だーだー
「りんご狩りとか、皇王族の皆様もなさるんでしょうか?」
出発してすぐ、リネがブラダンコリエ先生に真面目な顔で質問した。 リネったら変な所に物知らずなんだから。 ちょっと呆れて、先生がお返事なさる前に俺が答えた。
「りんごなんて北にしか生えてないよ。 皇都でりんご狩りが出来る訳ないじゃないか。 そもそもなんでそんな事を知りたいの?」
「あの、正しいりんご狩りのお作法とか、あるんだったら知っておきたいと思いまして」
「あはは。 そんなもの、ある訳ないだろ」
そしたらリネが疑しげな目で俺を見てから先生に向かって聞いた。
「そうなんですか?」
「なんだよー。 そんなに俺の言葉が信用出来ないの?」
俺がむっとして言うと、まあまあと俺を宥めるかのように先生がおっしゃる。
「皇太子殿下を例外と致しまして、皇王族の皆様が皇王城から外出なさる機会は滅多にございません。 ですからりんご狩りはございませんが、公式行事の中には新年、お花見、観月の宴など、季節に纏わる行事が数多ございます。 その一つに取果の儀と呼ばれる果物を取る行事がございまして。 初夏に食べ頃となるキュノの初物を天に捧げ、陛下の御健康と長寿を祈ります。 私は参列した経験がないので詳しい作法は存知ませんが」
「あの、キュノってどういう果物なのでしょう?」
「緑色をした拳大の果物で、健康に良いと言われております」
キュノは南だったらそちこちに生えているから安いし、いつでも食べられる。 北じゃ高いから我が家で食べた事はないが、皇都でなら年中買える果物だ。
「なぜ夏になるまで待つのか、先生は御存知ですか? キュノなら日保ちするし、南からいくらでも運んで来れますよね?」
「理由は存知ませんが、捧げるのは神域に生えているキュノでなければいけないと聞き及んでおります。 どこで穫れたキュノでも味に変わりはないと思いますが」
「ふうん」
そこでリネが先生に質問した。
「あのう、その儀式はキュノを取るだけで終わりなんですか?」
「儀式は陛下がキュノを召し上がって終わりますが、その後、皇王族の皆様がお零れを頂戴し、御会食なさいます。 御会食の場では楽に合わせて舞姫が踊り、その他に皇王族の皆様の中で余興をなさる御方がいらっしゃるのだとか」
「へえ、余興かあ。 サリ様、リネに似た美声だといいな。 それなら余興をお願いされたって困らないよね」
「御自ら歌いたいとおっしゃるならともかく、いずれ皇王妃陛下となられる御方に余興をお願いするという事はまずないと存じますが」
皇王族がなさる余興かあ。 なんか面白そう。 どんな習い事をなさっているのか聞こうかな。 と思ったが、リネにとってはキュノの方が気になるようで。
「先生。 皇王族の皆様が召し上がるなら、その、キュノに、サリ様も今から慣れていた方がいいですか?」
「ええ? いくら健康にいいからって、あんなすっぱい物、子供が食べるもんか。 大人の俺だって食べたくない」
「まあ。 そんなにすっぱいんですか?」
「うん。 生でそのままなんて、とてもじゃないけど食べられないよ。 サリ様に食べさせようとしたって、びーびー泣かれてお仕舞いさ。
あ、だけど子供の頃、砂糖を溶かした水にキュノを絞ったやつならよく飲んだな。 さっぱりしていて夏ばてした時なんか、すっとする感じ。 あと、野菜や魚にキュノの果汁を振りかけて食べたり。 そう言えば、焼き菓子や漬け物の香り付けにも使われていたような気がする。 お茶に蜂蜜とキュノを入れて飲んでる人もいたっけ。 健康にいいとか」
「あの、健康にいいんでしたらサリ様にも少し差し上げた方が。 北ではいくらするのか分かりませんけど、お金でしたら私が出します。 以前、旦那様から戴いていたものがありますし」
