誤解 ケイザベイの話
ヴィジャヤン大隊長ほど人から誤解されている御方はいない。 入隊当時からそうだったが、あの当時は六頭殺しの勇名が先走り、お人柄がよく知られていなかった。 多少の誤解は無理もなかったと言える。 だが気さくなお人柄に触れた者が沢山いる今でさえ誤解はなくならない。 それどころか年々ひどくなっているような気がする。
やれ傲慢だの、命知らずの、無類の女好きの。 毎朝ヒャラを踊っているという噂もあれば、ひどいものになると女も男も両方いけるとか。 ちょっと海にお出掛けになれば、実は海神様だったの、海坊主を家来にしたのしないのと、まるで自分の目で見て来たかのように面白おかしく語る噂が後を絶たない。
二、三年前なら北に来る新顔は猛虎や六頭殺しに憧れて入隊した若者ばかりだった。 だが今では貴族から季節労働者まで、瑞兆景気に踊らされた流れ者で溢れている。 それも無責任な噂が流れる一因なのだろう。 彼らがヴィジャヤン大隊長と会う機会なんてないし、会ったところで自分の目で見た事実より噂の方を信じるのが人の常。 そもそも実際はどんな人であろうと、彼らにとってはどうでもよい事なのだ。
そう言う私自身、最初はヴィジャヤン大隊長の事を冬が越せずに故郷へ帰る貴族の坊ちゃんだと思っていた。 それでなくてもあの顔、あの若さでしかも貴族。 英雄でなかろうと女が群がる。 女でなければ酒。 もてはやされ、稽古より遊ぶ方が忙しくなって、いくらもしない内に普通より当たらない射手になると予想していた。 つまり私も見かけに騙された一人なのだから他人の事をとやかく言えないのだが。
猛虎への憧れだけで我慢出来るほど北の冬は甘くない。 それでもあの御方の覚悟は寒さや誘惑に揺らぐものではなかった。 そう知ったのは私がまだ新兵だったヴィジャヤン大隊長を料亭「流花」に連れて行ったからだが、御案内した理由は世間で噂されるような裏があったからではない。
流花の女将は男を惹きつけて離さない魔性の女として有名だ。 料理も酒も美味いが、客は女将目当てで通っている。 私が流花の馴染みになったのは、私の妻がまずい御方に目を付けられたのが機縁だ。 困り果てている時、女将がその男を誘惑し、私の妻を追うのを止めさせてくれたのだ。 金で礼をしようとしたら、それより店の常連になってくれと頼まれた。 百剣が出入りする店で暴れたり、揉め事を起こす奴はいないという訳だ。
それ以来、百剣を連れてよく食事に行っている。 私は借りが返せ、百剣は美味い飯を奢られ、女将の店には警備が付く。 とまあ、三方一両得のような関係だから続いているのだ。
私が女将の客になった事はない。 私にそんな気がなかっただけでなく、女将は客を選ぶ。 金さえあれば客になれる訳ではないのだ。 中々才覚に長けた女将で、軍対の出場選手は必ず連れて来るように頼まれ、何度かタケオ大隊長をお連れした事もあった。 そんな風に店の人気を煽るのがうまいから店が流行っている。 女将の美貌だけが理由なのではない。
目端の利く女将なだけに六頭殺しの若の事も入隊と同時に強請ってきた。 しかしいくら私の方が階級は上でも相手が若では上官面して無理矢理連れて来る訳にはいかない。 自分の部下ではないから無理と言って断ったのだが、女将は諦めなかった。
「大変な人気でございますねえ。 一体いつお越し下さいますのやら」
わざとらしく六頭殺しのカレンダーを見ながら女将がほうっとため息をつく。 少々うんざりしながら答えた。
「いくら急かされたって無理なものは無理だ。 一緒に食事に行きたいと大隊長や中隊長が番号札を握って待っているんだぞ。 小隊長の私が割り込める隙なんてない。 それに聞く所によると『雪まろげ』でさえ恥ずかしがって逃げ出したらしい。 売っているのは料理だけじゃないと知られたら即座に断られてお仕舞いさ」
そこまで言われても諦めない。
「若様って、お天気の予想がお上手なんですってねえ」
「うむ。 滅多に外れないという話だが。 一体、誰から聞いた?」
