事情聴取
「六頭殺しが大審院事情聴取官ごときを怖れる訳ないだろ」
食堂でそういう会話が交わされているのを聞いた。 似たような言葉の端々を廊下とか稽古の間の休憩時間に聞いたりしている。
「事情聴取官がどうした、とふんぞり返っていたぜ」
「ヴィジャヤン大隊長は軽くあしらって追い帰すと言ってた」
まるで実際自分が見た、聞いた事であるかのように話しているけど、そんなの真っ赤な嘘だから。
そりゃ人間何事にも慣れってもんがあるだろうさ。 だからって怖いものが怖くなくなるって訳じゃない。 泣く子も黙る、大審院事情聴取官。 誰だって怖い。 勿論、俺だって。
そんな法螺を吹いた覚えもない。 正直しか取り柄がないのに嘘をついたりするもんか。 なのになぜそんな誤解が世間に広まっているの? その疑問が中々解けなかったが、ある日ようやく気が付いた。
「〇〇だって平気なんだから」
この〇〇にはトビか、師範か、マッギニス補佐が入る。
確かに俺ほど沢山の怖い人に囲まれて生き延びている人っていないよな。 世間から史上最強と言われている師範やマッギニス補佐でさえ俺にとっては沢山いる恐い人の中の一人に過ぎない。 それひとつを見ただけでも分かるだろ。 普通の人なら恐い人が身近にいたとしてもせいぜい一人か多くて二人だ。 俺みたいに恐い人がわいわい集まって小山を成している状態の人なんてどこにもいない。
例えば、タマラ中隊長補佐なら道場で師範にしごかれているし、そのうえ上官はマッギニス補佐だ。 それってかなり俺に近い怖さと言える。 それでも師範と手合わせするのは一週間に一回あるかないかと言ってたし、マッギニス補佐は上官とはいっても毎日一緒に仕事をしている訳じゃない。 週に一、二回顔をあわせるくらいだ。 そして官舎暮らし。 気楽な独身だから自分の部屋に帰ってしまえば恐い人なんて誰もいない。
師範とマッギニス補佐の部下の誰を見たって上官以外に恐い人なんていないが、俺は軍ではマッギニス補佐と師範。 家に帰れば帰ったでトビを始めとする怖い人達に囲まれている。 そのうえ俺の奉公人は夫々世間で怖れられている強者揃い。 それでどうやら俺は怖い人と一緒にいても平気な人、最初の頃はともかく今はもう慣れっこ、と思われているようだ。
んもー。 そんな訳ないだろ。 そりゃトビ、師範、マッギニス補佐よりも大審院事情聴取官の方が怖いのか、と聞かれたら迷うけど。
因みに迷っている理由は、今度来る事情聴取官がどんな人か知らないから比べようがなくて迷っているんじゃない。 なぜか俺の知っている怖い人って怖さの質が違う。 一口に怖いと言ったって一緒には出来ないし、順番だって付けられない。
例えばさ、虎に食われるのと氷漬けにされて死ぬの、どちらが怖いと聞かれたら、どっちって答える? そんなの俺でなくたって迷うだろ。 そういう死に方だけはしたくないという理由で無理矢理選んじゃう事は出来るけどさ。
俺的には死ぬ時くらい暖かい所で死なせて、て感じで虎を選ぶ。 でも氷漬けの方でお願いしますという人がいたって、お前は間違っていると言うつもりはない。 そもそも長い人生、虎と氷が一緒に襲って来る事だってないとは言えないんだし。 そういう夜明けまで後五時間みたいな考え方は冷え性の原因になるので極力考えないようにしているが。
トビの怖さだって師範とマッギニス補佐のどちらとも違う。 主なんだし、命の危険がある訳でもないのに何が怖いの、と言われるかもしれない。 だけど虎と氷は、職務上そんな事をしたらまずい、それで怒られたとか、びしばしやられる。 つまり兵士という仕事を選んだ身の因果? それはもうしょうがないよな、という諦めがあるが、トビの眼光攻撃は仕事に全く関係がない。 領主としての仕事にさえ関係ない事がよくある。 時には一体そこまで怒る事か、と納得いかない事だってあるんだ。
