外出 2
上司のエルヴィーン課長から、出発を急がないように、と何度も念を押された。 私が時間稼ぎをすれば犠牲は私一人で済むかもしれない、とは言われなかったが。 そんな事は言われるまでもなく分かっている。 私は静かに、分かりました、とだけ答えておいた。
犠牲が少なくて済むならそれに越した事はない。 何しろ今回事情聴取するのは皇王族でこそないが皇寵をお持ちの準大公。 長年私が事情聴取した御方の中で一番高位の被疑者だ。 大審院が扱う事件には皇王族が被疑者の場合もあったが、大公家は数が少ない為、審議の前例も極僅か。 元々準大公位とは諡号なのだから準大公を審議するだなんておそらく史上初。 現存する審議のどれとも全く異なる流れになると思って間違いない。
皇寵をお持ちなら陛下の御厚情に縋り、審議なしとなる可能性だってある。 事件の内容次第ではそこまでは難しいとしてもサリ様の御尊父のお名前に傷が付く事があってはならないと援護する者がいるはずだ。 それで出発を急がないようにと念を押されたのだろう。
ただ上層部には罰する事が最終目的ではない事がある。 皇王庁の権威を知らしめたいという思惑や、簡単に許しては有難みに欠けると言い出す者がいないとは限らない。 楽観は禁物だが、皇国の英雄を罰すれば国民感情を逆なでする。 それを恐れ、早い結審となる可能性はあると言えよう。
幸い準大公は先代陛下のお見送りに御出発なさった。 私が今すぐ南に向かった所で行き違いになると思われる。 事情聴取に行くとしたら北軍第一駐屯地へ向かうしかない。
お戻りは早くて九月末との事。 たとえ私が今日出発しても北でお帰りを待つ事になるのだから出発を遅らせる立派な理由となる。
身辺整理をするようにという気遣いからか、私が担当していた事件は他の人に任せ、出発まで何もやらなくてよいと言われた。 誰に何をあげるかはもう決めてあるし、元々大した私物がある訳でもない。 テンシークには私の名石を彫ってくれる様に頼んだし、今日出発しろと言われても準備は出来ている。 まあ、せっかくもらった休みだ。 お言葉に甘え、今まで時間がなくて読めなかった本を読む事にした。
準大公の事情聴取を私が担当する事になったという情報はその日の内に広まり、次々と送別会の話が持ち込まれたが、そういう場は苦手なので全部断った。 場を弁えず泣き出すような同僚はいないけれど、私を見る目が既に死んだ人を見るかのようで。 そんな雰囲気で酒を飲んでも明るい気分になれる訳がない。 別に明るい気分になりたい訳でもないが、自分の葬式に参列してるような飲み会は気が滅入るだけだ。
私としては死ぬか生きるか分からない事件を任され、風の音にさえ怯えて毎日を過ごすより気が楽と思っている。 だがそんな事を言ったらかえって相手に気を遣わせてしまうだろう。
翌日、課長に再び呼び出された。 なぜか命運の尽きた私よりもぐったりした顔をしていらっしゃる。 準大公の御予定が変わり、すぐ出発する事になったのかと思ったら、そうではなかった。
「準大公が皇王庁の許可なく御用船で救助なさった。 この件に関する事情聴取も命ずる」
最初の件とよく似ていたので、一瞬何を言われたのか混乱した。
「救助、でございますか? 乗り換えではなく?」
「うむ。 ブレベッサ号、御用船になり損ねた方の船だが、それが出航したその日に沈没した」
「沈没!?」
「新造船が沈没とは只ならぬ事件。 だがサリ様はお乗りなっていらっしゃらない。 だからまずダンホフが調査する。 原因が他家または他国の船からの襲撃となればこちらの出番だが、だとしてもダンホフが訴訟を起こした後の話となろう。
それより問題は、沈没の際、準大公がダンホフ公爵家継嗣と乗組員全員を救助なさったという報告が届いているのだ」
「とおっしゃいますと、御用船を使用して救助活動を行った?」
「そ、それが。 なんと準大公お一人で全員を助けたらしい」
「お一人で? 乗組員は何名いたのですか?」
「報告では八十名だ」
「……その人数を泳いで助けた、と?」
「皇王庁はかんかんだ。 そんな事が可能なはずはない、御用船を使って救助活動をしたのだろう、サリ様を危険に晒すとはけしからん、とな」
確かに数人ならともかく、たった一人で八十名を助けるとは、何らかの手助けがなければやり遂げられる事とは思えない。 オークを弓で射殺すという人力では不可能な事を成し遂げ、瑞鳥と共に大空を駆け巡った御方ではあるが。 これはある意味、それ以上に不可能な事ではないのか?