「え? あ、へそくりの事? だめ、だめ。 せっかくのへそくりをそんな事に使っちゃ。 買うなら俺が買ってあげるから。 俺の実家や皇都のヴィジャヤン別邸に行けばただでいくらでも食べられる物だから一個五百ルーク払うのはしゃくにさわるけど。 ま、健康にいいなら薬のつもりで買うとするか。
そうだ。 薬のつもりでリネも食べてみたら? 疲れが取れるかも」
「ありがとうございます」
そこでブラダンコリエ先生が真剣なお顔になった。
「北方伯。 取果の儀には満五歳以上の皇王族の皆様全員が参列なさいますので、サリ様に差し上げても問題ないとは存じますが、念のため御典医に御確認下さいますよう。
ところで、今年はもう秋ですのでいつ召し上がっても大丈夫ですが、新年になりましたら取果の儀が終わるまでキュノを召し上がるのは御遠慮下さい。 陛下より先にキュノを食べる事は不敬と見なされます。
取果の儀は毎年五月初旬に行われておりますが、直前にならないと日程は発表されませんし、年によって日が変わりますので。 余裕を見て、六月になるまでは召し上がらない方がよろしいでしょう」
「はあ。 料理に使うのもだめなんですか?」
「目に見えなくてもあの味と香りは独特です。 又、北では自生しない果物ですのでお取り寄せとなりましょう。 誰がいつどこで何を見ているか分かりません。 御自宅で御家族の皆様しか召し上がらない場合でもお止め下さい。 薬として飲んだのだとしても問題にされる恐れがございます。 勿論お客様に差し上げるのは厳禁です。 食べられない時期にお出したら悪意があってした事と受け取られるかもしれません」
「まあ。 それは知りませんでした」
「リネったら、何をそんなにびびっているのさ。 そんな事知らなくたって我が家でキュノを食べた事なんて一度もないだろ」
「それはそうですが。 キュノに限らず他にも何か食べちゃいけないと知らずに食べたりしないものでもないですし。
あの、先生。 行事って他にもいっぱいあるんですよね? そういう時のお作法は覚えなくてもいいんでしょうか?」
「皇王族の神事に伯爵が招待された前例はございません」
それを聞いて俺とリネは一緒にでかい安堵のため息を漏らした。
「仮に御招待があったと致しましても私では教える事が出来ません。 儀礼官は宮廷内の儀礼全般を司りますが、この中に後宮と神域は含まれておりませんので。
取果の儀に限らず、神事は全て祭祀長と神官が司っております。 サリ様は五歳のお誕生日を迎えられましたらオスティガード第一皇王子殿下に御面会なさるとの事。 その前に神官のどなたかが神事に参列する場合の作法を教える教師として派遣されると存じます。 それとは別に、後宮の作法を教える女官も派遣されるでしょう」
うげー。 儀礼の先生が三人も? 考えただけで疲れる。 俺とリネは思わず顔を見合わせた。 リネの顔が曇る。
「そんなに沢山覚えなきゃいけない事があるだなんて。 サリ様、大丈夫でしょうか?」
「俺だったら癇癪起こしそう」
「練習は年齢に合わせたものでしょうし、サリ様の御成長は目を見張るばかり。 御心配の必要はないと存じます」
「俺の子って所にちょっと不安はあるよな」
「「……」」
ちょっ、ちょっとー。 そこまで思いっきりどよーんとした顔にならなくてもいいんじゃないの? 二人一緒に。 地味に傷付いたかも。 ここで明るい笑いを期待する方が間違っていたとは思うけど。
お葬式に出掛けるみたいな雰囲気になっちゃったから、その場を明るくするつもりで俺はリネの腕からサリを抱き取った。
「ほーら、サリ様、父ですよー。 賢い子なら父って呼んでー」
そしたら先生がすごく慌てておっしゃった。
「北方伯、どうか、どうかそのような真似は絶対人前ではなさいませんように」
「え? そのような真似って? 何が?」
「サリ様は父上とお呼びになっていらっしゃいません。 呼ばれていないのに奥様の腕から取り上げては大きな問題となりましょう」