最近では、ある晩、骨付き肉を切っている時に肉が皿から飛び出してテーブルの上に転がった事があった。 実家で同じ事があった時は給仕が肉を拾って下げていたから拾い食いが褒められた行儀でない事は知っている。 けどさ、もったいないだろ。
これが床だったらケルパがあっという間に食べちゃうんで諦めるしかないが、床に落とした訳じゃないし、テーブルはいつもきれいに拭いてある。 お客様がいる訳でもないんだ。 食べたっていいじゃないか。 残念ながらそれは俺の(屁)理屈だったようで。
俺は迷わずその肉を指で摘んで口に放り込んだ。 普通の家なら屁理屈だろうと何だろうと当主が言った、やった事が正解になる。 でも裏当主の力が当主を上回る我が家でそれは通用しない。 俺の拾い食いを見咎めたトビの目が、ぎらん、と光った。 私の目が黒い内に、よくもそんなお行儀の悪い真似をなさいましたね、と言うかのように。
いやー、今思い出してもぶるっとくる。 何年ぶりかで見た、という訳でもないのがとても残念だ。 湖で水遊びした時の失敗は既に忘却処理を済ませているが。 いきなり眼光光線攻撃だぜ。 肉が喉に詰まるかと思った。
一年保たなかったな。 皇国史上最短で潰れた伯爵家。 叙爵なんてされなきゃよかった。 そんな言葉がさっと目の前に流れては消え、北方伯家の最後、と染め抜いた手ぬぐいが、ぴんと伸ばされる。
なのになぜ俺がまだ息をしているかと言うと、まだ碌にしゃべられないサリが、そこで奇跡の一言を発したんだ。
「とびぃー、だっこー」
正に、間一髪。 そこでどうして俺にだっこを強請らないの、なんて心の狭い事を言う気はない。 ぴきーんと固まった雰囲気が、ふっと緩み、すかさずリネが援護射撃をしてくれた。
「ほ、ほら、トビ。 だっこですって。 抱いてあげて。 ね?」
娘と妻に救われるだなんてちょっと情けないが、肝心なのは助かった、て事だ。
ともかく、どんなに長年付き合っていようと一緒に暮らしていようと怖い人は怖い。 大審院事情聴取官みたいなすぐに帰る人だって怖い事には変わりないんだ。 誰をも怖れないとはトビや師範やマッギニス補佐のような人の事を言う。 間違っても俺じゃない。
もしかしたら師範がどんどん恐い人を引き寄せているのかも。 類は友を呼ぶ感じで。 今回の事情聴取官だって表向きは俺に会いに来るんだが、ほんとは師範に会いたいからわざわざここまで来ているような気がする。
だって大審院なら、その気になれば北に住む領民全員を(将軍も含め)呼べるだけの権限があるんだ。 俺に皇都まで来いって言えば済む。 でも師範は被疑者じゃない。 ついでに師範も来いとは言えないだろ。 つまり証人として呼ぶしかない訳で。 それだと審議開始まで大隊の指揮が出来なくなるからモンドー将軍が陛下に陳情なさるだろう。 まあ、今回は俺と師範だけでなく沢山の人から事情聴取しなきゃいけないという事情があるからかもしれないが。
ところで、俺が大審院事情聴取官に会うのはこれが初めてという訳じゃない。 俺は皇太子妃殿下誘拐未遂事件の証人として召喚された時にも事情聴取官に事情聴取されている。
それまで俺は大審院事情聴取官という人がどれ程恐れられているか、全然知らなかった。 伯爵家辺りでは「大審院」という言葉を聞く事自体あまりない。 聞くとしたら事情聴取官は事情聴取官でも中審院か小審院の事情聴取官だ。 そして中審院や小審院の事情聴取官は大して怖れられていなかったような記憶がある。
だけど大審院事情聴取官は違う。 これは後でヘルセス義兄上に聞いたんだけど、上級貴族からも怖れられているんだって。 それだけの事はある、と初めて会った日に実感した。
その辺、詳しく聞きたい?
どーしよーかなー。 こんな事話したって事がばれたら、後でマッギニス補佐にどんな目にあわされるか分かったもんじゃないしなー。
あ、でもそんなに聞きたい?
