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弓と剣  作者: 淳A
春遠き
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正月休暇  ある観光客の話

 俺が勤めている皇都の店は正月に一週間休業する。 ほとんどの店員がその前後に休暇を取るから、少々長い休みを取ったって目立つ事はない。

 休暇前、俺と仲の良い同僚のピンソンが聞いてきた。

「よお、カン。 正月は実家か?」

「ああ。 今年は十日取った。 久しぶりにゆっくりしてくる」

「それはいい。 じゃ年明けに、またな」

「良いお年を」

 ピンソンに別れを告げ、俺が乗車したのは西行きの乗り合い馬車だ。 俺の実家は東にあるが。 向かうのはヴィジャヤン伯爵本邸。 言わずと知れた六頭殺しの若の生家だ。


 俺は英雄譚の類が好きで良く読む。 その関係で歴史の名所を訪ねるようになった。 だがそれは英雄と呼ばれるぐらいの人はとっくに死んでいる事が多いからに過ぎない。 生きている英雄がいるなら本人に会うのは無理でも、その人の生家か偉業を成した場所を訪ねてみたいと思っていた。 残念ながらそんな機会は今までなかったが。

 北の猛虎の名が国中に知れ渡った時、平民なら生家を訪ねても門前払いを食わされる事はないのでは、と期待して場所を探した。 しかしまず彼の生家がどこにあるかが分からなかった。

 北の農家の息子という事は噂で聞いている。 いかんせん、北と一口に言っても広い。 広さだけで言えば皇国の他の全域を飲み込めるぐらいあるから北の農家という手がかりだけで町を探していたら彷徨っている内に一生が終わるだろう。

 北軍に入隊した兵なら知っている人に聞けると思うが、一般人が兵士の実家の住所を軍に問い合わせたって教えてくれる訳がない。 北軍兵士の知り合いなんて俺には一人もいないし。

 仮に住所が分かったとする。 で、それが皇都寄りの北の町だったとしても今俺が住む町からそこに辿り着くまで片道十日はかかる。 すると往復二十日。 せっかくそこまで行ったなら、せめて二、三日は過ごしたい。 と考えると軽く三週間を越える休暇となる。 もし北の中央か、外れにある町だったら一ヶ月以上だ。 それはちょっとやばい。 店主に戻ってこなくていいと言われそうで。


 だから六頭殺しの若の噂を聞いた時、そしてそれがヴィジャヤン伯爵家三男であると知った時、これは見逃してはならないチャンスだと思ったんだ。

 ヴィジャヤン伯爵領ならここから片道たったの三日。 往復六日だ。 当地で何日かゆっくり時間を過ごしたとしても充分正月休暇の範囲内で戻れる。

 北の猛虎の生家より近いとは言え、せっかく行くんだ。 準備はしっかりしておこう、とヴィジャヤン伯爵家に訪問許可をお願いする手紙を書いたのが秋。

 なんと、なんと! 今なら一泊一万ルークで本邸内での宿泊も受け付けている、身分は問わない、という返事が来た! し、信じられない。 平民でも伯爵本邸に泊まれるだなんて。 ホテルを経営している貴族なら結構いるが、本邸をホテルにしている貴族がいるとは聞いた事がない。 さすがは英雄を生み出した家だ。 そんじょそこらの貴族とは訳が違う。

 俺は早速正月三泊を予約した。 高級な宿の二倍の料金だから一泊は近くにある安宿にしようかとも考えたが、こういう時の貯金だと思い直し、奮発した。

 予約が取れた事は職場の誰にも言わなかった。 上司や同僚に土産はどうするから始まって、いろんな事を気に掛けなくちゃいけないのが煩わしい。 帰ってから自慢話が出来ないのは残念だが。 同僚で英雄に興味のある奴はいないが、六頭殺しなら別だ。 若がどうした若の親兄弟がこうした、若と猛虎が、と毎日のように噂しているんだから。


 到着してみると、ヴィジャヤン伯爵邸は伯爵家の本邸としては大きさも外見も普通で変わった所はない。 タマラ執事とおっしゃる、いかにも伯爵家執事という立派な風貌の方が邸内を案内してくれた。 もちろん、目玉は若の部屋。 住んでいらした頃そのままを保存してあるという。


 おっ。 壁に子供の頃使ったらしい弓が掛けてある。 俺の目が輝いた事に気付いたか、執事様が説明なさる。

「こちらはサハラン近衛将軍より贈られました。 若が四歳の時、初めて手にした弓です」

 言われてみれば、付いている家紋はサハラン公爵家のものだ。 これが六頭殺しの始まりか。 それをこの目で見ているだなんて。 中々胸に迫るものがある。 壁にはそれ以外にもいくつか弓が掛かっていて、年を取るに従い段々弓が強くなっていった事が分かるようになっていた。

 タマラ執事が最後の弓を指さしておっしゃった。

「これは若がオークを殺した時に使った弓を忠実に再現したものです」

 おおおっ。 感動、ここに極まれり。


 広い部屋でもなかったが、一つも見逃すまいと室内をきょろきょろ見回していると、メイドの人がやって来てタマラ執事に小声で話しかけた。

「失礼します。 この部屋の明日の予約ですが、キャンセルが入ったのですけど。 如何致しましょう?」

「おや、珍しいね」

「何でもいらっしゃる途中、馬車の事故で足を折られたのだとか」

「そういうお気の毒な事なら仕方がない。 予約金は全額返して差し上げなさい」

 それは聞き捨てならない。 

「あの。 この部屋の予約って。 それって、まさか、この部屋にも泊まろうと思えば泊まれるって事なんですか?」

「さようでございます。 何分御希望なさるお客様が多いため宣伝はしておりませんが」

「では! では、そのキャンセルされた方の代わりに私が泊まる事は出来ますか? もちろん、差額は払います!」

「実は、キャンセル待ちのお客様もいらっしゃるのですが。 これも何かの御縁というものでございましょう。 お部屋を変更いたします。 しかしお待ち戴いているお客様に不公平になりますので、この事はどうか御内密に」


 この信じられない幸運により、俺は六頭殺しの若の部屋に一泊だけだが泊まる事が出来た。 その部屋は一晩三万ルークしたから土産物を買う事はあきらめるしかなかったが、払っただけの事はある。 若の勉強机の引き出しの中にはなんと帳面が入っていて自筆のメモを見れた。 字が汚いから何を書いていたのかは分からなかったが。 何より若が眠ったベッドで寝られるだなんて。 眠るのがもったいないないような、本当に幸せな一夜だった。

 飯もうまかったし。 食後には楽師と歌手が来て若に捧げる歌を歌ってくれた。 歌手の名前はノナさん。 初めて聞く名前だったが皇都の人気歌手にも負けないぐらいのいい声だ。

 何から何まで至れり尽くせり。 今までの中で一番心に残る旅となった。

 よし、金を貯めて来年も若の部屋に泊まるぞ、と勢い込んで予約を申し込んだが、来年の正月はどの日も全て埋まっていると言われた。 再来年の分はまだ予約を受け付けていないんだと。 しょうがないから他の部屋を予約した。

 そうそう何回も幸運に巡り会えるはずはないが、念のため予約の受付をしている人に頼んだ。

「若の部屋のキャンセルが出たら教えて下さい」

「畏まりました」


 とにかく今年は幸先のいいスタートを切った。 良い年になりそうな気がするぜ。


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