片棒 猛虎の話
「りんご、お好きですよね?」
期待を込めた目で俺を見つめながらサダが聞いてきた。
りんごだあ?
無言で睨みつけてやったら、きまり悪げにうろうろ辺りに視線を泳がせ始める。 こいつの間抜け面に手元の来年度大隊予算案を投げつけてやれたら、どんなに胸がすっとするだろう。 面白くもない予算を読ませられ、腐っている最中にずかずか入り込んで、一体何が言いたいんだ?
りんご? りんごがどうした?
いや、言うな。 何も言わないでくれ。 俺のように。 こっちは、お前が何か言う度に駈けずり回されている。 かわいそうな俺の身にもなってくれ! と、怒鳴ってやりたい所を我慢しているんだから。
だが我慢せずに頭の中に何も入ってない奴を怒鳴りつけた所で何が解決する訳でもない。 それどころか馬鹿をいじめて泣かせた、と責められる。
そりゃこいつは後先を考えないという意味では馬鹿だ。 しかしただの馬鹿じゃない。 ちゃんとどこを押せばいいのかツボを心得ていて自分の欲しいものを手に入れる。 その手口は俺が見習いたいくらいだ。
こいつの今を見るまでもない。 大隊長という要職に就いていながら、それに付随する責任が何もないだなんて。 考えられるか? しかもそれは誰かに泣きついたとか根回ししたから手に入れたんじゃない。 本人も知らない内にいつの間にかそうなっていたんだ。 俺よりよっぽど賢く世間を渡っているじゃないか。
そして昔も今も変わらず次々馬鹿な真似をやらかしている。 なのに何のお咎めもない。 俺には到底真似の出来ない処世術だ。
そもそもなぜみんな頼まれもしないのにこいつを助けてやらなきゃと思うんだ? 赤ん坊でもあるまいし。 やろうと思えば何でも一人でやれる男なのは船をさっさと出航させた手際を見れば分かる。 助けて欲しいのは山のような仕事を任され、毎日ひーひー言ってる俺の方だろ。
今日も今日で、俺の執務室に先触れも寄越さず、勝手に入り込んで来やがった。 このやり口を見たっていかに狡賢いか分かる。 言いたい事があるなら側付きに伝言を持たせて寄越せばいいのに、それじゃ断られて終わりと知っていやがるんだ。
本人に乗り込まれたらこっちの負け。 一応俺の方が格上だ。 サダを追い返したって問題はないはずだが、そうは問屋が卸さない。 いくら大隊長としては一番格下だろうと、こいつは皇王子殿下の婚約者の父。 本人に偉ぶった所がないからといって粗略には扱えない。 このくそ忙しい時に来るなと言って蹴り出したら、たとえ俺が義兄であっても、やれ尊大だ横柄だ、果ては思いやりに欠けると騒ぐ奴らが世間にはいくらでもいる。
俺は騒がれたって構わん。 だが横柄なのは俺が将軍位を狙っているから、という説明がいつの間にかくっついていたりするから面倒だ。 俺にそんなつもりがあろうとなかろうと世間は知ったこっちゃない。
ただ俺がサダを蹴り出せないのは世間体を気にしているからじゃない。 こいつがあれこれやらかす度に世の中が変わって行くのを見ているからだ。 そう感じているのは俺だけじゃない。 以前、スティバル祭司長と茶を飲んでいる時に、サダの尻拭いばかりさせられていると愚痴った事があった。 すると祭司長がこうおっしゃった。
「世を変える力を持つとは重荷。 支えてあげなさい」
世を変える?
それを聞いた時、そんなはずあるか、と思った。 何しろ本人にそんな自覚は欠片もない。 時と場所を選ばずへらへら踊って、何が重荷だ?