じゃ、ここだけの話、て事で。 俺が言ったなんて、ぜーーったい誰にも言わないでくれよ。 俺の命がかかっているんだから。
それは証人として喚問され、皇都のダンホフ公爵家に滞在していた時の事だ。 大審院事情聴取官が来て面会したんだけど、その時、同席していたマッギニス補佐の胸ポケットには短刀が仕舞ってあった。 その短刀は柄が特別な造りになっていて、知らない人が見たらポケットに万年筆をさしているようにしか見えない。 マッギニス補佐がゼラーガ侯爵家の裏門で自害しようとした時、引き抜いたのはその短刀だ。
軍人が武器を持つのは当然だし、俺だって腰に一本、常に短刀を持ち歩いているが、マッギニス補佐が普段その短刀を持ち歩いているのを見た事はない。 俺がいない時に持っていた事があったのかもしれないけど、いつもは俺と同じく腰に短刀を下げている。 俺が知る限りマッギニス補佐がそれを持っていたのはゼラーガ侯爵邸に到着した日と、事情聴取官に会った日の二回だけなんだ。
事情聴取官に会う前にマッギニス補佐の短刀に気付いたが、なんでそれを持って来たのか聞かなかった。 聞いた所で、便利ですので、とか何とか答えにならない返事が返って来ただけだと思う。 だからこれは単なる俺の推測だけど、あれはマッギニス補佐が死ぬ覚悟を決めた時にだけ身に付ける物なんじゃないかという気がする。
その時の事情聴取官の名前は忘れたが、見かけは全然普通の人だった。 結局マッギニス補佐が事情聴取の場で短刀を抜く事はなかったんだけど、マッギニス補佐にあの短刀を持たせるだなんて。 それってつまり大審院事情聴取官はゼラーガの裏門並みという事になるんじゃない? だからどんな恐い人が来るか、俺は心底びびっていた。
そして到頭、問題の大審院事情聴取官が到着した。 なんと護衛も供も付けず、たった一人で第一駐屯地へやってきた。
「大審院事情聴取官、スウ・ベルントと申します。 以後、何卒お見知りおき下さい」
痩せているから小柄という印象だが、身長は俺と同じだ。 立派な外套を着ているけど、偉そうな所は少しも見せない。 人を警戒させないと言うか。 油断させようとしているのかな? 知らない人が見たら北に遊びに来た観光客みたいな寛いだ雰囲気の人だ。
ただ鋭い目をしている。 何であろうと見逃さない人、て感じ。 一言失言しただけでサリが取られちゃうかもしれないんだ。 緊張して挨拶すると、たかが伯爵の俺を準大公閣下と呼び、礼儀を尽くした挨拶をしてくれた。
「準大公閣下におかれましてはさぞかしお忙しい事でありましょう。 長々お時間を戴くつもりはございません。 早速事情聴取を開始したいと存じますが、如何?」
それで到着したその日に事情聴取が始まった。 同席するマッギニス補佐の胸に例の短刀はない。 それを見て、ちょっとだけほっとした。 お見送りに出発した日から順を追って説明させられると思っていたんだけど、ベルント事情聴取官は核心にずばっと来た。
「直命とその前後の事情に関してお答え下さい」
「はい。 先代陛下をお見送りした後で、皇太子殿下よりベルドケンプ島に住む動物を移動させる様にとのお言葉を頂戴しました。 直ちに遂行するべく、その日の内に出発致しました」
「何故その任務にサリ様をお連れになったのでございましょう?」
「え? 何故って。 サリ、様、を置いていく訳にいかないし」
「……。 出発前に皇王庁に許可を申請なさらなかった理由は何ですか?」
「は? あの、直命って、皇王庁に許可を申請して遂行するものなんですか?」
「……。 それでは御出発後の経緯を御説明下さい」
「はい。 ベルドケンプ島はマーシュから二日で着ける島です。 そこに予定通り到着し、問題の動物にも会えました。 ただ俺、いえ、私が最後にベルドケンプ島に行ったのは四、五年前の事で。 その時は私の身長よりちょっと高いくらいでした。 それで船に乗せてどこかに連れて行くつもりだったのですが、会ってみると意外に育っていて。 もう、何を食べたらあんなにでかくなるんだか。 あ、魚に決まってますけどね。
とにかく船には乗せられない大きさなもので、どうしようか迷いました。 しかしすぐに帰るつもりで一週間程度の食料しか積んでなかったのです。 どこへ移動させるにしろ食料をもっと積まなきゃいけません。 それで海坊主に付いて来るように言って、マーシュに戻りました」
「海坊主、とおっしゃいましたか?」
「はい。 それは何と呼ばれている動物か知らなかったもので、私が付けたあだ名ですが。 実は今でも何と呼ばれているのか知りません。 御存知でしたら教えて戴けると助かります」
「あだ名、の由来を伺っても?」
「頭がはげてたからです。 でも海ハゲではあまりにそのままだと思ったものですから」
「……付いて来るようにとおっしゃった。 そしてその、海坊主は準大公のお言葉に従った、と。 ではその海坊主は人語を解する訳ですね?」
