言い訳
人間、どんなにがんばったって怒られる時は怒られる。 それは知っているし、今回の場合覚悟もしていた。 上官に伝令を出さずに色々やっちゃったから。 だけど伝令じゃないと将軍へ知らせが届くまでの時間に大きな違いがあるだなんて知らなかったんだ。 まあ、知らなかったでは済まされない事もある事くらい知ってる。 これについてはもう散々師範から叱られたが、将軍からもお叱りがある事は覚悟していた。
「マーシュよりただいま戻りました」
将軍は直立不動で報告した俺をぎろっと睨んだ。 ぎくっ。
お、怒っていらっしゃる。 すごく、すごーく。 今まで見た事ないくらいに。
どうしたんだろ。 俺、何かした?
いや、まあ、色々やった事はやったけど。 明るく報告すれば、ちょっとまずい事しちゃった、てへっ、みたいな感じで誤魔化せるんじゃないかなー、とか。 甘かった?
でもさ、振り返って見れば今回の旅で一番の大ポカは伝令を出さなかった事だろ。 それ以外では船を乗り換えた。 ナジューラ兄上を助けた。 海坊主を動かした、があるが、どれも俺のせいって訳じゃないよな?
アワッドの帽子を射ったのは俺だけど、アワッドを止める為にやった事だし。 結局俺の奉公人になったんだから丸く収まったと言うか。 四つ、と数える程の事でもないと思うんだ。
マーシュで海坊主が大波起こしただろ、て? あれまで俺のせいと勘定されたら困る。 大きな声じゃ言えないが、あれって海坊主を動かせと命令した人のせいなんじゃないの? そりゃマーシュに連れて来いとは言われていないが、連れて来るなと言われた訳でもないんだからさ。
ただ御用船乗り換え、救助と直命の知らせは既に将軍のお手元に届いているだろうけど、マーシュやベルドケンプ島で起こった事はまだ届いていないはずだ。 それは今から報告するが、任務としては成功しているっぽい。 俺としては今回の旅は差し引きゼロ。 そんなに叱られる事はないと思っていた。
将軍の御様子じゃ、伝令を走らせなかった事は俺が予想したよりずっとまずかったようだ。 せっかくがんばって帰って来たのに。
全然気付いてもらえていないが、俺達は漁船にしては信じられない早さで帰って来た。 ゴーンザーレ桟橋まで超特急だったのは海坊主のおかげだけど、そこからたったの三日でブラースタッドに戻ったんだぜ。 夜も休まず航行して。
尤もそれは急いで帰りたかったからというより、他の船の迷惑を考えたからなんだが。 だって御用船の追い越しは禁止なんだろ。 追い越し禁止の船がとろとろ運行していたら後ろの船はいらいらするじゃないか。 それで全速力を出した、て訳。
とは言え、船が船だ。 漁船の全速力なんて知れている。 それでもアワッドがいてくれたおかげで他の船を立ちんぼさせたりはせずに済んだ。 船員五人に俺だけじゃ、あの速度を出すのはとても無理。
ただアワッド一人で船を操行させる事は出来ないから俺も寝ないで操縦を手伝った。 くたくたなのはヒャラの踊り過ぎ、て訳じゃないんだぜ。 ちょっと息抜きに踊るくらいはやったけどさ。
褒められようと思って急いだんじゃないが、この様子じゃ褒められるどころか、かなりの厳罰になりそう。 叱られる事に関しては既にプロの俺だが、将軍からこんな怒気を浴びせられた事は今まで一度もなかった。 さすがは北軍将軍。 本気のお怒りは師範に優るとも劣らない迫力でいらっしゃる。
ううっ。 どうしよう?