しかし世の中が変わったかと問われれば、確かに変わっている。 サダ自身は気付いていなかろうと。
北軍だけじゃない。 北の暮らしはあいつが入隊してから楽になった。 様々な店が増え、食べ物が簡単に買えるようになったし、そんなに高くない。 観光客、巡礼、土方、新兵、どんどん人が流れ込み、町に金を落とすから商売に活気がある。 人が集まれば金も集まり、儲かるとなると同じような商売を始める奴がいて競争するから値段が抑えられる。 第一駐屯地付近だけの事かもしれないが、飢えた乞食や子供を道端で見かける事がなくなった。
北では毎年春になって土が掘りやすくなると冬の間に死んだ者の埋葬をする。 死者の中には遺族のいない者や、いても墓を掘る金がない事が結構あり、それらは纏めて北軍兵士が埋葬していた。
死因で一番多いのは凍死か餓死。 老衰、病死、事故死が続くという感じだった。 目に見えて住民が増えているんだから死人も増えて当然なのに、あいつが入隊して以来、北軍が埋葬する死者の数は前年より減っている。 それに今年埋葬した者の中に死因が凍死や餓死である者は一人もいなかった。
全部が全部サダのおかげとは言わない。 だが極寒の辺地へ人が来るのはサダがいればこそ。
それはいいが、何もしなくたって人が集まってくるんだ。 これ以上余計な事をする必要がどこにある? 俺だったら余計な事なんて、やれと言われたってやらない。 なのにサダはやるなと言われたってやる。 それでいつも困った事になっているというのに学ばない。 とは言っても、それから齎される利益がない訳じゃないから始末が悪い。
例えば先代陛下のお見送り。 あれは頼まれたから行ったんだが、ナジューラを救ったのは頼まれた訳じゃない。 現場に居合わせたからって、それがどうした。 助けようがありませんでした、で済む話だ。 俺だったら助けるどころか自分が乗っている船の方向を変える事さえしなかっただろう。
助けたせいで審問やら何やら色々迷惑は被っているが、サダはダンホフに大きな恩を売った。 金回りのいい奴ならいくらでもいるが、そいつらが束になってもダンホフの資産には及ばないと言われている、あのダンホフに、だ。
俺は執事のボーザーからナジューラが爵位を継ぐ可能性は非常に薄いと聞いていたからサダが無駄骨を折っているようにしか見えなかったが。 昨日、ナジューラが次代に選ばれたという知らせを受け取った。
「ボーザー。 お前の予想も外れる事があるんだな」
「お言葉ではございますが、私は世間一般の下馬評をお知らせしたに過ぎません。 これはヴィジャヤン大隊長のおかげで起こった大番狂わせ。 予想した者はいなかったと申せましょう」
「なぜサダのおかげなんだ? サダの実兄とナジューラの実妹が結婚したおかげと言いたいのか?」
「それもなかったとは申しませんが。 ダンホフ公爵家は蓄財能力によって次代を決めるしきたりで知られております。 ですからナジューラ様が次代に選ばれたとすると、誰よりも資産を築いたからに他なりません。
ですがダンホフ家の子弟はいずれも商売上手。 ナジューラ様は外国に資産をお持ちですが、競争相手以上の資産を築いてはいない、現時点で一番の兄の資産の四分の一程度という噂でした。 ブレベッサ号が沈没するまでは」
「船が沈没して金持ちになった? なぜ?」
「あの船の船首には皇国でも最大級の紅赤石が嵌め込んでありました。 ナジューラ様を救出した際、ヴィジャヤン大隊長が彫刻の両眼からその石を取り外し、ナジューラ様に差し上げたのだとか。 少なく見積もっても時価五千万ルークの石を二つ、一億の資産があれば、それ以外何もなくとも次代を手中にした事でしょう」
「あの石が一億だと? いや、それより、あれは元々ダンホフ家の物だろう? サダが沈没前に取り外したというだけで、なぜナジューラの資産が増える?」
「これは私の憶測に過ぎませんが。 あの石には呪いが掛かっていたと思われます」
「呪い?」
「大きく曇りのない石ほど呪術を掛ける事が容易です。 ただ一旦掛けると、それを消すのは掛けた呪術師でなければ難しく、時には掛けた呪術師でさえ解消出来ない事がございます。
ダンホフ公爵家があの紅赤石を所有している事は家内の者でさえ知らなかった様子。 それは資産として勘定されていなかったからと推察致します。 呪われた石に金を払う者はおりませんので」
「ではなぜ突然価値が出た? 呪われているんだろう?」
「呪いが解けたと解釈するしかございません。 なぜ解けたのかまでは分かりませんが。 呪いがないならあの大きさで、しかも一対。 一億以上の値が付くのは当然で、異議を申し立てる者はおりません。 かくしてナジューラ様は蓄財能力第一位となられた訳です」
「そんなに簡単に解ける呪いなら同じ事をやろうとした奴が今までいくらでもいたんじゃないのか?」
「いたでしょう。 失敗しただけで」
「賢い奴らが失敗したのにサダが成功した? 信じられんな。 ナジューラが何か小細工したと言うなら信じられるが」