「誰の言う事でも分かるのか、確かめた事はありません。 海坊主の言いたい事って何となく分かるので、私の言う事も分かっているような気がしていますが。 付いて来てと言った時、腕をこんな風に振ったんです。 それなら言葉が分からなくても通じますよね?」
「……では、マーシュ湾に戻られた後の経緯を御説明下さい」
「ずっと大人しくギラムシオ号の後を泳いでいたので、なぜあそこでいきなり海坊主が騒ぎだしたのか、理由は分かりません。 ただ今思うと、私の船の後押しをしてあげようと思ったのかも。 そんな余計な事しなくてもいいのに。 ほんと、有り難迷惑って言うか。 予定よりずっと早くゴーンザーレ桟橋に到着したので助かったとは言えるのですが。
海坊主に関しては一昨日、バーグルンド南軍将軍が御連絡下さいまして。 ベルドケンプ島には戻っていないとの事です。 只今皇太子殿下の御都合をお伺いしており、お目通りが叶い次第、任務完了を報告するつもりでおります」
「それでは日時が前後致しますが、御用船を使用して救命活動を行った事情に関してお答え下さい」
「あ、御用船は使用しておりません。 私が泳いでナジューラ・ダンホフを川岸まで引っ張りました。 兄が溺れているのを見ては見過ごせませんから。 ついでに他の乗組員の面倒も見ましたが」
「すると乗組員八十名全員を泳いで引っ張られた?」
「いえ、乗組員は漁網に掴まってもらいました。 私はその先端を川岸に持って行っただけで。 川岸にいた皆さんが引っ張ってくれたのです」
「ぎょもうとは、魚を獲る網でございますか?」
「はい。 サリ、様が乗船したギラムシオ号は当家所有の漁船です。 副業として漁業を始めようと思いまして」
「では、出発前に船をお乗り換えなさったのは自家用船の方を好まれたという理由でしょうか?」
「それは、その。 私の犬が大変気難しい犬でして。 ブレベッサ号に乗りたくないとごね、いえ、乗船を嫌がったんです」
「……」
「こう、こんな感じで踏ん張っちゃって。 びよびよっ、びよびよって。 ギラムシオ号なら文句を言わずに乗ったので、仕方なく自家用船で出発しました。 あの、私の犬がどんなに頑固か、御覧戴かないと御納得戴けないと思うんです。 御足労をお掛けして恐縮ですが、我が家へお越し戴けないでしょうか?」
ベルント事情聴取官は、変としか言いようのない俺のお願いに何の文句も言わず、来てくれた。 ケルパは愛想を振りまきはしなかったが、大人しくベルント事情聴取官を迎えてくれたので、ほっとした。
そこでベルント事情聴取官にケルパを抱き上げてみてくれるよう、お願いした。 ベルント事情聴取官は顔が真っ赤になるまでがんばってくれたが、ケルパを持ち上げる事は出来なかった。 これで全て納得してくれたのかどうかは分からなかったが、ベルント事情聴取官は乗り換えに関してそれ以上何も聞いて来なかった。
次に桟橋に留まった時、なぜ皇王庁に連絡しなかったかを質問されたが、連絡しなきゃならないとは知らなかったと正直に答えた。
帽子を射抜いた事情も聞かれたので、俺が見た事、やった事を答えた。 主のした事に関して奉公人の証言は使えないと聞いているが、同行した奉公人全員の事情聴取もしておいてもらった。
事情聴取が無事に終わり、ベルント事情聴取官が帰ろうとした時、宿はどうなさるのかを聞いたら、予約してないとおっしゃる。 それで我が家に泊まるように招待した。 貴族の家としては小さいけど、空き部屋はあるし、その方が心証が良くなるだろ。
俺としては良かれ思って言ったんだけど、後でエナにすごーく怖い顔をされた。 怖い目に晒され慣れている俺でなければ、とても持ち堪えられなかったと思う。 サルジオルキさんといい勝負かも。 今更だけど、エナにずっと居てもらいたいと申請したトビを恨みたい気分だ。
ともかくエナによると、準大公家に招待されるというのは大変な名誉だから誰彼構わず泊めたりするのはよくないんだって。 まあ、もう招待しちゃったんだからしょうがない。 次から気を付けますと言っておいた。 どうせ次なんてないだろ。
翌日、ベルント事情聴取官は俺の朝稽古を見学した後で師範に会い、アワッドとドレジェッツ船長、ギラムシオ号の船員にも事情聴取したようだ。 ラーザンタ語の通訳はいらないんですかと聞いたら、ベルント事情聴取官はラーザンタ語が話せるんだって。 さすがは大審院事情聴取官。 多才なんだな。
有能な事情聴取官らしく、あっと言う間に全てを終わらせ、ベルント事情聴取官は皇都へとお帰りになった。 すごい。 事情聴取って、事情聴取官によっては何週間もかかるって聞いていたのに。 マッギニス補佐を思わせる手際の良さだ。 とにかく終わってくれてほっとした。
事情聴取なんて二度とやりたくないけど、もしまたやらなきゃならない事になったらベルント事情聴取官に担当してもらいたいな。