「まあ、野暮な事はお聞きにならずともようございましょう? そんな事より本当に当たるか当たらないか、お賭けになっては如何です? 負けた方が当店で奢る、とか」
そう言って、にっこり笑う。
それは面白そうだったから若と昼飯を食べる機会があった時、試してみるかという気になった。
「若。 明日の天気が当てられるんだって?」
「はい」
「一ヶ月の間、毎日でも当てられるか?」
「はい」
「ほう。 なら賭けるか? 当てられたら私が飯を奢る。 一日でも外れたら若が奢る、でどうだ?」
「えへへ。 ごちそうになります」
「ふっ。 勝つ気満々だな。 店は私が選んでもいいか?」
「もちろんです」
「流花という料亭だ。 美味いぞ」
「楽しみですっ!」
という訳だ。 女の事なんて一言も言ってない。 幸い女将の噂はまだお耳に届いていなかったらしく、賭けた後でも取り消そうとはなさらなかった。
予想通り私は負け、ヴィジャヤン大隊長を流花に連れて行った。
「美味しいですねえ」
そう舌鼓を打って次々料理を平らげられた。 飲んだのは水だけ。 女将が触れなば落ちんの風情で給仕していたが、お気付きになった様子はない。 気を利かして途中で席を外したりしたが、戻ったら料理に使ったきのこについて色々御質問なさっていた。 その様子が食堂で賄いをしているおばさんと話しているみたいで、なんとなく誰もこの店というか、女将の事を教えていないような気がした。
私が先に帰ろうとすると、一緒に帰るとおっしゃる。 結局最後までそんな調子で、全然色っぽい雰囲気ではなかった。
こうなったらお目に止まるのは自分でなくてもと思ったか、女将は店の女を呼んで自己紹介させた。 全員思わず振り返るような美人だ。 ヴィジャヤン大隊長の年上だけでなく、同い年や年下の女もいたが、誰にもお声は掛からなかった。
いつもは引き際を心得ている女将だが、あの手この手を使って引き止めようとした。 無駄だったが。
「朝が早いんで、帰ります」
誓って言うが、本当にそれだけだ。 二度目はなかったし、そんな事があったら、あっという間に噂が広まっていただろう。 女将に証言させるまでもない。 あの女将にさえ落とせなかった御方が女好きだと? 笑わせるな。
朝稽古だって仕事を理由に稽古の時間を減らす事くらいいつでも出来るお立場になったが、今でも変わらず毎日なさっている。 妻を娶り、父となり、領主でもある。 一人で何役もこなされ、遊んでいる暇などないのは誰の目にも明らかだ。 それでも遊んでばかりいるという誤解はなくならない。 もしかしたら、あのまっすぐなお言葉こそが曲解される元なのかもしれない。
例えば、今でもヴィジャヤン大隊長はオークを倒せたのは単なるまぐれで、瑞鳥と飛べたのは運が良かったから、とおっしゃる。 稽古なんてしなくても当たるという噂は、あの「まぐれ」とか「運が良かった」というお言葉を額面通りに受け取っているからではないのか? いくら運が良かろうと強弓を引く体力とあの驚異的な命中率が稽古せずに可能かどうか、少し考えれば分かりそうなものだが。
また、朝稽古の前に必ず柔軟体操をなさる。 あれが毎朝ヒャラ踊りをしているという噂の原因だろう。 とにかく下らない噂なら掃いて捨てるほどあるが、どれも事実無根だ。
弓の射手でもなければ部下でもない私にヴィジャヤン大隊長の何が分かる、と言うのか? 確かに毎日一緒に稽古している訳ではないが、百剣はよく旅のお供をする。 旅行はどれも先を急ぐものばかりで、大抵はゆっくり話をしている暇などないまま終わるが、寝食を共にすれば世間話の一つや二つ、する機会はあるのだ。
ヴィジャヤン大隊長が傲慢だなんてとんでもない。 百剣は師範以外、全員階級が下だ。 それにも拘らず、私達を深く尊敬なさっている事が普段の態度から窺える。 私が百剣第二位となり、師範代を務めるようになったからではない。 剣士ではなくても長年の鍛錬の厳しさを御存知なのだ。 大隊長なら傲慢だとしても全く問題ないのに、道場や通りすがりに敬礼すれば必ずお言葉を掛けて下さる。
