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弓と剣  作者: 淳A
零れ話 IV
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告発 1  儀礼官、ブラダンコリエの話

サダが叙爵された直後の話です。

「本日付けで、ナコ・ブラダンコリエを四等儀礼官に任ずる」

 シューウィッチ儀礼庁長官補佐が厳かに辞令を読み上げた。 自分の体が地の中へと引きずり込まれていくような心地がする。

 冗談、ではないだろう。 長官補佐の顔は真剣そのものだ。 五等儀礼官の私にとって長官補佐は雲の上の御方で親しくお人柄に触れる機会などなかったが、常に御自分の行動を厳しく律する御方として知られている。

 そもそも儀礼庁ほど冗談と縁のない場所はないと言ってよい。 儀礼庁長官補佐が冗談をおっしゃるだなんて。 石に花が咲くよりあり得ない。 その昔、皇王陛下の御前で冗談を口にした儀礼官がいたという噂なら私も聞いた事があるけれど、誰に聞いてもその儀礼官の名を知らない所を見ると、そういう破天荒な人物がいてほしいという儀礼官の願望が生み出した架空の存在だろう。

 冗談を言うのは罪という法律がある訳ではないが、儀礼官は常に緊張を強いられている。 毎年、儀礼を間違えた故に投獄される人がいるし、事と次第によっては財産の没収、或いは獄死となる場合もある。 儀礼官に見咎められただけで将来を悲観し、自死する人さえいるのに、間違いを処罰する立場である儀礼官が間違えたら世間の物笑いの種だ。 冗談を言う余裕など誰にもない。

 万が一にも間違えない様、厳しい修練を経て本番に臨んでいるとは言え、予期せぬ出来事は常にある。 勤続年数が長くなると、まさかあの人が、と言われるような儀礼官の間違いを目にする事も一度や二度ではなく、自分なら絶対大丈夫と思えるものではないのだ。


 この辞令が本物である事に関して疑いはない。 だからと言って喜ぶべき事なのか? 黙って仕事をしていればいつか昇進するという職場でもあるまいし。 いきなり長官補佐に呼び出され、何事かと思えば四等への昇進。

 儀礼官のほとんどは見習いから正規となった時に決められた等級から昇進する事なく退官する。 自分もその一人と思っていた。 希に昇進がない訳ではないし、同僚に昇進を目指している人がいないとは言わないが、非常に少数だ。 そんなものを目指す気は最初からなかった私は昇進する為の努力なんて何一つしていない。 すると何か裏がある? 例えばどのような?

 真っ先に生贄の二文字が思い浮かび、辞令を受け取る手が僅かに震えた。 それを見た長官補佐がおっしゃる。

「長年の精進の賜物。 感慨深くもあろう」

 私の疑いと恐れを御理解なさり、それを打ち消そうとなさった? 又は裏のある昇進を実現させた罪悪感がある故のお言葉か?

 いずれにしてもこのような場で精進などしておりませんと申し上げられるはずもない。 何と返してよいものやら適切な返答が思い浮かばず、当惑を隠すために深く礼をして誤摩化し、四等儀礼官の心得、制服、徽章、印鑑等を無言で拝領した。


 長官補佐がお訊ねになる。

「其方は十六歳の時に儀礼官見習いとして出仕してから数えれば勤続二十年であったな?」

「仰せの通りでございます」

「儀礼庁を選んだ理由は何か?」

 迷ったが、なぜか当たり障りのない言葉を申し上げる気になれず、正直に答えた。

「恥ずかしながら、剣を振り回すのが恐ろしくて文官となる道を選びました」

「そうであったか。 血飛沫が飛ばないだけで惨い戦場に変わりはなかったのは生憎であった」

 さらっとおっしゃったが、そのお言葉の持つ重みに感じ入った。 出仕して以来、何度人知れず枕を濡らした事か。 これなら剣で殺された方が余程まし、と。 だが私と同じく五等儀礼官として出仕し、現在の地位まで上り詰めたこの御方が見た戦場は、ただ諾々と言われた事だけをこなしてきた私の比ではあるまい。

 私が知る限り高等儀礼官は全員この御方を深く尊敬している。 それは現在付いている役職のおかげではないだろう。 もしそうなら儀礼庁長官の方がこの御方より尊敬されているはずだ。 又、異例の昇進を羨んでの事とも思えない。 「儀礼の生き字引」と呼ばれる為にはどれだけ学ばねばならないか、私でさえ知っている。


「気軽な気持ちで儀礼庁を選んだ事を後悔したか?」

「時、既に遅く」

 一旦儀礼官として出仕すれば、たとえ見習であろうと退職は難しい。 退職願を出した所で不治の病や事故により手足を失ったとかの身体的な理由がない限り受理されないし、わざと解雇になるよう仕向け、一つ間違って懲戒解雇となれば家名の恥となる。 どこに逃げようと実家から差し向けられた刺客に殺されるだろう。 つまり死ぬ覚悟がなければ辞めたくても辞める道はないのだ。

「後悔をどう乗り越えたかは知らぬが、其方の勤務評価は中々のものであったぞ」

「恐れ入ります」

 自分に向いている仕事と思った事はないが、死ぬ程嫌という訳でもないし、与えられた仕事はそつなくこなしてきたと思う。 しかし、それだけだ。 見習の頃まで遡ろうと昇進に値するような何かをした覚えはなく、高貴な御方のお目に留まった事もなければ誰かに恩を売った覚えもない。

「慶事に見せかけた懲罰辞令なのか、と聞きたそうな顔をしているな」

 長官補佐に図星を突かれ、思わず目を伏せた。 等級が上がれば仕事の難易度が上がると決まってはいないが、四等儀礼官になると間違い一つで死罪となるような重要な式に参列する機会が増える。