いずれにしても準大公に命を救われた者が準大公にとって都合の悪い証言をするはずはない。 たとえ救われた者が多かろうと口裏を合わせる事は可能だ。
「すると救助された者以外の目撃者はいない?」
「いや、いないどころか川岸の村の民、数百人が目撃している。 そんなに大勢の目撃者がいたら正規の事故報告書はともかく、必ずや世間の噂となるだろう。 到底隠しおおせる事ではない、と思うのだが。 今の所、準大公お一人が泳いで助けたという点だけは誰の証言も一致している」
これは十人や二十人の証言を収集したくらいでは済みそうにない。 事を起こしたのは準大公で、課長が悪いのではないが、思わず大きなため息が漏れた。 どうやら課長も同じお気持ちのようで、いかにも残念そうに呟かれる。
「これが自家用船であれば溺れる義兄弟を助けた事は美談となりこそすれ、何の問題にもならなかったであろうに」
そう考えると準大公にとってもお気の毒な事ではあるが、私にしてみれば一体何をお考えなのですか、と恨み言を申し上げずにはいられない。 一つ問題を起こしたくらいでは足りないとでも?
これ程の事件となると、たとえ皇寵があっても審問の紛糾は避けられまい。 皇王族が船に乗られる事自体が大変珍しいのだ。 御用船を救助活動に使用したという前例があるとは思えない。 皇王庁や大審院は些末な事であってさえ前例がないと判断に大変な時間がかかる。 仮に私が殺されず、事情聴取に駆けずり回ったとしても一年や二年では終わるまい。 課内全員どころか一部門二百五十名の事情聴取官総動員もあり得る。 正に死なば諸共を絵に描いたような状況だ。
それでも事情聴取は終わらせねばならない。
「そう致しますと、第一駐屯地より先にダンホフ公爵領、或いはその川岸の村へ出張した方がよいでしょうか?」
「現在それに関して大審院からダンホフへ事件の詳細を問い合わせているが、肝心なのは準大公がなぜそのような事をなさったのか、だ。 その問いにお答え出来るのは準大公お一人。 証人供述調書を集めている場合ではない。
ナジューラ殿がこちらに出頭して下さるとおっしゃるなら先にお話を伺ってもよいが、被告の義兄の証言だ。 いずれにしても審問には使えない。 救助された乗組員もダンホフ公爵家の奉公人か、系列の子弟だろう。 それ以外の目撃者の証言は必要になるが、証人供述調書が何百枚揃ったとしても状況証拠に過ぎず、審問開始とはなるまい。
それにナジューラ殿は別の船で先代陛下のお見送りに向かわれたのだとか。 ならばダンホフ公爵領へ出張しても無駄足となる。 乗り換えより更に深刻な事件が起こってしまった事は真に遺憾だが、これも引き受けてくれ。 それとヒャラ」
「ヒャラ?」
「あ、いや。 何でもない。 忘れてくれ」
そして課長はそそくさと執務室から出て行った。
その三日後、私は課長にまたまた呼び出された。 課長の目がぎょっとするくらい落窪んでいる。 今度は一体何があった?