但し、ヴィジャヤン大隊長と親しい者は入隊以前から親しかったか、何らかの事件があって親しくなった者ばかりで、百剣だからという理由で親しくなれた者はいない。 タマラ中隊長補佐は若のおしめを代えた事で有名だし、シナバガーとも懇意になさっているが、懇意になるような何かがあったのだ。 側付きに選ばれたアラウジョだって長年同じ剣の道場に通った仲間だ。 側付きとしての仕事が忙しく、稽古の時間が取れないようだから百剣入りするまで後四、五年はあるだろう。
だが親しくはなれなくてもお人柄には触れる。 普段のヴィジャヤン大隊長は意外なほど物静かな御方だ。 師範のように無口とまではいかないが、進んで話の中心になられた事はない。 どちらかと言えば聞き上手で、話し掛けられたらお答えになるという感じだ。 師範は寄るな触るな話しかけるなという御方だから、それに比べたらずっと近づき易いとは言える。 そして話し掛けられたら嬉しそうになさる事も違う。 質問された事にはどれも真面目に御返答下さるし、知らない事は知らないと正直におっしゃる。 あの英雄らしからぬ謙虚さが、かえって誤解に拍車をかけているのかもしれない。
また、弓と剣と並び称され、時にはどちらが強いかと比べられる事も誤解される一因だと思う。 違いはもちろんある。 けれどお二人の強さは甲乙付けられるような類のものではない。 それに師範なら御自分がどれ程強いか御存知だが、ヴィジャヤン大隊長は御自分の事を偉いとも強いとも思っていらっしゃらない。 それはお言葉の端々から窺える。 弓の腕前にしてもあの命中率は弓のおかげとおっしゃって憚らない。 弓の改良に大変熱心である事を見ても本気でそう思っていらっしゃるのだ。
師範とて傲慢ではないし、御自分の強さをひけらかしたりする訳ではないが、名剣士に限らず、一芸に秀でていると他人のやる事が下手に見え、下手を下手と言って何が悪いという態度になりがちだ。 だが私はヴィジャヤン大隊長が他人を貶している所を見た事はない。 自軍の射手を貶さないのは単なる気遣いかもしれないが、他の軍の射手を貶された事もないし、六頭杯に参加した他国の射手のあら探しをなさった事もないのだ。 それは簡単なようで中々出来る事ではない。 我が身を振り返ると汗顔の至りだ。 それだけ見ても若さに似合わぬ思慮をお持ちという事が分かる。 後先考えずに突っ走るという風評は、あの御方の表面しか見ていない事から来る誤解に過ぎない。
とは言え、真面目な御方かと聞かれたら、即座にはいと答えるには些かの躊躇がある。 最終的にはそう返答するしかないが、その前にちょっと、いや、かなりの間があるのは私だけではないだろう。
舞踏会の時だって私は会場の外で帰りの準備をしていたから見れなかったが、将軍の警護をして会場内にいた兵士は全員、ヴィジャヤン大隊長が押し寄せる女性の前でヒャラを踊ったのを見ている。
ただ、真面目でないなら不真面目なのか、というとそれも違うような気がする。 不真面目というのは、わざと不真面目な真似をする奴の事を指すだろう? 傍目からは不真面目にしか見えないからといって、真面目にヒャラを踊っていらっしゃる御方を不真面目と呼べるか? 少なくともヴィジャヤン大隊長は御自分が不真面目である事に気付いていらっしゃらない。
なぜ真面目にヒャラを踊っていると思うのか? それは舞踏会からの帰り道、休憩していた時にヴィジャヤン大隊長とアラウジョの会話を聞いたからだ。
「大隊長。 舞踏会でプラドナ公爵令嬢の申し込みをお断りするのに、なぜ踊り出したんですか?」
「俺にはこんな踊りしか出来ないんです、の『こんな踊り』って、やって見せなきゃ分からないだろ。 名前が付いている踊りじゃないんだからさ」
「それにはヒャラ踊りという名前が付いております。 ヒャラと言っただけでも通じますが」
「え? 俺が勝手にそう呼んだだけなのに、みんな知ってるの?」