「案ずるな。 そのような裏はない」


 長官補佐のお言葉を疑う訳ではないが、懲罰辞令ではないから無事という訳でもないだろう。 昇進は普通、各等級毎にある年次総会で発表される。 昇進する儀礼官は式の一ヶ月前には上司から通達され、準備するもの。 だが私の上司は今日私が長官補佐室に呼ばれた理由さえ知らなかった。 そして通知されたその日に辞令が手渡されただなんて聞いた事もない。 しかも手渡した人は私の上司になる三等儀礼官ではなく、長官補佐。 これが異例中の異例人事である事は疑うべくもない。

 ふと、実家がある上級貴族の恨みを買ったせいで一度昇進してから降格された同僚がいた事を思い出した。 昇進の際に推挙人への礼金と祝賀会の費用を払う。 その為に借金をし、それを払い終えていない内に降格されたのだ。 勿論、降格したからと言って借金は帳消しにならない。 後で最初から仕組まれていた報復という噂を聞いたが。 もしかしたら、それ?


「早馬で昇進を知らせたい家族はいるか? ブラダンコリエ伯爵家へ走らせても良いぞ」

「お気遣い、大変有り難く存じます。 けれど私は独身ですし、両親は鬼籍に入り、実家は兄の代になっております。 祝賀会を開くつもりはありません。 普通郵便での知らせで充分です」

 疑おうと思えば疑えるが、兄は父に似て温厚な人柄だ。 思慮もある。 上級貴族の恨みを買うような真似をするとは思えない。 それに兄には庶子を含めれば息子だけで十人いる。 我が子に起こった災難ならともかく、後妻の生んだ弟が昇進直後に降格させられた所で気に掛ける事はないだろう。 私の実家をどうこうしたくて昇進した可能性は薄いといえる。

 又、四等と五等の違いは大きいとは言え、慎重な兄の事。 私の昇進を知っても喜ぶより先に裏にあるはずの事情の方を心配すると思う。 悪行を働いた覚えはないし、この辞令が報復と決まった訳でもないが、人間いつ誰に恨まれているか分かったものではないのだから。

 仮に懲罰や報復ではなかったとしても、犠牲にする四等が欲しくて、という事が考えられる。 四等以上となると公侯爵の縁者が多い。 死んだら騒ぎ立てるような強力な縁者がいると生贄としては使えない。 だから伯爵家の子弟を選んだとか? 五等なら誰でもよかったが、運悪く私が指名されたという事ならありそうだ。


 それにしても一体誰が私を推挙してくれたのか? 儀礼官昇進には推挙人が少なくとも一人は必要だ。 四親等内の血縁及びその配偶者、配偶者の実家の推挙は認められない。 血縁、姻戚関係のない全くの他人であっても儀礼官本人及びその実家、配偶者の実家の爵位より下の爵位だと推挙出来ない事になっている。

 この他にも領地や自宅が隣接している推挙人は不可とか、儀礼官より年下では推挙人になれない等、細かい決まりが無数にあり、その全条件を満たす推挙人を見つける事が中々難しい故に儀礼官の昇進は珍しいのだ。

 例外は皇王族からの御推挙で、それがあれば一切不問。 即座に昇進となる。 けれど実家が公侯爵ならともかく、伯爵という皇王族へのお目通りが不自由な身分では皇王族からの御推挙を頂戴するなど夢物語でしかない。

 それ以外では上司の推挙により昇進する事もある。 但し、推挙出来るのは三等以上の儀礼官に限られ、たとえ私が上司に気に入られている部下だったとしても四等儀礼官である上司が推挙人になる事は出来ない。 加えて直属上司が推挙人である場合は、もう一人、別の推挙人が要る。


 シューウィッチ長官補佐のように頭脳明晰、過去の儀礼に関して造詣が深く、人のお手本とするに相応しい儀礼の達人なら自分からお願いしなくても推挙が戴けるだろう。 残念ながら私は儀礼官として秀でている訳ではない。 儀礼官の能力と等級が無関係である事は周知の事実だが、謙遜している訳ではなく、私に関しては能力通りの等級だと思っている。

 だからもし推挙があったとすれば、こちらから依頼した以外にはあり得ない。 私の場合頼むとしたら公侯爵の誰かになる。 当然、ただでは頼めない。 頼む気はなかったから今の相場がいくらか知らないが、五等から四等となると五百万ルークを下るまい。 そんな大金、私は勿論、私の実家にとっても少ない金ではないから兄が私に知らせず推挙を頼んだとは考えられない。


 すると私が三等儀礼官のどなたかのお目に留まり、推挙された事になる。 しかしそれは金で頼んだと同じ位あり得ない話だ。 そんな事をしてもらえる程親しい三等儀礼官なんて私には一人もいない。

 三等儀礼官と一緒に仕事をするとしたら皇王陛下即位式、御成婚式のような約六千人を数える儀礼官全員が出席する大掛かりなものに限られる。 私はその他大勢の手伝いの一人に過ぎない。 褒められるような事をしたなら別だが、名前は勿論、顔を覚えて戴けたどうかも怪しい。

 二等儀礼官以上となると直接言葉を交わした事さえない。 頼まれもしない見ず知らずの五等儀礼官を推挙する人なんていないだろう。

 あれこれ考え、昇進辞令を手にしても喜びに浸れずにいると、長官補佐はもう一通、別の辞令を机の中からお出しになった。

「本年三月一日より、ナコ・ブラダンコリエ四等儀礼官をヴィジャヤン北方伯付き儀礼教師として着任する事を命ずる」


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