「ヴィジャヤン準大公の船が失踪した」
「失踪!?」
「本当に失踪したのではないとは思うが。 何でも御用船は停泊する度に、そこから皇王庁へ無事を連絡を入れる決まりになっているらしい。 そんな事は私だって知らなかった。 長年皇王庁に勤務している者の中にさえ知らない者がいたようだし、叙爵されて一年足らずの準大公が御存知とは思えない。 残念ながら、知らなかったでは済まされない事のようで。
準大公は民間漁船に乗り換えなさったから途中で食料や燃料の補給をしなければならないはず。 なのに未だに何の連絡もない事が問題になっている。 この件に関しても事情聴取をしてくるように」
「あの、課長。 只今、民間漁船とおっしゃいましたか?」
「うむ」
乗り換えたとは聞いていたが、漁船に乗り換えたとは聞いていなかったので驚いた。 そういう事は先に教えておいて欲しかったが。 課長はそれ以上何も言わず、執務室から出て行かれた。 引き止めてもう少し詳しい事を聞こうかと思ったが、大変お疲れの御様子。 どうせ間もなく死ぬ私に詳しい事を教える必要はないと思ったのかもしれないと考え、止めておいた。
前回の呼び出しから四日後、課長から四度目の呼び出しがあった。 見るからにやつれた課長に危うく、お痩せになりましたね、と言いそうになったが、そんな事は今の課長より痩せている私に言われたくないだろう。 だが課長が手にしている茶碗から漂って来る香りはいつものお茶ではない。 薬湯だ。
いかにも嫌々という感じで一口飲まれた後、課長がため息と共におっしゃる。
「準大公が直命を承ってな。 皇王庁の許可なくサリ様と御一緒に御出発なさった。 この件に関しても事情聴取をするように」
「直命、でございますか? あの、許可なくとは、どういう意味でございましょう?」
直命という字面を見れば、まるで皇王族から口頭で直接命令されたかのようだが、直命が口頭で伝えられる事は滅多にない。 相手が準大公のような現役の兵士なら普通は皇王庁を通じて兵士の上官、この場合北軍将軍へと伝達されるもの。 つまり皇王庁の許可がないはずはない。
「この直命は直接口頭で伝えられた」
「一体、どなたが? まさかお出掛け前の先代陛下が?」
「いや、皇太子殿下だ」
皇太子殿下が皇王庁に話を通さず、北軍の現役将校に直命を下したとは穏やかではない。 しかもただの貴族ならともかく、相手は準大公閣下。 直命の内容次第では陛下への叛旗を翻したと受け取られかねない暴挙と言える。
「それでしたら皇太子殿下のお戻りを皇都でお待ち申し上げるか、東の離宮へ伺い、まずその直命の内容をお伺いした方がよいのでは?」
「大審院から皇太子殿下筆頭侍従へ既に早馬を走らせているが、御返答が戴けるかどうかは分からん。 皇太子殿下は皇都にお戻りになってから御自分で陛下へ奏上なさるおつもりとも考えられる。
いずれにしてもケイフェンフェイム最高審問官か、審問官のどなたかでなければ皇太子殿下へのお目通りは叶うまい。 しかし仮に安全極まりない任務だったとしても許可なくサリ様を外海へお連れするなどしてよい事ではない」
「海!?」
先代陛下が船旅にお出掛けになったばかりだし、遥か昔、皇王族が海路の遠征をした前例があったはず。 とは言え、もし準大公が事前にサリ様の船旅のお伺いを皇王庁へ提出なさっていたら許可が下りたとは思えない。 今回のお見送りだとて船にお乗りになるとは言っても川の旅だったから許可されたのだ。
課長が呻き声とも取れるため息を零され、おっしゃる。
「そのうえ護衛船を一艘も付けずに御出発なさった。 これでは皇王庁が怒髪天を衝く有様なのも無理はない。 言うまでもなく、これは御用船乗り換えや救助活動より更に深刻な事件となる。 さりながら肝心の準大公は海の上。 皇太子殿下からのお言葉が頂戴出来た所で証言に過ぎないのでは準大公のお帰りを待つしかない」
「すると準大公がいつお戻りになるか分からない訳ですね? では引き続き待機という事になるのでしょうか?」
「南に向かって出発した所で準大公にはお会い出来ないのだ。 待機する以外どうしようもあるまい」
執務室から出て行く課長の後ろ姿に哀愁が漂う。 部下を死地に送るのが課長の仕事だから昇進したいと思った事は一度もないが、昇進しなくて本当によかったとしみじみ思った。
それから四日後、五度目の呼び出しがあった。 課長の顔色が少し緑がかっていて、今にも倒れそうに見える。 棺桶に入ったも同然の私が他人の健康の心配をするのは笑止だが。