「はい」
「……なら、もっとかっこいい名前にしとけばよかった」
「どういう名前ならよかったのでしょう?」
「えーと。 笛踊り? いや、違うな。 祭り踊り? あ、今二つか。 でもお祭りで師範の笛につられて踊っちゃったのが始まりなんだよなあ。
なら猛虎の舞って、どう? 渋いぜ。 決まったな。 うーん、でもその名前だと踊りをグレードアップしなきゃまずいか」
そうおっしゃって、いきなり師範の十八番にヒャラを混ぜたような動きで踊り始めた。 背後に気配を消した師範が立っているとも知らず。
桶に頭を冷やす水を汲んでいるアラウジョは、かわいそうになるくらい悄気ていた。
「おい、そう自分を責めるな。 師範がお隣の部屋にいらっしゃる事はヴィジャヤン大隊長だって御存知だったんだし。 強烈な拳骨ではあるが慣れもあるだろう。 ただあの独り言の癖だけはお止めした方がいい。 何をおっしゃっているのか分からないものがほとんどとは言え、分かるものは全て師範への愚痴というのが怖い」
「お止めしてはいるんですが。 間に合わなかったり、私がお側にいない時も多くて」
そう言って唇を噛む。
「まあ、剛胆と言えば剛胆な御方だよな。 師範への愚痴がするっと言えるだなんて」
私の言葉にアラウジョは深く頷いた。 そういう所を指して怖いもの知らずと噂されているなら、あながち誤解とは言えないのかもしれない。 師範が怖くないという訳ではなさそうだが。
しかしヴィジャヤン大隊長をお気楽な御方と思うのは明らかな誤解だ。 瑞兆をお守りするのはそれだけでも重大な責任であり、あの御方はそれを重々御承知でいらっしゃる。 皇太子殿下の舞踏会に行った時も大変緊張なさっていらした。 離宮内はもちろん、外も東軍兵士で何重にも警護されていたし、東軍副将軍はヴィジャヤン大隊長の義理の叔父。 不安になる理由は皆無だったにも拘らず、サリ様の部屋の扉と窓は北軍兵士に守らせたのを見ても分かる。
おそらくヴィジャヤン大隊長は最初から舞踏会に長居する気はなかったのだ。 私に政治的な事は何も分からないが、警備上はあの時出発するのが一番安全だった。 もしかしたら、しょっちゅう鼻歌を歌っていらっしゃるから傍目には重責を担っているようには見えないのかもしれない。
それはともかく、私が少数の護衛の一人に選ばれる事は珍しい。 だからりんご狩りの護衛に指名された時は嬉しかった。 警備に関しても特に心配はしていなかったのだが、ヴィジャヤン準公爵別邸の事をマッギニス補佐に聞きに行ったら不在で、タマラ補佐も不在だった。
「アラウジョ。 マッギニス補佐とタマラ補佐はいつお戻りになる?」
「詳しい日時は存じませんが、御出発の際、お戻りは来週以降になるとおっしゃっていました」
「すると、このりんご狩りの事は御存知ない?」
「はい。 お二人がお出掛けになったのは月曜ですし、大隊長がりんご狩りを決められたのは昨晩ですので。 でもりんごを取られたって、大隊長のお父上であるヴィジャヤン準公爵が文句をおっしゃる事はないでしょう?」
「それはないだろうが。 準公爵別邸の敷地の境界線がどこか知っているか?」
「存じません」
おそらく他の誰に聞いても知らないだろう。 私の記憶に間違いがなければ、あの辺りは何年か前に所有者が変わっている。 確か、ダンホフのものになったのではなかったか?
ダンホフ公爵家ならヴィジャヤン大隊長の義姉の実家だから大丈夫とは思うが。 借金した者が瀕死の床に付いていようと金を毟り取る事で知られる家だ。 一抹の不安が残る。
それにもし転売されていたら? 買ったのが地元の誰かなら簡単に分かるし、それなら子爵か男爵なのだから揉める心配はないが、地元でなかったら所有者を知るのは簡単ではない。 下手をすると外国の王族の所有になっていたという事だってあり得る。 そんな所にりんご狩りに行っても大丈夫なのだろうか?
何だか後先考えず突っ走るという噂だけは誤解じゃないような気がしてきた。