将軍が拳で黒檀の机をどんと叩いた。
「なぜいきなり御用船を乗り換えた!?」
「申し訳ございません。 ケルパがどうしてもブレベッサ号に乗らないと踏ん張るもので」
将軍は、やっぱりそれか、みたいなでっかいため息をついた。
「乗り換えるなら乗り換えると、なぜそこですぐに伝令を寄越さんのだ!?」
「すみません。 見ていた人が沢山いたから誰かが伝えてくれると安心してしまいまして」
そこでどんなに将軍のお手元に届くまで時間がかかったか、散々愚痴られた。 ぺこぺこ謝る俺に次が来た。
「そのうえサリ様をお乗せしている御用船で救助だと? 沈没しかかっている船に近づく馬鹿者がいるかっ!」
「いえ、御用船は救助に使用しておりません。 俺が泳いで助けたんです」
「たった一人で? ブレベッサ号の乗組員八十名全員を?」
「はい」
「タケオ大隊長。 それに相違ないか?」
「はい。 ギラムシオ号はブレベッサ号に近づいておりません。 ブレベッサ号の乗組員に向かって漁網を投げる事は致しましたが。 ヴィジャヤン大隊長がその漁網の先端を川岸に届け、川岸にいた村人達が引き上げを手伝ってくれたのです」
「むうう。 だが川岸に着いたらヒャラを踊り始めるより先にする事があるだろう? なぜそこですぐに伝令を寄越さん」
「申し訳ありません。 村長が連絡してくれると言ったもので。 その言葉に甘えてしまったんです。 その場に兵士なんて一人もいなかったし」
だけど村人を伝令に任命する、という道もあったのだ。 それはギラムシオ号に戻ってから師範に聞いて知ったので手遅れだったが。
「全く融通の利かない奴だ。 それは不問とするにしても、その後一度も伝令を寄越さないとはどういうつもりだ? どこにも停泊せず、マーシュまで突っ走ったというのか?」
「食料積み込みのため一回、桟橋に停まりましたが、それは二時間程度で終わったので、すぐに出発したんです」
「それからは何もなくマーシュに到着したのだな?」
「はい」
「そして先代陛下は恙無く御出発なさった?」
「はい」
「では、救助の後は今日まで何事もなかった訳か」
「あの、先代陛下が御出発なさった後、皇太子殿下から直命がございまして」
「な、何だと?! 直命? 皇太子殿下から?」
あれ? 将軍だけじゃない。 カルア補佐も明らかに驚いている。
直命ってそんなに珍しい? これが初めての直命という訳でもないのに。 皇太子殿下の身代わりだって直命だったし、大峡谷へロックを捕まえに行ったのもそうだろ。 俺だけじゃない。 師範だって当時フェラレーゼ王女だった皇王妃陛下のお出迎えをするようにとの直命を受けている。 俺としてはまたか、という感じだったんだけどな。
この様子では直命があったという知らせさえ届いていない。 あ、もしかしたら皇太子殿下からの知らせがなかった事に驚いているとか? 執務室にはマッギニス補佐もいたが、不気味なくらい無言だ。
「一体、何をしろとの直命だ?」
「ベルドケンプ島の周辺に住みついた海坊主を別の場所に動かす様に、との仰せでした」
「「海坊主!?」」
「あ、海坊主っていうのは俺が付けたあだ名です。 何と呼ばれる動物なのか誰に聞いても分からなかったものですから。 こんな感じの動物です」
俺は楕円に嘴とヒレと水足がついてるみたいな下手くそな絵を描いて見せた。
「それはどれくらいの大きさなのだ?」
「全長十メートルちょっとだと思います」
「「「……」」」
「昔、初めて会った時は俺より低いくらいで、結構かわいい所もある奴だったんです。 最後に会った数年前だって俺の身長より頭一つ高いくらいで。 ただ今思うと、かわい気なんてその時既になくなっていたかも」
将軍が目を瞑っておっしゃった。
「それで?」
「ベルドケンプ島に行ったら案の定、海坊主がいました。 それで付いて来てって言ったんです」
「「「!!」」」
将軍がかっと目を見開く。
「付いて来て、だと? まさかそれで本当に付いて来たと言うのではあるまいな?」
「あの、でも本当に付いて来てくれたんです。 アブーシャ川を北上するまで。 そこで別れたので、ベルドケンプ島に戻ったかどうかの確認はまだやっていませんが。 それに関してはバーグルンド将軍へ何か御存知ではないか、手紙でお伺いするつもりです」
重苦しい沈黙が執務室に立ち籠める。 これだけじゃ随分端折っているから詳しい説明をしたいが、聞かれもしない事を自分から言って、もっと困った事になりたくない。 どうも俺って説明しようとすればする程みんなに誤解されるみたいだし。 将軍は早とちりなんてなさる御方じゃないけどさ。
「つまり、今その動物はどこにいるか分からない訳だな?」
「はい」
「他には何もなかったのか?」
「え、あ、その。 何もなかった訳ではないのですが、大事にはなりませんでした」
「「「……」」」
空気が更にどよーんとした重みを持ち始めた。
「何があった?」
「えーと、マーシュの湾内で。 それまでは大人しく付いて来た海坊主が急に大波を起こしまして。 船から人とか荷物とか海に落ちていました」
「その後始末はしたんだろうな?」
「いえ、それが、海坊主が起こした波がすごくて。 どこにも停まれなかったんです。 ギラムシオ号がゴーンザーレ桟橋に着くまで後ろからすごい勢いで押されて。 そのおかげでこんなに早く戻る事ができたんですが」
「結局、何日かかって戻ったのだ?」
「マーシュからゴーンザーレ桟橋まで五日で着きました。 そこからブラースタッドまで三日です」
「あの漁船で合計八日? ともかく、アブーシャ川を北上し始めてからは何もなかったんだな?」
「あの、ゴーンザーレ桟橋で荷物を積み込む人足に向かって剣を抜いた男がおりまして。 止める為にそいつの帽子を射抜きました」
「ふうん。 帽子を射抜かれた程度でよく相手が引き下がったな」
「ラーザンタ人にとって帽子は」
「「ラーザンタ人!?」」
そこで相手をどうやって宥めたか、一部始終を説明させられた。 長い説明でもないけど、ぐったり。 でも将軍の怒りに染まったお顔を見ていると直立不動の姿勢を崩せない。
俺の説明が終わった所で将軍が苦々し気におっしゃる。
「叩けば埃が出る体とはこの事か」
えー? それって俺の事? まあ、俺の事に決まっているけどさ。
結果的にはそう言われても仕方がないくらい、あれこれ起こってはいるが、それって俺のせいなの?