「課長。 差し出がましいとは存じますが、お休みになられた方がよろしいのでは?」
「休んでいる間に準大公の事件が消えてくれるならいくらでも休むのだがな。 今朝、別の事件の報告が入った。 準大公の愛玩動物がマーシュで大波を起こしたという。 この件に関しても事情聴取をするように」
「愛玩動物? 大波を起こしたとは。 一体どのような動物でございましょう?」
「現在の所、未確認である。 全長十メートルを越えるばけ、いや、その、海洋性動物だったらしい」
「全長十メートル! それでどの程度の被害があったのか、お分かりですか?」
「正確な数字は掴めていない。 だが海に落ちた者だけで五十人以上いるという話だ。 荷崩れの下敷きになって怪我をした者もいるらしい。 マーシュ湾内に入るまでは御用船の後ろを大人しく泳いでいたという事だが、アブーシャ川を上り始めた途端、大騒ぎしたのだとか」
「それは嘘か真か、まず現地に行って確かめる必要があるのでは?」
「目撃者はこれ以上聞きたくないという程いる。 証言した者の名前が変わるだけなら何十も同じ証言を集める必要はない。 三、四人も集めれば充分だろう。
それは現地に駐在している小審院の事情聴取官に提出させるから、こちらが動く必要はない。 準大公の親戚関係は避けねばならないし、マレーカ公爵やマッギニス侯爵のような血縁関係はなくとも息子や娘が部下や奉公人である貴族も忘れずに除外する必要があるので身元の確認はせねばならないが。 それは手の空いている者に確認させるから大丈夫だ。
そもそも他に緊急かつ深刻な問題が山積しているのに、愛玩動物が船を揺らした程度の事まで審問している暇があるのか、という声も上がっている。 死亡者が出たとか船が沈没したとなると看過出来ないが。 骨折や風邪を引いた程度の被害で準大公を訴える者がいるとは思えん。 積み荷を失ったとしても損害賠償訴訟が提出される可能性はなきに等しい。 この件に関しては時間があれば聞いておく、という事でよい」
その言い方が明らかに準大公の事情聴取はお前一人でやれと言っている。 いくら死人の数は少ない方がよいとは言え、あんまりでは? つい、言葉に不満が滲む。
「私一人でこれら全ての事情聴取をせよ、とおっしゃるのでしょうか?」
「う、うむ。 その。 あれこれ事件が予想以上に重なった事は認める。 しかしお伺いせねばならぬ御方が準大公お一人である事に変わりはない。 どれだけ事情聴取に御協力戴けるか分からないが。 担当を三人に増やした所で準大公のお体が三つに増える訳でもないだろう?
目撃者と状況証拠を集める事に関しては何人かに手分して処理させる。 其方は何もせずともよい。 ともかく準大公がまともな御返答を下さるかどうか、それに全てが掛かっているのだ。
話を要領良く纏め、全部包み隠さずお返事下さるなら有り難いが、部下でさえ理解不能な事をおっしゃる事が頻繁にあるのだとか。 執事なら全てを理解しているという噂もあるが、未確認情報だし、それが事実だとしても主に不利益な事を話してくれる訳もない」
「それでは一番重要なのが直命に関する件と致しましても、他の案件に関しましてはどのような優先順位を付けたらよろしいのでしょうか?」
私の質問に課長の顔色が一層暗くなった。 質問した事を後悔したが、聞いておかねば後で自分が困る事になる。 課長がぐううという音を微かに洩らした。
「二番は救助。 三番は乗り換えだ。 四番が報告を怠った事。 五番が愛玩動物となる。
二番以下はどうでもよいという訳ではないが、時系列順にお伺いしている内に何が何だか分からなくなり時間切れ、では困るのだ。 直命に関する事情だけは何としてでもお答え戴かねばならない」
「分かりました。 それではすぐ北に向かって出発します」
「いや、急ぐ必要はない。 お乗りになっている漁船では北に到着するまで少なくとも二週間はかかると報告されている」
「それでは待機中に何か他の仕事をしてはいけませんか?」
「だめだ。 他の仕事をしている最中に何かあって準大公の事情聴取に差し支えが出たらどうする。 引き続き待機するように」
課長は歩くのさえ億劫な様子で執務室から出て行った。
五度目の呼び出しから五日後、六度目の呼び出しがあった。 課長はお棺に横たわる死体でさえもう少しましなのでは、と思うような顔色だ。 口元の髭が微かに震えているので生きている事は確かだが。
「準大公が」
そこで言葉が途切れた。 人を呼んだ方がいいだろうか?
