから首輪は付けていなくても飼い猫だろう。 飼い主が羨ましいな。 俺だって愛玩動物を飼いたいけど、結局今まで一匹も飼った事がない。
愛玩動物ならそこにいるだろ、て? ケルパは番犬であって愛玩動物じゃない。 それは本人というか、本犬も自覚している。 かわいがろうとしたって、どけ、俺の仕事の邪魔をするな、て感じ。 隙がないんだ。 俺だけじゃなく誰にも甘えたりしない。 家の周りを歩き回るのだって散歩というより巡回警備しているっぽい。
念のために言っとくけど、愛玩動物を飼いたいと言ってるのは見せびらかしたいからじゃない。 いくらいくらしたとか、この猫の血統はなんたらかんたらと自慢している人がよくいるけど、野良だって充分かわいいだろ。 ケルパみたいなドスの利いた顔をしている猫だったとしても性格さえ猫っぽかったら俺的にはありだ。 そんな迫力のある顔の猫だったら師範を思い出させるかもな。 番犬ならぬ番猫?
ただ動物には縄張りってものがある。 いくらきれいな猫だってケルパが他の動物を家に入れる事に同意するとは思えないが。
それにしても辺りに飼い主らしき人がいないのは不思議だ。 美猫だったら必ず高値が付く。 俺の月給より高い猫だっているんだ。 こんなにきれいだったら一体いくらしたんだか想像もつかない。 今頃必死になってこの猫を探しているんじゃないの?
俺がどうやって助けたらいいか考えていると、師範が側に来て猫を見上げた。
「なんだ、猫か」
「このままにしておいたらかわいそうな事になっちゃうから、なんとかしてあげたいんですけど」
「無理だろ。 この木じゃ梯子があったって使えん。 自分の家の木じゃないんだから切り倒す事も出来ん。 ほっとけばその内落ちて来る」
「えー、お腹が空いて木から落ちたら助からないでしょ。 運が良ければ助かるかもしれないけど」
「だから何だ」
そう言い捨てて、すたすた焚き火の所へ戻って行った。
つっめたーい。 でも俺にいい案がある訳でもない。 後ろ髪を引かれながら焚き火の所に戻った。
フロロバが籠からお弁当を取り出し、テーブルの上に並べている。 その空になった籠を見て閃いた。
矢に長い紐を結び付け、馬車の屋根の上に立って、猫が踞っている枝に向かい、紐が跨がるように射った。 そして紐の両端を結んで輪にし、そこにお弁当籠を結わえて猫の鼻先まで持って行った。
籠の中には飛び込んでもらえるように干し魚を置いてある。 どうやらお腹が空いていたらしく、籠が目の前に止まった途端、迷わず中に飛び込んでくれた。 結構重たいが、無事に籠を地面に下ろした。
下ろしてみると、猫ってこんなにでかくなるもんだっけ、と言いたくなるくらい大きい。 そのまま走り去るのかと思ったら、リネを目指して一目散に駆けて行った。 何だかやたらに尻尾が太い猫だ。
「なーご、なーご」
「あら、なんてかわいい!」
リネに頭を撫でられると体をすり寄せ、喉をゴロゴロ鳴らして食べ物を強請った。 たった今、俺から干し魚をもらったくせに。 リネはいそいそと袋の一つを開けながら猫に聞いた。
「おやつが欲しいの? 干し芋、好き?」
「うにゃ、うにゃ」
「はい、どうぞ」
その時初めて猫の尻尾が二つに分かれている事に気付いた。 毛が絡まっていたから一本の太い尻尾に見えたんだ。
「なんだ、こいつ。 猫、だよな?」
見聞の広いトビでもしっぽが二つある猫は見た事がなかったようで眉を顰める。
「猫のように見えますが。 いずれに致しましても素性の分からぬ動物をサリ様のお側に近づけるのは避けるべきかと存じます」
今にも猫を掴んで捨てに行きそうだ。 するとトビの言葉を理解したかのように猫がぶるっと身を震わせ、一生懸命リネに縋りついて来た。
「うーな、うーな、みゅみゅー! がぎょ、がぎょ」
しっぽが二つあるのはあたしのせいじゃないわ、何も悪い事なんてしてないのに、て感じ?