伝令を出さなかった事は悪かったさ。 だけどそれ以外の事まで俺のせいじゃないよな?
乗り換えは飼い犬のした事だから飼い主の責任だと言われても仕方ないが。 ブレベッサ号が沈没したのは明らかに俺のせいじゃない。 助けたのが悪いと言われたって困る。 サリさえあの船に乗っていなかったら褒められこそすれ叱られる事じゃないだろ。
川岸で村長の言葉を鵜呑みにしたのはまずかったけど、将軍が御存知って事は村長はちゃんと連絡してくれたんだろうし。
ただ村長が知らせに走るとしたら、まず自分の領主へだ。 そりゃそうだよな。 村長にとっては領主が上官なんだから。 村から領主まで連絡が届くのに時間がかかるし、それから将軍に知らせを走らせたんだ。 余計に時間がかかっただろう。
そうは言っても、すぐに伝令を出していたって救助は終わった後なんだし、直命にいたっては仮に将軍がその場にいたってやるなと言えるものじゃない。
俺にしてみれば、どれにもちゃんとした言い訳がある。 だけどいくら呑気な俺だって将軍がどれだけお怒りか分かる。 しょうがなかったんです、なんてとてもじゃないけど言える状況じゃない。 嘘をつくな、と言われないだけ有り難いと思わないと。
ありのままを報告しているけど、もしこれをモンドー将軍以外の誰かに報告したら全然信じてもらえなかっただろう。 飼い犬の言う事を飼い主が聞いた、泳いで八十人助けた、海坊主が言う事を聞いた、全部にいちゃもんを付けられたと思う。
実際、救助に関しては、俺が泳いで助けた事は事実でも、御用船を使っていないというのは嘘と紙一重だ。 将軍はともかく、これがすんなり皇王庁や大審院に受け取ってもらえるかどうか分からない。 俺が泳いで助けたのを見た人ならいくらでもいるから証人には不足しないが。
将軍は厳しい表情で、びしっと一通の封書を机に叩き付けた。 大審院の公用封書だ。 表に「事情聴取通知」と書いてある。
あーあ、やっぱりもらっちゃったか。 これに関しては既にマーシュで父上を始め、バーグルンド将軍、レイ兄上、ナジューラ兄上と、いろんな人から何度も警告された。 乗り換えの理由と救助の経緯は必ず後で大審院から事情聴取されるから準備しておくように、て。
「正確な到着日は分からんが、大審院事情聴取官が間もなく到着する。
マッギニス。 事情聴取の際は同席しろ。
いいか、ヴィジャヤン大隊長。 言葉遣いにはくれぐれも気を付けるんだぞ。 失敗したらその場でサリ様の後宮入りが決定すると思え。
皇王庁から直命の連絡が私に届いていない理由は解せないが、首尾良く完遂しているのなら皇太子殿下からのお言葉もあろう。 さればと言って他の全てが許される保証はどこにもない。
事情聴取には私も同席したい所だが、同席が許されているのは補佐一名のみだ。 マッギニスも同席が許されているだけで、証言はもちろん、助言も許されていない。
まあ、許されていたとしても部下がお前を庇う発言をした所で大した重きは置いてもらえないだろうがな。
タケオ大隊長。 お前にも同様な事情聴取がある事を覚悟しておけ」
「「「了解」」」
カルア補佐からもお言葉があった。
「マッギニス。 こちらから誰にどんな働きかけをするのが効果的か、連絡するように。 また、あり得る質問にヴィジャヤン大隊長が無難な答えが出来るよう模範解答を準備しておけ。 充分な下準備をしている時間がある訳でもないが。 何もないよりましだろう」
「了解」
「ヴィジャヤン大隊長。 大審院の審問に北軍が口を挟む真似は出来ないが、海坊主の移動に関しては、こちらからバーグルンド南軍将軍へ問い合わせをしておく」
「ありがとうございます。 お手数をお掛けして申し訳ありません」
はああ。 がーっつり怒られちゃった。 しかもこれで終わりじゃない。 これからマッギニス補佐のしごきが始まる。 そして次は大審院事情聴取官だ。
どんな人が来るんだろ。 優しい人? な訳ないよな。 そんな仕事についているなら。 俺のせいじゃないんです、なんて言い訳した所で聞いてはもらえないんだろうな。