「ゴーンザーレ桟橋で、ラーザンタ人の、帽子を、射抜いた。 これに関し、事情、ちょう」
課長はそこまで絞り出す様におっしゃったかと思うと、ふっと天井の方に顔を向け、がくっと首を落とし、椅子から転げ落ちた。 私はすぐさま課長執務室の隣の部屋にいるフダール課長補佐に怒鳴った。
「課長が倒れた! 医者を呼んでくれ!」
一日寝たくらいでは治らないのではと危惧した通り、課長は翌日も出勤なさらなかった。 課長補佐から聞いた所によると医者の診断では過労。 当分お戻りにはなるまいとの事。
病気の人を羨ましがるのは間違っていると思うが、やるべき仕事もないのに毎日出勤するのは中々つらいものがある。 掃除をしてもいいなら喜んでするが、掃除夫がちゃんといるのに私が掃除をし始めたら嫌みと取られかねない。
読みたい本は全て読み終えた。 新しい本を買ってもいいが、届く前に出発となるのではと思うと買う気が失せる。 すぐに出発させてもらえるならどれ程危険な事件でも喜んで担当するのだが。 去年の辺りから私が今担当している様な殺される事が一目で分かるような事件は激減している。
仕方がないので書類整理をして時間潰しをしているが、退屈の余り誰かに八つ当たりしそうだ。 そんな見苦しい真似をする前に出発したいが、課長の上司であるベネッシュ部長も不在。 伝言は頼んだものの何の音沙汰もない。
しびれをきらし、出発しろとは誰にも言われてないが、出発する事をリエルサに伝えた。
「おい、早まるな。 行けと言われた訳でもないのに、なぜ行く?」
「座って待ち続けた所でこの仕事が消えてくれる訳でもないだろう?」
「それは、まあ、そうだと思うが」
「それどころか増える可能性さえある。 急いで死にたい訳ではないが、これ以上無為の時間を過ごすのは拷問でしかない。 準大公はゴーンザーレ桟橋にお着きになった。 そこから終点まで漁船であっても一週間と聞いている。 御到着の知らせがこちらに届くまで二、三日かかっただろうし、私の旅が十日かかる事を考えると早過ぎる出発ではない。 旅程は書いて課内の全員に知らせておいた」
「何だと? 全員? 暗殺の危険があるのに、なぜ旅程を全員に教えた? それでは殺してくれと頼んでいるようなものではないか」
「北へ行くにはどの道が適当か、事前にヴィジャヤン準公爵に問い合わせた。 言われた通りの道筋を辿るつもりだからいずれにしても秘密ではない」
「いくら秘密ではないと言っても、お前を殺しやすいように教えてあげる義理がどこにある」
「義理はないが、通りすがりの他人を巻き込みたい訳でもない。 課長がお戻りになったら適当に取りなしておいてくれ」
リエルサが大きなため息をついて見事な毛皮で裏打ちされた外套を持ってきた。
「寒くなる。 持って行け」
つい二年前デュガン侯爵が転封されるまで北に上級貴族の領地は存在しなかったから大審院事情聴取官が北に出張した事はない。 支給されている外套ならあるが、雨を凌ぐためのもので薄い。 だが私はこの旅の為に防寒着や冬物外套を買ったりはしなかった。
事情聴取が終わり、調書が提出されてしまったら私の生死に関係なく審問が開始される。 つまり時間稼ぎがしたいなら間もなくお会いする、けれどまだお会いしていない、という辺りを狙って私を殺害するのが一番効果的なのだ。 それに旅の途中で殺害した方が何かと誤魔化し易い。 私は北に辿り着く前に殺されるだろう。
二、三日ならこの外套を着る機会があるかもしれないが、着ている最中に殺されたら台無しになる。 着ていない時に殺されたとしても外套が無事リエルサへ届けられる保証はない。 もったいないじゃないかと言いそうになったが、それを言ったら、人の好意を何だと思っている、と長い説教が始まりそうな気がする。 今生の別れに、この辺で勘弁してくれ、では後味が悪い。 私は素直に受け取る事にした。
「思ったより軽いな」
「クークラの毛皮だ。 暖かいぞ」
「ありがとう」
私は友の温かい志を鞄に詰め、出発した。