「は? どこが問題なんですか?」
「北方伯は御尊父とは申しましても臣下でいらっしゃいます。 皇王族の方からお呼びがあった訳でもないのに臣下が進み出る事は許されません。 呼ばれていないのに抱き上げるとは、それと同じ不敬と見なされます」
「えー。 だけどいつまでたっても父って呼んでくれないし。 呼ばれるのを待っていたら、一体いつ抱けるか分からないじゃないですか。 それにリネはサリ様から呼ばれる前に抱っこしてますよ。 どうしてリネならいいんですか? エナだって」
「御母上でしたら構いません。 又、乳母は抱く事がお役目です。 お呼びがなくて抱いても問題にされる事はないでしょう。
何分お生まれになってすぐ準皇王族となられたという前例がない為、お父上がお抱きになる事が問題となるかならないか非常に微妙な所ではあるのですが。 どうか人前でそのような行動は慎まれますように」
なんだよー。 それって父親を差別してない? 不公平だよな? 父と母が同じに扱われないのは仕方ないとしても、抱っこにまで差をつけるの? 人前で抱っこしちゃだめと言われ、俺は思いっきり落ち込んだ。
サリをリネの腕に戻しながら未練がましく言う。
「サリ様、早く父と呼んでよー」
「それもお止め下さい」
「はあ?」
「臣下の分際で皇王族に呼べと命じた、と咎める者がいないとは限りませんので」
「そ、そんなあ」
んもー。 嫌になっちゃう。 あれもだめ、これもだめって。 だけど先生は世間がどう思うかを教えてくれているだけだ。 先生がこんな規則を作った訳じゃないんだから文句を言ったってしょうがない。
するとサリが俺に向かって腕を伸ばして言った。
「だっこー」
おおっ。 な、なんて賢い娘だ!
「お、抱っこね。 はいはい。
先生、これならいいんですよね? サリ様の方から強請ったんだから」
「はい、それでしたら問題ありません」
俺はサリをきゅっと抱きしめた。 そりゃ家だったら抱っこと言われなくても抱っこしている。 実は、いやいやしている時にも構わず抱っこしちゃったりして。 いくら起きてる時間は長くなったと言っても夕食が終わったらサリはすぐに眠っちゃうから、起きているサリを抱っこ出来る時間は貴重なんだ。 まあ、寝顔もかわいいからいいんだけど、寝てる時に抱きしめたら起こしちゃうだろ。
はああ。 臣下かあ。 自覚はしてるつもりだけど、改めてこんな風に注意されると、ほんと、疲れる。 それに俺とリネが臣下なら、サリの親はどこにいるのさ? いくら周りに沢山の臣下がいたって親がいるといないとじゃ違うだろ。 俺だって賢い奉公人に囲まれて育ったが、父上と母上がいるとそれだけで安心した。 御飯を食べさせてくれる人がいれば親はいなくてもいい、て訳じゃない。
未来の皇王妃陛下になるんだから親がいないくらい我慢しろって事? それってちょっとひどくない? 損してるよな?
もっとも先生が今心配なさっているのはサリがどう思うかじゃなくて俺達の事だ。 出過ぎるな、と言うか。 下手な真似をして困るのは俺達だと警告して下さっているんだ。 それは父上や母上からも言われていたけど、人前でサリを抱きしめたりしちゃだめと先生から言われるのは、やっぱり悲しい。
そしたらサリがいきなりぴたぴた俺の顔を叩いて大きな声を出した。
「だーだー!」
だーだー? だーだー、て何?
俺とリネが顔を見合わせていると、先生がおっしゃった。
「北方伯をお呼びになっていらっしゃるのではございませんか? 大隊長と旦那様、どちらも『だ』で始まっております」
うーん、そうかな? 確かに俺を呼んでいるっぽい。
けどさー、だーだー? どうして父じゃないの? 父が難しいならサダでもいい。 「だ」が言えるならサダまですぐだろ、と思わないでもないが。 この際、贅沢を言ってる場合でもない。
「はーい、サリ様、だーだーですよー」