ツボを心得ているというか何というか。 ケルパみたいな見てくれの残念な犬でさえ、ほいほい家に入れちゃうほど動物好きのリネだ。 こんな美猫につぶらな瞳で縋られたら、ほろっと来ないはずがない。
リネが猫を抱いてもじもじし始めた。 トビの反対を押し切ってでも、という決心はついてないみたいだけど。 このにゃんこを飼ってはいけませんか、と喉元まで出かかっている。
実は俺だって飼いたい。 だけど今でも愛玩動物を何も飼っていないのは買う金がないからじゃない。 世話をしてあげる時間も遊んであげる暇もないのに動物を買ったって、奉公人の仕事を増やして終わりだろ。 たぶんリネだってそれを分かっているから我慢しているんだ。
ともかく家族の安全を第一に考えているトビを怒らせたくはない。
「まあ、そんなに急いで追い払わなくてもさ。 こんなにきれいな猫なんだ。 すぐに飼い主が現れるだろ。 それまで餌をあげるくらい、いいんじゃない? お腹が空いているんだろうし」
そこで師範が言った。
「訳の分からん動物を餌付けして後悔したばかりじゃなかったのか?」
「え? あ、海坊主の事ですか? あんな大波起こして暴れまくった奴とこの猫を一緒にしたらかわいそうでしょ。 いくらしっぽが二つあったって猫が食べる量なんて知れてるし」
「旦那さま。 お言葉ではございますが、この近所はほとんどが転売済みで、既に取り壊されたか取り壊しを待つばかりの空き家です。 飼い主がいると致しましてもこの近くの住人ではないでしょう」
「だけど飼い猫には違いないよな? 手入れが行き届いた毛並みをしてるし」
しぶしぶながらトビが頷いた。
「確かに痩せてはおりません。 又、明らかに人慣れしております。 しかし飼い猫なら首輪の類を付けているはず。 偶々首輪が外されていた時に飼い主の元から逃げ出したのかもしれませんが。 ここが準公爵別邸であると知っている誰かが、旦那様のお目に留まるよう置き去りにしていった可能性もないとは申せません」
「うーん、でも俺達が今日ここに来たのは予定されていた事じゃないし、そこまで疑わなくても。 それにケルパだって嫌がってない。 という事は、少なくともこの猫に害はない、て事だろ?」
ケルパの選り好みは人間だけじゃない。 動物だって気に食わなきゃ追い払う。 道ですれ違っただけの動物だって威嚇するんだ。
リネが期待に輝かせて聞いて来る。
「あの、旦那様、では少しの間、世話をしてあげてもよろしいでしょうか?」
俺が頷いたので、トビもだめとは言えなかったようだ。 それにかわいいだけでなく、賢い。 構われたってうるさがる訳でもなく、大人しく抱かれている。 これぞ愛玩動物の鑑という感じ。
持って来たバケツが全部りんごで一杯になったから、お昼にした。 食べ終わると焚き火を囲んで世間話が始まり、ヨネ義姉上がリネに聞いた。
「リネ様。 お見送りの歌は、もうお歌いにならないのでしょうか?」
「公式の席で歌う事はないと思うんです。 好きな歌なので気が向いた時に歌ってますが。 あの、歌いましょうか?」
その言葉に辺りのみんなの目が輝く。 照れながらも嬉しかったようで、リネがあの歌を歌った。 それからなんとなく、じゃあ他の人も、という雰囲気になった。
「師範も一曲歌いませんか?」
「俺は笛の方がいい」
そう言って、懐から笛を取り出した。 おお、なんと手回しがいい。 仏頂面でこんな物を隠しているんだから、にくいね。
ひゃららら、ひゃらら ぴーひゃらら
祭囃子とは違うけど、中々明るくて楽しい曲だ。 思わず師範の笛に合わせて踊り出したら、サリも一緒に体を揺らして両腕をぱたぱたさせ始め、みんなから大喝采を浴びていた。 最後まで良いお天気で、サリも御機嫌。 りんごも沢山取れたし、お弁当も美味しかった。 猫を拾ったのは予想外だったが、まさかそんな事が後で大問題になるだなんて誰も思わないだろ。