「しかしあの石に最初に触れたのはヴィジャヤン大隊長と伺っております。 あれだけの大きさですと、込められた呪いも相当強力なはず。 触れた途端に発狂したとしても驚くべき事ではありません。 ところがヴィジャヤン大隊長は一つを取り出し、次も無事に取り出された。 それだけ見てもヴィジャヤン大隊長には呪いが掛からなかった事が分かります。 敢えて申し上げますなら、触れたその瞬間に呪いを打ち砕いたのではないでしょうか」
「馬鹿は風邪を引かんというが。 まさか馬鹿だと呪いがかからない?」
これがほんとの馬鹿力? と言いそうになって、ぞっとした。 自分にもサダの馬鹿が移ったような気がして。
俺はせせら笑いをして誤摩化した。
「いや、呪いでもっと馬鹿になったか。 元々馬鹿だったから周囲が違いに気付けないんだろう」
「呪われた者を御覧になった事がない旦那様には俄かには信じられない事かと存じますが。 私は呪いが込められた石に触れ、狂死した者をこの目で見た事があります。 呪術師を名乗る者の中には詐欺師紛いの者もおりますが、公爵家が抱える呪術師に紛い者はおりません。 呪いを侮るのは火を侮るより危険と申せましょう。
あの石にどのような呪いが込められていたのかは存じませんが、呪いに触れた者は命が助かったとしても生気が失われ、生ける屍の状態になるので周囲が気付かないという事はあり得ません。 ましてや泳いだり踊ったり出来るはずがないのです。
その一方で、呪いを破砕したとはそれもまた前代未聞。 並々ならぬ精神力があれば可能なのかもしれませんが」
「ううむ。 あいつが並々ならぬ馬鹿である事は実証済みだが。 精神力? そもそも呪いなんか最初からなかったんじゃないのか? いつの間にか消えていたのを知らずにいたとか」
「そうだと致しましても新たな価値が生まれたとダンホフ公爵が認定したのでなければナジューラ様が次代となる事はなかったでしょう」
「それはまあ、そうなんだろうが」
「ともかく次代のダンホフ公爵に恩を売り、懇意である事に損はございません」
認めたくはないが、サダのやる事なす事、結果的にはうまく収まっている。 少なくともあの救出に関してだけ言えば悪い事にはなっていない。 審議が終わっていない以上、他にやらかした事もうまく収まってくれるかどうかは分からないが。
俺は目の前のサダに考えを戻した。
「なんだ。 言いたい事があるならさっさと言え」
「え、あの、実は父の別邸にりんごの木があるんです。 冬になる前にいっぱいサリを外で遊ばせてあげたいし、りんご狩りなんていいんじゃないかと思ったものですから。
師範も行きませんか? ヨネ義姉上とリヨちゃんも一緒に。 お弁当はこっちで用意します」
りんご狩りだと? 謹慎中のくせに? で、護衛は俺にやれ、という訳か。 ちゃっかりしてやがる。
ここで止めろと言うのは簡単だが、サリの行動はこれから増々制限されるだろう。 元々皇王族の婚約者が皇王族に会うという用事以外で外出する事は珍しいとヘルセスが言っていた。 サダは平気でサリをあちこちに連れ回し、それに対して皇王室から文句を言われていないが、それは所詮、今の所は、だ。
赤ん坊が婚約者に選ばれた前例がないし、おそらく向こうはサダがこんな風にサリをほいほい外に連れ歩くとは思っていなかったから禁止されていなかったのだ。 もしかしたらりんご狩りだけでなく、皇王室の許可がない外出はこれが最後となるかも。 出来る内にやっておけ、か。
「いつだ?」
「えーと、明日、朝の十時辺りに出掛ける感じで。 明後日の方が師範の御都合がいいんだったら、そちらにしますけど」
明日だあ? どうしてこいつはこうなんだ。 もっとも前々から準備した方がかえって危険が増すとは言えるが。
俺はため息と共に答えた。
「日帰りでいいんだな?」
「はいっ」
「お前と同居している者以外では誰が行く?」
「誰も行きません。 タマラ補佐は出張中なんで」
サリの側にはバートネイアとネシェイムがいるし、アラウジョとロイーガもそこそこ使える。
「分かった。 行こう。 護衛は五人ほど連れて行く」
サダが帰った後、俺はウェイド、シナバガー、デュエイン、ケイザベイ、ザイルキを呼び、明日の朝十時にサダの自宅へ出頭し、ヴィジャヤン準公爵別邸でのりんご狩りが終わるまでサリの警備をするよう命じた。 するとケイザベイが聞いてきた。
「別邸とその周辺を事前に確認しておきたいのですが。 大隊長は境界線の正確な位置を御存知ですか?」
「マッギニスが知っているだろう。 ついでに警備上注意すべき点がないか聞いておくように」
「了解」
皆が退室するとポクソン補佐が聞いてきた。
「本当にお止めしなくてもよろしいのですか? りんご狩りに限らず、皇王族がそのような労働まがいの何かをなさったとは聞いた事がありませんが」
「前代未聞だらけの奴に聞いた事がないから止めておけと言ったって無駄だろう。 護衛が三、四人しかいないと知っているのに勝手に行けと言う訳にもいかん」
「しかし大隊長がお止めしていたら、それに逆らってでもお出掛けになったでしょうか?」
「あいつの馬鹿は底なしだからな。 試してもいいが。 あいつ一家だけで行かせたら、一緒に馬鹿になったか、と将軍から怒鳴られるのがオチだ」
俺は肩を竦めて言った。
「俺のように嫌々ながらも片棒を担ぐ奴がいるから、あいつの馬鹿に拍車がかかっているのかもしれんが」